宮口古墳群
高田平野が頸城丘陵へと続く東の縁に営まれた墓域である。古墳時代後期7世紀に作られた円憤であり、すぐ近くにある水科古墳群ときわめてよく似ておりこれらは同じものと思う。あるいは別な氏族が営んだものとも考えられるが僕は時代の流れの中で江戸時代かそれ以前かこの間は水田に転用されたものとおもう。ここは背後に丘陵地その前の平地に丸い土まんじゅうのごとき円墳が並びおだやかな雰囲気にあふれている。古墳というとすぐ巨大な前方後円墳を思ってしまうがこの円墳を見てると何かここは韓国の地のような気がしてくる。
水科古墳群より宮口古墳群を望む
水科古墳群
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