先日お会いした,渡辺敞嗣さんから大変貴重なお話をいただきました。その後,シンポジウムの資料をいただきました。
大変重みのある内容なのでぜひ,多くの皆さんと共有したいと思います。
シンポジウム
「河畔のまちから森と海を考える」
渡辺敞嗣
本稿は平成23年7月21日、岩手県民会館において開催されたシンポジウム「河畔のまちから森と海を考える」の中から渡辺敞嗣の発言のみを抜粋したものである。
コーディネーター 岩手大学教授海田輝之
シンポジスト
盛岡市都市整備部 平野耕一郎 森林インストラクター 川村冬子
中津川サケ研究者 渡辺敞嗣
海田 現在の活動について話していただきます
渡辺 私は誰に頼まれたわけでもないんですが。平成11年から今日まで北上川の支流、盛岡市内を流れる中津川のサケの調査をしてきました。
サケが中津川にのぼってくることについては、中津川の水がきれいだというふうに、環境保全の象徴みたいなとらえ方をされているようですが、実はもっと重要な意味を二つ持っています。
一つは、中津川のサケは河口から200キロものぼってくるサケだということ。
もう一つは、中津川のサケは野生のサケだということです。
北上川より長い川というと関東地方の利根川、新潟から長野にかけた信濃川,北海道にいって天塩川などがあります。
しかしこれらの川は途中にダムがあったり,人工孵化のサケをつかまえるために川に簗をかけたり網を張ったりしているので、中津川のサケのように200キロも上流までのぼることはできません。
途中に遡上の邪魔ものが無く、200キロものぼることができるのは日本では中津川のサケしか無いわけです。
もうひとつ中津川のサケは野生のサケということです。
野サケという言葉が日本語として正しいかどうか知りませんが、私は気にいって野サケ、野サケと言っていますが、いま野サケがいるのは日本で北海道の知床半島、あそこにはヒグマがいて人間が入ってこないから野生のサケが残っています。
こんな人がいっぱいいる盛岡に200キロものぼってくる野生のサケがいるということはすごいことだと思うんですね。
岩手県ではサケ漁が沿岸漁業の大きな柱になっているんですが,あのサケは全て人工孵化のサケです。
人工孵化で生まれたサケは、人間が手を取り足をとって育てたサケなものですから極めてひ弱なサケ、独り立ちできないサケなんです。
人工孵化中心の現在のサケ漁業のやり方からみて、もし人工孵化をやめたとすると、サケは全部居なくなってしまのではないかと思います。
極端な話ですが、人類が滅亡すれば一緒にサケも滅亡してしまうことになるでしょう。
ところがこの中津川のサケは独り立ち出来るたくましい野生のサケですから、もし盛岡のまちが無人になったとしても秋になれば中津川にサケがのぼってくるんですよ。
そう考えると中津川のサケはなんとすごい生き物なんだろうということになるわけです。
海田 それでは渡辺さんから活動状況をもう少しくわしくお聞きしたいと思います。
渡辺 野サケという話をしましたが、
あれは放流サケじゃないかと言われる人もいます。
本町振興会の皆さんが毎年サケの放流会を行っています。
昨年まで17回続いています。
ですから親子二代にわたって参加している人もいるというすばらしいイベントです。
このイベントは、皆さんに中津川とサケに親しんでもらう、それとお子さん方に夢をあたえるということですね。
小学校1年生のお子さんに、あなたが5年生になった時、このサケが帰って来るんだよと。
私は、これはいろいろな意味で素晴らしいイベントだと思って感心しておりますし、尊敬もしています。
しかし放流会で放すサケはせいぜい1万尾くらいです。
1万尾と言うと数としてはずい分多いみたいに思われるかもしれませんが、これは決して多い数量ではないんです。
放流されたサケの稚魚が大人になってどれくらい帰って来るかというと放流数の3%に過ぎません。
この3%というのは海の沿岸に帰って来る数字で,そこで獲られてしまいますから、川にのぼるサケはその10分の1、すなわち0.3、%そうすると1万尾放流して帰って来るサケは30尾くらいしかないはずなんです。
ところでみなさんご存知のように、海からのぼってきたサケは卵を産むとみな死んでしまいます。
そこで私は中津川でその死んだサケの数を数えてみたんです。
死んだサケが必ずしも戻って来た数とは限りませんが、最低でも死んだサケの数だけは帰って来た証拠になりますから、毎年いちばん死骸が多そうな日に川を見て、死骸を数えたんです。
そうしますと毎年何百尾という死骸が数えられます。
去年は455尾でした。
1万尾という放流尾数から計算されるのぼってくるサケの数は30尾程度ですから、もともと中津川生まれのサケが居ないと数が合わないということになるわけですね。
私は、これは絶対に中津川生まれの野生のサケがいると、その証拠を見つけてやろうと思って平成11年度から調査を始めたわけです。
中津川にのぼってくるサケはシロサケという種類です。
ここから今日のテーマ森とつながるんですが、シロサケは川に戻ってきて卵を産むとき、必ず川底から湧き水が出る所に産むものなんです。
中津川に野生のサケがいる条件として絶対に湧き水がなければだめだということで、最初の年は湧き水の調査から始めたわけです。
海田 渡辺さん、お話しがまだあると思うんですが。
渡辺 中津川の湧き水の調査を始めて、たしかにその湧き水を発見しました。
陸地に湧いている湧き水は目で見てすぐわかるんですが、流れている川の底に湧き水があるかどうかは目ではわかりません。
そこで、湧き水は御承知のとうり夏は冷たいですし冬は暖かい。
その性質を利用して、中津川の川の水温と砂利の水温の差を計った。
そこに湧き水があれば、冬は川の水が冷たいから砂利の中は暖かいだろうということですね。
きょうこれを持ってきたんですが,釣竿です。
釣竿の先に温度計を付け、これで中津川の川の温度を測る。
次に温度計を砂利の中に突っ込んで砂利の中の温度を測る。
これを中津川と北上川の合流点から上流のサケがのぼる最上流の堰堤まで、約4キロの間を温度計を突っつき突っつき歩いていったんです。
そうしたら、いちばん最初に杜稜小学校の前、毘沙門橋の所で冷たい水が見つかったんです。
そのときはうれしかったです。
あったぞと。
5月初め、暖かいときでした。
それからずっと浅岸橋の間に11ヵ所ほど水温の差のあるところが見つかりました。
秋になるとサケが来たと岩手日報の新聞に載りますから,それが載ると私は中津川に行って、ずっと川の縁を歩ってサケが卵を産みつけるところを探しました。
サケが卵を産むときは尻尾で砂利を掘りますから、バシャバシャしてそれが分かりますし、サケがいなくても砂利が洗われてきれいに白っぽくなっていますから、卵を産んだなってわかります。
その場所産卵場所は、私が予想したとうり夏に調べた湧き水の場所とぴたり一致したんです。
去年まで11年間ずっと調べましたが、毎年同じ場所に何尾かのサケが卵を産んでいます。
ですから中津川には水害を被った後も湧水が発達しているということがわかったわけです。
サケが卵を産むときバシャバシャやっているのはメスだけです。
オスは何もしません。
オスはメスが卵を産んだ時、ワーッと寄って行って精子をかけるんです。
ですから川が一瞬白く濁ります。
ああ卵を産んだなとわかります。
それと、卵を産もうとしているサケの周りにウグイがいっぱい集まって来ます。
サケの卵は御馳走ですからね、産んだ瞬間ウグイが来て卵を食べてしまうんですよ。
ですから、ウグイに食われなかったすごく運のいいサケだけが卵からかえって稚魚になるわけです。
人工孵化のサケはほぼ100%卵が稚魚になりますが、天然のサケは非常に効率が悪いということですね。
サケがのぼって来るまち盛岡と言うブランドを守るためには、水をきれいにするのはもちろんですが、この湧き水を絶やさないということが大切なことですね。
その湧き水というのはどこから来るのかが。
たぶん盛岡の周りに森がいっぱいありますから、あれによって湧き水がわいてくるのだろうと思います。
今後皆さんで中津川の湧き水はどこから来るんだろうということを研究して、湧き水を守るようにしていただきたいと思います。
本日の講師畠山さんは、森は海の恋人、または母とも言ってます。
サケはこれの逆、海は森の恋人、または母をやっています。
中津川にのぼってきたサケは産卵後死にます。
この死骸をカラスがつついています。
カラスはねぐらの林や森に帰りそこで糞をします。
つまり、サケは林や森の肥料になって木を育てています。
これの大規模のものがアラスカの大森林です。
アラスカの河川をのぼって来たベニサケは、森林に棲むヒグマの餌になりヒグマははベニサケの死骸を森林に運び,糞もします。
これが肥料となってあの大森林を育てているのです。
森は海の栄養供給源となって海の生物を育てますが、サケはそれをまた森に持って帰るのです。
サケは森、海、森のエネルギーの輪を繫ぐ重要な働きをしております。
サケがつなぐ海、川、森、
海田 ありがとうございました。
畠山さんの講演で上流域の森が海を育てているというお話でした。
渡辺さんからは、今まで上から下に流れる物資のの流れだったけれども、サケがのぼってくるということは逆に海から物資が上がって来るということなんだよというお話をおききしました。
上流、下流ということをかんがえなければいけないと言うか、山、森、川、水、海というところをもう一度みんなで考えてみましょう、ということでこのシンポジュウムを終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
大変重みのある内容なのでぜひ,多くの皆さんと共有したいと思います。
シンポジウム
「河畔のまちから森と海を考える」
渡辺敞嗣
本稿は平成23年7月21日、岩手県民会館において開催されたシンポジウム「河畔のまちから森と海を考える」の中から渡辺敞嗣の発言のみを抜粋したものである。
コーディネーター 岩手大学教授海田輝之
シンポジスト
盛岡市都市整備部 平野耕一郎 森林インストラクター 川村冬子
中津川サケ研究者 渡辺敞嗣
海田 現在の活動について話していただきます
渡辺 私は誰に頼まれたわけでもないんですが。平成11年から今日まで北上川の支流、盛岡市内を流れる中津川のサケの調査をしてきました。
サケが中津川にのぼってくることについては、中津川の水がきれいだというふうに、環境保全の象徴みたいなとらえ方をされているようですが、実はもっと重要な意味を二つ持っています。
一つは、中津川のサケは河口から200キロものぼってくるサケだということ。
もう一つは、中津川のサケは野生のサケだということです。
北上川より長い川というと関東地方の利根川、新潟から長野にかけた信濃川,北海道にいって天塩川などがあります。
しかしこれらの川は途中にダムがあったり,人工孵化のサケをつかまえるために川に簗をかけたり網を張ったりしているので、中津川のサケのように200キロも上流までのぼることはできません。
途中に遡上の邪魔ものが無く、200キロものぼることができるのは日本では中津川のサケしか無いわけです。
もうひとつ中津川のサケは野生のサケということです。
野サケという言葉が日本語として正しいかどうか知りませんが、私は気にいって野サケ、野サケと言っていますが、いま野サケがいるのは日本で北海道の知床半島、あそこにはヒグマがいて人間が入ってこないから野生のサケが残っています。
こんな人がいっぱいいる盛岡に200キロものぼってくる野生のサケがいるということはすごいことだと思うんですね。
岩手県ではサケ漁が沿岸漁業の大きな柱になっているんですが,あのサケは全て人工孵化のサケです。
人工孵化で生まれたサケは、人間が手を取り足をとって育てたサケなものですから極めてひ弱なサケ、独り立ちできないサケなんです。
人工孵化中心の現在のサケ漁業のやり方からみて、もし人工孵化をやめたとすると、サケは全部居なくなってしまのではないかと思います。
極端な話ですが、人類が滅亡すれば一緒にサケも滅亡してしまうことになるでしょう。
ところがこの中津川のサケは独り立ち出来るたくましい野生のサケですから、もし盛岡のまちが無人になったとしても秋になれば中津川にサケがのぼってくるんですよ。
そう考えると中津川のサケはなんとすごい生き物なんだろうということになるわけです。
海田 それでは渡辺さんから活動状況をもう少しくわしくお聞きしたいと思います。
渡辺 野サケという話をしましたが、
あれは放流サケじゃないかと言われる人もいます。
本町振興会の皆さんが毎年サケの放流会を行っています。
昨年まで17回続いています。
ですから親子二代にわたって参加している人もいるというすばらしいイベントです。
このイベントは、皆さんに中津川とサケに親しんでもらう、それとお子さん方に夢をあたえるということですね。
小学校1年生のお子さんに、あなたが5年生になった時、このサケが帰って来るんだよと。
私は、これはいろいろな意味で素晴らしいイベントだと思って感心しておりますし、尊敬もしています。
しかし放流会で放すサケはせいぜい1万尾くらいです。
1万尾と言うと数としてはずい分多いみたいに思われるかもしれませんが、これは決して多い数量ではないんです。
放流されたサケの稚魚が大人になってどれくらい帰って来るかというと放流数の3%に過ぎません。
この3%というのは海の沿岸に帰って来る数字で,そこで獲られてしまいますから、川にのぼるサケはその10分の1、すなわち0.3、%そうすると1万尾放流して帰って来るサケは30尾くらいしかないはずなんです。
ところでみなさんご存知のように、海からのぼってきたサケは卵を産むとみな死んでしまいます。
そこで私は中津川でその死んだサケの数を数えてみたんです。
死んだサケが必ずしも戻って来た数とは限りませんが、最低でも死んだサケの数だけは帰って来た証拠になりますから、毎年いちばん死骸が多そうな日に川を見て、死骸を数えたんです。
そうしますと毎年何百尾という死骸が数えられます。
去年は455尾でした。
1万尾という放流尾数から計算されるのぼってくるサケの数は30尾程度ですから、もともと中津川生まれのサケが居ないと数が合わないということになるわけですね。
私は、これは絶対に中津川生まれの野生のサケがいると、その証拠を見つけてやろうと思って平成11年度から調査を始めたわけです。
中津川にのぼってくるサケはシロサケという種類です。
ここから今日のテーマ森とつながるんですが、シロサケは川に戻ってきて卵を産むとき、必ず川底から湧き水が出る所に産むものなんです。
中津川に野生のサケがいる条件として絶対に湧き水がなければだめだということで、最初の年は湧き水の調査から始めたわけです。
海田 渡辺さん、お話しがまだあると思うんですが。
渡辺 中津川の湧き水の調査を始めて、たしかにその湧き水を発見しました。
陸地に湧いている湧き水は目で見てすぐわかるんですが、流れている川の底に湧き水があるかどうかは目ではわかりません。
そこで、湧き水は御承知のとうり夏は冷たいですし冬は暖かい。
その性質を利用して、中津川の川の水温と砂利の水温の差を計った。
そこに湧き水があれば、冬は川の水が冷たいから砂利の中は暖かいだろうということですね。
きょうこれを持ってきたんですが,釣竿です。
釣竿の先に温度計を付け、これで中津川の川の温度を測る。
次に温度計を砂利の中に突っ込んで砂利の中の温度を測る。
これを中津川と北上川の合流点から上流のサケがのぼる最上流の堰堤まで、約4キロの間を温度計を突っつき突っつき歩いていったんです。
そうしたら、いちばん最初に杜稜小学校の前、毘沙門橋の所で冷たい水が見つかったんです。
そのときはうれしかったです。
あったぞと。
5月初め、暖かいときでした。
それからずっと浅岸橋の間に11ヵ所ほど水温の差のあるところが見つかりました。
秋になるとサケが来たと岩手日報の新聞に載りますから,それが載ると私は中津川に行って、ずっと川の縁を歩ってサケが卵を産みつけるところを探しました。
サケが卵を産むときは尻尾で砂利を掘りますから、バシャバシャしてそれが分かりますし、サケがいなくても砂利が洗われてきれいに白っぽくなっていますから、卵を産んだなってわかります。
その場所産卵場所は、私が予想したとうり夏に調べた湧き水の場所とぴたり一致したんです。
去年まで11年間ずっと調べましたが、毎年同じ場所に何尾かのサケが卵を産んでいます。
ですから中津川には水害を被った後も湧水が発達しているということがわかったわけです。
サケが卵を産むときバシャバシャやっているのはメスだけです。
オスは何もしません。
オスはメスが卵を産んだ時、ワーッと寄って行って精子をかけるんです。
ですから川が一瞬白く濁ります。
ああ卵を産んだなとわかります。
それと、卵を産もうとしているサケの周りにウグイがいっぱい集まって来ます。
サケの卵は御馳走ですからね、産んだ瞬間ウグイが来て卵を食べてしまうんですよ。
ですから、ウグイに食われなかったすごく運のいいサケだけが卵からかえって稚魚になるわけです。
人工孵化のサケはほぼ100%卵が稚魚になりますが、天然のサケは非常に効率が悪いということですね。
サケがのぼって来るまち盛岡と言うブランドを守るためには、水をきれいにするのはもちろんですが、この湧き水を絶やさないということが大切なことですね。
その湧き水というのはどこから来るのかが。
たぶん盛岡の周りに森がいっぱいありますから、あれによって湧き水がわいてくるのだろうと思います。
今後皆さんで中津川の湧き水はどこから来るんだろうということを研究して、湧き水を守るようにしていただきたいと思います。
本日の講師畠山さんは、森は海の恋人、または母とも言ってます。
サケはこれの逆、海は森の恋人、または母をやっています。
中津川にのぼってきたサケは産卵後死にます。
この死骸をカラスがつついています。
カラスはねぐらの林や森に帰りそこで糞をします。
つまり、サケは林や森の肥料になって木を育てています。
これの大規模のものがアラスカの大森林です。
アラスカの河川をのぼって来たベニサケは、森林に棲むヒグマの餌になりヒグマははベニサケの死骸を森林に運び,糞もします。
これが肥料となってあの大森林を育てているのです。
森は海の栄養供給源となって海の生物を育てますが、サケはそれをまた森に持って帰るのです。
サケは森、海、森のエネルギーの輪を繫ぐ重要な働きをしております。
サケがつなぐ海、川、森、
海田 ありがとうございました。
畠山さんの講演で上流域の森が海を育てているというお話でした。
渡辺さんからは、今まで上から下に流れる物資のの流れだったけれども、サケがのぼってくるということは逆に海から物資が上がって来るということなんだよというお話をおききしました。
上流、下流ということをかんがえなければいけないと言うか、山、森、川、水、海というところをもう一度みんなで考えてみましょう、ということでこのシンポジュウムを終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。