Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

2011年回顧と展望 歴史的危機と民主主義(増田寛也氏寄稿文47NEWS転載)

2011-12-30 | 里海探偵団
47News寄稿文【激動の年に地方自治を再考する】新年は自助と共助の再構築で地域の自治力をより高めなければ-増田寛也・野村総合研究所顧問 2011年回顧と展望 歴史的危機と民主主義を掲載します(47News http://www.47news.jp/47topics/e/224088.php)


 2011年という年は永遠に歴史に刻まれる年となるであろう。文字通り、まさに激動の一年であった。1000年に一度の規模といわれる東日本大震災による壊滅的被害と原発の事故。人類が作り出した原子力という科学技術を人類がコントロールできないという事実が発生し、あろうことか大量の放射能が空中に飛散した。さらに、電力喪失と深刻な風評被害によって東北のみならず、日本全体が被災地となってしまった。福島の状況は今日現在も日々悪化していると言って過言ではなく、住み慣れた土地から追い立てられた人々の無念さは想像に余りある。人間が自然を制御することは不可能であるという事実の前で、人々は茫然と立ちすくみ、悲しげな風景が広がっている。こうした中で震災直後に被災地東北の人々が見せたお互いに助け合う規律ある姿に全世界の称賛が集まり、日本中に「絆」や「つながり」という言葉が溢れた。

■2011年の地方自治について語る増田寛也氏

 一方海外に目を転ずると、春先のチュニジアのジャスミン革命、エジプトの民衆蜂起によるムバラク体制の打倒に始まった一連の「アラブの春」の流れは、秋にはリビアのカダフィ政権を崩壊させるに至った。そして年末に飛び込んできた隣国北朝鮮の独裁者金正日の突然の死亡のニュース。1990年前後に東欧を中心として多くの独裁国家が崩壊したが、それ以来の大きな変革といってよいだろう。しかし、独裁者亡き後の後継体制作りは苦難の連続であることは民族の血が多く流れたユーゴ内戦を見るまでもなく、数々の歴史が物語っている。

 問題は辿りつくべき先の民主主義国家体制に深刻な亀裂が生じていることである。民主主義の壮大な実験として誕生したEUはギリシャ発の国家債務危機でユーロ圏崩壊の瀬戸際にある。富める独仏と苦境にあるギリシャ、イタリア、スペインなどに二分化しつつあり、自由な市場から保護主義的傾向を強めている。新興国が台頭し、各国が自分の利益追求に走り始めると、欧州分裂も現実味を帯びてくる。

 ▼政治の劣化と英雄待望論

 自由を求める近代主義は、価値観の多様化を生み出すが、ここまで経済財政が不調になると、社会に閉塞感が充満する。政治が有効な政策を打出せば、解決に向かうが、国民の多様な意見の中でEU内各国民皆を満足させる解決策を見出すのは苦難の業だ。往々にして政治が立止まり、困難な政策決定を先送りし続ける。ここに民主主義国家の限界があり、油断すればナチスの例の如く大衆民主主義(ポピュリズム)から独裁性に逆戻りしかねない。

 東日本大震災とEUの危機は一見無関係に見える。しかし、「災後日本」の姿を見ると何事も決断できない政治の劣化に対する日本国民の失望感が英雄待望論に結びつく危うさを感じる。両者に共通するのは金融資本が国境を越えて瞬時に動くボーダーレス経済の中で、伝統的な資本主義が金融資本主義に変質し、国家の価値観や安定的な経済社会システムが崩れた後に、次に目指すべき健全な国家目標を提示し得ない無力な政治と危うい民主主義の姿である。

 こうした見方を日本で裏付けるのはいわゆる「橋下現象」の出現であろう。鋭い政治センスと扇動政治家(デマゴーグ)的要素を身に秘めた橋下徹氏の大阪府知事から大阪市長への華麗なる転身は2011年の国内政治を飾る最大のイベントだったと言ってよい。菅直人前首相から野田佳彦首相への首相交代も橋下フィーバーの前では霞むほどであった。ここではこうした地方政治の動きについて述べておきたい。

 ▼地域政党への期待、首長新党への疑問

 2011年は4年に1度の統一地方選挙の実施年であった。東日本大震災で被災地の選挙は秋に延期されたが、それ以外は予定通り4月に行われた。ここでの話題は地域政党、なかんずく「大阪維新の会」や河村たかし名古屋市長率いる「減税日本」などの首長新党である。首長新党の確たる定義はないが、一言でいえば、人気の高い自治体首長が率いる地域政党である。これまで地域政党はわが国ではなじみが薄い。国政では沖縄の社会大衆党が長い歴史を有するが、苦戦を強いられている。

 現在の地方議会は民主党や自民党など既成政党の地方組織に所属する議員が中心となって会派を構成しているが、既成政党は中央集権的体質が色濃くしみ付いており、民意をすくいきれていない。地域主権や地方分権を唱えながら、実際の政策は中央から降ってくるものがほとんどで有権者は魅力を感じていないし、その活動をふがいなく思っている。そこに、地域政党の伸長の可能性がある。

 私も地域政党には期待を寄せる1人である。分権改革が進めば、当然のことながら地方政治に占める地域政党の比重はしだいに大きくなり、すべてが地域政党によって構成される議会があってもおかしくないと考えている。むしろ、そのようなレベルまで地方の政治力を高める必要があるとも思っている。

 しかし、それにしても首長新党となると首をかしげざるを得ない。首長新党の主張は単純明快で一見わかりやすい。名古屋市民の市民税減額の是非。大阪の府と市の司令塔の一本化の是非。高い支持率を誇る首長の主張を丸写しして、白か黒か、○か×かを有権者に迫るやり方には、ポピュリズムや大衆迎合、大衆扇動の影が見てとれる。

 こうした首長新党が議会の過半数を占めることになれば、果たして議会は、自分達の親分が率いる執行部に対しての監視機関の役割を全うすることができるだろうか。今まで以上に、首長の単なる追認機関と成り下がってしまうのではなかろうか。首長と議会の対立を議論と説得を駆使して合意に至らしめる、いわゆる「熟議」の必要性は中央における国会だけの話ではない。国政、地方政治を通して議会制民主主義が追求すべき理想像である。

 人気の高い「自称」改革断行首長が、行く手を邪魔する「抵抗勢力」たる議会を制圧する狙いと、首長の人気で当選を果たしたい候補者の一致点としての首長新党に地域の将来を委ねるのは甚だ危険であることを十分理解しておく必要がある。選挙で候補者がつくった「借り」はそれだけ重いということでもある。

 最近の「キャラが立つ」「とんがった」首長に対しての期待感は、中央政界における政治家のふがいなさと裏腹で、一種の英雄待望論となっているようである。しかし、そこに落とし穴はないだろうか。

 ▼内容見えない「都構想」

 こうした中で橋下前大阪府知事が11月下旬に行われた大阪ダブル選挙の争点として仕立てたのが「大阪都構想」である。この構想は、大阪市と堺市の両政令指定都市を解体して中核市並みの権限を持つ複数の特別自治区に再編し、広域行政は「都」に一本化して効率化を図り、住民サービスは特別自治区が行うというものである。

 知事と市長という司令塔を一本化して二重行政の解消を図るとともに、地域内の小さな自治を特別自治区を基に実現するというものであるが、それ以外は未だ不明の点が多い。内容からすれば実現のためには法律はもちろんのこと議会の議決や住民投票が必要となり、手続きだけでもハードルが高い。橋下氏は選挙に圧勝して見事新しく大阪市長に就任したことから、今後、早急に構想の具体化を図るものとみられるが、市長就任当日に早速上京して各政党の党首、代表に大阪都実現を迫るという手際の良さを見せた。一方、各政党も次期衆院選への思惑から橋下氏に露骨なスリ寄り姿勢を見せて国民を呆れさせている。

 こうした橋下氏の政治力の評価は別にして、大阪都構想については、私は現段階で次のように考えている。まず、生活保護の急増や犯罪の増加など大阪が抱える様々な課題に対して都と特別区の事務権限の配分をどうするのか、併せて地方税財政制度をどのようにするのかを明らかにして、それにより課題が解決できるか検証を急ぐのが先決であろう。都構想の内容の確定が先決ということである。こうした都構想の内容を決めた後に、それにふさわしい統治機構として「都」がふさわしいのか検討し、手法を考えていくべきもので、現在、ともすれば移行手続きの議論が先行していることには異和感を禁じえないのである。いずれにしても人口減少・超高齢社会時代に突入し、厳しい財政環境の中で、持続可能なかつ経済成長をけん引する力のある大都市のあり方を検討する必要があることは間違いない。

 政府も昭和30年の政令指定都市制度創設以降、大都市制度について大きな改正をしてこなかったこともある。第30次の地方制度調査会で来年、この大都市制度について検討を行うこととなっているが、時代の変化のスピードが速いことを踏まえ、早急に結論を出すことを期待したい。

 ▼消費増税に国、地方の説明責任

 最後に地方消費税の引上げの動きに触れておきたい。税と社会保障の一体改革に伴い、政府は次期通常国会に2010年代半ばまでに消費税率の5%引き上げを目指す法案の提出を予定している。この増収分の配分について国と地方の間で争いがある。現在は消費税5%のうち、1%の地方消費税の外、国税分4%についてもその3分の1が地方交付税の財源となっている。すなわち、5%を国が2.82%、地方が2.18%で分け合っている形だ。

 しかし、今回の増税分についてどのようにするか国と地方で見解が大きく異なり、現段階では決まっていない。そもそもこうした消費税増税をめぐる国と地方の議論については、国民の目にどのように映っているのか大いに懸念がある。単なる国と地方の財源分捕り合戦と見られてはいないか。確かに、最近の各種世論調査を見る限り、将来に向けて持続可能な社会保障制度構築のために消費税を増税せざるを得ないことについては、国民の理解はかなり進んでいると見てよいだろう。しかしながら、この問題についてどれだけ地方が汗をかいてきたのかについては、はなはだ心もとない。

 これまで、各自治体が工夫を凝らして社会保障関係の地方単独事業を実施してきたことは事実であり、地方側はその総額を6.2兆円と試算している。これらの事業はきわめて重要なものと思うが、その財源として消費税増税を求めることを果たして住民にきちんと説明してきたと言えるだろうか。住民に新たな負担を求める以上、しかもその総額が6.2兆円にのぼるとすれば、この地方単独事業の内容について要否をあらためて精査し、徹底して効率的な実施を図りつつ、その上で事業の必要性について住民に理解を求める努力が不可欠である。

 この問題は、社会保障制度改革に伴い消費税増税がテーブルに載せられて以来、常に国と地方の間でくすぶってきた課題だ。私は、かねてより、消費税の増収分について地方への配分を求めるなら、むしろ地方消費税を単独で増税するくらいのつもりで、地方が真剣に住民理解を求める努力をすべきであると指摘してきた。国に対して配分を主張することも良いが、第一番に正面から向き合い理解を求めるべき相手は各自治体の住民であることを地方の関係者には改めて認識してほしい。さもなければ地方のフリーライド(ただ乗り)と受け取られかねないであろう。

 消費税増税については、政府や最高責任者たる野田首相から今もってその必要性と実現について必死の覚悟が伝わってこない。この点は地方のトップである知事や市町村長も同じで、橋下氏の毎日ぶら下がり取材に応ずるスタイルとは真逆である。本当は、国民に大きな負担を求めるこのような時こそ、民主主義の基本である説明責任を果たす先頭にトップ自らが立たなければならないのである。

 ▼「結(ゆい)」再構築で自治の力を

 東日本大震災後の混乱期に被災自治体の市町村長は人命救助の先頭に立った。自らの家族の被災を顧みることなく懸命に動き回る姿は、当然といえばそれまでであるが、何倍にも大きく見え、信頼感を高めた。それ以上に、国民ひとりひとりの冷静かつ思いやりの心はこれほどの危機でも揺らぐことのない日本社会の健全性を表しており、世界中から評価された。

 日本には、かって集落共同体での生活を支える仕組みとしての「結(ゆい)」があった。社会の基本は自助であるが、それを補完する共助である。こうした日本型システムを再構築して新たな自治の力を興したい。2011年は内外ともに民主主義の仕組みに軋みが目立った。新しい年は地域の自治力を高めることによりこうした軋みを克服していかなければならない。

県立高再編で小浜水産と若狭統合 県教委、2月めどに実施計画策定

2011-12-29 | 水圏環境教育
県立高再編で小浜水産と若狭統合 県教委、2月めどに実施計画策定
(2011年12月27日午後6時39分)


若狭地区の県立高校再編整備の方向性

 2013年4月のスタートを目標に議論を進めていた若狭地区の福井県立高再編問題で県教委は27日、現在の3校を2校とする枠組みの中で、小浜水産を若狭に統合・再編するとともに、若狭東を母体とした総合産業高を設置することを決めたと発表した。09年10月の議論開始以来、足掛け3年をかけてようやく方向性が固まった。2月県会までに具体的なスケジュールや教育内容を決める。

 決定した再編計画は、若狭に商業系コースを含めた普通科(13年度の想定定員220人)、現在の理数科を改編した文理探究科(同50人)、海洋科学科(同50人)を配置。総合産業高にはビジネス情報科(同60人)、農業・生活科学科(同60人)、電気・機械科(同60人)を置く。海洋科学科は現在1学年90人の定員を50人に減らすなど、普通科と職業科の割合を現在の半々から54%と46%とする。定員割れが続いている小浜水産20+ 件の専攻科は廃止する。

 会見した広部正紘県教育長は▽普通科系学科は地域のニーズに対応し、定員比率を引き上げ進学への対応を強化するため若狭に集約▽商業、農業、工業の各学科は教育内容見直しや学科・コースの再編成、一定の範囲で他の科目を選べる総合選択制を導入し資格取得や進学を支援▽水産系学科は県立大との連携や普通科教育の充実により、進学を強化するなど新しい海洋・水産教育を展開する―などの方向性を示し「地元の要望を踏まえて決定した」と強調した。

 更新時期にある小浜水産20+ 件の実習船「雲龍丸」に関しては、県会行財政構造改革特別委員会から、他県との共同運航化を進める提言がされており、新たな購入はしない方向で検討している考えをあらためて示した。

 県教委は今後、再編後の学科・コースの構成や教育内容、定員、施設の在り方、再編スケジュールなどの具体的な制度設計を進め、「若狭地区高校再編整備実施計画」を2月県会に示す方針。

 同地区の高校再編をめぐっては、県教委が昨年5月、若狭東と小浜水産、若狭の商業系学科を合わせた総合産業高を設置、普通科は若狭にまとめ普通科単独校とする2校案を提示。その後、地元意見を集約する中で今年11月、小浜水産20+ 件を若狭に統合し、6割以上が進学している若狭の商業系学科については再編後の若狭普通科の中に商業系の大学進学を目指すコースとして定員の一部を残す新たな案を示していた。(福井新聞 http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/school_education/32240.html 2011/12/27)

教員免許講習会が開催されました

2011-12-29 | 水圏環境教育
今年度の教員免許講習会が開催された。対象は昭和33年生まれの方と昭和53年前後生まれの方々である。

水産高校の先生方を対象として水産・海洋科学の最新情報として各専門の大学教員から講義があった。
私の方では,水圏環境教育についてお話をさせていただいた。

これまでの水圏に関する教育はおもに産業教育が柱となっており,その産業教育とは水産業において活躍するための知識や技能を向上させることに主眼が置かれていたが,これからはポスト資本主義社会であり知識基盤社会の中で情報や知識を有効に活用できる水産業を担う人材の育成が求められている。したがって,スペシャリストとゼネラリストの両面からの教育が必要であり,従来の水産教育に加え,地域貢献活動を第2の柱とした水圏環境教育の推進がより一層求められるであろうことを述べた。

さらにこれからは,水産高校と大学とが連携を深めて新しい人材の育成を行うシステムを作ることの必要性を述べたが,ちょうどこの話をしたその日に小浜水産高校が福井県立大学との連携を視野に入れた新しい水産高校を設立するとのニュースが入った。




平田オリザ氏講演「新しい広場を作る 賢治の祈り」in 岩手県立大学宮古短期大学部

2011-12-19 | 水圏環境教育
今日は,「新しい広場を作る 賢治の祈り」という演題である。 
平田オリザのオリザはグスコーブドリのオリザから取った。広場とは何かを考えていきたい。
復興に向けてみなさんは多くのことを取り組んできた。今回11兆円であるが,この5年間で40兆円ではないかと言われる。韓国の1年間の国家予算となる。これは大事な事だと思う。
経済発展の犠牲になっていた東北地方の復興に負担すべきである。

しかし,幸せに結びつかなければいけない。
自己判断を失う危険性がある。
例) アメリカ先住民族がドラック中毒に陥った例
これを防ぐために地域性が大事である,と思っている。

別の視点から考える。
画一化した地方都市の風景について,全国回って感じること。70年代末のアメリカの風景に似ている。損当時のアメリカは,ベトナム戦争で落ち込んでいた。完全にコミュニティーが寸断されていた。

日本もシャッター通りが犯罪の温床になっている。ここ20-30年で消費社会になった。利便性を追求するあまり失ったものは,無駄に見える社会おいて機能を失ったものが多くある。 例)鎮守の森,神話伝承だ。商店街ではまず床屋さんと銭湯が最初に潰れる。浮世床,つまり人と人がであう場所である。このまま急ぎすぎ,合理性だけで行くとコミュにティスペースがなくなる。床屋に行くと情報スペースがある。ひまなおじさんたちが教育係であり監視係である。駄菓子屋さんのおばさんがセーフティ-ネットである。ところが,市場原理は地方ほど荒々しく働く。与那国島は本屋さんがない。東京から2000km,台湾まで100km,
辺境ほど輸送とコストが掛かるので売れるものしか置かなくなる。
大規模書店は売れる本から置かれている。
盛岡ぐらいの地方都市は古本屋さんは何件かあったが今は成立しにくい。
それでは古本屋さんが必要ないかというとそうではない,文学青年が育っていた。そうゆう場所が地方の文化を育んできた。

それを新しい公共という立場でNPOで支えようというものである。地方都市ほど必要になってくる。東京大阪は市場原理で支えられる。空き店舗を借り上げてジャズ喫茶をやってもらおうというのがジャズ喫茶。かつて十年ほど前から,凶悪犯罪が地方に拡散するようになった。理由は,子供たちの居場所が限られて閉塞化している。ゲームセンターやカラオケボックスしかない。お風呂屋さんや床屋さんがない。いじめの温床になっている。渋谷は30年ほど前まで小さな町であったのが,無理やり広げられた。何とこのセンター街にはチーマーガいる街になった。市場原理でマチを広げてしまったので,公園が全くない。宮下公園ホームレスが多い。社会的弱者が右往左往する場所がない。折り合いがつかなくなった。六本木に流れて渋谷出身の不良少年が溜まっている。悲惨な例が東村山で撲殺した事件。図書館に寒い時期でホームレスで少年もホームレスも集まった。塾の帰りに撲殺した。社会的弱者の居場所を作って来なかった愚策がある。

引きこもりでもコンビニにはいける,また,図書館は新しいひろばになっていく。例)街づくりから言うといじめはあったが,学校だけがいきる場所ではなくて,学年を超えたガキ大将とか,仕返し,という言葉がない。オトナになると自殺をしてしまうことになる。重層性があるというのが岩手の沿岸。しかし,行政が人工的に街をつくろうとすると街の機能が壊れてしまう。

様々なメニューを用意して何かのアクティビティによってつながりを作るようにする。強固な共同体を作っていく。ずっとはもたない。環境保護運動,ボランティア活動は車で30分圏内で集まってくる。好みがあれば他所の地域移動する。

全員でやらないといけない,全員が共同作業する,というようなものは無理である。そうではなく,誰かが誰かを知っている緩やかなネットワーク社会構築が必要。
岩手県は米作らなくても良かったが,南部が徳川体制でなければ,デンマークのような社会が作れたのではないか。

人と人がであう緩やかな場所を作る事が必要。文化による都市の再生に取り組む。
中核にアートセンターのようなものを作ってマイノリティの人たちのものを作る。
日本ではガス抜きといして委員会を作る。そうではなく,住民に還元するような新しい公共の場を作ることが必要。社会参加しやすい場所を作る。例)ヨーロッパ,ホームレスプロジェクトーお風呂とオペラ,芸術文化に触れる。文化施設の大きな役割である。
アゴラ劇場は大幅な割引。
ソーシャルインクルージョンがこれからは必要である。 地縁血縁,企業の終身雇用制も崩壊。
生まれたのが無縁社会である。孤立しがちな人間を文化活動によって社会につなぎとめていくという社会を作っていく。

ニューカマーに来てもらうためにはソーシャルインクルージョンが必要である。
例)ソーシャルインクルージョンで成功した例 フランスのナント市 パリから芸術家を呼び寄せた。観光地としても栄えるようになる。産業も復興した。ナントブランドのクルーザーが売れるようになった。

例)失敗例イベント型の都市政策大阪病
ディズニーランドは浦安市市民が年間パスポートを持っているがUSJには地元の人が行かない。―地元の人が行かなければ人が集まらない―
成功例 同心円状の集客,市民参加型 天神橋商店街
寄席に来る噺家が飲み会に参加してイベントを盛り上げた。商店街はポテンシャルがあるが,経営難ではなく後継者難である。元気が出る広場を作ることがこれから重要である。

水都大阪2009
来場者数190万人 市民参加型 総事業費9億人
地元のボランティアで大成功
横浜開国博有料
124万人 想定は500万人 150億円あけ大失敗。外からだけの集客には限界がある。
地元のアートボランティア

外からの集客だけではなく,市民芸術祭。
例)都市の好感度ランキング富良野8位。特殊である。富良野は半分は海外からの観光客。韓国香港台湾シンガポール。全校生徒15人の中学校に30人の農民が参観に着ている。ブランドイメージを高めるためには消費者ニーズを高めるため,コミュニケーション能力が農家ほど必要であるという意識を強く思っている。
富良野高校に演劇コースを作った。プロの俳優ではなく20-30年後の発信力を持った人材を考えている。

悪い例)A町の惨状―大観音世界最大の5重の塔,150mのモノレール,五重塔の下に回る聖徳太子,カナダ村破綻,100億円かけ,昨年1億円で売られた。東京のデベロッパーに騙された。その隣町が富良野である。
観光としてはA町のほうがいい。温泉がある。自分たちの強みが何で,外から人がくることが何かを知らなかったら東京に搾取される。自分のお金ではないので考えなかった。天満天神は旦那衆が身銭を切った。

みなさんはどちらを選びますか。
文化の自己決定能力を持たなければ,収奪される。
公共事業だけをやってもいけない。消費社会であり,東京資本に吸い上げられている。地産地消が必要であるが,大切なのはソフトの地産地消である。自分たちが楽しんで付加価値を高めることによってよそにも伝わり集客に結びつく。

全員が観光的なセンスを持っていないと成り立たない。どれだけの化学式を暗記しているかではなく,どれだけの若者がサービス精神国際性をみにつけていることが必要である。

一人ひとりがアーティストにならないといけない。農業や漁業だけの県ではない。芸能を持った豊かな県である。楽しめる岩手県にして欲しい。魅力のある復興にしていただきたい。

復興にかける達増拓也知事の想いを聞く

2011-12-18 | 水圏環境教育
達増拓也知事講演 2011年12月18日 in 岩手県立大学宮古短期大学部

いわて三陸 復興の架け橋 ~新しき明日へ向かって~
 講演のタイトルと未来づくり機構のテーマは一緒である。大震災が起こり,新しい年を迎えようとしている。新しい見通しを持って行くことが,新年を迎えることができるのは大きな意義がある。
3・11の大津波,津波の常習地帯である。明治三陸大津波23309人,昭和三陸大津波2671人,チリ地震津波62人の後に,今回6048人の犠牲者が出たことは大きな衝撃を持って受け止めた。建物の倒壊数は明治三陸大津波5000棟,昭和三陸大津波4000棟,今回24735棟が倒壊した。豊かな経済社会として大災害を受けたのは住宅の倒壊数にも現れている。先進民主主義国ではなかったといってもいい。そういう意味でアメリカ,ヨーロッパを始め人類史的な大災害だという受け止め方をした。大きな関心と大きな激励の手を差し伸べていただいた。岩手県も海外からの援助は初めてのことであった。80億円の支援金からクエートから来ることになっている。
自衛隊は1万2千人の動員があった。消防,警察も来てくれた。岩手県内から職員が派遣された。岩手県知事として被災地を周り,直接把握し,国の会議にも出席し,世界から来る人々と接した。そういう経験から印象を持っているのは,「思い」である。支援の強さ,大きさがある。しかしまだ,多くの善意が形になっていない,というのを実感している。こうしたことを実感したので,このプロジェクト「岩手未来づくり機構」を通じて形にならないかと思い,善意を形にしたいと思っている。通常の行政のラインによる条例に基づいた復興事業とは別に民間の力ボランティアの力,企業等の団体もある。全国世界にネットワークを持つ一人の人間として動きたいという多くの思いもある。様々な主体と共に行政が動くこととが「新しい公共」であり,意義のある取組であると思う。
人類が初めて経験することであるといったが,世界が経験したことがなかったことであり,復旧復興は複雑なものになっている。軍隊式で街を作るというものではなく,一人ひとりの生活の実態や町や村の経済社会状態にあわせきめ細やかに,生身の体を治療していくような慎重なやり方が成熟した先進国に必要である。これは行政の力だけでは極めて難しいところである。多くの主体の参画が必要とされるところである。
今回の復旧復興で確立されれば,他の国の教訓となっていけばいい。痛みを世界全体の痛みとして受け止める,そうしたことが第一歩になれば,と思っている。
平泉の世界遺産が登録になったのは象徴であると思う。度重なる戦乱の荒廃からの復興として中心に輝いているのが平泉である。今回の復興も平泉を象徴として敵も見方もなく弔う,人と自然との共生,人と人との共生の理念が復興の理念であると思う。世界に開かれた,岩手発のプロジェクト名「いわて三陸 復興の架け橋 ~新しき明日へ向かって~」は新渡戸稲造の架け橋の言葉が込められている。また,啄木の「新しき明日」と叫びながら執筆した思いが込められている。先人の思いを世界に広めていく,復興という大変困難な事業であるが,取り組んでいきたいと思う。