Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

「あの世」とは森川海とそのつながりのことである

2017-03-30 | 水圏環境教育

あの世はあるのか,科学的に証明できないと言うが、実は,証明できる。

あの世とは,森川海とそのつながりの事である。

人間は死んだらどうなるか、土ととなりそれが水の作用によって川に流れていき、そして海へと下る。

海は広大であるが,生物は沿岸域に集中する。なぜならば生物が利用する物質が多数集まるからである。コンブもワカメも外洋と言うが沿岸部に生息しているではないか。

次の世代に提供を与えているのだ。

自然環境に優しい良い生活をすれば、次世代の人間も快適にすごすごとができる。閉伊川の自然環境が健全なのは先代の努力の賜なのである。

 

 


生命といのちの違い

2017-03-30 | 水圏環境教育
第6回水圏環境教育研究会では、大変有意義な時間を過ごすことができた。11演題で一貫して流れていたのは、いのちの「主体性」である。いのちというのは、主体性を持っている。なぜいのちはそのような生活を送るのか、それは「主体的」に生きようとするからである。それを理解するために生活史研究がある。生活史は、環境と密接に関わりがあるが、環境に規定されながらも、いのちは繋がろうとする。なぜならば、生きようとするからである。環境は自分で変わる意思はないが、生き物は「主体性」を持ち、変わろうとすれば、変わることができる。その原理を解明しようとしたシラウオ、ワカサギの生活史研究が水圏環境教育の原点であり今に通じている。
先カンブリア紀から続くいのちの営みも同様だ。「いのち」の主体性によってつながっているのである。
生命といのちの違いについて、水俣病の認定に関わった赤堀氏の考えが紹介された。その違いを例えれば、患者に対する医師と考え方と患者本人と家族の考えの方の違いに似ている。また、教師と生徒、科学者と市民の考え方の違いに似ている。その間には、閾(しきい)が存在している。


科学の限界と科学的思考の限界

2017-03-07 | 水圏環境教育
本日は、関東の某自治体と水質浄化に関する実験結果について話し合いを持った。残念な事が2つあった。1つは、国の水質改善基準の問題。もう1つは、自治体担当者が科学的に根拠を積みながらの思考ができないこと。その根本問題は、上意下達の非民主的習慣。対等に対話して学び合う水圏環境教育の重要性が浮き彫りにされる貴重な半日だった。