今年は、信州大学です。11月30日原稿締め切りです。
http://www.rinkyokyo.com/seminar/no15/seminarannnai15.PDF
みんなでスキーに行きましょう!
今年は、信州大学です。11月30日原稿締め切りです。
http://www.rinkyokyo.com/seminar/no15/seminarannnai15.PDF
みんなでスキーに行きましょう!
平成28年10月26日
各位
アジア海洋教育学会 佐々木剛
アンケートのお願い
時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。日頃,本研究室の研究教育活動にご理解とご協力を賜り誠にありがとうございます。
さて,アジア海洋教育学会,アメリカ海洋教育学会,ヨーロッパ海洋教育学会では,海洋リテラシーの重要性に鑑み,海洋リテラシー国際調査(16言語)を実施することとなりました。
つきましては,下記の通り調査を実施いたしますので,どうぞよろしくお願い致します。
宮古市箱石にお住まいの山崎シゲさん(90歳)はコウキリコ節の唄い手をおばあさんから受け継いでいる。代々先祖ひきついできた郷土芸能だ。この踊りは、判官神社で踊り、家々を回り、鈴ケ神社そして、根曲の神社まで歩き舞を踊ったという。鈴ケ神社、判官神社何世代にわたって、別当によって守り続けられてきた。判官神社は、義経の家臣、山名家の子孫が、代々守ってきた。また、鈴ケ神社は、義経のかがをまつったのではない。お墓なのだ。と。別当に言い伝えられていると聞く。
なぜ、今まで、表に出なかったのか。その大きな理由が、鎌倉幕府によって編纂された吾妻鏡だ。吾妻鏡は、勝者である頼朝を、中心にかかれたもの。歴史は、勝者によって自在に変えられているのが常である。別の観点からも、もともと北上高地は日本古来の縄文文化が栄えていたが、縄文人は、日本人ではなく、東北は7世紀までは日本でない、と解釈されてきた。これも中央政権よりに作られたものである。
(しかし、近年の研究によって、多くの日本人は縄文人の遺伝子を持っていることが明らかとなった。)
このように、歴史は、ある為政者によって塗り替えられたものなのである。
つまり、義経が住んでいたことが、時の都合によって否定された可能性もある。そう考えると、義経伝説は、事実であることも視野に入れて検討する必要があるのではないか。
歴史学とは一線を画して、 故郷の歴史伝説として、しっかりと情報発信すべきである。800年の歴史を誇る物語として世に出せば、また、いつの日か情勢が変わっていくかもしれない。
この伝説が北上高地に数多く残っていることは、何か大事なことを伝え残している気がする。まず第一に持続性である。なんだかんだ言ってこの地域は、数千年もひとびとがすんでいた。伝説が長い間、別当によって語り継がれ、そして守りつづけられたことは、ある意味忍耐を要することだ。単なる先祖の言い伝えだけではここまで続かなかったであろう。
お互いに認め合うとは、ある考えを単に固定観念に当てはまらないからと言って否定するのではなくて、その意味をよく考えることである。リスペクトしなければいけない。そのことが、創造性に繋がる。人々は、様々な経験や思いを持ちながら生活しているものだ。それには何か意味がある。その1つとして、生命や物質の循環だ。
たくさんの人口は養えないが、そこに潜伏できるだけの食料があった証拠でもある。何もなければ、生活できないのだ。
もしかしたら、自然を守り、大切に伝え残すために神社を作っているかもしれない。対象は義経でなくても良かったかも知れない。みんなが大事だと思うこと。これをずっと信じて守ってきたのだ。命の糧となっている自然をいかに伝え残すか、その思いが、伝承を生み、地元に活力を与え、自然と人間との関わりを紡いでいくのである。
今年四月から海洋に関する国の教育、研究機関が統合、整理された事は記憶に新しい。例えば、航海訓練所が所属する事となった海技教育機構、また、水産大学校と研究開発機構が合併し、水産研究教育機構となった。海洋に関する国の大きな機関が、相次いで教育を冠するようになったことは、少子化が進行する我が国にとって、今後の海洋産業を支える人材確保のために非常に重要な政策決定であると言える。
宇沢弘文氏の提唱していた社会的共通資本の考え方は、一国のあり方に一石を投じた。わたしも、彼の考え方を基にして、自律的海洋資本(海洋環境、海洋インフラ、海洋制度資本)の考え方を「日本の海洋資源」祥文社で訴えた。この3つの要素のうち最も必要とされるのが教育である。今後は、海洋に関する教育の中身の議論が大切である。海洋国家を発展させるしっかりとした舵取りをお願いしたい。