今求められる「水圏環境リテラシー教育」とは?
—伝統的「魚食文化」と「科学」のメガネで海を観るー
東京海洋大学 佐々木剛
要約
「水圏環境リテラシー」とは水圏環境を総合的に理解する能力である。今年度より,本学では一般市民に対し水圏環境リテラシーを普及し,水圏についての専門的知識に基づいたフィールドワークを指導する「水圏環境教育推進リーダー」を養成する。
「水圏環境リテラシー」に先立ち,一般市民のレディネスとニーズを明らかにするため,平成19年2月〜3月にかけて全国の水圏環境教育の活動状況調査を実施した。それらの活動は大まかに6つのカテゴリーに分けられた。その中で,近年,日本古来の伝統である「魚食」をテーマとし,漁業者が中心となり一般市民を対象とした活動が全国的に盛り上がりを見せている。魚食をテーマとした活動は、ESDを推進する上でも重要である。一方で,科学的に海をとらえていこうとするモニタリング調査に対する認識が低い。モニタリング調査を一般市民が実施していくためには科学的な認識が必要であるが,海の科学について学ぶ機会が少ないのが現状である。そこで,こうした「魚食文化」と「科学」を盛り込んだ「水圏環境リテラシー」を構築し普及することが必要である。
平成20年後期より「水圏環境教育推進リーダー」養成のための新規開設科目がスタートするが,将来的に様々な機関と連携を持ち水圏環境(海洋)教育を推進する「水圏環境教育センター」の役割が期待される。
はじめに —水圏環境リテラシーの必要性—
「水圏環境リテラシー」とは水圏環境を総合的に理解する能力である。この水圏環境リテラシーを持つことによりはじめて,人は ①水圏環境の機能についての基本概念を理解し,②その水圏環境の知識を他者に正しく,わかりやすく伝えることができ,③水圏環境やその資源に対し,広い見識に基づく責任ある決定を行うことができる。
しかし,わが国においては,水圏環境維持に不可欠な生物多様性保全や水圏利用・管理についての社会的合意形成などを,複合科学としての水圏環境学的立場から理解し促進できる人材が決定的に不足している。これは,わが国が四方を海に囲まれた海洋国家であるにもかかわらず,国民一人ひとりの海に関する理解が極めて低いことや,海洋・湖沼・河川などの水圏を自然科学と社会科学の両面から把握し,これにかかわるフィールドワークを指導できる教育者・指導者(リーダー)を養成する体系的プログラムが未確立であること等に起因する。
他方,平成19年4月に成立した「海洋基本法」では,「海洋に関する国民の理解の増進」をはかるため,大学等において必要な知識及び能力を有する人材の育成を促すことがうたわれている。本学は,「海洋(河川・湖沼を含む)に対する意識を深化させ,自然環境の望ましい活用方策を提示し,実践する能力を養う」ことを教育目標としている。したがって,水圏環境リテラシーの理念についての教育・研究を進め,その成果をふまえて水圏環境リテラシーを普及し,水圏についての専門的知識に基づいたフィールドワークを指導する「水圏環境教育推進リーダー」を育成するのは本学の社会的責務である。こうした社会的要請を受け、わが国唯一の海洋系総合大学である東京海洋大学は,「水圏環境リテラシー教育推進プログラム」を立ち上げた。
水圏環境リテラシー教育の具体的な内容
水圏環境の専門知識をもつ職業人の育成については,既に本学の各学科における教育・研究において実施してきた。しかし,本プロジェクトが目指す「水圏環境リテラシー」についての学科横断的な教育や,「水圏環境教育推進リーダー」の養成は行われてこなかった。そこで,まず「水圏環境リテラシー」についての広範な調査・研究を行い,既存科目の相互の関連を密にしつつ従来不十分であったところを補い,必要なカリキュラム体系の構築をはかることにした。
持続可能な水圏環境実現に貢献するのは,潮の干満・潮流などの海洋動態と気象,生物の分布や生態,海水中に含まれる化学物質の分布や挙動など,水圏のさまざまな事象についての一般的理解が欠かせない。さらに水産・海運・海洋性レクリエーションなどを通じて海を利用する人間社会とのかかわりや,これを律する各種国内・国際海洋法規や海洋文化についての包括的な知識も水圏と人間社会との共生関係を理解する上で必要である。さらに水圏環境リテラシーを,小中高生および一般市民を対象に,わかりやすく伝達する能力が求められる。そこで,学科横断的な科目「水圏環境リテラシー学」を新設し,これを軸として,本学で既に開講している関連科目の有機的連関を構築することにした。
「水圏環境リテラシー」構築のための聞き取り調査
そこで私たちは,「水圏環境リテラシー」を構築するために学内委員会を組織し大学としての立場からリテラシーとして基礎的な知識を選び出す作業をおこなうとともに,国内においてレディネスとニーズを明らかにするため地域住民や観光客等を対象とする水圏環境教育について調査を実施した。調査期日は平成20年2月〜3月にかけてで,訪問先は,岩手県,福井県,鳥取県,沖縄県とし,地元の水圏環境をフィールドする活動家に聞き取り調査を行った。また,兵庫県では海辺の環境教育フォーラム(海辺の環境教育フォーラム 2008),京都府ではうみと環境教育シンポジウム(沿岸環境関連学会連絡協議会 2008)に参加し,全国から集まった活動家からの活動報告を聴講するとともに参加団体に対して聞き取り調査を実施した。さらに,比較対象としてアメリカ合衆国へ赴き,海洋科学教育に力を入れているカルフォルニア大学バークレー校ならびにモントクレア小学校を訪問し,聞き取り調査ならびに現地視察を行った。
今回の国内調査で調査した活動事例を海辺の環境教育フォーラムでポスター発表のあったプログラムをもとに水圏環境教育を類型化すると次のようになる(海辺の環境教育フォーラム 2008)。
(1)体験乗船や海洋スポーツ・体験等を通して子供たちの健全育成を図る活動
(2)生物の飼育・触れ合いや海の環境を通して環境意識を高める活動
(3)食をキーワードに環境意識を高めようとする活動
(4)生物,水質,漂着物等のモニタリング調査
(5)教育プロブラムを用いた海洋科学教育
(6)特にテーマを限定しない住民参加型ワークショップ。
以下にそれぞれの例を挙げることとする。
(1)NPO法人によるヨット,カヌー,ダイビング等のマリンスポーツや水産高校の実習船の体験乗船(鳥取県境港市では毎年地元小学生全員が体験乗船)。
(2)兵庫県いえしま自然体験センターにおけるマダコの飼育や,三宅島などにおけるイルカ・クジラとの出会いを通して自然のすばらしさを伝える。
(3)水産高校生が主体となった未利用資源の有効利用,大分県など地元漁師によるたこつぼ漁,海苔,カキ養殖などの体験漁業。
(4)NPO法人や水族館などによる魚類,サンゴ,海性ほ乳類など海洋生物を中心としたモニタリング調査。JEAN事務局等による漂着ゴミの調査ならびに回収ボランティア。
(5)ジャパンMAREセンター等による海洋科学教育プログラム
(6)家島で実施されている「探られる島」プロジェクト。
ここで,これらの(1)〜(6)活動のうち,(3)食をキーワードに環境意識を高めようとする活動に注目したい。日本の沿岸域には一定の漁業を営む権利と海の環境や資源の保全・管理義務を骨子とした漁業権という設定がある。そうした中,漁業という海を生業とする漁師(海から恵みを享受し,生活と海とが密着している生活者)が,海苔養殖やワカメ養殖等を体験学習として一般市民に提供することが広がっている。このような生活や食に結びつく活動は,参加する子供や大人たちになじみが深く、参加者の心を掴み,地域全体の盛り上がりを見せている。これは,行政の指導によるものでなく,それぞれの活動主体者がそれぞれの地域で自主的におこなっているものである。海での環境教育に携わっている漁師たちが口を揃えていうことは「最初から環境教育をやろうと思ったのでなく,結果的にこうなった。」というものである。「食べ物を通して生活と結びついている海を守る」,「漁業を大切にすれば自然環境を守ることにつながる」,という漁業者や地域住民の願いが活動に結びついているのであろう。こうした取り組みは,日本人の伝統や,魚食,文化に根ざしたものであり,地域性はあるものの「魚食文化」という同じ方向に行き着くようである。
小林・佐々木(2008)の報告によると,都内小学生の水圏環境問題に対する意識は高く,「人間と東京湾とはどのように関わっているか」という問いに対し,75%以上が自分たちの生活が東京湾に影響を与えており,魚やプランクトンを通して食物連鎖の中でつながっていると答え,食を核に人間生活と東京湾を身近にとらえている。では,なぜ東京湾を大切にしなければいけないのかという問いに対し,魚が食べられなくなったら困るとする回答が40名中5名いた。海を守るということは,食料を生産する場所だから,という発想が都内の小学6年生にも芽生えているのである。
モニタリング調査の必要性
一方で,(4)の環境を守るためのモニタリング調査は,あまり受け入れられていないのが現状である。「調査」という言葉も,地域住民にはなじみのない言葉である(佐々木 2006)。モニタリング調査は,専門家が行うものであり,主催者側にある程度専門的な知識がないとできない。また,ほとんどがボランティアの活動家であり,職業として成り立つことはほぼ難しく,若者が遠のき指導者不足に悩まされているという現状がある(沿岸環境関連学会連絡協議会 2008)。
モニタリング調査は,海の健康診断のようなものである。定期的に海の様子を科学的にチェックしていく。地球を生き物に例えるならば,海は地球の血液である。海水は,地球全体を数千年かけて循環する。また,暖かい海水は水蒸気となってやがて雲となり,地表に雨を降り注ぎ,川となり,陸地の生き物に生命を与え,さらに,栄養を海に運ぶ。海は天候に大きな影響を与え,我々の日常生活に大きな影響を及ぼす。酸素のほとんどは海で作られ,二酸化炭素の半分は海に吸収される。こうした水の循環の中で私たち人間や動植物が生活し,つながりを持っている。同時に,私たちが流した生活排水も海に吸収されていく。もし,どこかに問題が生じた場合,長い時間をかけて地球全体に広がっていくであろう。手遅れにならないよう,身近な地域で,定期的な健康診断=モニタリング調査を実施することは大切なことなのである。
このように地球を科学的にとらえ,モニタリング調査を理解し実施していくためには,海洋を体系的に学ぶことで可能となる。これだけ人間と海との関わりが深いと知ってはいっても,残念ながら我々国民は海洋について多く学んでいない(今までは知らなくても問題はなかったかもしれないが・・・)のである。その結果,モニタリング調査に対する認識が高くならないものと思われる。(5)の海洋科学教育は,地域レベルではあまり実施されていないのもその理由である。このことは先ほどの小林・佐々木(2008)のアンケートの中でも伺える。「具体的に環境を守るために何か実行したか」という問いに対し,86%以上が何もしていないと答えている。
アメリカの海洋科学教育
それでは,海洋科学教育に力を入れているアメリカではどうであろうか?平成20年3月に訪問したモントクレア小学校では科学教育の一環として海洋科学教育プログラムが取り入れられていた。モントクレア小学校はカルフォフォルニア大学バークレー校のあるバークレー市隣にあるオークランド市に位置している公立学校である。幼稚園の最年長〜小学校5年生が在籍し1学年は30名程度である。本校は,公立学校でありながら芸術やコンピューター教育,科学教育などの独自カリキュラムがあり,保護者の評価が高い学校である。訪問した当日は,特別カリキュラムの一つオーシャンマンス(海洋月間)であり,全校児童が一ヶ月間にわたり,海(川や湖も含む)に関する学習を実施している最中であった。カルフォルニア大学はローレンス科学館という科学教育を専門に研究するセンターがあって,科学研究をベースに最新の理論をもとにして高校生以下の学習プログラムを開発している。ローレンス科学館のクレッグ・ストラング副館長は海洋科学教育の第一人者であり,海洋科学研究の成果を探求型学習理論(Inquiry Based Learning Method)をもとに約80の海洋科学教育プログラム(MARE: Marine Activity, Resource and Education)を開発し,全米各地で展開している。
モントクレア小学校では,そのうち小学校1年生「ザリガニが教室にやってきた」,小学校2年生「ヤドカリの観察」の授業実践を見学した(大島・佐々木・三浦 2008)。MAREプログラムでは,まずローレンス・ホールからの支援スタッフがデモンストレーション授業を行う。同じクラスに入っていた小学校教員がその後他のクラスで同じ内容の授業を行うというシステムになっている。
1年生のクラスでは,ザリガニを観察し,体の各部分の名前を覚え,各部分の長さを測って図に書き込むという活動がなされていた。生物観察の活動に,文字を書く言語の学習,比を意識する数的学習がたくみに盛り込まれていた。
2年生のデモンストレーションクラスではヤドカリを使って観察を行い,シートの半分に“I observe”として観察内容を書き出し,右半分に“Question”として各自の疑問を書き出すという探求型学習の活動を行っていた。生徒の集中力がきわめて印象的であった。また,先生から先に知識を与えてしまうことは決してなく,生徒が観察したことをまず言わせ,疑問を引き出し,さらに生徒からその答えとなる仮説を引き出すという,学習支援サイクルの学習観に基づいた探求型学習の教育姿勢が徹底されていた。
このように,アメリカにおいては大学と初等教育学校が連携をはかり,海洋科学教育が実施されている。
アメリカと日本の教育者の意識調査
こうした海洋科学教育を推進する小中高の教員等が参加する全米海洋教育者協会があり,今年で32周年を迎え,毎年海洋教育に関する成果発表が行われる。アメリカと日本の教育者とでは,どのような意識の違いがあるのであろうか?
2006年,その研究会に参加しアンケートをとる機会を得た。その後直ちに帰国し全国高等学校水産教育研究会にて同様のアンケートを実施した(Sasaki 2008)。
図1に示す通り,アメリカの海洋教育者は,海洋は人類にとってかけがいのないものであり,様々な資源に恵まれているとしながらも,環境問題は深刻化しており,解決の方向を見いだす必要があると同時に,探求の場として重要視している。一方,日本は食料生産の場として大変重要であり,生活に欠かせないものであると考えており,レジャーの場でなくあくまでも仕事をもたらしてくれる場所として重要視している。これらの結果は,科学よりも魚食に関する取組が活発であるという国内調査を裏付けるものである。
以上から,日本での各地の取り組みは伝統的魚食文化の色合いが強い一方で,海洋に対する科学的な知識や認識が不足し,海の健康診断であるモニタリング調査に対する理解が進まない現状にあるといえる。ただ,魚食は古来より日本人が自然をうまく利用してきたという文化の証であり,身近な資源を有効に活用していくという視点からも大切である。生態系サービスの向上という観点からも,ESD(持続可能な発展のための教育10年)を推進する上でも重要な考え方であり,魚食文化や海の利用の考え方を盛り込みながら,科学的な視点で海をとらえるための知識を含めた「水圏環境リテラシー」を構築することが必要である。
「水産・海洋教育に対する意識の比較」に関するアンケート項目
① 海洋科学教育(水産も含む)は小中学校や普通高校においても必要である。
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② 海に関心を持つことは国民にとって大切なことである。
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● 水産・海洋教育が必要とされる理由は次の通りである。
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③ 水産・海洋教育は人類にとって必要なものだから。
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④ 水産・海洋教育は科学教育の中でも重要な学問の一つだから。
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⑤ 海は食料生産の場として必要だから。
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⑥ 海は様々な資源に恵まれているから。
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⑦ 海は科学的な探求の場であるから。
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⑧ 海はレジャーの場であるから。
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⑨ 海は私たちの人間生活に欠けがいのないものだから。
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⑩ 学問的に興味深いことがたくさんあるから。
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⑪ 海洋環境問題が深刻だから。
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⑫ 海はまだ未解明の部分が多いから。(以上10項目)
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⑬ 内陸で生活する人々にとって海の学習は必要ない。
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⑭ 魚類等海洋生物を食べることにためらいはない。
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⑮ 海藻を食べることにためらいはない。
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⑯ 肉よりも魚のほうを好む。
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⑰ 私は,常に海から恩恵を受けて生活している。
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⑱ 海は命の母であることを実感している。
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水圏環境教育推進リーダー育成カリキュラム
東京海洋大学では,海洋に対するこうした「水圏環境リテラシー」を持つ市民を育てるため,「水圏環境リテラシー教育プログラム」をスタートさせる。後期から「水圏環境リテラシー学」が開講し,水圏環境リテラシーとは何か,環境と社会,環境としての海,海と生態系,海洋資源,食文化としての漁業,沿岸域と私たち生活,水圏環境リテラシーの現在未来といった内容を学ぶ。他に3つの新設科目も含め,「水圏環境リテラシー教育プロブラム」のカリキュラムを以下に示す。
(a)水圏環境に関する専門的な知識と技能
水圏環境教育推進リーダーが,水圏環境及び生態系に関する幅広い専門的知識の習得を求められることは言うまでもないことである。しかも水圏環境についての専門的知識は,一般的な環境教育の枠組みでは学習しきれない複合的体系を持っている。本学では海洋環境,生物資源,食品科学などの自然科学分野に加えて,海洋資源管理にかかわる海洋政策や海洋文化について,社会科学・人文科学的アプローチをする学科も有し,水圏環境の持つ役割と機能についての専門的知識を学際的に広く学習する(既設科目)。
(b)水圏環境管理をめぐる諸問題を,論理的に考える能力と問題分析能力
水圏環境の望ましい利用を考えるには,国際社会・地域社会に生じる多様な利用主体が関与する諸問題を分析的・論理的に捉え,問題解決へと導く能力が不可欠である。本学では,「論理的思考能力を開発し,状況に応じた適切な判断力と責任感を持って行動する能力を養う」こと,および「グローバル化した諸課題について理解と認識を深め,21世紀社会におけるリーダーとして求められる実践的指導力を養う」ことを教育目標としており,単に断片的な知識ではなく,学生の思考と分析を活発化する教育プログラム「ケース・メソッド」学習を実施する。
(c)持続可能な水圏環境のため,行政,産業従事者,住民の連携・協働を促進する能力
環境教育の推進に向けて,多様な主体がそれぞれの特徴を活かして連携・協働しながら持続可能な環境を構築することが提唱されている。水圏環境においても,複数かつ多層における行政機関,漁業,海運業,水産加工業,レジャー産業等の産業従事者,住民および市民団体など多種多様な主体が混在している。しかし総合的な管理は行われておらず,環境の劣化が進行し,健全な生態系の存続が危ぶまれる水圏は数多い。持続可能な水圏環境実現のためには,社会における「水圏環境リテラシー」の普及につとめつつ,水圏環境がおかれている危機的状況に対する認識を喚起し,水圏環境と人間社会との共生にむけて利用者間の連携・協働を促進する能力を養うため「水圏環境コミュニケーション学」(3年次開講),「水圏環境コミュニケーション学実習」(3年次開講)を新設した。
(d)水圏での自然体験活動を通して,水圏環境の重要性を社会に啓発する能力
環境保全活動・環境教育推進法の基本方針の中には,水圏環境への理解と関心,環境に対する畏敬の念を深めることの重要性が言及され,それを喚起する自然体験型フィールドワークの必要性が明確にうたわれている。また,政府の教育再生会議においても,子どもの徳育充実のために,小学生に対する自然体験教育の充実策が提案されている。このような社会的要請に対し,自然体験型フィールドワークにおける水圏活動の安全性や学習内容の重要性を鑑みながら,知識と経験を兼ね備え,自然や文化の素晴らしさ・価値などを,受講者のレディネスにあわせて判りやすく伝える能力を有した自然体験教育リーダーの役割はことのほか大きい。このようなリーダー養成のために,本学ではフィールドワークにかかわる既開講科目があるが,水圏環境教育推進リーダーがフィールドワークにおいて備えるべき他の専門的知識・技能にかかわる科目「水圏環境リテラシー学実習」(2年次開講)を新設した。
水圏環境教育センターの設立を目指して
本取組では以下の施設を最大限利用することにより,学生に体験的学習活動の場を提供する。
1)本学海洋科学部 2)本学水圏科学フィールド教育研究センター
3)本学社会連携推進共同研究センター 4)本学練習船 5)本学水産資料館
また,本プロジェクトは水圏環境教育を実践している学外のNPO法人等の諸団体とも連携をはかり,協働的にプログラムを実施し,評価・改善しながら進める体制をとる。
これらに加え,既に本学で施行している「江戸前ESD学びの環づくり-持続可能な沿岸海洋のための教育」プログラムや,本学社会連携プログラムとして実施している「東京海洋大学フィッシングカレッジ」とも連携し,学内においてより多様で実践的な環境教育プログラムを実施する。(「釣り:フィッシング」は,魚食とモニタリング調査の両方の要素を持つことから,水圏環境リテラシーを普及するツールとして注目される(宮崎・佐々木 2008))。
将来的には「東京湾の環境に関する実践的教育研究基盤の形成」や他の諸機関との有機的な連携も視野に入れつつ,「水圏環境教育センター」の設置の準備を進めているところである。さらに,アメリカに設置されているシーグラント*(川下・佐々木 2007)のように,全国で活躍する水圏環境教育推進リーダーを支援するためのセンターとして機能していくことが期待される。
(参考)*シーグラントについて
アメリカ合衆国では連邦政府に「海洋基金部」(SGO:シーグラントオフィス)がおかれ,海洋教育の発展の上で重要な役割を果たしている。さらに,その支部として「海洋基金大学」(シーグラントカレッジ)がある。「海洋基金部」が置かれる契機となったのは,1963年にアメリカ水産学会でのスピルハウスAthelstan Spilhaus教授(ミネソタ大学)の提案による。彼の発案は,農業などの応用科学分野研究を中心とする大学設立のために連邦の土地を各州に供与した19世紀の「土地基金大学制度」(land-grant college system)にならったものである。1966年にはペルClaiborne Pell上院議員(ロードアイランド州選出)とロジャースPaul Rogers下院議員(フロリダ州選出)の提案で「海洋基金大学計画法」が成立する。同大学の管理責任は全米科学財団NSFに委任された。同大学の活動は,教育・研究・広報(extension)からなるが,ここでは,大学の外部に対して広く教育・啓蒙を行う広報活動(sea grant extension program,以下SGEと略)に注目したい。SGEは,継続的かつ組織的に多様な教育過程・技能を用いながら,目標にそった行動変化をもたらす計画的活動と定義される。たとえば東南部海域の小エビトロール漁において,多くの対象外魚が網に掛かり死んでいたが,SGEが中心となり4年間で50%の削減目標をたて,漁獲方法の研究に取り組んでいる。
全米海洋基金大学プログラムNSGCPは,商務省内の全米海洋気象庁NOAA,海洋気象研究局OAR内の全米海洋基金部NSGOにより管轄されている。
SGEは先述した全米そしてプエルトリコの沿岸域を含め五大湖や沿岸域の30カ所にある海洋基金大学と密接な関わりを持ちながら発展してきた。SGE職員は,それぞれの地域でSGコミュニケーターや教育者と連携をはかりながら,大学で研究された資源を地域に還元する役割を話している。いわば,複雑な問題を解決するためにわかりやすく提供している役割を持っている。また,それぞれの地域ごとにユーザーに合わせてワークショップ,パンフレット,講義などの形態で提供されている。SGE職員は,漁業資源の管理,持続可能な養殖,水質汚染,海洋保全のための規範意識の確立などに取り組んでいる。現在およそ300人の教育プログラム専門家が五大湖を含む沿岸域で活躍している。今日まで,数千人の専門家が関わってシーグラント活動に貢献してきた。海洋基金は,異なる方向からのアプローチを駆使するための特別な技術を持っているSGE専門家の集まりである。
SGEの仕事は,連続した時間をかけて,様々な教育的方法を用いながら,行動をデザイン化する活動である。SGEの具体的な仕事例としては,マンツーマンで専門的助言を与えるワークショップ(研究会),会議,実演,ビデオ,ウェブページやラジオショーなどがある。SGEは単発的な仕事ではなく,継続的な活動であることを強調しておきたい。例えば,元SGE専門家が市長や連邦議会銀,漁船安全プログラム基金設立者など幅広い分野で活躍しているのは,大学,工場,組織,政府等と長年の信頼関係を築いていた成果である。
また,SGEプログラムの大きな特徴として特筆すべき事は,連邦政府レベル,州政府レベル,地域レベルと組織的な構造を持つことである。例えば,フロリダ海洋基金大学は,フロリダ大学内に州全体のマネジメントを行うマネジメントオフィスがあり,ここには9名のスタッフが常駐している。また,大学内外で活躍する12名の広報活動専門家がいる。さらにSGE協力研究機関(大学も含む)として,16機関が登録されている。フロリダ州沿岸域36地域のうち,29地域にSGEプログラムを展開する専門職員が常駐している。例えば,フロリダ州の最西端の地域エスカンバにはSGEプログラム専門職員としてアンドリュー・ディラー氏が常駐し,海洋環境教育,沿岸域生物のワークショップや大人子ども向けのウミガメ教育を実施している。このように,SGEプログラムは,連邦政府レベル,州政府レベル,地域レベルと組織的な構造を持ち海洋教育を実践しているのである。
引用文献
1)沿岸環境関連学会連絡協議会(2008). うみと環境教育. 沿岸環境関連学会連絡協議会第19回ジョイントシンポジウム.1-25.
2)海辺の環境教育フォーラム(2008). 第8回海辺の環境教育フォーラム2008inいえしまプログラム,1-12.
3)大島弥生・佐々木剛・三浦笙子(2008). カリフォルニア訪問調査報告書. 現代的教育ニーズ取組支援プログラム「水圏環境リテラシー教育推進プログラム」. 3-4.
4)川下新次郎・佐々木剛(2007). アメリカの海洋教育-SGEプログラムについて-.
国際教育,日本国際教育学会紀要. 13, 115-117.
5)小林麻理・佐々木剛(2008). 大森ふるさとの浜辺公園を活用した水圏環境教育の有効性,臨床教科教育学会, 2008年5月受理.
6)佐々木剛(2006). 遡河回遊型ワカサギ個体群の教材化と野外生態研究. 魚類環境生態学入門, 猿渡敏郎編著, 262-290, 東海大学出版会, 東京.
7)Tsuyoshi Sasaki(2008). Results from a Consciousness Survey of Marine Science education; Marine Educators in Japan and the US, Tokyo University of Marine Sci. Tech., 4, 49-56.
8)宮崎祐介・佐々木剛(2008). 魚類図鑑の制作は環境教育に有効か?-東京都港区港南におけるcase study-. 水圏環境教育研究誌, 東京海洋大学水圏環境教育学研究室1,53-84.
(今求められる水圏環境リテラシー教育とは-伝統的「魚食文化」と「科学」のメガネで海を観る-.
佐々木剛. , 2008年09月,日本船舶海洋工学会 海洋教育普及推進委員会設立記念フォーラム「日本の海洋教育を考える」予稿集 , 2 - 12)