市川家の忘備録ー市川燻製屋本舗の日々ー

北海道岩見沢の燻製屋です。会社の事・個人的な事・忘れたくない事少しずつ綴っていきたいと思います。

防備録ー主人の話(市川食料品店)

2016-08-22 16:41:05 | 燻製屋
前回に続き今日は、両親が始めたお店について、お付き合いくださいませ。


市川食料品店は、中央市場の4坪の2階のある長屋の1軒でした。

昭和30年、当時岩見沢は、黒いダイヤと呼ばれた石炭を運ぶ重要な中継地点で、北海道の中でも重要な土地柄で、たくさんの人たちが集まる土地でした。

映画「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれたように、どこの街でも活気があり、どんどん街が膨らんでいきました。

その中で、私の両親は初めて商売をしたものすぐには、上手くいくはずもなく、ご近所の皆様に助けられながら大変な努力をしてようやく,自分たちの進む道を切り開いていきました。

そんな両親の背中を見て育った環境が、今の私の思いに繋がっているのだと思います。

年月が過ぎ市川食料品店は、「美味しいものを買うなら、市川だよね!」と言われるようになりました。


~今、嫁の私が思うこと、時代とはいえ、よく幼い子供たち(主人は四兄弟)を育てながらの商売は、並大抵のことじゃない苦労が、あったと思います。


私達の店 市川燻製屋本舗のホームページもよろしくお願いいたします。お買い物サイトは、現在調整中です。
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防備録ー主人の話

2016-08-21 20:22:31 | 燻製屋

お盆もおわり、夏が行こうとしています。
市川家のお話、残そうと思います。
主人が、ツイッターに書いた話です。
友人が、面白いとまとめてくれました。
かなり長くなりますので、少しずつ、ここに記していきます。
このブログを、見てくださる皆様、お付き合いいただけると幸いです。

今日から、ちょっと市川燻製屋本舗の熱い思いを少しずつお話します。

市川燻製屋本舗は、どうしてできたか?

一番最初は、私の両親の思いから始まります。

私の父は、南学田の農家の長男で、島根県の今の浜田市あたりから移住した、開拓者の三代目でした。

母は、滋賀県大津市の商家の生まれで京都育ちでしたが、12歳の時に父親を亡くし、夕張の叔父を頼りに、北海道に移住してきました。

昭和10年~20年代、戦争中、戦後の混乱期を乗り越え、父と母はめぐりあい結婚し、私が生まれました。

私には、二人の姉がいます、私が生まれると同時に、私の両親は二人の姉と乳飲み子の私を抱え、

夢と希望を抱き、岩見沢の中央市場で、塩干物を販売する市川食料品店を開業しました。



 ~また、続きは、後ほど
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八月 

2016-08-06 14:35:30 | 日記
8月5日、今日はお天気です。

岩見沢には、夏休みの旅行中らしき、お客様が来てくださる。

一言、いってくだされば、保冷剤出しますよ~

夏真っ盛りの今日この頃、

只今、札幌地下街オーロラタウン「きたキッチン」で、試食販売やってます。

8月9日火曜日までです。

夏のイベント出店します。

岩見沢の朝市 8月19日・20日

大通りビッセの岩見沢フェア21日

鶴沼ワインフェア8月28日



写真は、4年前の鶴沼、準備風景、次の年から、岩見沢も営業しているので写真は、無し。

毎年、参加しています。

この気持ちいいワイナリーの祭典で、皆様も、是非!
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