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竹中英太郎と村岡花子

2023-06-02 09:00:00 | 竹中英太郎記念館

竹中英太郎と村岡花子 このお二人が何処で結びつくかと言えば、「竹中英太郎記念館」と「赤毛のアン記念館」、仕事場が共に記念館として残されていること、そして甲府という2点です。

東京という点では竹中英太郎は昭和14(1939)年秋頃から東京の大井北浜川町1丁目で鉄工所を経営したということです。大井北浜川町は現在は東大井2丁目、東大井3丁目に変わっています、大田区です。
東大井の地図 でみると、確かに浜川中学、小学校の名前もあり、第一京浜国道(国道15号線、通称イチコク)に沿った地域ですが、京浜急行の立会川(タチアイガワ)駅が最寄りでしょう。
この第一京浜とほぼ平行して池上通りが大井町から池上本門寺の門前町まで続いています。

村岡花子が住み、現在は 「赤毛のアン記念館」がある大森中央地区は池上通りの沿線であり、馬込文士村 という山王、南馬込もこの通りの右側(西側)になります。
高台の土地で坂道が多く、複雑な道路に迷いやすい地域です。

私は村岡花子が甲府出身だと今日初めて知りました。山梨県立文学館のイベント情報を読んだからです。
「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」開館のご挨拶 を拝読すると、竹中英太郎記念館とも同じ想いを感じます。それはおそらく横溝正史書斎(山梨市に移築)とも同じでしょう。

関連して私のホームページで 赤毛のアン を書いています。

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竹中英太郎は門から入ったすぐ足元に「直進-玄関、左-勝手口」という文字を石に刻んで埋めました。
その玄関方向に真っ直ぐ進んでください。
そこが 湯村の杜 竹中英太郎記念館 です。
 山梨県甲府市湯村3-9-1
 館長日記_Facebook
  

【追録】2023-06-02  東洋英和女学院サイトの記事から部分引用させていただきました。
学院資料・村岡花子文庫展示コーナー
 「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」は2015年4月15日、六本木校地の本部・大学院棟1階にオープンしました。 創立者の婦人宣教師ミス・カートメル関係の資料や東洋英和の年表など学院の歴史を紹介する展示コーナーと並んで、 東洋英和の卒業生であり翻訳家、児童文学作家であった村岡花子の書斎を再現し、 著作や蔵書、執筆原稿その他の資料を公開するコーナーが設けられています。 常設展示に加え、年に数回内容を入れ替え、企画展示も行っています。
この記事で書いていた東京都大田区の「赤毛のアン記念館」は、「2015年春より蔵書や資料を村岡花子の母校である東洋英和女学院に移設する準備のために一般公開はしていない」 を経て  2015年4月14日に東洋英和女学院にうつされたと知りました・・・六本木の東洋英和の場所は知っています、六本木に行くと麻布十番(あさぶじゅうばん)にも行くので通っていた道でした。今は仕事で都内に出かけても六本木には行くことが無い十数年でした。
また「ウィキペディア」に助けられました・赤毛のアン記念館・村岡花子文庫
 2006年6月30日に書いたこの記事を2023年6月に更新です。何か不思議なご縁を感じます・・・