ICT工夫

全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ

ドメイン取得に関する再論

2008-08-23 13:05:42 | インターネット

2008年8月19日にYOKOSO! JAPAN WEEKS 2009の記事を書いた時、使われている YJTM.JP YJW2008.JP、YJW2009.JP というドメイン(インターネットのアドレス)について触れました。「私はドメインの所有者情報を気にする」とも書きました。

この事をハゲシク書いたのが、2008年1月17日の上戸彩さんが可哀そうという記事でした。「経済産業省の担当官(商務情報政策局 情報セキュリティ政策室)はセキュリティを語る資格が無い。 」と、サイバーポリスから何か来るのではないかと怖れながらも書いてしまいました(^o^)

その後、参考にさせていただいたブログ、「らばQ」さんの経済産業省を名乗り詐欺の手口で送られるメールに注意を再訪問して、政府利用のドメイン、「.go.jp」に統一する理由という日本経済新聞の IT Plus で2008年2月20日の記事を読みました。 『「.go.jp」というドメイン名には「信頼性」がある。ドメイン登録できる組織は、政府機関、所管研究所、特殊法人、独立行政法人に限られているからサイバー攻撃を目論む組織が紛れ込む可能性はない。』に関係して、ICT甲府ホームページの中に書いた上野原市ブロードバンド回線に想うでは、IT用語辞典の「属性型JPドメイン名」を参照して、『属性型JPドメイン名の分類は9つある。営利法人用の「co.jp」、非営利法人用・国際機関・外国政府の在日公館の「or.jp」、法人格のない任意団体用の「gr.jp」、多数者向けのネットワークサービスを意味する「ne.jp」、政府組織用の「go.jp」、地方自治体用の「lg.jp」、高等教育機関・学校法人用の「ac.jp」、幼稚園・保育園・小中高校など18歳未満対象の教育機関用の「ed.jp」、JPNIC会員が運用するネットワークが使用する「ad.jp」である。』と引用しています。

私の念頭には常にこれらのことがあり、YOKOSO! JAPAN の記事でドメイン取得者を確認した理由です。山梨県内の自治体サイトを最近は時々訪問していますが、身延町が www.town.minobu.lg.jp なのに気が付いてうなずきました。 日本中 local government で ミノブ と言えば山梨県の身延町しかないでしょうし、仮に「身延」が使われるホームページがあったとしても lg.jp は使えません、日蓮宗総本山の身延山のある身延町は、多分中部横断道の効果を最大限に活用できる地域になると思いました。218.225.124.210 は www.town.minobu.lg.jp でアクセスした時に DNS が変換する IPアドレスですが、これから見ていくとドメインの取得、管理者は「峡南広域行政組合計算センター」 kyonan.jp だと思えます。ほんとに「いい仕事してますねぇ」(^o^)

民間で法人化された組織の場合は、co.jp や or.jp が使われて当然と思いますし、国際的に活動する組織だと .org というトップレベルドメインがあります。有名なのは United Nations un.org でしょう。最近は .coop もできていることに気が付きました、山梨県内では生活協同組合コープやまなしですが、このドメインの取得にも当然資格が必要です。
個人サイトの独自ドメインをこれから取得するなら .jp をしかるべき全国版の登録扱い業者を経由して取得するのが良いと思います。
.com は「どっと混む」ということで、たしか日本国内で民間用に使いやすいドメイン体系が無かった頃にインターネットに乗り出した企業、個人は .com を取得していたと思います。しかし最近では誰でも取得できるというのがデメリットになっているように思え、私はスパム対策としては .com ドメインのメール受信を排除する設定を使う場合が多いです。個人ホームページで .com の場合それが構築された時期も推測し、最近開設された場合には何故 .jp にしないのか、セキュリティを探る場合もあります。
ホームページのアドレスひとつからでも、その組織や人の考え方が見えてくると私はいつも思い、クライアントさんがホームページアドレスをお決めになる時も、そのように申し上げている私はインターネット・オタクです(^o^)

独自ドメインを取得しようと考える時や一般的にIPアドレスの事を調べたい時は、まず社団法人日本ネットワークインフォメーションセンター JPNICの記事を確認されることをお勧めします。JPドメインの登録申請を受付る組織(レジストラと呼ばれます)として株式会社日本レジストリサービス JPRSを確認し、「指定事業者」に関するページ、そのリストを読むことが必要です。
自分が契約しているプロバイダーが指定事業者では無い場合、取得済みのドメインでサーバーレンタルの契約ができるかどうかなどもプロバイダーのホームページから確認しておく必要があります。サーバーレンタルで独自ドメインのホームページを開設する時には、アクセスプロバイダーではないサーバー専門業者の方が価格も安い場合が多いです。すなわちインターネットに接続する為に契約するアクセスプロバイダー(OCN、@nifty、Yahoo!BB、Biglobe など)とホームページを置くサーバー業者との契約の二つが必要です。
CATV業者の事は知りませんが、甲府にある日本ネットワークサービスではCCNetというインターネットサービスもあり、ホームページの開設ができることも書かれています。

今日8月23日、第20回甲府大好きまつりですから、この記事をアップロードして出かけようと思っていたのですが・・・カーテンで閉ざした窓の外で雨だれの音! 小雨です、キティちゃん可哀そう!!

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後戻りできない地デジ移行

2008-08-22 15:56:39 | インターネット

2008年8月21日の日経ビジネス オンラインに、読者コメントを基に 「地上デジタル放送の明日」を考える という記事が出ていました。2008年7月24日発表の地上デジタル放送推進総合対策(総務省)を受けて7月31日、元の記事に寄せられた読者コメント(81件)を編集して紹介している記事、筆者は谷島宣之さんです。

1_tv 地デジ移行の理由は電波資源の有効活用ということですが、国家、業界、国民が膨大な経費をかけて空けた後の使い道は既に計画済みだと思っています。

しかし、当初はテレビや映像に関係するハード業界の国際競争力維持、保護、あるいは活性化する為に地デジ全面移行が考え出された、電波の帯域を空けること、その活用という理由は後から付けられたのかと思える記事があります。「デジタル(UHF帯)に完全移行したら、VHF帯のアナログ放送を止めて移動体通信などに使えるので、電波の有効利用という国民的な利益がある」のだという話に至る経緯が池田信夫さんのページに書かれていました。「池田信夫 blog」は私の巡回先です。日経BPに池田さんが書かれた記事は谷島さんの7月の記事からリンクされています。

ICPFのシンポジウムに登壇した鬼木甫大阪学院大学経済学部教授は「使えるテレビを捨てるという点では、国民のすべてが国策の犠牲になるわけで、特定の人だけに補償するのは間違っている」「デジタル移行によって空く電波をオークションにかけ、得られた資金を全国民に分配すべき」と発言した。』と谷島さんの記事に書かれています。「補償」というのは特定の層にチューナーを無償配布する施策が検討されている事を指します。

池田信夫さんの「地デジの嘘」(2008-04-29)というブログ記事から知ったのですが、「アナログ停波の時期は妥当か――経済学の視点で検証する(上)」という鬼木 甫(おにき はじめ 大阪学院大学経済学部教授/大阪大学名誉教授)さんの記事、2008年4月7日があります。

議論の結果をまとめておこう。本稿の試算は、「効率性」の点からすれば2011年7月の停波がおおむね正当化できることを示している。同時点で新しい電波を手に入れ、無線インターネットをはじめとする新サービスを開始することは、アナログ受信機を生かして使うためのデジタルチューナー生産費用を考えても十分にお釣りが来るのである。言いかえれば同時点での停波は、情報通信部門から生産される付加価値(GDPの構成要素)を最大化し、これによって日本経済の成長に貢献できる。しかしながら他方で、2011年7月の停波は、国民の異なる階層の所得に数千億~兆円単位に及ぶプラスあるいはマイナスの影響を及ぼす。その補正を怠ったままで停波に進むと、当然ながら直前になって抗議、停波延期要求、補償要求などが続出し、社会的混乱を生ずる可能性が大きい。つまり2011年7月という停波時点の選択について、効率性に基く結論と公平性に基く結論が一致しない。
この点を考えた上でどのような政策オプションがあるかについて、そして諸外国とりわけ米国のテレビデジタル化について、次回は考えてみたい。

その次回というのが4月15日の記事「アナログ停波の時期は妥当か――経済学の視点で検証する(下)」になります。この鬼木さんの記事についてブログに書こうと思って残していたのですが、今回のテーマにもぴったりなのでリンクしておきます。

山梨県立美術館はミレー、バルビゾン派の絵画に特化した山梨として特長ある美術館の計画が先にあり、それに合わせた建物ができたのだと思います。山梨県立博物館も甲斐の歴史についての豊富な資源を保存、研究し鑑賞に供する計画が先にあって建物の設計施工があったものだと思います。

家電大型店やテレビ局が盛り上がっている地デジ移行は、私にはハードを売りまくるだけのお祭りに見えます。映像情報というソフトの価値を活かすのは地デジだけができるのではありません。

現在65歳以上高齢者の方はテレビ世代でしょうが、1995年のインターネット元年に25歳だった方も2035年に65歳、その時を待つまでもなくテレビからインターネットに移行中だと私は思っています。海外のニュース動画を見るのはテレビではなくインターネットからです。

テレビを情報配信の道具と考えるか個人的な娯楽の道具と考えるかで、税金を投入すべきかどうかが決まります。映画館の新設、改築、維持費に税金を投入するのは、それが街づくりと表裏一体、市民の福利向上だと理解された時でしょう。
山梨県上野原市の公費投入による情報通信基盤整備事業はインターネットが情報交換の道具として不可欠な時代に入っていることを認識した結果であり、CATV地デジ対応が主なのではないと理解しています。 山梨県情報ハイウェイも同じと思います。それぞれの進め方には疑問がありますが。
しかし1995年以前のテレビのような情報配信ツールとしての重みが今のテレビにあるかどうか疑問です。私には過去の栄光と利権維持にしがみついているだけの業界にしか思えません。ソフトの勝負でいくならインターネット配信して何が不都合なのでしょう。私の契約しているOCNもホームページを見れば分かるように有料動画配信を行なっています、私は見たいものが無いから今は使わないだけです。

視聴者、国民不在で業界と官僚の思惑から一方的に決められてきたような全面地デジ移行は後期高齢者医療制度が実施後に問題化したように、その時、2011年7月24日になって大騒ぎになるのかも知れません。でもその時には後戻りできません。いまから対策を講じておく必要があるでしょうが、その対策は誰の仕事でしょうか。私にはわかりません。甲府市内で生じる問題を甲府市行政に押しつけるのは酷です。地方行政がテレビ放送業界を相手に損害賠償請求でも起せるものかどうか私にはわかりませんが、池田さんの「地上デジタル放送FAQ」に書かれていることはひど過ぎます。

地デジ移行後にテレビを見なくなる人々も増えてきてCM収入が減り業界が困ることは関係無いとしても、この国策事業のために多額の税金が既に使われてしまった、これからも使われるという状況だけはなんとかできないものかと思います。
同じように巨額の国費を費やしていると思える2010年度へ向けたブロードバンド・ゼロ地域の解消との連携が何故できないのか、その点がどうしても理解できずにいます。デジタルアーカイブこそ、それがリアルタイムであれ過去データであれ、放送と通信の融合が求められていると考えています。

片道燃料で走り出してしまって後戻りできない特攻作戦なら、もてる武器を全て使って有効な戦果を上げるべきでしょう。有線と無線、電波とインターネット、日本の技術は誰かが利権意識で囲い込まない限り世界に冠たるものだと私は思っています。大艦巨砲で勝てると思って航空機に負けた歴史から学ばねばなりません。
日経BPの記事から過日調べて放置したままの地デジ問題が再燃した私ですが、とにかくテレビの買い替えなどを考えずに冷ややかに様子を見ていた方がよいと改めて思いました。

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掲示板荒しにコメント

2008-08-21 16:38:15 | インターネット

東京都町田市の吉田つとむさんという政治家がおられます。その方の掲示板 6602.teacup.com/expert/bbsへの投稿で、私を名指しで書き込んできたヤツがいたので、コメントを返しました。以下の通り。

dynamic.orange.es を使ってアクセスされた 投稿日:2008年 8月21日(木)07時09分53秒の 町田市民さん、
>通り過ぎる者

>アイシティ甲府氏でしょ。
>なぜ名前を変えてるの?
>吉田への指導は、本来、君みたいな取り巻き、金魚の糞の仕事だろ。
>町田市民にやらすなよ

ご指摘があったので投稿させていただきますが、
送信元が yamanashi.ocn.ne.jp だからといって私ばかりではありません。
山梨県下の一般ocnは固定アドレスが使われていないのです。
県人口が90万以下で、そのなかで知り合いのブログへのコメントやSNSの参加は別にして、掲示板で投稿までする人は数百人に満たないかも知れない山梨です。
しかし私のブログで吉田さんをご紹介した事があるので、山梨県人でも吉田さんをご存じの人は多いと思います。
この掲示板もご覧になっている山梨県民はおられるでしょう。

ちなみに私は吉田さんにお目にかかったこともないし、取り巻きでもありません。甲府市議の野中一二さんの掲示板からお名前を知った政治家のお一人です。
インターネットを使っている政治家さんとしては始められた時期が早かった方という認識で関心を持っています。
市議会から都議会、落選という経緯もホームページや掲示板、ブログで存じ上げていますが、政治スタンスは私とは違うかも知れないと感じる方です。
政治家のインターネットの活用として大事なのは政治理念、政策への考え方が常に新鮮な記事として読めることだと私は思っています。
選挙用パンフレットをWebページに残しただけのホームページも多い中で、吉田さんのサイトはユニークだと感じてます。

あなたが問題にされているポスターを私は見たことがありません。街なかの看板、広告塔などと同様に見た目の好き嫌いは誰にもあることです。街づくり、景観という観点からそれらを何とかしたいという市民の動きも甲府市にはあります。

いくつかの投稿を拝見して、あなたの投稿スタンスは以前にもお見かけした方と同一人だと感じました。プロクシの使い方がお上手なのだと思いました。

私のURLは今回は書き込みません、最近特アからのスパムが増えていますので(^o^)アイシティ甲府で検索なさるとブログ、Webページがヒットするはずです。

こういう掲示板でもブログでも政治家個人を名指しで政策などを批判することはあって良いと思いますが、投稿する人に対する攻撃的な言辞を発するのはお止めになるべき思います。

あなたは自称されているような町田市民では無いでしょう。昔の名前を復活されたらいかがですか。と攻撃的言辞を発して終わりにします(^o^)
ここに私宛の記事をお書きになっても無意味ですから念の為。


17時過ぎに早くも es ドメインからスパムメール着信しました。SPAINからのスパムは珍しい。ご丁寧に先日付23日にしてあります、メーラーが新着順表示の場合にしばらくはトップに表示される仕掛け。送信日を1970年など昔の日付にしてあるスパムもあります、これは逆順表示の時に、読んでなかったとクリックされる事を期待したスパム。

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甲府北口シビックコアの全貌

2008-08-20 11:31:50 | 街づくり

甲府市議野中一二さんのブログで昨日2008年8月19日と今日、甲府駅北口シビックコア建設計画について記事が出ていました。
国土交通省のサイトを調べて2月末から公開が始まっている事を知りました。
2月28日の広報では以下の通りです、
今後のスケジュール(予定)
 実施方針に関する質問、意見、提案の受付期間 平成20年3月19日まで
 特定事業の選定 平成20年5月頃
 入札公告(特定事業の選定を行った場合) 平成20年6月頃
 民間事業者の選定(特定事業の選定を行った場合) 平成20年11月頃

入札広告が7月18日に出た事から野中さんの記事になったようです。
私の手元には甲府市サイトにあったシビックコア計画のファイルを保存してありますが、よく読んで整理してWebページに書いておこうと思っていても時間が無くて何もできません。北口整備計画や「北口地区の歴史」で追加していこうと思っています。
街づくりは地方整備局だと理解はしていましたが、営繕部まで降りて調べてはいませんでした。昨日のように観光は運輸局担当だとか、官庁の組織と事業の関連付けは私のように無知な人間には難しいです(^_^;)

尚、甲府のシビックコアは北口だけでは無く、JR南側に建っている山梨労働局まで含んだ計画です。ですから8月20日の野中さんの記事に書かれているリストからも合同庁舎に労働局が入らない事が分かります。

ついでですが、インターネットでこのような公的な事業について調べ物をする場合に、私は地元のサイトだけでなく中央官庁、そこから見える他の都道府県の情報も確認するようにしています。Webページでまとめる時はそれらを可能な限りリンクして自分用のメモにしています、いわば自分専用に当該テーマのポータル(玄関)を作っているわけです、だから私のWebページは読みにくい場合があります、ご容赦ください。ICT甲府の本館サイトはサーバー容量の制約からもポータルサイト、リンク集と化していますが、テキストは別冊に集積しています(^o^)


追加
 ICT甲府の産業情報に載せたイベント案内です
 ◎ 9月2日(火) 13:15~17:00、平成20年度やまなし産学官連携研究交流事業(研究成果合同発表会)、会場・ベルクラシック甲府
 ◎ 9月12日(金) 14:00~16:40、元気な商店街創造セミナー、会場・桜座


山梨戦没者追悼集会

2008-08-15 21:42:42 | 憲法改定

0815_286 山梨戦没者追悼集会が開催される事を赤池誠章議員のホームページから知りましたので参加しました。2008年8月15日、14時から山梨県地場産業センター(かいてらす)の会議室でした。私がこれに参加したのは、井尻千男(いじり かずお)・拓殖大学日本文化研究所所長の「戦後日本の共同体の崩壊」という講演があると知ったからです。

例によって予定は未定でしたから参加申込みもせず定刻ギリギリに到着、いただいた資料からは、この集会は「国家基本問題を考える山梨の会」主催と知りました。この会については名前だけは時々見ていますがホームページは見つかりません。赤池さんは顧問になっておられるのでご自身のホームページでも掲載されているのでしょう。検索で見つかったのが映画「南京の真実」山梨特別上映会を報じた2008年6月11日の「立ち上がれ!日本」運動情報・草の根ニュース記事、ここから確認できた「立ち上がれ!日本」ネットワークと連携している活動と思えます。

今日8月15日は日本武道館で「全国戦没者追悼式」、甲府の護国神社でも正午を挟んで戦没者追悼式が行なわれました。この集会も戦没者への黙祷に始まり、国旗に対して礼、国歌斉唱と続きました。
第1部は「私たちは忘れない-感謝と祈りと誇りを-」という映画の上映でした(日本会議、英霊にこたえる会制作)。検索すればこの映画に関する情報は多数ありますが、遊就館で上映されています。

0815_290 第2部が井尻さんの講演です。 井尻さんがお書きになった記事は日本経済新聞文化面で必ず拝読していました。探せば捨てずに残してあるクリッピングも手元にあるかも知れません。日経を退社された後のことは全く知りませんでした。

日本の戦後の問題は共同体の解体、崩壊であるという視点は私には実に新鮮でした(それだけ私が不勉強ということ)日本国憲法『第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 』 この条文の意味するところを今日の井尻さんのように説明されたものを私はこれまで読んだことがありませんでした。私はどちらかと言うと「個人」の意味を考え続けている立場です。共同体、コミュニティは個人の集合体、ネットワークという姿としてどうあるべきかを考えています。それだけにこの第18条が書かれた意味、解釈は実に重いものを感じました。マックスウエーバーも読み直してみねばならないし、「私たちは忘れない」が描いた日本近現代史についても考察を深めたいと思います。いずれ後日のテーマになると思います。
帰る時に購入した「明日への選択 2008年8月号」(通巻第271号 日本政策研究センター)には「いかにして地方を再生するか」という井尻さんへのインタビュー記事が掲載されていました。『グローバリズムとコンシューマリズムによって破壊された日本の地域経済。今、求められているのは農業の再生を基本にした共同体としての都市と地域の再生である。』 今日の講演の中でも詳しくお話があったのですが、これはまさに私が追っかけをしている甲府市活性化とじかに関連する内容です。日経コラムの読者だった頃の私はこんな事は何も関心が無かったのですが、もしかすると潜在意識の中に井尻さんの記事から受けた訓えが残っていて、甲府に来てそれが活性化してしまったのか。井尻さんが山梨県のご出身だったのですから、因縁ともいうべきか、不思議な気持ちを抱きます。

赤池さんの閉会のご挨拶の中で映画「「ムルデカ」を山梨でも上映したいというお話がありましたのでメモしておきます。

0815_295 かいてらすを出てから護国神社に向かいました。護国神社には山梨県内出身戦没者の西南の役から太平洋戦争まで25,039人が祀られています。これから設置される灯籠が準備されていました。0815_296 盆踊りの支度もされていて、すでに子供連れの方々も幾組かお集まりになっていました。昨年は盆踊りの写真をいくつか掲載した記事になりましたが、今日は追悼集会ですこし疲れたので夜の外出は控えます。

0815_299 今日写真で残したかったのは境内にある「父の像」です。背景の建物は遺族会の事務所が入っているようで、この中には資料室もあるようですが閉まっていました。次の機会にしたいと思います。

台座に書かれている碑文は光の具合で読み取りにくかったのですが、殉国の戦士の遺児は亡き父への思慕と誇りを胸に母とともに強くたくましく生きてきた。戦争の悲惨と平和の尊さを後世に伝える為に終戦50周年を機にこの像を建立した、というような内容です。建立は平成7(1995)年4月。次に訪問できたら碑文を正確に修正します。資料室も拝観してみたいと思います。
他にも色々な慰霊碑があるようですから、時間をゆっくり取って訪問しないと、いつも中途半端な取材で終わってしまうのが私の悪い癖です。

注・25,039柱、あるいは25,041柱(2008年8月15日現在-読売新聞山梨版 8月16日記事)のようです。このような数字の管理については厚生労働省、山梨県庁、護国神社の三者関係があると思いますがどの値を採用すべきか迷いますので併記しておきます。祭祀については神社、戦没者の認定や統計値については官庁、そして官庁と神社の関係は多分靖國神社と同様でしょう。


甲府市副市長さん

2008-08-15 00:15:00 | 街づくり

この記事をアップロードする頃には日付が変わって今日、8月15日終戦記念日(終戦の日)、敗戦「記念」では日本語としておかしいから「終戦」かと思っていますが、今年も時間を作って護国神社にはお参りしたいと思っています。図らずも12日に東條英機に関してブログに書きましたが、締めくくりはやはりインターネット・テーマになってしまったのもいつもの事でした。2008年7月30日の毎日新聞山梨版で、「甲府市副市長に就任した、宇野善昌さん」という記事を読んでいます、半月前の新聞記事ですがお盆休みということ(関係あるかな?)でブログにしておきます。ちなみに6月と8月には国民の祝日が無い、何故だろうといつも思います。東京にいた頃はお盆は7月で、月遅れのお盆の時期は民族大移動で都内から渋滞が無くなるという認識でした。甲府に来てからは7月15日を忘れています。2008年は旧暦7月15日が新暦8月15日となることを知りました。

2008年7月17日(木)の19時から甲府市中心商店街のイベントは熱気溢れたガチバトルでした、その時に私は新任の副市長、宇野善昌さんのお顔を拝見しお話を伺いました。特に印象に残ったこととして、『駅前に県庁があり、市庁舎、警察署、裁判所などの機関がそのまま残っている中心街というのは甲府の大きな特長として捉える見解を示されました。』とブログに書きました。
その後甲府市ホームページを探したのですが、副市長さん着任を知らせる「トピックス」が見つからず、「広報こうふ」8月号の「インフォメーション」で紹介記事がでました。しかし毎日新聞のインタビュー記事(人・かお・トーク)はよい記事でした・・・

甲府の第1印象は
◆初めて夜の中心街を歩いた時、通行量や開いている店が少なく、正直、「これは大変だ」と思った。甲府駅は、降りた時のワクワク感がない。駅は県外の人にとって窓口。山梨は観光や食べ物など資源はあるが、情報発信がうまくない。甲府駅は象徴です。
一方、山に囲まれ、心が和む景観が広がる。駅から車で30分も行けば、川や風の音を味わえ、都会の騒がしさから逃れられる。
甲府駅近くに、県庁、市役所、警察署などの官庁が集まっている。他県では、公共施設が分散している影響で、中心街が廃れた場所も多い。甲府は銀行も中心街にあり、業務面での中核性は失われていない。大きな強みだと思う。

これは私が感じたことと同じなのです。初めて甲府駅南口に降りた時、夜でしたがぞっとするような寂しさ、左手が山交百貨店だとは全く知らず、あたりは吸い込まれそうな暗闇、牛丼の吉野家の灯だけが暖かく迎えてくれたようにすら感じた事を鮮明に覚えています。
その一方で車で荷物を運んだ時には甲府南インターから地図を頼りに市街地に向かう途中、左側に続く緑々、今にして思えば荒川の土手だったのだと分かりますが、なんと素晴らしい道路なのだろうと思いました。そして仮住まいをお願いした知人の案内で街に出た時に、「シャッター通り」という言葉を説明されたのです。それは中心街、かすがもーるや銀座通りだったと思います。
その後ネグラが定まりましたが、あまり外に出ることも無くもっぱらモニターを前にしてキーボードを叩き続ける生活をしています。それでもちょっと外に出れば目の前に緑の山々が迫る、市内には緑が少なくても武田時代と徳川時代の二重構造を考えさせられる街並みがあり、歴史的な遺産が数多くあり・・・私のTO DOリストは増えるばかりでいっこうに消化できません。とうとう甲府に居座ってしまった異邦人となりました。

取り組むべき課題は
◆中心市街地の活性化です。近郊にはショッピングセンター(SC)があり、それで十分という意見もある。しかし、SCでは、コミュニティーが形成されない。心が通う、笑顔あふれる街作りのためには人と人が触れ合える空間が必要。県外の人にとっては、中心市街地は甲府の顔で元気のバロメーター。中心が寂れていると、再び訪れようという人はいなくなる。人口減少の中、観光やビジネスで甲府を訪れる交流人口の拡大は重要な要素だ。
中心の活性化では現在、全体が別々に動いている。商店街同士の連携など、全体で一体となった取り組みが必要だ。空き店舗問題にしても、女性や若者が甲府に戻ってくるよう、時代に合った店を協力して入れる必要がある。歩いてワクワクする街をトータルコーディネートしたい。

大型ショッピングセンターというのは「街」ではないと私は思っています。知らない土地へ出かけた時に道や施設の場所を尋ねるのにコンビニではだめだという経験を何度かしています。通いの店員さんは地元に詳しくない場合が多いです。「すみません、ちょっとお尋ねしますが・・・」と入るのは小売店が一番です、ほんのお礼の気持ちで買い物もできるお菓子屋さんとか酒屋さんとか。

宇野副市長は国土交通省からの出向とのことです。この夏には甲府市中心市街地活性化基本計画が固まるでしょう、新庁舎計画もそれに合わせて進んでいくと思います、まさに適材適所なのかと感じます。相互の連携も無く別々に勝手に動いているかのように思えるものをトータルにネットワークとして動かすことができれば甲府は必ず活性化すると私も思います。ご活躍をお祈りしたいと思います。


BIGLOBE×世界名作劇場

2008-08-13 00:38:00 | インターネット

定期チェックのインプレス社 AV WatchでBIGLOBE、「世界名作劇場」を無料配信する特集サイトという記事がありました。
NECビッグローブのプレスリリースからBIGLOBE×世界名作劇場 特設サイトに入りました。

なんだか懐かしい画像が並んだホームページです。大昔、親戚の子供を膝に乗せてテレビにつき合わされた事が何度もありました。「赤毛のアン」もこのアニメで知ったのだったと思い出します。Wikipedia の世界名作劇場記事から確認すると、私が見た記憶と制作年代が合わない作品もありますから、再放送で見たのかも知れません。近年は全く縁がありませんが、時間がある時にBiglobe で見てみたいと思います。

テレビについてはニュース番組やスポーツ中継以外はドラマや映画の放映とか、その他娯楽番組など時間に関係無いものが大半ですから、インターネット経由で好きな時に閲覧できれば十分です。国営放送が「ご当地大河ドラマ」に金をかけるのは全く必要無い業務だと思っている私です(^o^) 何故なら、NHKは全国くまなく同じ情報を伝える為にある放送局だと聞いていますが、それは電波を使っているからです。電波をネットワーク化するには各地に送信施設が必要かも知れませんが、インターネットは一か所から全世界に向けて発信できます、それを使えば所期の目的は達成できるのであり、そのためにも全国ブロードバンド化という国策があったはずですから。いうなればNHK設置の目的はもはや達成済みで今や無用の長物です。

AV Watchの記事で、『動画はWMV形式で、ビットレートは500kbps、1Mbps、3Mbps。ただし、3Mbpsの映像は「ポルフィの長い旅」、「レ・ミゼラブル 少女コゼット」のみ。』と書かれていましたのでメモっておきます、ソフトでいえばインストールに必要なパソコンの仕様とでもいうべきものですから、使っている回線の速度とかWMVファイルを再生できるツールがインストールしてあるかどうかとか、確認しておく必要があります。ちょっと見ただけですが、BIGLOBEのページにそういう解説記事が見つからなかったのが気になりました。


東条英機の終戦直前手記

2008-08-12 18:09:09 | ニュース

東条英機元首相が、太平洋戦争の終結直前の1945年8月10~14日に書いた手記が、国立公文書館に所蔵されていることがわかった。という読売新聞記事 2008年8月12日がありました。
『国立公文書館によると、手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎氏が法務省へ寄贈した資料の一部。鉛筆書きの肉筆メモのほか、1960年代に和文タイプで打ち直された資料がある。法務省が1999年度に同館へ移し、2007年から一般公開の扱いとなった。』 とのことです。

 8月10日の手記では、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり、幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」(かな部分は原文ではカタカナ)と、重臣が集まった懇談会での自身の発言要旨を記録。
【終戦の判断を受け入れた心情について、昭和天皇が臨席した8月10日の重臣会議の様子に触れ「御裁断を経て外交上の手続を了せる以上別に所見を有せしも最早これを申し上げ、御聖明を乱すは恐懼に堪えざるをもって差し控うることとした」としている。--共同ニュース 2008/08/12 より補足】
 13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している。
 終戦前日の14日には、「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自らの死を決意している。東条元首相は終戦後の9月11日に拳銃自殺を図り、一命を取り留めた。

いずれどこかに全文が掲載されるのではないかと思います。東条英機の名は満洲國、関東軍、甘粕正彦、石原莞爾、竹中英太郎@満洲・・・などとも関連して私の脳裏に刻まれています。未だインターネットも使えない時代に調べものに関わった記憶が甦りますが、いずれ自分なりの再検討をしたいと思いつつ歳月が経過してしまいました。

 昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「終戦直前の手記が公になるのは初めてで、価値がある。終戦間際の揺れる思いがよく分かり、戦況の不利を国民や当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。終戦直前まで、東条は軍人として戦争継続をあきらめていなかったことは意外だった」としている。
 また、東条元首相に関する著書があるノンフィクション作家の佐藤早苗さんは「東京裁判中の手記は明らかにされていたが、終戦前のものは聞いたことがない。感情をあらわにした表現もあり、当時の政府幹部が終戦に傾いていくのを、裏切られたような気持ちで見つめていたのではないか」と話している。

上のような作家の方々も利用されているのでしょうが、私も満洲國を調べる為に国立国会図書館や六本木の近く、飯倉の外交史料館に通い詰めていた頃もありました。インターネットである程度は調査ができる時代になっている事を驚きます。ブロードバンドが全国に展開されてきた今、公的史料が何時でもどこからでも閲覧できるようになる、それを願って私は今甲府にいます(^o^)

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湯村ふるさと祭り

2008-08-11 12:39:03 | 歳時記

8月10日は「やどの日」ということで、甲府の湯村温泉郷では「湯村ふるさと祭り」が開催されました。湯村の杜 竹中英太郎記念館の館長さんも参加されたようで、10日の日記には当日の写真も掲載されています、なんとまあ素早い更新アップロードでしょう!

8.10の語呂合わせで、「やどの日」だけじゃなくて、「ハット(帽子)の日」、「健康ハートの日」でもあるようです、こんなことが書いてあるJSTバーチャル科学館は独立行政法人 科学技術振興機構(Japan Science and Technologh Agency)が開設しているホームページです。

湯村温泉旅館協同組合が運営する甲府湯村温泉公式ホームページが8月に入ってリニューアルされています。その中の「食べる・買う」カテゴリーにある「甲州水晶貴石細工」では、地元、山の手通り沿い、甲府信金の向かい側にある土屋華章製作所が紹介されています。私はすっかり忘れていたのですが、山梨の水晶 と 土屋華章の歴史のページ、そこからリンクされている「土屋華章を陰で支えてきた(おんな一代記)をブログで公開しております。」を以前拝読してとても感激した事を思い出しました。「プロローグ」から「エピローグ」、「番外編」まで、あらかじめ構成を設定してブログとして書き綴られたものと思われ、私なら通常のWebページで構築するものを、ブログツールを巧みにお使いになっていると感心したものです。ページをスクロールして一番下の「土屋ことじ物語-プロローグ-」から始まります、次のページには最下部にある 「後記事」 をクリックして進みます、是非ご覧ください。

湯村温泉は今年2008年は弘法大師の開湯1200年にあたります、11月にははじめる・つづける・健康あっぷ、湯村温泉郷がはじまります。湯村温泉が大好きとおっしゃる遠来のお客様が竹中英太郎記念館にもお訪ねくださっている様子が館長日記からうかがえます。湯村ホテルブログからも感じるのですが、「やどの日」は「おもてなしハートの日」でもあると思える湯村です。


教育職員免許状原簿の電子化

2008-08-08 00:42:39 | インターネット

『来年度から始まる教員免許更新制の運営のため、データを一元管理する必要がある』というちょっと気になった記事がありました。
あらたにす(日経・朝日・読売)という新聞3社ポータルを見ていたら、2008年8月7日記事で朝日新聞 「教員情報、電子化1千万件」に目が止まりました。
検索では岩手県サイトで 2008年07月28日の教育職員免許状原簿の電子化に関する業務委託一般競争入札公告がヒット、
文部科学省サイトには教員免許更新制がありました。
(早くも朝日新聞の記事を転載しているブログもありました、「登校の子どもとの朝のひとときの様子から学校と教育、教師のことについても。」

何が気になったかというと、どういうシステムが構築されようとしているのか記事からは分からないからです。『電子化してデータを一元化するのは、免許状を授与した都道府県(免許授与権者)と、教員として採用した都道府県(管理者)が異なるケースが少なくないからだ。』ということなら、それを一元管理することは住民基本台帳ネットワークと同じ発想になるはずです。岩手県が入札公告していることから見れば原簿データベースが都道府県別に構築されることになり、都道府県相互にそれにアクセスできる必要があるでしょう。『各教委は対象者がどんな免許状を持っているのか、一元管理システムを使って調べ、手続きを進めることになる。』と朝日新聞記事は書いています。

例えば山梨県教育委員会の端末から47都道府県(自分も含めて)それぞれにアクセスするについての認証方法などの問題は気が遠くなりますね。普通のインターネットアクセスとして考えたら47件のIDは同じでも同一のパスワードを使うのは危険が大きいはずです。覚えきれるものでは無いから紙に書いて端末の前に貼っておくなんてことはやってはいけない・・・(^o^) このネットワークは完全に閉じた専用回線(or IP-VPN)で運用されるのでしょうが、全国の経費は膨大なものになるでしょう。
1千万件の入力がどうのという以前に、このネットワークの構築方法やセキュリティ確保はどのように考慮されているかでしょう、私はそれがちょっと気になった、朝日新聞記事ではそこが不十分です。でも私には全く関係無いから詳しく調べる気にもなりませんが、そのうちどこかのネットセキュリティ専門サイトに出てくるかも知れません(^o^)

合言葉は「社保庁になるな」だそうですが、社会保険庁の場合は職員による個人情報の覗き見などがたまにニュースになってはいても、データベース作成の問題が大きかったのでしょう。それは未解決なわけです。しかし社保庁ネットワークからの漏洩という事件はあったかどうかすら記憶にありません、閉じた専用回線なので担当者の恣意的な操作でしか漏洩しないのだと思います。教育職員免許状原簿データベースのネットワークについて日経ITProの電子行政あたりで取り上げるかも知れないので注意していようと思います。

岩手県の仕様書を概観するかぎり紙ベースの原簿をデータベース化する作業だけのようです。「教員免許管理システム」というのが最終的に構築されるらしいが・・・都道府県毎に独自にデータベースを作ってそれを一元管理する、となるとデータベースの仕様は同一になるのか、同じ仕様のデータベースの入力単価は都道府県で大きく差があるものなのか・・私の能力ではよく理解できません(^_^;)
山梨県で何か情報が見えたらきちんと読んでみたいと思います。

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