遺伝屋ブログ

酒とカメラとアウトドアの好きな大学研究者です。遺伝学で飯食ってます(最近ちょっと生化学教えてます)。

明治天皇 (一)

2011-12-26 21:51:56 | 読書
ドナルド・キーンさんの著書です。角地幸男さんの訳。学者さんの書かれたものであるだけあって、論文のような作品です。あ、論文なのか? これ・・・。

ひと2011:あなたがいた ドナルド・キーンさん
毎日新聞のコラム記事に『3・11を境に多くの外国人が出国したが、「青い目」の学者が日本国籍を取得し永住する道を選んだというニュースは、多くの人々を励ました。』とありました。ほんにその通り。
国籍を移すことに実質的な意味はありません。それがなくともキーンさんは日本人以上に日本のことを知っている世界トップの日本研究者であり、日本の最高の理解者です。でも、あの震災発生を機会に日本帰化を決断された。その彼の気持ちで、本当に我が国と我が同胞(はらから)を愛してくれていたのだと、彼はただの『研究者』ではなかったのだということがわかります。その彼に日本人の一人として報いることが出来るとしたら、彼の著作を買って読むしかないでしょう。w

この第一巻は明治天皇というより大半が父の孝明天皇のことと明治維新について書かれています。日本の歴史読み物で一番不満なのは、日本人作家が『天皇』という登場人物に関しては巧妙に逃げている気がすることです。平家と源氏が台頭してから以降は確かに武士の世界を描くことで物語はなりたちます。しかし、幕末において孝明天皇と当時の公家についてきちんと表現されていないと全く片手落ちなのです。特に孝明天皇の異常なまでの異国人嫌いが血で血を洗う尊王攘夷の根源となったといっていいでしょう。ほとんど京都の御所に幽閉され、外の世界を知らない、いや、知ろうとしなかった天皇の好き嫌いが日本の歴史を大きく左右したのです。しかし、この混迷の時期が維新を貫徹させたといってもいいかもしれません。もし、簡単に幕府に丸め込まれて開国を認め港を早いタイミングで開けていたら、薩長の出番もなく、龍馬や弥太郎はさっさと外国へ渡って手広く商売をしてたかもしれません。(笑) 実際は攘夷のために外国人は受け入れられず、うっかりすると人斬りに殺されかねない状況が続き、日本に国を開かせようとしていた外国人達は体躯で圧倒的に劣るはずの日本人を警戒し恐れていたそうです。孝明天皇が35歳の若さで崩御された時、皇太子は10代で元服もしていませんでした。しかし、若き明治天皇は堂々と異人と謁見しただけでなく、外交官を招いて日本料理と西洋料理を饗するパーティーまで開いたり、閣議には積極的に参加、政務に没頭し、記憶力がよく、騎馬を好み、酒がやたら強くて、すんごい倹約家という日本史をどこまでさかのぼっても見つけられない君主でした。この巻の最後をキーンさんはこう述べて結んでいます。

父孝明天皇と同じわずか三十五歳で生涯を終えるようなことになっていたとしたら、この若者は単に王政復古の時代に君臨した天皇として記憶されることになったに違いない。長命と強い使命感が、この若者をついには歴代の天皇の中で最も名高い天皇に仕立て上げることになる。


庶民から君主にいたるまで、本当に上から下まで、あの時代にどうしてこれだけの人材に恵まれたのかふしぎでしょうがありません。それだけのポテンシャルがこの国の人にあるんだってことが、今の日本人を見てると信じられんつーか・・・・なんつーか・・・・

本日のお酒:立山 本醸造
コメント
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