ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 おーい、サーティンキューさーん、ブログ更新 STOP どしたの? 無事ですかあ~!?

2024-07-01 16:47:00 | サーティンキュー

サーティンキュー

マイケルさんが、まだまだ元気なので、嬉しくなる!

 
 
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★上のマイケルさんの元気な「声」を聴くと嬉しくなるな。やっぱり裁判所と戦うと「大きな闇」が降りかかってくるのかな?とか思ってしまうから。裁判所というのは、一般人から見れば、分からない「未知の世界」なわけ。マイケルさんは、リチャードコシミズとの闘いで、たまたま、裁判所との闘いに移動してしまったわけだが、結局、裁判所って、小さな小さな【村】だから、裁判所と戦うことは、何かの裁判に入った時にはヤバイの鴨?と思ってしまったのだが、マイケルさんの元気の今の「声」を聴くと、そうでもないな、と思い直した。
 
 
★自民党でもN国党でもつばさの党でも、失敗の原因は「お金」なわけ。善意の運動をする場合は、絶対に「お金」に警戒しなければならない。鷲が自称「善意の運動」を攻撃する場合は、絶対に「お金」関係から行くから。だから「お金」関係は、ビル・ロビンソン(☜ 誰も知らない昔のプロレスラーwww)のように、清潔なレスリングスタイルでなければならない!と思っている。今はネットが発達しているわけだから、無料でどんどんできる環境になっている!ということ。
 
 
★日月神示の黄金の巻の59帖に「金で世を治めて、金で潰して、地固めして、みろくの世に致す」と云う言葉があるが、この短い言葉が、今と近未来の絶対的預言だということ。今は「金で世を治めて、金で潰す」の現象である。だから意識的に「人間はお金ではない!」と発言しなければならない!若山キラトのように「この世はお金がすべて」と公言すれば「殺人犯で逮捕」である。太陽神が降臨している今は、言葉が審査されている!ということを自覚しなければならない。
 
 
★鷲が今のブロガーで注目しているのはマイケルさんのみである。ブログの方がユーチューブより優れている!と鷲は思っている。「文章」「写真」「動画」「ニュース記事」など多様なことで構成されているから。ユーチューバーから逮捕者続出なのは「お金儲け」の要素が第一だから。古代から「お金は呪われている!」と云われてきたが、今回の宝島龍太郎の事件で日本人は、「お金は呪われている!」ということを学ばねばならない。言葉で「お金儲けは素晴らしい」とか言えば、若山キラトのように裁かれるだろう。カネカネカネの時代に、「お金儲け無しの善意の運動」をやるのは、難しいのか?と問えば、別に難しくもない。マイケルさんには、そこを期待する。リチャードコシミズも「ネット乞食」をしていたから、今の哀れな姿に堕ちたと鷲は思っている。そして「ネット乞食」をしていた平塚正幸は「女子中学生を妊娠させた」という最低最悪に堕ちた!ということ。

 
 
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 2024年5月26日の「 内縁の妻 」といった投稿記事を最後に、あのサーティンキューさんが沈黙してる。

 これを書いてるのは2024.7.1だから、つまりサーティンキューさんはまる1か月と4日も沈黙してることになる。

 僕もザ・マイケルブログの更新を途切れさせたことはあるけど、僕の更新滞りとサーティンキューさんのそれとは意味がちがう。
 サーティンキューさんは2011年の6月にエキサイトさんに自身のブログを開設してから、更新を途切れさせたことは1度もないひと。
 2013年あたりまでは月に4度とかいう、わりかし一般ブログ的な更新回数であったのだけど、2017年あたりから更新回数はやたらに上昇して、月に80とか90とかいう数字がむしろ普通みたいな過激状態になっていった。

 2021年あたりになると月70、80はもう当たり前!
 月に100回の更新を超えることも全然珍しくなくなってきた。
 月に100更新ってことは、1日平均3.33333・・・・新記事をあげ続けるって ――― これは凄いことだよ。

 リチャードコシミズとごちゃごちゃやってたこの時代に、僕は、サーティンキューブログにコメントしたのが契機で急速に仲良くなって( 横浜のジョナサンでコメしたら瞬時に返事が返ってきたのでした。あれはびっくりした )、コラボの記事全然いいですよ、はてなさんにあげた自分記事を引用してマイケルブログで使ってもらっても一向に構わないって本人許可までもらって、それでもって < サーティンキュー&マイケル > の一連の異種コンタクト・コラボ記事が誕生したわけなのよ。
 



 サーティンキューさんと僕とは、考え方もキャラもまったく違ってる。
 サーティンキューさんは札幌在住だし、僕は横浜だし。
 僕等に共通していたのは「 カルト 」とのバトルです。
 サーティンキューさんは五井野正、僕はリチャードコシミズと司法 ――― うん、司法って権力もカルトなんだと今の僕は思ってる。
 それ以外はどっちも井上陽水が好きだとか、共に音楽をやってた経験があったとかぐらいしか共通項はなかったんだけど、どういうわけか馬が合った。

 僕はサーティンキューさんの「 風圧をまとったヘビー言説 」が好きだったし、サーティンキューさんも僕言論をめっちゃ気に入ってくれた。
 ま、月並にいえば「 ダチだった 」ということになるのかな?
 実際には電話で話したこともないし、会ったこともないんだけど、それでも分かりあえることって人間あるじゃない?
 その大事なダチが、2024.5.26を境にふっつり消えた。
 しかも、サーティンキューさんが僕ブログ更新停止の2か月を心配して、自身ブログでわざわざ心配記事をあげてくれたそのすぐ後で。

 これは、心配だよ、やっぱ・・・
 


 ほかの知人だったら連絡がちょっと途切れたくらいで心配なんてしやしないんだけど、サーティンキューさんはべつ。
 昭和のパトスを特大の大釜でごんごん煮詰めて、その上からマコンドラの粉末を大量にふりまいた ――― みたいな異常な熱さを、僕はサーティンキューさんとの付きあいから体感していたからね。
 これは、ただごとじゃない、と思った。
 脳梗塞で倒れて死んだのか、もしくはふいの事故か、さらには会社が潰れて夜逃げでもしたのか、とも思ったな。
 あのサーティンキューさんが生半可な事情でブログ辞めるわけがないもの。






 1年前の今日、すなわち7月の1日、僕は大学時代の親友・内山一英の魂の弔いのため、淡路島の志筑の寺を訪れていた。
 身体をわるくして人工透析の生活になっていたのは聴いてたけれど、彼本人と、去年の4月くらいから全く連絡が取れなくなっていたんだよね。
 携帯も固定電話も通じず、Facebook の更新までが途絶えてる。
 まさかお前、死んでるんじゃないよな? なんてライン入れても、いつまで経っても既読がつかない。
 淡路で人工透析やってる病院にかたっぱしから連絡入れてみたけど、あいにくその頃は日本中 GW のまっただなか。
 GW 明けの初日の通勤をいつもより早めて、淡路の透析病院に次々と連絡してたら、3軒目のナースが初めてこう答えてくれた。

—――― あの、ホントならこういう個人情報は話しちゃだめなんですけど、ご友人でしたよね? ・・・ああ、そうですか・・・はい、お問い合わせのその内山さまなら、確かに透析のためウチに通われていたことがございます。・・・ただ、ウチからもまた転院されて・・・そちらで亡くなられらた、と聴いております・・・。

 自我の底に小さな穴があいて、そこから薄気味わるい黄泉風が吹きあげてきたみたいな感触だった。
 ただただ脱力 ――― ああ、これから俺は、アイツのいない世界でずっと生きていかなきゃいけないのか・・・といった諦念に近いやるせなさ。 
 そういった目に見えないゲル状の靄にあたりの空間を閉ざされて、僕は、自分が、鵠沼の夏祭りのなかで握っていた母親の手をつい離してしまい、すぐさま雑踏に流されてもみくちゃにされ迷子になった、遠いむかし、4才当時の、不安しかなかった過去自分に揺れ戻った気がした。

 もしこのままサーティンキューさんがブログに戻らないなら、僕が大事なダチを失うのは、これで4人目ってことになる。
 最初は、大学のときグループを組んでいた、天才ギタリストの家高 ――― 家高は、ギターを教えに生徒のもとに原付を飛ばしているとき、駅ターミナルから急に飛び出してきた社会科教師の乗用車にぶつかって死んだ。彼がプロになってからすぐのことだった。

 2人目は、陳家太極拳の師範代をやってたドン大塚 ――― ドンとはキックミットをもってあちこちに出かけ、野外でやたらに武術稽古をした。皇居の東御苑の大奥跡の芝生で稽古して、警備から追い出されたこともある。ドンは、 夜中に固形燃料を使って自宅庭で調理してるときに、ふいに死んだ。お袋さんが解剖を拒んだんで、死因はいまもって分からない。

 3人目が内山だった ――― 大学の寮で家高を交えてよく一緒に演奏してた。内山は絶対音感をもってて、僕が歌うと「 イーダ、いまの歌のサビのE またフラットしてたでぇ! 」といつも生真面目に修正の注意を入れてきた。アタマも良くて、卒業後は家庭教師と調律師をやって喰ってたみたい。最後に大阪で会ったとき、あんな話もすればよかった。こんな話もすればよかった。もっとあいつの病気に寄り添って、話なんかもよく聴いてやればよかった。それなのに俺は自分勝手に、内山からすれば遠い話のカルトとのバトルだとか、講演会潰しのあれこれの活動だとか、さいたま地裁に浦和警察が雪崩れこんできたときの回想実況だとか、裁判官の不正についての憤りだとか、そんな物騒な話題ばかりわがままに喋り散らしたりして・・・


 サーティンキューさんとの付きあいというのが、彼等3人ほど近くて濃厚なものじゃなかったというのは事実。
 でも、僕は、サーティンキューさんとの付きあいが、彼等3人みたいに深いものじゃなかった、とは思わない。
 ですから、彼の近況を知るお弟子さん筋の方や、リアルなサーティンキューさんの詳細を知る方がおられましたら、僕ブログのコメント欄までどうかご連絡ください 。
 僕の今日の記事は以上です ――― お休みなさい。 (了)



Bach - Prelude and Fugue in E flat minor, BWV 853. {From WTC Book 1, No.8.} Pianist: S.Richter.






💎 石垣事件の最高裁判決やっぱ棄却 ―― 大笑いだぜ、 Ugly law house!(笑)

2024-06-28 23:08:18 | 石垣陽介

< 最高裁 第一小法廷 西田三佐子書記官への電話 >



 Hello、マイケルです ―――。
 まる2年かけて僕等が追いつづけていた、「 石垣陽介の108つの誤記と裁判調書改竄事件 」が、この6月13日に
最高裁で棄却となりました。
 つまりは「 負け 」ですわ。
 予想はしていたんだけど、なぜだか笑ったー! こうまでして隠し通すとはね~(笑)
 ただ、これ、「 偽公文書の作成及び行使 」についての事件ですからね。石垣裁判官( 彼、このミスでさいたま地裁民事5部から旭川地家裁所長に13か月左遷を喰らってます )のギガミスを庇った、他裁判官も皆この「 石垣隠蔽事件の共犯者 」なのであります。





 

 僕等の3333号事件を担当した1審の裁判官は丹下友華であり、1審の判決後、彼女は現役裁判官から司法研教官へと左遷されてます。
 平行裁判21202で僕等に判決日も告げずに法廷から逃げた佐藤彩香は、判決の2日後、最高裁の参事官に左遷、そして、石垣事件前身の令和2年(ワ)1818号の2審を担当した高橋譲高裁総括判事も、めでたい円満定年まであと7か月だというのに、僕等の3333号国家賠償訴訟が提起されるやいなや、高裁から逃げるように自主退官して、手近な天下り先にこっそりと逃げやがりました。








 実は「 偽公文書の作成及び行使 」というのは、10年までの懲役刑が課せられている、大変な重罪なんですよ。
 時効もロングの7年ときた。もうヤバイもヤバイ。法曹人としてそのことを知らないひとはいない。
 痴漢とかの誰でも厭うような不祥事ならば、個々裁判官のそれぞれの人格のせいにして、司法組織の威厳と信用は損ねないで済む。
 でも、僕等の石垣事件に関しては、そうじゃない。
 彼の「 膨大誤記 」「 裁判調書改竄 」は、それくらい破格の水爆級のものであったといえましょう。
 
 そして、この事件には、複数の裁判官や書記官やらがやたら関連しております。
 もう彼個人の範疇を悠々超えてきちゃったんですね。
 633号の2審の高橋譲が633判決の石垣誤記をささーっと勝手に修正して、しかも、それを差し戻すこともしないで通しちゃったもんだから、その刹那からこの案件は「 石垣陽介個人のミス 」じゃなくて「 関連した裁判官と書記官全員に関わる超・危ないパニック案件 」へと姿を変えた。

 ですから、僕等と対峙するどの裁判官も、みんな蒼白顔で出向いてくるほど必死でした。
 皆さん全員、合戦場に向かうむかしの足軽みたいだったよ、マジで。
 3333号の国の代理人・内田高城氏なんて、高裁の待合室で僕等と偶然すれ違った際、あかねさんが「 こんにちは~ 」って挨拶したら、びっくりして飛び上がってたもんなあ(笑)

 あれにはこっちもびっくりしたよ~、うん(笑)




 
 僕等が「 誤記 」と「 裁判調書改竄 」について訴えているのに、どの裁判官もどういうわけか「 誤記 」についても「 裁判調書の改竄 」についても、とうとう誰ひとり法廷内で口にすることはなかったんですよ、これが。

 超・異常すぎ! これはつまり、原告の提示に全く触れない「 審理不尽 」であり「 弁論主義の違反 」でもあったのです。
 
 これは、いうまでもなく異常な行為であり、異常すぎる作戦でもあります。
 石垣クンのメガミスがあまりに凄まじかったから、そうでもするより仕方なかったんだろうな。
 けれども、< 法廷で審理しなければ、その事件は存在しなくなる作戦 >とでもいうあなたがたが取った作戦はさ、まずかったよ、やっぱ。
 
 だって、あれら、裁判じゃなくて魔術 だもん(笑)

 いまはいいよ。僕等の訴訟を力技で退け、あんたがたは今ようやくホッとできているのかもしれない。
 でもさあ、歴史ってのはそんなに甘くないからさ。
 十年経ってから復讐してくることなんかもよくあるし、ね。
 たとえばこれ、僕等の令和4年(ワ)3333号の第1審の判決なんだけどさ、よ~く見てごらんよ。
 書いたのは、この判決後1週間で東京地裁判事から司法研教官に急速左遷で流されちゃった丹下友華なんだけど、スゲーよ、これ ―――




   はは~ん、108つの石垣誤記に関する細分表は、僕等出してたじゃん!?
 ニッポン司法ってここまで〇〇なのかって、これ読んだとき僕等は思ったよ。
 なんだったら、ここで全部の誤記をいちいち説明してあげましょうかあ? というと、いやいや、それはやめてくれ、と萎む友華ちゃん 💔

 なんか、これまで僕等が法廷で対峙した陰謀論者たちみたいだったよ。
 最高学府を出た( 注:いま現在の裁判官は最高学府出じゃないひとが多い。最高学府卒が多いのは弁護士かな? )あなたがたが、ニッポンカーストの裾野の彼等と瓜二つに見えた ――― あのときは・・・。

 でも、彩香ちゃんの過ちは、こんなもんじゃなかった。

 



 あのさ、裁判調書改竄っていうのは、僕等、以下の3枚のことをいってるの ―――!








 令和元年(ワ)第633号事件の裁判調書。
 石垣陽介が超しくじりをやったときの、この裁判調書3部をごらんってば。
 第1回目と第2回目の裁判調書は、さいたま地裁民事5部の佐々木智穂書記官が担当した。
 で、3回目からが民事5部に新たにやってきた、森本清美書記官の担当さね。

 でさ、なんで佐々木智穂さんが作ったはずの第2回目の裁判調書の書式が、第3回目から担当した森本清美さんのとクリソツ100%なわけ?

 というより、同一人物( 佐々木智穂 ) が作ったはずの第1回目の裁判調書と第2回目の裁判調書の書式が、なんで全然ちがう形式で書かれているわけ?

 こんなん、後任できた森本清美書記官が書き変えたに決まってるやん!( 注:司法ではいまだに一太郎を使用しており、裁判調書の書式は個々で作るのです )

 僕等、去年の夏にこれを刑事事件にしようと思って、浦和署の捜査二課、知能犯罪課の刑事さんらのところにこれ持っていって見せたのよ。

 その前年の冬には、旭川署の知能犯罪課の刑事さんにも、同じようにこれを見せてたの。

 彼等全員、なんていったと思う?


—――― ああ、これは、コピペですね・・・?


 全員が全員、迷いもなくそういったのよ。
 誰が見たってそう思うよ。
 それを3333の丹下友華は、なに世迷言吹いてんのよ!?

「 108つの誤記は多いとはいえない 」
「 別々の書記官が何も先入観を持たずに担当口頭弁論の調書を書いた場合、その書式が全き同一になるのは、よくあることだ 」ですって~?

 はーっ!?
 これだけの同一が偶然起きる確率って、千分の一以下だよ。
 森本書記官が石垣裁判官の指示を受けて、第2回目の佐々木智穂の口頭弁論調書を改竄した、とするほうがよっぽど自然じゃないの~?




 マジ、狂った裁判続きだったよ、石垣陽介の誤記 & 改竄裁判は・・・。

 けど、僕等は負けたなんて思っちゃいませんよ!
 これは、司法史において、あの袴田事件や大田原工業の事件にも連なる、悪夢のような国家的事件です。
 僕的には、これ、戦後最大クラスの超・事件だと思ってる。
 現実の手続き事件としては、僕等は負けた。けれど、僕等は諦めない。
 BBCにも、他機関にも、この司法の、戦後最大の汚辱事件について迫っていきたいと考えたりしています。

 今夜の僕の記事は以上です ――― 次回は実名での戦犯晒しをやります ――― お休みなさい。 (^o-y☆彡

 

 

欧州映画50+50 スペイン 第11作「ミツバチのささやき」 グランプリ受賞! | 人生・嵐も晴れもあり!

 



 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 

 

 

A


💎 マイケルブログ 100万view 突破記念 「 小泉龍司法務大臣への上申書 」!

2024-06-12 19:18:07 | 石垣陽介




   上 申 書

 

 小泉龍司法務大臣 殿


はじめまして。お忙しいところ、失礼いたします。

今回お伝えする内容は、国の根幹を揺るがす重大な案件であり、大臣もホームページで「公平で公正な社会を守ることが政治の最大の使命」だとおっしゃっていますので、思い切ってご連絡差し上げます。

文書での説明が不十分でしたら、お伺いし口頭で説明いたします。

現在、一部の裁判官の間は「露骨な本人訴訟差別」が横行しています。
にわかには信じていただけないかと思いますが、本人訴訟同士の裁判の際、判決文を素人に作成させている可能性があります。添付の証拠をご覧くだされば、一目瞭然だと思います。この件に関しては、後ほど詳述します。

これだけでも大問題になる事案だと思いますが、私たちは、この他にも、口頭弁論調書の不正、裁判官が平気で本人訴訟の当事者に対して稚拙な嘘を付く、一方の当事者に露骨に便宜を図る態度などを目の当たりにしました。

 

現在、この判決文と、後述する口頭弁論調書における不正等を争点に、国家賠償請求訴訟(最高裁/第一小法廷)をおこなっており、形式上の被告として大臣のお名前を書かせていただいております。

国側の担当者は、内田高城氏という方です。
彼は言うまでもなく、完全な第三者であり、事実についてはすべて不知であるはずが、事実上の被告である石垣裁判官に有利なように、虚偽事実を断定し、裁判官も当事者である私たちではなく、第三者の内田氏の主張を無条件に採用し、一審、二審は裁判の体をなしていません。

 

旭川署と浦和署の知能犯係の刑事たちにも、判決文や調書を見せて相談しましたが、当然、私たちと同じ見解です。
つまり、この判決文は誰がどう見ても「異常」だということです。これを問題視しない国民は存在しないと思います。

裁判官の給与は国民の血税であるという以上に、裁判官は国民の訴訟後の人生(時には命) までを左右する存在なのですから、私たち国民がこの杜撰な判決文を問題視するのは当然のことです。

 

私たちが問題にしている訴訟は、令和元年(ワ)第1818号慰謝料請求事件/さいたま地裁(以下、1818号訴訟) で、担当裁判官は石垣陽介氏、書記官は、第1回(R1.12)と第2回口頭弁論(R2.3) が佐々木智穂氏、第3回(R2.6) と第4回(R2.8) が森本清美氏でした。

被告は陰謀論カルト団体の構成員の女性2名、争点は名誉毀損、プライバシーの侵害、脅迫、スラップ訴訟等でした。傍聴席には毎回カルト団体の仲間が座り、彼らは次々に飯田( マイケル )を提訴していました。日本以外の先進国では、スラップ訴訟ということになります。

第3回が結審で、第4回が判決でした。私たち原告は判決日には、出廷していません。

石垣裁判官は、現在、仙台高裁に総括として在籍し、森本書記官は昨年春までは確実にさいたま地裁に在籍、佐々木書記官は、令和2年3月から6月の間に退官した可能性があります。

このような判決文を作成し、何ら悪びれる様子のない裁判官が、現在、高裁の総括を務めていることに恐怖すら感じています。
彼の前任地は旭川地家裁の所長でした。

 

裁判官は倫理観の欠如した人間でも務まるのか? 当然そのようなことはないと思われます。
なぜなら、居眠りや体調不良による無断欠勤でニュースになり、SNSの投稿で解雇されているからです。他の職業より、本来は高い倫理感を要求される裁判官ですが、石垣裁判官だけは特別な存在なのでしょうか。

しかも、石垣氏本人が反省し、再発防止を誓っているのならまだしも、彼は自身を被告とする裁判で、自身の杜撰さや不正を追及されると、逆切れしたのか「失当だ」と一言返すのみで、何ら反省しておりません。

石垣裁判官の作成した判決文は、二審の高橋譲裁判官( すでに依願退官・現在はおそらく社会保険審査会委員長 ) によって、70箇所以上訂正され、私たちが石垣裁判官によって杜撰にまとめられた1818号訴訟の被告の不法行為を分解し、高橋裁判官の基準で数え直すと優に100を超えていました。

そしてその誤記の種類は、人名、地名、原告2名と被告2名の混同、原告同士、被告同士の混同、日付などありとあらゆるバリエーションがあり、名誉毀損が主な争点であるにも関わらず、私信であるショートメールと、誰にでも閲覧可能なtwitter( 現X ) を多数混同していました。

そして何より、名誉毀損と表記すべき箇所を、名誉棄損と誤り、その数は 7 箇所にも及びます。

 

弁護士に判決文を見てもらったところ、法律を生業とする者が、「名誉毀損」の文字を誤るということは考えにくいそうです。

私たちは法学部を卒業したわけでもなく、法律関係の仕事にも就いたことはありませんが、何度か裁判を経験するうちに、「名誉棄損」という字面に違和感を覚えるようになっています。法律家ならなおさらでしょう。

そこで、この判決文は、法律の専門家が作成したかどうかも疑わしいという結論になります。

弁護士2名に確認したところ、判決文には誤記があっても数個のケアレスミス程度であり、このような、むしろ誤記の方が多いとさえいえる判決文は、彼らの20年以上のキャリアでも見たことも聞いたこともないと断言しています。

私たちもグローバル企業から中小企業までいくつかの職歴がありますが、例え新入社員であろうと、ここまで低レベルな書類は見たことがありません。

少なくとも弁護士が介在している訴訟には、このような杜撰極まりない判決文は存在しないようです。これは露骨な本人訴訟差別といえます。

ここまで杜撰な裁判だったのは、私たちが本人訴訟であるからだと思います。弁護士がいるなら、裁判官の体調不良による遅刻ですら、報道されています。押印を忘れるような些細なケアレスミスでも下級審に差し戻されています。

石垣裁判官の訴追の請求をしましたが、時効にかかってしまいました。

 

1818 号訴訟の途中で森本書記官に交代したのは、佐々木書記官が退官されたという理由かもしれません。当時は、別の部署に配置転換になったのだと認識していました。ちなみに佐々木書記官は、定年退官されるような年齢の方ではありません。

後述する理由で、佐々木書記官の所在をさいたま地裁に電話で確認しようとしたところ、地裁ぐるみで彼女の所在を隠しており、浦和署の刑事も電話をしてくれたようですが、取り次いではもらえなかったようです。刑事さんの方から電話でのちほど謝罪がありました。

また、さいたま地裁の別の書記官から、高圧的に「 私たちは国民全体の奉仕者であり、あなたの奉仕者ではない 」という心無い言葉が返ってきたこともありました。

事情を知らない書記官なので、私たちを単なるクレーマーだと思ったのかもしれませんが、民間人の感覚としては、身内がこれだけ杜撰な仕事をしておきながら、非常に残念な対応だと感じてしまいました。

判決文の疑惑以外にも、森本書記官と佐々木書記官、あるいは、森本書記官は虚偽公文書作成等罪に抵触している可能性があり、こちらも証拠を添付しますので、ご確認ください。

 

口頭弁論調書は当然、公文書ですが、第3回口頭弁論から担当になった作成権限のない書記官(森本清美・さいたま地裁)が、前任者(佐々木智穂・さいたま地裁)の作成した第2回調書のオリジナルを毀棄した痕跡があります。佐々木書記官の調書には、石垣裁判官にとって都合の悪い内容が記載してあったのでしょう。その内容も容易に想像できます。

裁判官が審理も尽くされていない第2回口頭弁論から和解を急いだり、裁判官が事件の内容をほとんど理解していないことを隠すかのような捏造が多数なされています。

釈迦に説法ですが、口頭弁論調書の毀棄は違法であり、当日裁判に立ち会っていない書記官がその日の調書を作成することも当然違法です


担当裁判官が作成していない判決文、権限のない書記官が作成した口頭弁論調書は、虚偽公文書に当たるはずです。

証拠を見てもらえばわかりますが、佐々木書記官に、第2階口頭弁論調書を見せ「これはあなたが作ったオリジナルなのか?」と聞くだけで、調書の不正に関する疑惑はクリアになります。しかし、佐々木書記官の存在はそれだからこそ意図的に隠されています。

 

私たちは裁判で確認しようと、書記官2名を提訴しましたが、森本書記官の訴状はさいたま地裁経由で本人が受け取りましたが、佐々木書記官の訴状は、郵便局から戻ってきたそうです。これは、令和元年(ワ)21202号事件担当の古坂美乃利書記官から直接聞きました。



 

確かに、私たちの1818号訴訟は、原告が2名で被告も2名、被告は陰謀論カルト団体のメンバーで訴外人が多く、おまけに被告らは3年も前から、私たちにネット( ブログやSNS ) を使った嫌がらせを続けていました。

そして、ネットだけではなく、昼夜を問わず膨大な数のショートメールを送りつけてくる嫌がらせもありました。( 石垣裁判官によると、こうしたものも、脅迫的な内容でないため問題がないそうです。数などは一切考慮していません )

つまり、1818号訴訟は多少複雑で、インターネットに不慣れである場合、戸惑うこともいくらかはあったかもしれません。

しかし、私たちは、裁判の前半(R2.2)で、石垣裁判官の指示により、被告の不法行為をわざわざわかりやすい一覧表にして、石垣裁判官に提出したりもしているのです。

石垣裁判官は、失礼ながら相当 IT に疎い方なのですが、一覧表をわかりにくいと思うのならば、私たちへの質問や作り直しを指示する機会が、提出後、2回もありました。しかし、そういった質問や指示は1度も受けないまま、さらには当然しなければいけない当事者尋問もないまま、結審となりました。

彼は判決文の作成を引き延ばし、作成段階になって初めて、一覧表に目を通した可能性があります。

 

1818号訴訟に先行する同じさいたま地裁の訴訟として、1818号訴訟の原告と被告がそのまま入れ替わった633号という訴訟があったのですが、それの結審の日に、原告らカルト団体のメンバー7〜8名が、被告だった飯田1人を裁判所の敷地内で集団待ち伏せする事件が発生しました。

その後に1818号訴訟が控えていることから、同じようなことがあっては危険だと考え、警察官から厳重注意をしてもらおうと、110番通報しました。

1818号訴訟の前年には、裁判所敷地内で、夫が妻を殺害する事件も発生していますので、私たちが彼らの集団待ち伏せを警戒するのは当然のことでしょう。

浦和警察の生活安全課の猛者らがさいたま地裁に臨場した時、すでにカルト団体のメンバーは立ち去っていましたが、これも脅迫行為として、1818号の争点にし、書面にも顛末を書き、石垣裁判官本人にも法廷で説明しましたが、彼は露骨な弁論主義違反を犯し、「 飯田が110番通報しただけ 」と1818号の判決に書き、つまり「 警察が臨場したかどうかは不明、被告らの行為は問題がなかった 」という風に処理をしてしまいました。

ちなみに、633号も1818号も要警備事件であって、1818号では633号より更に厳重警備となっていました。私たちは開廷の30分以上前の出廷が要請され、帰りは先に法廷から出され、門までの護衛がつきました。

被告らの前には、被告らの正面を向いて制服組の特別警備員らが複数( 総計して十数名 )配置され、私たちの方に警備員はいませんでした。明らかに護られていたのは、私たちの方なのです。

裁判所も待ち伏せ行為が危険だと認識したからこそ、警備がより厳重になったと考えるのが自然でしょう。にもかかわらず、石垣裁判官の判決では、驚くべきことに「 待ち伏せは何ら問題のない行為 」とされてしまったのです。

 

飯田は陰謀論カルト団体を批判するブログを運営しており、自分たちのネット上でのハンドルネームが飯田のブログ内に記載されたとし、(待ち伏せ事件のあった) 633号と、東京と前橋で、飯田を提訴していました。

カルト団体から、飯田への訴訟は、1818号訴訟より前に3件、後に3件( 新潟、東京、前橋 )がありました。

日本ではいまだ法整備がありませんが、これは、欧米先進国では「 スラップ訴訟 」と呼ばれているものです。それも、石垣裁判官に主張しましたが、彼は「 スラップ訴訟 」と言う言葉を、初めて聞いたような顔をし、スラップ訴訟の主張を纏めるようにと、2度も同じ指示を出しました。

 

現在、袴田事件の再審で、現職の裁判官が警察側の捏造にまで言及していますが、このような高校生のイタズラ書きのような判決文を作成した石垣裁判官が、その後、地裁の所長になり、高裁の総括を務めています。他組織の捏造に言及する資格はないと思われます。

 

日本という国を愛する私たちは、日本の裁判官のレベルを憂慮し、国家賠償請求と、石垣裁判官本人を提訴しましたが、石垣裁判官は「 失当だ、争う 」と心ない言葉で一蹴しました。

一審を担当した増子由一裁判官は、石垣裁判官に出廷を求めてくれましたが、それも無視しました。

 

二審の吉田徹裁判官に、「 石垣裁判官が私たちの書面を読んでいるとは思えない 」と言うと、「 裁判所は見ていますから・・・ 」という、石垣陽介の罪を暗に認めているかのような、いくらか悔恨めいた返答がありました。

 

ただ、問題なのは、やはり国家賠償請求訴訟の方です。もちろん、石垣裁判官、森本書記官、佐々木書記官の証人尋問を申請しましたが、一審の丹下友華裁判官は聞く耳を持たず、驚くような詭弁にまみれた石垣裁判官擁護の判決文を作成し、二審の谷口園恵裁判官に至っては、30ページ近い控訴理由書に対し、実質2ページほどの判決文を作成し、内容も、私たちの理由書を読まなくとも書けるような杜撰極まる内容でした。

私たちが石垣陽介裁判官の「 誤記 」と「 裁判調書の改竄 」を争点として提訴しているのに、一審でも二審でも担当裁判官が「 誤記 」「 裁判調書の改竄 」「 石垣陽介裁判官 」という言葉を決して発しない。
つまり、「 審理ということ 」を一切やらない。
公文書に残された夥しい石垣裁判官の不正の証拠も、法廷で争ったりせず、法律事件として存在しないことにしてしまえば、それは事件になんてならないのだから ―――。

これは、恐ろしい隠蔽方であり、不都合な現実殺しであり、民主国家の理念に対する「 叛逆 」ともいえるのではないでしょうか?

最高裁判所の裁判官なら、下級裁判所のような杜撰な裁判官は存在しないと思うので、意図的な弁論主義違反や詭弁を弄して本人訴訟の当事者を軽視するようなことはないと思い、現在、私たちは静かに判決結果を待っています。

 

ちなみに私たちは、2018年春頃から、自身のブログで陰謀論カルト団体を批判したことによって、スラップ訴訟の攻撃を受けており、この団体は、10年前、不正選挙訴訟を争点に、法廷で暴れ逮捕者まで出しています。現在はコロナのワクチンには意図的に毒が入れられ、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏が人口削減計画を目論んでいると主張しています。

同様の主張をしている、神真都Q(ヤマトキュー)、国民主権党の党首平塚正幸氏、つばさの党の黒川敦彦氏ほか2名も逮捕されていますので、大臣もご存知のことかと思います。

石垣陽介裁判官の不法行為、不正を以下にまとめます —―――。

 

1.判決文の誤記
二審で70箇所訂正されている。素人に作成させた疑いあり。

2.裁判調書の改竄
権限のない書記官に、自分のエラーを隠すかのような調書の改ざんを指示した疑いあり( 書記官個人には改竄するメリットはありません )。

3.書面の未読
結審まで、書面にほとんど目を通していない、内容を理解していない可能性あり。

4.和解の急ぎ
第2回口頭弁論から和解を急ぎ、書面を放り投げ癇癪を起こした。

5.和解金提案
石垣裁判官の精神状態を心配し、この裁判官に判決文を書いてもらうのは不安だったため、第2回口頭弁論直後に「 50万円の和解金で、和解に応じる 」とする旨の書面を郵送したところ、被告らも「 自分たちに50万円を支払えば、和解に応じる 」とする内容の書面を提出( おそらく第3回口頭弁論に持参 )してきた。すると石垣は、被告が原告( 私たち )に対して慰謝料を請求する準備書面を出していないにも関わらず、和解で裁判を終わらせようとした。

6.判決の甘さ
判決の結果は被告に対して非常に甘く、これは過去の判例と比較しても明らかに不当です。飯田の場合、ブログのコメント欄に第三者が投降した軽い揶揄が不法行為とされましたが、1818号訴訟では、精神異常者等の名誉毀損でも問題がないとされました。これは、「 法廷で私たち原告の完全敗訴を予告してしまったため、その予定されていた判決結果に合わせるように、被告優位に審理を調整したため 」であると考えられます。


石垣陽介裁判官は裁判判決に「 108つの誤記 」を残し、さらには 「 裁判調書の改竄 」という行為まで行なったのです。
特別警備付きの危険な裁判で待ち伏せという不法な行為が起こったのに、それは「 飯田が電話しただけ( 判決書ママ )」と1818判決( 公文書)に書き、後日、飯田がこのときの浦和警察のさいたま地裁突入の記録を情報公開で申請し入手して、それを証拠にして控訴をすると、二審の高橋譲裁判長「 警察はきた 」と石垣判決を翻し警察突入の事実を認めたが、石垣のこの事実改変を「 裁判判決の疵 」としては決して捉えなかったし、この事件を差し戻そうともしませんでした。

2024年5月23日、裁判官のたったひとつの押印忘れが「 判決が完成していない 」ものだとして判決を破棄し、差し戻した名古屋高裁の英断と、これは何たるちがいでしょうか ―――!?


私たちは夥しいスラップ訴訟により、これまで26名の裁判官を見てきました。うち、3名( 石垣陽介、丹下友華。谷口園枝 )は、国民の訴訟を担当してもらいたくないほどの問題があります。わけても丹下友華裁判官谷口園枝裁判官は、石垣陽介裁判官を不当に擁護する目的の「 意図的な弁論主義違反 」を犯しています。

これは、もはや一裁判官の犯罪だとか過ちだとかの問題ではありません。
ニッポン民主国家への叛逆であり、国民の「 裁判する権利の抹殺 」といえるレベルにまで達した、記念碑的な、未曽有の司法大事件 である、と私たちは考えています。
日本人の人倫への挑戦のようなこのような行為を( しかも個人ではなく多数によるもの )を、許してはいけない。

私たちへのヒアリングがありましたら、ご連絡ください。いつでも対面してご説明いたします ―――。


以 上。

 

 

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カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 


💎 正義はなぜ美しいのか?( 副題「 無意味の国のアリス 」に捧ぐ )

2024-05-28 20:20:20 | 石垣陽介



 
 生まれてこの方、四六時中、どんな瞬間も逃さず、僕の耳に貼りついてくる言葉がある。

—――― 美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくって大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であって、毫も軽蔑すべきところはない。そして人間は、美しいもの、楽しいこと、ゼイタクを愛するように、正しいことをも愛するのだ・・・。


 文士・坂口安吾の言葉だ。

 あまりも率直であり、正義そのものを理想の神棚に飾ろうとする気配は微塵もなく、その上ここでの正義は、宗教的な見地からいうと一般的には悪徳領域に属するであろう贅沢や娯楽や成金趣味などと対等に語られてもいて、それはあたかも僕が家の近場に散歩にいったとき、春の野っぱらを見て、ああ、キレイだな、と普通に詠嘆するときのようにあやゆる力みから解放されており、そんな柔らかな自然体で歌うように語られる彼の正義は、あのジャンヌ・ダルクの聖女伝説よりも僕の耳にすーっと染みてくる。

 この感触は、正義と対に分類されるはずの「 悪 」に対しても違和感をもたらすように働いて、最近の僕は、キリスト教の教義でよく使われる「 正義 vs 悪 」といった、いわゆるハルマゲドンスタイルの、ドラマチックな二元論図式もだんだんと身に添わない感じになってきた。

 「 悪 」イコール「 鉄の軍団 」といった抽象図式が、どうにも腑に落ちないのだ。
 「 巨悪 」という壮大すぎるイメージが、まず気に喰わなくてね・・・。

 映画「 羊たちの沈黙 」の主人公であったレクター博士は、ほとんど悪の究極ヒーローといった趣きだったが、肩をいからせまくって僕等に迫ってきた多くの陰謀論者たちや、石垣陽介の不正を必死になって隠蔽しようとした数々の裁判官、書記官、事務官などの法廷での餓鬼じみた対応を思い起こすと、いやいや、レクター博士やディープステイトとかいう各々の巨悪の表現は、悪という存在をより劇的により面白く見せるための演出の工夫に過ぎなくて、ほんとの悪っていうのは、あんなにがっちりきっちりしたものじゃ全然ないぞ、僕等がこれまで実際に見てきたように、せせこましくて、臆病で、辻褄合わせもいい加減で、とっちらかっていて、無責任で、各々のエゴイズムから互いの連携すら取れてなくて、要するに果てしなく杜撰で、だらしなくて、みっともない性質のものなんじゃないのかな?

 うん、みっともなくてみすぼらしい、存在自体が不潔であるとしか表現できないちっぽけなもの ――― というのが、僕の「 悪 」に対する最近の認識ワードなんだ。
 西欧的な「 悪 」の鋳型は、あれはリアリズムじゃなくて、ロマンティックな誇張なんじゃないか。
 なぜ、戦乱をあんなに多く経験したすれっからしの西欧が、これほどデフォルムされた「 正義 vs 悪 」図式の単純すぎる神話を必要としたんだろう?
 
 「 巨悪 」といった概念のうちには、僕等の窺いきれない、不自然でいびつなトリックが仕掛けられている。
 実際、この世の誰も「 巨悪 」なんて存在を生で目撃したことはない。 
 僕等が実際に見たり触れたりできるのは、悪世界の最前線にいる、出来損ないみたいな三下の足軽連中ばっかりで、僕等は彼等の発する腐臭に鼻をつまみながら、それにいくらか気圧されて、なんだ、この凄まじい連中は? こうした腐臭兵士をこれだけ駆りだせる権力を持っている誰かが、この軍団の背後にはいるのだろうか? と、ついつい忖度なんかしてしまう。
 そう思わずにはいられないほど、対峙したときの彼等は醜いのだ。
 僕等は偶然自分たちと対峙した、彼等・小悪のあまりの畜生ぶりに悲鳴をあげ、目前の個々の現実を拒否して、ロマンチックな架空の「 巨悪 」という概念についつい逃避する。 
 この逃避は嫌悪から生じる。目前の汚穢から目を背けたい衝動が、僕等の認識を微妙に濁らせる。
 「 巨悪 」といった抽象的な逃げの概念は、リアルな悪と近距離で対峙して、間近から彼等の目のなかを覗きこむよりは少うし楽なのだ。
 

    そのような無意識のメカニズムが、サタンというあの西欧独特のアンチヒーローを生みだしたんだ、と僕は思う。
 サタンはある意味恰好いい。
 けれども、サタンは詐欺なのだ。サタンの立ち位置は、僕等の理解力でも捉えきれるぎりぎりの「 社会的 」位置にいる。サタンはつまり「 社会的 」な存在なのだ。「 反社 」ではあっても社会内は社会内だ。
 ところが実際の個々の悪というものは、ある意味、そうした位相を優に超えているものだ。
 彼等は「 非社会 」存在の住人であり、彼等の言動には、僕等の世界において大事だとされている「 意味 」というものが一切欠けている。
 彼等は、無意味の国の住人だ。
 彼等は僕等世界のすぐ裏側にある虚無の国に住み、常に黄昏ているこの国のへりにある荒れ果てた廃屋の庭で、仲間であるマッドハンターや三月ウサギらとの終わりのないティーパーティーを、いまもって続けている ――― 手にしたカップのなかの紅茶はもう冷めきっているし、香りもとうに飛んでいる。そこで交わされる話題にしてもすでにに2万回ぐらい語られた耳タコ極まる退屈なもので、それを語るほうの瞳にも聴くほうの瞳にも生のきらめきはもう宿っていない ――― 遠いむかしに成長することを諦めてしまった人間同士のルーティーンがぐるぐると空転するばかりの、凍結してしまった時間のなかで。

 「 無意味の国のアリス 」というのが、彼等の本当の名前なのだ。
 


 
 

 そのような地点にまで考えが走ったとき、僕は2015年のある日、当時全盛であった陰謀論のヒーロー・リチャードコシミズ( 輿水正 )と西池袋の中華料理屋で、火鍋をつつきながらマンツーマンで交わしたある会話を思い出していた。

( 注:そのときは僕はまだリチャードコシミズ独立党在籍中。僕があそこを抜けたのは2017年4月2日の西池袋公園の花見接見のときでした )

—――― ねえ、リチャードさん、リチャードさんのいわれる話の肝はだいたい分かりました。しかし、なぜ、ユダヤ民族っていうのは、そこまで意固地に・・・いや、意固地じゃ足りないか・・・執念深くなってしまったんでしょう? 2000年むかしに自分たちが住んでいた土地がいまのイスラエルだからというのは事実なんだろうけど、世界基準からしてそういう理屈はやっぱり成り立たないのがスタンダードだと僕は思うんですけど・・・。それを無理強いするのが、信仰っていうものなのかなあ・・・。なんか、そのへんのリアルが僕には想像しづらいんですけど・・・。ねえ、リチャードさん、どうして彼等ってああなんでしょう?・・・あれほどの害意と怨みを抱えて、どうしてこれまで生きてこれたんでしょう?・・・こうしたかたちの危険な生を手放したいと感じたことは、きっと何度もあったと思う・・・でも、彼等はこうしたかたちの薄暗い、闇のなかを這いまわるような、四方八方敵だらけの地獄の生をあえて選んだ・・・僕にはそこが分かんない・・・ねえ、どうして彼等ってそうなんですか?・・・ねえ、彼等はどうした理由でそうなっちゃったんでしょう・・・?

 そしたらリチャードさん、顎に手を当てて珍しく長考して、やおら顔を上げると、その白く濁った瞳をギロリと僕にむけて、ゆっくりとこういった。

—――― それ・・・苛められすぎたからじゃ、ないかなあ・・・?

 それは僕が彼から聴いたなかで、最も説得力を感じた答えだった。
 彼がいい終えた一瞬後、テーブル上の火鍋がバチバチっと弾けたことまで覚えてる。
 僕には、どういうわけか、その問いが一般的なユダヤ問題の解答としてではなく、彼の個人史のふいの告白のように感じられて、その感知の了承のように鳴ったそのときの火鍋にもちょっとおののいたのだ。


 



 上に挙げたリチャードコシミズだけに限った話じゃない。
 僕等と縁を結んだ過去の多くの陰謀論者たちにしたって、彼等が自分たちの敵をやたら巨大な、世界のラスボスみたいな存在にわざわざでっちあげなくちゃいけなかったのは、ひょっとして現実世界で果てしなくド底辺にいる、絶望的な自分境遇への反動というか、そうすることによって自分が彼等と対峙することができるくらいの大物であるという、一種の心地よい錯覚を得られるから ――― というのが本当の動機だったんじゃないか?

 陰謀論はそんな彼等にとって、過酷で苦しい現実からちょっとでもいいから目をそむけて安眠するための、「 甘えのドラッグ 」だったというわけだ。

 無気力で怠惰で、生の寄りどころがなんにもなくて、喜びや憧れにも縁遠く、「 面白くない 」「 ムカつく 」「 ウザイ 」の三位一体を生活の基盤にして、人というよりはむしろ影のようなといったほうが近い、存在の臨界地点まで追いこまれてしまった陰謀論者は、だからこそそうした退屈地獄から脱獄するために、他者へのヘイトに常にいそしみ、その場その場の刺激と興奮から開始されたそんな彼等のヘイト花火は、歳月を経るたびにますます彼等を幸福から遠去ける羽目になり、最終的には、彼等はひとりぼっちの狭っちい牢獄に、さらにぎゅうぎゅうと押しこめられることになる。

—――― またしてもここかよ! またしてもまたしてもまたしても、か。・・・また、振り出しに戻っちまった。周りに誰もいなくなっちゃった・・・ああ、どうして俺はいつまでもこうなんだ・・・?

 心が歪み、思い出も歪み、愛への希求も陽炎のようにゆらめいて、遂には枯れ果てる。
 なんてこと、これじゃあまるでゴミ屋敷じゃないか。
 働いて、なんとか喰って寝て糞するだけの、ひとりタコ部屋みたいなこんな毎日。
 おかしい。こんなはずじゃなかった。
 いいことも楽しいこともいくらかは絶対にあったはずなのに・・・。

 ひとの記憶っていうのは固定されたものじゃなくて、日に日に更新変化していくものだということが最近の脳科学で分かってきた。つまり、楽しかったわずかな記憶も、そのひととの縁が切れてしまったあとは、もう綺麗な記憶ではなくなってしまうらしいのだ。親しかったひとが、いつのまにか自分を棄てた憎いキャラにすり替わってしまう。あらゆる記憶が、当初のきらめきを失い、硬直したミイラの遺体みたいな存在に変わり、あらゆる現実の仕草が、自分を世界から追放しようとたくらんで苛めにきているように思えてくる。たまんない。憎い。悔しい。面当てに、せめて自分を追いつめるそんな世間へ復讐したい・・・そのような思いは常に兆すのだが、追いつめられすぎたその人には、もはや世間がどのようなものであったかすら、すでに認知できなくなっている・・・。

 
            

 僕は、自分とまったく無縁の異種の人間のことを語るようにこれらのひとたちを扱っているけど、もちろんこれらの人たちが僕等とまったく無縁の輩であると割り切ってしまうつもりはない。
 そう、「 無意味の国のアリス 」は、当然僕等一般ピーポーとも地続きの存在である。
 それの別称をあえて求めるなら、それはたぶん「 カオスピーポー 」みたいな呼称に落ちつくことになるだろう。
 そして、いわずもがなではあるが、ここで再度念押ししておく ――― このようなカオス的な心理は、人間であるならば本来誰もが必ず持ち合わせているはずのものなのだ。
 誰の心にもこうしたマイナス面はあるし、特定の現実を拒否りたい気持ちもある。
 つまり、
僕等一般人の内部にも、こうした「 無意味の国のアリス 」は確実に住んでいるのだ。
 ただ、僕等には、自分内世界の「 大事なもの 」の優先順位と、外世界で「 大事だとされているもの 」の優先順位との区別ができている。
 自分内世界の倫理と外世界で正しいとされている倫理とを混同するようなことは、まずない。
 自分内世界で大事なものはあくまで自分だけの宝、そして、外世界で大切にされている他者のルールはそれとは全く別の大きなルールだとして、賛同はしなくともそれとの付き合いはあえて切らないというのが、通常人の生き方のスタンスというものだろう。

 そのような政治力を駆使できるかできないかの有無が、僕等と「 無意味の国のアリス 」たちとの世界をこれまで隔ててきた。
 けれども近年、内世界と外世界とを分別してくれていた、こうした世界枠の境界線が、いよいよもって決壊しはじめたのではないか、と僕は感じる。 
 陰謀論は全然有意義じゃない。
 客観性は欠片もないし、整合性も、独創も、品位も、実証精神らしいものも何もない。
 そうした没世界的な、危険極まりない「 魔 」の風が、SNSの匿名中傷といったツールに乗って、現実世界のあちこちを腐食させていく光景を、僕等はほとんど日常的に目にするようになった。

 ビルの屋上から飛び降りる際に、目標とする地上の舗道に自分がぶつかれる誰かが歩いていやしないかと見探るような、いびつな心理。
 自分が滅ぶなら、いっそのこと自分を殺した世界ごと巻きこんで地獄へ連れていってやりたい、といった歪んだ願い。
 卑しさと怨み。孤独と妬み。自閉と憎悪とが競いあうこの絶妙なバランスゲーム。
 マウントを取れば取るほど深まっていく絶望の濃度。
 餓死という悲惨が根絶された、夢の21世紀のニッポン物質社会のただなかで、かつての貧困時代と同じか、それよりも遙かに重い、このような絶望の病が蔓延していくなんて一体過去の誰が予測しただろう?
 
 現在の僕は、陰謀論とは「 自分のアイデンティティーを持たないひとが、さもアイデンティティーを持っているかのように装い、ふるまうための化粧道具のようなもの 」として認識している。
 よりぶっちゃけていうなら、それは、政府や体制やリア充他者に対してもの申す際の「 決め啖呵 」を多数例掲載した、一種のアンチョコ集みたいなものだ。
 日本のカーストの最底辺にいるひとが、こんな自分でもいっちょまえの論客みたいに、社会や他者に対して自身たっぷりかつ堂々と批判がいえるんだ! ――― といったような錯覚構造が、陰謀論って商売の最大の売りなのよ。
 世の中に対する憤懣は常に溢れんばかりなんだけど、とぎれとぎれの情念単語しか呟けない多くのひとに、つまり陰謀論というツールは言葉をレンタルしてくれたわけだ。
 サリバン先生に手に水をかけられて、初めて言葉と世界との接点に気づき、ウオーラー! と歓喜の声をあげた幼少時のヘレン・ケラーみたいなもん。
 こら、当たるぜ ――― そりゃあ!
 ただね、あくまで啖呵の判例集なんだから、これ、完璧な一本通行なのよ。いっちょまえな啖呵ならなんとか切れるようにはなったけど、これで実地のちゃんとした会話は絶対にやれないんだよね。そもそも会話ができないひとに「 君もこうした世界の裏を知ったら誰からもマウントを取れる!」なんていって売りこむこと自体が無茶なんだ。会話がやれない人間にマウント取りなんてできっこない。陰謀論者のマウント取りのいきがりポーズは、所詮、自閉したヒッキーの自爆演劇でしかないんだ。世間人の多くはそうした真相にすでに気づきはじめている。


             ✖             ✖             ✖             ✖ 

         
 結局のところ、陰謀論というのは、世間から弾かれたひとたちの何百万もの絶望が編みあげた、悲しくて淋しい呪詛であったんだ、と僕は思う。
 ところがそんな不幸の仔である陰謀論が這い通った土の跡から、親とは全く異なる、思わぬ花々がちらほらと咲きはじめたじゃないか。

 怨みの種が芽を吹いて、思わぬ綺麗な花になり、それがこれほどでっかいめくり劇になるなんて、全くの話、意外性ありすぎだよねえ。

 前記事にも挙げた第3世代の陰謀論者・つばさの党の黒川敦彦の選挙妨害による逮捕劇 ―――
 マスコミとTV局と芸能事務所とが共同して、児童性加害の事実を長年隠蔽し続けてきたあの闇深いジャニーズ事件のふいの発覚 ―――
 死刑囚として半世紀以上拘留されていた袴田巌冤罪事件の、司法による思いがけない再審決定 ――—
 ステージ4の癌を告知された森永卓郎氏が世に出した、日航機123便墜落の真相と日本最大の闇ともいえる財務省問題の暴露 ――—
 それから、これらの超・特大事件からするとかなり目劣りするんだけど、僕等がいま取り組んでいる、石垣陽介裁判官が公文書に残した108つの誤記と裁判調書改竄の追及裁判に関する大問題 ――—

 


 
 上記の記事見て、あなたはどう思った? 地裁の裁判官の押印がひとつ欠けているだけで差し戻しとはステキだよね!
 でもね、これが当然なんだし、司法が呈す正義っていうのは、元々こういう当然行動を粛々と行うだけのことなんだよ。
 これに比べると、石垣陽介裁判官が公文書である判決文のなかに108つの誤記(!)を残し、さらには裁判調書という公文書にも改竄を施してまでいたのに、石垣陽介以下一審の丹下友華裁判官がこれを擁護し、さらには2審の谷口園枝裁判官までがこれに追随し、彼女ら2人以外の多くの裁判官がさらに司法の威厳のためにそれぞれ苦慮し、僕等の3333号関連の事件を揉み消そうとした、というのがどんなに異様で異常な出来事であったのか、というのが誰にでも容易に理解できると思う。

 「 印鑑ひとつの欠落 」と「 108つの誤記プラス裁判調書改竄 」とでは、どっちが悪いのか?
 
 あえて問うまでもないことだ ――— 年端のいかぬどんなベィビィーにだってそんなことはすぐ分かる(笑)
 
 ただ、これがこんなにでっかい事件に成長した要因としては、僕を集団訴訟で5年間も訴え続けてくれた、リチャードコシミズ門下の残党さんたちの執念と粘りとがやっぱり欠かせない必然条件だったんだよね。
 彼等・残党たちが傍聴席から口汚いヘイト野次をさんざん飛ばしてくれたおかげで、独立党関連の僕の裁判にあれだけの特別警備がつき、そのピリピリとした危険な空気に煽られたからこそ石垣クンもあれだけよろめいて、杜撰でデタラメ極まる超・迷判決を書いてくれたわけなんだから・・・

 僕等はそのような彼等に感謝して、石垣陽介のなした不正をあくまで追求し続けようと思う。
 それが僕等のいま現在の正義なんだ。
 正義っていまの時代的にいうと全然流行らないし見栄えもしないものなのかもしれないけど、そんなのはいいのよ、いいの!
 世情も、流行も、金も、名誉も、そんな雑多もどうだっていいのよ ――— どうだって!
 僕等はあくまでもクールに、僕等の魂の導くままの明日へ進みたい。
 
 今日の僕の記事は以上です ――— お休みなさい。 (了)






 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 



 
 
 




💎 サーティンキューさんと「 梗塞ニッポン社会の血栓決壊 」について熱く語る !( 応援、激・感謝号 )

2024-05-20 17:23:50 | 石垣陽介

サーティンキュー

 マイケル氏のブログ復活と「つばさの党」騒動  
 
 
つばさの党を警視庁が家宅捜索 「適法なことをやっている」黒川敦彦代表(2024年5月13日)


 
 

★マイケル氏のブログ更新が2か月くらいなかったので、ここでブログ終わりか?と思っていたのだが、今月の5月9日に復活していることに気づいた。ユーチューブが出てくる前は「ブログの時代」というのあって、そのブログのスターがリチャードコシミズという陰謀論者という時代があったが、そのコシミズを今のように誰も知らない過去の人物にしたのがマイケル氏であった。それからコシミズ陣営からからの「裁判訴訟」を受けて、裁判所の真相を語っているのが今のマイケル氏である。鷲は裁判所と云うのは全く知らない。犯罪者になったことがない「マトモな人間」は裁判所については、全く知らないのが普通である。
  
★リチャードコシミズの真相よりも、裁判所の真相を語る方が「大仕事」である。しかし第三者からみていて、マイケル氏の真実の暴露に対して裁判所は「あまりにも脆い」のである。これは「打たれたことがないから、打たれるとすぐに大崩壊」というのが裁判所の体質なのかもしれない。裁判所の人間も「わいせつ犯」が多いし、どんどん、その「神聖な仮面はどんどん剥がされている」わけだ。鷲が観察したマイケル氏は、本格的な読書家で、文章は非常に凝っている。そして絵がプロ級に上手くて、音楽もプロ級である。社会の落ちこぼれのコシミズが勝てる相手ではない。考えてみれば「七次元のバカ」の五井野正は、大学受験全部失敗して大学生に成れず、20歳代で「宗教詐欺師」をやっていた馬鹿であり、麻原彰晃は20歳代で「インチキ漢方薬」を売って逮捕された犯罪者であった。救世主を名のる者のだいたいは「社会の落ちこぼれ」であった。
 
★ところが裁判官というのは、東大法学部卒業、司法試験合格、というのが決まりのコースで世間的感覚で言えば「超エリート」である。しかし松本清張が芥川龍之介や三島由紀夫を批判した時、彼らは東大を出て、社会人は2年くらいしかやっておらず、それでは社会の全く何も分かってないが、すぐに小説家になって「売れっ子」になったから、すぐに行き詰まり、自殺してしまった!という批判が、裁判所関係の人間にも当てはまるようだ。マイケル氏の裁判所批判でそこら辺が出てる!と鷲は感じている。
 

★さて昨日、「つばさの党」がテレビニュースでどんどん出て来た。その中で警察は、「つばさの党」を「選挙犯罪ビジネスと見ている」と云ったことが印象的であった。「つばさの党」はユーチューブの金で生きているのではなくて、寄付金で生きている。そして過激な行動をすればするほど「寄付金」が多く得ることができる!と鷲は見ている。「警察VSつばさの党」はどちらも「ギリギリ勝負」ということ。これがまったく「お金」と関係なくやっていれば大きな問題にはならないわけ。「お金は呪われている」から「お金が絡むと運動は全部ダメになる!」と鷲は考えている。だから鷲のブログも「お金」全く関係なくやっているし、マイケル氏のブログも「お金関係なし」でやっているように見える。それだと「正義」となるのだが、「つばさの党」を警察が「選挙犯罪ビジネス」と見ているのも一理あるから、「つばさの党」もこれからが「大峠」だろう。
 
 


――― サーティンキューさん、僕等の地味~な裁判所関連記事に着目してくれ、あまつさえ僕が記事をUPしなかったここ2か月のブランクのことまで気にしてくれてありがとう。月並な言葉で恐縮だけど、これは感謝としかいえません。うん、マジ嬉しかったです。
 サーティンキューさんには独自に練られた筋金入りの世知と人間識とがあり、それらの応用をあちこちの分野で試してきた経験もあるから、自分にとってまったく未知である司法世界についても、ああ、人間の集まるところだからそんなこともあるんだろうな、といった風にきっと体感できるんですね。

 ていうか、肩書きや権威とかいったものが背広のオーダーみたいな精神隠蔽カバーだと分かっているから、石垣陽介事件の本質までまっすぐ直観でもって辿りつけたともいえる。ええ、石垣事件の構造はめっちゃ単純なんですよ
――― 子供のテストの点の誤魔化しとまったく同じ! 「 いやいや、社会の上層にいる裁判官がそんな低レベルなことをやるはずがない 」という権威の重力場にねじ曲げられた最初の前提からしてもう間違っているんです。

 僕は、権威というものは一切信じません。
 権威なんて、「 猿の群れで優位の個体が自分より劣位の個体にむけて行う、ただの上品なマダム・マウント 」なんですよ。
 あ。この場合のマウントっていうのはマウンティング( 動物が自分の優位性を示すために相手の背中に乗る行為 )、一種の擬似交尾みたいなものだと思ってください。この理屈でいうと勲章もマウント、財産自慢もマウント、人脈誇示も、地位見せびらかしも、つまりはアカデミー賞から結婚披露宴まで、全てが動物世界のマウントと同種のものだ、となっちまう(笑)

 ぎりぎり暴力ではないんですけどね、まあ四六時中マウント戦争でみんな血みどろになっていたら社会も日常も無茶苦茶になってしまうから、それを避けるために集団がやむをえず選択した、人間的というよりも遙かに動物的な、いわばDNAの原始の生き残り衝動といったものまで目を向けなきゃいけない、小脳深部にプログラミングされた、一種の業( カルマ )みたいなものなのかもしれない。

 テクノロジーの進歩のお蔭で地球にこれほどまでに物質的繁栄をもたらした、僕等の人間文化というのは、ええ、かようなまでに原始的です。

 戦後しばらくはアメリカや欧米文化の「 人間進化思想 」の影響もあって、僕等は自分たちが一介の動物なんかとちがう「 高等な人間サマ 」であって、誰よりも「 自由 」「 平等 」「 博愛 」の3拍子を重んじる存在なのだ
――― と必死に思いこもうとしてきたみたいですけど、そういった無理が積もり積もっていよいよ限界水域まで達しちゃったんですね。

 その代表的な決壊例があのウクライナ戦争であり、イスラエル、ガザ、イランなどの紛争やテロなのであり、サーティンキューさんが挙げてくれた黒川敦彦氏などが陥った、まあ、この選挙妨害逮捕事件などもそうしたカテゴリーに属する今日的な事件なのだ、と僕は思います。
 旧NHK党の立花孝志氏は、最近、黒川氏のことを「 陰謀論の総合商社 」と呼びました。
 「 総合商社 」というのは独特な表現です。
 でも、僕は、立花さんがそうとでも呼ばなければ気が済まなかった理由が分かる。
 人間ならば誰にでも最低限の自己承認欲求というのはあるものですから、黒川氏の言行がいくらエキセントリックに見えたとしても、普通、僕等はそこまで目くじらを立てません。氏の言行において僕等がつい着目してしまうのは、氏の言行のすべてが、「 あまりにも見え見えに、あからさまに、そのためだけにに捧げられている風に見える 」といった特異性に対してです。
 この短絡は、常識的な目線からすると、もの凄く幼児的に見える。
 時折、恥の観念のまるでない、駄々っ子みたいに見えてもくる。

 あまりマスコミには取りあげられてはいないようですが、僕等は氏以前の陰謀論といささか関わりがあったせいもあって、氏が立花孝志氏の旧NHK党に入るより前の時代も知っている。before コロナのあの時代、サーティンキューさんが取りあげられたリチャードコシミズ ――― その全盛時の独立党という組織にいたよかとよ( QAnon の Er i )、それとさゆふら( 国民主権党の平塚正幸 )らと並んで、そこにはさらに名古屋在住の寺尾介伸( バレバレ )氏という存在もいたのです。
 彼は、このリチャードコシミズ( うわ、懐かしいな、この名!w )と喧嘩別れしてこの独立党を出て、コロナが襲来すると同時にさゆふらのコピーみたいな「 反ワク・反コロ活動 」を引きずられるようにして開始したのですが、その新しい活動のなかでこの黒川敦彦氏と寺尾氏とは、実は深い交流を結んでいたのです。

 コロナ襲来の静かなパニックのなか、東では平塚正幸の渋谷での毎週の「 反ワクフェス 」みたいな活動が熱病のように盛りあがり、
西では前述した名古屋の寺尾介伸氏、それとドイツからやってきた Meiko氏、徳島大名誉教授の大橋眞氏、そして黒川氏などがやはり「 反コロ・反ワク 」の陰謀論で大いに盛りあがり、彼等の後を継ぐことになる次の陰謀論集団「 神真都Q 」にバトンを渡す前夜、彼等は、日本の陰謀論史上空前かつサイコーの盛りあがりフェスのなかにいたのでありました。
( 注:このあたりの経緯は、大阪読売新聞社会部のTさんのインタヴューの際、詳細に話しました )
 
 けれども、この寺尾氏と黒川敦彦にも苦い決別の時はやってきます。
 黒川氏がふいに発熱してしまい、コロナなんてないといっていたくせに彼は架空の病であるはずのそのコロナ罹患の可能性を恐れ、意味がないとあれほどいっていたはずのPCR検査を、なんと自らの意思で自発的に受けたのです。その裏切りじみた行為に対して、寺尾氏は怒り狂います。
 コロナという病の存在なんて政府が主導して喧伝している「 毒ワク 」を国民に打たせて、殺して、人口削減するのが目的の巨大トラップだという真相が分からないのならともかく、そうした事実詳細を知る黒川氏までが愚かな他国民と同様、詐欺に決まっているPCR検査を保身のために受けるとはどういう了見なんだ!? ――― といった理屈です。
 
 で、結局、この2人は喧嘩別れしてしまい、ようやくコロナ渦も弱毒化してきた末期のころ、黒川氏が寺尾氏に対して詫びを入れ、その代わりに寺尾氏が黒川氏に強烈なデコパッチン
を入れる(?)という子供喧嘩の子供約束みたいに奇怪な条件で、2人は和解します。
 ただ、和解しても、喧嘩以前の仲睦まじい仲に戻れるはずもなく、寺尾氏はドイツ発の Meiko 女史とも歌の上手いナオライオン氏とも離れ、黒川氏も寺尾氏との共闘が自分にまったく利益をもたらしてくれないものであることに気づき名古屋から離れ、NHK党で活動していた時代の寵児・立花孝志氏のもとで自分の陰謀論道を究めることを決意したのでした・・・・はあ (xox)☆彡


             ✖             ✖             ✖             ✖             ✖

 いや、まあしかし、げに凄まじきは陰謀論ですよ・・・。
 僕はね、陰謀論っていうのは、めちゃくちゃに「 非社会的なもの 」だと思ってる。
 「 反社会 」も当然怖いし危険なんだけど、「 反社会 」はあくまで「 社会 」の範疇にある反対側の影みたいなもんだから、理解しようと思えばなんとか理解はできるのよ。
 でも、「 非社会 」は・・・?
 故・澁澤龍彦の言葉を聴きましょう ―――


――— しかし、映画は大衆に見せるものである。「 反社会的な映画 」は、誘拐であれ強姦であれセックスであれ、見かけに反して、それほど危険ではないはずであるが、一方、観客の理解を絶した「非社会的な映画」は、まるで虚無の深淵のようで、危険きわまりない・・・。( 非社会的映画のすすめより )


 陰謀論は寄港地のない虚ろ舟であり、乗客を現実から幻影の国に誘うばかりの、怨みと逃避の陽炎なのだ、と僕は思う。
 僕が闘って葬ったかつてのリチャードコシミズの現在の姿を、禁を破って、あかねさんと僕の通信記録のなかから、1枚だけここに提示しておきましょう。
 黒川敦彦氏は、かつてNHKの日曜討論という生番組のなかで、「 安倍のせいだ~ 」というナオライオン氏作の陰謀歌を踊りながら歌い、氏の憧れであったリチャードコシミズの真似をしたことがあります。そのあげくが現在の彼なのです。

 さて。陰謀論者のかつての大先輩であった、リチャードコシミズの現在はこんな塩梅です ――—




 僕は思う ――— これは人間のどん詰まりであり、自らの育てた影に呑まれてしまったあとの人間の抜け殻なんだ ――— と。
 どのような苦い、辛い現実であれ、それらをひとつひとつ切って捨てていけばいくほど、そのひとは本来のひと存在とは異なる影のほうに近づくんです。

 このような虚ろ舟に乗ってはいけない・・・。

 今記事はサーティンキューさんの記事のお蔭で生まれることができました。
 氏にもう1度感謝の辞を表してから、この記事を閉じたいと思います ――— お休みなさい。
 
了)


    Unknown (あかね)
2024-05-18 09:23:29
つばさの党のメンバーが逮捕されてしまいましたね。

さゆふらっとまうんど( 平塚さん ) の次は、黒川さんだと思ってましたが「やっぱり」って感じです。

三浦春馬さん自死陰謀説、反ワクチン陰謀説、統一教会=CIA、嘘コロ、ユダヤ陰謀論

一応他にも、左派的な脱原発や消費税廃止のようなことも主張しているようですが、

メインは陰謀論みたいです。私の知る限りでは、後者を主張するようなデモや発言は見たことがありません

彼は「 典型的な陰謀論者 」なので、インターネットでの情報発信か、ルールを守った上でのデモ活動以外のことをすると、必ず闇堕ちしてしまいます。

その理由は、ディープステイトに潰されるからではありません。

陰謀論者は「 自分が不幸なのは〇〇のせい 」という思考の癖があり、こういう癖があると運気が最弱になるため、分不相応に派手なことをすれば、その分寿命が短くなります。

だから、大将が「 不正選挙裁判 」と称して裁判所で暴れるような活動から、反ワク生放送に舵をきったのは、賢明なことでした。

裁判所を悪用した活動を続けていれば、いずれ大将が逮捕され、そのまま闇に堕ちていたでしょう。

黒川さんがピースをしながら連行される映像を見ましたが、「 人を殺してみたかった 」「 被害者が幸せそうに見えたから刺した 」「 人を殺して死刑になりたい 」

そんなことを言ってる通り魔の表情に見えて、戦慄を覚えました。

もう一人の根本という人も、テレビで小池さんに「 クソババア 」と連呼し、罵声を浴びせている映像を見ましたが、子供っぽすぎてびっくりしました

クソババア、ウザい、キモい

これらは、ボキャ貧の子どもの罵声ですね。

臨床心理士によれば、こういう発言をする人は、同じことを誰かに言われて、( 本人が自覚しているかは、わかりませんが ) 心が傷だらけの人らしいです。

根本って人は、女性ではありませんので、誰かにクソガキと言われ続けてきたのかもしれません。

彼にはインナーチャイルドの癒しが必要です。
 

    Unknown (あかね)
2024-05-10 00:04:15
岡口さんの『最高裁に告ぐ』は、なかなか興味深い本のようですね。

まだ読んでないので、これについて深く語ることはできませんが、やはり裁判所の中では、「ネットは害悪だ、Twitterなんかやってる岡口は目障りだ」ってことなのでしょう。

他にクビになってる裁判官って、みんな犯罪者ですからね。

岡口さんをクビにするために、アクロバティックな方法を使ったと思いますね。

裁判官は確かに学生時代は優等生だったと思います。

思えば、私が優等生だったのは、無口で友達がいなかった小1〜小3までと、転校生で理不尽にいじめられてた中2の一学期と二学期だけでした。

遊ぶことのほうが勉強より何倍も楽しいので、友達がたくさんできたら、すぐに平凡な成績になっちゃうんですよね。

その点、ずっと優等生を続けてきた、裁判官は、偉いと思います。そこだけは、本当にリスペクトですね。

私が、社会人になって、この人賢いなぁ〜と思った人たちは、

① コミュニケーション能力の高い人
② ITに強い人
③ ロジカルな考え方ができる人
④ 正しい文法で、わかりやすい文章が書ける人
⑤ クリエイティブな人

学生の頃は、⑥記憶力の良い人っていうのが一番だったような気がするけど、記憶力が良いだけって、どう頑張ってもパソコンには負けるんで、大人になって、あんまり重宝されないんですよね。

裁判官は、私が知る限り、⑥だけの人が結構いるんですよね。ものすごく幼い人もいました。

突然、癇癪起こすとか、せいぜい中学生まででしょ。

岡口さんみたいに、正しい日本語で本を書いたり、色んな人と交流したり、ネットを操れる人は、目障りなんじゃないかな。

IT化とか、デジタル化とか、何年も前から言ってますが、なんか、テレビ電話で直接顔を合わさずに裁判をしたり、メール? で訴状送ったりすることが、IT化みたいですね(笑)
 



 
マイケル氏のブログ復活と「つばさの党」騒動_d0241558_08500027.jpg
マイケル氏のブログ復活と「つばさの党」騒動_d0241558_08502814.jpg

おっと。以下下部はまた石垣クン関連ね~!(笑)




Charlie Parker - Klact-Oveeseds-Tene (04.11.1947)

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。