陰謀論が虫の息だ ーーー。
派閥も流派も関係ない、主義も主張もあったもんじゃない。
時代の潮流が変わり、あの神真都Qの壊滅で、一世を風靡した自分たちの目玉である「 ノーマスク 」や「 ウソコロ 」路線が盛りあがりにくくなってくると、今度は流行ネタである「 統一教会 」路線にするりと乗り換えてくる。
何気に。要領のいい営業職のサラリーマンのような卑しいはしこさで。
ああ、ヤバイ、だんだん視聴が淋しくなってきた、スポットライトも当たりにくくなってきたじゃないか、どうすんだよ、コレ、と危機感を覚えるやいなや、今いちばん視聴を取れそうな、陰謀論路線の最新流行である「 参政党 」にすかさず擦り寄っていく……。
「 ノーマスク 」路線が駄目になった。
「 ウソコロ 」と連呼しても、いままでみたいな手応えがあんまない。
そうか。なら今度は「 統一教会路線 」のデモで盛りあがってやろうじゃないか……。
なんという変わり身であり、御都合主義であろうか。
いつもながらのこととはいえ、そのような彼等流のカメレオン歩行をあしざまに見せつけられて、僕はまたしても言葉を失う。
いままで口にすることは控えていたのだが、僕は、ネットをメインに活動する陰謀論者たちは例題なく「 地下芸能界 」のタレントなのだ、と感じている。
そう、彼等の本質は「 タレント 」なのだ。
自分たちの主張に命を賭けるわけでもなく、世の趨勢が変わるごとに「 受ける話題 」に上手に乗っかって、波乗りパイレーツとでもいうのかな?
自分たちで自撮りした動画で仲間内で盛りあがり、陰謀論仲間のあいだでぬるい称賛を交わしあい、スポットライトを浴びてチヤホヤされること自体が目的なのだ。
もちろん、プロじゃなくて、彼等は素人のアマチュア集団だ。
むかしむかし、1980年の前半あたりまで、東京の原宿で派生して、全国区の知名度を得るほど興隆した、若者文化の祭りがあった。
いわゆる「 竹の子族 」である。
ネットも自撮り動画配信もなかったあの時代、多くの若者がそれぞれのチームをつくって、週末になると独自のファッションで身を固めてやってきて、バブル期の象徴みたいだったディスコサウンドにあわせて、野外で踊るのが流行ったのだ。
僕は現在の陰謀論者たちを見るたびに、過ぎ去った彼等「 竹の子族 」のことを思い出す。
彼等のパレードにも順位といったものがあり、人気が出て見物客やフアンなどもついてくると、ファッション系の雑誌が取材にきたり、芸能界のスカウトマンから声をかけられたり、場合によっては全国区のTV番組で紹介されるようなこともあった。
哀川翔、故・沖田博之、柳沢慎吾なんかが確かここの出身だったはずだ。
この「 竹の子族 」と現在の陰謀論者のノリはほとんど同種のものじゃないか、と僕は思う。
「 竹の子族 」のステージは代々木公園脇の野外のホコ天であったが、現在の陰謀論者のそれはネットであり自撮り動画の配信であるというだけの違いだ。
「 竹の子族 」にも自分たちのダンスが評価されると嬉しいといった、自分誇示の芸能界的なノリはあったが、そのために貴重な休日をチーム全員でステップの練習に費やしたり、チームのツナギのデザインを自分たちで考案したり ――― 甲子園という目標にむかって地道に努力する高校球児たちみたいな、いささか青臭いけれども笑い飛ばすこともできにくい、ひたむきで素直な「 純 」の部分もあった。
陰謀論者はちがう ―――「 竹の子族 」が自然発生的に生まれた彼等なりの芸能甲子園であったとするなら、陰謀論者らの集う陰謀論甲子園は、いわば「 地下芸能界 」とでも呼ぶべきアンダーグラウンド世界だ。
彼等は「 ディープステート 」とか「 裏社会 」などという言葉をよく使うが、誰もがすぐに感知するように、彼等のほうこそが裏社会だ。
ここで幅を効かせているのは、健全な自己証人欲求などではなくて、一種の薄ら暗い、僻みまじりの陰気なデマゴーグなのだ。
事実の検証なんて行為はここには存在しない。
というか会話という行為自体がない。
彼等は誰とも話さない。
投げられた問いにも答えない。
ここには「 会話 」といった概念すら存在しない。
世界に対する自分の呪詛を一方的に読経して、それでもって仲間内の連帯の幻を見るための方法論とでもいおうか。
そこは、世間でなされている通常の行為からはみ出して、どこにも居場所のなくなったひとばかりが集まる、特殊な「 痛み 」の空間なのだ。
彼等がよく使う「 ディープステート 」や「 裏社会 」などという曖昧模糊とした概念は、証明されたことがない。
それらの言葉の音が指し示すべき現実のシニフェが、具体的にどこの誰を、いかなる組織を表すものであるかを知っているひとも誰もいない。
あえて分類をしてみるなら、それは魔術語のカテゴリーだろう。
いま飛び交っている陰謀論の数々の言論は、「 今現在の世界 」を総否定するための言論である、と僕は思う。
そう、陰謀論とは、魔術でもって自らが招いた絶望的な孤立を、認めないで済ませるための彼等なりの方便なのだ。
世界との軋轢から、ばらばらに孤立化してしまったどうしようもない自分たちを誤魔化すために、彼等は陰謀論のイディオムをダウンロードする。
言葉すら失った自分たちだが、陰謀論のマニュアルを用いれば、少なくとも誰かと喋ったような感触を体感することくらいはやれるのだ……。
「 竹の子族 」の未熟さは健康であり美しくもあるが、陰謀論者のダンスはちがう。
彼等のダンスは息苦しいうえに不健康すぎる ――― まるで断末魔の痙攣のようだ。
さらにいうなら往年の「 竹の子族 」のメンバーとちがって、彼等の平均年齢は比較的高い。
「 竹の子族 」の平均年齢は十代後半から二十代中盤までであったが、陰謀論者の平均は四十代から五十代後半くらいまでだ。
―――― 五十代になってまでそんなことやってんのかよ!?(笑)
と爆笑されるかもしれないが、僕がこれまで知り合った多くの陰謀論者は、ほとんどが四十から五十代であった。
Q の okabaeri@9111 などはデビュー時から六十代だった。
「 竹の子族 」は十代から二十代が中心だったから、未熟部分もまあそこそこ美しく見えるわけ。
だけど、陰謀論者はちがう ――― 醜いとまではいわないけど、年齢相応の熟練的要素は微塵も感じられない。
暗い、ネットの架空空間の匿名ステージだけで「 ノーマスク 」だの「 ウソコロ 」だの、いまだにいっている連中を見ていると正直虫唾が走る。
僕の勤めている病院でも8月にクラスターが発生して、職員、医師、ナース、入院患者のあいだに多数の陽性者が出た。
完全防備の防護服に身を固めて、次から次へと陽性者の病室を訪室していくときの気持ちがどんなものか、彼等に分かるだろうか?
「 ウソコロ 」の患者が、どうして酸素の量を6リットルにあげても、サットが見る見る危険値の80%を切っていくというんだろう?
当然、死者だって出た。こういう環境で働いている多くのひとたちに、彼等の言論がどういう風に響くのか考えてみてほしい。
僕は、「 ウソコロ 」とか「 毒ワク 」だとかのひとりよがり言説を喚いている連中を全員ここに呼んで、対コロナの最前線の光景を見せたい、と心から思った。
そう、陰謀論者は事実を見ないのだ……。
というより、事実を見たくないからこそ、彼等にはああした陰謀仕様のヒッキー部屋が必要なのだ、といったほうがいいかもしれない。
彼等はことごとくリアル世界を恐れる自閉者だ ――― ネットで拾ったネガティヴ情報だけで武装して、それ以外の世界観には一切触れたくないとするのが、いわゆる陰謀論型のスタンダードな感性なのだ。
陰謀論者が本当に敵視しているものは、僕等が当たり前に思っている世論や常識などではなくて、彼等はそれよりもはるかに自分の身近にある「 現実 」や「 事実 」そのものを憎んでいるのだと思う。
ただ、それを正面きっていうだけの言語センスには恵まれていない。
そこで陰謀論なのだ。
自分を疎んじている憎っくき通常人たちが大事にしているルールを少しでも汚したいがために、たぶん彼等は陰謀論をレンタルする。
レンタルした言葉に自分内の虐げられたカオスな怨みを搭載させて、世界に向けた自身の言葉としてそれを発信するのだ ――― これまでスポイルされてきた悲惨で孤独な自分史の怨みを晴らすために。
陰謀論者はコロナウイルスを否定するが( 同じ陰謀論でもリチャード派はちがう。彼等はコロナウイルスは否定しないが、ワクチンが「 毒ワク 」であり、人口節減のための道具だという立場である )、実際に自分たちで病院に行き、医療の現場を見て「 コロナ時代の真相 」を見極めてやろうじゃないか、といったような発想はまったく持たない。
陰謀論のクロッキーを最初に描いた、陰謀論の初期アイコンとしてのリチャードコシミズにしてからが、そうだ。
彼はキャリアの初期に「 保険金殺人 」によって自分は殺されそうになり、そのために世界を背後から動かしている闇の力に気づいた、といっている。
けれども、彼は、自分の遭遇した「 保険金殺人 」という事件について、現実的な調査を試みようとしたことは1度もない。
彼がことの真相を確かめるために、実在する生命保険会社を訪れたこともない。
初期のころ、彼は記者たちを集めて自分の遭遇した「 保険金殺人 」について語ったことがあったが、彼の話を聴きに集まった記者らは、皆、途中から彼の話を聴かなくなり、やがて全員が部屋から退出してしまった。
当然だ ――― 自身の感じている実存的なイリュージョンを展開することだけが、彼の陰謀論だったのだから。
僕が記事冒頭にあげた、彼の近著「 ウラジーミル・プーチン 」を見られたい。
彼はロシアにいったことなどない。
オルガリヒについて、あるいはロシア革命のバックにロスチャイルド家がいる、ロシア革命は実はユダヤ革命であった、などということは初期にずいぶんいっていたが、僕はそのあたりの言説は、彼よりも先輩の宇野正美氏の著書ですでに読んで知っていた。
ただ、全盛時の彼にはそうした情報に、自分の怨念を乗っけて語ることのできる、特殊な話術があった。
1度聴けば誰でも分かる陰謀論という商品を、彼はネット上で展開し、自身が巨悪と闘うジャーナリストであるとさかんに喧伝した。
政治の舞台となったロシアではなく、ロシアの文化について彼がどう思っていたかは分からない。
ロシアの文化について ――― ドストエフスキーやチェーホフ、チャイコフスキーやラフマニノフに対して興味を抱いているといったような発言を聴いたことは、僕にはない。
池袋に彼の事務所があったころ、僕は彼のもとによく通ったが、彼の蔵書にロシ文関連の書は皆無であった。
彼の過去の自説「 保険金殺人 」と現在の「 救世主プーチン 」の思想は酷似している。
一切の現実的な調査を行わず、すべての判断を自分の空想内でのみ行っているという点で。
一般的に、この種の言論は「 妄想 」とも呼ばれる。
リチャードコシミズの言論にはその種の要素が非常に強く、その特異性が初期の彼のウリになっていた。
―――― え~っ、こんなこといってもいいの!?
といったタブー破りの万引き的快感が、まだそこそこ豊かであったあの時代に響いたのだ。
けれども、いつまでも少ない駒で十年一日のマンネリヘイトを続けている彼に、時代のほうがそろそろ飽きてきた。
長いこと彼を干していたヒカルランドがここにきて久しぶりに彼を取りあげたりしたのは、陰謀論全体の需要が激減したからだ。
これは、裏張りだろうが不謹慎だろうが、この路線で食わねばならない ――― といった覚悟が透かし見える悲しいコラボだ。
けれども、彼はいつもながらの裏張りに賭けるしかない。
自分を疎んじ軽視しつづけた世間に対して、生まれてこのかた彼がやりつづけてきたことはそれしかないのだから。
戦場となったウクライナで失われた命がどれくらいあったのか?
そのような「 埃くさい事実 」を計量する秤は、彼のなかにはない。
自分の独立党所属の応援党員も、ロシア・ウクライナの莫大な戦死者も、彼にしてみるなら別世界の紙芝居のような異邦の他人だ。
彼の前の妻にしても、( いまはもう彼と別れて幸せになっています )彼からするなら、どうでもいい他人に過ぎなかったのだろう。
彼はもともとそういう人間であり、他の誰かとなんらかの絆を結べるような人間ではない。
それだからこそ「 プーチン英雄論 」のような、現実と見事なまでに切れたああいう本が書けるのだ。
しかし、この方式は、残念ながら彼だけの専売特許ではない。
陰謀論の第1世代の彼に続く、彼の団体である独立党から巣立っていった第2世代の人間たちを見るがいい。
★ 国民主権党の平塚正幸 ――― 独立党時代のHNは「 さゆふらっとまうんど 」の場合
コロナウイルスが予想もつかなかった全国的な蔓延「 クラスター 」を見せるようになってから、渋谷で毎週のようにノーマスクの「 クラスターフェス 」をやり始めた男。
都知事選や千葉市長選などに参戦したことから、マスコミも一種の「 時の人 」として彼の行状を全国区で報道し、彼の開始した「 逆張り 」、特にJR山手線の一両をノーマスク集団で独占してやろうじゃないか、というアイデアは顰蹙の極みともいえる騒動をまき起こした。
僕も独立党にいた時代から彼のことは知っているが、リチャードコシミズの用いた一種の「 逆張りパフォーマンス 」の「 パフォーマンスの部分 」のみを露悪的なまでにデフォルム、パワーアップしてパンキーに主張してみせた人間だった、といまでは解している。
その原動力は、N国党の立花孝志氏が看破しているように、通常の枠をこえた、度外れな「 承認欲求 」にあったのではないか、と考えている。
顰蹙だろうと非難だろうと、他者からの視線を浴びていないと彼は恐らく不安になるのだ。
存在しつづけるためには、何がなんでも世からの顰蹙が彼には必要なのだ。
逆にいうなら、そのためにこそ彼は彼流の「 逆張り 」を行使しているともいえる。
そして、現在の師がプーチンを英雄視しているのと同様に、彼もやはりプーチン・ロシアを擁護している。
彼にも師であるリチャードコシミズ同様、思想らしい思想は何もない。
世の中へのアンチ、「 逆張り 」こそが彼の思想の根本なのだ。
この依存の形態は、あらゆる陰謀論者に例外なく見られる。
強いてセンセーショナルに演出された彼の挑発言辞など見る必要はまったくない。
彼において肝心なのは、師と同様のそのモチベーション、自分以外の世に向けられた、凄まじいばかりの「 ヘイト 」なエネルギーだけだ。
★ QAnon okabaeri@9111 ――― 独立党時代のHNは「 よかとよ 」の場合
すでに過去のひとではあるが、陰謀論第2世代として「 いちばん Big な騒動 」を巻き起こしたのはやはり彼女だったのではないか、と思っている。
平塚正幸もそれなりの顰蹙を巻き起こしはしたが、それはあくまで日本国内限定だ。
ところが彼女の場合は、アメリカ本国で okabaeri@9111 への非難記事が書かれたくらいだから、どう見てもこれは別格だ。
もちろん公称していた岡林英里というのは仮名であるし、使われている顔写真も加工されたフェイク写真である。
独立党時代、僕は独立党の会合で何度も彼女と顔を合わせたが、池袋のスナック「 フクロウ 」でも、彼女が喋っているのを僕はほとんど見かけたことがなかった。
いつも下を向いて黙っている。
リチャードの懇意の2、3の党員女性と一緒になって、皆から離れた暗い一角でリチャードを囲んで、いつまでも黙って飲んでいる。
寡黙で人嫌いのそんな彼女が、当時アメリカを飛び交っていた Q系陰謀論の翻訳者として、あれほどのイノベーターになるとは思ってもみなかった。
Q について今更ここで何かいおうとは僕は思わないが、彼女の使っていた話法というか言語を、僕は常々「 クラッシュ言語 」と呼んでいた。
「 クラッシュ言語 」とは、作家の藤原新也氏が80年代に命名した「 クラッシュ写真 」の概念の発展形だ。
80年代、バブルの極みのころに、若者の自撮り写真のなかに、何か異様な不純物が現れてきたのを氏は発見した。
それは、シャッターの瞬間に異様に顔を歪ませてみたり、履歴書の写真に他人の顔写真を貼りつけてみたり、自撮り写真の自分の顔の両目部分をペン先であえてくり抜いてみたりする写真が、このごろになって異様なほど増えてきた ――― という氏なりの実感であった。
その後20年経って僕はリチャードコシミズと出会い、独立党との離れ際によかとよ=Eri の存在を知った。
彼女の言葉はクラッシュしていた ――― つまりは壊れていた。
そのクラッシュの度合いは、師であるリチャードコシミズに遙かに先んじていた。
古典的な日本語、流暢でスタンダードな日本語では、たぶん陰謀論の呪詛は語れないのだ。
歪な陰謀論を語るためには、昭和の時代の香る、リチャードコシミズや副嶋隆彦の言葉ではもはやだめなのだ。
そんなスキゾフレニックに砕けた彼女の言語が、第3世代の陰謀論集団である「 神真都Q 」へ陰謀論の橋渡しをしたあたりは非常に興味深い。
「 神真都Q 」のQ は、よかとよの紹介した Q から取られている。
その意味、彼女は陰謀論的には正統な語り部であり伝道役であったのだな、と今にして思う。
★「 俺たちでやろまい 」の寺尾介伸 ――― 旧・紙幣の不思議のバレバレ氏の場合
陰謀論界の盛衰と性質を考えるにあたって、名古屋の彼・寺尾介助伸氏は、もっとも理解しやすい陰謀論者としてのモデルケースであると思う。
彼はリチャードコシミズの biglobe のブログの全盛期に、指折りの人気であった「 紙幣の不思議 」という陰謀論ブログを運営していた。
独立党在籍末期にリチャードコシミズと意見を異にして、独立党を去る。
それからかつての師とネットの仮想空間のなかだけで争う日々が、少しばかり続いた。
その後、捨て犬を助ける機関をつくりたいといったり、不良少年の保護矯正する活動をやりたいといったり、地元・名古屋の議員に対して「 議員通信簿 」をつけるといったようなユニークな運動をしたり、辺野古問題に注目して沖縄にいったり、それをすぐ辞めて戻ってきたり ――― そんなことをしているうちに、彼の地元の街である名古屋市にもコロナの襲来がやってきた。
で、彼はそのときどう動いたのか ―――?
さゆふらの跡をそのまま追っかけるような陰謀論の活動に邁進したのだ。
「 ウソコロ 」と「 毒ワク 」と「 ノーマスクデモ 」の3つが、彼にとっての3種の神器であった。
去年の夏、ドイツから「 ノーマスク運動 」のために来日した、positive evolution の Meiko 氏と一時共闘したが、すぐに別れた。
ノーマスク運動に傾注したあまり、市のワクチンセンターに集団で電凸攻撃を仕掛け、市の医療行為を破綻させかけたこともある。
「 つばさの党 」の黒川敦彦氏と一時共闘したが、黒川氏がコロナ陽性になったことでそれまでの関係が破綻。
しかし、陰謀論の人気をさらっていった神真都Qの壊滅とともに、これまでのような「 ノーマスク路線 」がやりにくくなった。
当たり前だ。国民のほとんどがもうワクチンを打ち終えた時代に、そんなヒステリックな野蛮が通るわけがない。
路線に迷った彼は思案のあげく、袂を分かった黒川敦彦氏ともう1度組むことにする。
理由は簡単だ。いま現在、陰謀論っぽいことを主張する、メジャー路線はそれくらいしかないからだ。
地下芸能界での自分のランクを少しでも上げるために、彼はそれに乗った ――― と僕は思っている……。
去年の夏、大阪読売新聞社会部の取材を受けたとき、僕等の取材にあたったT記者は、独立党出身の平塚正幸と寺尾介伸のことはもう知っていた。
彼は平塚正幸のことは「 平塚 」と呼び捨てで、名古屋の寺尾介伸について話すときは、その度に顔をしかめてみせた。
僕等の見解も氏とほぼ同じである。
ただ、氏は、タイムラグのせいもあり、Q の Eri についてはよく知らなかった。
Eri の存在を知ったのは、僕のブログに目を通してからだ、といってられた。
いずれにしてもここまで典型的な陰謀論者の素描をやってきたら、読者の皆さんにもそろそろ陰謀論者がどのようなひとなのか飲みこめてきたのではないか?
―――― 陰謀論者ってなに?
―――― うん、たぶん世界拒否者のことだな……。
―――― 世界拒否者ってどういう意味?
―――― 分からない? じゃあ、いいかたを少し変えようか。うーん……あんまりいい表現じゃないけど、「 ヒッキーがかつての暴走族の真似事をしている 」……って感じかな……?
―――― ヒッキーって……Y子ちゃんのお兄ちゃんみたいなひとのこと?
―――― そうだね……。学校も辞めて、働かないでずっと部屋から出てこない、あのお兄ちゃんみたいな……。そういうひとたちのことをむかしは「 引きこもり 」って呼んでたんだよ……。今じゃ、数が増えすぎて……呼び名から「 気の毒な 」というニュアンスが消えちゃって、気安くヒッキーなんて呼び捨てられるようになっちゃったんだけど……。誰にも会わず、話す相手もなく、なんの変化もない毎日……退屈で気づまりで楽しいこともほとんどない、全くの孤立者だよね……。
―――― でも、お兄ちゃんはオートバイなんか乗れっこないわ。何年も……家から一歩も出たことがないんだから。
―――― うん、自閉者だね、彼は……。学校もアルバイトもやることなすことが全てうまくいかなくて、彼はあんな風に自閉してしまった……。
―――― お兄ちゃん、かわいそう……。
―――― うん、かわいそうだよね……。でもね、そんな風なつまらない毎日を送ってるからこそ、自分とは正反対の……外の世界で元気にしてるひとたちのことを脅かすことができるような存在になりたいって……そんな風に夢想したくなるもんじゃないのかな……?
―――― それが……ボーソーゾクってことなの?
―――― そう、孤立者のひとり部屋での夢想が、全ての陰謀論のたまごなんだ……。ヒッキーは、うん、孤立者は、心の底では分かってる……自分がどうしようもないことをやらかして、戻れないぎりぎりの場所まできてしまったということも分かってる……。自分をみじめに感じてるだろうし、後悔と絶望でいつも心は張り裂けそうだ……。だからこそそんな自分と正反対の……ワイルドな暴走族の夢をときどき見るんだよ……。
―――― 空想のオートバイにまたがって?
―――― いいね、そう、空想のバイクにまたがって、だ……。空想のバイクにまたがって、公道を走るんじゃなくて、ネットのなかの架空ロードをブイブイ飛ばしていくのさ……。本当のゾクがチーム名の入ったツナギを着るかわりに「 匿名 」って名の服を着て……。
―――― カッコわるい!
―――― そうかもね……。
―――― みっともない!
―――― たしかにね……。
―――― ……………。
――――うん? どうしたの……?
―――― わかんない。なんだか……悲しくなっちゃった……。
―――― ああ、わるかった……。こんな深刻な話をするつもりじゃなかったんだけどな………。あれ、どうしたの? まさか泣いてるの……?
―――― うん……。
―――― 本当にごめん……。そうだ、あしたはちょうど休みだから、今日のお詫びに一緒に山までドライブにいくことにしようか?
―――― 山っ! 山にいくの? あたし、山は大好き!
―――― だから、今日のところはもう寝ようか……。もうだいぶ遅いし……。お休み……。
―――― うん、わかった……お休みなさい……。
この2人もこういっているので、今夜の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。( fin )
<デマ>by マイケル (曲 ジョン・レノン)
2014年の7月2日、当時1億ビューの視聴を誇り、ネット陰謀論の筆頭だったリチャードコシミズはこう書いた。
「 自衛隊の諸君は、銃口を安倍晋三に向けよ!」
ワールドフォーラムでデビューして以来、安倍晋三と旧統一教会との繋がりを叩くのは、リチャードコシミズ十八番の鉄板ネタであり、この旧統一教会の組織の背後に当時はまだ健在だった大富豪デイヴィッド・ロックフェラーがおり、巨大な政治力と財力を使って間接的に日本の政治経済をコントロールしている ――― というのが彼の陰謀論の主軸であった。
実際、リチャードコシミズは自身の講演会でも、配信する自分動画のなかでも、上記のようなことは日常的によくいっていた。
証拠として、ban されていまは存在しない、biglobe の当時の richardkoshimizu's blog の7.2記事を下に挙げておこう。
( マイケル注:白文字、現在の彼の顔面画像、矢印、赤丸は僕がつけたもの )
ところがリチャードコシミズがこういってから8年と6日後の2022年の7月8日、自民党の元総理・安倍晋三氏が奈良で遊説中に銃撃され、実際に死んでしまったのだ。
明治の伊藤博文、大正の原敬などの例は歴史で知っていたが、まさか令和の今の世でそれが起こるとは思わなかった。
僕はたまたま東京地検を訪れているときにこの衝撃的な事件を聴いた。
そして、聴いた瞬間、
―――― ああ、この事件、ひょっとして陰謀論者が犯人じゃないのかなあ? と咄嗟に感じた。
僕にそう感じさせたのは、たぶん平成後半あたりから僕等の日常の裏地にずっと貼りついていた、なんともいいがたい閉塞感に満ちた「 時代の空気(ニューマ)」であったのだろう、と思う。
令和に入ってから、この閉塞感はさらに加速した。
コロナの蔓延。
プーチンがはじめたウクライナ戦争。
あがいても這いあがれない派遣労働者たち。
世界的な物価上昇と反比例するかのように進んでいく日本の円安……。
そうした暗い世相を浮き彫りにするような事件も、同時進行していくらも続いた。
石油を撒いて多くのアニメーターを殺害した京アニ事件。
患者のために医院がもっとも人を集めたその時を狙って放火した大阪北クリニックの事件。
東大の門前で受験生を狙って凶刃をふるった17才の少年の事件……。
このような陰鬱なニュースの背後に常に貼りついていたのが、いわゆる陰謀論の影だった。
ドナルド・トランプ英雄論を掲げて米国連邦議会を襲撃したQの席巻と凋落。
平塚正幸のノーマスクフェスを皮切りに広がった「 毒ワク 」「 ノーマスク 」の全国的デモ。
廃れたQのリバイバルのように現れ再び全国に広がっていった神真都Qの盛衰……。
現在のリチャードコシミズは全盛だった当時と比べるとすっかり落ちぶれてしまって、ネットでの知名度も彼等には到底及ばない存在になり果ててしまったのだが、このとき僕が連想したのは、ほかでもない、2014年当時のリチャードコシミズの言論そのものであった。
日が経ち、銃撃犯である山上徹也の素性が明らかになるにつれ、冒頭に挙げた画像そのままの事実が僕を驚かせた。
リチャードコシミズは「 自衛隊の諸君は、安倍晋三に銃口を向けよ 」といった。
そして、山上徹也は実際に「 自衛隊の出身 」だった。
さらに彼は旧統一教会を憎んでいた。その繋がりが許せないことが彼が安倍晋三を狙った動機だったのだから。
リチャードコシミズは、旧統一教会の使徒として働く安倍晋三を撃て、と何度も激を飛ばした。
その8年と6日後に、山上徹也は、リチャードコシミズの激が導いた通りに、現実の安倍晋三を撃ったのである ―――。
僕は政治家としての安倍晋三を評価してはいなかった。
しかし、だからといってこのようなかたちで安倍晋三を排除していいか、と問われたなら、当然僕の答えはノーだ。
通常のノーではない、断固たるノーである。
旧統一教会に家庭を破壊されて怨むにいたった彼の境遇には同情の余地が多分にあるし、心情的に彼が憎い旧統一教会を狙いたくなる気持ちも分かる。
けれども、安倍晋三は旧統一教会の信者でも内部の人間でもなかった。
いってみるなら部外者だ。
票を取るために大きな団体に接近していくのが政治家という職業の業である。
その程度の認識はいまどきの小学生なら誰でも持っていることだろう。
ところが山上徹也はこの認識を持っていなかった。
過程を破壊された怨みを果たすために、彼は旧統一教会の内部者でなく、協力者にすぎない安倍晋三を銃撃したのである。
恐るべき短絡であり、許しがたい蛮行である、と思う。
彼は旧統一教会の中枢の人間を狙いたかった、と自身でもいっている。
だけれど、教会はガードが固く、本部も韓国にあるので狙いにくかった。
だから、教会と協力関係にあり、知名度もある安倍晋三を狙った。
安倍晋三は以前から気に入らない人物だったからちょうどよかった、とも彼はいっている。
なんという自棄だ、と僕は言葉を失う。
これはつまり教会と関連していて、知名度があり、自分が好感を持っていない人物なら、誰でも殺していいということになるのではないか。
この発想と感性は、ほとんど無差別殺人のそれに近い。
けれども、彼のこの動機は、よくよく見るなら陰謀論のそれとよく似ているのである。
Q勃興の初期に起こったピザゲート事件。
ドナルド・トランプが焚きつけて起こった連邦議会襲撃事件。
コロナワクチンを毒であると決めつけて、接種会場の東京ドーム大規模接種所に訪れ妨害した神真都Qの事件……。
今世紀に入ってからの陰謀論の興隆には凄まじいものがある。
Q、神真都Qなどの陰謀論は、どうしてあれだけの数の信徒を集めることができたのだろう?
また、どうして陰謀論を信奉する輩は、安倍晋三と旧統一教会を混同した山上徹也のような倒錯を簡単に許してしまうのだろう?
コロナワクチンが毒であるというのは、いまだ証明されていない、彼等限定の願望情報だ。
ところが彼等のうちの誰も、自分たちの願望言動を「 現実 」と突きあわせて検証してみようとはしない。
出所も曖昧なデマ情報に自分らなりのデマ情報を上乗せして、自らの幻想大陸を拡張していくのが「 彼等のやり口 」なのだ。
彼等のそうした言動を目にするたび、僕は悲しくなる。
彼等は「 現実 」からはぐれた浮浪児の群れのようじゃないか、と思う。
彼等がいちばん憎んでいるのはコロナワクチンでも現政府でもない、そういったものを全て包括した「 現実そのもの 」が彼等の敵なのだ。
自分たちをこのような夢のない境遇に追いこんだ「 現実 」こそが、彼等にとっての仇なのだ。
彼等が連呼する「 ディープステート 」というのは、彼等の敵を指し示す言葉ではない。
それは、自分とおなじように「 現実 」からはぐれた気の毒な同士たちにむけて呼びかける、友好のための符丁なのである。
これから同じ地下シェルターに入る同士の、不安と隣りあわせの、最小限の友誼的表明とでもいうべきだろうか……。
✖ ✖ ✖ ✖
リチャードコシミズは、いま現在行き渡っている全ての陰謀論の始祖であり、雛型であり、アイコンだ。
あらゆる現実を憎み否定する彼の団体「 独立党 」から、現在流布している陰謀論の枝々が派生した。
一世を風靡した Q の okabaeri@9111 は、彼の主催する「 独立党 」の出身である。都真都Q の Q もここから取られている。
渋谷の毎週末のクラスターフェスで名を売った、国民主権党の平塚正幸もここの出身者だ。
僕が名を口にしたら読売新聞の記者が顔をしかめた、名古屋の活動家(?)寺尾介伸氏もここの出身。
リチャードコシミズは2014年の7月2日に「 自衛隊の諸君は、安倍晋三に銃口を向けよ 」といい、
その8年と6日後の2022年7月8日に、自衛隊出身者の山上徹也がそれを実行した。
確かにリチャードコシミズは安倍暗殺の実行犯ではない。
彼はいつも通りのヘイトな与太を飛ばしてみせただけだ。
けれども、このような与太を撒いて、それを実行する人間が実際に出てきたということは全く罪に問えないものだろうか?
陰謀論がこれほどの害悪を世に振り撒いているこの時代に、彼程のインフルエンサーがこうまで野放しにされていいものだろうか?
2021年の12月15日、彼の言論を信じて大阪市内の小学校に侵入した男が捕まっている。
https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/89ed8bfa28936d185a57b2c4c4127ce7
2021年の9月には、コロナの特効薬として駆虫薬イベルメクチンの個人輸入を推奨した咎で、上田保健所から2件の行政勧告が発せられてもいる。
https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/f86eb12283a1db01d98f985b7faffe73
2022年の3月には、彼の「 コロナには駆虫薬のイベルメクチンが神薬だ( 上記の薬機法55、68条で行政勧告を出された案件) 」という持論(?)を信じて、これを服用した元・独立党の人間が散々な被害にあってもいる。
https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/6f79a521265b8845ee7d2f211986423b
今回の安倍晋三銃撃教唆事件に関しては、すでに奈良県警にも報告済みだ。
公安調査庁の職員たちにもこの情報を届けたい、と僕等は考えている。
リチャードコシミズはネットをツールにした陰謀論者の第1世代だ。
彼の陰謀小学校から巣立った平塚正幸( さゆふらっとまうんど )―――
Q の翻訳者として米国記事にまでなった okanaeri@9111( 岡林絵里。よかとよ )―――
去年のコロナ禍のさなかに行政に多数での電凸攻撃を仕掛け、ワクチン接種機関をパニクらせた名古屋の寺尾介伸( バレバレ )―――
彼等・第2世代が世に広めた混迷を見るがいい。
陰謀論は語るべき言葉をもたない絶望者に言論を貸与し、「 自分らもいっちょまえの論客なんだ 」といった虚栄のプライドを付与する装置であり、化粧品なのだ。
これのもたらす害悪の最たるものが、今回僕が紹介したこの銃撃事件だ。
陰謀言論ウイルスの培養者、リチャードコシミズを討て ―――。
僕等の指針はいまも変わらない。 (了)
Hello、皆さん、お元気ですか―――?
当ブログ開設以来初の、1か月あまりのご無沙汰でした。
去年からコロナやらロシア・プーチンの暴虐やら、本当にいろいろありました。
昭和と平成を主に歩んできた軟派市民の僕からすると、どれもこれもギガオーバーで災害クラスの厄ネタばかり。
コロナは怖いくらい僕等の街々を侵食していったし、それに伴って生起した「 ノーマスクデモ 」やら「 ウソコロ騒動 」やら「 PCR集団訴訟 」やらの陰謀論ヒステリーの流行の規模もこれまた凄かった。
でも、そうした混濁時代もいよいよ終局です。
僕は、陰謀論ってジャンルは、これで終わったと思ってる。
実際、リチャードコシミズの聖地であった神保町の「 書泉グランデ 」4Fの精神世界コーナーでは、今年の初頭あたりから、もう「 陰謀論 」ってジャンルの表示自体がなくなっているんです。
思いきって取っ払っちゃたんですね、陰謀論ってジャンルそのもの自体を。
ブラボー! 僕はこれ「 書泉グランド 」さんの英断だと考えています。
ディープステートと口にするだけで、「 ああ、こいつ、アタマわりーんだ 」とか「 なんだ、こいつ、陰謀系ヒッキーかよ 」とか蔑まれるクールな時代がようやくのことやってきたんです。
そのへんの事情は王手メディアが最近発信するようになった、陰謀論全般に関する批判記事にもどんどん書かれるようになってきているので、ネットをご覧になっている皆さんならもうとうにご存知であるかと思います。
むろん、昔のリチャード本とか幾冊かの扱いはまだかろうじてありますが、古すぎの「 パリ八百長テロ 」だとか、マイナー筋の「 イベルメクチン本 」だとか、そんなような冴えないのばっかしで・・・。
そんな周回遅れの私小説妄想と世間憎悪を軸にした理論が、お日様の光をいつまでも浴びていられるわけがないんですよ、まったくの話。
こうしたいじましくてみじめな「 陰謀論 」に代わって覇権を握ったのが、いわゆる「 スピリチャル系 」――― かつては陰謀論本としてカテゴライズされていた本の幾割かは、こちらのゾーンにむりくり移籍されちゃってました。
こちらのスピリチャルゾーンで俄然勢いを増してきたのが、占星術系( それも激マニア。ハーモニックスやハーフサムはおろか、恒星系、ホーラリー、ヒンズー占星術なんてのもあってびっくり )、それからタロット、バイノラルビート、あとアレイスター・クロウリーの禍々魔術系あたりでしょうか。
陰謀論は、途轍もなく体裁のわるい、口にするのも恥ずかしい日陰掲示板に成り果ててしまったのです(笑)
まあ、リチャ系陰謀論っていうのは、もともと逃避ヒッキーを食いものにしているいわゆる「 貧困ショーバイ 」の系列でもあるので、それが提供するネタなんて煽情性だけでつまらないのも当然なんでしょうが、いずれにしても堕ちたもんだよねえ。
これについては日本スピリチャル系のドンであられる「 月間ムーの三上編集長 」が、僕とまったくおなじことをいってられるので、それを紹介しときましょう ――――
「今、世の中に出ている陰謀論は全部つまらない」
月刊ムー・三上丈晴編集長が語る「リテラシー」【インタビュー】
配信
陰謀論は、世の中の見方を与えてくれて分かった気になる
――こういった陰謀論と、月刊「ムー」が取り上げる陰謀論の両者が、ごちゃまぜに捉えられることはないのでしょうか。
三上:月刊「ムー」の読者は、「ムー」に書かれている内容が好きだし、じっくりと読み込むマニアもいますが、「ムー」の内容を全部信じているわけではないんですよ。そもそも「ムー」に書いてある記事自体、記事ごとで言ってることが違いますからね。よく言うのは、UFOを取り上げるとき、ある号ではUFOは異星人の乗り物、別の号では未来人のタイムマシーン、また別の号では地底人の乗り物だと取り上げています。でも読者はこれらを読んで、本人の中で消化できている。それは一家言持っているからなんです。長年読んでいると、自分はこう考えるとか、記事を読んだときに「ここら辺甘いな」みたいな読み方が出来ているんです。怪しいものに接したときの考え方や扱い方を知っているんですね。
今「陰謀論」ですごい盛り上がってワーッとなってる人たちって、たぶん「ムー」の読者ではないと思うんですよ。恐らく「ムー」の読者は、今の「陰謀論」に対して「そんな甘いもんじゃねぇよ」とちょっと上から見ているところがあるんじゃないか(笑)。
――今、陰謀論で盛り上がっている人たちが「たぶん『ムー』の読者」ではない」とはどういうことでしょうか。
三上:今、世の中に出ている陰謀論は全部つまらないんですよ。陰謀史観にまで昇華していないというか、一つの世界観や歴史観が作り上げられていない。これまでの陰謀史観に比べて、歴史の流れやスケールの大きさから見て、非常にちっちゃい。「もっと奥があるだろ!」みたいな。歴史的にも地理的にもスケールの大きい陰謀論はネットの中にはないんですよね。Qアノンやディープステートも「えっここまで?もっとあるだろ!」と思うし、甘いなと感じます。
陰謀論って、世の中の見方を与えてくれて分かった気になるじゃないですか。「世の中がなぜこうなってるんだろう」という疑問に対し、一つの解答を与えてくれるのが陰謀論なんです。でもそれは一つの見方でしかない。
――その「甘さ」は、どこから出てくるんでしょうか。
三上:それは昨日今日で陰謀論にハマったからです。ネットという環境があって、そういうのに触れる機会が多くなって、今では小学生でも「フリーメーソン」や「イルミナティ」とか言うじゃないですか。世も末だな、みたいな(笑) ( 引用以上 )
―――― ねえ、プロフェッショナルの醒めた視点が冴えわたる、いかにも氏らしい卓見だ、と僕は感じます。
結局のところ、陰謀論の流行というのは「 現実より虚構を好むひと」がたくさん増えて、そのひとたちが自分らがログインして遊んでいるゲーム空間こそが本当の現実だ、といっているにすぎないんだから。
そう、彼等はゲーマーなんです。
集団でログインしてプレイできる、ま、陰謀論を軸にした、架空の勇者たちのためのロールプレイングゲームとでもいったらいいのかな?
ゲームだから設定もなるたけ安手なほうがよくて、現実世界のファジーな諸要素もめっちゃ単純化してあるわけ。
極限までの単純化 ―――
そして、デフォルメにつぐデフォルメ ーーー
目障りな現実を見ないで済ますために彼等が編んだ、不自然極まりない工夫の数々をご覧ってば。
先行するのはいつだって自分内のわがまま目線のほう ――― 悪の組織のクロッキーにしても彼等が手がけるやいなや、それはリアルティーを一切欠いた、空想漫画枠の架空存在になり果ててしまう。
彼等の喧伝する「 ディープステート 」なんて、ちょっと聴いただけでもうラスボスすぎ! なんじゃないのかな(笑)
新聞雑誌やテレビの発する一種しかめっツラした情報なんかより、むかし祭日にビルの屋上あたりでよくやっていた、うん、仮面ライダーショーみたいなノリのほうが彼等の実状にはるかに近いのよ。
「 ワクチンで世界人民を大虐殺 」・・・
「 コロナはディープステートが企んだ大掛かりな人口削減計画だった 」・・・
「 ウラディール・プーチンはこうした世界の覇者に対して戦いを挑んだ英雄だった 」・・・
聴いてるだけでめまいがしてくるよ、マジで。
上3行の書割は、新聞の政治欄よりも、シン・ウルトラマンなんかの宣伝コピーのほうに断然ふさわしい。
観客参加型の、バーチャルな旅打ち妄想芝居とでもいうよりほかないよ。
バーチャル世界に入れこんでいるだけならそれほど害もないんだろうけど、名古屋の寺尾介伸氏が去年ワクチン接種所に集団で電凸攻撃をかけたり、リチャードコシミズがコロナの特効薬として駆虫薬であるイベルメクチンを海外輸入することを喧伝したり、神真都Qにしてもワクチン接種会場で脅しをかけて逮捕者が続出したりしているんだから、これはもう看過していいレベルの問題ではとてもないですよ。
それにしてもこうしたヒーロー二元論に入れこむ人間が、どうしてこれほどまでに増えてきたんだろう?
ヒーローになりたがるということは、現実世界においてヒーローらしい役柄をやれていないということです。
陰謀論を支える大部分のひとは、僕は、日常的に寒いくらいの境遇に耐えているタイプが多いんだろう、と見ています。
光と影なら影のほう。
快活と陰鬱なら当然陰鬱寄りの部類。
物理的なヒッキーじゃないにしても、日常的には外世界に対して完全に心を閉ざした、自閉スペクトラム症みたいな気弱で腺病質なタイプ……。
リチャードコシミズの独立党と関わっている期間、僕は、この手の引きこもりタイプをさんざん見てきました。
いろんな境遇にいた彼等ですが、共通していたのは、彼等は皆、人間関係の基本であるコミュニケーションがめちゃくちゃに下手であるということでした。
初対面の人間と話す際の自己開示は、どれくらいまで自分の蓋をあけていいのか?
相手を不快にさせない、自己信念の表明は、どのような段階を踏んで進めていけばいいのか?
相手が聴き役にまわってくれた、さて、その好意にどこまで甘えて、相手の心のどのあたりまで侵入したらいいんだろう?
いつもながらに玄関先の立ち話でお茶を濁すべきか?
ああ、笑っている。久々の受容のサインだ。
しかし、待て。職場での失敗を思い出せ。
これは信頼の笑みじゃなくて、社交辞令の笑みかもしれない。
リビングまで行かせてくれるのか? 書斎まで通してくれるのか? ひょっとして寝室まで覗かせてくれるのか?
人間関係をつくっていくのは、このようなとっさのアドリブ回路の集積です。
僕等サイドの人間がほぼ例外なくやっている、この人間関係調整のためのノウハウが、彼等にはまったくなかった。
絶望的といってしまってもいいほど、なかったんです。
そのような調整回路の代理を務めるための補完システムとして、彼等は陰謀論を求めたのではないか ――― というのが僕個人の見解です。
あの~ 一言でいってマッチングアプリなんですよ。
社交、友達作り、とりあえずの連帯、こんな自分でも参加できるような笑いと団欒に満ちた一室 ――― などを提供してくれる唯一無二のツールとして、彼等は陰謀論を求めた。
実際に、ここにくる以前は自分はワールドメイトにいた、在特会に所属していた、なんていうひとも何人かいました。
宗教の梯子をしているひともかなりいた。
見かけは全然フツーなんだけど、陰謀論系の話題を話し出すともう凄いの。
それまで閉じこめていた鬱屈の堤防が決壊して、一気に爆発した、とでもいうのかな?
大衆操作、ミスリード、身近なところに潜んで監視している工作員といった陰謀論のレンタル用語を駆使して喋りまくる彼等とそうやって対峙していると、僕はいくらか圧倒されている自分を感じつつも、もう一方の自分回路にふしぎな憐憫の気持ちが湧いてくるのをどうにも止められませんでした。
✖ ✖ ✖ ✖
2017年の4月2日に花見をやって独立党と袂を分かって以来、リチャードコシミズ発案の全国同時多発訴訟を9つも受けて( 現在抱えこんでいる訴訟は3件です。国家賠償の令和4年(ワ)第3333号は除く )、時には殺害予告を受け、脅迫電話はもう四六時中、脅迫メールと迷惑メールはもう天井知らず ――― という楽しい生活を続けてきた最近の僕がたどりついた結論はこれです。
「 境界知能問題 」
現代ニッポンには、およそ7人に一人の割合で、境界知能の該当者がいる、といわれています。
境界知能というのは、いわゆるアスペルガー( これ、現在では呼び名が変わって、自閉スペクトラム症などと呼ばれています )なんかとは違っていて、手帳の交付される障害の分類にはあてはまらないひとたちを指すんです。
自閉スペクトラム症だと、IQが70以下であると分かれば、障害を認められて国から手帳が交付される。
いわば、国からお墨付きを受けて、福祉による保護が認められるわけです。
そうなるとA級事業所やB級事業者、あるいは障碍者雇用なんかで、恒常的に働くことも可能になります。
ところが境界知能という症状は、こうしたカテゴリーから微妙に除外されているんですね。
彼等のIQは70~85、健常者とされている一般人から見ると若干低めの数字だけど、彼等の扱いはあくまで正常人なんです。
つまり、それが障害だとは認められていない。
だから、国と福祉による保護も入れない。
ハンデはないとされているんだから、ヘルプはどこからも立ち入ることができない。
つまり、彼等は自由競争という現代の過酷なサバンナに、なんの保護もなく放りっぱなしにされているわけなんです。
本当に彼等って会話が苦手なんですよ。
他人の気持ちの瞬時のゆらぎに気づくのが苦手だし、自分が属しているグループの空気を察するのも苦手です。
単純計算がやれないひとも結構多いな。
職場をひとつクビになって、新しく見つけた派遣先もまたクビになって、そんなのが彼等の暮らす日常なんだ、と僕がいったら、あなた、どう思われますか?
人間の能力は皆均等であって、それぞれの努力によって人生ごとに差がついていくんだ ――― といった昭和臭い平等信仰を、実は僕も長いこと信奉していました。
けれども、この平等信仰が、正しくない願望設定であったとしたらどうでしょう?
平等な自由競争とされているレースが全然平等などではなく、人間の能力には生まれながらの格差というものがあらかじめ存在しており、何度も躓いては転ぶしかないひとたちが7人に1人の割合で確実に存在するとしたらどうでしょう?
宮口幸治氏の「 ケーキの切れない非行少年たち( 新潮新書 )」の爆発的ヒットのおかげで、いままで長いこと日本民主主義社会のタブーであり続けてきた、この「 境界知能 」の問題が、やっとのことで世に知られるようになってきました。
日常的に心療内科に通い、心理的安定のための薬を定期的に服用しながら、彼等は自らを覆う閉塞感と孤独に必死に対峙しつつ、絶望的な生を今日も生き続けているのです。
うーん、なんかあまりにも問題がでかすぎて、なんもいえなくなってきちゃったな……。
ねえ、どうしたらいいんでしょうか、こういった深刻すぎる問題は……?
✖ ✖ ✖ ✖
これは僕の私見であり感想に過ぎないんだけど、僕は昨今の陰謀論の大流行に関して、ええ、この境界知能問題が確実に絡んでいると思っているんです。
行き場のないひと、どこをどう押しても捏ねても居場所をつくれないひとたちにとって、「 世界を誹謗できる陰謀論 」というツールは、僕等がまったく想像できないほど貴重で大切な、ひょっとして最後の砦のような、ある意味神聖な避難施設であるのかもしれない。
でも、ダメだよね、そんなのは……。
うん、なんとしてもダメだ……。
自分内の個人幻想スペースを守るために、同好の士とつるんで自分らの信じる「 陰謀論 」を喧伝するのはいい。
でも、実際に劇的な効果をあげているコロナワクチンを人殺し兵器だとヘイトチックに喚いたり、ワクチンの接種会に邪魔しにいったり、現在進行中であるロシアのウクライナへの明白な暴虐行為を無責任に賛美したりするのは、よくない。
自己都合のために同時代人の虐殺を無視して通りすぎるなんて生きかたが、正しいわけがないもの……。
今回のプーチン=ロシアのウクライナへの暴虐に関して、大多数の陰謀論者は、予想通りプーチン擁護の立場にまわったようです。
ああ、やっぱり連中は今回も裏張りするんだ、と思ったな。
それほどまでして世界誹謗ができるという自分立場のちっぽけな優位性を守りたかったのでしょうか。
もちろん、アメリカや欧州、NATOらの長年のロシア封じこめの緻密で執拗な政治的圧力が、じわじわとロシアを窮状に追いこみ、ああした逆切れ戦争を発動させたといった側面はある。
けれども、だからといってロシアの軍事部隊が、ウクライナの無辜の市民をあのように虐殺してよいという理屈は通らない。
これ、もの凄く「 あたりまえ 」の話ですよ。
そう、そんなものを通しちゃ絶対にいけない、プーチン=ロシアは裁かれるべきです。
プーチン=ロシアは、Qアノンや神真都Qと同等に語られるべき「 悪 」であり、それは僕等の無意識のなかに眠っている負の相の顕現でもあり、僕等世界の喉元に向けて突きつけられたダモクリスの剣でもあります。
僕等は、どうあってもこの剣と対峙しなければいけない。
それが現代に生きる僕等の宿命 ―――。
そして、それと同時に僕は、いよいよ崩壊の道を辿りはじめた「 陰謀論 」というものの悲しい正体も、目を反らさずに見極めなければいけない、と考えはじめています。
今日の僕記事は以上です ――― お休みなさい。 ( 了 )