Hello、皆さん、Twitter も閉じ、引きこもりをつづけていると思われていた、あの Jwejew鮮邪er さんと先日連絡がつきました。
連絡つけてくれたのは、独立党時代にせんじゃさんと親しかった、ご存じみかん姉さん!
せんじゃさんと親しかった独立党諸氏は、彼女のその後のことなど気にかかっていたでありましょう。
僕もずっと気にしてた。
なので前置きは短めに切りあげて、さあ、みんなで囲炉裏かこんで、みかん姉の話を聴きましょうーー。
実は、数か月前から私はせんじゃの母ちゃんのことが心配で心配で・・
2011年 あの可視光線が登場した鹿児島講演会の翌日、せんじゃ親子は私を桜島へ連れていってくれました。
フェリーに乗って、徐々に大きくなる桜島。
噴煙をあげる桜島を見ながら、母ちゃんは目を細めて
「ほーー火柱が立ってくれるといいっちゃね!」と言いました。
「大爆発するといいなぁ」ってことです、びっくりしました。でも 九州の女って素敵!と思いました。
その母ちゃんがここのところ、調子が悪いと聞き、どうしようかなぁーと迷いながら、数日前母ちゃんにお見舞いのお菓子と手紙を送りました。
何故、私がせんじゃの住所を知っていたか?
それは、桜島の後、数回、せんじゃんちの玄米を買っていたからです。
有機栽培のお米。木こりをする両親の元から単身で大阪へ行き、仕事をしていたけど、宮崎に帰って母ちゃん達の農業を手伝おうと決心。
福岡正信の自然農業で農薬を使わない米作りを行い、何度も何度も失敗し、やっと出来上がったお米。
それを送ってくれました。ホントにおいしかったのです。しかもめちゃ安くしてくれました。
なのでその時の住所が手元に残ってました。
こっち名産のきな粉はぶたえ餅。
それに手紙をつけました。
「母ちゃんはどうしてるの?変わりないの?」と、ほんの短い手紙。
せんじゃ、電話をくれました。宅急便に私の電話番号を書いておいたからです。
懐かしい声。
「あ、みかん姉ちゃん?、〇〇〇枝です。これなにーー?ねえちゃん」と。
そりゃあそうでしょ、突然お菓子なんて送るからびっくりするわな笑
一瞬、涙が出そうになった。あの頃のあたたかい母ちゃんとせんじゃがよみがえってきました。
母ちゃんは、脳梗塞の上、骨折をして車椅子。なので施設に入っているそうです。動く左手で、車椅子を自走してるとか。
認知症は大丈夫なようで、ちょっと発語が難しいけど、こっちの意味は全部分かると聞きホッとしました。
私は気になってたことを聞きました。
「せんじゃさぁ、独立党はどうしたの?」と。
3月頃、めちゃくちゃ書かれていたことが気にかかっていたからです。
やく中、しゃぶ中、○○金○○に関与しているとかなんとか。
そして、党員さんから多くの質問がせんじゃにされていたのに、一切答えていなかった。
この辺に疑問を感じてました。
せんじゃは、真っ直ぐな人です。
人が転んでいたら走り寄って助ける人。人が泣いていたら、すっと寄り添っていてくれる人。喜んだら一緒に手を叩いてくれる人。
純粋で、心がきれいで、素直で。私なんてへそが横についてる人間とはとても大違い。
自然を愛し、人を愛し、この世を愛し、他人をも愛す。
そういう人です。
せんじゃ言いました。
「俺さぁ。党員さんの質問に対して何十回もコメント書いたんだよ。コシミズさんちに書いた。
俺んち、やまん中だからさ、時間すごいかかるの、遅いから。
でも一つ一つの質問に何時間も何時間もかけて、書いたの。でも一つも承認されなかったんだ」と。
「え?承認されなかったの?」
「うん、一つも。一生懸命書いたんだよ。一つも載らなかった」
そういうことかーと思いました。周囲はあの頃、「せんじゃさんは引きこもった」とか「せんじゃさんは答えられないのか?」とか言ってましたね。
全部違ったんですよ、承認されなかった。という事実を知りました。
せんじゃは真摯に対応をしていた、しかし、真摯に対応しかなったのは、承認しなかったコシミズさんだったということなんです。
せんじゃ、真剣に怒ってました。信じてた分だけ、怒りも大きい。めちゃくそなこと言ってました。
2人で10分くらい、めちゃくそ言い合ったwww
「今残ってる奴の顔が見てみたい笑」みたいな(^o^)
「おれ、やられて初めて分かった、すごくよく分かった」と言ったから、私、言ってやりました。
「私な-んて2012年の4月に分かったわよ。だから辞めたんだわ」と言ったら
「ねえちゃん、言ってくれないんだもーん。黙って辞めただろ」って。
「そりゃあそん時、まだ、せんじゃノボッてたもんね。今だから分かるのよ」「それはそうだね。やられて分かったんだもんな」
と2人で笑い合いました。
「よかったね、今、気づいて」と。
これから私とせんじゃはいつでも、どんな時でも、相互に電話ができる関係になれました。
この事実を伝えたい。と私は書いています。
おーーーい せんじゃ!!聞こえてる??
いつも私は、せんじゃのそばにいるからねー。とやまびこに叫ぶように。
なんて嬉しいこと。今夜は眠れないなぁ
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
素晴らしい文章であり、素晴らしい語りですよね、これ。
企まずして、これ、一遍の叙事詩になってるよ、みかん姉!!ーー2011年に姉さんらが乗船したというフェリーの甲板から、
僕のまぶたにも噴煙をあげる桜島と薩摩の突きぬけた青空が見えるようでした。
せんじゃさんが元気なのも、よかった。
しかし、うんうんと 2016.12.2 に会ったせんじゃさんの面影を思いながら、たぶん姉さんといっしょに微笑みながら読んでいた、
僕のそうした微笑みは中途で凍ります……。
「俺さぁ。党員さんの質問に対して何十回もコメント書いたんだよ。コシミズさんちに書いた。
俺んち、やまん中だからさ、時間すごいかかるの、遅いから。
でも一つ一つの質問に何時間も何時間もかけて、書いたの。でも一つも承認されなかったんだ」と。
「え?承認されなかったの?」
「うん、一つも。一生懸命書いたんだよ。一つも載らなかった」
リチャードコシミズの仕掛けた姑息なからくりが、このくだりで一瞬に見透かせたからです。
政党基金、エ〇カ事件、CHORYOさんの民事訴訟で見せた信じがたい醜いあがき、〇〇姉淫行未遂事件、
事務所での女性盗撮、moko さんイジメ、立憲民主党に選挙ボランティアを申し入れ断られた案件……。
これまでにも多くのRK裏デッサンをしてきた僕には、自分なりのRK像といったものが一応はできてました。
しかし、ここまでとは…。ここまで姑息に意地悪に性根ごとねじ曲がっていようとは…(ト呻る)……!!
いまや僕には語るべき言葉すらありません。
心に染みるのは「嫌悪」の一語のみ。
独立党の諸君、このようなせんじゃさんに君たちが投げたあのときの罵言の数々は真正でしたか?
君たちのああした罵言と憎しみの、どこがどう「世直し」と結びつくのでしょうか?
僕には全然まったく分からない。
党員にこんな卑劣でセコイ罠を仕掛ける「正義のジャーナリスト」なんているわけないって、
ここまでいえばいくら鈍重・不感症のあなたがたにもさすがに分かるでしょう?
いまこれをこうして読んでみて、ひとかけらの後悔の念も閃かないとしたら、もうそんなカスは僕は正直どうでもいいわ。
ただ、せんじゃさんにお世話になって、ああ、あのときは済まないことをした、
せんじゃさんにせめてひとことなりともお詫びと謝罪の気持ちを伝えたいという方がおられましたら、
RKブログ上でのHNでもって当ブログまでご連絡ください。
僕マイケルが責任をもって、あなたの気持ちをせんじゃさんに伝えることを約束しますーー。
今回の記事は以上です。みかん姉さん、ありがとうねえ。近いうち飲みましょうーー!