Hello、皆さん、お元気ですか―――?
当ブログ開設以来初の、1か月あまりのご無沙汰でした。
去年からコロナやらロシア・プーチンの暴虐やら、本当にいろいろありました。
昭和と平成を主に歩んできた軟派市民の僕からすると、どれもこれもギガオーバーで災害クラスの厄ネタばかり。
コロナは怖いくらい僕等の街々を侵食していったし、それに伴って生起した「 ノーマスクデモ 」やら「 ウソコロ騒動 」やら「 PCR集団訴訟 」やらの陰謀論ヒステリーの流行の規模もこれまた凄かった。
でも、そうした混濁時代もいよいよ終局です。
僕は、陰謀論ってジャンルは、これで終わったと思ってる。
実際、リチャードコシミズの聖地であった神保町の「 書泉グランデ 」4Fの精神世界コーナーでは、今年の初頭あたりから、もう「 陰謀論 」ってジャンルの表示自体がなくなっているんです。
思いきって取っ払っちゃたんですね、陰謀論ってジャンルそのもの自体を。
ブラボー! 僕はこれ「 書泉グランド 」さんの英断だと考えています。
ディープステートと口にするだけで、「 ああ、こいつ、アタマわりーんだ 」とか「 なんだ、こいつ、陰謀系ヒッキーかよ 」とか蔑まれるクールな時代がようやくのことやってきたんです。
そのへんの事情は王手メディアが最近発信するようになった、陰謀論全般に関する批判記事にもどんどん書かれるようになってきているので、ネットをご覧になっている皆さんならもうとうにご存知であるかと思います。
むろん、昔のリチャード本とか幾冊かの扱いはまだかろうじてありますが、古すぎの「 パリ八百長テロ 」だとか、マイナー筋の「 イベルメクチン本 」だとか、そんなような冴えないのばっかしで・・・。
そんな周回遅れの私小説妄想と世間憎悪を軸にした理論が、お日様の光をいつまでも浴びていられるわけがないんですよ、まったくの話。
こうしたいじましくてみじめな「 陰謀論 」に代わって覇権を握ったのが、いわゆる「 スピリチャル系 」――― かつては陰謀論本としてカテゴライズされていた本の幾割かは、こちらのゾーンにむりくり移籍されちゃってました。
こちらのスピリチャルゾーンで俄然勢いを増してきたのが、占星術系( それも激マニア。ハーモニックスやハーフサムはおろか、恒星系、ホーラリー、ヒンズー占星術なんてのもあってびっくり )、それからタロット、バイノラルビート、あとアレイスター・クロウリーの禍々魔術系あたりでしょうか。
陰謀論は、途轍もなく体裁のわるい、口にするのも恥ずかしい日陰掲示板に成り果ててしまったのです(笑)
まあ、リチャ系陰謀論っていうのは、もともと逃避ヒッキーを食いものにしているいわゆる「 貧困ショーバイ 」の系列でもあるので、それが提供するネタなんて煽情性だけでつまらないのも当然なんでしょうが、いずれにしても堕ちたもんだよねえ。
これについては日本スピリチャル系のドンであられる「 月間ムーの三上編集長 」が、僕とまったくおなじことをいってられるので、それを紹介しときましょう ――――
「今、世の中に出ている陰謀論は全部つまらない」
月刊ムー・三上丈晴編集長が語る「リテラシー」【インタビュー】
配信
陰謀論は、世の中の見方を与えてくれて分かった気になる
――こういった陰謀論と、月刊「ムー」が取り上げる陰謀論の両者が、ごちゃまぜに捉えられることはないのでしょうか。
三上:月刊「ムー」の読者は、「ムー」に書かれている内容が好きだし、じっくりと読み込むマニアもいますが、「ムー」の内容を全部信じているわけではないんですよ。そもそも「ムー」に書いてある記事自体、記事ごとで言ってることが違いますからね。よく言うのは、UFOを取り上げるとき、ある号ではUFOは異星人の乗り物、別の号では未来人のタイムマシーン、また別の号では地底人の乗り物だと取り上げています。でも読者はこれらを読んで、本人の中で消化できている。それは一家言持っているからなんです。長年読んでいると、自分はこう考えるとか、記事を読んだときに「ここら辺甘いな」みたいな読み方が出来ているんです。怪しいものに接したときの考え方や扱い方を知っているんですね。
今「陰謀論」ですごい盛り上がってワーッとなってる人たちって、たぶん「ムー」の読者ではないと思うんですよ。恐らく「ムー」の読者は、今の「陰謀論」に対して「そんな甘いもんじゃねぇよ」とちょっと上から見ているところがあるんじゃないか(笑)。
――今、陰謀論で盛り上がっている人たちが「たぶん『ムー』の読者」ではない」とはどういうことでしょうか。
三上:今、世の中に出ている陰謀論は全部つまらないんですよ。陰謀史観にまで昇華していないというか、一つの世界観や歴史観が作り上げられていない。これまでの陰謀史観に比べて、歴史の流れやスケールの大きさから見て、非常にちっちゃい。「もっと奥があるだろ!」みたいな。歴史的にも地理的にもスケールの大きい陰謀論はネットの中にはないんですよね。Qアノンやディープステートも「えっここまで?もっとあるだろ!」と思うし、甘いなと感じます。
陰謀論って、世の中の見方を与えてくれて分かった気になるじゃないですか。「世の中がなぜこうなってるんだろう」という疑問に対し、一つの解答を与えてくれるのが陰謀論なんです。でもそれは一つの見方でしかない。
――その「甘さ」は、どこから出てくるんでしょうか。
三上:それは昨日今日で陰謀論にハマったからです。ネットという環境があって、そういうのに触れる機会が多くなって、今では小学生でも「フリーメーソン」や「イルミナティ」とか言うじゃないですか。世も末だな、みたいな(笑) ( 引用以上 )
―――― ねえ、プロフェッショナルの醒めた視点が冴えわたる、いかにも氏らしい卓見だ、と僕は感じます。
結局のところ、陰謀論の流行というのは「 現実より虚構を好むひと」がたくさん増えて、そのひとたちが自分らがログインして遊んでいるゲーム空間こそが本当の現実だ、といっているにすぎないんだから。
そう、彼等はゲーマーなんです。
集団でログインしてプレイできる、ま、陰謀論を軸にした、架空の勇者たちのためのロールプレイングゲームとでもいったらいいのかな?
ゲームだから設定もなるたけ安手なほうがよくて、現実世界のファジーな諸要素もめっちゃ単純化してあるわけ。
極限までの単純化 ―――
そして、デフォルメにつぐデフォルメ ーーー
目障りな現実を見ないで済ますために彼等が編んだ、不自然極まりない工夫の数々をご覧ってば。
先行するのはいつだって自分内のわがまま目線のほう ――― 悪の組織のクロッキーにしても彼等が手がけるやいなや、それはリアルティーを一切欠いた、空想漫画枠の架空存在になり果ててしまう。
彼等の喧伝する「 ディープステート 」なんて、ちょっと聴いただけでもうラスボスすぎ! なんじゃないのかな(笑)
新聞雑誌やテレビの発する一種しかめっツラした情報なんかより、むかし祭日にビルの屋上あたりでよくやっていた、うん、仮面ライダーショーみたいなノリのほうが彼等の実状にはるかに近いのよ。
「 ワクチンで世界人民を大虐殺 」・・・
「 コロナはディープステートが企んだ大掛かりな人口削減計画だった 」・・・
「 ウラディール・プーチンはこうした世界の覇者に対して戦いを挑んだ英雄だった 」・・・
聴いてるだけでめまいがしてくるよ、マジで。
上3行の書割は、新聞の政治欄よりも、シン・ウルトラマンなんかの宣伝コピーのほうに断然ふさわしい。
観客参加型の、バーチャルな旅打ち妄想芝居とでもいうよりほかないよ。
バーチャル世界に入れこんでいるだけならそれほど害もないんだろうけど、名古屋の寺尾介伸氏が去年ワクチン接種所に集団で電凸攻撃をかけたり、リチャードコシミズがコロナの特効薬として駆虫薬であるイベルメクチンを海外輸入することを喧伝したり、神真都Qにしてもワクチン接種会場で脅しをかけて逮捕者が続出したりしているんだから、これはもう看過していいレベルの問題ではとてもないですよ。
それにしてもこうしたヒーロー二元論に入れこむ人間が、どうしてこれほどまでに増えてきたんだろう?
ヒーローになりたがるということは、現実世界においてヒーローらしい役柄をやれていないということです。
陰謀論を支える大部分のひとは、僕は、日常的に寒いくらいの境遇に耐えているタイプが多いんだろう、と見ています。
光と影なら影のほう。
快活と陰鬱なら当然陰鬱寄りの部類。
物理的なヒッキーじゃないにしても、日常的には外世界に対して完全に心を閉ざした、自閉スペクトラム症みたいな気弱で腺病質なタイプ……。
リチャードコシミズの独立党と関わっている期間、僕は、この手の引きこもりタイプをさんざん見てきました。
いろんな境遇にいた彼等ですが、共通していたのは、彼等は皆、人間関係の基本であるコミュニケーションがめちゃくちゃに下手であるということでした。
初対面の人間と話す際の自己開示は、どれくらいまで自分の蓋をあけていいのか?
相手を不快にさせない、自己信念の表明は、どのような段階を踏んで進めていけばいいのか?
相手が聴き役にまわってくれた、さて、その好意にどこまで甘えて、相手の心のどのあたりまで侵入したらいいんだろう?
いつもながらに玄関先の立ち話でお茶を濁すべきか?
ああ、笑っている。久々の受容のサインだ。
しかし、待て。職場での失敗を思い出せ。
これは信頼の笑みじゃなくて、社交辞令の笑みかもしれない。
リビングまで行かせてくれるのか? 書斎まで通してくれるのか? ひょっとして寝室まで覗かせてくれるのか?
人間関係をつくっていくのは、このようなとっさのアドリブ回路の集積です。
僕等サイドの人間がほぼ例外なくやっている、この人間関係調整のためのノウハウが、彼等にはまったくなかった。
絶望的といってしまってもいいほど、なかったんです。
そのような調整回路の代理を務めるための補完システムとして、彼等は陰謀論を求めたのではないか ――― というのが僕個人の見解です。
あの~ 一言でいってマッチングアプリなんですよ。
社交、友達作り、とりあえずの連帯、こんな自分でも参加できるような笑いと団欒に満ちた一室 ――― などを提供してくれる唯一無二のツールとして、彼等は陰謀論を求めた。
実際に、ここにくる以前は自分はワールドメイトにいた、在特会に所属していた、なんていうひとも何人かいました。
宗教の梯子をしているひともかなりいた。
見かけは全然フツーなんだけど、陰謀論系の話題を話し出すともう凄いの。
それまで閉じこめていた鬱屈の堤防が決壊して、一気に爆発した、とでもいうのかな?
大衆操作、ミスリード、身近なところに潜んで監視している工作員といった陰謀論のレンタル用語を駆使して喋りまくる彼等とそうやって対峙していると、僕はいくらか圧倒されている自分を感じつつも、もう一方の自分回路にふしぎな憐憫の気持ちが湧いてくるのをどうにも止められませんでした。
✖ ✖ ✖ ✖
2017年の4月2日に花見をやって独立党と袂を分かって以来、リチャードコシミズ発案の全国同時多発訴訟を9つも受けて( 現在抱えこんでいる訴訟は3件です。国家賠償の令和4年(ワ)第3333号は除く )、時には殺害予告を受け、脅迫電話はもう四六時中、脅迫メールと迷惑メールはもう天井知らず ――― という楽しい生活を続けてきた最近の僕がたどりついた結論はこれです。
「 境界知能問題 」
現代ニッポンには、およそ7人に一人の割合で、境界知能の該当者がいる、といわれています。
境界知能というのは、いわゆるアスペルガー( これ、現在では呼び名が変わって、自閉スペクトラム症などと呼ばれています )なんかとは違っていて、手帳の交付される障害の分類にはあてはまらないひとたちを指すんです。
自閉スペクトラム症だと、IQが70以下であると分かれば、障害を認められて国から手帳が交付される。
いわば、国からお墨付きを受けて、福祉による保護が認められるわけです。
そうなるとA級事業所やB級事業者、あるいは障碍者雇用なんかで、恒常的に働くことも可能になります。
ところが境界知能という症状は、こうしたカテゴリーから微妙に除外されているんですね。
彼等のIQは70~85、健常者とされている一般人から見ると若干低めの数字だけど、彼等の扱いはあくまで正常人なんです。
つまり、それが障害だとは認められていない。
だから、国と福祉による保護も入れない。
ハンデはないとされているんだから、ヘルプはどこからも立ち入ることができない。
つまり、彼等は自由競争という現代の過酷なサバンナに、なんの保護もなく放りっぱなしにされているわけなんです。
本当に彼等って会話が苦手なんですよ。
他人の気持ちの瞬時のゆらぎに気づくのが苦手だし、自分が属しているグループの空気を察するのも苦手です。
単純計算がやれないひとも結構多いな。
職場をひとつクビになって、新しく見つけた派遣先もまたクビになって、そんなのが彼等の暮らす日常なんだ、と僕がいったら、あなた、どう思われますか?
人間の能力は皆均等であって、それぞれの努力によって人生ごとに差がついていくんだ ――― といった昭和臭い平等信仰を、実は僕も長いこと信奉していました。
けれども、この平等信仰が、正しくない願望設定であったとしたらどうでしょう?
平等な自由競争とされているレースが全然平等などではなく、人間の能力には生まれながらの格差というものがあらかじめ存在しており、何度も躓いては転ぶしかないひとたちが7人に1人の割合で確実に存在するとしたらどうでしょう?
宮口幸治氏の「 ケーキの切れない非行少年たち( 新潮新書 )」の爆発的ヒットのおかげで、いままで長いこと日本民主主義社会のタブーであり続けてきた、この「 境界知能 」の問題が、やっとのことで世に知られるようになってきました。
日常的に心療内科に通い、心理的安定のための薬を定期的に服用しながら、彼等は自らを覆う閉塞感と孤独に必死に対峙しつつ、絶望的な生を今日も生き続けているのです。
うーん、なんかあまりにも問題がでかすぎて、なんもいえなくなってきちゃったな……。
ねえ、どうしたらいいんでしょうか、こういった深刻すぎる問題は……?
✖ ✖ ✖ ✖
これは僕の私見であり感想に過ぎないんだけど、僕は昨今の陰謀論の大流行に関して、ええ、この境界知能問題が確実に絡んでいると思っているんです。
行き場のないひと、どこをどう押しても捏ねても居場所をつくれないひとたちにとって、「 世界を誹謗できる陰謀論 」というツールは、僕等がまったく想像できないほど貴重で大切な、ひょっとして最後の砦のような、ある意味神聖な避難施設であるのかもしれない。
でも、ダメだよね、そんなのは……。
うん、なんとしてもダメだ……。
自分内の個人幻想スペースを守るために、同好の士とつるんで自分らの信じる「 陰謀論 」を喧伝するのはいい。
でも、実際に劇的な効果をあげているコロナワクチンを人殺し兵器だとヘイトチックに喚いたり、ワクチンの接種会に邪魔しにいったり、現在進行中であるロシアのウクライナへの明白な暴虐行為を無責任に賛美したりするのは、よくない。
自己都合のために同時代人の虐殺を無視して通りすぎるなんて生きかたが、正しいわけがないもの……。
今回のプーチン=ロシアのウクライナへの暴虐に関して、大多数の陰謀論者は、予想通りプーチン擁護の立場にまわったようです。
ああ、やっぱり連中は今回も裏張りするんだ、と思ったな。
それほどまでして世界誹謗ができるという自分立場のちっぽけな優位性を守りたかったのでしょうか。
もちろん、アメリカや欧州、NATOらの長年のロシア封じこめの緻密で執拗な政治的圧力が、じわじわとロシアを窮状に追いこみ、ああした逆切れ戦争を発動させたといった側面はある。
けれども、だからといってロシアの軍事部隊が、ウクライナの無辜の市民をあのように虐殺してよいという理屈は通らない。
これ、もの凄く「 あたりまえ 」の話ですよ。
そう、そんなものを通しちゃ絶対にいけない、プーチン=ロシアは裁かれるべきです。
プーチン=ロシアは、Qアノンや神真都Qと同等に語られるべき「 悪 」であり、それは僕等の無意識のなかに眠っている負の相の顕現でもあり、僕等世界の喉元に向けて突きつけられたダモクリスの剣でもあります。
僕等は、どうあってもこの剣と対峙しなければいけない。
それが現代に生きる僕等の宿命 ―――。
そして、それと同時に僕は、いよいよ崩壊の道を辿りはじめた「 陰謀論 」というものの悲しい正体も、目を反らさずに見極めなければいけない、と考えはじめています。
今日の僕記事は以上です ――― お休みなさい。 ( 了 )