サーティンキュー
Commented by マイケル at 2023-02-12 22:05 x
サーティンキューさん、お元気ですか、マイケルです。
こちら事情でそちらのブログへの訪問を控えているしばしの間に、世相の乱れは驚くほど進みました。
いや、現実世界のすぐ背後で癌のように増殖していた「 人間精神の退廃 」が、とうとうあちらで収納しうる臨界点を突破して、こちらの世界に雪崩れこんできたと見るべきでしょう。怒涛のように。
ルフィなる者の遠隔指令で行われた裏バイトとしてのネット殺人 ―――
実業に携わる傍らで、高額所得者の個人情報を単なる「 割りのいいアルバイト 」として、なんの罪の意識も持たずに闇名簿業者に流す、ごくフツーの堅気の会社員たち ―――
叩かれても叩かれても消えきらず、陰謀論&カルトの擬似空間に相変わらず居住しつづけ、コロナへの特効薬はアビガンやイベルメクチン以外はないなどという黒デマを御旗にして、ネットのたそがれ空間内で根拠なき正義を振り回す、この世の縁から滑り落ちた亡者たち ―――
ええ、サーティンキューさんのいわれる通り、いまの日本に「 地獄 」が現出してしまった、というのが僕の考えです。
文藝的な表現じゃないんですよ、これは正真正銘の、混じり気なしの、モノホンの「 地獄 」です。
よりキャッチーにいうならローマでしょうか。
愛する母国であるニッポンが、カリギュラやネロの頃のローマの貴族社会の退廃に、とうとう呑まれて胃のなかまで流しこまれちゃった、というべきかもしれない。
魂の退廃に限度はありません。
また、この退廃は、職業の貴賤を問いません。
有名実業家も、財界人も、政治家も、タレントも、市井の普通の市民も、派遣のアルバイターも、会社の正社員も、誰彼構わず「 白茶けて無感動な、金儲けと虚栄だけがステータスである、エゴイスティックな昔噺のような血の池地獄 」に叩きこまれてしまった。
金が神になれば、ひとの命なんてただの無関係な物質です。
そうした精神風土が、人の世のあらゆる仕組みと規範とを嘲笑い、自分たちだけに都合のいい、欲望と快楽だけの「 幻魔の神話 」をいよいよ作りはじめたんだな、と僕は思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★マイケルさん、こんにちは。戦前は広島と長崎に原爆が落ちて終わりましたが、今は本当に「人間の終わりの現象」が来ているように感じますね。簡単に「闇バイト」に応募して、仕事だと割り切って簡単に「強盗」や「老人殺し」をする。それもカネのために。それも数万円の世界。強盗した者たちも老人殺しの者たちも「騙された」だけ。この現象は「ウソの理想」を説いて若者たちを騙した池田大作や文鮮明の詐欺世界よりも下の現象ですよね。統一教会信者たちも創価学会信者たちも「ウソの理想」だが「理想」を信じて、人々や老人たちには優しかったわけで、数万円のお金で「強盗」したり「老人殺し」をしたりはしなかった。これ以上、日本人が下がると「ロシア軍の日本へ侵攻」「大地震」「経済恐慌」が来ると思いますね。
★今は「お金の問題」と「性の問題」がありますが、「性の問題」も酷いわけですよね。ホストに貢ぐために「朝・昼・夜」と売春する若い女性。そしてそんな若い女性を買う「梅毒オジサン」ですが、「梅毒オジサン」って、医者とか教師とか警官とか消防士とか「昼間」は立派な職業をやっていると推理できます。毎日、日本では「わいせつ犯」が出てきますが、政治家とか教師とか医者は「わいせつ犯」の常連の職業ですから。ホストに貢ぐために「朝・昼・夜」と売春してお金を稼いでいる女性も哀れだが、それを買う「梅毒オジサン」も「末法の末路現象」です。
★このような「末法現象」の中で生きていると「政治家が悪い!」とか云う気にもなれません。さて、1973年に札幌市の狸小路に狸大明神像が置かれました。1973年に井上陽水の「氷の世界」が大ヒットします。そして1973年に五島勉の「ノストラダムスの大予言」が大ヒットします。鷲は常にこのブログで「狸大明神像」の説明をしてますし、井上陽水の曲を常に貼ってます。そしてノストラダムスの大予言も当たっていた!ということです。五島勉は「1999年7月」を西暦だと勘違いした所が間違いですが、「人間の終わりが来る!」という予言は当たっていたと思います。
★鷲は井上陽水は「普通のシンガ―ソングライター」ではない!と思ってます。ユーミンや中島みゆきや吉田拓郎でもまったく敵わない。「氷の世界」というタイトルにしても【今】の世界を歌っていると感じます。井上陽水の「歌詞」は、鷲の表現では、「白い月の女神」から来た「大予言」だと思ってます。「ノストラダムスの大予言」の現代版が井上陽水の1枚目から5枚目のアルバムの60曲。それ以降は「声が変わってしまって、陽水に神通力がなくなった!」という感じを持ってます。60曲も良い歌を創ったからそれで十分な仕事を地上でしたと思ってますが。
★鷲は「狸大明神像」に憑依されてますから、ひたすら、「狸大明神像」を背後に「性エネルギー昇華秘法」を書いていくと者の自覚があります。しかし狸小路商店街の人々は、商売人だから、商売繁盛以上のことを考えることはできません。さて、今回の結論ですが、日本人がこれ以上「下がる」と「究極のヤバイ世界」に突入すると思いますね。若者たちは暴力で老人たちからカネを盗むとか、若い女性たちはホストに貢ぐために「朝昼夜」売春するとか究極に堕ちた世界が体現されてます。鷲が19歳の頃、横浜の黄金町や日の出町で見た「白塗りメリー」の全国的復元の世界が今の日本だと感じます。
サーティンキューさん、素晴らしいアングルからの独創的な見解をありがとう!
ふたりして中学のころから陽水ファンだったというのも奇遇なんだけど、僕はかつて「夜」を歌った歌人のなかで、陽水っていうのは西行法師や天才・柿本人麿なんかと並びうる、日本文藝史でも有数な上席を占める、一種スペシャルランクな歌人であったと思っています。
陽水は夜のひとであり、夜の歌人です。
初期の「招待状のないショー」にしてから、夜への嗜好と憧れに満ち満ちていて、それが陽水という人間の主軸をなす要素であるということは、彼の歌を愛でるひとならば誰でも感知可能でしょう。
古事記によると、夜を支配する月読命(ツキヨミノミコト)は、死んだ妻である伊邪那美命(イザナミ)を諦めきれないで黄泉の国を訪れた伊邪那岐命(イザナギ)が、待望の再会を果たせず、失意のうちに海辺で行った禊(みそぎ)の際に生まれ落ちた3神のうちの1柱だということです。
黄泉の国にいって死んだ妻を取り戻せなかった伊邪那岐(イザナギ)の悲嘆が生んだのが、
太陽神である天照大神 ―――
夜を統べる者としての月読命 ―――
そして悪神なのか英傑なのか区別のつかない、あの勇猛な建速須佐之男命(スサノオノミコト)―――
陽水がこの3神中で月読命(ツキヨミノミコト)の直系であることは、誰の目にも明らかでしょう。
それくらい彼が彼の歌のなかに所有してる「闇」は、濃くて深いものです。
サーティンキューさんがよく引用される「能古島の片思い」にしても、あれは陽水にしては眩しいほどの光が乱反射する、珍しい太陽賛歌とも取れる歌なんですが、あれが歌われている舞台は、やっぱり日が落ちた後の夜の浜辺なんですよね。
まさに全盛期の陽水を象徴するような名曲です。
ですが、これを純粋な恋歌と呼ぶことは、僕にはできません。
これはやはり周りに闇が満ちているからこそ歌えた「鎮魂歌(レクイエム)」と呼ぶべきだ、と僕は思う。
構造的にいうなら、「招待状のないショー」や「ゼンマイ仕掛けのカブトムシ」「とまどうペリカン」「リバーサイドホテル」なんかと同じ系列。
夜です。夜なんですよ ――― それも社会性や通常の意味性から解き放たれた、純粋でアナーキーな常闇。
―――― 僕の声が君に届いたら ステキなのに。
このあまりに陽水的なサビの表現は、何気に書かれたものと推察されるだけに、陽水存在の基盤的構造を返って露わにしている、と僕は見ます。
陽水は、自分の恋の成就を全く信じてません。
というより、それが成就したらいいな、ともたぶん思っていないと思う。
「故郷は遠きにありて思ふもの。そして悲しく歌うもの。帰るところにあるまじや」と歌った犀星の嗜好が、やはり陽水の歌う夜に木魂して二重になって響いてもきます。
優れたシンガーである中島みゆきも夜を歌いますが、彼女の歌う夜は、あくまで昼の対蹠物としての夜なんです。
「悪女」にしても「別れうた」にしても「ミルク32」にしても、貫いているのは昼の論理の延長であり、歌中で歌われるどんな悲恋にしても、それらは恋の成就を願う極めて健康的なものであって、彼女のなかに純粋な夜そのものへの嗜好はたぶんありません。
陽水の中期のはじまりともいえるあの「なぜか上海」は、あれ、自分の立ち位置に自覚的な視点を持ちだした彼が、初めて公的な視点から発信した、夜の国の人間としての住民登録宣言だったのではないでしょうか。
夜は昼の論理を決して認めません。認めないし、信じもしない。
陽水が先天的に自分のなかに所有していた夜は、僕はあの銀河鉄道の宮沢賢治が所有していた夜と同じくらい、濃くて深い絶望を宿したアナーキーなものであった、と考えています。
それくらい彼が彼の歌のなかに所有してる「闇」は、濃くて深いものです。
サーティンキューさんがよく引用される「能古島の片思い」にしても、あれは陽水にしては眩しいほどの光が乱反射する、珍しい太陽賛歌とも取れる歌なんですが、あれが歌われている舞台は、やっぱり日が落ちた後の夜の浜辺なんですよね。
まさに全盛期の陽水を象徴するような名曲です。
ですが、これを純粋な恋歌と呼ぶことは、僕にはできません。
これはやはり周りに闇が満ちているからこそ歌えた「鎮魂歌(レクイエム)」と呼ぶべきだ、と僕は思う。
構造的にいうなら、「招待状のないショー」や「ゼンマイ仕掛けのカブトムシ」「とまどうペリカン」「リバーサイドホテル」なんかと同じ系列。
夜です。夜なんですよ ――― それも社会性や通常の意味性から解き放たれた、純粋でアナーキーな常闇。
―――― 僕の声が君に届いたら ステキなのに。
このあまりに陽水的なサビの表現は、何気に書かれたものと推察されるだけに、陽水存在の基盤的構造を返って露わにしている、と僕は見ます。
陽水は、自分の恋の成就を全く信じてません。
というより、それが成就したらいいな、ともたぶん思っていないと思う。
「故郷は遠きにありて思ふもの。そして悲しく歌うもの。帰るところにあるまじや」と歌った犀星の嗜好が、やはり陽水の歌う夜に木魂して二重になって響いてもきます。
優れたシンガーである中島みゆきも夜を歌いますが、彼女の歌う夜は、あくまで昼の対蹠物としての夜なんです。
「悪女」にしても「別れうた」にしても「ミルク32」にしても、貫いているのは昼の論理の延長であり、歌中で歌われるどんな悲恋にしても、それらは恋の成就を願う極めて健康的なものであって、彼女のなかに純粋な夜そのものへの嗜好はたぶんありません。
陽水の中期のはじまりともいえるあの「なぜか上海」は、あれ、自分の立ち位置に自覚的な視点を持ちだした彼が、初めて公的な視点から発信した、夜の国の人間としての住民登録宣言だったのではないでしょうか。
夜は昼の論理を決して認めません。認めないし、信じもしない。
陽水が先天的に自分のなかに所有していた夜は、僕はあの銀河鉄道の宮沢賢治が所有していた夜と同じくらい、濃くて深い絶望を宿したアナーキーなものであった、と考えています。
――― 夜は深い。夜は深い。落ちこむぞ、夜は深い。許し合う罪もない君と僕。(君と僕のブルース)
初期陽水がもっていた瑞々しくて凶暴なあの圧倒的な抒情は、彼が自分のそうした資質と戦って、あえて昼の国に居住しようとしたことから発した、いわば必然の葛藤であったと僕は解きたい。
僕はあえて「凶暴な」と書いたけど、本当は凶暴どころじゃないんです。
製材所ではときどき神社のご神木なんかも扱うことがあるそうなんだけど、その木のなかにときどき呪いの古釘なんかが埋まっていて、どんな固い木質も簡単に切断する特別性のカッターの刃が、そんな錆びついた華奢な古釘のために破損するケースがままあるというんです。
ええ、凶暴どころじゃない、昼の世界と正面から対峙した陽水の視線は、それくらい「禍々しくて不吉」なものです。
昼の世界にはほどほどの抑制というものがある。
けど、夜の世界にそんなものはありません。一度離陸した思いは、無限に常闇のなかを飛翔していくのです。
そんな陽水が昼の論理と真正面から闘いを挑んだのが、「傘がない」あるいは「氷の世界」といった歌であったのだ、と僕は思う。
あれら、歌じゃないですよね? かといってポエジーでもない。あれは、戦争だ。
陽水は詩人だから、言葉を剣にして戦った。昼の勢力は圧倒的だから、陽水の剣はあっという間にぼろぼろになった。
現在で戦っていると戦況が不利すぎるから、彼はときには過去に遡行したり未来に出向いていく必要があった。
陽水は実社会で使っている「統合された自己」を棄てた。
すると、アリスを不思議の国に導いたウサギの代わりに、陽水の窓辺には見たことのない林檎売りが現れた。
あるいは「雨」と「自殺についての新聞記事」が、それのための蝶番になった。
陽水は昼世界の論理と戦うために、自己をばらばらの破片に分解して、そのそれぞれに夜世界の歌を唄わせた。
伝説のローレライの歌のように、陽水の遣わした闇のソルジャーらは、昼の虚栄と欺瞞のからくりをことごとく破壊した。
陽水の歌が去ったとき、僕等は陽水の声により完全に変質してしまった、剥き出しの世界の本質を見せられることになった。
それは、無残なほど愚かで醜かった。
陽水のポエジーと美声に全ての虚飾を奪われた新世界は、時の流れに乗って逃亡する権利を奪われ、その場で凍結した。
陽水は自身に生じた歪みも気にかけずに、一心に歌いながら、ありのままの世界の実像を実際に見たのです。
世界の実像は、彼がかすかに予兆していたように、恐らく「ゼンマイ仕掛け」だった。
本質がそれなら、時の経過なんて無意味です。
変化のベクトルがあらかじめ閉ざされているなら、過去も未来も現在も同じことなんですから。
その意味において、陽水の歌を「予言歌」とするサーティンキューさんの視点は、圧倒的に正しいと僕は思います。
陰謀論、反ワク、反マスク、コロナは虚偽イベント・・・全てが「氷の世界」でした。
僕等が体験した司法の世界もおなじ ――― 「ゼンマイ仕掛けの正義」の進行機械に良心なんて生じるわけもありません。
彼等にとっては「狭い小さな世間での通常運行」がすべての責務であって、それに異を唱える存在は全部バグなんでしょう。
しかしながら、陽水についていささか書きすぎちゃいましたねえ。
肝心の「日月神示」まで行くスペースがなくなってしまった(笑)
というわけでこれから先は次記事の( 2 )でもって展開することにいたします ――— お休みなさい。
P.S 陽水が「傘がない」のなかで「行かなくちゃ、君に逢いにいかなくちゃ」と歌った君っていうのは、恋人とかそうした類いのものじゃなくて、本当の自分自身であったと僕は思うんです。僕にはほかのひとが持っている傘(自我の防衛装置みたいなもの)がない。だったら、生き延びるためにはそうしたシェルターの代わりとして、いまの自分を変質させることが必要だ。そこで誕生したのが中期以降の陽水。陽水は少年時代の無垢を棄て、大人になった。初期作である「いつのまにか少女は」は、若き陽水の無意識が未来の自身を透視した、一種の予言だったといえなくもないのかもしれません。
―――― だけど、春の短さを、誰も知らない・・・。
陽水はそれを知ってたんですねえ。誰もほんとはそんなこと知りたくないんだけど。彼の感性は速すぎる。怖いわあ。
僕はあえて「凶暴な」と書いたけど、本当は凶暴どころじゃないんです。
製材所ではときどき神社のご神木なんかも扱うことがあるそうなんだけど、その木のなかにときどき呪いの古釘なんかが埋まっていて、どんな固い木質も簡単に切断する特別性のカッターの刃が、そんな錆びついた華奢な古釘のために破損するケースがままあるというんです。
ええ、凶暴どころじゃない、昼の世界と正面から対峙した陽水の視線は、それくらい「禍々しくて不吉」なものです。
昼の世界にはほどほどの抑制というものがある。
けど、夜の世界にそんなものはありません。一度離陸した思いは、無限に常闇のなかを飛翔していくのです。
そんな陽水が昼の論理と真正面から闘いを挑んだのが、「傘がない」あるいは「氷の世界」といった歌であったのだ、と僕は思う。
あれら、歌じゃないですよね? かといってポエジーでもない。あれは、戦争だ。
陽水は詩人だから、言葉を剣にして戦った。昼の勢力は圧倒的だから、陽水の剣はあっという間にぼろぼろになった。
現在で戦っていると戦況が不利すぎるから、彼はときには過去に遡行したり未来に出向いていく必要があった。
陽水は実社会で使っている「統合された自己」を棄てた。
すると、アリスを不思議の国に導いたウサギの代わりに、陽水の窓辺には見たことのない林檎売りが現れた。
あるいは「雨」と「自殺についての新聞記事」が、それのための蝶番になった。
陽水は昼世界の論理と戦うために、自己をばらばらの破片に分解して、そのそれぞれに夜世界の歌を唄わせた。
伝説のローレライの歌のように、陽水の遣わした闇のソルジャーらは、昼の虚栄と欺瞞のからくりをことごとく破壊した。
陽水の歌が去ったとき、僕等は陽水の声により完全に変質してしまった、剥き出しの世界の本質を見せられることになった。
それは、無残なほど愚かで醜かった。
陽水のポエジーと美声に全ての虚飾を奪われた新世界は、時の流れに乗って逃亡する権利を奪われ、その場で凍結した。
陽水は自身に生じた歪みも気にかけずに、一心に歌いながら、ありのままの世界の実像を実際に見たのです。
世界の実像は、彼がかすかに予兆していたように、恐らく「ゼンマイ仕掛け」だった。
本質がそれなら、時の経過なんて無意味です。
変化のベクトルがあらかじめ閉ざされているなら、過去も未来も現在も同じことなんですから。
その意味において、陽水の歌を「予言歌」とするサーティンキューさんの視点は、圧倒的に正しいと僕は思います。
陰謀論、反ワク、反マスク、コロナは虚偽イベント・・・全てが「氷の世界」でした。
僕等が体験した司法の世界もおなじ ――― 「ゼンマイ仕掛けの正義」の進行機械に良心なんて生じるわけもありません。
彼等にとっては「狭い小さな世間での通常運行」がすべての責務であって、それに異を唱える存在は全部バグなんでしょう。
しかしながら、陽水についていささか書きすぎちゃいましたねえ。
肝心の「日月神示」まで行くスペースがなくなってしまった(笑)
というわけでこれから先は次記事の( 2 )でもって展開することにいたします ――— お休みなさい。
P.S 陽水が「傘がない」のなかで「行かなくちゃ、君に逢いにいかなくちゃ」と歌った君っていうのは、恋人とかそうした類いのものじゃなくて、本当の自分自身であったと僕は思うんです。僕にはほかのひとが持っている傘(自我の防衛装置みたいなもの)がない。だったら、生き延びるためにはそうしたシェルターの代わりとして、いまの自分を変質させることが必要だ。そこで誕生したのが中期以降の陽水。陽水は少年時代の無垢を棄て、大人になった。初期作である「いつのまにか少女は」は、若き陽水の無意識が未来の自身を透視した、一種の予言だったといえなくもないのかもしれません。
―――― だけど、春の短さを、誰も知らない・・・。
陽水はそれを知ってたんですねえ。誰もほんとはそんなこと知りたくないんだけど。彼の感性は速すぎる。怖いわあ。
氷の世界 - 井上陽水 1992 SPARKLING BLUE (日本武道館)
高級なレストランでも庶民的な居酒屋でも、どちらも同じように気持ちの良いサービスを受けられます。
リーズナブルなビジネスホテルの従業員だって、すぐにでも一流ホテルのスタッフになれそうな人ばかりだし、コンビニでもドラッグストアでも不愉快な思いをすることはほとんどありません。
そういえば、数ヶ月前、海外の食材を販売するショップで、ぞんざいな接客を受けたことがあるのですが、その店員はすぐに居なくなり、その代わりに「スタッフ募集」の張り紙がありました。
ドラッグストアやスーパーでもセルフレジが増えて、操作のできない高齢者が頻繁にスタッフを呼びますが、忙しくても丁寧で完璧な対応をしていますね。
セルフレジの導入でスタッフの数はかなり減ったと思います。広いホームセンターで店員さんを探すのに苦労します。
コールセンターも電話が混み合っている場合が多いですが、完璧な説明をしてくれます。
昔は感じの悪いスタッフも結構いましたよね。バスやタクシーの運転手、郵便局員、駅員の中にもいました。
単純作業は機械(IT)に入れ替わり、社会で受け入れられるのは、話し上手でコミニュケーションの取れる人、クリエイティブな仕事ができる(仕事を作れる)人、理路整然としたオリジナルな文章が書ける人、コンピュータを使いこなせる人など、高度な技能を習得できるキャパのある人(=頭の良い人)ばかりとなりました。
そこからドロップアウトした人たちが、闇バイト、パパ活、飲食店へのテロ、陰謀論に走るのでしょう。
ネットには「めちゃくちゃな文法や支離滅裂な内容」が多数投稿されており、「あぁ、この人は社会で働くのは絶対に無理だろうな」と一目瞭然です。
①闇バイト
仕事内容が不明なのに報酬が高額だなんて、少し頭を使えばヤバいに決まってますよね。闇バイトに手を出す人は判断力がゼロで、当然他の仕事もできないでしょう。
②パパ活
サーティンキューさんの仰るとおり、パパ活や風俗店勤務で稼いだお金は、ホストクラブで承認欲求を満たすために使います。
東京都に限れば、梅毒の患者は10年前の40倍だそうです。
これはマッチングアプリと(パパ活という名の)売春の増加が要因だと思います。ちなみに陰謀論者によると、梅毒の増加はワクチンの薬害だそうです。
もちろん、マッチングアプリを安価な婚活ツールとして利用している人もいますが、女性は集客の場にし、男性はお金を払わず遊べたらラッキーと考えてる連中もいるらしく、攻略サイトまであります。
両者ともハイリスクで、病気はもちろん、犯罪に巻き込まれる可能性もあり、理解不能な人たちです。
ただ「最貧困女子」というルポルタージュによると、風俗店で勤務する女性の多くは、軽度知的障害や境界知能を抱えており、他の仕事は難しいという事情があるそうです。
ところが、長引く不況で、シングルマザーや借金を抱えた健常者の女性が業界に参入し、コミュニケーション能力で劣る障害者は、アブノーマルで過酷な仕事を低賃金で押し付けられることになっているそうです。
境界知能とは、IQ71以上85未満の人で、日本の人口の14%を占めます。
③飲食店テロ
これも歪んだ承認欲求の現れですね。スシローのペロペロ少年のテロの直前に大量に空売りした人物がいたそうで、グリコ森永事件同様、闇バイト+インサイダー取引の噂もありますが、こんなことをすれば一生を棒に振ります。最近もお寿司にスプレーを発射した少年もいるようで、いくら未成年とはいえ、凄まじい判断力の欠如です。
承認欲求が強すぎるのはのは、自己肯定感が低いからです。褒められる経験が少ないためだと考えられます。
④陰謀論
一匹狼の陰謀論者は少なく、たいてい誰かの陰謀論を100%鵜呑みにし、第三者から見てほんの1%の違いでいがみ合うのが特徴。現在進行中なのがイベルメクチンvsアビガン。
どちらも「劇薬」指定で、日本では医師の処方箋が必要なのに、勝手にインドから取り寄せて用法用量を完全無視で服用。これも凄まじい判断力の欠如です。これは法律がおかしいような気もするのですが。法整備が待たれます。
陰謀論インフルエンサーらは揃いも揃ってコロナに目をつけ、情弱ビジネスを展開していますが、その中で大将だけは異質で、(元)家族のワクチン接種を止めようとしたことから、本人も荒唐無稽な陰謀話を信じているようです。
例えば内海医師などは「反ワク」を唱えながら、娘を海外留学させているので、少なくとも娘は絶対にワクチン接種しているはずです。
またある政党は、小麦粉、砂糖、牛乳等の害を唱えながら、幹部がピザやケーキを食べる写真をアップしています。
信者らは少し考えれば自分が騙されていることに簡単に気付けるはずなのですが、トラストリテラシーが著しく欠如しており騙されっぱなしです。
そのなかで大将だけが、一流の詐欺師のように、自分で自分を騙して信じ込むという特異な才能(?)があり、私が大将のみに着目している理由はその点です。
陰謀論が②や③と違うのは、承認欲求を満たすというより、「自分が不遇なのはDSの作ったこの世のシステムにマッチしないだけだ」「なんの悩みもないように見えるヤツらはB層なだけだ」「自分は特別だ」と虚栄心を満たすことができ、「人口削減計画でほとんどすべて死ぬ」というドス黒い妄想で、世間の人たちへの復讐心も満たせる点です。
コロナ前は、911や311の本番を待ち望んでましたから。その話はすでに消えています。師
裁判官は「弁論主義、当事者主義の原則」から、当事者同士の主張やそれぞれが提出した証拠を見比べて、判示しなければなりませんよね。3333号訴訟は片方の当事者不在のまま終わりました。
丹下さんは当事者を法廷に呼べる立場にありながら、あえてやりませんでした。やれなかったのでしょう。
私たちは当事者なので、公文書である口頭弁論調書に事実の改ざんがあることを知っており、第二回口頭弁論調書の「当事者」の項目が第三回調書のそれと完全一致している物理的な証拠も提出しました。
二回と三回の調書は文字間のスペースの取り方が完全に一致しており、「社会通念上(=常識的に考えて)」も第二回調書は、作成する権限のない三回目から新しく担当になった書記官さんが作成したと考えるのが普通です。
つまり、第二回の担当書記官が「第二回調書は私が作ったものではない」と証言すると、その場で不正が確定します。
これまで何度も裁判所職員の小細工がバレて自主退官していますが、今回のものは書記官、裁判官二人の認印があり、その裁判官が「真正に作成されたものだ」と文章に残してしまったものだから、今更前言撤回しても少なくとも一度は「嘘でごまかそうとした事実」が永遠に残りますので、「行くも地獄戻るも地獄」状態になっています。
丹下さんが書記官2人を呼んで証言させると、おそらくその場で、現役裁判官の不正が発覚します。こんなことは空前絶後のことでしょうから、どう対応すれば良いのかわからないのだと思います。
国を負けにした裁判官は出世しないようですが、当事者主義の原則を貫くならば、私たちの主張を全面的に採用しなければならず、そうなれば国が負けることになりますよね。彼女が「裁判官としての誇り」を貫けるかどうかが問題です。
この状態は彼女にとって、間違いなく崖っぷちです。
陰謀論者の「工作員」と同じくらい便利な言葉であり「社会通念上」という言葉を使い、「社会通念上、第二回調書は真正に作成されたものと考えるべきである」とでも言うんでしょうか?
恐ろしいことにそれでも通用するのが裁判官なんですよね。判決文に(私たちの世界における)理由は不要なんで。
裁判官はなるまでは非常に難しいのですが、仕事自体は簡単で、判決文に「みなが納得するような理由」は不要です。なんだかよくわからない基準で適当な賠償金を決めれば良いだけです。
難しいのは、その判決に至った明確な理由を言葉や文章にすることです。つまり、みんなを納得させるような理由ですね。裁判官はそこをすっ飛ばせる単純作業なのです。
例えば、実父が未成年だった娘さんに性的虐待をし、成人しても娘さんがPTSDで苦しんできた事件だって、裁判官は虐待の事実は認めたようですが、「PTSDとの因果関係は認められない、棄却!」だそうです。
娘さん本人が長年フラッシュバックで苦しんできたと言ってるのだから、誰がどう考えても因果関係はあります。自分が当事者の立場になればわかりそうなものなんですけどね。
裁判官が常識外れな人物だと、常識外れな判決が量産されてしまいます。
何か物を売るにしても、お客さんが「買うべき理由」をアピールしなければなりません。そこが商売で一番難しい点です。裁判官はセールスポイントを言わずに、「どこが良いかは言わないけど、良いのだ!買え!」と押し売りをしているようなものです。
元裁判官の瀬木さんによると、それでも5%はまともな裁判官らしいので、丹下さんがそれなら、私たちが敗訴になることはないし、敗訴になっても、二審、三審と進めばその中に一人くらい5%に属する裁判官に出会えるかもしれません。
108つの誤記にしても、ほとんど「裁判所テロ」みたいなもので、学生バイトくんが勤務先の冷蔵庫に入ってネットに上げるくらいの強烈なテロリズムです。
社会人として通用する常識さえあれば、これを黙って見逃すなんてことはできないでしょう。
悪ふざけをした子どもが日本中から叩かれて、一生反省し続けないといけないのに、裁判官なら何をしても「テヘペロ」で許されるなんてことはないと思いますよ。社会通念上絶対にありません。
石垣陽介さんは、長く裁判官を続けてきた人なのに、なんでよりによって私たちのときに、ポキっと折れたんでしょうね。
大量誤記やら審理不尽やらの「常習者」なら、さすがにもっと早期に問題になってたはずなんですよね。不思議です。
彼は63期の裁判官で、令和2年9月までは判事補でした。石垣さんが43期なので、20期も下の人です。
にも関わらず、石垣さん本人に出廷するよう促してくれました。答弁書を出しているから出席の必要はないときです。
完全年功序列制の裁判所で、こうした行為は勇気のいることだと思います。
当然というか、石垣さんは拒否したんですけどね。
自分には非がないのなら、出てきて釈明すれば良いだけの話です。私なら真面目に職務に励んでいたにも関わらず、理不尽な因縁を付けられれば、出てきて文句を言いますね。逆に言いたいですね。自分のいないところで、悪者にされるのは不本意です。
仮に石垣さんが登場すれば、何を言うかわかりません。増子裁判官はその時の対応方法も考えてきたのでしょう。
情報ありがとうございます。
昨日、久々に大将の動画を見たら、仲本工事さんや松原千明さんなど、事故や自死の方までワクチン死に入れてました。
大将の珍説では有名人の逝去が毎日報道されている有名人は1000人に1人だから、この1000倍の一般人が死んでいるはずだと謎理論を展開してましたが、実際、日本人は毎日3700人くらい亡くなっています。
懐かしのユダヤ人からのリクルートメールも紹介してました。あのメールが大将の自作自演なのか、誰かのイタズラなのかはいまだに不明です。
陰謀論者に言わせれば、あらゆる大地震は人工になりますが、その根拠は、第二次世界大戦中に中島飛行機の工場が地震兵器で破壊されたことによるそうです。
当時はアメリカと戦争していたのだから、すでに技術を持っていたアメリカに地震兵器を使われてもさほど不思議ではありません。
それを根拠に、現在に起こるあらゆる地震を人工地震認定するのも謎としか言えませんね。
>地裁では、なぜ「無罪」になったのか?
まず、当初の無罪判決につながった、地裁における事実認定を振り返ってみよう。
名古屋地裁岡崎支部は、被告人は、被害者が中学2年生のころから性交を含む性的虐待を開始したことや、事件前日までの間に、被害者は、被告人から、こめかみの辺りを数回拳で殴られ、太ももやふくらはぎを蹴られた上、背中の中心付近を足の裏で2、3回踏みつけられたという暴行の存在は、認定していた。
しかも、名古屋地裁岡崎支部は、被害者の事件当時の心理状態について、精神科医が、被害者は学習性無力の状態にあり、「被告人に対して心理的に抵抗できない状況」である旨の鑑定意見に、高い信用性が認められると述べていた。
しかしながら、名古屋地裁岡崎支部は、被害者が両親の反対を押し切って専門学校に進学し、その学費を被告人が負担していたこと、抵抗により性交を拒絶することができたときもあったことなどから、被告人が、被害者の人格を完全に支配し、被害者が被告人に服従・盲従せざるを得ないような強い支配従属関係にあったとまでは認めがたいとして、「抗拒不能」にあったことを否定し、無罪判決を下した。(引用ここまで)
幸い二審がまともな裁判官だったようで、逆転判決となりましたが、一審の判決は異常です。ちなみにこの人は19歳でした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4e18eb1bc91366e46e7f5b704fd31639cec3e7c
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大将の元拠点の豊島区に変なのが集まる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221026/k10013871001000.html
>“父親から性的虐待” 「提訴が遅い」女性の訴え棄却 広島地裁
>女性は「魂の殺人」とも言われる性被害の加害者が父親で、早い時期に提訴することは不可能だったと訴えていましたが、大濱裁判長は「本件の特殊事情を考慮しても父親が権利の消滅を主張することが信義則に反するとはいえない」と述べ、提訴が遅かったことを理由に訴えを退けました。
→どこかで因果関係が認められないと見た記憶があるのですが、具体的には「提訴が遅い」と言ったようです。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQBT6VFBQBTPITB006.html
>判決は、女性が性的虐待の意味を理解できるようになった中学生のころから男性への嫌悪感を抱き始め、10代後半ごろから虐待を思い出して苦しくなったり、怒りや恐怖の感情を抱いたりする症状が表れたと認定。性的虐待と症状には因果関係があり、父には損害賠償責任があると認めた。
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この記事には因果関係があり、賠償責任があると認めたとなってますね。彼女は2017年から通院し、2021年にPTSDと診断されているようです。賠償責任があると認めたのに棄却。なおさら支離滅裂です。こういう前置きのようなアリバイがついていることが多いですね。
判決にはまったく血が通っていません。保育園の頃からアダルトビデオを見せられていたとのことで、おそらく父親の頭もおかしかったのでしょう。