摂食障害についての記事は過去記事を参考にしていただければ幸いです。
◎摂食障害はなぜ発症するのか?哲学的発想②)「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち
◎何か夢中になれるもの=ブームとは全て意図して作られたもので、トレンドを追い求めても人生においては気休め程度で幸せにはなれません
◎脳科学の嘘、現代科学の尻拭いを精神科医療が担う、身体拘束治療とは、現代科学の敗北を意味している)「不当に身体拘束、77日間」都内の女性、病院を提訴へ
◎摂食障害はなぜ発症するのか?哲学的発想)自尊心が高すぎるため発症する、他人の評価で生きる苦しみ
◎CBTが役に立たない理由、⇒日本は「偽善者( Hypocrite :fox in a lamb's skin)偽善(hypocrisy)が優しさという解釈」によって成り立っている
摂食障害が発生する理由は「世の中が矛盾しているから」であると思います。
「食欲を追求するような内容の番組が連日放送され、雑誌を見てもグルメ特集ばかり」
一方で
「俳優やモデルは細身で長身の女性が、ちやほやされて、学校や職場でも男性は見た目でしか女性を判断しない価値観」
食欲や美食を過熱させる番組コンテンツがある中、一方痩せていると賞賛されるという価値観の中で私たちは生活しています。
「食べたい、でも食べ過ぎて太って馬鹿にされたくない」
「痩せていたら綺麗に見えるし馬鹿にされない」
「痩せていてもガイコツとは言われないが、太っていると豚とか金正恩などと言われるかもしれない」
このような心理なのではないでしょうか?
困ったことに、現代社会は「多様性」を言い始めたため「基準」というものがなくなってしまいました。
それこそ、混沌としており、何事においても「軸がない生き方」しかできなくなってしまっています。
つまり「真理がない社会、真理がない親、学校、職場、経済」の中で常に手探りで生きているため、マスコミが発する情報や、専門家や有名人が発する情報が「正しいのではないか?」と選択してしまう。
マスコミとは「多数決」を決する最重要の判断材料であり、マスコミそしてそこで発言するテレビ関係者、芸能人、ミュージシャンなどの発言が世間に与える影響は計り知れないものです。
テレビやネットが発達すると、私たちは正常に判断する能力は失われ、「いつも誰かに判断してもらわないと生きていけなくなってしまった状態」に知らずのうちになってしまいます。
「テレビで言っていた。ニュースで言っていた、NHKがいっていた、ネットでいっていた。」
決して「テレビ、ネットが正しいわけではない」のに。
「テレビは広告主のための情報発信媒体であるのに、、、」
ということは一切教育されません。
しかしながら、「テレビはスポンサー、メーカーなどの広告主のための情報発信媒体である」と知ったとしても
「ではその多数決のシステムのウソに気付いたところで、あなたは自分で基準や価値観を見つけ、作り出し、その道を歩いていくことができるのか?ある意味、これから人生数十年の死ぬまでの間、孤独に耐え抜くことができるのか?」
と言われれば、おそらく大半の人は「ノー」でしょう。
マスコミという「悪魔の作った仕組み」に気付いただけでは生きていくことはできません。
ある意味「マスコミという悪魔の作った仕組みという線路の上を、みんなで歩いていったほうが、孤独にならず楽だ」と考えられるからです。
とりあえず、「孤独感」「疎外感」から救ってくれるのがマスコミの役割なのかもしれませんね。
つまりマスコミは人間が「孤独感や疎外感に弱い」ということを知っている、人間の弱い性質を心得ている人たちが作ったものだといえます。
例えば、学生服を例に挙げてみますが
「どう考えても、この靴は1000円が相場なのに2万円もするのはおかしい」
というものを入学時に購入させられます。
「こんな価値観の世の中はおかしい」と気づき、世の中から出たいと思い、宗教に興味を持ち始めますが、
宗教は宗教で「カルト宗教」ばかり、スピリチュアルも不安ばかり煽ってお金を巻き上げられるだけ。
「一体この世の中に救いはあるのか?」と絶望するわけです。
この摂食障害という脳の病気を断片的に治療しようとすれば以下のようなメカニズムで考えればよいと思います。
「食べる」というアクセルペダルと「食べない」というブレーキペダルを
「吐くほど食べて、嘔吐する」という行為を大人がするのですから、愚の骨頂としか言いようがありません。
「むしゃくしゃするから過食する。」
「でも太りたくないから無理やりにでも嘔吐する」
つまりはストレス発散方法、ストレスコーピングが「過食嘔吐しか方法を知らない人」
が摂食障害になっていくということになります。
過食+嘔吐を繰り返せば、嘔吐時に胃液が大量に失われます。
栄養は体内に摂取できません。
となると、体は脱水症状になります
脱水症状が続けば、電解質異常が起きます。
電解質異常が起きれば、脳と心臓に異常を来たします。
脳は極度に思考力が低下、心臓はポンプ機能が低下、循環血液量が低下するため、1回拍出量が低下しますから、頻脈になります。
以上が簡単なメカニズムだと思い列挙しましたが、「だから何なの?」というのが正直な感想です。
私から言わせれば、「摂食障害が克服できたから何なの?」ということになります。
依存先や価値観が移っていくだけで根本解決にはつながっていない。
目の前の問題の一時的な解決であり、実際は漠然としてい、本質的な救いがないのです。
ではこちらの動画を見てください。
【“マス◯ミ”連発】戸塚ヨットスクール校長VS坂上忍“体罰”について激論!
戸塚ヨットスクールの戸塚校長は動画の中で、「子供は自尊心が強すぎる」旨の内容を坂上忍に語っています。
芸能界、マスコミは偽善者の集まりであるため、戸塚校長の言うことは耳が痛い。
彼らの議論の中に欠損しているものがあります。何だかお判りでしょうか?
それは「愛」についてです。
戸塚校長にとっての愛は「自立して生きていく力を身に着けさせること」
偽善者芸能人の愛とは「敵を作らない、嫌われないように要領よく生きる術を身に着けさせること」
であると感じました。
なぜ両者に隔たりができるか?というと
「幸せの定義」
がないからなのです。
全員が違う「幸せ」という定義をもって、議論の場に来ているため、登ろうとしている山が全員違うわけですから、議論は平行線をたどるしかありません。
強いているならば彼らに共通する幸せとは「世間に迷惑をかけず生きていくことができる術を身に着ける」ことが共通する幸せかもしれませんね。
すごく低いレベルの幸せだと思いませんか?
彼らの幸せとは人生の成功であり、成功とは
・ビジネスで成功して巨万の富を手にする
・スポーツや芸能で成功する
・結婚して子供を作り、家を買って、年金暮らしをする
これらのどれかしかありません。
大の大人が「物質主義のレベルを少し抜けた程度の幸せしか知らない」のです。
次に、摂食障害厚生施設の記事についてですが、親子関係を取り戻し救われたと書いてあります。
・・・・・・・(摂食障害で骨と皮だけになった少女の闇 父親は「死んでもかまいません」と)
奈央さんが「お父さん」と呼ぶ人、それは実の父親ではなく、なのはなファミリーの創設者である、小野瀬健人さんのことだ。そして、「お母さん」と呼ぶ、有元ゆかりさんは、公私ともに小野瀬氏のよきパートナーだ。
著書に『脳とココロ』(かんき出版)、『「食べない心」と「吐く心」』(主婦と生活社)などがある小野瀬さんは、かつてジャーナリストとして執筆活動をする中で、“摂食障害”という大きなテーマに直面した。それが2004年に、なのはなファミリーを開設するきっかけにもなった。
回復のカギは「親離れ」
「何人もの摂食障害の人を取材するうちに、わかってきたことは、ほとんどの人が親への依存があるんですよ。別の言い方をすれば、親離れ子離れの失敗です。しかも、優しくて感受性の鋭い子がなりやすいともいえる。
現代の競争社会で、いい学校に入って、いい会社に勤めて、お金を稼げたら勝ち、みたいな世の中で、親の期待に応えようとまじめに考える子ほど、生きるのがツラくなって摂食障害を患ってしまう。それが“時代の病気”といえる所以です」
そう話してくれた小野瀬さんによると実際、摂食障害になる人は現在、40歳から上の世代には少なく、そのあとの世代から急激に増えている。しかも、その根幹となる要因は、4~5歳ごろに親から受けた心の傷にあるという。
まさに幼いころから母親を気遣い、不安に心を痛め、「親を悲しませないように」と親の期待を自分の人生とすり替えてきた奈央さんの生い立ちと、すべてが重なる。
「だから、いちばん大事なことは、依存の大本である、親離れを実現すること。親元から通いながらでは摂食障害は治らないんです」(小野瀬さん)
驚くことに、親と離れただけで施設に来たその日に、ほとんどの人が普通にご飯が食べられるようになるという。
そこから、本当の意味での治療といえる心の回復、親の価値観から離れた自我の形成が始まる。しかし、奈央さんは何度も無断で施設を抜け出し、隠し持っていた携帯電話で山の中から母親に電話をかけた。彼女の心は、頑なに治ることを拒み続けた。
「症状を手放してしまったら、私は生きていく場所がない、と思いました。普通に考えたら反対なのでしょうが、私にはきちんと自立して生きる能力がない、何の価値もないダメ人間だと思っていました。
治って、自分の価値のなさをわざわざ証明したところで、親を失望させるだけ。それなら、どんなに苦しくても、どんなに醜くても、過食嘔吐を続けて、働けなくてもしかたがない、と思ってもらうしかありませんでした」
実の父親から「死んでもかまいません」
入って1か月がたったころ。ハンガーストライキを続け、とうとう命が危ぶまれるほどになったとき、小野瀬さんが彼女の両親に「どうしても帰りたいと言っている」と電話で伝えることとなる。
「これでさすがの両親も帰ってこい、と言うだろうと思いました」と、奈央さんは言う。
「ところが、父ははっきりと言ったそうです。“死んでもかまいませんから置いてやってください”。なのはなのお父さんが“本当に死んでもいいんですね?”と念を押しました。私がこのまま治らずに帰ったら家族全員が共倒れで地獄に行く、父にはそれがわかっていたのだと思います」
そのときのことを、小野瀬さんもよく覚えていた。
「奈央の父親に“治らないまま死んでも文句は言いません”と言われて、とことんまでいこうと思った。内心は不安でしたよ。でも、それを絶対に見せちゃいけない。奈央と僕の真剣勝負ですから」
施設で死者を出せば、刑事責任に問われるかもしれない。その高いリスクを背負ってまで、自分が摂食障害から治ることを信じてくれている。「お父さん」と「お母さん」の揺るぎない覚悟に、奈央さんの心は大きく揺れた。
「それでも私は家に帰らせてほしいと訴え続けたんです」
そして、その半年後の12月25日のクリスマス。両親が施設に来ることになる。
「帰らせて、と泣いてすがる私に、父は断固として“絶対に帰らせない”と言い、母はとても悲しそうにしていました。こんなことは初めてでした。私は本当に親に捨てられたんだ、どこにも帰る場所はないんだ、と理解しました」
実はそのとき、小野瀬さんは彼女の父親に「トドメを刺してほしい」と伝えたのだという。
こうして断末魔のごとく苦しみ、もがき、奈央さんは30歳を目前にして、その人生にしぶとく絡みついていた親子の依存を手放す道へ歩み出した。それは「摂食障害からの回復」という一本道だった。
ゼロから育て直してもらった
現在、明るい表情で目の前にいる奈央さんが、手で丸くコップの形を作りながら、説明してくれる。
「このコップの中に“考え方”とか“価値観”という水が入っているとして、それを捨てないと自分は苦しくなってしまう。私は『なのはな』に来て、そのコップの水を全部捨てて空っぽの状態にしたんです。
そして、ここで暮らしながら、自分が本当に喜びと希望を持って生きていくために、自分なりの正しい生き方や考え方を、このコップの中に新しく入れてきました」
それを奈央さんは、「なのはなで、ゼロから自分を育て直してもらった」と言う。
「だからある意味、年齢にそぐわない世間知らずなところがあって、いいのか悪いのか自分でも年齢をほとんど忘れているんです(笑)」
奈央さんと話していて、ピュアな子どものようなまっすぐさを感じていたが、「育て直し」と聞いて納得した。
「なのはなのお父さんとお母さんから、“奈央はすごく人を信じる力がある”と言ってもらったことがあるんです。あまり人の言葉の裏を考えたり、疑ったりしないって。
例えば、お父さんとお母さんが“奈央のことが好き”と言ってくれたら、“本当に私のことを好きだと思ってくれているんだなぁ”と、そのままシンプルに受け取れる。確かに、自分にはそういうところがあるな、と思いました」
あんなにも親の価値観にがんじがらめになっていた人生なのに、なぜ奈央さんはそこまで「お父さん」と「お母さん」を信じることができたのだろうか。
「自分が何に苦しんでいたのか。なんでこんなに食べ吐きをしてしまうのか。その気持ちをわかってもらえたことが大きいです。ずっと生きることが苦しくて、それは自分のわがままなんだ、もっと強くならなきゃダメだ、と思ってきたけど、生きづらいと感じることは決して間違ってはいなかったと教えてくれました。
それまで私の親は、心配はするけれど、私を肯定してはくれなかった。でも、お父さんとお母さんは症状があることを“そうなって当然なんだよ”と認めてくれて、自分の苦しさも悲しさも全部、受け入れてくれたんです。
お父さんとお母さんの前だったら、素直に泣くことも怒ることもできる。安心して感じることを伝えられたんです」
奈央さんの心は絶対的な信頼と安心感にくるまれて、もう1度、産声をあげたのだ。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
皆さんはこの文章を読んでどう思われますか?
それでも、精神病院に強制入院させられて、点滴治療と薬物療法をさせられ目標体重クリアしたら退院できるというやり方に比べれば
実際、食事が摂れるようになって、社会復帰ができるよういなるため、こちらの施設のほうが良いに決まっています。
しかし、結局この施設で行われていることは
「30,40歳過ぎの女性が、0歳児、1歳児をやり直している」だけなのです。
彼女たちの心が思春期レベルまで成長したら同じ壁にぶち当たるかもしれませんし、それをうまく回避できる保証はどこにもありません。
外見は10代の少女ではありません。
30,40歳の中年女性が10代の精神性しか持っていないという状態なのです。
そして、お父さん、お母さんとの関係をやり直したとしても、その関係には決して普遍性はありません。
つまり、「お父さん、お母さん」ですら不完全な危うい価値観にもたれかかって生活しているのに関わらず、そんな不安定な土台の上に、家を築こうとしているのです。
ですから、この施設も摂食障害に対して
「精神病院よりはマシなだけで、結局一時的なことしかしていない」
のです。
実際、私たちは、絶対的な価値観を知って、絶対的な存在に守られて生きています。
しかし、世間はその絶対的な価値観を隠そう隠そうとしています。
それは、人類が生まれてから、6000年間、隠され続けていました。
私たちは「美男美女がイチャイチャする」ことを「真実の愛」だと洗脳されてきました。
男性は「ビジネスで成功する、会社で出世して富や名誉を手に入れること」
女性は「素敵な異性を手に入れることが幸せになれる入り口だ」と教えられてきました。
一時的な情欲を「愛」とすり替えられてきたのです。
摂食障害で苦しむひとは「真実の愛とは何か?」追い求めることで解決の糸口がみつかると思います。
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