心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

スポーツから見る、この世の地獄、根性論は通じないし指導者は肉体的にも精神的にも強い人ばかりであるため、弱い人を全員を育てることは難しい。

2017年12月13日 | 学歴もスポーツも同じ
今回の記事は愛知県の愛知高校での部活事故について、書きたいと思います。

ヤフーニュースより転載
 ことし5月、名古屋市の私立高校で、柔道部の練習中にケガをした男子生徒に対し、適切な処置を怠ったとして、当時顧問だった64歳の男性教諭が書類送検されました。

 書類送検されたのは、千種区光が丘の愛知高校に勤務する64歳の男性教諭です。

 警察と学校によりますと、教諭は、ことし5月、柔道部1年の16歳の男子生徒が練習中に、頭を畳に強く打ちつけてけがをした際、適切な処置を怠るなどした業務上過失傷害の疑いが持たれています。

 生徒は、その後嘔吐するなど体調が悪化し、母親が警察に相談していました。

 調べに対し教諭は、「ケガをさせたのは私の責任だ」と容疑を認めているということです。

 生徒は、今も頭痛やめまいがなどが続いているということです。

 愛知高校は「対応が遅れ申し訳ない」とコメントしています。
【転載ここまで】

柔道で生きていける学生と、不向きな学生とが15歳すぎると別れて来ます。
ですから、少年柔道を通して、分別していくべきで、少年柔道をやって芽が出ない子どもは高校では柔道を部活でやるべきではないです。
ましてや、体や精神力を鍛えるために中学くらいからスタートするにはあまりにもリスクがある競技といえます。
逆に体格的に恵まれている子どもは向いています。
格闘技や武道は誰でも気軽に出来る競技ではありませんので、厳密に習う場所を見極めないと、球技よりも危険性が高いです。

実は個人競技において理論的に教えるやり方はあまり向いてません。
何故なら、勝ち負けを競う合う個人競技では選手の個性、体格や性格が、100人いたら百通りあるから、個別性が強すぎるため、技術的な向上よりも、精神的に追い込む方が、試合では結果が出る。
練習横綱という言葉がありますが、試合と練習は全く違う。
試合で結果が残せる学生は、普段の練習では手を抜いていて、自分に必要な練習を集中してやっています。
個人競技は自己マネジメントがとても大切になって来ます。

私は趣味で柔道をやっていましたが、部活というよりは、サークル的なものに参加する程度で、勝敗を競い合うというよりは健康づくりと、ストレス発散、肉体作りといった面で参加していました。
ですから、部活でこのような根性論、強制のもとでやった経験がないため、心から柔道の面白さを体得することができましたが、競技として捉えると一気にどのスポーツも楽しみが成長よりも、成果や結果重視になってしまいます。
特に、非常に残念なことに柔道などのフィジカルスポーツは、体格や性格などで向き不向きが大きい、というかスポーツはトラック競技以外、向き不向きが左右されます。
一般人なら楽しむ程度であるならば疲れが残らない程度に週三回程度にすべきであり、毎日やる必要はない。
残念ながら部活をやった先に何が残るか?というものはありません。
身体を重点的に鍛えるのは中学生くらいまで。
やらないよりはやった方がいいのですが、もし義務的にやったり、部活やらないも時間を持て余し、不良グループに入ってしまうかも知れないも思っているならば、高校生となれば、部活なんぞやらず、どんどんバイトなどをして社会に参加する準備をする方がよっぽど有益だと感じます。
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