(授業中居眠りする高校生)
授業中居眠りするくらいなら、高校を辞めて、好きなことをすればいいと思います。
なぜ、高校を辞められないのか?
「人生に目的がないから」です。
なぜ人生に目的がないのでしょうか?
「誰もどうやって生きたら幸せな人生を送れるのか?を教えてくれないから」です。
今回は「学歴もスポーツも同じ」カテゴリーで記事を書いていこうと思います。
現在はこれだけ親の給料が下がり始め、家計的にも「大学進学が難しい時代になった」と言わざるを得ません。
大学への進学率については以下の通りです。
2018年度 大学・短大「現役進学率」は54.8%|旺文社教育情報センター
2018年度の大学・短大進学率、57.9%で過去最高に | 大学ジャーナル
このブログの読者の皆さんなら、「本当に?」と目を疑うかもしれません。
現在の家計簿事情でどうやって子供を大学に入れる事ができるのでしょうか?
しかも、大学を卒業しても就職できるのは超ブラック企業くらいしかありません。
なぜならば、大学はただ単に「23歳まで遊んでいる場所」だからです。
正直言って、「自分に一体何が向いているのか?」などは実際に働いてみないとわかりません。
世の中の親は「子供には楽してき高い給料がもらえる職業について欲しい」という願望が強く
「楽して高給どり」になったら幸せだという短絡的な思考回路によって、安易に高校→大学と進学させています。
ですが、実際、何の目的もなく、目標すらなく、ただ中学卒業したからという理由で、高校へ進学しても、これまた部活です運動しているだけか、だらだらと嫌々大学受験のためだけに知識の詰め込み教育を受けるだけになります。
運動や勉強ができない子供は高校に行っても何もやることがありません。
それこそ生き地獄なのです。
高校3年間、何も目的なく過ごし、棒に振るくらいなら、何か好きな事を始めたほうがよい。
それこそ、いろいろな仕事を経験して、自分に合っている仕事を選択すべき大切な期間だと思います。
そして、高校に行く無駄な時間を、高卒認定試験の勉強をすればよいだけなのです。
私がお勧めするのが、「高卒認定試験勉強」です。
定時制高校にいく必要がないと私も初めて知りました。
文部科学省のサイトからの転載です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)
高等学校卒業程度認定試験は、様々な理由で、高等学校を卒業できなかった者等の学習成果を適切に評価し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験です。
合格者は大学・短大・専門学校の受験資格が与えられます。また、高等学校卒業者と同等以上の学力がある者として認定され、就職、資格試験等に活用することができます。
(大学入学資格検定(大検)は、平成17年度より高等学校卒業程度認定試験にかわりました。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
高卒認定試験の内容は、平易な内容で中学レベルに毛が生えた程度であると、実際に試験合格した知人から聞きました。
普通に勉強すれば、高校1年程度の内容が理解できれば、100点満点中40点取れるということです。
嫌々高校に通学するくらいなら、高卒認定試験を受験して、高校を中退して、自分の興味のあることをしたほうが100倍ましです。
実は、高校は義務教育ではないため、「高卒」という学歴を取得するために行く場所なのです。
ですから、中学校を卒業したら、自動的に高校に進学するのはおかしな話なのです。
16歳から普通に働くことができます。
しかし、世間では「中卒はバカ。」「中卒は常識のかけれもない、元ヤンキーばかり」
というスティグマを張り続けついには「高卒が当たり前」現在では「大卒、最低でも専門学校卒でないと人間としてどうかしている」という風潮まで作り上げられています。
果たして本当にそれが真実なのでしょうか?
確かにガテン系と呼ばれる土方、鳶職の人たちは、素行不良な人が多くいる印象があります。
しかし、逆を言えば、ルールさえ守っていれば(違法でなく、公序良俗に反することがなければ)自分の好きなように生活できる職業であるといえます。
喫煙率の高さや、たばこの吸い殻のポイ捨て、飲酒率の高さなど悪いイメージが付きまとうガテン系の仕事ですが、言い方を変えれば、実力社会の職人の世界であることも間違いありません。
ガテン系の素行不良や刺青をいれたりする歴史的な背景は、かつて暴力団、ヤクザが公共事業をする際、「手配師(てはいし)」と呼ばれる人集めをやっていたため、普段学校も行かず遊んでいるような、屈強な体を持つ若い男性を取り仕切っていたのが、強面のヤクザの兄貴であったことから、土建事務所が「●●組」という名称を使ったり、刺青をいれたり、上司のヤクザに憧れてヤンキー車を乗り回しているにすぎません。
私個人の意見なのですが、私自身、中学3年生の時点で、「自分がどうやって生きていくのか?」「自分が何に向かって生きていくのか?」について真剣に考えたこともなく、大人は誰も答えてくれませんでした。
「ただ、勉強やって試験でよ良い点数をとって、部活やスポーツをやっていれば良い」という繰り返しに日々を送っていたのです。
「自分はどうやって衣食住という生活を送っているのか?」
「最終的に豊かな人生、幸せな生き方にとは何か?」
について、考える機会もなく、その道筋、方向性を示すことができる大人がだれ一人いませんでした。
ですから、言われるがままに、流されるがままに、自分の学力、内申点を頼りに、普通科高校に進学してしまったのです。
しかし進学高校では、勉強のレベルは高く、まったくついていくことができず、集まってくる学生も、姑息な人もいれば、勉強もスポーツもできる金持ちのプライドの塊のような人もおり、勉強はできるも知能は高いが、人間性が低い人たちばかりで、窒息しそうでした。
学校行事も義務的に行うだけで、「大学入試のための息抜き」という位置づけで、多くの学生が醒めた目で見ていました。
体育祭やら文化祭も半ば強制であるだけで実際は参加しなくても良い。
「高校とは一体何なのか?」その実態が不明でした。
私は高校1,2年は勉強についていけず落ちこぼれて、人生に絶望していました。
当時、家庭用ゲーム機で学校も休みながら、家でゲームをし、ふらっと学校に行くような生活をしていました。
勉強は全くついていけない。
中学までは、あれほど楽しかった学校の授業も、高校に入って訳が分からず授業内容はチンプンカンプン。
実生活と繋がっていないレベルの学問が嫌で仕方ありませんでした。
ただ時が過ぎるのを待つ、高校3年間だったと思います。
生き地獄でした。
中学では文武両道で秀才の部類にはいっていたのに、高校で一気に挫折です。
家庭がある程度裕福だったため、大学には進学させてもらいましたが、ろくに勉強もせず、バイトやコンパ、サークルと遊び惚ける毎日、放蕩三昧でした。
今、振り返ると高校+大学の合わせて7年間で、何か仕事について、職を転々とすれば、自分が何に向いているのか?くらいなら見えてきたのではないか?と思います。
私のような人ばかりでなく、「高校は充実していた」という人がいるかもしれません。
しかしそういう人も30歳、40歳となり「今の人生が充実しているか?」と言えばそんな人は一人もいないと思います。
高校大学の充実していたとは、せいぜい、恋人を作って、サークル活動して、就職活動がうまくいったという程度だからです。
つまり「単に欲望を満たした」だけにすぎないことを「充実した」と勘違いしているからです。
人生は大きな希望を持って生きることが一番幸せではないでしょうか?
安定した生活をするために、給料をもらうためだけに、嫌々歯を食いしばって会社に行く、我慢する生活をして稼いだお金を使って欲望を満たすことが果たして幸せなのでしょうか?
義務的な生き方ではなく、希望を毎日持って生きられるほど幸せなことはないと思います。
では、どうすれば人生に希望を持って生きることができるのでしょうか?
「どうやって人生は生きればよいのか?」については「こちら」を読むことをお勧めします。
RAPT×読者対談104 誰でも世界を変えられる。
人生は「何をする」のではなく「どう生きるか?」だと思います。
希望がない人をど奴隷と言います。