「お金があれば人生の問題は解決する」
「とにかくお金が欲しい」
10代、20代の身体が健康な人たちはこのように言います。
30代、40代の人たちは「時間が欲しい」「休みが欲しい」と言います。
50代、60代以上の人は「健康が欲しい」と言います。
70代、80代以上の人は「希望が欲しい」と言います。
私は10代の頃から漠然と「知恵が欲しい」と思っていました。
その理由としては、「どうやって生きれば人間は幸せになれるのだろうか?」
と答えを求めていたからです。
「答えは必ずどこかにある」という淡い期待を抱きながら、
答えがみつからないため、世の中の娯楽を求め、常識に流されてきました。
たまたま、警察官という仕事につくことになり、世の中を治める「法律」に携わる仕事をしました。
相手にするのは「己の欲望のために法律を破る人たちの取り締まり」です。
「お金のために、一線を越えてしまう。
自分の欲望のために、お金のために、人を殺したり、詐欺を行う人たち」を相手にします。
損得勘定だけで判断する人、善良に生きる気がない人を相手にする仕事です。
警察官という仕事は「善悪」ではなく「合法か違法か」を基準に仕事をします。
ヤンキーやチンピラは大声を出したり反抗的で
「いかにも悪である」言動を取ります。
しかし、「暴力団」は礼儀正しく、善良そうに振る舞う人もいます。
多くの暴力団は黙秘を続けるか、口を開けば嘘しか言いません。
「自分たちが正しい、暴力がルール」という社会で生きているため、
最初から「常識」や「法」に従う気がないのです。
ましてや暴力団は、政治家や芸能人、警察OBやヤメ検弁護士とも繋がりがあるため、
現場の警察官ばかりでなく庶民をバカにしています。
警察官は刑事訴訟法をかなり勉強しないと実務として使えません。
警察は法を犯した人を裁判にかけるという仕事をしますが、取り締まりやパトロールによって、抑止、更生させる側面も併せ持っています。
しかし、年々市民の心は荒んでいきますし、警察組織も荒みきっています。
私の心も荒んでいきました。
国家権力を維持するために、自分の人生を捧げるのは嫌だと感じ退職することにしたのです。
モーセの頃から与えられてきた「律法」ですが
律法によって秩序は与えられたはずなのですが、善良に生きる、神様に近づくために生きると考える人よりも、法を悪用して権力を手に入れようとする人に支配されてしまった
悪魔に加担して生きる人たちが支配してきたため、法に「答えがない」のだと感じます。
警察よりも上級職の判事、検事、弁護士といった司法試験によって、法や権力を扱う仕事につくことはできますが、そこに人生の答えはないと思います。
答えは人の知恵ではなく、「神の知恵、RAPTブログ」にしかないと思います。
『この世の「常識」は「真実」から遠くかけ離れている。https://rapt-neo.com/?p=7853』
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