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旧精神科医療は思想警察なのか?

麻薬ビジネス?精神科必要論

2017年07月20日 | 精神科看護
このブログでは、精神科必要と不要の理論を何度か記載してます。
古くは精神病は、家族が面倒を見ていました。
狐憑きの類いだったのです。
しかし、時代が進み、社会の歯車に噛み合わない人は、精神病院で生活するようになりました。
社会の常識が全て正しいとはいいませんが、それらの仕組みにある程度折り合いをつけていくことが、人間生活、社会生活となるわけです。
私が精神病院に勤めている時、外出中、無料だからと、お店に置いてあるスティックシュガーやらコーヒーホワイトを持ち帰ってしまう患者へのクレームが良く入りました。
そんなことばかりです。
電車で子連れの親子に突然話し掛け、鉄道職員に不審者として通報された患者やら…。
彼らは、自分勝手なだけなのです。
法律は破ってないにしても、世の中のルール、もっと言えばマナーを知ろうともせず、また守ろうという意識もない。
精神病院はそういう人達の巣窟であり、そういう人達を指導教育し、社会に適応ささる矯正施設であるという側面があります。
幻聴が死ね死ねと言ってくるため、自殺しようと家出して結果として、善意の第三者からの通報により警察に保護される。
家族は保護者としてたまったもんじゃありません。
死ね死ねと言われて本当に死んでどうするんだ?と少し冷静に考えればわかることです。
世の中に価値のない人は一人もいません。
死ぬ気で頑張りもせず、自分の才能を開花させることなく、安易に死にたいと衝動的に行動することが、間違ってるのです。
甘えであり、怠惰です。
赤ちゃんや子どもとやっていることは同じ。
たった数ヶ月、半年で才能が開花する訳ではありません。
日々血の滲むような努力をし、節制し欲に打ち勝ち、やり続けることにより、才能は開花するのに、そんなこともせず、『私には生きる価値がない』などと言ってしまうのは、甘え以外ないです。
精神病とは、言い訳病であり、精神病院は微温湯の言い訳聞きます施設です。
精神障碍者も、自分達が治療という名目で仕事もせず、楽して現実から目を逸らし逃げている行為が、医療や福祉から食い物にされていると気付くべきでしょうね。
しかしながら、犯罪まだは起こさないまでも、世の中に迷惑をかける自分勝手な人達を矯正する施設として、絶対に精神病院は必要です。
宇都宮病院事件はやりすぎましたが、本来、入院患者が『こんな施設早く出たい』『まっとうに生きて行きたい』と思わせるような施設が理想かもしれません。
退院したいからと言って退院させてくれと頼んでも退院はできません。
退院する術を探し努力することでしか、強制入院施設からは抜け出せません。そこには、知恵と努力が必要です。
患者の意向だけで退院させ、社会に出て問題を起こしたら病院の責任になりますからね。
ですから、長期入院患者が多く、矯正施設として慎ましく運営されている昔ながらの精神病院はこれからも存続してもらいたいですね。
残念ながら、誰も社会が面倒もみないし、責任も取ってくれませんから。
精神病院はそういった視点から見れば、治安維持のために本当に必要だと言えます。
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