シリーズ第6弾です。
今回は、『臨場 劇場版』を取り上げたいと思います。
映画のあらすじは、映画ドットコムから引用させていただきます。
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横山秀夫による同名警察小説が原作で、検視官・倉石義男の活躍を描いた内野聖陽主演のTVドラマ「臨場」(2009)、「臨場 続章」(10)に続く劇場版。都内で無差別通り魔事件が起こり、遺族の訴えに反して、犯人は心神喪失を認められ無罪になる。
2年後、犯人を担当した弁護士と精神鑑定を行った医師が相次いで殺害され、捜査本部は通り魔事件の遺族による犯行とにらむ。
しかし、検視官・倉石は被害者の死亡推定時刻に疑問を抱き、犯人は別にいると推測するが……。主演の内野をはじめ、松下由樹、渡辺大、平山浩行、高嶋政伸らドラマ版のレギュラー陣も続投。監督は「探偵はBARにいる」の橋本一。2012年製作/
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この映画は時間の都合で1回のみ30分程度しか上映しませんでした。
刑法39条、医療観察法の矛盾について説明する際に使いました。
(精神科医療に関する映画って暗いですね。サスペンスが多いのも個人的に苦手です。)
さて、日本文化は、「争わない、仲良くしましょう」という和を以て貴しとなす文化があります。
しかし、白と黒をハッキリしない文化であるため、ほとんどの業界が腐敗して、正義という正義がありません。
中居正広、フジテレビ性上納問題もまさにそのような「正義なき組織」が引き起こした事件なのです。
この刑法39条という法律によって、「キチガイのふりをしていれば犯罪しても刑が軽くなる、または無罪になる」という抜け道が作られているのです。
これは、誰のために作られたのか?を考えてみると、法を作った連中のために作られているとしか言いようがありません。
なぜならば、多くの庶民は、まさか「狂ったふりすれば、無罪になる」とは知らないからです。
仮に知っていても、逮捕されてから弁護人を雇うお金がないため、国選弁護人というやる気のない刑事弁護士の腕では無罪を狙った刑法39条を勧めることはしてきませんし、警察の取り調べに屈服してしまうでしょう。
さらに、このようなルールが罷り通手しまえば、欲望を我慢できない人が、泥棒したり女性を襲ったりしても、「キチガイのフリ」によって無罪となり、社会が混乱状態になってしまいます。
この刑法39条が問題だという風潮はまだ、ごく最近であり、刑法39条が問題だから、改正するという動きではなく、刑法39条は残して、「精神病院の措置入院制度や医療観察制度を強化しよう」、さらに「民間精神病院の収容ビジネスには保安処分や治安維持の正当性がある」とミスリードされたのです。
国連人権員会や海外の障害者団体から「隔離収容ビジネスの精神科医療を無くせ」という声が大きくなると、刑法39条に関わるような事件がマスコミによってクローズアップされます。
宮崎勤(みやざきつとむ)事件や附属池田小事件の宅間守(たくままもる)、やまゆり園事件の植松聖(うえまつさとし)などです。
日本の刑法と精神科医療のお粗末さが分かります。
「狂ったふりをすれば無罪」という抜け道は、意図的に作られたものであり、上級国民のような悪人たちを守るために未だに残されているのです。
そもそも論をすると、犯罪をする人は、正常な判断ができません。
ホストのようなチンピラやヤクザは、平然と女性に売掛金を借金させて、風俗に売り飛ばし、人を不幸にしてでも金儲けしようとします。
人命よりも金を選択するヤクザやホストはある意味、「精神異常者」「精神病」なのす。
価値概念が狂っているからです。
この映画から、「精神疾患」という得体の知れない概念によって、世の中が混乱してしまう事が分かります。
現代医学で説明しきれない精神疾患。
人間社会は「分からないこと」があると、そこから混乱が始まります。
コロナパンデミックも分からない事だらけでしたね。
嘘の医学や科学で人々を分からないようにして、支配をする、支配ツールとして精神医学も存在しています。
世界が「分からない事だらけ」になってしまった理由について知りたい方はこちらの記事をお読みください。
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