心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

児童思春期の壁。福祉起業家バウムの理事長がすごい。

2016年03月05日 | 精神科看護

特定非営利活動法人 バウム カウンセリングルーム

宣伝でも何でもありませんが、若い経営者で尊敬している人です。彼の経営者としてのブログを転載しておきます。

(以下転載)

理事長のブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/baum0901/

 2016.01.29
「『責任を取る』って何するの


 会社には『責任者』と呼ばれる人達が沢山居ます。

 その責任者達は、大抵皆さんより給料を多く貰っています。
 では、彼らの給料は『何に』対して支払われているのでしょうか。

 知識や経験?それとも能力?

 少なくともバウムでは『×』です。

 バウムの責任者に支払われている給料は、『やる気』と『成長』・『方針の実施』・『クレーム対応』(優先度が高い順)の為にあります。

 まず、『やる気』。
 バウムの責任者は、その九割が立候補で決まります。 ポストが空けば、すぐに公募開始。 中には、新卒初日から責任者に就任した強者も居ます。
 ここで、必ず言われる事、それは「そんな入社したての新卒に責任者をやらせるなんて、部下になる人が可哀想だ」です。

 しかし、本当にそうですか?よく考えて下さい。

 バウムの責任者は『立候補制』で決まります。

 手を挙げさえすれば、誰でも責任者です(複数の場合は投票で決定)。

  つまり、前を行く先輩も、隣に居る同僚も、後ろからくる後輩も、もちろん自分自身にも、平等にチャンスがあります。 そこで手を挙げないという事は、前を 行く先輩が、隣に居る同僚が、後ろからくる後輩が手を挙げて、上司になっても良い(自分がなるよりマシ)という事と同義です。

 さらに言えば、チャンスが目の前にあるのに、動かない人に役職を与えた場合、いずれピンチになった時には「やるつもりではなかったのに・・・」と言うでしょう。
 そんな上司の部下になる人の方がよほど可哀想です。 バウムでは、立候補で管理職になった場合、名刺の肩書にその事実が明記されています。

 どんなに辛くても、自分が選んだ道ならば、誰にも文句は言えません。
 何より、人は『与えられた役割』によって育てられます。 現場に何年居たとしても、管理職の能力は獲得できません。

 よく言いますよね? 『親の心、子知らず』。

 その立場になって初めて気持ちや、責任の重さ、覚悟や知識、つまりは能力を獲得できるのです。
 未経験や若さは、ためらう理由ではなく、抜擢する理由です。

 次に『成長』です。
 責任者は現場の職員よりも高い給料を貰っている分、『沢山働きなさい』ではなく、『沢山学びなさい』です。
 人は失敗からしか学べません。

 つまり、沢山学べとは、沢山失敗しろという事です。
 そして、失敗する為には、新しい事にチャレンジしなければいけません。

 今日出来た事を明日もやれば、成功するのは当然。
 今日やらなかった事に、明日チャレンジするから、(初めての事は)失敗出来る。

 どんな事でも他人や会社のせいにせず、常に自分の中に原因を求める(決して自分を責めるとは違います)。

 そうする事で、自分が変わり、未来が変わる。 どれだけ他人を責めても、会社のせいにしても、未来は明るくなりません。
 それどころか、自分の居場所がどんどん無くなるだけです。

 『他人』と『過去』は変えられない。変えられるのは『自分』と『未来』だけです。
 バウムでは、所長や所長補佐、部長の『責任を取る』とは、その失敗から必ず何かを学び成長する、という事です。

 さらに『方針の実施』です。
 少々乱暴な言い方をしますが、責任者はトップの『イエスマン』でなければいけません。

 例えば、Aという案件を『継続』するか『中止』にするかという時、トップが『継続』と決めても、その決定を現場に伝え、実行するのは責任者です。

 もし、その責任者がトップの決定に異を唱え、現場に指示をしなかったとしましょう。
 いくら無能なトップ(無能であればそもそも経営者にはなれないのですが)でも、適当に指示を出すわけではなく、綿密なプランのもとに指示を出しています。 その指示を守らなければ、間違いなく損失を出すでしょう。

 そうなった場合、その責任者は責任が取れますか?

 時には何百、何千万円にもなる損失を、何とかしろと言われても、出来ませんよね。

 トップは、融資やローン、リースの保証人に個人でなっています。
 バウムでも総額二億円です。

 自分の判断一つで、それらの借金が個人に降りかかってくる。
 そもそも、トップとトップ以外の責任者では、覚悟の重みが違うのです。

 責任も取れないのに、トップの考えに異を唱えてはいけません。
 もしトップの判断が間違っていても、お客様が教えて下さいます。
 そうしたら、すぐに変更すれば良いのです。

 トップの考えが正しいか間違っているかの判断は、責任者がするのではなく、お客様がして下さる。
 だから、異を唱えたり、議論をする時間は無駄なのです。

 その時間があれば、すぐに実行し、お客様に聞く。
 だめなら、ほかの方法をその時に考える。

 変化の激しい世の中で、やってもいないことを会議室にこもって議論し、仕事をしたつもりになっている責任者は、無能の証拠です。

 最後に『クレーム対応』。
 責任者の肩書は、『頭を下げる』為にあります。

 だから、いくら普段はふんぞり返っていても、クレームを頂いた時は、いついかなる時でも対応しなければいけません。

 それが出来なければ、肩書も、それに付随する高い給料も意味がないのです。

  理事長 笹谷 寛道

(転載ここまで)

 

確かこの理事長、出身が教育畑のはず。

大学を卒業して、こちらの事件にスタッフとして関わっていたはずです。

身柄までは取られていませんが、おそらく創始者の理念を現在も色濃く受け継いでいると思います。

時間のある方はご一読ください。

アイ・メンタルスクール寮生死亡事件

記者の目「アイメンタルスクール事件
入寮者死亡の裏に何が…」

 

第2の戸塚ヨットスクール事件とも呼ばれていたはずです。

引きこもりの社会復帰施設をやられていたメンバーが逮捕されたという事件。

かなり荒療治していたそうですが、家庭教育をこういった全寮制の塾で実践されていたという話。

教育は厳しくもあり暖かくもある、いわゆる「育て直し」「絆の作り直し」です。

おそらく、こどもの教育は戦前においては各家庭の仕事であったのですが、

現在では、それは学校であったり塾というような外の仕事になってしまっています。

そのひずみで苦しんでいる引きこもりの子を社会復帰させる施設だったようですね。

戸塚先生の事件もこの杉浦さんの事件も、「まっとうな大人がこどもを教育しようとすると、事件になりマスコミが騒ぎ立てる」という図式でつぶされていきます。

私も児童思春期病棟で勤務していた経験がありますが、社会適応できないこどもを抗精神薬で押さえ込み、カウンセリングしていくのでは本当に社会復帰できません。

彼ら彼女達に、精神薬を飲ませ、発達障害、精神障害者というレッテルを貼って、僅かながらの障害者年金を支給し、デイケア、地活、福祉作業所に一生通わせ家畜にすることが、この国のためなのかな?と疑問に感じたり、葛藤したりしていました。

多くの社会的に問題のある子ども達の特徴は、問題のある大人、親に育てられている生活環境が当たり前です。

この現実を乗り越えられるかが勝負どころなのでしょうね。

児童精神医療では、親を懐柔しこどもを薬漬けにし、「将来の良いお客様」にしてしまいます。

発達障害は先天的なものという定義がありますが、これは全くの嘘で、家庭環境、生活環境だと臨床例を見ていればよーく解るのです。

そして大人の関わりでよくなっていくことも。

しかし、最後まで病院がこどもに責任を持ってかかわり続けられるか?というとそれはシステム的に無理なのです。

そして、親権、扶養権も親にあるため、一時的に施設、病院で立ち直っても、機能不全な家庭や親のところに戻ることにより、さらに悪化したり慢性化していくのです。

私は、子ども達と関係ができたら、直ぐに直面化させます。

しかも、「現実を変えられるのはあたなしかいない」と伝えます。

いわゆる、引きこもり、発達障害と呼ばれる子ども達の多くは

表面的には大人ぶっていますが、全て「社会のせい」「家族のせい」と考えています。

醒めた目で話してきます。何も解っていないのに全てを知っていると勘違いしている。

それは、児童相談所や周囲の福祉、医療機関が「金のなる木」として甘やかしてきたからでしょう。

彼らの境遇の悪さを「大人が正当化してきてしまった」からなのです。

 

カウンセリングルームバウムの前身、アイメンタルスクールは精神科病院よりもまともな活動をされてきています。

隔離拘束されていたのは何も驚きでも何でもありません。

人間は人間として教育していかないと、正しくは見本を示して、共同生活していかないと、短期的欲求ばかり追及する、生き物となってしまい、著しく社会性が低下し、ストレスに弱く、高い次元で思考できなくなってしまいます。

それは、社会のルールであったり、間違っていても常識を知ることであるかもしれません。

当然、人間は生まれながらにして不平等であることを知ることかもしれません。

不平等という言葉はよくないので、「生まれながらにして千差万別」

と表現しましょう。

精神科病院にこどもを連れて行くのは、「親の一方的な都合で、病気というレッテルを貼ってもらい、合法的に公的扶助を受けさせ、親の養育能力がないことを隠蔽するだけ」だと思います。

これは、完全に子どもに対しての虐待だと思うのですが、国は動きませんね。

脳が一番発達するのは18歳くらいまでだといいます。

それまでの間に、脳のホルモンを撹乱する精神薬を飲ませる意味…

大人はもう少し考えないといけない。

社会が狂ってくる、腐ってくるのはこういうちょっとしたところからなのでしょう。

毎回書きますが、「病院はコンビニではない」ということ。

製薬会社がクスリを売るために、そして国民を薬漬けにし堕落させるためにテレビ、広告で

「白衣の権威化、病院の神聖化」をしています。

これは原始キリスト教に悪魔崇拝(太陽崇拝)が入ってきた図式い酷似しているように感じてなりません。

医療の本質とは相当かけはなれていますね。

私達が大人として、親として社会にしていかなければならないことは一体何なのでしょう?

 

バウム理事長のブログを読むと、経営者としてその理念や信念も感じることができます。

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 精神科訪問看護の必要性、タ... | トップ | 精神病は家族が作っている?... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

精神科看護」カテゴリの最新記事