心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

精神病は家族が作っている?アディクション再考

2016年03月07日 | 精神科訪問看護
このテーマは何度か類似の物が出てきています。

過去記事を併せて読んで頂くと、精神科は自発的に来る方は少なく、関係者及び家族が連れてくるケースが殆どだということです。
ですから、精神病は社会の最小単位である家族が作り出しているのであり、本人は家族に言われて精神病になってるケースだらけなのです。
厄介者を精神科に連れて行き入院させる。悲しいかな、日本の精神科医療は姥捨山であり、社会の不要な人間や、ゴロツキが集まる場所であることは否めませんね。

臨床で厄介なのは、患者人権などという言葉を使うといことです。
人権という言葉の意味がわかってませんし、そもそも精神科医療のルーツや目的も99%のスタッフは解っていないでしょうね。

ある、アディクションのプログラムに参加した同僚は、違法薬物やシンナー、アルコール、ギャンブルに依存していたものを、医師が処方した精神薬に依存させている、目眩しを治療プログラムだと言い張ります。
AAやDARCという自助グループもありますが、本当にアディクションから卒業するのには、世の中の仕組みを学び、如何に自分が愚かだったか自己反省する所からスタートすると思います。
そして、自分の弱さを受け止め、一生賭けて薬物に負け、汚れた魂を清めるために、贖罪していく、素直になり、謙虚になり毎日を生きる事こそが本質的な治療であると思うのです。
お酒を不味くさせるための抗酒薬を内服する。
薬物離脱症状のイライラを抑える、不眠から解消されるために、ベンゾジアゼピンを使う…
本質が見えていないなぁと感じてしまいます。結局、依存していくしかない、周りを否定して生きていくしかない、こんな自分でも認めてくれる人を一生探し続けるしかないのです。
自分を認めるのは自分であり、許す事が出来るのも自分。

薬物は危険です。
そして、家族も、危険です。

日本の精神科医療の現状を見ると、良い悪いという次元を超えて、民族性が表れているし、良くも悪くも村社会の影響が出ています。
欧州のように、共存はできそうにありません。
精神障害者になり、国に食わせて貰いましょう。
そして、医療機関、福祉機関に食い物にされましょうとしか言えません。
人生とは、人任せにせず、自分で選択していかなければ、決して楽な道はないのだと感じてしまいました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 児童思春期の壁。福祉起業家... | トップ | やくざと芸能と 私の愛した日... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

精神科訪問看護」カテゴリの最新記事