精神看護学実習に行くと、妄想的な発言をする患者受け持ちする学生がいます。
患者はいきなり、学生に向かって、妄想的な発言をします。
「私は母親に殺されて、妊娠してしまったの」
「私はライオンだけど、ネズミには負ける」
このような言動をいきなり学生に投げかけてくるのですから困ったものです。
これを連合弛緩と言ったり、滅裂思考と捉えますが、ではなぜこのような発言があるのか?という問いには
「病気の症状だから、疾患の症状だから」
という回答が返ってきます。
果たしてそうなのでしょうか?
私はそのようには教えません。
実は、そういう表現をする脳機能にまで落ちてしまっているだけなのです。
これを認知の歪みと捉えるのです。
人間が他者とコミュニケーションをとるとき、まず、目つまり視覚情報によって相手を認識します。
そして、「この人に対し、どのような言動をとれば良いだろうか?」
と即座に脳は計算し判断します。
その結果を表情や発言といった形でアウトプット、つまり表出します。
稀に、ディフェクション(人格崩壊)してしまった解体型の統合失調症患者がいます。
一日中ブツブツ何か独り言を言っているような患者です。
これは、病気によって脳機能が破壊されたように思えますが、実際は不明です。
薬物中毒の患者も同じような廃人に捉える事ができます。
統合失調症の滅裂思考のメカニズムは、
①患者自身が持つ、コミュニケーション方法と、
②向精神薬による脳機能不全
によるものだといえそうです。
それについて詳しく見ていきましょう。
まずもって、人間は誰かと話しをするとき、様々なプロセスを脳内で構築します。
例えば
「敬語で話すべきか?」
「ため口でいけそうか?」
「下ネタ言っちゃうか?」
などなど、相手と自分との関係性、心の距離感を瞬時に測ります。
チンピラは警察官に対して偉そうな口の利き方をします。
しかし、ヤクザや右翼の上司が来ると、平身低頭になって、無茶苦茶な丁寧語や敬語を使い始めます。
つまり、チンピラのような学力が低い人間でも、身の危険や社会的な力関係を考えて、言葉、コミュニケーション方法を変えることができるのです。
②の向精神薬によって、脳機能破壊されてしまったら、こういった「ヤクザの親分に対しての会話の仕方」と「友達や家族に対する会話の仕方」がごちゃ混ぜになってしう可能性があるのです。
さらに、脳機能が破壊されると、「リンゴ」を見たとしても、色や材質を歪んで捉えてしまって、「梨」と答えたり、「みかん」と答えるようになるかもしれません。
次いで、辛い体験を美化するために、極端な考え方として、憂さ晴らしのために当たってきた母親と善人と解釈し、親身になってくれた父親から虐待されたと「歪んだ認知」を持ってしまうかもしれません。
これらは、ストレス体験によって一時的に低下した脳機能に対して、向精神薬を服用させることで、脳の機能が完全に壊れてしまう、もしくは一部欠損してしまう状態によって引き起こされる可能性もあります。
臨床において、入浴介助をしていると、妄想的な発言をする患者が、普通の会話をするようになる時があります。
また、好きな音楽を聴いている時だけは、まともな会話ができる時があるのです。
入浴という行為や、音楽鑑賞というものが、5感にダイレクトに働き、脳機能を賦活している可能性も考えられるのです。
また、脳が無防備になっているのかもしれません。
ですから、目の前の相手に対して、構えることなく、素直に話をすることができるではないかといえます。
妄想も幻聴も科学的には証明されていません。
つまり主観的なものなのです。
「パチンコ行ったら勝てるかもしれない」
これは妄想でしょうか?
ギャンブル依存の人たちは、いつもこのような考えに支配されているとしか思えません。
「今日、パチンコ行ったら勝てるよ!行けよ!」
思考化声
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(成城墨岡クリニック)
思考化声、思考吹入、思考奪取、思考伝播
● 操られる、影響される、抵抗できないという妄想、妄想知覚
● 患者の行動に絶えずコメントしたり、仲間たちが患者を話題にしたりする幻声、身体のある部分から発せられる幻声
● 文化的に不適切でまったくあり得ない内容の持続的な妄想
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
自分の思考を他人のせいにしているだけですね。
「殺せと命令された」「パチンコ行けと命令された」
子供の言い訳に
「野菜食べなくていいってA先生が言った」
と同じ次元ですね。
病気がそうさせている?
病気とは原因がはっきりとしていて、治療可能な状態を指します。
統合失調症の原因は不明です。
治らないものです。
つまり、病気ではなく、障害なのです。
病気と障害の違いわかりますか?
原因が不明なものを精神科医療では「病気、疾病」と言います。
恐れ入りますね。
医療保険を使うために、「疾病」に入れただけです。
本来、思考、言動が逸脱していることから「社会適応障害」に該当するため「福祉費」を使うべきなのですね。
精神病患者から精神障害者に名称が変更されたのも、これらの矛盾を隠すためなのです。
妄想とは、その患者の「表現方法の1つ」なのです。
どうしてそのような表現をとらなければならないのか?
それは、対人緊張が強いからではないかと思います。
他者に対しての「不信感」や「恐怖」が勝ってしまうため、「自分を守る必要がある」のではないでしょうか?
実際、精神看護学実習を見ていると、学生が上手く関わっていると、妄想的な発言はなくなってきます。
そして、普通の側面が垣間見られるのです。
学生たちはいつも
「先生、Aさん、かなり普通なんですけど、退院できそうですね」
と嬉しそうに話してくるのです。
「あなた(学生)がAさんにとって安全な存在だと認めてもらえたからだよ」
退院できないのは、「受け入れがないから」だと説明します。
そうすると、学生は納得するのです。
Aさんは、学生と関係性を作れただけなのです。
だから、心を開いて、まともな部分をさらけ出しているだけなのです。
普通、健康な脳機能を持っている人には考えられませんが、精神病患者は、重要他者(親族、兄弟)と信頼関係がありませんから、
対人関係において強いストレスを脳に感じているのです。
ですから、コミュニケーション方法が逸脱しており、社会に適応できないのです。
しかし、聞く側が心を開いて、患者を受容することによって、「安全確保」「安全保障」ができてしまえば、患者から歩み寄ってくるのです。
非常に臆病で乳幼児のような存在なのです。
それだけ、コミュニケーションにおける、人間の言葉とは相手を深く傷つけ、相手の人格や性格まで悪い方に変えてしまう力があるのです。
まさに私たち人間は「コミュニケーション」「言葉」という抽象的な目に見えない概念をもとにして判断して生活、行動していることがお分かりだと思います。
ですから、妄想や幻聴も脳によって作られた抽象的概念を発言しているにすぎません。
それが、社会通念や私たちの文化、価値観から逸脱してしまえば妄想というだけなのです。
脳ほど隠れた臓器は他にありませんね。
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