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旧精神科医療は思想警察なのか?

超高齢化時代に必要なのは医療ではなく介護だ。訪問看護はなくなり、訪問看護介護ステーションになる

2024年05月21日 | 看護師になってはいけない

看護師になりたいと思っていても、看護学校や大学を辞める人、辞めさせられる人もいます。

理不尽な理由で単位認定されなかったり、実習が厳しすぎて体調不良になってしまって、休学退学する人もいたことでしょう。

それでもこの看護の仕事がしたいという人は、これからは「介護の仕事をすれば良い」と思います。

今回はその理由について、現場の看護教員の視点からお話したいと思います。

まず、親子や教師と生徒の間で、良くあるやりとりについて紹介します。

「将来の安定性を考えれば、介護よりも看護だ」

と言うくだりです。

「そりゃ当然でしょ?介護は看護よりも下だから」という考えを抱いている人が多いと思います。

結論から言えば、そういう人たちの言葉に耳を傾けてはいけません。

なぜなら、そういう人たちは、2030年に向け、医療や介護とよばれる保健福祉分野が、大変革に向かっていることを知らないからです。

アリの視点と、鷹の視点の違いです。

親や学校の先生は「現場視点、アリの視点」で考え意見します。

しかし、医療介護は国の統制下にあるため、「行政視点、つまり鷹の視点」という「仕組みを作る側、財源をつける側の視点」も持っていなくてはいけません。

いままで、医療は親方日の丸で、医療行政と、現場の医療がリンクしていました。

(悪く言えば、官民が結託していた、うまく癒着していた状態でした)

ところが、コロナパンデミックで、大病院やクリニックがぼろ儲けしました。

(詳しくは以下の記事を参照してください)

「一般病院」昨年度収支 黒字 コロナ患者受け入れ補助金含めて
2023年11月24日 10時30分 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231124/k10014267441000.html

そして、国の政策に感染対策と言いながら、医師たちが強い発言権を行使してきたことがあります。(発熱患者受け入れ協力せず、補助金だけもらっていた)

「感染症に対して、専門家の医師が発言して何がいけないのか?」と感じる人がいるかもしれません。

しかし、自称専門家が対策をして、日本と中国だけがコロナ対策は大失敗に終わりました。(経済的に疲弊した)

本来、医療行政が対応すべきところを、医者たちが「あーでもない、こーでもない」と言いたい事を言い、厚労省に対して非協力的な姿勢をとったため、問題収束できなかったのです。

そして、補助金だけがっぽりもらい、医療業界は一時的にやけ食いして太ってしまいました。

コロナ感染対策で「政治家(行政)よりも、医者の方が専門家であり、偉い」とふんぞり返っていたのが明らかになったのです。

そこまでやられて政府(行政)は黙っていません。

医療とは、本来、国の政策のもとに動いています。

ですから、国によっては病院もない、医療費も公費がないという国さえあります。

別にそれで国民が不幸か?と言えばそうでもありません。

「なければないで何とかなる」ものなのです。

無医村(むいそん)の方が健康寿命が延びるのは夕張市を見れば一目瞭然です。

<詳しくは以下の動画を参照してください>

【ダイジェスト】森田洋之氏:病院がなくなったら市民が健康になった夕張から学ぶべきこと

医療が発達し、医療行政に莫大な予算が組まれることで、日本だけコロナ感染対策が異常に長引いたり、コロナワクチンで薬害が出たり、医療ミスで死亡者や障害者が出たりしました。

(感染対策による自粛で学校にも行けず、部活もできず青春を奪われた若者も多くいます。)

そこで、コロナが5類になった頃を見計らい、崩れた財政バランスを立て直すために、国が医療行政にテコ入れを始めています。

本来テコ入れをするのは、医療管轄をしている厚労省ですが、「財務省が医療に口出しを始めた」のです。

<詳しくは以下の動画をご覧ください>

【クリニック開業が制限される?】開業規制と地域別単価の導入について

これは一言で説明すると「財源が~」という理由を挙げて、力を持ち過ぎた厚労省を潰すために財務省が動き始めた、「仲間割れ」が始まったのです。

「コロナ前も医療の権威はあったものの、コロナによって特別予算が使い放題になり、実際に病院やクリニック、PCR検査センターといった医療関係機関が儲けすぎて、冨や権力が集中してしまったこと」が要因です。

コロナ前にも厚労省は少子高齢化社会対策でと医療費・保険税の財源確保が困難になるため「病院から地域、在宅へ」と掲げ、病床削減やかかりつけ医師制度などをやろうとしてはいましたが、実際は具体的に進んでいませんでした。

ところが、2023年から財務省の圧力を受け、医療行政もじわじわと「(金のかからない医療提供)在宅シフト」に具体的に動き始めているのです。

実際に看護学校のカリキュラムでも、「地域」という分野がかなり時間が増えました。

100単位卒業だったのが、105単位になったのです。

たった5単位分ですが、1単位30時間としても150時間の講義をカリキュラムで組むため、学校にも学生にも大きな負担になります。

そして、「地域で生活する人」に必要なのは、医療というよりも、「医療と介護のミックス」、ほとんど「介護」なのです。

なぜなら、住み慣れた地域や自宅生活では、医療資源・機材・スタッフもありません。

その中で、本人の生活を支えるのは、介護、福祉だからです。

地域で生活する人は、高齢を理由に積極的治療をしない人、入院が必要でない人です。

つまりは「濃厚、集中的な医療が必要ない人」なので、老化や老化による障害を抱えている人の生活支援を重点にします。

「ADLのアップ」が看護の視点ですが、在宅では「ADLよりもQOLのアップ」が重要です。

(症状管理や医療的介入、生活制限が行き過ぎて、生活に支障が出たら、QOLが低下してしまいますよね?)

ですから、看護の出る幕は大幅に減るということは、おのずと医療費も減ります。

人生の残り時間が短い高齢者を、住みなれた環境で最期まで生活してもらうのです。

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前置きは長くなりましたが、看護師になりたければ、なれば良いと思います。

しかし看護師の働き方は大きく変わることが予想されます。

紹介状がないと受診できない超急性期の大病院が残ります。

中規模病院は倒産するか、介護医療院のような、貧困高齢者の住居に変わっていきます。

それ以外の人たちは、高齢者は地域でひっそりと死んでいく社会になります。

それを「多死社会」などと表現したりします。

まさに「高齢者不遇の時代」が到来します。

これから高齢者たちは、現実に向き合いたくなくなり、

①悲観して自殺という道を選ぶ

②自暴自棄になり犯罪をする

③うつ病、認知症になって現実逃避する

という選択が待ち構えていると思います。

政府は高齢者を見捨てます。病院経営者も見捨てるでしょう。

これから容赦ない政策を断行していくでしょう。

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このような社会になっていくことは、ラプトブログで預言されています。

そして、このような社会をどのように生きて行けば、幸福が手に入るのか?という方法についても、ラプトブログでは説明されています。

どうか、老後の不安や悩みが多い社会において、ラプトブログに出会い、まっすぐに生き、幸福に生きられるようになることを願います。

RAPT有料記事705(2022年12月12日)これまで主は、日本人に対して救いの手を差し伸べてきたが、多くの日本人がその救いの手を足蹴にしてきた。だから主は、日本人に対して厳しい裁きを下すと宣布された。https://rapt-neo.com/?p=57650

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