今回の記事は、ずばり思想警察についてです。
1984年 (小説)
思想警察で検索すると、ジョージオーウェルがいきなりヒットしました。
1984という小説で思想警察について書いています。
あらすじは以下の文末の通りです。
RAPTブログ「RAPT×読者対談〈第118弾〉この世はどこもかしこもフリーメーソンだらけ。または盛和塾と自己啓発と神智学協会。」
にて彼が悪魔崇拝者と深い関わりがあることが書いてありますので参考までに。
世の中の考え方から外れた、不文律、常識から外れた人が、精神病として扱われます。
本当に、協調性がなく、社会に迷惑をかける輩も沢山いるわけで、放置野放ししておくと
めちゃくちゃにされてしまいます。
戦前の日本には「座敷牢」という制度があり、相馬事件から紐解いてみても、国策として正式に認められていました。
そういった、奇異行動をとるような人物にたいしては「家族責任」を取るシステムだったのです。
しかしながら、精神科医療の歴史を思い出してみると、日本が近代化し、大阪万博あたりから、そういった奇異行動をとる人物を医療保険を使って公的に監禁収監し、国が面倒見ることになったのです。
これは大規模な思想統制でもあり、近代化に必要な手段なのかもしれません。
しかし、戦前の日本においては、白痴と呼ばれる知的障害者、分裂病のような、二重見当識を持つおかしな人くらいしかいなかったと思いますし、実数を調べたわけではありませんが、その数も抗精神薬も少なく、そこまで危ない人物、症例は少なかったと予測されます。
ムラ社会、反国家的発言をする人物が、分裂病、統合失調症とされていたと推測されます。
ですから、政治的に見ても、精神病、精神科医療は、ほんとうのオキチと政治犯の収容施設だと言えそうですね。
戦前の特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、英語: Special Higher Police, SHP)
がほぼほぼ、現在の精神科医療を担っていたのかもしれません。
余談ですが、これだけ、経済的、時間的に抑圧されているためか、最近は一般の方も激高しやすく、ほとんどが精神障害者なんじゃないかな?と思ってしまいます。
1984 あらすじ
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。
本編の後に『ニュースピークの諸原理』と題された作者不詳の解説文が附されており、これが標準的英語の過去形で記されていることが、スミスの時代より遠い未来においてこの支配体制が破られることを暗示している。ジョージ・オーウェルは、この部分を修正・削除するように要請された際、「削除は許せない」と修正を拒否した[17]。
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