心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

摂食障害はなぜ発症するのか?哲学的発想②)「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち

2018年06月09日 | 精神科看護

私は摂食障害はなぜ発症するのか?というテーマについて書いてきました。


これだけ「ダイエットのテレビ番組がやっている」のですから、明らかにメディアの責任でしょう。

テレビ見るのをやめたら治る気がしますね!

多くんの人が、必死に生きてきて、努力して、一生懸命生活しています。

しかし、日々のストレスや疲れ、苦しみ悩みにより、蓄えたお金をだまし取られたり、ストレス発散がうまくできないため

服や娯楽やギャンブル、グルメ、旅行など浪費や散財をして一時しのぎばかりをしています。

私たちがこのように苦しみ続けるのは、このような仕組みを作った人たちがいるということを知らないため、その仕組みの中で必死に生活しているからです。

そして、その仕組みを抜け出しても、「心の救い」をを求めて、カルト宗教にはまったり、スピリチュアルや自己啓発にはまって同じ轍を踏んで、苦しみの輪廻をぐるぐる回ることになってしまいます。

つまり、第1の「経済的な苦しみ、時間の苦しみ」と第2の「心の苦しみ」という2ステップで、私たちは人生においてクリアしていかないと本当に喜べる、感謝感激できる人生をおくることができません。

今回は摂食障害のニュース記事がありました。

そして、摂食障害が克服できるというリハビリ施設があるそうで、そこで回復したという手記が書かれていました。

こういった施設の実態を知りませんからここで断言は控えますが、「カルト宗教にはまる」と同じことだと思っています。

人間や施設に頼って心の病や悩みが回復することはあり得ません。

それは、一時しのぎでありまた他の悩みや苦悩が出てくるだけだからです。

それでは、そのニュース記事(宣伝?)を転載いたします。

・・・・・・・・・(摂食障害だった女性の絶望的な日々「カビの生えたパンも平気で食べるようになって」2018年6月6日 21時0分 週刊女性PRIME 税理士事務所で働き始めた現在の奈央さん 撮影/中嶌英雄)

 

「将来が見えないまま20歳になるのが怖くて、19歳の夏に本で読んだ薬とお酒を飲んで自殺を試みました」 

死んだほうが親孝行だ
 14歳で拒食症になり、過食と下剤乱用に転じてもなお、“摂食障害”という悪魔は、その手を緩めることなく、彼女の心と身体を傷め続けた。

 私市奈央さん(39)は、当時の心境を静かに振り返る。

「死のう、と思ったとき、私はやっぱり親のことを考えていたんです。私が死んだら親は悲しむだろう。でも、私がこれ以上、親の期待するような人間になれないまま生き続けることのほうが、ずっと親をガッカリさせ、悲しませるのではないか。そんな人間は、死んだほうが親孝行だ、と」

 それから数日間、意識が混沌としたまま寝込んでいたが、「母親は気づいていなかっただろう」と奈央さんは言う。それほどまでに、自分の部屋に引きこもっていることが多かったからだ。

 青山高校を中退してからも、彼女は「親が望む人生に戻らなければ」と必死だった。大学受験資格を得られる“大検”の勉強にいそしみ、合格したときは両親を喜ばせた。

「けれど、私は再び空っぽになりました。高校受験のときもそうでしたが、親のため世間体のためだけの勉強は、ゴールに到達したら、何もない。虚しさしか残らないんです」

 行きたい大学もなく、アルバイト生活に入った。しかし、高校中退のままフリーターになっている自分への猛烈なコンプレックスに苛まれ、より一層、周囲との人間関係がとれなくなっていく。

「地元で小中学校の友達に会って、いま何をやってるのかと聞かれるのが怖かった。バイト先でも、大学に入るためにお金を貯めているとか、夜間の予備校に行っていると嘘をついて。架空の夢やプロフィールを演じるのに疲れると、バイトを辞めていました」

 それでもアルバイトで200万円を貯め、そのお金でデザインの専門学校に行くが、1年半で挫折。さらに、動物の専門学校に通うなど、「夢」を求めてあがき続けた。

「なぜ私だけがこんなに青くさい悩みを持っているんだろう、と思いました。同じ年代の誰もが、疑問を持たずに高校・大学に行き、友達や恋人をつくり、社会の流れに乗っているように見えました」

「吐けばなかったことに」
 強烈なドロップアウト感が、「おまえは生きる価値がない人間だ」と、親だけでなく世間からも蔑まれているように感じた。そして自殺未遂の末、彼女は、さらに越えてはならない「一線」を越える──。

「どれだけ過食しても吐けばなかったことになる。私は、夢のような手段を手に入れたと思いました」

 24歳のとき、初めて「一線を越えた日」のことを、奈央さんは鮮明に覚えていた。

「それまでは過食をするといってもクッキーやスナック、菓子パンなど、おやつ系のものばかりでした。ある夜、突然、それまで抑えていた “こってりしたものが食べたい!”という強い衝動に駆られてコンビニに走りました」

 ドリアやミートソース、カップラーメン、ドーナツなど夢中で食べた。しかし、そのあとに猛然と湧き上がってくる後悔と焦り。そして……。

「水をたくさん飲んで、最初は恐る恐るのどの奥に指を入れました。すると、まったく苦しむこともなく、さっき食べたはずの高カロリーの食べ物が一気に吐き出されたとき、私は快感さえ感じていました。

 吐くことを覚えた私は、さらに食欲を抑えられなくなり、過食の量と頻度は加速度的に増えていきました」

 それまで、アルバイトに行けるほどには体力も気力もあった奈央さんだが、過食嘔吐するようになってからは、崩れ落ちるように、日常生活が送れなくなっていった。

「昼夜逆転で、起きてから買い物、過食、嘔吐、ネットを見て寝る、というのが私の1日のサイクルでした」

 過食する食料を大量に手に入れるためにスーパーの安売りを狙い、そこから異常なほどの買い物依存が始まる。

「スーパーの安売りの時間が近づくと、今日はちゃんと買い占めることができるだろうか、という不安と喜びで、いても立ってもいられなくなりました。

 自分の部屋は、足の踏み場もないほど食べ物であふれ、そのにおいが充満し、過食をするベッドと、ネットをするパソコン周辺だけに座れるスペースがありました」

 やがて家族が使う冷蔵庫や貯蔵庫も食べ物でいっぱいになるが、どれだけ買ってもストックがなくなる恐怖に怯え、期限切れでカビの生えたパンも平気で食べるようになった。

「美味しいと感じるのは最初の30分くらい。それからは甘い菓子パン、ポテトチップス、アイス、カップ麺など、ただ甘いとしょっぱいを繰り返し食べて、胃がはちきれそうになったら吐く。

 そして胃が空っぽになったらまた食べる。その繰り返しで、毎日12時間は食べ吐きを続けるうちに、やがて疲れ果てて眠る。そうして1日が終わるんです」

 その常軌を逸した無限のループを止めたくて、「明日はもうやめよう」と心に誓う。

「けれど、次の日になるとまた買い物をしたい衝動を止めることができませんでした」

言動がどんどんエスカレート
 25歳のとき、自分の部屋で2度目の自殺を図るが、紐が切れてドスンと身体が下に落ち、未遂に終わった。

「死ぬことさえもできない、自分の存在は、この世でいちばん汚らしいと思いました」

 両親は彼女がしていることをすべて知っていた、と言う。

「けれど、怒ることもやめさせることもせずに、ただ娘を哀れに思い、絶望し、恥じ、何をどうしていいか、わからなかったのだと思います」

 親に放置されたと感じることで、奈央さんはさらに自分を追い詰めていった。

 頭の中は、食べることに支配されて行動はますますエスカレートしていく。

「私は社会的に許されないようなことも、なりふりかまわずという姿勢になっていました。そして、ついにある日、私のしたことに、“こんなになるまで放っておいてごめんね”と母が悲しそうな声で言いました。父さえも怒り、そして泣きました」

通院は逆効果だった
 そこで初めて、母親が彼女を病院へ連れて行く。摂食障害の治療に関しては評判が高いと言われる心療内科と、そのクリニックと提携しているカウンセリングだった。

「私にとってそれは、むしろ逆効果でした。1時間近く待って5分程度の診察。何回食べ吐きをしたか、体重、精神状態を聞くだけ。医者は“生活に支障がないくらいに体重を戻して、食べ吐きをできるだけしないようにしましょう”というスタンスでした。

 カウンセラーのことは大嫌いでした。私に同情し、見下されているように感じました」

 その怒りから、ますます過食への衝動が強くなった。当時、体重は29キロ~30キロ。

「その体力では夏を越せないだろう、という医者のすすめで、目黒にある総合病院に入院することになったんです。摂食障害の治療ではなく、生活パターンの改善と体力温存が目的でした」

 1日1200キロカロリーの食事をして体重を増やす、規則正しい生活をして昼夜逆転を直す、というものだった。しかし、ここでも過食嘔吐の衝動は止まらなかった。

「私の行動はひどかったです。看護師の目を盗んで、ほかの患者の残飯をビニール袋に入れ、自分の棚に隠し持ちました」

 それを食事の時間に一緒に食べ、それでも足りずに、病院の売店や勝手に外出してスーパーでも食べ物を買い、公園のトイレや、点滴をしたまま病院のトイレで吐いた。

 1か月ほどで無理やり退院し、自宅に帰るとまた元の生活に戻った。彼女の精神は、もはや極限状態だった。

「楽しいもうれしいも、悲しいも苦しいも、何もいらない。たったひとり、誰とも関わらずに忘れ去られたい。眠りにつくとき、このまま意識が戻らなかったら、どんなに幸せだろうと思いました。眠りから覚めると、自分の人生が八方塞がりで、どこにも行き場がないことに絶望しました」

 過食嘔吐しているときだけが現実から目を背けられた。そして、奈央さんは生きることのすべての望みを完全に捨て去った。

「私は一生、治らない。それが私の答えでした」

「やせてキレイになれば、人生が変わるかもしれない」

 そう願った14歳のときから、実に15年もの歳月が過ぎていた。健康な女性だったら、かけがえのない青春を謳歌できたはずの、すべての時間を、奈央さんは摂食障害の苦しみの中で生きてきた。

 その29歳の初夏。

 彼女の人生が本当の意味で劇的に変わろうとしていた。

『なのはなファミリー』との出会い
「両親が『なのはなファミリー』というところに見学に行く、と言いました。それまでの機嫌をとるような言い方ではないことに少し驚きました。両親はいろいろ調べた末に、“もし治る道があるとしたら、もうここしかない”という覚悟があったのだと思います」

 その気配に押されて、ふて腐れながらも従った。東京駅から新幹線に乗り、新大阪から高速バスに乗って、たどりついたのは、森林の中に立つ、丸太で造られた“山小屋”だった。

 摂食障害からの回復施設『なのはなファミリー』は当時、岡山県美作市にある、この山小屋を拠点にしていた。

「最初に入居者みんなの歌と演奏を聴かせてもらい、自分と年齢の近い30代の入居者3人とОМTをしました」

 OМTとは、オープン・マインド・トレーニングの略で、自分の心と向き合うために、お互いの体験や気持ちを話して共有しあう方法だ。

「でも、私は入居する気がまったくなかったので、すべてが右から左に流れ、みんなの笑顔も直視できませんでした。どこの病院も施設も、一切期待していなかったし、自分も人も信じていませんでした」

 ここに来るのは最初で最後。私には帰る場所がある。そんな観光客のような気持ちで山小屋を眺めたと言う。

 だが、回復するためのその場所で、奈央さんは死の一歩手前まで、骨と皮だけにやせ細ってしまう──。

(次回へ続く)

〈取材・文/相川由美)

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

ここに出てくる「なのはなファミリー―摂食障害からの回復施設ー」HPはこちらです。

続きが読みたくなってしまいますね。

こちらのサイトでは利用者が「ほぼ女性だけ」というような感じです。

紹介文を転載しておきます。

・・・・・・・(なのはなファミリーについて)

 「なのはなファミリー」は、摂食障害の回復を目的とした施です。

この施設は、特定非営利活動法人「ハートピー」が開設しました。
全国各地から集まった、平均年齢は23歳、約60人の女性が生活し、現在では、岡山県勝田郡勝央町の旧小学校跡地の木造校舎(勝央町石生495)と、岡山県美作市岩見田の山小屋の2つの拠点で活動しています。 
 この施設は、これまでどこにもなかった考え方で、摂食障害の回復を支援するための施設です。
薬や、既存のカウンセリングを使って回復を図るのではなく、症状の元となっている心の傷をオリジナルのプログラムによるグループミーティングで癒していくことで、回復するという方法をとっています。
また、なのはなファミリーで回復したスタッフを中心に、自立を目指す多くの入居者が協力し合って新しい入居者を助けていく、という新規入居から自立までのいい連鎖が、形成されています。
1人ひとりがまるで家族のように、強い信頼関係で結ばれています。

なのはなファミリーでは、回復イコール自立と考えています。
症状を少なくするという考え方ではなく、入居している間に症状を完全に消すことはもちろんのこと、自立して生活できる社会性や、強靭な心身を作ることを、全ての入居者が目指しています。
中には30Kg未満の低体重の女性も入居してきますが、卒業後、立派に自立して働いています。
保護者も驚くような心身の成長ぶりが、なのはなファミリーでは、日常のこととなっています。
卒業生のほとんどは、自立してマンションなどに1人暮らしをしながら、フルタイムの仕事に就いていますが、希望すれば、卒業後に、なのはなファミリーからフルタイムの仕事に出ることもできます。
現在はなのはなファミリーから看護師、薬剤師のほか、JAにフルタイムで勤めている女性がいます。

なのはなファミリーには、約60名の入居者がいながら、症状を出している女性は皆無といっていいほどいません。
深い「共感」と「癒し」が満ちている中では、簡単に症状を消すことができるからです。
「食べられない」とか「過食してしまう」という症状は入居した日には治まり、3食とも完食する、健康的な生活をすぐに始めることができます。
なのはなファミリーの実際の生活は、摂食障害を知る人ほど、信じられないかもしれません。
入居する女性のほとんどが「こんなに簡単に症状から抜けられるとは思わなかった」と言います。
すでに回復の軌道にのっている約60名の先輩の女性たちに見守られることで、勇気を出して自立へと1歩を踏み出すことができるのです。

私たちは心をひとつにして、心の通じる家族になりたいと思い、施設の名前を「なのはなファミリー」としました。
ファミリーは家族です。
ですから、ここに関わる人はみな同じファミリーです。
治療する人と治療される人という図式はここにはありません。
1人ひとりが家族を構成する一員として、それぞれの責任を果たしながら、お互いの成長を支えあうのです。

いつだって、誰だって、心の癒しは必要です。

草花に水が欠かせないように、人の心には優しさという愛情が欠かせません。
普段着の愛情をいつも持ち寄って、着飾ることのないありのままの心で、だけどそれがお互いに快く、お互いに癒される、
そんな関係が本当にあるのだということを、ここでみんなで体験したい。
だから、同じ気持ちの人だけ、来て欲しい。
私たちはそんな気持ちです。
なのはなファミリーの目的は、私たちの大きな夢を実現することです。
この世に私たちが生をうけたとき、誰もが愛されることを信じて疑わなかったはずです。

でも私たちが目にしたこの世界は、とても殺伐とした世界でした。
優しさとか、愛情とか、そんな言葉だけはあふれているのに、本当の優しさとか、本当の愛情がなかなか見つけられない世界でした。
だから、心の優しい人ほど傷付いてしまいます。
心豊かで情緒の深い人ほど悲しく生きてしまうのです。 
多くの人が傷付き、多くの人が病んで、あるいは優しい気持ちを捨てることで、強く生きる道を選ぼうとする人もいます。
でも、私たちは自分たちの力を最後まで信じたいのです。
私たちの手で、本当に優しい世界へと、少しでも変えていくことができるのではないか。


その拠点として、志を同じくする人が集う場としての「なのはなファミリー」にしたいと願っています。
摂食障害で深く苦しんでいる女性の多くは、「回復したい」という気持ちをそれほど強く持っていません。
なぜなら、生きていくことの難しさに負けそうになったとき、唯一、気持ちを逃がすことができた先が拒食、あるいは過食だったのです。

もしも拒食、過食に気持ちを逃がせなかったら、生きてこれなかった、というところまで追いつめられてきたのです。
そこから拒食、過食をとってしまったら、生きていく根拠がなくなってしまいます。
そんな状況では、回復したいと心の底から思うことなど、とてもできません。

ですから、摂食障害から回復しようという女性に、「元気になったら、何でもできるようになるよ」といって励ましたり、回復への意欲を持ってもらおうとするのは、ほとんど意味がありません。

この世界に、生きることに、なんの魅力も感じていないからです。
挫折と失望しか感じることができなかった、そしてどんな未来も描くことができない、という人がほとんどなのです。

 
私達のなのはなファミリーでは、生きる意欲を育んでいます。
自分の苦しさをすべて理解してもらえることの歓び、信頼しあうことの心強さ、そして生きることの楽しさを、少しずつ感じていくうちに、
生きることに前向きになっていきます。

やがて自立に向けて力をつけていこうというときには、
ここで感じた幸せをこの世界に自分が広げていく1人になるのだ、そのために回復するのだという意欲が後押ししてくれます。
そういう気持ちで心身を整え、やがて自立していった女性達は、多少の困難に出会っても症状をぶり返すことはありません。
なのはなファミリーで培った信頼をいつも心に置いて、すぐに原点に戻ることができるからです。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「(原文より)いつだって、誰だって、心の癒しは必要です。

草花に水が欠かせないように、人の心には優しさという愛情が欠かせません。
普段着の愛情をいつも持ち寄って、着飾ることのないありのままの心で、だけどそれがお互いに快く、お互いに癒される、
そんな関係が本当にあるのだということを、ここでみんなで体験したい。
だから、同じ気持ちの人だけ、来て欲しい。
私たちはそんな気持ちです。
なのはなファミリーの目的は、私たちの大きな夢を実現することです。
この世に私たちが生をうけたとき、誰もが愛されることを信じて疑わなかったはずです。

でも私たちが目にしたこの世界は、とても殺伐とした世界でした。
優しさとか、愛情とか、そんな言葉だけはあふれているのに、本当の優しさとか、本当の愛情がなかなか見つけられない世界でした。
だから、心の優しい人ほど傷付いてしまいます。
心豊かで情緒の深い人ほど悲しく生きてしまうのです。 
多くの人が傷付き、多くの人が病んで、あるいは優しい気持ちを捨てることで、強く生きる道を選ぼうとする人もいます。
でも、私たちは自分たちの力を最後まで信じたいのです。
私たちの手で、本当に優しい世界へと、少しでも変えていくことができるのではないか。

その拠点として、志を同じくする人が集う場としての「なのはなファミリー」にしたいと願っています。
摂食障害で深く苦しんでいる女性の多くは、「回復したい」という気持ちをそれほど強く持っていません。
なぜなら、生きていくことの難しさに負けそうになったとき、唯一、気持ちを逃がすことができた先が拒食、あるいは過食だったのです。

もしも拒食、過食に気持ちを逃がせなかったら、生きてこれなかった、というところまで追いつめられてきたのです。
そこから拒食、過食をとってしまったら、生きていく根拠がなくなってしまいます。
そんな状況では、回復したいと心の底から思うことなど、とてもできません。

ですから、摂食障害から回復しようという女性に、「元気になったら、何でもできるようになるよ」といって励ましたり、回復への意欲を持ってもらおうとするのは、ほとんど意味がありません。

この世界に、生きることに、なんの魅力も感じていないからです。
挫折と失望しか感じることができなかった、そしてどんな未来も描くことができない、という人がほとんどなのです。」

こういった主張は宗教的な観点が入っているように思えます。

というか、「愛」について語るとき、「愛」について書かれている書物は聖書しかありません。

それ以外の書物には愛ではなく、「愛情」が書かれています。

世の中の人たちは「愛情」「恋愛」を愛と解釈してしまっているため、真実の愛に辿り着けず、最後は絶望するか、愛の代償を求め続けます。

男性の場合、愛に冷め切ってしまっていて「友情や根性」を求めます。

女性の場合、愛を求め続ける、愛され続けることを強く求めるため「愛情や同情」ばかり追い求め、それに溺れてしまいます。

 

藁をもつかむ気持ちで入所される方、回復される方いると思いますが、「これが絶対だ」とは私は思えません。

 

私たちは、「心の渇きや飢えを満たすために、物を買ったり、人と接する、人間関係に頼る」ということをします。

摂食障害の人は「食べる(物)⇒脳が満たされる」という物質と「太っていない、やせている(他人からの評価)」という人間からの評価に依存してしまっています。

しかし、食べ物もお金がなくなれば食べれなくなります。

過食嘔吐を繰り返してもがりがりに痩せていくだけで、衰弱してくだけです。

他人からの評価に依存していても、人間は一日に1万回は心変わりがしますから、そんな人間の評価を得ようと努力することは無駄なことなのです。

つまり、この世のもので満たそうとしても満たすことができません。

一時的に、金持ちであったり、見た目が良かったりすると、異性がちやほやしてくれたり、欲しいもの、流行っているものを好きなだけ手にすることはできます。

しかし、それらのものを手にしても一時的にしか心を満たしてくれません。

まさに、現代人は「心の飢え渇きや、ふと襲ってくる、不安や虚しさ、寂しさを埋めるため」に物やペットや恋人、子供や家族に依存しようとします。

しかしそれらのものでは、心の飢え渇きは満たされることはありません。

 

この施設のお父さんと呼ばれる「小野瀬健人」という人物のインタビューを見ていきましょう。

・・・・・・・・(摂食障害、回復のポイントは「単なるつらかった思い出にすること」週刊女性2月17日号2015/2/7)


「摂食障害という病気は人生を破壊します。拒食がひどいと、1日の食事が200ccの栄養ゼリーと納豆1パックだけ。過食がひどいと、起きている間じゅう食べ疲れて眠る感じ。過食嘔吐にはしり下剤を毎日200錠飲み、おしめをして水様便を垂れ流すという重度の子も。“食べる”か“食べない”ことにこだわる依存症で先進国特有の病気です」

 2004年に日本最大規模の摂食障害者向け回復施設『なのはなファミリー』を岡山県に開設した元ジャーナリスト・小野瀬健人さんは、摂食障害が抱える問題をそう解説する。

「“心に負った痛みを理解してもらえないつらさが、摂食障害を引き起こす”という私の考えを記事にまとめたところ、多くの反響をいただきました。拒食や過食の症状自体よりも、“楽しく生きられないこと”が不安なのです」

 ‘09 年には廃校となった小学校を借り、年々収容人員を増やした。

「スタッフは15人くらい。入所者は、日中、仕事に出ている子も含めて60人ほどで、8割は、1週間~1か月でほとんど普通になりますよ」

 目に見える成果をあげている、施設の1日を追った。

《6時半~起床OK。 8時~朝食→洗い物、洗濯→集合(講堂に集まり、入所者が〝お父さん〟と呼ぶ小野瀬さんから、次の作業の指示を仰ぐ。質問箱に入れられた質問への回答タイムもある)。9時~柔軟、筋トレ、倒立、ランニングなどを約1時間。10時~畑仕事、音楽やダンスのステージ練習など。12時半~昼食→洗い物、洗濯→集合。13時半~農作業、スポーツ、イベント・ステージ練習など。18時~夕食→集合→フリー。毎日日記を書く決まりもある》

 これらの日常で、一体どのような効果が期待できるのか。

「活動の柱は、①音楽、ダンス②農業③スポーツ─の3つ。音楽やダンスでは、オリジナルの演目を一から練ります。観客に感動してもらえると、自分たちはやっていける、と確信が持てます。集大成はウインターコンサート。自分たちの目指す生き方を提言できるようなストーリーを考え、それに沿ったステージ運びをします。最近は毎年満員です」

 記者が取材した日、5曲のパフォーマンスを披露してくれたが、完成度の高さには息をのむばかりだった。身体を動かし汗を流すことは大事だという。

 「自分が何者かわからずさまよってしまう」というこの病気の特徴を取り去るため「自分探しではなく、自分作りをさせていくんです」と小野瀬さん。不定期開催のミーティングでは、互いが胸中を吐露する。

「傷を“単なるつらかった思い出”にしていくことが大切です。何がつらかったか理解して整理し、どんなふうに生きたいかを見いだしていく。それが回復へのポイントです」

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

こういった集団療法でよくなるひともいますので一概に否定しません。

精神病院に入院して、点滴で体重管理されるよりはましですからね。

退院条件が、入院時よりもプラス15㎏という設定された患者は、体重測定の直前に「水道水をがぶ飲み」してごまかしていました。

そして、ある時、低ナトリウム血症で倒れて、退院が延期になり、家族も青ざめていました。

精神科病院で、摂食障害に対してのアプローチは「ルールを守ること」「薬物療法(汚染)」以外はしません。

ほとんどが、境界性人格障害と同じアプローチなのです。

境界性人格障害とは早い話「中身が子供のまま大人になってしまった人」です。

そして、能力が偏っており、見た目の能力、資格などの表面的な能力しかなく、根幹の忍耐力や思考力が低いわりに、自尊心だけが強大なため常に劣等感を抱えて生きています。

他人を見下し悦に浸り、他人から見下されると怒り狂うか、社会的な立場が強い人間が相手の場合、落ち込んでしまう。

否定されると怒り狂うため、「外見は大人、内面は子供」というわけです。

多くの患者は、寛快と再発を繰り返して、最終的には、社会ではなく、病院にしか居場所がなくなってしまいます。

気の毒な話です。

今の、医学や福祉には、病気、心の病をいやす力は残念ながらありません。

「「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち」Amazonのブックレビュー☆1つの方のコメントを見てみると、同著は「親のせいにする」ことが強調されているようなコメントばかりでしたので転載いたします。

・・・・・・・・・・(「「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち」ブックレビュー☆1つ)

甘え
投稿者ぱぐ2013年7月15日
形式: 単行本|Amazonで購入
だいたいきちんとした食生活を送っていない人って拒食症の人、不登校者、ひきこもりがちな人、重い病気を患っている人、食べる量を極端に減らすダイエットをしている人、経済難で一定の食べ物さえ買えない人なんですよ。
つまり、他者とは少し違う生活を送っている人がそうなりやすいといえますね。
食べ物を食べないと違う世界にいるような精神状態になるというのは他者とは違う生活を送ることで自分だけの世界に入りやすくなるということなのです。
拒食症の人は不登校者になりやすい、不登校者は拒食症になりやすいとはよく言います。
ひきこもりの人、極端なダイエットをしている人も同じですね。
食べ物を断つことで日常生活に支障をきたす、日常生活に支障をきたすことで食べ物を断つ。食というのはそれだけ日常生活に深く関わっているというわけです。
食べ物を口にしないと元気はでません。でも、食べることだけで元気が湧いてくるほど人は簡単ではないです。人には色々な事情がありますから。でもね、それを改善するにはやはりまず身近なことから正す必要があるんですよ。食もその一つです。
勉強は整理整頓からと言いますよね。おいしい御飯をお腹いっぱいに食べると満足感を得られる、何かを頑張る気力が湧いてくる、とても基本的なことです。
小さなことから始まりますよ。大きなことは。

かなり強引な内容
投稿者fruits2012年3月22日
形式: 単行本
摂食障害の人は、全てを母親のせいにすれば楽になるってことなんでしょうか?
皆がそんな幼稚な人間性だとは思えないのですが。

例に書かれていたケースの人たちも世間から見ればずいぶん愛されている人たちだと思います。
注がれている愛情を感じることができないという点では、親はそういう性質の子だと認識して一生懸命愛情をわからせなくてはならないでしょうが。

母親を全面否定する。土下座など気が済むまで謝罪させる。そんなもので摂食障害が治るとは思えません。
この本を読んだ知人は悩みすぎてウツ状態になりました。
娘さんは拒食は親のせいじゃないのに(ストイックなアスリートでダイエットを機に拒食に)親に謝罪されて嫌な気持ちになったと言っていました。
子供を見捨てずに世話をし続けている母親を、その子供本人や治療者などが全否定する。これじゃ親のほうがおかしくなると思います。元気をもって子供の世話するためにも一番ケアされるべき人だと思うのですが。

摂食障害の人は愛情がほしい幼児みたいなものだから、わがまま聞いてやってなにがあっても母親が「私が悪いの、ごめんね」と謝らせれば満足なのかとちょっと鼻白んだ本でした。


何かが違う
投稿者ベス2011年11月24日
形式: 単行本|Amazonで購入
家族全員で読みましたが、「これはおかしい」が全員一致の意見で、本はすでに売ってしまいました。
最後まで読むのも無駄な気がしました。
心の傷を誰かのせいにするのは、確かに楽かもしれません。親のせいにして、気持ちが楽になり病気が快復に向かう人もいるのでしょう。
けれども最終的にはそれが解決とは思えません。
本当はすでに自分は最初から十分に愛されていたという気づきが大切だと思います。
親が悪いと思い、親に何度も何度も謝罪させる、土下座して気のすむまで謝ってもらう。
それでも摂食障害が治らない人は治りません。 その謝罪の行為を見ていた方は「嫌悪感を感じる」と言ってましたがまったくその通りです。
すべての摂食障害が母親に原因があるとも到底思えません。
ダイアナ妃も摂食障害でしたが、彼女がそうなったのも母親のせいだと著者は思っているのでしょうか?
自分が望んだ通りの完璧な親子関係を築いている人などいないと思います。
人によっては耐え難い幼児虐待を受けた人もいるでしょうが、
それとは別にごくごく普通の生活をして親に愛されて育っているのに、傷ついている人たち。
必要なのは親の謝罪ではなく、感謝の気持ちに気づくこと。
その上で、「お父さん、お母さん、ありがとうございます。」と何度も潜在意識で感謝して、心の病気だけではなく、身体的な病気を克服していく治療法もあるのです。
「自分が欲しかったクリスマスプレゼントを貰えなかったから」、と親を恨むのではなく、心の底から感謝出来たら何かが変わります。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

摂食障害は「親のせい」なのですね。

☆5つのレビューに「親のせい」といったコメントが書いてあります。

・・・・・・・(「「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち」ブックレビュー☆5つ)

5.0親が批判を受け入れられるかどうか。
投稿者はなちゅるびっく2006年3月25日
形式: 単行本|Amazonで購入
摂食障害の本はたくさん読んできたつもりですが、この本は、親を批判することがたくさん書いています。

子供にとっては、自分の本心を代弁してくれるので、読んでいて気持ちがいいかもしれません。

親にとっては非常に酷な本でしょう。親が子供に良かれと思ってやってきた事が否定されるのですから、

価値観や人生観、プライドを傷つけられるのと同じです。

しかし、これを親への非難や攻撃と受け取らずに、子供の本心として受け止められたら、病気の回復はできたも同然かもしれません。

親の謝罪で病気が治るとも限りませんが、摂食障害の根本は心の病。食べる吐くを止めさせても解決しません。

45人のお客様がこれが役に立ったと考えています 

治療に前向きになれた
投稿者Amazon カスタマー2017年10月24日
形式: 単行本
私は16歳から現在も摂食障害に苦しんでいます。これまで数多くの精神科やカウンセリングなどに通ったり、自分なりに解決法を模索したりして、何としてでもこのどん底から這い上がりたいと日々思ってきました。しかし良くなるどこか、高校を卒業し収入が格段に増えたことで過食嘔吐はさらに悪化。大学生でいながら吐くための食費のせいで借金は百万以上あります。何度自殺を試みたかわかりません。
母子家庭で、母親は常に私に対して高圧的で摂食障害に対して理解しようという気持ちがこれっぽっちもありません。母親はいつも吐いている私を見て怒り、吐くなら食うな、バカ、他の家族からも死んでしまえ、バケモノなどと罵倒される日々です。
過食嘔吐という常人には理解できない行為を1日に何度もしているため、大学には友達はおらず、常に休み時間に寂しさを紛らわすためにトイレで食べて吐いての繰り返し。借金を減らしたり、過食費用を稼いだりするために水商売や風俗にも手を出しました。
もう死のう死のうと毎日考えていた時、たまたまネットでこの本を見つけて読んでみました。これまでに数多く摂食障害の本を読んできましたが、どれも納得がいかないものばかり。しかしこの本は違いました。私の内面そのものを書いているのでは?と思うくらい共感でき、感動して涙が出ました。たしかに幼い頃の母親との関係は、今考えてみても異常でおかしかったのでそれが起因しているのでしょう。
今更母親の摂食障害への考えが変わるとは思えませんが、一度この本を読んで少しでも私のことを理解してもらい、治療に対して前向きに考えてもらえたらなと感じています。

この本が本当に好きになったので、過食しそうになったらこの本を読んで時間を潰し、ほんの少しずつでも過食嘔吐を減らすよう努力していきます。同じ境遇で苦しんでいる方、是非読んでみてください


摂食障害者に悩むすべてのヒトに読んで欲しい一冊。
投稿者AmazonカスタマーVINEメンバー2007年12月12日
形式: 単行本
「親の愛を望んで、望んで、望みながら待ち続けて、
 それでもやっぱりもう期待するのは無理のようだとなったとき、
 あきらめきれないまま心が拗ねてしまう、それが摂食障害」

この本にある言葉です。

なんでこんな病気になったの??どうして止められないの??どうやったら治せるの??

摂食障害者にとっての三大疑問。

すごく辛いのに、どうしていいかわからない。何が辛いのかもわからない。

この本は、そんな迷えるさるきちたちに救いの手を差し伸べてくれます。

著者の小野瀬先生は
幼少の頃に受けた「ココロの傷」が摂食障害の根源であり、
その傷をどうやって癒していくか、
ということに焦点を当てています。

他に提唱されているようなダイエット説を用いたり
食事の仕方を改善するといった治療法は全く取り上げられていません。

むしろ、ココロのキズを癒すことができれば食事の能力は自然に取り戻すことができる、としています。

「自分が食べようとしないからでしょ」
「自分が治そうとしないだけでしょ」

身近にいる家族でさえ、摂食障害者の苦しみを理解できていないのではないでしょうか。そして、それがさらに患者をを苦しめるのです。

この本は患者本人だけでなく、家族にも読んでもらえば治療に役立つはずです。さるきち読んで涙があふれた一冊。おススメです。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

☆5つのブックレビューでも「摂食障害は親のせい」といっていますね。

そんなわけありません。

しかもこの施設のサイトには、「脳の愛情を感じる場所の近くには食欲や食べることに対する欲求を感じる場所がある」

と書いてあるそうです。

・・・・・・・・・(摂食障害について)

摂食障害くらい、世間から誤解を受けている病気はありません。
その渦中にある本人が訴える間違った「原因」が本当の原因だと、周囲の家族ばかりでなく、治療の専門家まで思っているからです。
一般的には「ダイエットが摂食障害の原因」と言われていますが、ダイエットのやりすぎで摂食障害になることはありません。


本当の原因は、
4歳~6歳の間に受けた心の傷です。

たまたま一度だけ、両親が子供の前で言い争ってしまったとか、父親が泥酔して子供の前で暴れたことがあるとか、そういう“争い”を目の前で見てしまうと、それが摂食障害の「種」となります。
少なくとも大人にとっては「大したことではない」と思えることが、
子供にとっては耐え難いほどのショックとなり、傷になることが少なくないのです。
ほとんどの場合、子供が傷ついていることを、親はまったく気付かないまま育ててしまいます。
ところが子供のほうは、癒されないままの心の傷が「家族が危機的な状況」だといつも訴えていますから、家族が崩壊しないように細心の注意を払いながら、生きていくことになるのです。

母親が不機嫌にならないように、あるいは父親の機嫌を損ねないようにと、何でも真面目にやります。
一生懸命、勉強したり、ときには両親の前でおどけてみせたりもします。
けれど、いつも自分の本心を隠しているので、いつのまにか自分が何者であったかわからなくなっていくのです。
それが思春期になったとき、身体が大きく変化するように脳の中も大きく変化しますから、それまでなんとかごまかしてきた
心の傷の痛みが悲鳴を上げて、「耐え難い寂しさ」「果てしない空虚感」として襲ってくるのです。


脳の中の「愛情の中枢」と「食欲の中枢」は隣り合っていて、女性の場合は特に男性よりも接近しています。
心が傷つくとは、愛情の中枢が傷付くことで、耐えられなくなった愛情の中枢が暴走して食欲中枢を故障させてしまいます。
それが「摂食障害」の本当の姿なのです。

摂食障害になる女性は、もともと傷付きやすいくらいですから、普通の人よりも情感が豊かで、様々な能力の高い女性が多いのです。
真面目で、情感が豊かな子が、思春期に急変して摂食障害となり、急に親に反抗的な態度になったりして、そこで家族は本人が傷んでいることに気付きます。
しかし、傷付いた時期(4歳~6歳)とそれが表面化する時期(12歳~18歳、時にはもっと遅く発病します)があまりにもかけ離れているために、原因が思い当たらないのです。本人でさえも、何が原因がであったか、わからなくなってしまうのです。

摂食障害の症状は3つあります。
拒食症の人は、食べられなくなり、時には体重がそれまでの半分くらいまで痩せてしまうこともあります。
過食症の人は、食欲を止めることができず、信じられないほどの量を一度に食べます。最近は、「吐く」ことが知られてきたので、
過食するだけの人は少なくなりました。
過食したあと食べた物を全部、吐きだしてしまうのを「過食嘔吐」といいます。
最初は拒食になり、次に過食嘔吐へと変わっていく女性が多いようです。
過食嘔吐の多くは下剤乱用も伴います。
本人にすると、体型のことが異常なほど気になってしまいます。
体型そのものが、自分の人格だと思ってしまうほどです。
痩せることへのこだわりは、なかなか抜けません。
それは心の空虚さがそうさせているのであって、それも症状のうちです。
こういう女性を、いまの医療では豊かさゆえの「わがまま病」ととらえ、「正しい食事の習慣」をつけさせることを治療の柱にしています。

病院では体重を管理して、この体重になったら入院しなさい、この体重になったら退院してもいいです、という見方をします。ある意味では、病院は本人以上に体重を気にして、体重と体調だけしか見ていません。
しかし、食習慣が原因ではなく、心の傷が原因ですから、いくら本人に食事の大事さを説得したところで、まったく無意味なのです。
また、心が虚ろになってしまっているので、病院では「うつ病」の薬を処方して、うつ症状を薬で消そうとします。
これも対症療法ですから、まったく効果がありません。
そうして、摂食障害の女性は家族にも理解されず、専門の医者にも理解されず、心の空虚さを埋めきれないまま、家の中に引きこもりになったり、パチンコ依存症になったり、あるいはほかの依存症になったり、病院への入退院を繰り返したりしているのです。


摂食障害は、2つの意味で、恐ろしい病気です。
1つは、例えどんなに症状が軽くなったとしても、全快して全く症状が消えない限り、本人の心の中から「苦しさ」がなくなっていないということなのです。
つまり生きることが苦痛で、それを我慢しながらの人生になってしまうということです。
他の人は生きるのが上手だけれども、自分は下手だから仕方がない、と本人は思って生きています。
しかし、この世に生を享けながら、一度も心の底から「楽しい」とか、「生きてきてよかった」と感じることがなく、淡々と、我慢の人生を生きて行く、それは本人にとっても家族にとっても、過酷なことではないでしょうか。

もう1つの恐ろしさは、摂食障害の行き着く先は、体力がなくなって栄養失調になる、というだけではない、ということです。

男性依存を併発して、相手を選ばず性行為が止められない、となる女性がいます。
いまの性風俗店で働く女性のほとんどが摂食障害の女性と言われています。
精神病の症状が併発すると、鬱病、統合失調症へと症状が深くなっていくことがあります。
時には、自分の性を否定して、男性化を望むようになることもあります。
万引きへの依存が始まると、理性で万引きを抑制することができなくなり、スーパーでの食品程度の万引きでも、何度も重なると実刑に処せられます。
1年から2年、収監されている間は摂食障害の症状も一時的に治まるのですが、出所すると、ほどなく摂食障害の症状も、万引きの症状も再発し、また収監されることになります。
こうして収監と出所を繰り返し、刑務所での生活のほうが長くなるという女性が、どんどん増えています。
中には自殺する女性もいます。


摂食障害が始まってしまうと、人生のスタート台に立つことができません。
いつまでたっても、人生が始まらない、そのまま40歳になり、50歳になり、60歳になっていくのです。
そのうち何とかなるんじゃないか、若いときだけの病気じゃないか、そんなことを考えているうちに人生をリセットできないほど症状が固定化してしまう、摂食障害とは、そんな恐さを秘めた病気なのです。

 ・・・・・・・・・・(転載ここまで)

しかし、それは事実なのでしょうか?

人間の脳は複雑で、そのほとんどが解明されていません。

「思春期になったとき、身体が大きく変化するように脳の中も大きく変化しますから、それまでなんとかごまかしてきた
心の傷の痛みが悲鳴を上げて、「耐え難い寂しさ」「果てしない空虚感」として襲ってくるのです。」

肉体は20歳前後から衰えていきますが、脳は死ぬまで発達します。

なぜ思春期に発症するのでしょうか?これは小野瀬氏の仮説にすぎませんね。


「脳の中の「愛情の中枢」と「食欲の中枢」は隣り合っていて、女性の場合は特に男性よりも接近しています。」

これも仮説です。というか体験談程度でしょうか。

摂食障害は、依存症ビジネスの一環だと私は考えますから、依存先を食べ物以外に変えていくことしかできないのが、現代医学やセラピストの限界だと思います。

「他人から社会から認められたい、責められたくない、綺麗になりたい、でもお腹一杯好きなものは食べたい、甘いものが食べたい、、、、」

そんな都合よくいくはずがありません。ですから、これは女性でも男性でも持っている、高慢さや自尊心からきているものです。

「親から批難されたり、否定されて育った子供は自尊心が低い」のではなく、「自尊心が高い」の間違いです。

批難されないように取り繕う、偽善の仮面を被るテクニックが身についているのです。

自尊心が低い人とは周囲から批難や指摘されたら、「あー、俺も(私も)まだまだだなぁ、明日はもっとできるように頑張ろう!」

と考えます。決して、批難したり、指摘してきた人に認めさせようと努力するのでなく、「自分を完全にするために成長させるために真摯に受け入れられる人」これこそが自尊心が低い人、つまりプライドが低い人です。


仮説で話をしていることが多々ありますし、ノルアドレナリン仮説すら、「覚せい剤や麻薬の作用機序の話」であるのにも関わらず、なぜだか知らぬ間に、心の病の作用機序になってしまっています。

 

こちらの施設に入所されて快方に向かったかた、社会復帰された方を批難するつもりは毛頭ありません。

しかし、こういった人間の考えだしたもの、一義的な理論、やり方には限界があり、一長一短なところがある、どこかに穴があるということを認識しておいて、利用したほうが良いと思うのです。

本来、私たち人間は「絶対的価値観」に寄り添って生きることが幸せになる秘訣だと思います。

演劇したり、体操したり、農作業をしたり、他人に弱みを打ち明けたり、認知行動療法して、本当に人生の苦悩から解放されるとは到底思えないからなのです。

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