今回は、仏教が衰退してきて、潰れるかもしれない状況に対して、医療分野への積極的営業、進出が進んできています。
人が何を信じようが勝手ですが、お金だけとられて惨めな思いをする経験しかない仏教には、何の恵みもありがたみもないと思います。
皆さんも騙されないようにしてください。
黒岩祐治を調べていたところ、以下のような対談がありました。
・・・・・・・(第8回 看護の「見える化」を今回の対談者:たかがい恵美子氏(参議院議員、保健学修士、保健師、看護師)
黒岩:新潟県長岡市の長岡西病院にはビハーラ病棟があります。これは仏教版のホスピスなんですね。お坊さんがいらしていて、読経が流れているので、宗教的な雰囲気なのですが、安心感をもたらしています。これまで、こういったことはタブー視されていましたが、看護師が本来の仕事に向かっていくためには必要なのではないでしょうか。
・・・・・(転載ここまで)
さりげなく、「ビハーラ病棟」などといってますね。
まずは、仏教の現状について見てみましょう。
・・・・・・・・(『坊主バー』などの新発想で対抗するが……2015.12.07)
日本の仏教が大幅な衰退の危機にあると、複数の海外メディアが報じている。少子高齢化、後継者不足などのため、現在約7万7000ある寺院のうち、25年以内に約4割・2万7000ヶ所が閉鎖されると予想されている。英ガーディアン紙はこれを、「仏教伝来以来の存続の危機だ」と記す。こうした「宗教離れ」は世界的な傾向だが、日本が特に顕著だと言えそうだ。ロイターは、アメリカの若者たちの「教会離れ」を取り上げているが、そのスピードと規模は日本の「お寺離れ」よりはずっとゆるやかなものだ。
地域コミュニティーの崩壊が主要因
宗教ニュースサイト『World Religion News』は、既に日本の2万以上の寺院が住職のいない「空き寺」だとしている。同サイトは、今後25年間で4割の寺が閉鎖に追い込まれるということは、「もう、美しい庭園を通って参拝することができなくなるということだ」と、日本の伝統文化の衰退を残念がる。ガーディアンも、『Zen no more』という見出しを取り、欧米では「禅」のイメージと重なるクール・ジャパンの危機を嘆いている。
「お寺の衰退は、地方の衰退の写し鏡だ」と、ガーディアンは指摘する。日本創生会議が昨年発表した報告書によれば、若い女性を中心とした「地方離れ」が今のペースで進めば、2040年までに日本の地方自治体の半数近くが消滅するという。寺の運営が地元の檀家の寄付で成り立っていることを考えれば、地域コミュニティーの崩壊がそのまま「仏教の危機」に結びつくのは明白だ。
仏教の危機に警鐘を鳴らす『寺院消滅』(日経BP)の著書があるジャーナリストで京都・正覚寺副住職の鵜飼秀徳氏は、「住職が金持ちだというイメージは東京や大阪のような大都市では事実かもしれない。だが、他の地域では決してそうではない」と語る。鵜飼氏の寺には約120人の檀家がいるが、生活を維持するには200人は必要だという。鵜飼氏はそのため、ジャーナリストという副業に精を出すことにしたのだという。
(※住職はあくまでビジネスなのですね)
『坊主バー』などの新発想で対抗するが……
衰退の流れを食い止めるのは容易ではなさそうだ。寺の大きな収入源は1回何百万円ともされる葬儀代だ。高齢化が進み、昨年は130万人近くが死亡した日本では、一見、成長分野のようにも見える。しかし、ガーディアンは「それすらも救いにはならない」と記す。確かに葬儀件数は多いものの、社会全体が後退期にある中、既に伝統的な仏式葬儀にかかる予算を出せない日本人が大半を占めるからだという。民間の葬儀場などで、より安価で簡素な葬儀を行う層が増えているという統計がその根拠だ。
(※TEARなどの葬儀ビジネスが台頭してきましたね!葬式の独占が破られています)
寺院側にも、葬儀代の大幅ディスカウントで対抗する動きはあるが、ことはお金や人口減の問題だけではなさそうだ。ガーディアンは、「1700年代初め、日本の人口は今よりも1億人少ない3000万人だった。それでも4万6000の寺があったのだ」と指摘する。同紙は、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以来、仏教を含む組織的な宗教を「近寄りがたい、暗い、危険」だととらえる日本人が増え、若い世代の宗教に対するイメージがかつてないペースで悪化していることを、仏教衰退の要因の一つに数えている。
日本の宗教文化を研究している英ランカスター大学のイアン・リーダー教授は、現代日本の仏教は“葬式仏教”だと指摘する。神道と共存する独特のゆるやかな宗教観の中、日本人は「正月には神社で祈り、死んだら寺に行く」と、同教授は米ラジオ局「NPR」のインタビューに答えている。一部の若い住職の間では、衰退を食い止めるためには、この「仏教=葬式」のイメージの払拭が必要と考え、ボランティア活動や音楽会などの文化行事に力を入れる動きも出てきている。特に、宗派を超えた若い住職たちがバーテンを務める仏教バー『坊主BAR』(東京・四谷)は、新しい動きの象徴として、複数の海外メディアに取り上げられている。
・・・・・・・(転載ここまで)
お金だけ取られて幸せにならない、何の恵みもない仏教は衰退するだけでしょうね。
「なぜ葬式が金がかかるのか?」と同時に彼らは法事ビジネスで継続的に信徒からお金をむしりとる仕組みを作っています。
・・・・・・・・(法事・法要・四十九日がよくわかる)
法要を営む日
初七日 | しょなのか | 命日も含めて7日目 |
---|---|---|
二七日 | ふたなのか | 命日も含めて14日目 |
三七日 | みなのか | 命日も含めて21日目 |
四七日 | よなのか | 命日も含めて28日目 |
五七日 (=三十五日) |
いつなのか (さんじゅうごにち) |
命日も含めて35日目 |
六七日 | むなのか | 命日も含めて42日目 |
七七日 (=四十九日) |
なななのか (しじゅうくにち) |
命日も含めて49日目 |
百カ日 | ひゃっかにち | 命日も含めて100日目 |
一周忌 | 命日から満1年目 |
---|---|
三回忌 | 命日から満2年目 |
七回忌 | 命日から満6年目 |
十三回忌 | 命日から満12年目 |
十七回忌 | 命日から満16年目 |
二十三回忌 | 命日から満22年目 |
二十七回忌 | 命日から満26年目 |
三十三回忌 | 命日から満32年目 |
三十七回忌 | 命日から満36年目 |
四十三回忌 | 命日から満42年目 |
四十七回忌 | 命日から満46年目 |
五十回忌 | 命日から満49年目 |
百回忌 | 命日から満99年目 |
十王審判と十三仏信仰
仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九日の間に、故人が次に生まれ変わる世界(来世)が決まるとされています。
来世とは、天、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼(がき)、地獄の六道(ろくどう)のことです。
この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする十王からお裁きを受けるとされています。
しかし、この六道の世界はどこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土です。
残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、このお裁きを受ける七日ごとに故人に善を送る(追善)法要を営みます。
十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏です。
故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。
十三仏は、 初七日 不動明王(ふどうみょうおう)、 二七日 釈迦如来(しゃかにょらい)、 三七日 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、 四七日 普賢菩薩(ふげんぼさつ)、 五七日 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、 六七日 弥勒菩薩(みろくぼさつ)、 七七日 薬師如来(やくしにょらい)、 百カ日 観音菩薩(かんのんぼさつ)、 一周忌 勢至菩薩(せいしぼさつ)、 三回忌 阿弥陀如来(あみだにょらい)、 七回忌 阿閃如来(あしゅくにょらい)、 十三回忌 大日如来(だいにちにょらい)、 三十三回忌 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。
・・・・・・・・・(転載ここまで)
>仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九日の間に、故人が次に生まれ変わる世界>(来世)が決まるとされています。
>来世とは、天、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼(がき)、地獄の六道(ろくどう)のことです。
>この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする十王からお裁きを受けるとされています。
>しかし、この六道の世界はどこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土です。
>残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、このお裁きを受ける七日ごとに故人に善を送る(追善)法要を営みます。
>十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏です。
「残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、このお裁きを受ける七日ごとに故人に善を送る(追善)法要を営みます。」そんなはずありませんよね?
本人の問題を生きている人が尻拭いする、、、生きている間に本人が解決する問題だと思うのですが、、。
これだったら「いきている間は、酒、タバコ、ギャンブル、麻薬、不倫なんでもあれ。死んだら家族が何とかしてくれる」
となってしまいそうです。
こんな教理に何の意味があるのでしょうか?
そしてお坊さんは、家族に何か良くないことがあると、「先祖のご供養がされていないからですよ」と迫ってくる「不安ビジネス」を仕掛けてくるのでしょう。
先祖供養なんぞ関係ありません。生きている現役世代に問題があるから、悪いことが起きる。
しかも人生は良いこともあれば、悪いこともあります。
その出来事をどう捉えるか?で決まっていきます。
大金を支払って法事をすることで現世の私たちの人生が決まるとしたら、先祖とはなんと罪作りな人達なのか?と思って生きることを絶望してしまいます。
こんなむちゃくちゃな教理に現代人がついていけるわけありませんよね?
ということで、彼らは病院医療に食い込むことにしたのではないでしょうか?
それが「ビハーラ医療団」なるものです。
・・・・・・・・(ビハーラ医療団)
浄土真宗の教えを学び、ビハーラ(仏教ホスピス)運動を推進する医療関係者・ビハーラ関係者のネットワーク組織。
1998年7月に内田桂太(岩手県立磐井病院院長(当時))、田畑正久(東国東国保総合病院院長(当時))、田代俊孝(同朋大学教授)の呼びかけで発会。全国組織で会員は多くが医師などの医療関係者であり、同時に僧籍を持つ。毎年、各地で「仏教と医療を考える研修会」を開催。事務局を同朋大学田代研究室(〒453-8540名古屋市中村区稲葉地町7-1同朋大学内 tel052-411-1426文学部研究室気付)置く。会員は現在約78名。2015年第49回仏教伝道文化賞沼田奨励賞を受賞。
活動は、研修会の開催、ビハーラ関係の出版物の刊行、情報交換、ビハーラの実践と啓発、医療面での協力。綱領として以下のことを掲げる。
〔 綱領〕ハーラ医療団』の会員は、それぞれの場で仏教精神に基づいて医療活動を行い、一人ひとりの人間が心豊かに幸福な人生を全うしていくことに貢献するために次ぎのことに努めまます。
私たちは「「自信教人信」の立場で聞法します。
私たちはあらゆる「いのち」を尊び、共生の社会の実現に努めます。
私たちは病める患者と生老病死の苦悩を共有し、ビハーラ運動の普及に努めます。
・・・・・・・・・(転載ここまで)
癌と嘘をついて、末期がんの患者に抗がん剤とモルヒネを投与して、苦しませて最後は仏教ビジネスでむしりとるのでしょうか?
癌の終末期ターミナル医療で、ビハーラに誘導されるみたいです。
・・・・・・・(ビハーラとは?)
ビハーラ(vihāra)は、サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味し、現代では末期患者に対する仏教ホスピス、または苦痛緩和と癒しの支援活動を差す。概要
欧米で発祥した「ホスピス」がキリスト教系の響きを持っていることに対し、「ビハーラ」は仏教的独自性を出したことに特徴がある。
ターミナルケアにおける人間の精神面の重要性が見直され、終末看護と終末看死において仏教者(ビハーラ僧)と医師、看護職ないしソーシャルワーカーなどによるチームワークに注目したことに仏教社会福祉的特徴がある。
さらに近年においては、谷山洋三が「ビハーラとは何か?ー応用仏教学の視点からー」(『パーリ学仏教文化学』19号、2005)で、狭義・広義・最広義の3つのカテゴリーにまとめてビハーラを定義している。狭義とは、「仏教を基盤とした終末期医療とその施設」であり、広義とは、老病死を対象とした、医療及び社会福祉領域での、仏教者による活動及びその施設」を指し、最広義とは、「災害援助、青少年育成、文化事業などいのちを支える、またはいのちについての思索の機会を提供する仏教者を主体とした社会活動」である。しかし、定義はさまざまになされており、定まっていない。
共通して言えることは、臨床の場において、生老病死の苦を超えるために、本人のみならず、家族を含めて仏教に学ぶ活動、もしくは、そのことを行う施設を意味している。
沿革
1985年に仏教の主体性・独自性を表すため、仏教を背景とするターミナルケアの施設に「ビハーラ」と命名することを、当時佛教大学社会事業研究所に所属していた田宮仁が提唱。また、このことの理念的研究のさきがけは田代俊孝である。彼の著である『仏教とビハーラ運動-死生学入門-』(1999年、法蔵館)はその後のビハーラ運動をリードした。
1993年に新潟県長岡西病院に最初のビハーラ病棟ができ、その後各地に広まった。
1998年には、仏教を学ぶ医療関係者で全国規模のビハーラ医療団が結成され、ビハーラ運動の推進とその普及がはかられている。
2008年には城陽市に浄土真宗本願寺派により「あそかビハーラクリニック」が開業した。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
いろいろ添付しましたが、檀家減少の仏教が生き残っていくためには、
「不安ビジネス」
を続ける必要があります。
病院で死んだ場合、その葬儀をどうするか?となるわけですが、その葬儀先を決めさせるために、先に医療現場、病院に食い込むという営業手法が「ビハーラ」の核心だと思います。
つまりお坊さん達の飯の種ですね。
何でもかんでも宗教はビジネスです。
嫌になってきますね。
「日本仏教看護・ビハーラ学会」なるものも平成16年に発足しております。
何でもありですね。
そしてこの方がビハーラの中心人物のようです。
<田代 俊孝(たしろ しゅんこう、1952年-)は、日本の仏教学者、生命倫理学者。同朋大学大学院教授で三重県の行順寺住職。ビハーラ(仏教ホスピス)の分野で著名。>
お寺のお坊さんも生き残り必死です。
癌と死後の世界。
癌で死ぬのでなく、癌治療で死ぬのは明らかです。
皆さんも気をつけてくださいね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます