芸能界は表と裏で繋がっています。
「なぜ、この人が突然売れ始めるのだろうか?」
なんて人が沢山いますよね?
それは過去のはるか昔からつながる血統があり、その血統をもとに、人脈で繋がった裏のサクセスストーリーがあるのです。
例えば、松田聖子が嵯峨天皇の子孫であったり、つるの剛士や哀川翔などが、天皇家とかかわりがある人達であることは過去記事をもう一度呼んでいただければお分かりになると思います。
五輪でわかる芸能人と皇族のとの関係)つるの剛士が大友宗麟の家臣の末裔であり、天皇家とかかわりがある人です。
鹿児島県出身と聴くと「ん??」と思ってしまう、哀川翔は藤原氏の末裔でした。
これらの問題は、彼らはたいした努力もせず、血統と人脈でどの業界もトップまで登りつめてしまうこと
本当に才能のある人達がつぶされたり、活躍するチャンスがないことにあります。
結局彼らは、自分たちの息のかかった人間だけを有名にし、広告塔にし世の中を思い通りに支配していこうとしているのです。
しかし、今回もまた悪人達は尻尾を出しました。
権力や名声や富を無限に欲しがる人間達ですから、こうやって便乗ビジネスをしかけて、ばれてしまうのだと思います。
スゴー家の人々: 自叙伝的子育て奮戦記
最後は悪魔は滅びるのだと確信できますね。
俳優・菅田将暉の父で経営コンサルタントの菅生新(すごう・あらた)氏が21日、都内で著書「スゴー家の人々」(トランスワールドジャパン刊)の発売イベントを行ったことを、各スポーツ紙が報じた。
各紙によると、同書には子育て秘話がつづられ、新氏は「息子の人気が出てきて、いろいろなところで『どのように育てたのですか』と聞かれるようになった。週刊誌に類推するような探られ方をしたので、ちゃんと出してみようと思った」と出版の動機を説明。
原稿を読んだ菅田から深夜に電話をもらい、「涙こらえて読んだよ。これは出していいと思う」と言われたことを明かしたという。
最近も菅田は女優の菜々緒との交際が報じられるなどモテモテ。しかし、新氏は熱愛報道について、「無関心です」と興味がなさそう。同席した妻の好身さんも、「本人に言わせると『全然違うことが書いてあるから』と。美容室で見る週刊誌は大好きだったんですけどね」と笑い飛ばしたというのだ。
「もともと、菅田は本名を伏せて芸能活動をしていた。ところが、ある時期から父親がテレビ出演するなどして菅田の父であることをアピール。そのため、菅田の本名がバレてしまった。そこで、菅田の事務所は父親に対して再三、苦言を呈しているが、菅田の父はまったく聞く耳を持たない。そんな父親だけに、取材で直撃するとベラベラしゃべってくれるので、マスコミにとってはなかなかありがたい存在」(週刊誌記者)
一方、好身さんも2月に都内で元SMAPの木村拓哉の母親とイベントで対談。そこに渦中の安倍晋三首相の妻・昭恵さんがサプライズゲストとして登場したことが報じられるなど、精力的に活動。
両親の言動が息子の活動に悪影響を与えなければいいのだが…。
・・・・・・・・(転載ここまで)
菅生新(すごう・あらた)氏は出身が高知市ですが、高校は大阪の清風海南⇒同志社大学です。
なぜか大阪なんですね。
菅生氏⇒菅生神社⇒菅原道真⇒蘇我氏⇒貴族、天皇家の親戚
というルーツになります。
実は大阪は蘇我氏とゆかりがあります。
菅生(すごう)家のルーツはさかのぼること、大化の改新まで行きます。
手短に話すと、菅生氏のルーツは蘇我氏であり、蘇我氏は大化の改新で、滅ぼされたといわれていますが、
実はその首謀者の中大兄皇子と親戚関係を結んでいる傍流家系が存在します。
>傍流とされた蘇我倉麻呂(蝦夷の弟)の子である蘇我倉山田石川麻呂も、中大兄皇子の協力者として関わっていた。石川>麻呂はこの後右大臣に任じられ、娘の遠智娘と姪娘を中大兄皇子の后にしている。
彼らは歴史上蘇我氏が敗北したため、蘇我氏から石川氏に名前を改名しています。
菅生神社にルーツを探ると以下の通りです。
・・・・・・(菅生神社(すごうじんじゃ))
大阪府堺市美原区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。菅生天満宮ともいう。
祭神
菅原道真と天児屋根命を主祭神とする。ほかに神社合祀により天照大神・素盞嗚尊・安閑天皇・誉田別命を併せ祀る。
歴史
創建の由緒は不詳である。一帯は中臣氏の出身の者が多数住んでおり、地名から菅生氏を名乗るようになり、豪族として当地を支配していた。その菅生氏が祖神の天児屋根命を祀って氏神としたものとみられる。文献の初出は『新抄格勅符』の「孝謙天皇、天平宝字八年(759年)本国封一戸を充て奉る」という記述である。延喜式神名帳には「河内国丹比郡 菅生神社」と記載され、大社に列している。
中世、天神信仰が広まると、当社の神宮寺・高松山天門寺の社僧が「菅公は境内の菅沢の畔で生まれた」という説を唱え、天神を勧請して配祀した。その菅沢は現在も境内に存在する。そのうちに「菅生天満宮」と呼ばれるようになり、江戸時代には天神の方が主祭神とされるようになった。
明治5年(1872年)に郷社に列格した。
・・・・・・・(転載ここまで)
天満宮とは天神、雷神信仰、菅原道真を祭った神社です。
鬼といっても、雷神にしか見えませんね!
雷神=菅原道真公=菅生氏
石川氏は家紋が剣花菱などがあります。
菱と聞くと、暴力団の山口組の家紋です。
蘇我氏、石川氏と山口組、何kか関係あるのでしょうか?
石川氏のルーツをさぐっていくと、石川五右衛門やら、演歌歌手の石川さゆりまで出てきます。
・・・・・・・・(石川氏のルーツを探る)
実は石川さんは、日本最古の氏(うじ)のひとつである。石川姓は奈良時代から、石川臣(おみ)、石川朝臣(あそみ)などという氏姓制度(しせいせいど)で知られていた古代の大族で、古くは蘇我氏の一族に石川氏があった。
蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子(そがのうまこ)の孫だった蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)は、大化の改新以後は宗家の蘇我氏に代わって蘇我氏一族の本流となり右大臣を務めている。
石川さんがつくった石川県
その解説は後回しにして、まずは石川さんといえば誰を思い起こすかという話から。歴史的には釜ゆでになった大泥棒・石川五右衛門。
実在を疑問視するむきもあるが、史書や宣教師の記録などにもその名が残されている。
文学者にも石川姓は多く、石川啄木(本名・石川一/いしかわはじめ)、そして芥川賞受賞者第1号の石川達三。
啄木は、岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)出身。
石川達三は秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)の生まれといずれも東北出身。
歌手の石川さゆり(本名・石川絹代)は、熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身。
石川ひとみ(本名)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)の生まれ。
プロゴルファーの石川遼は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身。
さてさて、話を蘇我倉山田石川麻呂に戻そう。
石川麻呂は、河内国石川郡(現在の大阪府南河内郡全域と富田林市の一部)を本拠として石川姓を称していたが、大化5年(649年)、異母弟の日向に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると密告され、山田寺で自害。
後、一族は加賀に移って栄え、その勢力地域を石川郡とした。現在の金沢市の中心部、白山市の大部分、野々市市の全域がこの石川郡にあたる。金沢城に石川門があるのも石川郡の郡名に由来しているのだ。
これは姓氏が地名となった一例で、明治には「石川県」と県名にもなっている。
つまり、石川さんが石川県をつくったのだ。平安時代に編纂の『延喜式神名帳』では、加賀国石川郡10座中の筆頭には、白山比め神社(しらやまひめじんじゃ=全国の白山神社の総本社/石川県白山市三宮町)が載せられているから石川さんなら一度は参拝してみたいところ。
白山比め神社
石川さんのルーツは大阪府南河内郡
岐阜県各務原市蘇原宮塚町2-13に、石川麻呂の墓と伝えられる、伝蘇我倉山田石川麻呂墓がある。大阪府南河内郡太子町の仏陀寺古墳(仏陀寺境内/大阪府の史跡)、帯解黄金塚古墳(おびとけこがねづかこふん)陵墓参考地(奈良市田中町)には舎人親王の墓との言い伝えがあるが舎人親王の時代より古く時代が合わないため、蘇我倉山田石川麻呂の陵墓ではないかと考える研究者もいる。太子町は古代の河内国石川郡にあたるので、ここはまずは仏陀寺境内にある蘇我倉山田石川麻呂墓と推測される古墳を見学してみたい。
石川さんのルーツは愛知県(三河)にも
また同じ河内国石川郡を発祥とする石川氏に、清和源氏義家流の河内源氏がある。源義家の曾孫(ひまご)・源義兼(みなもとのよしかね=河内石川源氏の棟梁で頼朝から「河内随一の源氏」と評される)が地名を冠して石川氏を名乗ったことから始まり、後、石川政康(いしかわまさやす)のとき蓮如上人に下野国(現在の栃木県)で会い、その誘いを受けて三河へ移り小川城(現安城市小川町志茂)を築いた。石川政康の四男、石川康頼(僧明了)は小川城の隣に石川山蓮泉寺(現安城市小川町志茂339)を建てている。後に徳川家に仕え、この流れに家康の筆頭家老になった石川数正がいる。
家康の懐刀として知られた石川数正は、家康が松平竹千代の幼名を名乗っていた今川義元の人質時代から家康の近侍として仕えた有能な武将であった。永禄4年(1561年)、家康が織田信長と石ヶ瀬で戦ったときには先鋒を務めて活躍し、元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正3年(1575年)の長篠の戦いなどで数々の武功を挙げた。さらに、天正7年(1579年)に織田信康が切腹すると、岡崎城代となるが、小牧・長久手の戦いの後の天正13年(1585年)11月、何故か家康のもとから出奔し羽柴秀吉に付くこととなる。やがて、家康が関東に移ると、秀吉から信濃松本藩初代藩主として10万石に加増移封された。
松本城の辰巳附櫓と月見櫓を除く天守や、太鼓門・黒門など松本城内の代表的建築物は、このとき石川数正によって造られもので、松本城は近代城郭として整備された。
愛知県安城市小川町志茂の蓮泉寺の北側一帯に、石川政康が築いたとされる小川志茂城跡がある。石川政康の四男・康頼が開いた蓮泉寺の屋根瓦には、いまも石川氏の家紋である笹竜胆がしっかりと残されている。愛知周辺に住む石川さんはあわせて家紋のチェックを。
この河内源氏の本拠地となった河内国に、大ヶ塚(だいがづか)城跡(大阪府南河内郡河南町一須賀)と壱須何神社(一須賀神社)が残っている。神社境内に建つ由緒には、「蘇我の本支族がその祖廟として、宗祖石川宿禰を祀ったものと思われる」と記されている。
壱須何神社の近くには一須賀古墳群があるが渡来系の技術者集団の墳墓と推測されている。一帯は石川朝臣の本拠地で神社ももともとは古墳上にあったとも。住所は河南町一須賀だがかつては石川村と称したのだという。
東北出身の石川さんなら石都々古和気神社へ
また東北出身の石川さんなら必踏の地が福島県にある。石川一族の大族のひとつ、陸奥国白河郡石川庄(福島県石川郡石川町)の三芦城(石川城)に拠った陸奥(むつ)石川氏だ。はじめ摂津国に居住していた源頼光の弟・源頼親の孫にあたる石川有光(源有光)が当地に城を築いたという。三芦城は石川氏代々の居城となり、24代・石川昭光まで続いたが、天正18年(1590年)に廃城となっている。城跡には陸奥の国一之宮・石川郡総鎮守石都々古和気(いわつつこわけ)神社が鎮座している。
他に、武蔵国久良岐郡石川村(横浜市青葉区元石川町・横浜市中区石川町)を発祥とする横山党、常陸国茨城郡石川(水戸市石川)を発祥とする常陸大掾流や、伊賀、伊予、肥前にも石川氏は起こっている。水戸市石川は、偕楽園の西側に位置し、国道50号には石川町交差点もあるので茨城県の石川さんなら一度は訪れてみたい地だろう。
石川姓は栃木で大姓8位など関東を中心に東日本に多いとが特徴。
代表家紋は、三河石川氏が笹竜胆、三つ笹、蛇の目、陸奥石川氏が向い鶴、加賀石川氏は石川竜胆。家紋から石川さんの祖先をたどるのも方法だろう。
他に剣花菱など。
・・・・・(転載ここまで)
で、石川さゆりを支援していたパトロンが山口組系の暴力団でした。
・・・・・・(2015.07.13石川さゆりの元パトロン、警察に裏情報提供で重大事件摘発か 不可解な山口組元顧問逮捕)
山口組元最高顧問が5月、警視庁に逮捕された事件が憶測を呼んでいる。事件としては地味な上、あまりに「筋が悪すぎる」(関係者)のに被害者とされる人物が、アングラ勢力につながる「バブル紳士」であるため、「警察は被害者と取引し、別のなんらかの事件につながる重大情報を得たのではないか」と推測されているのだ。
逮捕されたのは山口組系二次団体「芳菱会」(静岡県浜松市、現・國領屋一家)元総長、滝沢孝容疑者。直接の逮捕容疑は4年前、不動産会社役員の男性に「その絵をよこせ」と時価1000万円相当のダリの銅版画を脅し取った――との恐喝容疑だ。滝沢容疑者は「ガセネタだ」と容疑を否認しているが、あながち嘘に聞こえないのは、被害者とされる「不動産会社役員」の正体が正体だからである。
2000年に経営破綻した在日韓国人信用組合の東京商銀から32億円、1998年に経営破綻した第二地方銀行・国民銀行から80億円を不正融資させ焦げ付かせていた、バブル政商の種子田益夫氏なのだ。
種子田氏といえば、演歌歌手の石川さゆりのパトロンだったことで有名だ。国民銀行の巨額焦げ付き事件では、石川に連帯保証させていたことが判明、石川に一部支払い判決が出たことで、種子田の名は一躍お茶の間にも広まった。関係者が語る。
「種子田氏は国会議員のスポンサーをしたり、東京商銀からの融資のうち30億円近くを仕手戦に投入していた。多くのバブル紳士と離合集散し、山口組の強硬武闘組織だった旧後藤組の後藤忠政組長やハンナングループの浅田満氏らアングラ勢力と太い関係がある。種子田氏の訴えを聞き入れてこんな筋悪の事件を無理やり立てたのだから、警視庁は種子田氏と何か取引したのではないか――との憶測が乱れ飛んでいるのです」
恐喝容疑で逮捕された滝沢容疑者は、かつて山口組本部の若頭補佐という事実上のナンバー3の要職にあった人物だが、すでに引退しており過去の人物。事件の筋書きはすべて種子田氏の主張に沿っていて、「過去の極道の細かい埃を無理やり立件しようとしている。たぶん起訴は難しい」(関係者)のが現実的な見方だ。
ではなぜ警視庁は、起訴が困難なこのような細かい事件を摘発したのか。関係筋が注目するのは今回の事件の捜査統括者だ。
「今回の事件は町田署が手掛けているが、同署の組織犯罪責任者はA警部。後藤元組長逮捕などで実績がある敏腕警部です。政財界摘発につながる裏情報を仕入れるために、種子田氏の頼みを聞いて滝沢容疑者を“排除”したのではないか」
あまりに不自然な山口組元最高幹部摘発。被害者である「かつての石川さゆりのパトロン」から重大情報が警察にもたらされた――との見方がもっぱらなのである。
(文=編集部)
・・・・・・(転載ここまで)
石川と菱の山口組系暴力団の関係が出てきましたね。
この事件の端緒を見ていきましょう。
・・・・・・(借金約56億 石川さゆりが巻き込まれた金銭スキャンダル)
昨年の紅白歌合戦にも出場し、見事に津軽海峡・冬景色(9回目)を歌いあげていた石川さゆり。しかしそんな彼女は1999年、大きな金銭スキャンダルに見舞われていた。
石川さゆりが迂回融資に加担?
160億のデタラメ融資が問題になり、1998年に経営破綻した国民銀行。なんとそこに石川さゆりの名前があったため、大きな騒ぎに。
というもの国民銀行はこの時、迂回融資を行っていた。迂回融資の構図の中になんと1989年に石川さゆりの個人事務所として設立された「パルパル」なる会社が浮上したのだ。
この会社は国民銀行から約35億円の融資を受け、で他社からカラオケの営業権を購入していたらしい。
しかしカラオケ事業は上手くいかず、撤退。この会社を石川さゆりのパトロンと噂されている種子田益夫という人物に売却したのだ。しかしこの種子島は、以降も事業に乗り出すも大失敗し、さらに大きな負債を抱えてしまう。
その額はなんと56億円! 石川さゆりが連帯保証人になっていたため、彼女の肩に大きな負債がのしかかったのだ。
約10億円の賠償命令を受けた石川さゆり
そして2001年、連帯保証をしていた石川さゆりらに、整理回収機構が返済を求めた訴訟を起こした。東京地裁による判決では、石川に約2.2億円の支払い命令が出たが、整理回収機構がこれを不服として控訴。
石川が1992年に新築した豪邸を一時期差し押さえられたが、最終的に約10億円の賠償で決着したのだった。
・・・・・・(転載ここまで)
この事件が銀行の不正融資のカミパレス案件というものです。
・・・・・・(カミパレス案件)
破綻の要因として、カラオケボックス運営会社「カミパレス株式会社(ドレミファクラブ)」(東京都三鷹市)に対して90億円を上回る不正融資が挙げられている。同社は1980年代に石川さゆりの個人事務所が立ち上げた事業であった(会社設立は1987年4月18日)が、後に実業家の種子田益夫が関与することになる。もともと収益の見通しがつかない状況下で、1997年から充分な担保を設定せず、銀行頭取の承認と石川の連帯保証を得て迂回融資を行い、銀行へ損失を与えたのである。
カミパレスは1999年10月20日に破産宣告[注釈 2]。同年11月頃より石川の第50回NHK紅白歌合戦出場が危ぶまれているとワイドショーや週刊誌などで挙って取り上げられたが、例年通り出場となり「天城越え」を歌唱した。
この案件で、銀行旧経営陣と種子田・石川(連帯保証による)らは、不良債権を承継した整理回収機構より損害賠償訴訟を提起され、2002年に東京地裁で経営陣に対しては総額20億円[9]、2003年に種子田に約52億円、石川に2億2千万円の支払を命じられた[10]。石川については整理回収機構が不当として控訴を行うと共に、1992年に新築した豪邸を一時期差し押さえられたが、約10億円の賠償で決着された。
・・・・・・・(転載ここまで)
石川さゆりがグルになって国民銀行から不正融資を受けた事件ですね。
そして、そのパトロンが種子田という人物でした。
・・・・・・(種子田益夫(ゴルフ場・病院経営者)
内閣改造直後、逮捕・起訴された人物と上杉自治相を結ぶ点と線?
伊藤 達美
午前10時前、宮崎県の新進党関係者から電話で「上杉と親密な関係にある種子田が警視庁に逮捕された」と連絡が入る。武蔵野信用金庫から10億円を引き出し、恐喝か詐欺容疑で逮捕されたというのだ。
午前中に佐藤長官が橋本総理とあって辞意を申し出るという報道が流れた。橋本総理と会談した佐藤長官は、その場で辞表を書き、橋本総理に提出した。佐藤氏の辞任ということで決着したかに見えるが、事実上の罷免である。こうなれば任命権者である橋本総理自身の責任問題は回避できないのではないか。
「佐藤孝行は次期総選挙で比例名簿一位という条件で幹事長が説得した」(加藤周辺)。
◆佐藤氏の後任に決まった小里貞利氏は、河野洋平総裁時代の河野側近から二年前の総裁選の時から加藤紘一側近の寝返った人物。要するに加藤幹事長の「家来」に過ぎない。
◆佐藤総務庁長官の「辞任」で内閣支持率の回復が期待できるか?
総務庁長官の首をすげ替えることで内閣支持率が上がるほど世間は甘くない。
閣外与党・社民党と新党さきがけ、それに野党各党の佐藤孝行総務庁長官に対する辞任要求に対する自民党内の動きが、何か「奇妙」である。
同じ福岡出身ということもあって、犬猿の仲だった山拓と「参院の尊師」こと村上正邦の二人が奇妙なことに佐藤孝行問題では同一歩調を取っているからである。YKラインによる陰謀もあるのではないか。自民党内からは「佐藤孝行が自民党行革本部長の時、労働省の外郭団体・雇用促進事業団の解体に熱心だったので、村上が怒っている。村上は元労働相だから・・・」という声が聞こえてきた。
参院議員・上杉光弘が筋の悪い不動産業者から約四億円のヤミ融資を受け、焦げつかせている。業者側は再三、返済を求めているが上杉は業者側に会うことを拒否、事実上、逃げ回っている───永田町や兜町周辺では今年五月ごろから、こんなウワサが流れていた。ウワサの主である参院議員・上杉光弘は第二次橋本改造内閣で自治相兼国家公安委員長に起用された。国家公安委員長は指定暴力団を対象とした暴力団対策法、組織暴力対策法を執行する警察を指揮監督する最高責任者の立場にある。
その国家公安委員長の立場にある者が指定暴力団の有力資金源とされる「企業舎弟」と見られる危ない人物から「裏融資」をうけるなどの極めて親密な関係にあるとなれば、これは看過できない。
上杉は、当選二回(宮崎選挙区旧小渕派)ながら参院の実力者・参院自民党幹事長・村上正邦の側近として国対委員長を務めた。今回の入閣には村上の強い後押しがあったと見られている。
<企業舎弟・種子田益夫の素顔>
上杉に「裏融資」の返済を迫っている種子田益夫(ゴルフ場・病院経営者)は昭和二十一年一月二十一日、宮崎県小林市生まれの五十一歳。これまで
(1)売春防止法違反(場所提供) (2)業務上過失傷害
(3)法人税法違反(脱税)などの逮捕歴があり、前科三犯。
指定暴力団五代目山口組系石井組(本拠地大分県別府市)、同小桜一家(同鹿児島市)などとも親密な関係にあるといわれている。暴力団のフロント企業、いわゆる企業舎弟に近い部類に入る「危ない人物」である。
種子田益夫は鮮魚商の父・種子田吉太郎、母・フチノの六男として生まれる。二十一歳のとき、丸益商事(株)を設立、金融業を営んでいたが、二、三で失敗。離郷して神戸、岐阜、名古屋などを転々とし、岐阜県の興業師・片桐安次の片腕的存在となり、昭和四十五年六月、名古屋市にあった大倉総業(株)を商号変更、丸益産業(株)として小林市に本社を移転、養豚業を始めた。しかし、約三カ月で失敗。その後、丸益産業、丸益商事は手形不渡り処分を受け有名無実でほとんど営業活動できない状態に追い込まれた。
このため、種子田益夫は名古屋市に本社のある昌和商事(株)名義で事業を行っていた。
その後、昭和五十年頃、小林市に戻り、ドライブインの経営、金融ブローカーなどをしていた。一方、キャバレー経営者にカネを貸したことが端緒となり、丸益観光(有)、宮崎丸益国際観光(株)の代表取締役に就任、丸益観光グループと称して、キャバレー、サウナ、パチンコ店等を経営した。
しかし、昭和五十二年ごろ、種子田の丸益観光グループ各社が高千穂相互銀行(当時)の不良貸付先の債務を肩代わりことが裏目に出て、丸益観光グループ各社は倒産した。このため、種子田は事業・活動の本拠地を東京に移した。
東京に出た種子田は、不動産・金融ブローカーしながら、昭和五十三年十二月に中央産商(有)を設立、代表取締役に就いた。
この間、種子田は昭和三十三年八月二十一日、下条立子と結婚したが、同三十六年七月六日、協議離婚している。次いで昭和四十年一月二十五日、古里明子と結婚。明子との間に一男二女をもうけている。種子田には、他に認知した子供が一人いる。
種子田については数年前に演歌歌手・石川さゆりのパトロンというような内容で週刊誌に登場したことがある。種子田が自分の経営するゴルフ場のオープンに石川さゆりを連れて来て、破格のギャラを支払ったといった内容の記事である。
バブル経済崩壊後、種子田は脱税で摘発を受け、事業も行き詰まった。種子田は実刑判決をうけ、一年半ばかり刑務所に入った。種子田が刑務所に入っている間に種子田の妻・明子(平成八年九月二十八日死亡)が、「石川さゆり」名義の財産を処分したといわれている。その後、石川さゆりも宮崎に来なくなったとう。
種子田の「丸益通商(株)」は現在、商号を「(株)アイワリゾート」と変更、種子田の実兄・昭吾が社長になっている。超豪華な自宅の隣なりには本社ビルがある。また、種子田の周辺には、指定暴力団「五代目山口組」系石井組(本拠地・大分県別府市)の下部団体・石井組内井根組がいる。二、三年前に種子田の自社ビルにピストルが撃ち込まれる事件があった。
種子田が現在、実質オーナーに就いているを関連企業は次の通り。
(1)丸益産業(株)──東京都中央区日本橋室町。
(2)丸益商事(株)
(3)(株)アイワコーポレーション──東京都新宿区市ヶ谷田町。
(4)(株)アイワリゾート=旧丸益通商(株)
代表取締役・種子田昭吾は種子田益夫の実兄。
(5)平成ゴルフ(株)──宮崎郡佐土原町大字東上那珂一〇五。
支店・大阪北区梅田、東京都新宿区市ヶ谷田町。役員に妻・明子、長女・岩沢益代が入っている。(注・妻・明子は平成八年九月に死去)
(6)中央産商(有)本店・港区赤坂──中央区日本橋本町。
ハンバーグ製造販売──金融業。
(7)(株)九州メデイカル──
(8)(株)愛和メデイカル──
(9)ウメ興産(株)──宮崎市吾妻町。
<上杉と種子田の出会いとその後の関係>
宮崎農協の会長で、参院議員の故温水(ぬくみず)三郎系の県議グループ「昭和会」のメンバーに上杉がいた。上杉は故温水から目をかけられ、頻繁に出入りしていた。当時、同農協連の副会長が故平島敏夫(後に参院議員)、坂元親男(後に衆院議員、参院議員)の二人であった。
故温水、故平島、坂元らが地面師グループに担がれて、ゴルフ場建設に絡む詐欺事件に巻き込まれたことがあった。地面師グループは逮捕されたが、トラブルの後始末に種子田が故温水の所に入ってきた。
故温水は宮崎県小林市出身の郷土意識の強い人で、同じ小林市出身の種子田にも目かけていた。故温水の所で、上杉と種子田は「運命的な出会い」をした。以後、上杉と種子田は二人三脚で次第に力を持つようになった。
<ヤミ献金・融資を受けた背景>
上杉が種子田から裏融資(ヤミ献金)を受けるようになったのは、上杉の県議選、過去二回の衆院選出馬(旧三木派から出馬、いずれも惨敗している=当時)、その後の二回の参院選の時であるといわれている。
その見返りとして上杉は、種子田が開発・経営するゴルフ場の認可、さらに種子田のゴルフ場の隣に道路を作るよう水面下で県などの関係部局の課長クラスに強力な働きかけたといわれている。
「種子田という男は宮崎じゃ、鼻摘み者ですよ」(宮崎市内のタクシー運転手)
<上杉と種子田の関係が悪化した原因>
バブル崩壊後、種子田の事業が不振となったことが最大の理由とされている。
上杉の地元での評判を聞いてみると、上杉は地元で「次の内閣改造で大臣。その後、参院自民党の幹事長」と豪語しているという。上杉は黒木博知事時代に黒木知事が提唱した「SAP協議会」の初代会長に就任、農業協議会、青年団協議会、不動産・建設業界にも影響力を持っているようだ。
上杉 光弘議員の学歴詐称疑惑───上杉議員は高鍋農業卒業であるが、参院議員になってから東京農大終了(最終学歴・東京農大)となっているのはなぜか。故金丸氏が農大の理事長をしていた時に、何らかの工作が行われた模様だ。
秘書の小川氏の父親は朝日生命の代理店関係の仕事をしていた。上杉議員が衆院選に出て二回ほど落選した際、金銭的な面倒をみていた関係がある。
第一秘書・佐藤栄作の父親・佐藤正人と上杉が「刎頸の友」と言われるようになった原点は約二十年前の日高たけし県議の急死と関係があるという話がある。
故日高県議は事故死扱いになったが当時、「故日高県議と一緒にいたのはに上杉県議で、酔った日高県議と上杉県議が何かのことで揉み合いになり、突き落とされた日高県議が階段の角に頭をぶつけたのが原因である地元で噂になったことがある」(地元政界関係者)
窮地に立たされた上杉を救ったのが佐藤正人であったと地元ではいわれている。
秘書・スタッフ───政策秘書の小川典昭は初当選の時、第二秘書として仕え、現在に至る。第一秘書・佐藤栄作は上杉の地元秘書であった佐藤正人「木村産業」副社長の息子で次回の宮崎県議選への立候補に見せている。
上杉は国会議員の資産公開で約一億円の借入金がある、としている。が、その借金の相手が種子田益夫なのか、どうかは明らかにしていない。
上杉の実弟の妻が元宮崎県知事・黒木博の娘である。上杉と黒木元知事は縁戚関係にある。
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石川さゆりの出自を調べても出てきませんが、山口組系の種子田が石川を(利用)支援したのは何か理由がありそうですね。
少々脱線しましたが、俳優・菅田将暉の父で経営コンサルタントの菅生新(すごう・あらた)氏がしゃしゃり出てきたことで、天皇家の親戚の蘇我氏の末裔であることがばれてしまいました。
そして、おまけで演歌歌手の石川さゆりが暴力団とずぶずぶで国民銀行から不正融資を行っています。
銀行ですから、我々の税金が投入されています。
こうやって彼らは一族の誰かを有名にして、イメージアップを図り、それらを利用して裏で悪事を重ねているのですね。
結局彼らは、政治家、暴力団、芸能界、天皇家と連携して、悪事を行っているのです。
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