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旧精神科医療は思想警察なのか?

社会人になってから学ぶ基礎を作る、スポーツも音楽も同じ

2016年04月05日 | 学歴もスポーツも同じ
最近思うのですが、スポーツを観ていると本当に残酷だということ。
爽やかなシーンばかりが報道されてますが、球技であれば、それを支える家族、経済的な問題などは全くといっていいほど取り上げられない。
お金持ちの家庭で育った子しか、スポーツ選手にはなれません。
言い切ってしまってますね(^.^)
しかしながら、一流アスリートの家庭はやはり家計的には裕福、もしくは母親か父親が選手をしっかりバックアップしている事が殆どです。
フィギュアスケート一つとっても、一人の子どもを習わせるのに年間350万円かかると実際やっていた人から聞きました。
才能のある子は200万円くらいで済むそうです。
技術指導よりも、演技指導にお金がかかるとのこと。
ニートになってしまう率もフィギュアの選手は多い、それだけ幼少期、フィギュアにかけているため、社会性が育たないとか。
それぐらい時間とコストをかけないと一流選手は育たないし、芽が出ないみたいです。
さて、本題に戻りますが、幼少期からピアノやバイオリンなどを習っている、習わされている人が多いですが、成人しても趣味として続けている人は少なく、『あの時間は一体何だったのか?』と振り返る人も少なくないです。

私的に、習い事とは、『親のコンプレックス解消手段』だと思っています。

学歴のない親は、兎に角塾に入れて一流高校、一流大学に行くことが幸せになる方法だと考えている、信じている人が多い。
スポーツも同じ、音楽も自分の叶わぬ夢を子どもに託す、と言えばいい方が綺麗ですが、敢えて我が子に茨の道を歩ませているのです。
そう、親は自分が歩けなかった、自分は逃げてきた道を『子どものため』という欺瞞に満ちた言葉や言い訳をしてやらせているのです。
まさに、世代間を経たコンプレックスの解消を子どもにさせているだけ。
低学歴で貧困層なのに、習い事だけ立派にさせている家庭に訪問すると『この人たち、自分達が貧困層でいる理由、本当の理由わかってないのだな』と感じます。
学歴や資格のせいにしている段階でわかってないのです。
その業界で徹底的に学ぶという姿勢や研究力がない、そして本や自分より知識のある人にお金を払って学ぶという、自己投資ができていないことに気付いていない。
つまり、学び方を教わってないと気付いてないのです。
クソ暗記などしても意味がなく、一通り教えて貰うくらいでは、相当賢くないと成果は出ません。
常に考える習慣を持ち、学び続ける、そして読書する習慣を身につける事こそが子どもが貧困層から脱却する方法であるのに。

両親がテレビの方ばかり見て、ろくすっぽ世の中の事に関心がなく生活している。
二言目には、勉強しろ、塾の準備しろ。

大人の御前達が勉強してないじゃないか??というのが子どもの本音。
歳をとればとるほど勉強しなければならないし、その内容は高度になり、先生も少なくなっていきます。
しかし、学びはやらされていたことから自分で選択してやっていく楽しい学びとなります。
大人の勉強とは読書であり、夫婦や友人と会話、対談することなのです。

話題の少ない人とは読書をしていない人であり、話題のない人はパチンコ競馬、などのギャンブルか芸能情報など受け身の話題しかありません。
黙っていても、あちら側がどんどん情報発信してくれるため学ばなくても良いものばかり。

それでは子どもに必要な栄養とは何か?
それは、読書できる環境であり、ゲーム機やテレビが日常からつけられ、放置されている環境を作らないこと、そしてクイズ番組を見たり、医師が出てる番組を見て、資格や学歴を見て無意識に褒め讃えないこと、何より両親が読書をし話し合う姿を見せることなのです。
そして、積極的に身体を動かし触れ合うことではないでしょうか?
塾や公文に通わせる、ダンスやフットサルをさせるのでなく、それらは必要でないと割り切り、親自らが習いに行き、子どもに教えられることを一緒にやることだと思います。

とある空手の道場では、礼儀、ルールを本当に厳しく指導しており『厳しすぎるのではないか?』と一時期より親からクレームがあったり、試合で激しい野次を飛ばす親が多かった時期があったそうです。
そこで師範は、親子で空手を習わせるコースを作ったところ、クレームが一切無くなったそうです。試合でも全く野次を飛ばす親が居なくなっのだとか。

親は子どもが空手の道場でどれくらい大変な稽古をしているか体験し、自分のコンプレックスを解消できたのではないでしょうか?
空手のような危険な格闘技は、厳しいくらいの礼儀がないと、ふざけてやっていると大怪我に繋がるという事実を知ったり、
試合など勝ち負けでなく、プロセスや内容に意味があると本当に理解できたのでしょう。

そういう事実から、習い事は子どもにさせるのでなく、親がまずすべきだと分かりますよね?
親こそがまさに環境であるということ。
そして、音楽やスポーツも学歴と同じもので、やりすぎてしまうと、人生を無駄に過ごしてしまうといことを大人が理解しなければならない、取り返しのつかない時間を子どもに味あわせているということを。
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