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旧精神科医療は思想警察なのか?

過労死最前線、それでもあなたは医学部を目指しますか?医者になりますか?

2017年11月12日 | 洗脳からの解放
今回の記事は過労死についてです。
医療の現場において、一番過酷なのは、他ならぬ医者だと言われています。
メディアの報道では医師は特権階級で、高待遇で、医者から作家や芸能人になる人までいるため、ある種、日本においては最強の国家資格と思われているのではないかと察します。
しかしながら、地獄のような勤務医時代を終え、いざ独立となっても、マネジメントができなかったり、医者としての資質がそもそもなかったり、労務管理や事務方、数値管理、学会活動と多岐に渡るほか、後継者育成が困難であったり、時代とともに診療報酬が改定されていく、制度ビジネスについていくために、余計に人付き合いしなくてはいかなかったり、そもそも病気でもなんでもない老人、高齢者を病気に見立てて、心配している素ぶりをしなければいけないなど、偽善とカネのためだけに生きなければならない、ある種地獄のような面があると言えます。
今回はそのような生地獄についての一端を表す記事を紹介致します。
以下転載
水戸済生会総合病院(水戸市双葉台)に勤務していた男性医師=当時(47)=が死亡したのは、長時間労働による過労が原因だったとして、遺族が病院を運営する社会福祉法人恩賜財団済生会(東京)に約2億2000万円の損害賠償を求める訴訟を水戸地裁に起こした。9日に第1回口頭弁論が開かれ、被告側は姿勢を示さなかった。

訴状によると、男性医師は2000年4月から同病院の消化器内科に勤務。14年11月15日午後2時15分ごろ、院内のソファにうつぶせに倒れて死亡していた。死因は不詳だったが、原告側は「急性心筋梗塞か心停止」として、過重労働が原因と主張している。

水戸労基署が16年4月、労災認定している。

男性は通常勤務に加え月1回、午後5時~翌午前9時の当直と、休日の午前9時~午後5時の日直を割り当てられていた。東海村の独立行政法人に産業医として毎月数回の出張勤務のほか、病院の呼び出しに待機する「オンコール」の勤務が月5回あった。

原告側は、男性の死亡前1カ月の時間外労働は300時間近くあり、病院側が安全配慮義務を怠ったと訴えている。同病院では午後6時以降の勤務は超過勤務表に記載する決まりだったが、実際には毎月60時間分の割増賃金しか支払われていなかった。

同病院は「現段階ではコメントできない」としている。

茨城新聞社
【転載ここまで】
47歳で突然死、遺族はいたたまれませんね。
ご両親も自分より早死にさせるために、息子を医師にしたのでしょうか?

済生会とは?
以下転載
済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。
100年以上にわたる活動をふまえ、今、次の三つの目標を掲げ、日本最大の社会福祉法人として全職員約58,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。

●生活困窮者を済(すく)う
●医療で地域の生(いのち)を守る、
●医療と福祉、会を挙げて切れ目のないサービスを提供

病、老い、障害、境遇......悩むすべてのいのちの虹になりたい。
済生会はそう願って、いのちに寄り添い続けます。

成り立ちから今へ
明治44年2月11日、明治天皇は、時の内閣総理大臣・桂太郎を御前に召され、「生活苦で医療を受けることができずに困っている人たちを施薬救療(無償で治療すること)によって救おう」と「済生勅語」を発し、お手元金150万円を下賜されました。当時の日本は、欧米列強に伍するため富国強兵策を進め、日清・日露戦争でも勝利しましたが、国民の間では戦争で傷ついたり家の大黒柱を失ったり、失業した人など数多くが貧困にあえいでいました。こうした社会背景を受けて、明治天皇は生活困窮者に対して医療面を中心とした支援を行う団体の創設を提唱されたのです。

御前を下がった桂総理は早速、準備に取りかかり、同年5月30日、天皇陛下からいただいたという意味の「恩賜財団済生会」の創立となりました。初代総裁に伏見宮貞愛(さだなる)親王殿下を推戴し、会長には桂総理が就任しました。さらに山縣有朋、大山巌、松方正義、井上馨、西園寺公望、徳川家達、大隈重信、板垣退助、渡辺千秋、渋沢栄一など明治の重鎮が役員に名を連ね、医務主管には北里柴三郎が任ぜられました。

各地に診療所を設け、貧困所帯に無料の特別診療券を配布して受診をうながしたほか、巡回診療班を編成してスラム街を回って診察・保健指導を行いました。大正3年に第1号の神奈川県病院が横浜に開設。芝病院(現在の東京・中央病院)、大阪府病院(現在の中津病院)と次々に病院がオープンし、地方長官(知事)を通じて全国に活動を広げていきました。大正12年の関東大震災では本会施設も多数被災しましたが、臨時診療部を設置したほか、賀川豊彦の指導により巡回看護班を編成して被災者の救護や感染予防に当たりました。また、芝病院には現在の医療ソーシャルワーカーに当たる「社会部」が設けられ、単に医療面だけではなく、困窮者の生活を念頭に置いた支援にも力を尽くしました。

第2次大戦後、恩賜財団は解散し、社会福祉法人として再スタートを切りました。ただ、原点を忘れないように、恩賜財団という名称は残しています。現在、公的医療機関として指定されており、東京に本部を置き、全国40都道府県で病院、介護老人保健施設、介護老人福祉施設など372施設(平成25年4月1日現在)で事業を展開しています。
第6代総裁に秋篠宮殿下を推戴し、会長は有馬朗人、理事長は炭谷茂が務めています。

平成23年には創立100周年を迎え、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、記念式典を挙行しました。少子高齢化の進展や著しく変化する政治・経済・社会情勢の中、済生会は創立の精神を忘れず、100年の歴史と伝統で培った保健・医療・福祉のノウハウをもってすべての「いのち」を守り、日本最大の社会福祉法人として地域の発展に寄与してまいります。

済生会ニュース
秋篠宮殿下は、4月1日付で社会福祉法人恩賜財団済生会の第6代総裁に就任されました。

済生会は明治天皇が生活困窮者を救済するために明治44年に創設されました。総裁には代々、皇族方を推戴し、初代総裁は伏見宮貞愛親王、第2代は閑院宮載仁親王、第3代は高松宮宣仁親王、第4代は高松宮喜久子妃、第5代は寬仁親王です。寬仁親王が昨年6月6日、薨去されたことから、総裁は不在となっていました。本会は最も古い恩賜財団としての歴史を踏まえて、秋篠宮殿下にご就任をお願いし、今般、ご承諾いただきました。 本会理事会は、「誠に光栄なこと」として、総意をもって推戴しました。

済生会は明治天皇の「済生勅語(さいせいちょくご)」に基づき創設されました。勅語は天皇陛下が口頭で公的に述べられるお考えです。現在で言えば「おことば」に当たりますが、当時、国権は天皇陛下にあり、勅語はそのまま国の方針となりました。社会に増えた生活困窮者である「無告の窮民」に無償で医療を行い、それによって生(いのち)を済(すく)おうというのです。そうした活動をする団体を設け、長く困窮者の寄る辺とするようにと時の桂太郎総理大臣に命じ、その資金の一部とするよう私的なお金を下賜されたのです。


【転載ここまで】
親方日の丸病院ですね。
ここで、一人の医師が過労死で急死しました。

これだけブラックな仕事をさせられる現状で本当に医師不足なのでしょうか?

厚労省のページでは
以下転載
潜在医師は4500人
しかも女性医師
【転載ここまで】
とあります。
医師不足は女性が医学部に行くようになったからだと言えそうです。
私が学生時代聞いた講師からの情報では医師一人育成するのに税金が3000万円以上かかっているとの内容でした。

責任ばかり負わされて辛い臨床現場では、出産育児を抱える女性は働けないのでしょう。
しかし、医療現場は100年1日で変わりませんね。
とすれば、女性は医師という職業に不向きであると言えます。
いずれにせよ、これは氷山の一角のような過労死事件です。
この世の名誉や富のために生きるには、辛すぎる職業ですね。


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