エホバの証人輸血拒否事件(エホバのしょうにん ゆけつきょひじけん)とは、日本で1992年(平成4年)に起きた、
①宗教上の理由で輸血を拒否していたエホバの証人の信者が、②手術の際に無断で輸血を行った医師、病院に対して
③損害賠償
を求めた事件。
輸血拒否や自己決定権について争われた法学上著名な判例である。
(エホバの証人はキリスト教団体ではなく、悪魔崇拝団体です。詳しくはこちら↓)
「 ブラック企業ワタミ会長・渡邉美樹氏はエホバの証人。エホバの証人のルーツは太陽崇拝=悪魔崇拝。https://rapt-neo.com/?p=12426」
「自己決定権の無い子供の命に係わる医療行為を、保護者が決定して良いのか?」というところが論争となりました。
問題点がいくつかあります。
医学教育で
①「親の決定権と人命を天秤にかける」という話し合いをさせることです。
②また、「宗教VS医学」の対立構造を作ることです。
(現代医学は度々、ダーウィンの進化論を出して、神の否定、宗教の否定をしますね)
そして、「宗教のこと、宗教の素晴らしさを語ることができない教員」がファシリテーターを務めて話を進めることに問題があります。
医学教育では、「命の尊さ」ばかりを主張して、社会的問題を論じません。
例えば、経済格差を放置している政府や、不正を行う政治家によって生じる、意図的に生み出された「貧困」「経済格差」が、「命の値段に差を産み出していること」についてなどは話し合いません。
日本人は無神論であるため、「何でもお金に換算して考える価値観」があることも伝えません。
しかし、海外では、「経済よりも信仰が大切だ」という価値観が存在します。
この考えを日本人は理解できませんし、そういった価値観を議論の背景に用いません。
日本人の中に、人生の幸せの定義が
「限りなく善良に生きる事」
「神の教えに従って生きる事」
と考えている人がどれくらいの割合いると思いますか?
多くの日本人は、金持ちを見て、「嫌味だな」と言いながらも心の中で「お金を沢山稼いで、一生好き勝手に贅沢して生きる事ができたら幸せだ」「羨ましい」と考えている人も多くいます。(「世の中カネとコネ」なんて言葉があるくらいですから)
実は、エホバの証人の輸血拒否事件を、テーマとして取り上げるのではなく、「正義とは何か?」について定義を明確にしなくてはいけないのに、そこがすっぽり抜けています。
ですから、このテーマを医療従事者が掲げている段階で、公平な議論や結論に至らないことが予想されます。
(結果として「親の価値観の押し付けはいけない」となることと「人命よりも教理を優先する宗教は人を幸せにしない」という宗教アレルギーを強化するだけ)
ここで医療の役割について確認していきたいと思います。
そもそも、医療従事者とは怪我や事故などによる、外傷や痛み高齢化による寝たきりといった、「人の不幸を食い物にしている卑しい職業だ」という認識がなければいけません。
日本では医療を「なくてはならない職業」という点だけ強調します。(コロナ禍で、”感染症と戦う医療従事者に感謝しろ”という風潮が出て来て、ドン引きされていましたね)
残念なことに
「なければないに越したことがない職業」
であるという視点は教えません。
例えば、「軍隊」「自衛隊」や「警察官」をどう思いますか?
「いてくれるから安心できる」
と感じる人もいるかもしれません。
しかし、心が綺麗な人ならば、
「そもそも他人の財産を奪うために侵略して来る人」や「泥棒や性犯罪者がいない社会になれば、これらの職業は不要になる」
と思う人もいるでしょう。
人間が最高の良心を持てば、軍隊や警察は必要ありませんね。
「外国からの侵略の脅威」や「日々報道される犯罪情報」といった社会不安を煽る情報によって、私たちは「軍隊や警察の存在意義」を認める事になります。
実は「社会問題を解決するためにある職業」は尊い職業ではありません。
社会問題を産み出し、解決できない政治家や、そういった政治家を野放しにしている国民に問題があるのです。
「岸田首相だけが悪いのでなく、岸田政権を放置している国民、岸田政権から、楽して儲かる仕事を受注して、美味しい思いをしている国民や利権に群がっている人達が沢山いること」に問題の本質があると考えないとこれらの問題は解決に向かいません。
実は「日本国民が悪だから、支配者が悪なだけ」という単純な構造なのです。
「正義とは?」「人間とは何か?」を理解することで、「幸せな生き方とは?」「正常な考えとは?」に辿り着きます。
その答えを明確に示しているのは、世界広しと言えど、日本のラプトブログにしかありません。
そして、本気で「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる、医療介護従事者や警察や自衛隊を目指す人たちは、「正義」について学んだうえで職業選択することで、「真にやりがい」を感じることができると思います。
そうすることで、昨今話題になっている、「障害者虐待、高齢者虐待問題」の原因が明らかになるでしょう。
「人間」について正しく理解することで、スタッフが相手を見下したりすることがなくなり、虐待や組織内不正などの問題が解決していくと思います。
日本社会が抱える問題は、日本には「正義がない」ことにあります。そして、正義とは「神様の存在」なしに語る事はできません。
どうか、エッセンシャルワーカーとして働く人たちが、心から誇りをもって、遣り甲斐を感じて職務に当たる事ができる社会が来ることを心からお祈りします。
(参考記事URL)
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