おはようございます。
訪問看護をすると、日々の生活と関わっていきます。
私が訪問を始めた頃は、クライエントを
「いかに自立させるか?」
でした。
半年間ほど、やってみるとクレームだらけ。
それは、クライエントの本質がわかっていなかったからなんです。
彼らは、「あーしたい、こーしたい」といいません。
本当にそういう願望の有る人って少ないなぁと思いますね。
それよりも、他人の悪口をいったり、批判したり、文句ばかり言っている人が多い。
「自分にそっくりだなぁ」と思わず、笑えてしまいます。
しかし、一点だけ違うことがあり、それは、彼らは「変化を求めない」ことがあります。
「自分は変わろうとしない」という点です。
周囲の変化、社会の変化を期待しています。
故事成語でこれを「株を守る」といいますね。
「くいぜをまもる」といいます。
とある木こりの男性が、作業の休憩中、切り株にうさぎがぶつかって気絶しました。
そのウサギ捕まえて、夜に食べたのですが、その味をしめて、それからというもの、その男性は木を切ることはやめ、切り株ばかり見て仕事をしなくなってしまったというお話です。
オチは忘れましたが、怠け者になったお話だった気がします。
とまぁ、人間というのは、誰でも怠け者だし、他人にやらされている仕事なんてものに必死になるだけアホだと思っていますが、ましてやその仕事に社会的意義なんてなく、むしろ害しかなくてもやらなければならないときもあります。
何度もいいますが、精神科訪問看護は「医療でなく治安目的の牧畜」です。
覚醒剤や麻薬のような精神薬を飲ませ、クライエントはフラフラ、意識呆然としてます。
家族はそれを納得する方ばかり。
私はベジタリアンですから基本、牛、豚、鶏といった4つ足の動物、牧畜された家畜といわれるものを屍殺してまで食べようと思いません。
彼らは、意思を持っていますが、長い入院生活で適応するために「意思」を持たなくなります。
単純に「食欲、性欲、睡眠良く」といった基本3大欲求による快楽を求めることはしますが、それ以上は求めないようになっているようです。
しかし、彼らもなかなか賢く、精神科医に従っていれば、障害者手帳、自立支援制度、医療証、障害者年金制度、生活保護制度で死ぬことはない、ぎりぎり働かずに生きていけるということを知っています。
精神科医、そもそも医師の書く書類の効力の強さを知っています。
彼らは紙幣とまではいかないにしても、「通貨発行権」を所持しているように感じます。
例えば、訪問看護指示書を書けば、それをもとに請求すると社会保険や国保から皆さんから集めた、保険金から診療報酬として支払いを受けることができます。
こんなもんで税金、保険金もらっていいのかよ?と思いますね。
間接的通貨発行権だなぁと思います。
福祉の現場も同じですよね。
福祉サービス、自立訓練や作業所通所、ヘルパー利用も
結局、お医者様の意見書のようなものが必要。
あほらしと思ってしまいますね。
基本、医療と福祉は別物です。
医療で解決できない問題を、つまり障害(生活障害)を福祉がカバーしていくものだかれです。
片足が無い人に対して、医療は何かできるでしょうか?
再生医療でもない限り、医療は無力です。
①片足でも生活できるように支援していくのが福祉。
②片足で生活できるように訓練していくのが医療。
正常な人間と同じようになれと訓練するのと、社会が片足でも生活できるように合わせていくのとでは大違いでしょ?
私は福祉マインドを勉強してしまったので、本当に訪問看護は苦しかった。
無能な医療が威張っている。
しかし、診療報酬で医療が圧倒的に福祉よりも高いため、医療側で働いている現実。
今の仕事をしているのは
「夜勤なし」「ほぼ定時」「呼び出し、オンコールなし」「給料病院勤務並み」「変なスタッフがいない」
ぐらいです。
やりたくてやっている訳ではありませんね。
結局夫婦共稼ぎでないと貯金できませんし、食っていくだけで精一杯です。
今の生活を抜け出すために、貯金をし独立企業を目指すという目標が無ければ
とっくに田舎に戻って生活しています。
実はクライエントと同じで「その日暮らし」をしているのです。
その日暮らしをさせられている。
訪問看護を1ヶ月回ると約120件。
1件8500円で計算すると(実際もう少し高い、初回加算があるため)
月に約100万円近く稼ぎます。
本来月収は50%程度としますと額面50万円は合って当たり前です。
それが適正なのですが、実際はもっともっと少ない。
会社を動かすための歯車でしかないと感じてしまいますね。とても悲しいです。
トマメチ博士の本で、自分の会社の年俸制度について書かれており、稼ぎたいお金の1.8倍売り上げをあげることが年俸制サラリーマンの必至命題だそうです。
月収100万円欲しければ、180万円稼ぐという話。
50万円欲しければ、90万円稼ぐということ。
都会のほうが給料は少し高いですけど、実際生活費がべらボーに高いです。
アパートや駐車場、食費といった絶対必要なもの。
しかし、お店は夜遅くまでやっていたり、市バス、地下鉄といった交通網が発達しており、利便性が高いのも事実。
「消費意欲を掻き立てるものが多い」だけですね。
消費の裏側にある犠牲から目を背けて生きています。
本当に自分が生きていくのに必要な額を算出してみると、都会で生活する必要ってないですよね。
それって本当に必要だろうか?
いつも自問自答しています。
そう考えると、私も精神病患者と思考は全く同じなんだなぁ、むしろ彼らのほうが、行動思考を徹しきっているため、きっと豊かな牧畜生活が送れているのだろうと考えてしまう。
「豊かな生活をもとめていはいけない。ぎりぎりの生活で満たされることが大事」
といいながら、一方でメディアを使って「購買意欲を高める」番組やCMをするのは、きっと支配者層から上手くコントロールされているんだなぁと納得してしまいます。
まずは、行動する。生きていくのに必要なお金、そしてそれに必要な仕事を決める。
それ以上は生活、家族の時間を犠牲にするだけ。
省エネな生活、自分の天命に向っていくために。
「和多志(わたし)は自分と周りの人間を癒し、育てていくために、真実を追究し学び続けることが天命です」
なるほど、なるほど。
とりとめなくすみません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(画像は広尾はしずめさんよりお借りしました)
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