心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

【メモ】豊かな人生を生きる秘訣とは?【考察】

2017年08月01日 | 人生を変える方法
【この世の正義とは偽善である】
人間の正義とは、道徳的なことであり、行いのみをフォーカスする。
つまり、表面上取り繕う人でも、行いさえ道徳的であれば、正義とみなされる。
『嘘も方便』という諺があるが、『嘘をつく事、偽証すること、粉飾すること』に対して、つまり人間の心の中身についてはどうでも良い、行いだけ、つまり建て前だけ立派なら大丈夫だという考えのことを意味する。
腹の中で相手を憎んだり、
人と比べて落ち込んだり
褒めておいて、馬鹿だなと腹の中で笑ったり
などなど。


聖書に出て来る神様は、偽善を嫌い、行いでなく、むしろ心の中を見ている。
それは、神様は肉体を持たず、霊体、波長、電磁波で存在しているため。そして、神様は善しかない。
だから人間がどれだけ偽善で行いを取り繕っても、内から発する波長で『偽善である』とすぐに分かってしまう。
現代は、外面だけを取り繕い、自分にも他人にも平気で嘘をつく時代で、世の中のトップである、政治家、企業経営者、学識者、医師、弁護士などは、まさに粉飾だらけで、極度の偽善者ばかりである。

嘘をつけば、矛盾が生じ、その矛盾を取り繕うために、偽装や隠蔽、言い訳を考えなけれ
ばならなくなる。
結果として、嘘により生じた矛盾を隠すため、
仕事、家庭、子育てなど全ての事が、何処かの段階で言い訳や人間の嘘が混じってしまっていて、それらを隠蔽するために所々、嘘で取り繕い、一見外から見ても気づかれないように誤魔化し正当化するよう、塗り固められてしまっている。
そのため、世の中で起こっている事全てが、人間の罪により複雑に偽装されているため、平素から偽善、嘘、欲を正当化するために言い訳ばかりしている人には、物事や問題の本質が分からないため、問題が解決できず一生悶え苦しむことになる。

聖書では、罪を正当化しよとは書いていない。
人間は弱い存在で、他人が見ていない、刑法に触れないからと油断をすると、心に隙が産まれ、意識無意識に関わらず、罪を犯してしまうと書かれている。
この場合の罪とは、この世の罪ではなく、聖書に書かれている❶傲慢❷劣等感❸嘘❹嫉妬❺好色❻敵意❼憎しみ❽欺瞞❾偶像崇拝』である。
『❶傲慢
馬鹿にされて腹がたつ、自分の方が偉い、歳下なのに偉そうにしている等と感じる
❷劣等感
見た目、経済力、所持品、資産を他人と比較して羨ましく思い、自分が、無価値だと、思ってしまう。
❸嘘
感じた事を素直に言えない。
言う必要がないのに、取り繕い考えと逆の事を発言してしまう。
❹嫉妬
他人と比べる。自己評価尺度が他人やメディアしかないため、満たされない、他人を羨む
❺好色
性欲、食欲、睡眠欲、名誉欲、権力、安全欲求、お金を必要以上に追い求める。
追い求め過ぎ、依存的になる。常にその事ばかりで頭が一杯な状態。

❻敵意
攻撃性、エスカレートすれば、相手を怪我させたり、殺人にまで発展する。
正しい神様に裁きを求める事が正解。
❼憎しみ
常に憎しみの感情で支配される。
悪魔はこの感情が大好きである。
なぜなら、ルシファーは神と人間との相思相愛の関係性に嫉妬し、自分も認めて欲しいと思い、エスカレートして神様に反逆し、地上に落とされたため、神様への憎しみは消えない。『愛の反対は憎しみである』という諺は聖書から来ている。
憎しみの正当化をする諺である。
愛に反対など無い。
罪を犯させるために憎しみという言葉を彼らが作ったのだ。
素直に神の道にはいれば良いだけなのに。。。

❽欺瞞
人の目を誤魔化し、騙すこと、嘘をつき、取り繕うこと。
❾偶像崇拝
神様以外のもの事に夢中になり、拝むこと。
『お金が私を幸せにしてくれる。
恋人が私を幸せにしてくれる。
子どもが私の人生を豊かにしてくれる。
仕事が私の人生を豊かにしてくれる。』という欺瞞も同じ。

これらの罪を私たちは日々積み重ねています。
私達は毎日、自分に罪がないか?確認して、日々細かな事まで悔い改め、霊的に常に清くならなければなりません。
そして、罪のない完全体を目指す事が人生の喜びであり、ゴールであると。
欲を満たし欲に溺れる事が現代の流行りですが…まさに聖書と逆を行っているため、人間はいつまでたっても救われない、救いとは毎日不安がなく、肉的霊的に悟りがあり、感謝感激が絶えない状態です。
人間の正しい生き方のことです。

『善き事を思い、善き事をなす』ではなく、
『神様を喜ばせるために何ができるか?神様を悲しませないために、何をしてはいけないのか?』これだけを追い求めれば、この世での肉的祝福、富、名誉も得られる。
つまり、他人や自分といった、人間の欲を満たすためだけに生きてはいけないということです。
悔い改めるとは、自分の罪を自ら認めて、神様に、赦しを請い、二度と罪を犯さないような存在になれるようにお願いすることです。
仏教では、修行してそれらの感情をコントロールしろと言ってますが、それが出来た人は誰もいません。

余談ですが、
これらの感情なくこの世で生活していたのがイエスキリストであり、彼は神様から使命者として、御子が降りた。
産まれてから聖書の掟通り人間として潔白であったため、霊的にも祝福され、神の子としてこの世を救うために遣わされた。
しかし、形式主義で、偽善と罪に溺れていた2000年前の人類は、神を否定し、イエスの言葉に、耳を傾けず、罪を悔い改めず、逆に彼をたった三年間の伝道期間で逮捕し、十字架に架けて殺してしまった。
人間の罪とは本当に重いとだけは確実に言えそうですね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これからは、ついで型、カフ... | トップ | 考えの狭い人間のこと、精神... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人生を変える方法」カテゴリの最新記事