去年始めた、このブログの第一回が”春の新宿ジャズ祭り”だった。あれから一年たったのだ。
正確には、去年は4月の終わりだったので一年と2週間くらいだが。
今年はあいにくの雨天だったが、新宿文化センターまで来てしまえば、あとはずっと館内にいられ、寒さ知らずだ。今年で第3回で、見る側もやる側も慣れてきた気がする。
去年話題にした”全員集合”が4時から大ホールであった。トロンボーン、トランペット、クラリネット、サックス、チューバ、バンジョー・・と楽器ごとに固まって舞台に現れ、整然と並んだ。だだっ広い感じの残響のあるホールなのだが、ステージ前方にマイクが数本立っていて、それに向かって真っ直ぐにトランペットを吹かれると、耳がつんざかれる。誰が一番デカイ音かを競うのは勘弁して欲しい、と思っていたら演奏者全員の行進が客席を廻り始めた。ビリビリ、バリバリ、まさに建造物を揺るがす、ヒビが入るのが目に見えるかの如き大音響。「あ~、今年もか」と思っていたら、今年もやって来ました、あの不思議な”感動”。「付き合いで参加してるんだけどさ~」と見てとれる知り合いの顔もあったのに。いったい、何なんだろう?
耳がパンクしそうな音の津波がおしよせて来て、大洪水となった時に、”感動中枢”が刺激されるのだろうか?一種の”マヒ”なのだろうか?でも、音ならなんでも、という事はあるまい。やはり、デキシーランド・ジャズの持っている”無邪気な楽しさ”が乗せてくる”ハート”に本当に”感動”しているのかもしれない。
それにしても、大ホールは良いとしても、小ホールの音響はもう少し改善して欲しい。あんなにPAの音量を上げてしまうと、CDを大音量で聞いているのと変わらない。せっかく目の前でやっている”生”の音が殆ど聞こえない。水準の高い演奏の価値が半減していないだろうか? 「デキシー?あの、やかましい音楽でしょう?」と眉をひそめて云われた事が何度かある。せっかく素晴らしい演奏があるのに見向きもしない人達の言い分に反論ができない。
正確には、去年は4月の終わりだったので一年と2週間くらいだが。
今年はあいにくの雨天だったが、新宿文化センターまで来てしまえば、あとはずっと館内にいられ、寒さ知らずだ。今年で第3回で、見る側もやる側も慣れてきた気がする。

去年話題にした”全員集合”が4時から大ホールであった。トロンボーン、トランペット、クラリネット、サックス、チューバ、バンジョー・・と楽器ごとに固まって舞台に現れ、整然と並んだ。だだっ広い感じの残響のあるホールなのだが、ステージ前方にマイクが数本立っていて、それに向かって真っ直ぐにトランペットを吹かれると、耳がつんざかれる。誰が一番デカイ音かを競うのは勘弁して欲しい、と思っていたら演奏者全員の行進が客席を廻り始めた。ビリビリ、バリバリ、まさに建造物を揺るがす、ヒビが入るのが目に見えるかの如き大音響。「あ~、今年もか」と思っていたら、今年もやって来ました、あの不思議な”感動”。「付き合いで参加してるんだけどさ~」と見てとれる知り合いの顔もあったのに。いったい、何なんだろう?
耳がパンクしそうな音の津波がおしよせて来て、大洪水となった時に、”感動中枢”が刺激されるのだろうか?一種の”マヒ”なのだろうか?でも、音ならなんでも、という事はあるまい。やはり、デキシーランド・ジャズの持っている”無邪気な楽しさ”が乗せてくる”ハート”に本当に”感動”しているのかもしれない。

それにしても、大ホールは良いとしても、小ホールの音響はもう少し改善して欲しい。あんなにPAの音量を上げてしまうと、CDを大音量で聞いているのと変わらない。せっかく目の前でやっている”生”の音が殆ど聞こえない。水準の高い演奏の価値が半減していないだろうか? 「デキシー?あの、やかましい音楽でしょう?」と眉をひそめて云われた事が何度かある。せっかく素晴らしい演奏があるのに見向きもしない人達の言い分に反論ができない。
