室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

怒濤の一週間・其の2

2008-03-30 04:47:12 | Weblog
怒濤の関西びーた・リポート。どこまで行ってたっけ・・?
3/7の打ち上げまで行ったか。

3/8 朝食後、コントラバスのジュンコ嬢の赤い車で六甲アイランドから京都へ。
この日は、一条近くの勝福寺で本番。目標物「ユニクロ先の薬屋・・」がなかなか分からず、付近に着きながら到着に時間かかる。ご近所の中華飯店からチャーハンなどデリバリーが美味しかった。檀家を抱えた、現代に活きるお寺の立派な本堂にアップライト・ピアノが置いてあり、ご本尊を背に演奏。前日に第2バイオリンを弾いていたシホちゃんがご近所で、助っ人で来てくれてくれる。この日は幼なじみの尚ちゃんが、遙々聴きにきてくれた。

Tangueros Articos のみの演奏。つまり、曲目が多い。この日のゲネプロで初めて合わせた曲もあったけれど、何とかこなす。でも、トロイロ楽団スタイル、プグリエーセ・スタイル、フィンランド・タンゴ、ピアソラ作品、そして”ジェラシー””ラ・クンパルシータ”・・と、分かりやすいプログラム構成で、曲目解説役としても、説明がしやすかった。

本番後、そのまままだ練習をしていなかった”カナロ・エン・パリ”を練習してから丹波のモンゴリアン・ハウスへ。朝青龍問題の頃に報道陣がモンゴルに行って毎日映していた”ゲル”というテントと同じものが、丹波の山中にあり、レストランになっている。前回の”其の一”に載せた写真は、そのモンゴル・ハウスで頂いたラム肉のしゃぶしゃぶ。薄くきれいに切られたラム肉が沢山、お皿に盛られ、四分の一畳ほどもある大きなオケいっぱいに野菜も盛られてあり、ポン酢、ごまだれ、ピリ辛のモンゴルだれに付けていただく。お酒はウォッカ。チンギス・ハーンの絵が描いてある瓶もあって珍しかった。ここに10歳の馬頭琴の天才少年がいて、馬頭琴を見事に演奏して見せてくれた。・・となると、私達もやってみせなければ・・という事になり、用意されていた61鍵のシンセサイザーでトルコマーチを弾き、皆でタンゴを演奏して楽しみました。

凄く寒い夜で、星座がわからないほど沢山の星が出ていました。それからホテルへ。このホテルはファミリー向けリゾート施設で、空気と景色の良い山の中にあるけれど、サービスが・・。深夜に着いたとはいえ、大きなコントラバスを背負って荷物を運んでいる女性をただ見ているだけで、手を貸そうともしないのには、呆れました。「荷物を持ってあげて下さい!」フロントからただ付いて来るだけのフロント係りに、言ってしまいやした・・。

3/9 朝7時に起きて別館にある温泉に入り、そのまま朝食バイキングへ。沢山のお惣菜が出ていたけれど、ポテトサラダだけ美味しかった。10時出発で青垣住民センターへ。響きが体育館のような反響があり、バンドネオンがチャッチャッチャッチャッとリズムを刻むと、いやな間隔でリズムが返って来てしまう。PAを使い、モニターの位置を工夫してやることに。ピアノはヤマハの古いG5で、こもった音色で鍵盤は重い。しかし、舘野泉さんは何も不平不満、言い訳などおっしゃらない。私も次第に”スイート・スポット”を見つける。ステージは寒かったけれど、楽屋代わりのバックヤードは陽当たりが良く、暖かかった。お弁当やフルーツのサービスなど、お世話をして下さった方々の真心が嬉しかった。

コンサートは、舘野泉さんのソロと、ヤンネのヴァイオリンとの共演、ヴィレのバンドネオンとの共演があって、後半、タンゲロス・アルティコスのタンゴ演奏というプログラム。前日に初めて合わせた”カナロ・エン・パリ”も上手くいき、「あ~、これで演奏はもうおしまいかあ・・」とそれぞれ口々に言うほど、私たちは4人で演奏することが愉しかった。

終演後、わらびの里で打ち上げ。スタッフや演奏者など参加者が集まるのにけっこう時間がかかり、乾杯からじきに舘野さんは退席される。県議の石川さんがテレビのリモコンをマイクに見立てて、全員のコメント大会が始まる。お手伝いをして下さった青垣在住の支持者の皆さん、我々演奏者、演奏会をはるばる身に来て下さった山形の教育長、そのご友人で西宮でご活躍の歌手の方・・。その時の大ご馳走が、この写真。

「今日こそは温泉に入りたい」とヤンネの希望どおり、10時半にホテルに着き、辛うじて温泉時間に間に合う。その後、5階のロビーのソファに集まり、1時まで宴会。

3/10 ユニトピアで朝食を取ることは止め、ヤンネの知り合いで演奏会場所として協力もして下さる”みーつけた”という喫茶店へモーニングセットを食べに行く。心のこもった暖かいもてなしで、人心地がつく。ここは、障害を持つ方達をスタッフに雇っているお店だが、とても上手くやっていらっしゃる。その様子を見に「島根県から視察団がもうすぐ着く」と社長さんから聞き、「これは、演奏したら喜ばれるね」という事になり、最後にもう一度、この4人で演奏する機会が持てた。タンゴを懐かしむ世代の方が多かったこともあって、視察団の皆さんは大拍手をして喜んで下さった。「イクミの譜面をコピーさせて貰えないだろうか?もちろんボクので欲しいのがあったらコピーしていいから」とヴィレからの申し出があって、スーパーでコピーして譜面の交換をする。地元の方で、ヤンネの丹波でのお母さんともいうべき高井さんが、車を出して下さって、買い物やコピーなど助けて頂き、駅に送って下さった。ジュンコ嬢もマイカーで大阪へ向かった。「また4人でやりたいね~」前日、前々日頃から「よーし、やるべ」のかけ声の代わりに”レッツ・やらと”(羊羹のとらやの暖簾は、左からやらとと書いてある)を4人の合い言葉にしていた私たち。
「またすぐにも”レッツ・やらと”したいねえ~」と言い合って別れる。


・・以上、帰りの新幹線内で書いたメモから、怒濤の”ビッグ・マーチ”全8日間のレポートでありました。

この後、ヴィレは4~5日京都に滞在し、モンゴル・ハウスに泊まったり、水族館やうず潮を見に行ったり、楽しんでオランダに帰ったそうです。私は、ブラームスのバイオリン・ソナタ第2番を含むプログラムのコンサートを週末にひかえ、リハーサルやパーティの仕事。更に翌週は、新宿ジャズ・フェスティバルとヤンネとのデュオのLIVEコンサート・・と怒濤の”ビッグ・マーチ”はまだまだ続いたのであります・とさ。メデタシ・メダタシ。