戦後の日本は、大都市・中都市・小都市のどこも、同じ顔をした街並みになった。JRの駅を出て見る「景色」が、どの町も同じだ。
そんななかで、あえて散歩したくなる街並みを探していくと、結局、歴史的なもの、或いは、綺麗な川や木立ちなどの自然を多く残した町ということになる。
[ 京都 … 祇園~平安神宮 ]
京都は広い。ここに書くよりもっと、歩いて楽しい街並みがあるはずだ。だから、京都に住む人に教えてもらいたいくらいだ。
桜のころの祇園界隈が好きだ。祇園から、白川の流れに沿って、京都市美術館、平安神宮まで歩く、短い散歩道が楽しい。
( 二寧坂付近 )
平安神宮から哲学の道は、春は桜、秋には哲学の道のさらに山側の道を、紅葉を愛でながら銀閣寺まで歩くのは最高だが、観光客が多い。
清水寺から坂本竜馬の墓を経て円山公園とか、南禅寺・インクラインの辺りもステキなのだが、観光コースだ。
(平安神宮付近)
京都に住んで、朝、観光客のいない時間に散歩できたら、いちばんだろう。
学生だったころ、嵯峨野は、まだ十分に隠れ里的であったが、高度経済成長の中、たちまち宅地が増え、観光バスも近くまで入るようになった。
学生のころ、紅葉散り敷いた、夢のように美しい小道を歩いたが、翌年、大阪に就職して、秋に行くと、小道はなぜか閉鎖されていた。
[ 京都 … 下鴨神社~上賀茂神社 ]
街並みとは言えないが、下鴨神社から、賀茂川の堤の道を上賀茂神社、そして大田神社まで歩く道は、まるで参道を行くような清らかさがある。川原は市民の散歩コースにもなっているようだ。
上賀茂神社(賀茂別雷 ワケイカズチ 神社)、下賀茂神社(賀茂御祖 ミオヤ 神社) は、もとは土地の豪族・賀茂氏の神社であった。土地の神様だ。そこへ平安遷都があり、都を守る社として、伊勢神宮と並んで朝廷からの崇敬を受けることになった。
賀茂の祭は勅祭となり、斎院が置かれ、皇女が斎王として仕えるようになる。
大田神社は、上賀茂神社の摂社。アメノウズメを祀るが、静かでゆかしい。
( 太田神社 )
[ 倉 敷 ]
倉敷と言っても、、大原美術館の周辺だけ。
ここも、観光客の街で、住む人の散歩コースとは言えないが、美しい街並みをつくろうと思えばつくれるという証明になる。
パリが美しいのは、そこに人間の「意志」があるということだ。美しい街並みをつくろうという人間の意志だ。そのためには、市の許可なしに、私有地も含め、1本の樹木も切ってはいけないとか、外に洗濯物を干してはいけないとかという規制は、市民として当たり前。
パリの街並みは、6階建てでそろっている。それ以上の高層建築も、それ以下の一戸建て住宅も、許可されない。パリの端整な美しさは、皆でそういう美しい町をつくろうという「意志」から生まれた。建物を勝手にスクラップするなどもってのほか。許されるのは内部のリフォームだけ。パリ市民であるとは、その程度の不便には耐えるということでもある。
自由や個人主義の前に、市民精神がある。市民精神の土台の上に、自由や個人主義は成り立っている。
そこが、戦後の日本人が理解した自由や民主主義と、ちょっと違うところだ。
自由とは、「各自の家の中は各自の勝手」ということだで、一歩、家を出れば、市民である。
フランスでは、公立(全部、国立)の学校にイスラム教の服装をして登校して来たら、小学生であろうと、退学になる。公立学校は、キリスト教との長い戦いの末に勝ち取った無宗教の学校だ。個人の心の問題である宗教を持ち込むことは許さない。イスラム教の戒律に従いたいのなら、イスラム教の私学をつくったらいい。
( 続 く )
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