中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第七回

2025年02月15日 | 紅楼夢
 劉婆さんが帰った後、周瑞の家内の家内がそのことを王夫人のところに報告に行くところから、第七回が始まります。『紅楼夢』第七回の始まりです。

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宮花を送り賈璉は熙鳳と戯(たわむ)れ、
寧府の宴で宝玉は秦鐘に出会う

 さて、周瑞の家内は劉婆さんを見送りに行って後、王夫人のところに戻り報告をしに行ったのだが、あいにく王夫人は部屋におられず、召使の女たちに尋ねて、ようやく薛おばさんのところに相談に行ったと分かった。周瑞の家内はそれを聞いて、東の角門を出て、東院を通って、梨香院に向かった。ちょうど梨香院の門の前まで来ると、王夫人の小間使いの金釧兒とようやく髪を伸ばし始めた少女が階(きざはし)の上で遊んでいるのが見えた。周瑞の家内が入って来るのを見て、話があって来られたと知り、それで家の中へ向けて口を突き出し、さし示した。


 周瑞の家内は、音のたたないようにそっとカーテンをめくり上げ部屋の中に入ると、王夫人がちょうど薛おばさんとで家庭内の些細な事や世間話をあれやこれや話しているのが見えたので、周瑞の家内は邪魔をしないよう、そっと中に入ると、薛宝釵が普段の装いで、頭には髪飾りだけ付けて、オンドルの中に座り、机の上に身を伏せて、小間使いの鶯兒と一緒にちょうどそこで花の絵を描いているようであった。周瑞の家内が入って来たのを見て、筆を置くと、こちらを向いて、満面に笑みを浮かべて「周姉さん、お座りください。」と勧めた。周瑞の家内も慌てて作り笑いを浮かべて尋ねた。「お嬢さん、ご機嫌いかが。」オンドルの縁に腰を掛けながら、尋ねた。「ここ二三日お嬢さんがこちらにお散歩に来られるのをお見受けしなかったので、ご兄弟の宝玉様の行状のせいで、ご気分を損ねられたのではないかと心配しておりました。」宝釵は笑って言った。「そんなことあるものですか。ただわたしのいつもの病気が発症したので、しばらく静養しておりました。」周瑞の家内は言った。「本当ですか。お嬢さんはいったいどんな持病をお持ちなのですか。なるべく早くお医者様に診ていただき、真剣に治療なさいまし。まだお小さいのに、持病をお持ちなんて、冗談じゃないですよ。」宝釵はそれを聞いて笑って言った。「病気のことはもう言わないで。もうどれだけのお医者さんに診てもらい、どれだけの薬を飲み、どれだけのお金を使ったことか。それでも少しも効き目が無かったのですよ。その後にある和尚様のお陰を被り、専ら原因不明の病の症状を治されるというので、診ていただいたところ、この方の言うには、これはお母さまの胎内から持って来た熱毒で、幸いわたしは元々身体が丈夫なので、健康に影響は無い。およそ薬を飲んで治そうと思っても、役に立たない。この方に教えていただいたのは、海の彼方からもたらされた仙人伝授の処方で、この処方は特別な香りとにおいのある粉薬で、薬効を強める効果があって、症状が出たら一粒飲めば良いとのこと。不思議なことに、本当に効果があるのです。」

 周瑞の家内はそれで尋ねた。「それでどんな処方なのですか。お嬢さんに教えてもらえば、わたしたちも憶えられ、人に教えてあげれば、もしこのような病気に遇っても、対処できますわ。」宝釵は笑って言った。「この処方は尋ねない方がましですわよ。もし聞いたら、本当にこまごまと煩わしいのです。ものも薬材も限りがあるし、最も得難いのは「折よく」という点で、春に咲く白牡丹の花蕊(かずい。花のしべ)を十二両(両は1斤の16分の1)。夏に咲く白い蓮の花蕊を十二両。秋の白芙蓉の花蕊を十二両。冬の白い梅の花蕊を十二両。これら四種の花蕊を翌年の春分に陽に晒して乾かし、粉薬と合わせ、一緒に磨り潰します。また雨水の日に天から降る水が十二銭(銭は1斤の160分の1)必要です……」周瑞の家内は笑って言った。「あらまあ。そうすると三年の時間が必要ですわ。もし雨水の日に雨が降らなかったら、どうするんですか。」宝釵は笑って言った。「そうなんです。こんなに「折よく」雨が降るはずがないでしょう。それでもまた待つしかないのです。更に白露の日の露が十二銭、霜降の日の霜が十二銭、小雪の日の雪が十二銭。この四種の水でむらなく調合し、龍眼の大きさの丸薬にし、古い磁器の壺に入れ、花の根の下に埋め、もし病状が出たら、取り出して一錠飲むのです。一銭二分の黄柏(黄檗。オウバク、キハダ)を煎じたお湯で飲み下します。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、笑って言った。「南無阿弥陀仏。本当にとってもうまいタイミングでないとだめですね。十年待っても、全部は揃わないわ。」宝釵が言った。「それがなんとうまくいったのです。和尚様が帰られて後、一二年して、折よく皆揃い、なんとか薬の材料を配合し、今は家から持って来て、梨の樹の下に埋めてあります。」周瑞の家内がまた尋ねた。「その薬は名前がありますか。」宝釵が言った。「あります。これもあの和尚様が言われたのですが、「冷香丸」と言います。」周瑞の家内はそれを聞いて頷き、また尋ねた。「この病気は発症すると、いったいどうなるのですか。」宝釵が言った。「特に何も感じなくて、少し息ぎれがして咳が出るだけですが、一錠薬を飲むと、治まります。」

 周瑞の家内がまだ何か話そうとした時、ふと王夫人が尋ねる声が聞こえた。「誰か中におられるの。」周瑞の家内は慌てて応答し、劉婆さんのことをご報告した。しばらく待っていると、王夫人が何も言わず帰ろうとしていたので、薛おばさんが急にまた笑って言った。「ちょっとお待ちになって。うちにあるものを、持って帰ってちょうだい。」そう言いながら、「香菱」と呼んだ。入口のすだれをジャラジャラ鳴らし、金釧兒と遊んでいた少女が入ってきて、「奥様、何かご用で。」と尋ねた。薛おばさんが言った。「あの箱に入った花を持ってきてちょうだい。」 香菱は「はい」と応え、あちらから小さな錦の箱を捧げ持って来た。薛おばさんが言った。「これは宮廷で作った生花に似せた紗(薄いシルクの布)で作った造花で、十二本あります。昨日思い出して、うちに置いておいても古くなるだけで勿体ないので、おたくの女兄弟たちの髪に挿していただけないかしら。昨日お持ちしようと思っていたのだけれど、忘れていました。今日ちょうどお越しになったから、持って行ってちょうだい。お宅には三人お嬢ちゃんがおられるから、おひとり二本、残った六本は林お嬢ちゃんに二本、四本は鳳姉さんにあげてください。」王夫人は言った。「宝釵ちゃんに取っておいてあげて挿してもらって。それからあの娘たちのことを考えればいいわ。」薛おばさんは言った。「あなたはご存じないのね。宝ちゃん(宝釵)は変わってるの。あの子はこれまでこうした花や飾りに興味が無いの。」


 そう言いながら、周瑞の家内は箱を持って、部屋の入口を出て、金釧兒がまだそこで日の光を浴びていたので、周瑞の家内は尋ねた。「あの香菱という娘が、よくうわさに出る、都に上がる時に買ったとかいう、あの人が人を殺(あや)めて訴訟沙汰になった、あの娘かい。」金釧兒は言った。「他でもなく、あの娘がそうです。」ちょうど話していると、香菱がにこにこしながら歩いて来たので、周瑞の家内が香菱の手を取り、彼女を一度子細に見回し、それから金釧兒に笑って言った。「この身なりは、結局わたしたち東府(寧国府)の小蓉若奥様さんのお人柄が出ているのかしら。」金釧兒は言った。「わたしもそう思います。」周瑞の家内はまた香菱に尋ねた。「あなたはいくつの時にここに連れて来られたの。」また尋ねた。「あなたの父さん母さんはどちらにおられるの。今年は十何歳。出身はどこなの。」香菱は質問を聞いても、首を振って答えた。「憶えていません。」周瑞の家内と金釧兒はそれを聞いて、却ってため息をついた。

 しばらくして周瑞の家内は花を持ち、王夫人の母屋の後ろに行った。実は最近賈のお婆様が、孫娘たちの人数が多過ぎて、一ヶ所にいると窮屈で不便なので、宝玉と黛玉のふたりだけここに残して気を紛らし、迎春、探春、惜春の三人は王夫人のこちらの建屋の後ろの三間の抱厦(母屋の後ろにつながった部屋)に移して住まわせ、李紈に付き添い世話をさせるよう言いつけた。今周瑞の家内は元の道順で先ずここに来ると、何人かの女中たちが抱厦の中に黙って座り、お呼びがかかるのを待っていた。 迎春の小間使いの司棋と 探春の小間使いの侍書のふたりが、ちょうど簾(すだれ)をめくって出て来た。ふたりとも手にお盆と湯のみを捧げ持っていたので、周瑞の家内は姉妹が一緒にいるのが分かり、部屋の中に入った。すると迎春、探春のふたりがちょうど窓の下で囲碁を指していた。周瑞の家内は花を届け、経緯(いきさつ)を説明したが、ふたりは囲碁に夢中で、ちょっと腰を上げてお礼を言っただけで、小間使いたちに命じて仕舞わせた。

 周瑞の家内は承諾すると、また尋ねた。「惜春様(四姑娘)が部屋にいらっしゃらないが、ひょっとして大奥様のところに行かれたの。」女中たちが答えた。「あちらのお部屋ではないですか。」周瑞の家内はそう聞くと、こちらの部屋にやって来た。すると惜春がちょうど水月庵の若い尼(小姑子)の智能兒とふたり一緒に遊んでいた。周瑞の家内が入って来たのを見て、用件を聞いた。周瑞の家内は花の箱を開け、経緯を説明すると、惜春は笑って言った。「わたし、ここでちょうど今、智能兒と話していたのだけれど、わたしが明日もし髪を剃って尼にならないといけないとして、そんな時に、ちょうどうまい具合に花が送られて来るなんて。髪を剃ってしまったら、花をどこに付ければいいのかしらね。」そう言いながら、皆でけらけら笑った。惜春は小間使いに命じて仕舞わせた。

 周瑞の家内はそれで智能兒に尋ねた。「あなた、いつ来られたの。あなたのお師匠のあの禿頭はどこへ行ったの。」智能兒は言った。「わたしたち、朝一に来ました。うちの師匠は奥様にお目にかかってから、旦那様のお宅に行かれ、わたしはここで待っているよう言われました。」周瑞の家内はまた言った。「毎月十五日のお供えのお布施の銀子はもうもらったの。」智能兒は言った。「存じません。」惜春は周瑞の家内に尋ねた。「今はそれぞれのお寺への毎月のお布施は誰が管理しているの。」周瑞の家内は言った。「余信が管理しています。」惜春はそう聞くと笑って言った。「今回がそうなんですね。この子のお師匠が来ると、余信の家の者が飛んで来て、お師匠と半日ごちゃごちゃやって、おそらく今ちょうど話し合っているのがそのことなんですね。」

 かの周瑞の家内はまた智能兒とぶつぶつ言っていたが、その後鳳姐のところに行くのに、通路を通り抜け、李紈の家の裏窓の下から西の花垣を通り、西角門を出て、鳳姐の家に入った。広間に着くと、小間使いの豊兒が部屋の入口の敷居の上に座っているのが見えた。周瑞の家内が来たのを見ると、急いで手を振り、彼女を東側の部屋に行かせた。周瑞の家内は了解して、急いで足音を忍ばせ東側の部屋の中に入ると、鳳姐が寝ていたので乳母が手の平で叩いて起こしているのが見えた。周瑞の家内はそっと尋ねた。「若奥様はお昼寝されているの。でも起きていただかないと。」乳母は笑いながら、口をへの字に曲げて首を振った。ちょうど尋ねていた時、あちらから微かに笑い声が聞こえたが、賈璉の声であった。続いて部屋の扉が開く音が響き、平兒が大きな銅のたらいを持って出て来て、それに水をくんで来させた。

 平兒がこちらに入って来て、周瑞の家内を見ると、尋ねた。「あなた、また来られて何かご用なの。」周瑞の家内は急いで立ち上がり、箱を持ってきて平兒に見せた。「お花を届けに来ました。」平兒はそう聞くと、箱を開け、花の枝を四本取り出し、またその場に置いた。しばらく考えていたが、手で二本取り上げ、先ず彩明を呼んで、こう言いつけた。「あちらのお屋敷にお届けして、蓉ちゃんの奥様の頭に付けていただいて。」そう言ってからようやく帰ろうとする周瑞の家内にお礼を言った。

 周瑞の家内はこうしてようやく賈のお婆様のお宅に向かったのだが、穿堂(表庭から裏庭に通り抜けられるようになっている部屋)を通ったところで、出会い頭にふと自分の娘が、たった今夫の家から来たばかりのようなふりをしているのを見かけた。周瑞の家内は慌てて尋ねた。「あなた、いま走ってきて何をしているの。」彼女の娘は言った。「母さん、ずっとお身体は大丈夫なの。わたしは家でずっと待っていたけど、母さんはとうとう帰ってこないし、どんな事情でこんなに忙しいのに帰って来ないの。わたしは待ちくたびれて、自分が先に大奥様のところにうかがいご挨拶しようと思い、たった今大奥様にご挨拶してきました。お母さんは何かまだ終わらないお使い事があるの。手に持っているのは何なの。」周瑞の家内は笑って言った。「まあ。今日はもっぱら劉お婆さんのことで来て、自分でもいろんなことがあって、劉お婆さんのために半日走り回ったわ。今回は薛の叔母様(姨太太。お妾さんのこと)にお目にかかって、頼まれてこの花をお嬢さんや若奥様にお届けにうかがったの。まだ全部がお届けできていないの。あなた、今日出て来たのは、きっと何か事情があるんじゃないの。」

 彼女の娘は笑って言った。「母さんならきっと分かるわ。考えてみたらすぐ分かるはずよ。実際、母さんに言うけど、うちの旦那(周瑞の家内の娘婿の冷子興)が以前ちょっと酒を飲み過ぎて、人と争いが起きて、どうやって人を怒らせたか知らないけれど、あの人の素性がよく分からないと、役所に訴えられ、故郷に送り返されそうになったの。だからわたしが出て来て、母さんとちょっと相談して、情状の余地がないか検討してみたいの。どなたにお願いしたら解決できるんでしょう。」周瑞の家内はそう聞いて答えた。「分かったわ。こんなこと別に大したことでもないのに、慌ててこんなことをして。あなた、先に家に帰ってなさい。わたしは林お嬢様にお花を届けたら戻るから。今回は奥様や若奥様に面倒をおかけする訳にはいかないわ。」彼女の娘はそう聞くと、帰ろうとして、また言った。「母さん、ともかく早く戻ってね。」周瑞の家内は言った。「ほらごらん。小者はどんなことでも、慌ててこんなに取り乱すんだから。」そう言うと、黛玉の部屋に行った。

 あいにくこの時黛玉は自分の部屋におらず、宝玉の部屋に居て、皆で九連環(知恵の輪のような玩具)を解いて遊んでいた。周瑞の家内は入って行くと、笑って言った。「林お嬢様、叔母様(姨太太)がわたしにお花をお届けするよう言われました。」宝玉はそれを聞くと、言った。「どんなお花なの。取り出して、僕にもちょっと見せて。」一方で手を伸ばして箱を受け取り、見てみると、実は二本の宮廷で作られた紗を重ねた新しい技巧の造花で、黛玉はただ宝玉が手に持つ花を一目見て、尋ねた。「わたしひとりだけにくださるの。それとも他のお嬢ちゃんたちのも皆あるの。」周瑞の家内は言った。「皆さん全部にありますよ。この二本は林お嬢様の分です。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたし、分かっていてよ。他の皆さんに選ばれずに残ったものをわたしにくれたんじゃないの。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、一言も返答できなかった。宝玉は尋ねた。「周お姉さま、どうやってこちらまで来たの。」周瑞の家内はそれでこう答えた。「奥様があちらにおられ、わたし、お返事にうかがったんです。そうすると、叔母様( 姨太太 )がついでにわたしにお花を持って行くよう言われたんです。」宝玉は言った。「宝姉さんは家で何をされているの。どうしてここ何日かお越しにならないの。」周瑞の家内は言った。「お身体の具合があまりよくないのです。」宝玉はそう聞くと、女中たちに言った。「誰かちょっと見てきておくれ。こう言うんだ。わたしと林ちゃんから言付かって、宝姉さんのお加減をうかがいに来ました。姉さん、どんなご病気で、どんなお薬を飲んでおられますか。本当は、わたしが自ら来ないといけないのですが、学校から戻ったばかりで、また少し風邪気味なので、日を改めまたお見舞いにうかがいます、とね。」そう言うと、茜雪が返事をして出て行った。周瑞の家内は家に戻ったが、特に話は無い。

 元々、周瑞の家内の娘婿は雨村の親友の冷子興で、最近骨董の商売で、人と訴訟沙汰になり、それで妻を寄こして情状の余地を探らせたのだった。周瑞の家内は主人の権勢を頼りにして、この事件もあまり心配しておらず、夜に鳳姐にちょっとお願いするだけで、この件は終わりにした。

 火点し時になって、鳳姐は化粧を落とし、王夫人に会いに来て、回答して言った。「今日、甄家が送って来たものを、わたしもう受け取りました。わたしたちがあちらに送ったものは、ちょうどあちらさんからお正月に新鮮な果物や魚を送って来た船で、あちらに持って帰ってもらいました。」王夫人は頷いた。鳳姐がまた言った。「臨安の伯お婆様の誕生日のお祝いの品はもう準備しました。奥様、誰に届けさせましょうか。」王夫人は言った。「あなたが誰が閑(ひま)か見て、四人の女性を行かせればいいわよ。わたしに尋ねるまでもないわ。」鳳姐が言った。「今日珍叔父様の奥様が来られて、わたしに明日ちょっと来てほしいとのことでしたが、明日は何かありましたっけ。」王夫人は言った。「何かあっても無くても、何も支障は無いわ。いつもあちらが招待されるのがわたしたちだと、あなたも不都合でしょうが、あちらがわたしたちでなく、あなただけをご招待されたなら、それはあちらの誠意で、あなたに羽を伸ばしていただきたいということよ。あちらのお気持ちに背いてはいけないわ。やはり行ってこなくっちゃ。」鳳姐は「はい」と答えた。すぐさま李紈、探春らの姉妹たちもお休みのご挨拶が終わり、各々部屋に帰った。その後特に話は無い。

 翌日鳳姐は身づくろいをし、先に王夫人への挨拶が終わると、ようやく賈のお婆様にご挨拶をした。宝玉は聞きつけて、自分も一緒に行きたいと言ったので、鳳姐は分かったと言うしかなく、直ちに衣裳を着替えるのを待ち、鳳姐と宝玉ふたりは車に乗ると、しばらくして寧府に入った。早くも賈珍の妻の尤氏と息子の賈蓉の嫁の秦氏という嫁と姑ふたりが、何人かの側室や女中を連れて、儀門で出迎えた。

 かの尤氏は鳳姐を一目見ると、先ずひとしきり嘲笑し、宝玉の手を取り、一緒に部屋に入って座らせた。秦氏が茶を淹れると、鳳姐が言った。「皆さんはわたしを招待してどうされるの。どんな贈り物がいただけるの。ものがあるなら持っていらして。わたし、用事があるの。」尤氏がまだ応答せぬうちに、何人かの嫁たちが先に笑って言った。「若奥様、今日は来られなくてもよろしかったのに。でも来られた上は、お宅の方でもあなたに頼る必要がなくてよ。」ちょうどそう言っていると、賈蓉が部屋に入って来て挨拶をするのが見えた。宝玉はそれで言った。「大お兄様は今日は家におられないの。」尤氏は言った。「今日は出かけていて、上役の方のところへご挨拶に行っているの。」また言った。「でもあなたはうつうつとして愉しまず、こんなところに座っていてどうするの。どうして出かけて行ってぶらぶらしないの。」

 秦氏が笑って言った。「今日はちょうど良かったわ。この前、宝叔父様が会いたがってたわたしの弟が、今日はここの書斎にいますよ。ちょっと顔を見に行かれては。」宝玉が会いに行こうとしたので、尤氏は急いで召使に気をつけてお世話するよう言いつけ、付いて行かせた。鳳姐が言った。「こういうことだったら、どうしてこちらの部屋に入らせて、わたしにも会わせてくださらないの。」尤氏は笑って言った。「まあ、まあ。お会いにならなくてもよろしいでしょう。このお屋敷のお子たちとは比べようもなく、叩かれ、ほったらかしにされるのに慣れていますの。人様の子供は、みなお上品で、あなたのようなおっかない女に会ったことがないのに、まだ人様を笑いものにするつもりなの。」鳳姐は笑って言った。「わたしが笑いものにしなければいいんでしょう。でもあちらがわたしを笑いものにしてきたら、後はどうなるか知らないわよ。」賈蓉が言った。「あの子は生まれつき引っ込み思案で、大きな立ち回りを見たことがないのです。叔母さんに会ったら、圧倒されて気持ちが萎えてしまいます。」鳳姐はつばを吐いて言った。「ちぇっ。あほくさ。その子がたとえ神話の中の哪吒nézhā(なた。道教で崇められている護法神)様だって、ちょっと会ってみる必要があるわ。ばか言わないで。それでも連れて来ないなら、あんたの頬っぺたに一発びんたをお見舞いするからね。」賈蓉はおっかなくて正視できなくなり、眼をそらしながら笑って言った。「叔母さん、そんなにいじめないでよ。わたしたちがあの子を連れて来ればいいんでしょう。」鳳姐も笑い出した。話が終わって、しばらくして、果たしてひとりの若者を連れて来た。宝玉より少し痩せていて、眉目秀麗で、顔は白粉を塗ったように白く、唇は朱を塗ったように真っ赤で、身体は見眼麗しく、ふるまいは優雅で、見たところ宝玉の上をいく美男子であった。ただ気弱で恥ずかしがりの様子は少女のようで、なんとなくはにかみながら鳳姐にごきげんようの挨拶をすると、鳳姐は嬉しがって宝玉を押し出し、笑って、「比べてごらんよ。」と言いながら、身を乗り出してこの子の手を握り、自分の傍らに座らせると、ゆっくりと年齢や勉強のことを尋ね、ようやくこの子が学名(子供が学校に入学するときにつけた正式の名前)を秦鐘ということを知った。


 早くも鳳姐お付きの女中や嫁たちは、鳳姐が初めて秦鐘に会い、且つまだ贈り物を渡す準備をしていないのを見て、急いであちらに行って平兒にそれを告げると、平兒は素より鳳姐と秦氏が極めて親しいのを知っていたので、自分の判断で一匹の布地、「状元及第」の刻印を施した金の小さな塊をふたつ持って来て、人に言いつけて持って行かせた。鳳姐が更に「ちょっと些細なもので申し訳ありませんが」と一言加えた。それに秦氏らが感謝を言い終わると、しばらくして食事をし、尤氏、鳳姐、秦氏らはマージャンをしたが、このことは特に言うまでもない。

 宝玉と秦鐘のふたりは適当に立ったり座ったりして話をしたが、かの宝玉は秦鐘を一目見るなり、心の中で何かを亡くしたように感じ、しばらくボオッとしていたが、自分の心の中でまた無意識に考えているうちに、すなわちこう思った。「世の中には、なんとこのような人物がいようとは。今思うに、僕は自分が卑賎で粗野な人間になったような気がする。恨むべくは、僕はどうして貴族や官吏の家に生まれてきたのだろう。もし貧しい小役人の家に生まれていたら、とっくに彼と交際していたろうし、一生を無駄に過ごすことも無かっただろう。僕は彼より身分が高いが、綾衣や錦、 紗(しゃ)、薄絹なども、僕という枯れて腐った木を包んでいるだけ、羊の羹(あつもの)や美酒も、僕という肥えツボを満たしているに過ぎない。「富貴」の二文字は、本当に人間に害を与えるものだ。」 かの秦鐘が眺めてみると、宝玉の顔かたちが人並み優れていて、ふるまいが非凡で、そのうえ金の冠、刺繍の入った服を身に着け、身辺には美しい女中や麗しい召使の少年が控えている。「なるほど、お姉さんが平素言われていたように、たいへんすばらしいですね。わたしはあいにく貧しい家に生まれたので、どうしてこんな方と親しく接することができたでしょうか。これも縁(えにし)ですね。」ふたりは同じようにあれこれ思いめぐらせた。宝玉はまた秦鐘にどんな本を読んでいるか尋ね、秦鐘は尋ねられたことに、正直に答えた。ふたりは話し合いながら、意見を交わし合い、益々親密になった。

 しばらくしてお茶請けが運ばれて茶を飲むと、宝玉は言った。「僕たちふたりは酒も飲まないから、奥の部屋のオンドルにおつまみを用意させて、あちらへ行こうよ。そうすればがやがや騒がしくて落ち着かないこともないだろう。」そしてふたりは奥の部屋に行って茶を飲んだ。秦氏は一方で鳳姐が酒を飲む支度をし、一方では急いで部屋に入って来て宝玉に言いつけた。「宝叔父様、甥はまだ幼くて、何か失礼なことを言うかもしれないけど、くれぐれもわたしに免じて、この子を叱らないでね。この子は内気だけど、つむじ曲がりなところがあるから、あまり人付き合いが良くないの。」宝玉は笑って言った。「もう行ってよ。分かったから。」秦氏はもう一度弟の秦鐘にあれこれ言いつけると、ようやく鳳姐のお伴をして行ってしまった。

 しばらくして鳳姐と尤氏が人を遣って宝玉に尋ねた。「何か食べたいものがあったら、遠慮せずこちらに来なさいよ。」宝玉はただ「はい」と答えていたが、飲食のことには関心が無く、ただ秦鐘に最近の家庭内のできごとなどを尋ねた。秦鐘はそれで言った。「恩師が昨年家(うち)を辞められたのですが、父は高齢で、身体に障害があり、公務が煩雑なので、まだ新しい教師を雇うかどうか決まっておらず、目下は家で既に学んだところの復習をしているだけです。それに、勉強するにも、一二の学友と一緒でないとだめで、いつも皆で討論してこそ、学識の進歩が得られるのです。」宝玉は秦鐘が言い終わらないうちに、こう言った。「本当にそうだね。うちの家には家塾があるから、一族の中で新たに教師を雇えないなら、家塾に入って勉強することができ、親戚の子弟なら一緒に勉強できる。僕も去年恩師が故郷に帰られたので、今は勉強がおろそかになっているんだ。父の意見は、僕にしばらく家塾を離れ、既に学んだところの復習をして、来年新しい先生が赴任されたら、再び各々家塾で勉強しなさいと言っている。祖母はそれでこう言うんだ。ひとつに、家塾で学ぶ子弟が多過ぎて、おそらく皆やんちゃだろうから、却って良くない。二に、僕が何日か病気だったので、ちょっと勉強が遅れてしまっている。こんな風に言うものだから、父上も今はこのことを気にかけているから、今日帰ったら、うちの家塾に君が来ることを、報告しようじゃないか。僕も一緒に勉強すれば、お互いに有益で、いいんじゃないかい。」秦鐘は笑って言った。「父は先日家で新しい先生を招くことを話した時にも、ここの義学(家塾)がすばらしいから、元々こちらに来てここの旦那様に入学の推薦をいただくよう相談すると申していたのですが、ここのところまた仕事が忙しく、このような些細なことで面倒をおかけするのは申し訳ないと言うのです。宝叔父様がもし甥のことを心配し、一緒に勉強してもいいとおっしゃるなら、すぐに行動を起こしませんか。そうすればお互いに勉強がおろそかにならず、いつも一緒に話ができるし、父母の心を慰め、また友人の交わりを楽しむこともでき、すばらしいじゃないですか。」宝玉は言った。「安心して。僕たち、帰ったら君の姉さん夫婦と璉叔父さんの奥さんに話をしよう。今日君は帰ったらお父上に報告して、僕は帰ってお婆様に報告すれば、遠からず実現しない道理は無いさ。」

 ふたりの相談は既に定まり、その日は既に火点し時となったので、戻ってまた皆と麻雀を一局やって遊び、精算すると、秦氏と尤氏のふたりが負けて食事を奢ることになり、後日宴席招待の約束をし、一方また皆で夕食を食べた。

 辺りが暗くなったので、尤氏が言った。「ふたりの小者に秦お兄様の家まで送らせましょう。」女中たちがその旨伝えに行ってしばらく経った。秦鐘は暇乞いをして立ち上がると、尤氏が尋ねた。「誰に送らせるの。」女中たちは答えて言った。「外では焦大を遣わすと言ってましたが、あろうことか焦大が酔っぱらって、また怒鳴るんですよ。」尤氏、秦氏は言った。「どうしても焦大を遣わさないといけないの。あの小者は派遣できないの。いたずらに焦大の気分を損ねるだけでしょ。」鳳姐は言った。「いつも家で言われているように、あんたはあまりに軟弱だから、家の中の者がこのように勝手気ままに振舞って、収拾がつかず大変だわ。」尤氏は言った。「あなたはこの焦大のことを知らないとでも言うの。たとえ旦那様でも焦大を相手にできない。お宅の珍お兄様でも無理よ。それというのも、焦大は小さい時からお爺様と三四回出兵して、屍(しかばね)の山の中からお爺様を背負って出て来て、それでようやく命拾いできたの。自分は空腹を我慢しても、何か食べるものを盗んで来て、ご主人様に食べさせたし、二日の間水が無くて、やっと茶碗半分の水を得たら、ご主人様に飲ませて、自分は馬の小便を飲んだの。でもこうした昔の功労のよしみに頼っていては、ご先祖様が存命の時は、特別な優待や尊重をしてもらえるけど、今じゃあ誰も焦大を擁護しようとは思わないわ。焦大自身、もう歳だし、体面も気にしないけれど、もっぱら酒好きで、酔っぱらうと誰彼となく怒鳴り散らすの。わたしはいつも執事に言ってるのよ、今後、焦大を使いに出すなって。あの人が死んでさえくれたら、もうそれで終わりだから。今日またあの人を遣わそうなんて。」鳳姐が言った。「わたしがどうしてこの焦大を知らないなんてお思いなの。結局あなたがたがしっかりした考えが無いからよ。あの人を遠くの村まで行かせてしまえば済むことでしょう。」そう言って、また尋ねた。「うちの車は準備ができているの。」女中たちは言った。「もう全員が控えております。」鳳姐も立ち上がり暇乞いをすると、宝玉と手を携え、一緒に出て行った。

 尤氏らは広間の前まで見送ると、灯火が光り輝いているのが見え、小僧たちが朱塗りの階(きざはし)のところで付き従って立っていた。かの焦大は賈珍が家に不在なのをいいことに、酒の勢いに任せ、先ず大総管(管理責任者)の頼二を怒鳴りつけ、彼に言った。「不公平だ。弱い者には強く出て。簡単なお使いには他の奴を遣わして。こんな深夜に人を送る時はおれだ。良心のかけらも無いばか野郎だ。でたらめに執事になりやがって。おまえさんもちょっと考えてみな、焦大爺さんが片足を上げるだけでも、おまえさんの頭よりももっと高いんだ。この二十年というもの、焦大爺さんの眼中に誰がいたか。おまえたちみたいなのは、十把一絡げの大馬鹿野郎だ。」ちょうど罵りが佳境になった時に、賈蓉が鳳姐を送る車がやって来たが、人々が焦大を止めることができないので、賈蓉は我慢できず二言三言罵ると、叫んだ。「こいつを縛ってしまえ。明日酔いが醒めたら、こいつに首をくくって死ぬかどうか聞こうじゃないか。」

 かの焦大の方では賈蓉は眼中にあったろうか。却って大声を上げ、賈蓉の叫び声を追い払った。「蓉兄貴、あんた焦大の目の前で主人づらするんじゃないよ。あんた、そんなこと言うなよ。あんたの父さんも爺さんも、焦大の前で威張るなんてようしなかった。焦大ひとりがいなかったら、あんたたちが役人になり、栄華を享受し、富貴を得ることも無かった。あんたの祖先は九死に一生を得たおかげで今の財産を手にしたのに、今に到るもわたしの恩に報いず、却ってわたしに主人づらをしやがって。わたしに対してこれ以上何か言うなんて、まだ許されると思っているのかい。もし言おうものなら、おれたち、血を見ることになるぜ。」鳳姐は車の中で賈蓉に言った。「できるだけ早くあんな法律や道徳規範を無視する輩は追い出した方がいいわ。家に留めても、害になるだけでしょ。親しい友人に知られたら、うちの家が、行儀作法もできていないと、笑いものになるわ。」賈蓉は「はい」と答えた。


 人々は焦大があまりに粗暴な振舞いをするので、何人かで焦大をつかんで押し倒して縛り上げ、厩(うまや)の方に引っ張って行った。焦大は益々激高し、賈珍の名前まで持ち出し、大声で叫んだ。「祠堂(一族の先祖を祀った廟)へ行って、お爺様に泣いてお詫びせねば。誰が今となってこんな畜生らが生まれてくると思ったことか。毎日正業に就かず、「爬灰」(香炉の中の灰を掻く。俗語で親父が息子の嫁と姦通すること)する者は「爬灰」する、「養小叔子」(不義の子供を作る)する者は「養小叔子」と、おれが知らないとでも思っているのか。おれたちなんて、「腕が折れたら袖の中に隠す」で、消されちまうのさ。」小者たちは焦大が少しも恐れも遠慮もなく話すのを聞いて、驚きのあまり、魂が身体を離れて飛び散りそうになり、焦大を縛り上げると、土や馬の糞を彼の口一杯に詰め込んだ。

 鳳姐と賈蓉も長々と焦大の話が聞こえていたが、聞こえないふりをした。宝玉は車の中でそれを聞き、鳳姐に尋ねた。「お姉さま。あの人が「爬灰」(香炉の中の灰を掻く)する者は「爬灰」と言うのが聞こえたけど、これってどういうこと。」鳳姐は慌てて叱って言った。「あまりばかなことは言わないで。あれは酔っ払いが口の中でゲロを吐いただけなの。あなたはどんな立場の人間なの。聞こえなかったとは言わないまでも、細かく尋ねるんじゃないの。うちに帰って奥様に報告したら、奥様があんたをぶん殴るかどうか見てみましょう。」驚いた宝玉は急いで懇願した。「お姉さま、お願い。僕もうこの話をしないから。」鳳姐は宝玉をなだめすかして言った。「いい子。それでいいのよ。うちに帰って大奥様にご報告したら、人を家塾に遣って説明しましょう。秦鐘が家塾に来て勉強できるようにするのが大事だからね。」そう言って、栄国府に帰って来た。この先どうなるかは、次回に説き明かします。

 これで第七回は終了、宝玉が栄国府に帰ってから、どんなお話が展開するか、次回『紅楼夢』第八回をお楽しみに。
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『紅楼夢』第六回

2025年02月05日 | 紅楼夢
 さて第五回で、宝玉は警幻仙女から性の手ほどきを受け、賈蓉の妻の秦氏と契りを交わしますが、その後物語はどのような展開を見せるのか、第六回のはじまりです。

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賈宝玉は初めて雲雨の情を試し、
劉老老は一たび栄国府に進む

 さて、秦氏は宝玉が夢の中で彼女の幼名を呼んだことから、心の中で合点がいかなかったが、また細かく聞くのは差し控えた。この時宝玉は失禁をしたかのようで、戸惑っていた。遂に立ち上がって全身の着物を脱いだ。襲人がやって来て、宝玉のためズボンの帯を締めてやった時、ちょっと手を太ももまで伸ばしたところ、そのあたりがひんやり冷たく、ねばねば湿っているのを感じ、びっくりして慌てて太ももから手を離して、尋ねた。「どうされたんですか。」宝玉は顔を赤くし、彼女の手を捻(ひね)った。襲人は元々聡明な女子で、歳も宝玉より二歳上なので、最近は次第に世間のことが分かってきて、今宝玉のこのような光景を見て、心の中では半ば事情を飲み込んでいたが、思わず恥ずかしくて顔を真っ赤にし、遂にそれ以上尋ねることができなかった。そのまま続けて宝玉に着物を着せてやると、ついでに賈のお婆様のところへ行き、慌ただしく晩飯をかっ込むと、こちらに戻って来て、ちょうど召使の女たちが宝玉のお傍にいない時を見計らい、替えの下着を取り出すと、宝玉に履き替えさせた。

 宝玉は恥ずかし気に懇願して言った。「姉さん、後生だから、決して他の人に言わないで。」襲人も恥じらいを含み、声を潜め笑って尋ねた。「あなた、どうして……」ここまで言うと、眼であたりを見回すと、また尋ねた。「これはどこで出たの。」宝玉はひたすら顔を赤らめるばかりで何も言わず、襲人はただ宝玉を見つめて微笑んでいたが、しばらくして、宝玉は夢の中のことを詳しく襲人に言って聞いてもらった。話が雲雨私情のことに及ぶと、襲人は恥ずかしくて顔を覆い身を伏して笑った。宝玉も素より襲人がしとやかでなまめかしく綺麗なのが好きで、遂に襲人を引っ張って警幻が教えたのと同じ行為に及んだのであった。襲人は賈のお婆様が曾て自分を宝玉に与えたことを知っており、また断ることもできないので、しばらくもじもじしていたが、どうすることもできず、宝玉と一回むつみ合うしかなかった。これより宝玉が襲人を見る眼は一層これまでとは異なり、襲人の宝玉へのお世話も益々励み尽くすようになったが、この話はしばし置く。

 さて栄国府の中を合計すると、上から下まで、三百人余りの人がおり、一日に十件、二十件の事件が起こり、もつれて筋道が立たぬようになり、対処する原則を作る糸口も見出せなかった。本当にどの事件をどの人物から書き出せばうまくいくのだろうか。ちょうどうまいことに突然千里の外から、ごく些細なことだが、ごく小さな一家が、栄国府の遠い親戚の関係であったため、この日ちょうど栄府に向けやって来た。それゆえこの一家のことから話を始めれば、ちょうど話の糸口になるだろう。

 実はこの小さな家は、姓を王、すなわち当地の人氏で、祖先もちょっとした都の役人をしたことがあり、曾ては鳳姉さん(鳳姐)の祖の王夫人の父と知り合いであった。王家が権勢を貪ったことで、同じ宗族としての付き合いが生じ、叔父、甥と認め合うようになった。当時、王夫人の兄である鳳姉さんの父親と王夫人が都での知己を通じてこの一族の遠い親戚を知っていたが、その他の者は誰も知らなかった。目下その祖先はとっくに故人となり、ただひとり息子が残され、名を王成といい、家業が左前となり、今は城外の郷村に引っ越して暮らしていた。王成も続いて亡くなり、幼名を狗兒という息子がおり、劉氏の女を娶り、幼名を板兒という子を生んだ。また娘を生み、名を青兒と言った。四人家族で、農業で生計を立てていた。狗兒は昼間は自分で働き生計を立て、劉氏も水汲みや米を搗くなどし、青兒、板兒の兄弟ふたりは、面倒を見てくれる者がいなかったので、狗兒は遂に姑(しゅうとめ)の劉婆さん(劉老老)を引き取り、ひとつ屋根で生活していた。

 この劉婆さんはすなわち老獪な未亡人であり、自分の生んだ息子もおらず、ただ二畝のやせた田畑を頼りに暮らしていた。今は娘婿が引き取って面倒を見てくれていたが、どうしてそれを望まないことがあろうか。遂に心をひとつにして、娘や娘婿を助けて生活をしていた。この年、秋が終わり冬に入り、天気が寒くなり、家中の冬の支度が終わらず、狗兒は心の中がいささかイライラし、何杯かやけ酒を飲んでは、家でイライラしていた。妻の劉氏は敢えて盾突くことはしなかった。このため劉婆さんは見かねて、こう言ってなだめた。「婿殿、あんた、わたしのおしゃべりに腹を立てなさんな。わたしたちは農家のもんだから、どの家も真面目に自分の飯茶碗の大きさを守って、食べれるだけの飯を食っているだよ。あんたは子供の頃、父さん母さんのお陰で、好き勝手に飲み食いさせてもらえたけど、今は金があると後先考えずに使ってしまい、金が無いとむやみに怒り出す。それで一人前の男と言えるかい。今わたしたちは都を離れて暮らしているが、それでも天子様のおひざ元であるのに違いはない。ここ「長安」城の中は、至る所銭が落ちてるだが、ただ残念ながら誰も取りに行けてないだけだよ。家で地団太踏んでいても意味がないよ。」狗兒はそれを聞いて言った。「あんたみたいな年寄りは、ただオンドルの上に座っていいかげんなことを言っているだけじゃないか。まさかおれに強盗をして来いとでも言うのかい。」劉婆さんは言った。「誰がおまえさんに強盗をして来いなんて言うもんかね。要は皆で方法を考えればいいのさ。そうでないと、どこの銀子が自分から我が家に飛んで来るものかね。」狗兒は冷ややかに笑って言った。「方法があるとしたら、やはり今を置いて無いだろう。おれには税金を収めているような親戚はいないし、役人をしている友人もいないが、いったいどんな方法を考えればいいんだ。たとえいたとしても、そいつらがおれたちの世話をしてくれる道理も無いじゃないか。」

 劉婆さんは言った。「それがそうでもないのさ。謀(はかりごと)をするは人にあり、事が成るかは天のみぞ知る、だよ。わたしたちが謀を決めたら、後は菩薩様のご加護に頼るまでで、少しでも機会があるかどうか、やってみないと分からない。わたしはもうおまえたちに替わってひとつ機会を思いついた。曾てあんたのとこは元々金陵の王家と同族のつきあいをしたことがあった。二十年前、あちらさんはあんたとこを親戚と認めていなさったのに、今じゃああんたとこがやせ我慢して、あちらさんと仲良くされんから、それから疎遠になってしもうた。思えばわたしと娘が一回伺ったことがあって、あちらの二番目のお嬢さんが、それは気持ちよくお世話してくれ、少しも偉そうになされなんだ。今は栄国府の賈の二番目の旦那様の奥様になられ、聞くところによると、今は年を取られて、ますます貧しい人に同情し老人をいたわるようになられ、また喜んで托鉢の坊さんにお布施をされるんだとか。今、王府は朝廷で昇進され、ひょっとすると二番目の旦那様の奥様がまだわたしたちのことを憶えてくださっておられるかもしれないのに、あんたはどうしてちょっと伺ってみようとされないんだい。ひょっとするとあちらさんはまだ昔のつきあいを憶えておられて、何か良いことがあるかもしれない。あちらさんがちょっとした親切心を起こしてくれさえすれば、産毛をほんの一本抜いてくれるだけでも、わたしたちの腰まわりよりまだ太いわい。」劉氏が続けて言った。「お母さんはいつも良いことを言われるが、わたしたちのこのようななりでは、どうしてあちらさんを訪ねて行けますかいの。ひょっとするとあちらのお屋敷の門番がちゃんと取り次いでくれないかもしれません。そうなったら無駄に恥を晒しに行くようなものですよ。」

 狗兒が名利を追い求めるに一途だとは誰知ろう、この話を聞いて、心の中で考えをめぐらせていたが、また彼の妻の話を聞いて、笑って言った。「母さんがそうおっしゃるし、まして以前おまえもその奥様に一度お目にかかったことがあるのだから、どうしておまえさんたちが明日一度あちらさんのところに行ってみて、先ず試しに様子を見て来ないのかね。」劉婆さんは言った。「あらまあ。だけどあちらのお屋敷は敷居が高すぎるわ。わたしがどんな者なの。あちらのお屋敷の方がわたしと分かっていただけなかったら、行っても無駄になるわ。」狗兒は言った。「大丈夫。おれに方法がある。あんたは板兒を連れて行って、先に奥様付の召使の周旦那を訪ねるんだ。周旦那に会えたら、脈ありだ。この周旦那というのが、昔おれの親父と交際があり、あの人とうちとはもともととても良い関係だったんだ。」劉婆さんは言った。「わたしも知っているよ。ただ長いこと往き来が無かったから、あの人が今どうされているか知っているのかい。それじゃあ話にならないよ。あんたは男で、そんななりじゃあ、行くわけにいかないね。うちの年若い嫁も、人様の前に顔を晒すわけにいかないから、やはりこの年寄りが身を捨て当たってみるしかないね。もし良い目が出たら、皆にも利益になるんだから。」その晩の相談はこうして定まった。

 翌日夜のまだ明けぬうちに、劉婆さんは起き出して身ごしらえし、また板兒に二言三言注意した。五つや六つの子供とて、都見物に連れて行ってくれると聞いて、嬉しさの余りなんでもはい、はい、と頷いた。それで劉婆さんは板兒を連れ、城門をくぐって寧府栄府が並ぶ通りにやって来た。栄国府のお屋敷の正門前の石の獅子の傍らに着くと、門前は駕籠や馬で一杯だった。劉婆さんは入って行く勇気がなかったので、衣服の土やほこりをはたくと、また板兒に二言三言小言をたれ、それから角門の前に歩み寄ると、何人か偉そうにふんぞり返り、あれこれ来訪者のあら捜しをする男たちが正門の前に座り、あれこれ話をしているのが見えた。劉婆さんは注意深く、内心びくびくしながら近寄って尋ねた。「兄さんたち、ごきげんよう。」男たちはしばらく値踏みしていたが、尋ねた。「どちらさんかね。」劉婆さんは作り笑いを浮かべて言った。「奥様のお付きの召使の周旦那にお目にかかりたいんです。兄さんたち、どなたかお取次ぎいただけませんか。」男たちは聞いていたが、皆相手にしてくれず、しばらくして、ようやくこう言った。「あんた、ずっと向こうのあの塀の角のところで待ってなさい。しばらくしたらあのお宅の人が出て来るよ。」男たちの中の年かさの男が言った。「わざわざあの旦那のことで間違ったことを言わなくてもいいじゃないか。」そして劉婆さんに言った。「周旦那は南の方へ行かれたんだ。あの人は後ろの方にお住まいで、あの家のお婆様がご在宅だ。あんた、こちろから回って、後ろの通りの門のところで尋ねればいいよ。」

 劉婆さんは礼を言って、板兒を連れて後ろの門に回ると、門のところでは物売りの担ぎ子が休んでいた。食べ物を売る者、おもちゃを売る者がいて、がやがや賑やかに三十人ほどの子供たちがそこにたむろしていた。劉婆さんはそれでそのうちひとりを引っ張ってきて尋ねた。「お兄ちゃん、ちょっと聞くけどね。周おばさんて方はご在宅かい。」その子供は腹を立て睨みながら言った。「どちらの周おばさんなの。ここには周おばさんは何人もいるんだ。何をしてる人だい。」劉婆さんは言った。「奥様のお付きの召使の方さ。」その子は言った。「だったら簡単だ。僕についておいで。」劉婆さんを連れて裏庭に入ると、ある家の塀のそばまで行って、指さしして言った。「ここがその人の家だよ。」そして大声で言った。「周おばさん、お婆さんが尋ねて来たよ。」




 周瑞の家内(周瑞家的)は中で急いで応対に出て来ると、尋ねた。「どちら様で。」劉婆さんはそれに対して笑って言った。「周のねえさん、お元気ですか。」周瑞の家内はしばらく考えてようやくそれと分かり、それから笑って言った。「劉のお婆様、ごきげんよう。どうされていたの、ここ数年お会いしていないものだから、忘れてしまいましたわ。どうぞ中でお座りください。」劉婆さんは、歩きながら笑って言った。「あんたはいつも「身分のお高い人はよく物忘れする」だからね。よくまだうちのことを憶えていたものね。」そう言っているうち、部屋に着き、周瑞の家の召使がお茶を淹れて一服をした。周瑞の家内はまた尋ねた。「板ちゃんはこんなに大きくなったのね。」また前回別れてからのよもやま話をしていたが、また劉婆さんに尋ねた。「今日は途中で寄られたの、それともわざわざ来られたの。」劉婆さんはそれで言った。「元々はちょっと姉さんの顔を見たいと思って来たんだよ。二つ目に奥様にご機嫌うかがいをしたくてね。もしわたしを連れて行ってもらってお会いできればそれが一番だけれど、だめなら姉さんの方からお伝えしてもらえばいいわ。」

 周瑞の家内はそう聞いて、ある程度来意を察した。彼女の夫は昔田地の購入を争い、狗兒の父親の助力を大いに受けたことがあり、今は劉婆さんのこのような有様を見て、心の中でむげに断るのは難しいと思った。また二つ目には自分の体面をひけらかしたいとも思った。それで笑って言った。「お婆さん、安心して。遠くからわざわざ誠心誠意来られたのに、どうしてあんたに本当の仏様にお会いいただかずにおけましょう。理屈から言うと、お客様が来られても、わたしとは関わり合いが無いのよ。このお屋敷では、皆それぞれ役割が決まっているの。男は春と秋の小作料の管理をして、閑な時は坊ちゃん方を連れての外出。わたしは奥様や大奥様と外出することだけ関わっているの。でもあんたは奥様の親戚だし、それにわたしを見込んで、うちに身を寄せて来られたのだから、わたしも慣例を破ってあんたのことをお伝えするわ。でもひとつ、あんたがご存じないことがあるの。このお屋敷は五年前と違って、今奥様は屋敷内の事務を差配しておられず、皆お子さんの璉様の奥様が取り仕切っておられるの。あんた、璉様の奥様ってどなただと思う。奥様の姪御さんで、お兄様の娘さん、幼名を鳳哥と言われるの。」

 劉婆さんはそれを聞いて、急いで尋ねた。「どなたかと思えばあのお方ですか。道理で、わたしも当時あの方は大したものだと思っていましたの。そうおっしゃるなら、わたし今日その方にもお目にかかれますか。」周瑞の家内は言った。「それはもちろん、今お客がいらしたら、必ず鳳様が接待の周旋をされますから、今日たとえ奥様にお会いできなくても、あの方に一目お会いされれば、今回来られたのも無駄にならずに済みますわ。」劉婆さんは言った。「南無阿弥陀仏。これも皆姉さんの便宜のお陰ですわい。」周瑞の家内は言った。「お婆さん、何をおっしゃいます。諺にも言うじゃないですか、「人に便宜をはかれば、自分にも具合が良い」と。でもわたしについて言えば、わたしが何ら関わることじゃありませんのよ。」そう言うと、若い召使を呼んで倒庁(母屋の北側の裏庭に面した付属の部屋)に行き、こっそり奥様の部屋に食事の支度がされたか聞いて来るよう言いつけた。若い召使が出て行った。

 ここでふたりはまたしばらく無駄話をした。劉婆さんはそれで言った。「この鳳お嬢様は、今年やっとまだ十八九に過ぎないのに、このように才能がおありになって、このようなお屋敷では、しかし得難い方ですね。」周瑞の家内はそれを聞くと言った。「ああ、お婆さん、あまり人様には申し上げられないことですわ。この鳳お嬢様は年はまだお若いのに、事務を処理することにかけては、他の誰より長けていらっしゃるの。今ようやくお年頃になられたばかりなのに、少なく見積もっても一万もの才覚をお持ちです。更に口も達者で、十人のよくしゃべる男でもあの方を言い負かすことなんてできません。あの方にお会いになれば分かります。ただひとつ、下の者に対してはやや厳しいかもしれませんわ。」話していると、若い召使が戻って来て言った。「奥様のお部屋に食事の支度ができています。若奥様は奥様のお部屋におられます。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、慌てて立ち上がると、劉婆さんをせきたてた。「早く行きましょう。この時間は食事を取られる間だけが空いていますから、わたしたち先に行って待っていましょう。もし一足遅れたら、用事のある方がたくさんいて、お話しするのが難しくなります。その後はお昼寝の時間になって、益々時間がなくなります。」そう言いながら、一緒にオンドルに座ると、身づくろいして、また板兒に二言三言教え諭し、周瑞の家内に付いて、くねくね曲がった通路を通り賈璉の家にやって来た。先ず倒庁に行き、周瑞の家内は劉婆さんをそこに待たせておいて、自分は先に影壁(目隠しの壁)を通って、門の中に入り、鳳姐がまだ出て来ていないと知ると、先に鳳姐の腹心の召使で、名を平兒と言うのを捜して来た。周瑞の家内は先ず劉婆さんの来歴を最初から説明すると、こう言った。「今日は遠方からご機嫌うかがいに来られました。昔は奥様がいつもお目にかかられていたので、わたしがこの方をお連れしました。奥様が出て来られましたら、わたしが詳しくご説明します。きっと奥様もお怒りになって後先無く振る舞われることはないと思います。」

 平兒はそれを聞いて、こう提案した。「その方たちに入っていただいて、先にここに座っていただいてくださればいいですわ。」周瑞の家内はそれでようやく出て行き、劉婆さんたちを連れて入って来た。母屋の階(きざはし)を上ると、若い召使が緋色の緞子のカーテンを開けてくれ、ようやく広間に入ることができた。部屋の中では良い香りが一斉に顔に降りかかった。何の香りかは分からなかったが、身体がまるで雲の端にいるかのような心地がした。部屋中の調度が皆輝いて眼に眩しく、そこにいると頭がぼうっとして眼がくらくらした。劉婆さんはこの時はひたすら頷いて舌打しながら念仏を唱えるばかりだった。そして東側の部屋に入ると、そこは賈璉の娘の寝室であった。平兒はオンドルの縁に立ち、劉婆さんを両眼で見つめて観察したが、挨拶をして座ってもらうしかなかった。劉婆さんは平兒を見ると、全身絹の衣服に、金銀の装飾品を身に着け、花や月のように綺麗な容貌であったので、この方が鳳お嬢様だと思い、若奥様と呼ぼうとしていると、周瑞の家内が「この方は平様です。」と言った。すると平兒が周瑞の家内をすかさず「周おばさん」と呼んだので、それでようやくこの人が地位のある召使だと分かった。それで劉婆さんと板兒をオンドルの上に座らせ、平兒と周瑞の家内はオンドルの縁に沿って対面に座り、若い召使たちがお茶を淹れて一服してもらった。

 劉婆さんはカタンカタンという音が聞こえ、小麦を篩にかけているようだったので、きょろきょろ見渡すと、ふと広間の中の柱の上に箱がひとつ掛けられ、箱の底から秤(はかり)の分銅のようなものがぶら下がり、絶えず止まらずに揺れ動いていたので、劉婆さんは心の中でこう思った。「これは何だろう。何をするものだろう。」思わずポカンとしていると、突然「ゴオン」という音が聞こえ、まるで釣鐘か銅磬(けい。吊り下げて撞木(しゅもく)で打ち鳴らす楽器)が鳴ったようで、びっくりして眼を見開いた。続いて連続でまた八九回鳴ったので、これが何か尋ねようとしていた時、若い召使たちが一斉に走って来て言った。「奥様がお出ましです。」平兒と周瑞の家内は急いで立ち上がり、言った。「お婆さん、座っていればいいんだよ。適当なタイミングで、わたしたちがお呼びするから。」そう言いながら、お出迎えに行った。

 劉婆さんは音を立てずに聞き耳をたてて黙って待っていると、遠くから人の笑い声が聞こえ、二十人近くの婦人たちが、スカートのすそをサラサラ擦りながら、次第に広間に入って来て、あちらの部屋の中に向かった。また二三人の婦人が、赤い塗料で塗られた蓋付きの箱を捧げ持ち、こちら側に入って来て控えた。あちら側で「料理を並べて」と言うのが聞こえると、だんだんと人がぱらぱらと出て行き、料理を持ち控えている何人かだけが残った。しばらくの間、物音ひとつしなかった。ふとふたりの人がオンドル用のテーブルを一台担いで来て、こちらのオンドルの上に置くと、テーブルの上にお碗や大皿を並べたが、どれも魚や肉が一杯に盛られていて、多少料理の内容が異なるだけであった。板兒は一目見るなり、肉が食べたいと叫んだが、劉婆さんが手のひらで板兒を叩いた。ふと周瑞の家内がにこにこしながらやって来て、手招きして劉婆さんを呼んだので、劉婆さんはそれと察し、板兒を連れてオンドルを降り、広間の真ん中に行くと、周瑞の家内がまた劉婆さんにちょっとささやくと、ようやくゆっくりとこちらの部屋の中に入って行った。

 入口の外の銅の掛け金には赤地に刺繍を施したカーテンが掛けられ、南側の窓の下はオンドルで、オンドルの上には赤い毛氈が敷かれ、東側の板壁に寄りかけ鎖模様の入った錦の座椅子と脇息が置かれ、金糸で織ってきらきらした座布団が敷かれ、その横には銀の痰壺が置かれていた。かの鳳姐は日常使いのクロテン(紫貂)の昭君套(髻(もとどり(まげ))の下を覆う帽子状の防寒を兼ねた飾り)を付け、真珠を金糸や銀糸で連ねた額と耳の覆い(勒子lēi zi)を巻き、桃色の地に刺繍を施した上着を着て、深い藍色のつづれ織りを施した鼠色の外套に、赤い舶来のシロリスの毛皮のスカートを身に着けていた。肌はおしろいで真っ白、唇には紅が艶っぽく塗られ、あちらにきちんと座り、手には小さな銅の火箸を持って、手炙りの中の灰をいじっていた。板兒はオンドルの端に沿って立ち、小さな填漆(てんしつ)の茶盆を捧げ持ち、盆には小さな蓋付きの茶碗を乗せていた。鳳姐はまだ茶をもらわず、俯いたまま、ずっと灰をいじりながら、ゆっくりと言った。「どうしてまだ入ってもらわないの。」そう言いながら、頭を上げて茶をもらおうとすると、周瑞の家内が既にふたりを連れて前の方に立っているのが見えたので、それでようやく急いで立ち上がろうとして、まだ立ち上がらないうちに、顔中笑みを浮かべてふたりに挨拶し、また周瑞の家内に対し、腹立たし気に「どうして早く言わないの」と言った。劉婆さんは既に床に座って何度か額をつけてお辞儀し、若奥様に挨拶をした。鳳姐は慌てて言った。「周姉さん、すぐ手をお取りしてお辞儀をやめて頂いて。わたしは年端もいかないもので、(礼儀作法を)あまりよく知りません。また(お婆さんが長幼の順序で)どの年代の方かも存じ上げないので、どうお呼びしたらよいか分からないのです。」周瑞の家内は急いで答えた。「この方が先ほど申し上げたお婆様です。」鳳姐は頷き、劉婆さんは既にオンドルの縁に座っていた。板兒は劉婆さんの背後に隠れ、手を尽くして出て来て挨拶するよう言っても、決して出て来ようとはしなかった。


 鳳姐は笑って言った。「親戚の方たちはあまり往き来されないので、皆疎遠になっています。知っている人たちは、あなたのところがわたしたちを嫌って相手にしないと言って、あまり来ようとしないのです。情況を知らない人たちは、わたしたちがその方たちを見下して相手にしていないと誤解されているようなのです。」劉婆さんはひたすら念仏を唱えて言った。「うちは暮らし向きが苦しく、(路銀が無く)出て来ることさえままならなかったのです。ここに出て来たのも、(手土産も持たずに来て)若奥様のお顔をつぶそうと思ったのではなく、お屋敷の皆さんにわざと貧乏を装っているように感じさせようとしたのでもありません。」鳳姐は笑って言った。「大丈夫、誰も気を悪くしていませんよ。でも(この家は)お爺様の名声に頼って、朝廷の役職を保っている貧しい役人に過ぎなくて、何様でも無いのですよ。見掛け倒しに過ぎません。ことわざにも言うじゃないですか、「どんな富貴な家にも貧しい親戚がいる」とね。ましてやお宅とうちの間柄じゃないですか。」そう言いながら、また周瑞の家内に尋ねた。「お母さまはもう戻られて。」周瑞の家内が言った。「奥様のご指示のままに。」鳳姐は言った。「ちょっと見て来ておくれ。もしお客様がおられたらそれでいい。もしお暇なようなら、戻って来て、どうおっしゃっているか教えておくれ。」周瑞の家内は「はい」と答えてそちらへ向かった。

 こちらでは鳳姐が人に言いつけて、お菓子を少し持って来させて板兒に与え、ちょうど二言三言世間話でもしようとしていると、いくつかの家族のお嫁さんや執事が取り次ぎを頼みに来た。平兒が戻って来たので、鳳姐は言った。「わたしは今お客のお相手をしているので、夜にまた来てちょうだい。もしお急ぎなら、あなたがここにお連れしてくれればすぐに対応するわ。」平兒は出て行って、しばらくして入って来て言った。「お尋ねましたら、急ぎの用件は無いです。あの方たちには戻るよう申し上げました。」鳳姐は頷いた。すると周瑞の家内が戻って来て、鳳姐に言った。「奥様は、「今日は時間が無い、若奥様がお相手しても同じことで、お心がけに感謝する。もしただ遊びに来られただけならそれでいい。何か話があるなら、若奥様に言ってもらえばそれでいい。」とおっしゃっていました。」劉婆さんは言った。「別に何もお話しすることは無いですよ。奥様や若奥様のお顔をちょっと拝みに伺っただけで、親戚のよしみですよ。」周瑞の家内が言った。「何も言うことが無ければそれでもいいのよ。もし話があるなら、若奥様に相談しさえすれば、奥様と同じことなのよ。」そう言いながら、目くばせした。

 劉婆さんは意を察して、言葉が出ないうちに先に顔を赤らめた。今言わなかったら、今日何のために来たのだろう。それで無理やり口を開かざるを得なかった。「今日初めてお目にかかって、元々言うまいと思っていたのですが、遠くからこちらさんに駆け込んで来た以上は、申し上げない訳にはいかないのです……」ここまで言った時、母屋の入口から小僧たちが入って来てこう言うのが聞こえた。「東府の若様がお越しになりました。」鳳姐は急いで劉婆さんに手を振って言った。「言う必要はありませんよ。」一方で尋ねた。「蓉叔父様はどちらにおられるの。」するとこちらに歩いて来る靴音が聞こえ、17、8歳の少年が入って来た。眉目秀麗で、体つきがスラッとし、綺麗な衣服に華やかな冠を付け、軽い皮の上着と宝石の飾りを身に着けていた。お婆さんはこの時、座るでもなく、立つでもなく、隠れように隠れるところがなく、身をかわそうにも、適当な場所が無かった。鳳姐は笑って言った。「お婆さんは座っていらっしゃって。この人はわたしの甥だから。」劉婆さんはもじもじとオンドルの縁に身体を斜めにして座った。

 かの賈蓉は挨拶を交わし、笑って言った。「わたしの親父からおばさんに頼むよう言われて来ました。この前叔父の奥さんがおばさんにくださったあのガラスのオンドル用の衝立ですが、明日大切なお客さんの接待があるので、ちょっと並べておきたいんです。すぐお返ししますから。」鳳姐は言った。「来られるのが遅かったですわ。昨日もう人にあげてしまったの。」賈蓉はそう聞いて、にこにこ笑ってオンドルの端に片膝をついて言った。「おばさんが貸してくれないなら、親父はわたしが人に頼み事もできないと言って、一発殴られてしまいます。おばさん、後生だから、わたしを可哀そうと思って。」鳳姐は笑って言った。「こちらにある王家のものは何でも上等だと思っていらっしゃるのではないわよね。あんたのとこにもあんな上等なものが置かれているのに、うちのものだけが良いと思わないでほしいわ。一目見るなり、持って帰ろうと思うなんて。」賈蓉は笑って言った。「どうかおばさん、お慈悲を施しください。」鳳姐は言った。「ちょっとでもぶつけて壊したら、あんた、ただでは済まないわよ。」そう言って平兒に命じて、玄関のところの鍵を持って来させ、何人か適当な人を呼んで担いで行かせようとした。賈蓉は喜んで相好を崩し、慌てて言った。「わたしが自分で人を連れて持って行きますよ。乱暴に扱ってぶつけさせないで。」そう言いながら、立ち上がって出て行った。

 この鳳姐はふとある用事を思い出し、窓の外に向かって大声で言った。「蓉ちゃん、戻って来て。」外にいた何人かがその声に次いで言った。「蓉旦那様、お戻りください。」賈蓉は急いで戻って来て、満面の笑顔で鳳姐を見つめながら、どんな用件か聞いた。かの鳳姐はただゆっくりと茶を飲むばかりで、しばらく神経を何かに集中し、黙っていたが、ふと顔を赤らめると、笑って言った。「もういいわ。あなた、先にお帰りになって。夕食後、あなたが来られたらまた言いますわ。今は人がいるから、わたしもその気にならないわ。」賈蓉は「はい」と答え、口をすぼめて笑い、それからしばらくしてゆっくりと退出した。

 この劉婆さんはようやく落ち着いたので、こう言った。「わたしが今日あなたの甥を連れて来たのは、他でもなく、この子の両親は食べるものも無く、季節も寒くなってきたものですから、仕方なく甥っ子を連れてこちらに駆け込んで来ざるを得なかったのです。」そう言いながら、板兒の肩を押して言った。「あんたの父さんは家でどうあんたに教えたの。わたしたちにこちらに来て何をするよう言ったの。お菓子を食べることばかり考えてちゃだめよ。」鳳姐はとっくに来意を察していたので、板兒が話ができないでいるのを見て、笑って言った。「言う必要ないわよ。分かっているから。」それで周瑞の家内に尋ねて言った。「このお婆さんは朝ごはんは食べられたの。」劉婆さんは急いで言った。「朝一番でこちらに伺ったので、飯を食ってる時間もありませなんだ。」鳳姐はそれで「すぐに食事をお持ちして。」と命じた。

 しばらくして周瑞の家内はお客をもてなす料理を一卓運ばせて、東の部屋に並べさせ、こちらに戻ると劉婆さんと板兒を連れて行って食べさせた。鳳姐はこちらで言った。「周姉さんがちゃんとお世話をしてあげてね。わたしは付いてあげられないから。」一方でまた周瑞の家内を呼んで近くに来させて尋ねた。「先ほど奥様のところから戻って来られたけど、奥様はどうおっしゃっていたの。」周瑞の家内は言った。「奥様はこうおっしゃっていました。「あの人たちは元々同じ一族ではありません。曾て、あの人たちのご祖先と大爺様が同じ役所に勤めておられたので、同族のよしみを結んだのです。ここ数年はあまり往き来がありませんでした。当時はあの方たちが来られるのは、必ず何か用事があってのことでした。今私たちに会いに来られたのも、あちらさんの善意ですから、失礼があってはいけません。どう申し上げるかは、若奥様が決められればよろしいです。」」鳳姐はそれを聞いて言った。「道理で同じ一族と言いながら、わたしが見たことも聞いたことも無い訳だね。」

 このように話している間に、劉婆さんは既に食事を食べ終え、板兒を連れてやって来て、舌なめずりしながらお礼を言った。鳳姐は笑って言った。「ちょっとお座りになって。わたしが言うことをお聞きになって。先ほど言われたご用件、了解しました。親戚のよしみで言えば、元々尋ねて来られるのを待たずに応対するのが筋ですが、ただ今は家の中でやらないといけないことが多過ぎて、奥様もお歳をめされ、すぐには想いが廻(めぐ)らないこともあるのです。わたしは今家のことを引継ぎましたが、こうした親戚関係のことはあまり存じ上げないし、ましてや表面的にはとてもにぎやかに見えても、大きな家にはもた違った難しさがあって、それを人に言ってもなかなか信じてもらえないのです。お婆さんは遠くからお越しになり、またいの一番にわたしのところに尋ねて来られたのに、どうして手ぶらでお帰しできるでしょうか。ちょうど昨日奥様がうちの召使たちに衣裳を作るのにくださった二十両の銀子がまだ手つかずです。少なくて申し訳ないのですが、とりあえず持ち帰って使ってください。」

 かの劉婆さんは先ほど自分たちが生活が困窮していると話したが、助けてもらえる希望が無いと思っていたところ、二十両の銀子をいただけると聞き、嬉しくて相好を崩して言った。「うちでもそちら様がご苦労されているとは伺っておりましたが、ただ諺にも「痩せ死にした駱駝でも馬より大きい」と申しますわな。どう比べても、おたくが抜いた産毛一本だって、うちらの腰回りよりまだ太いですからの。」周瑞の家内は傍で聞いても婆さんの言が粗野なものだから、ひたすら目くばせして婆さんが言うのを止めさせた。鳳姐は笑って気にもかけず、平兒に昨日のあの銀子の包みを持って来させ、更にひとさしの銅銭を取り出し、それらを皆劉婆さんのそばに持って行ってやった。鳳姐は言った。「これが二十両の銀子です。とりあえずこの子に冬の衣服でも作ってやってください。後日何もなければ、こちらに都見物にいらしていただければ、それでこそ親戚どおしと言うものです。今日はもう時間も遅いので、無駄にあなたがたをお引止めしません。お家に戻られたら、皆さんによろしくお伝えください。」そう言いながら、立ち上がった。

 劉婆さんはただひたすら恩義を感じて感謝し、銀子と銅銭を手に、周瑞の家内と一緒に家の外に出た。周瑞の家内は言った。「おやまあ、あなたはどうしてあの方にお会いしてもちゃんと話を申し上げなかったの。口を開けば「あなたの甥」だなんて。たとえ実の甥だって、話をするときはことばに注意して、もう少し優しく言わないと。あの蓉旦那様こそあの方の甥御さんなのに、あんたはどうして「あなたの甥」なんて無茶な言い方をしたの。」劉婆さんは笑って言った。「姉さん。わたしはあの方にお会いして、内心あの方が好きでたまらなくなったのだけど、その気持ちがことばで表せなくなったのよ。」ふたりは話しながら、また周瑞の家に戻ってしばらく座っていたが、劉婆さんは銀子を一個周瑞の家内に渡し、周家の子供たちにお菓子を買って食べさせるよう言ったが、周瑞の家内はそんなものは眼中に無く、決して受け取ろうとしなかった。劉婆さんはどんなに感謝してもし尽くせなかったが、また屋敷の裏門から帰って行った。劉婆さんが帰った後にどうなったか、次回で解き明かします。

 以上で第六回は終了。今回鳳姐が劉婆さんにかけた恩により、あとあと鳳姐の娘がお返しで助けられるということが第五回に書かれていましたが、それはまた後のお話。この後、物語がどのように展開するかは、第七回のお楽しみです。
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『紅楼夢』第五回(その2)

2025年01月29日 | 紅楼夢
 第五回の前半で、警幻仙女から、宝玉や賈家一族に関わる女性たちの運命の一端を予言する帳簿を見せられた宝玉。警幻仙女から途中で止められ、この後何が起こるのでしょうか。第五回の後半の始まりです。

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 宝玉はぼうっとして、思わず知らず帳簿を投げ出し、また警幻に随い後ろの方にやって来た。しかし彫刻した梁、彩色した棟、真珠を連ねたすだれ、刺繍した帷、仙花が馥郁と香り、見たことのない草が香りたち、真にすばらしい場所であった。正に、

光は朱の扉や金を敷いた床に揺らめき、
雪は珠の窓、玉で作った宮殿を照らす。

また警幻が笑って言うのが聞こえた。「おまえたち、早く出て来てお客様をお出迎えなさい。」ことばが終わらぬうち、部屋の中に何人かの仙女たちが出て来た。蓮の葉のようなスカートのたもとがひらひらと揺れ、羽毛で編んだ衣服が空中を軽々と舞い、春の花のようになまめかしく、秋の月のようにあでやかであった。宝玉を見て、皆警幻を怨んで言った。「わたしたち、どちらの「賓客」がお越しになったか知らず、慌ててお出迎えしたんですよ。お姉さまは今日この時きっと絳珠ちゃんの魂が遊びに来ると言ったじゃないですか。だからわたしたちずっと待っていたんです。どうしてこんな汚らしい物を連れて来て、清らかな女子の世界を汚すんですか。」

 宝玉はこんなことを言われて、びっくりして後ずさりしようにもそれもできず、その結果自分がたまらなく不潔なものに思えた。警幻は慌てて宝玉の手を携え、仙女たちに向かって笑って言った。「おまえたちはいきさつを知らないんですよ。今日は元々栄国府に行って絳珠(こうじゅ。林黛玉は「絳珠仙草」の生まれ変わり)を連れて来るつもりだったのだけど、ちょうど寧国府を通った時に、たまたま寧栄二公の霊に出逢ったところ、わたしにこう頼まれました。「わたしの家は今の王朝が都を定められて以来、功名を代々上げ、富貴の家柄となり、既に百年続いてきましたが、如何せん遂に命数も尽き、挽回することができません。我らの子孫は多いとはいえ、結局家業を継ぐことのできる者がおりません。ただひとり嫡孫の宝玉は、天性がつむじ曲がりで、感情の持ち方がでたらめで、聡明で頭の回転が速いので、多少望みもあるのですが、如何せん我が家の運数は終わりを迎えているので、おそらく誰も規範通り正しく導いてやることはできないでしょう。幸い仙女様が来られたので、先ずは情欲や女色といった事でその愚かさを注意し、できればあの者を人を惑わす枠組みから抜け出させて、正しい道に入らせることができれば、我ら兄弟の幸せです。」こんなことを頼まれたものだから、慈悲の気持ちに駆られて、あの子をここに連れて来たのですよ。先ずあの子の家の上中下三等の女子の一生の帳簿を、詳しく見せたけれど、まだ悟れていない。だからここに連れて来て、様々な美食、美酒、音楽、女色の幻影を遍歴させれば、或いはやがて悟ることがあるかもしれません。」

 言い終わると、宝玉を連れて部屋に入った。少し幽玄な香りがしたが、何からそのような匂いが出ているか分からなかった。宝玉は思わず尋ねずにはおれないでいると、警幻は冷ややかに笑って言った。「この香りは浮世には無いもので、あなたがどうして分かるものですか。これはあちこちの名山や景勝地で初めて奇異な草花の精が生まれると、いろいろな宝林珠樹の油を合わせて作り、名を「群芳髄」と言いいます。」宝玉はそう聞いて、羨ましく思った。そして皆が席につくと、召使が茶を捧げ持って来たが、宝玉は香りが清々しく美味だと感じ、普通の茶と全く違うので、何という銘茶か尋ねた。警幻は言った。「この茶は放春山の遣香洞で出たもので、また仙花の霊葉の上に夜間溜まった露で沸かしたもので、名を「千紅一窟」と言います。」宝玉はそれを聞いて、頷いて称賛した。部屋の中には瑶琴、宝鼎、古画、新詩と、何でもあった。更に喜ばしいことに窓の下には針仕事中に吐き出した絹糸が落ちていて、化粧用品を入れる鏡箱の中にはいつも白粉や紅がこびりついていた。壁には一副の対聯が掛けられ、こう書かれていた。

幽微霊秀(人跡稀で浮世の塵も届かない)の土地、
如何ともすべからざる天命

宝玉はそれを見ると、それぞれ仙女に名前を尋ねた。ひとりは痴夢仙姑、ひとりは鐘情大士、ひとりは引愁金女、ひとりは度恨菩提と言い、各々道号は異なっていた。しばらくして子供の召使が来て、テーブルや椅子を用意し、酒や料理を並べた。まさに、

瓊漿(美酒)は玻璃(ガラス)の杯に満ち、
玉液(きらきらした液体)を琥珀の杯に一杯に注ぐ。

宝玉はこの酒の芳香や清涼さが際立っていたので、また尋ねずにはおれないでいると、警幻は言った。「この酒は百花の蕤(ずい)、万木の汁に、麒麟の骨髄と鳳の乳を加えて醸造し、それで名を「万艶同杯」と言います。」宝玉は称賛して已まなかった。


 酒を飲んでいる間、また十二人の踊り子が舞台に上がり、どの曲を演ずるか尋ねた。警幻は言った。「それでは新しく作った「紅楼夢」十二曲を演奏してください。」踊り子たちは「はい」と答えると、拍子木を軽く叩き、銀筝にゆっくりと手を当て、聞こえてきた歌詞は、

  始まりは混沌とし……

ようやく一句歌ったばかりの時に、警幻は言った。「この曲は浮世で流布している芝居の曲が、必ず生旦浄末といった役柄の決まりがあり、また南北九宮の音階の区別があるのとは違い、ある人物を詠嘆したり、ある事象を感懐したりしているうち、たまたまひとつの楽曲ができ、それに管弦の楽譜を付けたものです。もし当事者でなければ、その中身の妙は分かりません。おそらくあなたもこの調べを深く理解できないでしょうから、もし先にその原稿を読んでおいて、その後にその曲を聞くようにしないと、訳が分からず、却って蝋を噛むように味気ないものになってしまうでしょう。」そう言うと、振り返って子供の召使に命じて『紅楼夢』の原稿を持って来させ、宝玉に手渡した。宝玉はそれを受け取ると、目でその文を追いながら、その歌に耳を傾けた。

                                    
                            〔紅楼夢第一曲〕

  天地開闢より、誰が天性の痴情の人であろうか。実は皆男女の情愛に溺れているだけなのだ。
天命は如何ともし難い、悲しみに暮れる日々、ひとり寂しく過ごす時、試みに心の中の情感を述べてみよう。こういう訳で、この金(賈宝玉)を悲しみ玉(林黛玉)を悼む「紅楼夢」を演じるのだ。

        〔終身誤〕

  皆語るは金玉の良縁、わたしはただ木(林黛玉の前生は絳珠仙草)石(賈宝玉の前生は女媧氏が天を繕う時に余った石)の前世の盟約を思うだけである。(宝玉と宝釵は結婚してひとつ屋根の下で暮らすも)互いに気持ちが通じ合わず。(宝釵の)人柄は高尚、皮膚はすべすべしっとり。
でも遂に忘れられぬは絳珠仙草(黛玉)、彼女はひとり寂しく亡くなった。人間社会はよりすばらしく円満なことが欠けているとようやく知った。たとえ(宝釵と)互いに敬い合って暮らしても、結局心の底では (黛玉への)深い思いが忘れられぬ。

       〔枉凝眉〕

  ひとつは閬苑(仙界)の仙葩(草花)、ひとつは傷の無い美玉。たとえ奇縁など無いと言っても、この人生できっと彼女とめぐり合うことができるだろう。もし奇縁が有ると言うなら、どうしてふたりの気持ちを最後まで修復できなかったのか。ただため息をつくばかり、どんなに気にかけても無駄である。水中の月を見ても、鏡の中の花を見ても、いったい眼の中にどれだけ涙の粒があるのだろう。秋から冬になり、春から夏になり、どうやって我慢を続けていけるだろう。


 さて宝玉はこの曲を聞いても、まとまりが無くでたらめで、良いところが見られなかったが、その声や調べはやわらかく悲し気で、魂を奪われ、酔いしれさせられた。それでそのいきさつは問わず、その来歴も追求せず、しばしこれを以てうさを晴らしただけであった。それでまた続きを見た。

       〔恨無常〕

  喜ぶべき栄華は正に好し、恨むべき無常はまた到る。眼を開けると、万事が全てほうり投げられた。ゆらゆら揺れながら、(元春の)霊魂は消えて無くなる。故郷を望むも、道は遠く山は高い。
それゆえ父母に夢の中でこう頼んだ。わたしの命は既に黄泉に入りました。
父さん母さん、どうか(賈家がまだ豊かなうちに)早く官から身を引いてください。


       〔分骨肉〕

  (探春は)船に乗り風雨を受けはるばる他郷に嫁ぎ、骨肉の情も養われた家庭も、全て捨て去った。彼女は自分が泣いて年老いた家族の健康を損ねることを恐れた。父母には、娘のことを心配するなと言った。昔から、人生の困窮や栄達は皆予め定まっていて、人生の別れや再会も皆わけのあることだ。これよりふたつの地に分かれ分かれになるから、各々平安を保ちましょう。わたしがここを去っても、心配しないで。

        〔楽中悲〕

  (史湘雲は)襁褓(むつき)の中で、ああ、父母は共に亡くなった。よしんば富貴な者の中に居るとも、甘やかし育てられたと誰か知る。幸い生来、英雄豪傑のように度量が広く、個人の私情にとらわれることがなかった。ちょうど、雨後の月が宮殿を明るく照らすようであった。才能も容貌も優れた青年と結ばれ、末永く共に暮らすことで、幼い時に経験した不遇や不幸の埋め合わせをしたいと願った。しかし結局のところ、夫に先立たれ、不幸な境遇に陥った。浮世では、ものごとの盛衰は自然の規律であり、どうしていたずらに悲しむ必要があろうか。


                     〔世難容〕

  (妙玉は)気質の美しさは蘭の如し、才気は仙女のように溢れている。天性つむじ曲がりで、人とは異なる。このような人は稀である。肉を食べると生臭いにおいがし、華麗な絹の衣服は俗っぽくて嫌だと思っても、あまりに優秀な人は嫉妬されるし、あまりに潔癖だと人に嫌われる。嘆くべし、古い寺院の中でひとり老い、青春の年月を無駄にしてしまった。挙句の果て、相変わらず世間の汚い混沌とした状況を経て、遂には自分の理想とは異なる生活しか送れなかった。正に、傷の無い白玉が泥の中にはまってしまったようなものだ。それでも名門貴族の子弟と縁が無いと嘆いても無駄である。

       〔喜冤家〕

  中山の狼(迎春の夫、孫紹祖)は、情無き獣。当時のいきさつなど全く眼中に無い。ひたすら傲慢、奢侈、淫蕩を貪る結婚生活。見染められたのは、高官の家の綺麗な娘はカワヤナギのようにか弱い身体、いたぶられ、朝廷の高官の千金もどぶに捨てられたようなもの。美人のりっぱな霊魂も、一年で波間に漂うように消え失せてしまった。

       〔虚花悟〕

  かの三春(元春、迎春、探春)のことは分かったが、(惜春の)栄華富貴はこの後どうなったのか。浮世の賑やかさに幻滅し、清らかで静かなところで、身を修め精神を涵養したのであった。
天上の桃の花が満開だとか、雲中の杏子の花が盛りだと言ってどうなる。とどのつまり、誰が人生の試練にに耐えて終わりを全うすることができるのか。しからば見るがいい。墓場で人は悲しみ嗚咽し、墓場に植わる楓の木の下では死人の魂がうごめいている。そのうえ、次々枯れた枯草で墳墓が覆われてしまう。これはつまり、昨日貧しかった者が今日は金持ちになりと、人生はせわしなく変化する。春に花が咲いても秋には散り落ち、生命は花のように試練を経るものだ。このように、生死の運命を誰も避けることはできない。聞くならく、西方に生える宝樹は枯れ木に活力を呼び覚まさせ、長生果を実らせるとか。

       〔聡明累〕

  (王熙鳳は)苦心惨憺して家を切り盛りしたが、却って自分の命を犠牲にした。生前は気苦労で心が乱れ、死後は彼女の苦心も無駄になり、一切が無に帰してしまった。家の豊かさも、人口の安寧も、最後は壊れ果て、一家散り散りに離散してしまった。半生を無駄にはらはらどきどきと神経をすり減らし、まるで波間に絶えず漂うはかない夢のような人生であった。まるで高楼がミシミシ音を立てて崩れ、ぼんやりと灯が消え去ったかのようであった。ああ、一場の喜びも忽然と悲しみに変わってしまう。人の世の禍福は予想し難いことを嘆くのである。

       〔留余慶〕

   残りものに福有り、残りものに福有り 、ふと恩人に出逢う。わたしの娘(賈巧)のおかげだ、
わたしの娘のおかげだ、功徳を積めば、後代に良い報いがある。人生への教訓、困った境遇の人を見たら、救い助けなさい。あの守銭奴のような、肉親の情愛を忘れた人間(母方の叔父の王仁、いとこの賈環)になってはいけない。まさに善には善の、悪には悪の報いがあり、上には蒼天が広がっている。

       〔晩韶華〕

  (李紈と賈珠の間の)夫婦の情愛は、鏡の中の花や月のように茫漠とし、更に(李紈と息子の賈蘭が)追求する功名や利益は夢幻のように非現実的なものだ。あのすばらしい時間の過ぎ去ることの何と速いことよ。再び絹の刺繍の帷(とばり)や対になった鴛鴦の掛け布団のことを言うのを止めよ。たとえ真珠の冠を被り、鳳凰の刺繍の上着を着る栄華や富貴に浴しても、生命の予知できない変化や無常な運命に抗(あらが)うことはできない。人生は老年になってから貧困で苦しむことのないよう、功徳を積んで子孫に幸福をもたらせとは言うけれど。意気軒高として、頭には高官を示す冠を被り、胸には金印を下げ、赫々とした地位にあり、爵位や俸禄は高く昇っても、最後は死んで黄泉への道を行くのを免れることはできない。古来の将軍や宰相でまだ存命の者はいるか。彼らが残したのは虚名に過ぎず、それを後代の人が尊敬しているだけである。

       〔好事終〕

  華美なる屋根の梁の上の繁華な春も過ぎ去り、花びらも風でひらひら舞い落ち、塵や埃に変わってしまった。(秦可卿は)セックスアピールが上手で、月のように輝く容貌を持っていたが、そのため家を滅ぼす原因となってしまった。先祖からの家業が衰えたのは皆賈敬の責任で、寧国府が衰退し、これが最終賈家が滅びる原因となった。全ての禍の根はよこしまな情感による。

       〔飛鳥各投林〕

  役人の一家の家業は衰退し、富貴なる一家の金銀は使い尽くされた。他人に恩恵を施した者は、危難の中で幸運にも死を免れ、情や義を果たさなかった者は、最後はそれぞれ当然の報いを受けることとなった。命の債務を欠いた者の運命は、既に償われ、涙の債務を欠いた者も、涙を流し尽くしてしまった。恨みは必ず報いを受けると言っても軽々しく報復すべきでなく、別れと再会は前世で定められたものである。ある人の寿命が短い原因を知ろうと思えば、前世の因果を聞かねばならない。(李紈が)歳をとってから富貴を手に入れたのは確かに本当に僥倖だ。浮世に嫌気がさした人は、最後に仏門に逃げ入ることを選び、間違った考えに固執し悟らない人は、最後に命の代価を支払う。(人々が名声や利益を争った後、最後には)鳥たちが食べ物を食べ尽くすと、四散して林の中に飛んで行くように、見渡す限り真っ白な原野のように、後には何も残らなかった。


 歌が終わったが、まだ繰り返しのメロディーがあった。警幻は宝玉が何ら興味が無さそうに見えたので、ため息をついた。「おばかさんはまだ悟っていないのね。」かの宝玉は慌てて歌姫にもう歌わなくていいと止めて、自分では意識がぼんやり朦朧としてきて、酒に酔ったので横になりたいと言った。警幻は宴席の残りを取りやめるよう命じ、宝玉を香閨繍閣に連れて行った。この部屋の調度品の配置の豪華なことと言ったら、これまで見たことのないものであった。もっと驚くことには、とっくにひとりの仙女が中におり、そのあでやかで美しい様子は、宝釵にそっくりであった。しなやかで風雅な様子は、また 黛玉のようであった。ちょうどそれがどういう意味か分からないでいると、ふと警幻がこう言うのが見えた。「浮世の多くの金持ちの家では、緑色の寒冷紗(かんれいしゃ)が貼られた窓から見える月や風景、閨房から見える霞や霧も、皆絹のズボンを履いた殿方たちや姫君たちの淫らな行為で汚され、家の名声も辱められました。更に恨めしいことは、昔から軽薄で勝手気ままな行いをする人たちは皆、「色を好んでも淫らではない」だとか、「情はあるが淫らでない」とか言いますが、これらは皆間違いや醜悪な行為をごまかしているだけなのです。色を好むのは淫らであり、情を知るのはもっと淫らなことなのです。「巫山之会、雲雨之歓」(男女の間で歓合する行為のこと)というのは、皆その色を悦び、復たその情を恋することに由るのです。わたしがあなたを愛するのは、すなわち天下古今第一の淫人であるからです。」

 宝玉はそう聞くと、びっくりして慌てて答えて言った。「仙女様、違います。わたしがものぐさで読書を怠けるので、家では父母がいつも訓戒、叱責しますが、どうして敢えてまた「淫」の字がつくようなことを冒しましょうや。まして年齢もまだ幼く、「淫」がどのようなことかも知りません。」警幻は言った。「違います。淫とはひとつの道理ですが、その意味は別にあります。世の淫を好む者の如きは、容貌を悦び、歌舞を喜び、人を笑わせることを厭わず、いつも性行為のことばかり考え、天下の美女と束の間の快楽を供することができないことを恨むのです。こうした行為は皮相的な淫蕩と見做され、愚かな行いであるに過ぎません。もしあなたが天分として痴情を生み出しているなら、われらはそれを「意淫」と考える。ただ「意淫」の二字だけが、心で会得できても言葉で伝えることのできない、精神では通じることができるが、言葉では伝達できないものなのです。あなたは今、独りこの二字を会得し、閨閣の中では良き友となることができましたが、世の中では現実離れした怪しい者と見られるを免れず、人々に嘲笑され、人々から怒りの眼差しで見られるのです。今既にあなたの祖先の寧、栄二公が胸襟を開いて心から頼まれたからには、わたしはあなたひとりが我が閨閣では誉れを高めても、人の世では捨て置かれるのが忍びないゆえ、あなたをこちらにお連れしました。美酒に酔い、仙茗(茶)が染み通り、妙なる曲で警鐘を鳴らし、更にわたしの妹で、幼名を兼美、字を可卿(賈蓉の妻の秦可卿)という者をあなたに添わせましょう。今宵は時が良いので、契りを結ぶことができます。けれどもあなたがこの仙閨幻境の風景を相変わらずこのように味わっていたら、まして浮世の情景はどう見えるでしょうか。今後は、くれぐれもご注意なさい。これまでの情況を悔い改め、孔子孟子の説く道に留意し、身を経世済民の道の推進に委ねなさい。」言い終わると、密かに「雲雨」(男女の夜の営み)の事を授け、宝玉を部屋の中に招じ入れると、扉を自ら閉ざした。

 かの宝玉はぼうっとして、警幻の言いつけに随い、男女のことをせざるを得なくなり、また尽く述べるのもきまりが悪かった。翌日になるまで、ふたりの気持ちはぴったり合い、やさしいことばをかけ合い、可卿とは離れ難くなった。このためふたりが手に手を取って遊びに行くと、ふとある場所に着いたのだが、荊(いばら)があたり一面に生え、狼や虎がつきまとい、真っ黒な渓谷が行く手を阻み、通るべき橋も架かっていなかった。そこで躊躇していると、ふと警幻が後ろから追いかけて来て、こう言った。「それ以上先に行ってはだめだ。早く帰っておいで。」宝玉は急いで歩みを止めて尋ねた。「ここはどこなんですか。」警幻が言った。「ここがすなわち迷津の渡しで、深さが万丈もあり、遠く千里も隔たり、中は舟も通わず、ただ木の筏が一艘きり、すなわち「木居 mù jū 士」(「謀局」móu jú に通じ、策略家)が舵を執り、灰侍 huī shì 者(「会詩」huì shī に通じ、学問ができる人)が竿を支え、金銀の謝礼を受け取らず、たまたま縁有る者が来れば渡してくれるのです。あなたは今たまたまここまで来て、もしこの中に落ちてしまうようなことがあったら、わたしがこれまで諄々と戒めてきたことばの意味を深く悟ることになるでしょう。」話がまだ終わらないうちに、迷津の中で雷鳴が響くのが聞こえ、たくさんの妖怪変化が、宝玉を引きずり降ろそうとし、驚いた宝玉から冷や汗が雨のように滴り落ち、一方で思わず大声で叫んだ。「可卿、僕を助けて。」驚いた襲人や召使たちが宝玉を抱きしめ、叫んだ。「宝玉様、大丈夫ですよ。わたしたちはここにいます。」

 さて、秦氏はちょうど部屋の外で子供の召使に猫や犬たちが喧嘩をしないよう、ちゃんと見ているよう言いつけていたが、突然宝玉が寝言で彼女の幼名を呼んでいるのが聞こえたので、不思議に思って言った。「わたしの幼名はここでは誰も知らないはず。あの方はどこで知って、寝言で呼んだのかしら。」果たしてそれはどうした理由によるものか、次回に解き明かします。


 これで第五回は終了。宝玉の周りの女性たちの運命が予め語られ、宝玉は警幻仙女から性の手ほどきを受け、男女の秘め事を知るようになります。そして夢の中では賈蓉の妻の秦氏と契りを交わすこととなります。さて、この後どのような展開が待っているのか、次回をお楽しみに。
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『紅楼夢』第五回(その1)

2025年01月25日 | 紅楼夢
 賈家の親戚である薛家のドラ息子、薛蟠が起こした殺人事件は、なんとか解決し、薛蟠とその母親である薛姨媽(賈政の妻である王夫人の妹)は、栄国府の敷地内の北東にある梨香院で暮らすことになりました。続いて何が起こるのか。紅楼夢第五回のはじまりです。

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賈宝玉は太虚境に神遊し、
警幻は仙曲もて紅楼夢を演ず

 第四回の中で、薛家の母子が栄国府の中に身を寄せ暮らすといった事のあらましは既に述べたので、この回ではしばし書かないで良いだろう。今、林黛玉は栄国府にて、一に賈のお婆様が非常にいとおしみ、寝食起居何れも、宝玉と全く同じで、かの迎春、探春、惜春の三人の孫娘を後回しにした。そして宝玉と黛玉二人の親密さ、友情も他の人々とは異なった。昼間は一緒に行動し、夜は一緒に休み、真に意気投合していること、お互い分かち難い様子であった。しかし思いがけず、今突然に薛宝釵がやって来た。歳は多少上だが、品行方正で、容貌は美しく、人々は皆黛玉は宝釵に及ばないと言った。かの宝釵は行動が闊達で、臨機応変に対応でき、黛玉のようにひとり孤高を保ち、視線を下々の方に向けないというようなことはなかったので、深く人々の心を捕えた。それで召使の女たちも、多くは宝釵に親近感を持った。このため黛玉は心の中で義憤を感じていた。宝釵はしかし少しもそれを察していなかった。

 かの宝玉もまだ幼少で、まして彼は天性で備えた資質として、愚かで無知で、兄弟姉妹皆同じに思い、親疎遠近の区別が無かった。今黛玉とは一緒に賈のお婆様の部屋にいたので、多少他の姉妹に比べて手慣れていた。手慣れていたからには、より親密に感じていた。親密であったから、多少は思いがけない誤解が生じるのも致し方なく、懸命に名誉を守ろうと思うも、却って中傷を受けてしまうものだ。この日理由は分からないが、ふたりは話しているうちに少し言い合いをしてしまい、黛玉はまた部屋の中でひとり涙を流し、宝玉も意見が衝突してしまったことを自ら悔やみ、黛玉のところへ行って謝り、黛玉は次第に機嫌を直した。

 東側の寧国府の花園の中の梅の花が満開であったので、賈珍の妻の尤氏は酒菜を準備し、賈のお婆様、邢夫人、王夫人らを招いて花見をした。この日は先ず賈蓉夫妻が来て、ご挨拶をした。 賈のお婆様らは朝食後に来られ、会芳園で梅を鑑賞し、先に茶が出て、その後酒になった。とはいえ、寧栄両府の身内の宴会であり、別段特記すべき新たな趣向も無かった。


 しばらくして宝玉は疲れて、ちょっと昼寝がしたくなった。賈のお婆様は人に命じ、休憩に行ってまた戻って来るよう言った。賈蓉の妻の秦氏はすぐに笑って言った。「わたしたち、ここには宝叔父様のため片付けた部屋があるんですよ。お婆様、ご安心ください。わたしにお任せくだされば、大丈夫です。」それで宝玉の乳母や召使たちに言った。「おばあさん、お姉さん方、宝叔父様にわたしのところに来ていただいて。」賈のお婆様は日ごろから秦氏がたいへん穏当な人であるのを知っていた。というのも、彼女は容姿が上品で愛らしく、行動はおとなしく穏和であり、孫たちの嫁の中で一番のお気に入りであったので、彼女が宝玉を置いてくれるのであれば、自然と安心できるのであった。

 すぐさま秦氏は何人もの人を連れて客間の奥の寝室に向かった。宝玉は上に一幅の絵が掛かっているのを見上げた。描かれた人物はもとより良かったのだが、その物語は『燃藜図』(ねんれいず。漢の成帝の末年、劉向が天禄閣で書物の校正をしていると、夜中に黄色い服を着、青藜の杖をついた老人が楼閣に登って来た。老人が杖の端を吹くと藜(あかざ)が燃え出し、部屋を照らしたので、劉向は引き続き校正を続けることができた。人々に勤学を勧める物語。)であったので、宝玉は内心愉快ではなかった。また一副の対聯があり、こう書かれていた。

世事が洞明(見通せる)なのは皆学問、
人情の練達なるは即ち文章。

 宝玉はこの二句を見るに及び、部屋はきれいで、部屋の調度の配置は華麗であったけれども、断じてここにいるを肯(がえん)ぜず、慌てて言った。「早くここから出ようよ、出ようよ。」秦氏はそれを聞くと笑って言った。「ここが嫌だったら、どこへ行きましょうか。それならわたしの部屋に行きましょう。」宝玉が頷き微笑むと、ひとりの乳母が言った。「叔父がおいの嫁の部屋に行って眠るなんて、どこにそんな礼儀がありますか。」秦氏は笑って言った。「あの子のことで悩んでも仕方が無いわ。あの子は幾つになったら、こうしたことが忌むべきだと分かるのかしら。先月、うちの弟が来たのを、あなた、ご覧にならなかった?宝玉叔父様とは同い歳だけど、ふたりが一緒にいると、どちらが年上か分からないわ。」宝玉は言った。「ぼく、どうしてあの子に会ったことがないのだろう。あの子を連れて来て、僕に会わせてよ。」周りの人々は笑って言った。「二三十里離れているのに、どうやって連れて来るの。また会う機会もあるわ。」

 そう言うと、皆は秦氏の寝室にやって来た。部屋に入ると、微かに甘い香りがしてきて、宝玉はこの時疲れて朦朧としていて、続けざまに言った。「いい香りだ。」部屋に入って壁の上を見ると、唐伯虎の描いた「海棠春睡図」が掛けられ、両側には宋代の学士、秦太虚が書いた一副の対聯があり、それには:
嫩(よわ)い寒さが夢を鎖(とざ)すは春冷に因り、
芳気が人を襲うは是れ酒香。

机の上には武則天が曾て鏡室(手洗い)に置いていた宝鏡が置かれていた。一方には趙飛燕が立ったまま舞ったという金の盆が並べられ、盆の中には安禄山が投げて傷つけた太真乳(「太真」は楊貴妃のこと)の木瓜(カリン)が盛られていた。上の方には寿昌公主が含章殿の下で横になったという宝榻(寝台)が置かれ、掛けられているのは同昌公主が作ったという連珠帳(連ねた真珠で装飾した帳(とばり))であった。宝玉は笑みを浮かべて言った。「ここはいい、ここはいい。」秦氏は笑って言った。「わたしの部屋はおそらく神様でも住めるのよ。」そう言いながら、自ら西施が洗ったという薄い掛け布団を広げ、紅娘が抱いたという鴛鴦枕(夫婦が使うおしどりの刺繍の入った枕)の位置を整え、乳母たちは宝玉がちゃんと横になるのを世話し、ゆっくりとそこを離れて行き、襲人、晴雯、麝月、秋紋の四人の召使だけが残ってお伴をした。秦氏は幼い召使たちに、ちゃんと軒下で猫たちが喧嘩しないよう番をするよう言いつけた。

 かの宝玉はようやく目をつぶり、ぼうっとして眠りについたが、なお秦氏が目の前にいるような気がして、ふわりふわりと、秦氏と一緒にある場所に行った。ただ朱色の欄干と玉の石垣だけが見え、緑の木々に清流が流れ、真に人跡稀(まれ)で、塵一つない清浄なところであった。宝玉は夢の中で嬉しくなり、こう思った。「この場所はおもしろい。僕はもしここで一生暮らせるなら、毎日父上や母上、先生から管理されるよりずっといい。」ちょうど好き勝手に妄想していると、山の後ろから誰かが歌を歌うのが聞こえた。

 春の夢は雲に随って散り、飛ぶ花びらは水の流れを遂(お)う。言を衆(もろもろ)の児女に寄せる。何ぞ必ずしも閑愁を覓(もと)めん。

 宝玉が聞いたのは、女の子の声であった。歌声のまだ止まぬうちに、早くもあちらからひとりの美人が歩いて来るのが見えた。ひらひらとしなやかに歩き、普通の人とは全く異なっていた。その有様は、次の賦(詩)を見れば明らかである。

 今しがた柳の塢(どて。堤)を離れ、ちょうど花の館を出(いで)しところ。行くと、鳥たちが庭の樹木に驚く。影が回廊を度(わた)れば、仙女の着物の袖がひらひら漂い、麝香や蘭の香りが馥郁(ふくいく)とした。蓮の葉のような衣裳が揺れ、(首に掛けた)環珮(玉の飾り)のリズミカルな音が聞こえた。えくぼを含んだ笑顔は春の桃のようにあでやかで、髷(まげ)を雲のように高く結い、翡翠色に輝いた。唇は桜の花のようにあでやかに裂け、歯にはドリアンのような甘い香りを含んだ。ふと見るとすらりとした腰は楚々として、風が雪を舞いあげるように軽やか。髪に付けた真珠と翠玉の簪はきらきら輝き、エメラルドグリーンに明るい黄色が鮮やかだった。(咲き誇る)花の間に出没し、怒った時も喜んだ時も美しい。池の周りを自由自在に駆け巡る。細くカーブした美しい眉を顰め、もの言いたげなるも何も言わぬ。足どりはなよなよとし、止まろうとしつつもそのまま行き過ぎる。かの仙女の美しさたるや、氷のように清らかで、玉のようにしっとり潤いがある。彼女の身に着けた華やかな衣裳たるや、鮮やかで眼にまばゆい。彼女の容貌の美しさたるや、香料のかぐわしさを含んだ、彫刻を施された玉器のよう。かの美人の身のこなしは、鳳や龍が飛び立つかのよう。彼女の本性は如何なものか。春の梅が雪の中でほころびるように純白である。その純潔さたるや、秋の菊に霜が降りたように清らか。その静けさたるや、松の樹が谷間に枝を伸ばすよう。そのあだっぽさは、夕焼けが池の水面に映り込むよう。このような文章は、聞いてどう感じられるだろう。龍が身をくねらせて沼の中を遊ぶよう。彼女の容姿はどうであろう。真っ白な月が清らかな川の水を照らすよう。遠くは西施、近くは王昭君をも恥じ入らせる。彼女はどこで生まれ、どこに降臨したのであろうか。もし宴席を終え帰ってきたのでなければ、きっと瑶池から来た仙女で、唯一無二の存在だ。きっと簫を吹いて仙境に導けば、そこでも並ぶ者無き存在であろう。

 宝玉が見たのはひとりの仙女で、彼は嬉々として走り出て両手を組んでお辞儀をし、笑って尋ねた。「仙女様、どこから来られたか存じませんが、どちらへ行かれるのでしょう。わたしもここがどこか存じません。どうかわたしをお連れください。」かの仙女は言った。「私は離恨天の上、灌愁海の中に居り、すなわち放春山、遣香洞、太虚幻境の警幻仙姑と言う者です。人間界の男女の恋愛沙汰を司り、浮世での女の怨み男の痴情を掌握しています。最近は男女間の愛情のもつれで生じた恨み事や罪業がここで纏(まつ)わりつくので、実際に訪問して観察する機会により、ふたりを別れさせたり慕い合わせたりするのです。今日あなたと逢ったのも、また偶然ではありますまい。ここはわたしの居るところからも遠くなく、別段これ以外何もありませんが、ただ自ら不老長寿の茶を一杯摘み、自ら美酒を数甕醸し、魔舞に精通した歌姫が、新たに仙曲「紅楼夢」十二曲を作りました。わたしと一緒に試しに聞いてみますか。」


 宝玉はそれを聞くと、喜ぶまいことか、秦氏がどこにいるかも忘れ、この仙女と一緒にとある場所に行った。ふと前面に石碑が横に建てられているのが見え、その上には「太虚幻境」の四文字が大きく書かれ、両側には一副の対聯があり、それにはこう書かれていた。

假を真とする時真もまた假、
無を有と為すところ有も還た無。

牌坊の方を見ると、一基の宮門があり、上には横書きで四文字が大書され、「孽海情天」と書かれていた。これにも一副の対聯があり、大きな文字でこう書かれていた。

 厚地高天、嘆くに堪える古今の情の尽きざるを。
痴男怨女、憐れむ可し風月之債(男女の情愛のもつれの欠債)は贖い難し。

 宝玉はこれを見て、心の中で思った。「なるほどそういうことか。しかし「古今の情」とはどういうことか。また「風月之債」とはどういうことなのだろう。これからちょっと味わってみようではないか。」宝玉はひたすらこのように思うばかりで、はからずも早くも幾ばくかの邪念が心の内の深いところに巣くっていった。仙女に随い二番目の門の中に入った途端、両側の配殿には皆扁額と対聯があるのが見え、とっさにはその幾つも見ることができず、ただ何ヶ所か、こう書かれているのが見えただけである。「結怨司」、「朝啼司」、「暮哭司」、「春感司」、「秋悲司」。宝玉はこれらを見て、仙女に尋ねた。「お手数ですが、どうか仙女さん、わたしを連れてあの各司の中を見物させてもらうことはできないでしょうか。」仙女は言った。「この中の各司にあるのは、この世の全ての女子の過去と未来の帳簿です。あなたは俗世間の人だから、先に知るわけにはいかないのです。」宝玉はそう聞くと、どうしてあきらめられようか。また何度も頼み込むと、かの警幻は言った。「仕方ありません。この司の中をざっとご覧いただきましょう。」宝玉は飛び上がる程喜び、上を見上げてこの司の扁額を見ると、「薄命司」の三文字が書かれ、両側に対聯があり、こう書かれていた。

春恨み秋悲しむは皆自ら惹き起こす、
花容月貌は誰が為に妍(あでや)かなる


 宝玉はこれを見て、感心しため息をついた。門の中に入ると、十数台の大きな戸棚が置かれ、皆封を貼って封印してあった。その封印の紙には、皆各省の文字が書かれていた。宝玉は一心に自分の故郷の紙を選んで見ると、その戸棚の上の封には大きな文字で「金陵十二釵正冊」と書かれているのが見えた。宝玉はそれで尋ねた。「「金陵十二釵正冊」とはどういうことですか。」警幻は言った。「つまり、あなたの省の十二人の最も優れた女子の帳簿で、それゆえ正冊と言うのです。」宝玉は言った。「常々金陵はとても大きいと言われています。どうして十二人しか女子がいないのですか。今うちの家だけでも、上から下まで数百人の女子がいます。」警幻は微笑んで言った。「ひとつの省の女子は固より多いですが、その重要な者だけ選んでここに記録しているだけで、両側の二つの戸棚にはそれに次ぐ者の帳簿があります。それ以外の凡庸な者は、記録が無いのです。」

 宝玉は再び次の戸棚を見ると、上に「金陵十二釵副冊」と書かれ、またひとつの戸棚には「金陵十二釵又副冊」と書かれていた。宝玉は手を伸ばし、先ず「又副冊」の戸棚の扉を開け、一冊の帳簿を取り出し、開いて見ると、最初のページには絵が描かれていた。人物ではなく、山水でもなく、ただ墨で濃淡が付けられ、紙一面に黒い雲や濁った霧が描かれているだけだった。後ろに何行か文字が書かれていた。


  雨後の晴れ間(晴)に出る月には出逢い難く、彩雲(雯)は散り易い。
 (晴雯は)心は天より高きも、身は下賤に在り。聡明利発、機智に富むも、他人の嫉妬を
 受けがちである。
 彼女の短命は多くは他人の誹謗より生じ、多情の公子は空しく彼女のことを気にかける。
 (晴雯は宝玉の四人の召使のひとり)

 宝玉はこれを読んでもあまり意味がよく分からなかった。また後ろに一束の花、一席の破れた蓆(むしろ)が描かれ、いくつか言葉が書かれていた。

  (襲人は)やさしくおとなしい人とはいえ、キンモクセイや蘭の花がもの言わぬように
 何も応えぬ。優れた演者や怜悧な子女は幸せだと羨んでも、公子と縁無しとは誰知ろう。
 (襲人は宝玉付きの召使の第一。)

 宝玉はそれを見て、ますます何のことやら分からなくなり、遂にこの帳簿をそのままにして、また「副冊」の棚の扉を開け、一冊の帳簿を取り出し、それを開いて見ると、最初のページはやはり絵で、一枝のキンモクセイの花(「桂花」)が描かれ、下の方は池だが、中の水は涸れ泥が干上がり、蓮は根から枯れてしまっていた。その後ろにはこう書かれていた。

  蓮は根と花が同じ茎に生え、良い香りを発するものだが、終生実につらい経験をしてきた。
 夏金桂(ふたつの「土」と一本の「木」で「桂」)が薜蟠に嫁いでから、香菱は迫害され、
 魂は故郷に返った。

 宝玉はこれを見てもまた理解できなかった。また「正冊」を取って見てみると、最初のページには二本の枯れ木が描かれ、木の上には一本の玉の帯が掛かっていた。地面には雪が積もり、雪の中に一本の金の簪が描かれていた。これにも四句の詩が添えられていた。

  嘆く可し機を停めるの徳、憐れむに堪える絮(雪)を咏(うた)うの才。
 玉の帯は林の中に掛け(玉帯林中挂。「玉帯林」yù dài lín を逆に読むと林黛玉lín dài )、
 金の簪(宝釵)は雪 xuě (「薛」xuē と同音)の中に埋まる(薛宝釵を指す)。

宝玉はこれを見ても依然理解できず、どういうことか聞こうと思ったが、天の機密を漏らしてはならないと知り、捨ててしまおうとするも、捨てることができず、遂には更に次を見た。それにはひと振りの弓が描かれ、弓の上には香橼chuán(枸櫞。シトロン)が一個掛かっていた。これにも一首の歌詞が添えられていた。

  二十年来是非を見分け、石榴(ざくろ)の花の開くところ宮廷の帷を照らす。
 三春争いて及ぶ初春の景(賈元春を指す)、虎と兎が相逢う時
 (寅年と兎年の境の立春の日)に大夢帰る(生命が尽きる)。

その後ろには、ふたりの人が凧を揚げているのが描かれ、大海原に一艘の大船が浮かび、船の中にはひとりの女子がおり、顔を覆って泣いている情景である。絵の後ろにも、四句の詩が書かれている。

  才は聡明怜悧にして志は自ずと高きも、末世に生まれ運命は佳からず。
 清明節に家人は川のほとりで我が嫁に行くのを涙を流して見送る、千里東風一夢遥かなり
 (嫁ぎ先は家から遠く、故郷は夢の中でしか見ることができない)。
 (賈探春のことを指す)

後ろにはまた何筋かの雲と、流れゆく川の水が描かれていた。その詞に言う。

  富貴の家に生まれて何の意味があるのか。襁褓(むつき)の間に父母と離別す。
 夕陽の残照を見て悲しみに耽(ふけ)る。湘江の水は逝(ゆ)き楚の雲は飛び去る。
 (史湘雲のことを指す)


その後ろにはまた一塊の美玉が、泥の汚れの中に落ちているのが描かれている。その運命を判定する言葉に言う。

  純潔を望んでも純潔たり得ず、浮世を超越すると言っても煩悩は出てくるものだ。
 憐れむべし金玉の質、ついに泥中に陥る。(妙玉のこと)


その後ろにはふと悪賢い狼が描かれ、ひとりの美女を追いかけ、食べようとしていた。その下に次の文が書かれていた。

  子(男)は中山の狼、志を得て暴れ狂う。閨房の中ではきゃしゃで弱々しく、
 一載にして黄粱に赴く(短い時間の後あの世に旅立つ)。(賈迎春のこと)

その後ろは古い廟で、中にひとりの美人がおり、廟の中で経を読みひとり座っている。その運命を判定する言葉に言う。

  三春の景長からざるを看破し、無地の法衣でにわかに昔日の装いを改める。
 憐れむべし華美なる名門の娘、ひとり青灯の古佛の傍らに臥す。
 (賈惜春のこと)

その後ろには氷の山が描かれ、その上には一羽のメスの鳳がとまっている。その運命を判定する言葉に言う。

  凡そ鳥(鳳。王熙鳳を指す)は偏に末世より来り、皆この生まれ出ずる才を愛慕す。
 (夫である賈鏈の態度は)最初は言うことを聞いてくれたが(一従)、次第に冷淡になり(二冷)、
 遂には離縁を言い渡した。(三人木は「休」、「休棄」で妻を離縁すること)
 彼女は離縁され泣きながら実家に帰った。

その後ろには人煙まれな寒村と旅館が描かれ、ひとりの美人が布を織っている。その運命を判定する言葉に言う。

  権勢は既に衰え、過去の富貴は語る莫れ。家業は既に凋落し、親族のことは論じる莫れ。
 たまたま(巧姐の母の王熙鳳が)村婦(村から出て来た劉婆さん)を援けたために、
 うまい具合に(巧姐は)恩人(の劉婆さん)に出会って助けてもらうことができた。

詩の後にはまた一鉢の茂った蘭、傍らにはひとりの鳳の冠と刺繍の肩掛けを身に着けた美人が描かれていた。その運命を判定する言葉に言う。

  桃やスモモは春に実を付けると使命を終える(李紈と賈珠の結婚は春風のように短かった)が、
 最後は誰が一鉢の蘭のように盛んに茂るだろう(没落する賈府の中で、最後に賈蘭が出世する)。
 (李紈は)氷水のようにきれいな貞節を保つも、空しく人の嫉妬を受ける。
 空しく他人に笑い話の種にされた。

詩の後ろにはまた高い楼閣が描かれ、その上でひとりの美人が梁に首を吊り自尽している。その運命を判定する言葉に言う。

  情天情海(男女が互いに愛し合う情)、夢幻の情は深く、ふたりの情がひとたび惹き合うと
 自分で抜け出すのは難しく、必ず淫らな情が生じる。
 言うなかれ不肖の子弟は皆栄府より出ずと。事の発端は実は寧府より出ず。
 (賈蓉の父賈珍と息子の嫁の秦可卿の間に不義の男女関係があったことを指す)

宝玉はまだ見たいと思ったが、かの仙女は宝玉の天分が優れ、気性が聡明であるのが分かり、天の秘密が漏れてしまうのを恐れ、帳簿を閉じると、笑って宝玉に言った。「ひとまずわたしと一緒に不思議な景色を見て回りましょう。ここでこんな難しいなぞなぞとにらめっこする必要なんてありませんわ。」


 今回は、ここまで。警幻仙女から、宝玉や賈家一族に関わる女性たちの運命の一端を予言する帳簿を見せられた宝玉。警幻仙女から途中で止められましたが、この後、何が起こるのでしょうか。続きは次回で。
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『紅楼夢』第四回

2025年01月21日 | 紅楼夢
 王夫人の妹の嫁ぎ先の薛家で、妹の子供の薛蟠が殺人事件を起こしたという急報がもたらされ、騒ぎになりますが、この訴訟案件を裁いたのが、第一回で出てきた賈雨村でした。しかも、薛蟠の殺人事件のそもそもの原因は、この物語の当初に起こった事件がからんでいました。『紅楼夢』第四回をお読みください。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

薄命の女は偏(ひとえ)に薄命の郎(おとこ)に逢い、
葫蘆の僧は葫蘆の案を判断する

 さて、黛玉は女兄弟たちと王夫人のところへ行くと、王夫人がちょうど兄嫁のところの使いと一家のいざこざについてあれこれ画策し、またおばの家で人命に関わる訴訟事件が遭ったと話しているのを聞き、王夫人がたいへん煩雑な件に対処されているのを知り、彼女たちは部屋を出て、亡くなった兄の妻の李氏の部屋に行った。

 この李氏というのは賈珠の妻であった。賈珠は若くして亡くなったが、幸い子供がひとりいて、名を賈蘭といい、今ようやく五歳になり、既に家塾に入り勉強をしていた。この李氏はまた金陵の名の知れた役人の娘で、父親の名は李守中といい、曾て国子祭酒を務めた。一族の男女は皆詩書をたしなみ、李守中までそれが続いたが、「女子は才が無いのが徳である」と言うので、この娘が生まれるとあまり熱心に勉強をさせず、ただ『女四書』、『列女伝』などを勉強させたので、いくつか文字も読め、また前の王朝の何人かの賢女の事跡も憶えた。しかし針仕事や家事ができることが大切なので、名を李紈wán、字を宮裁とした。したがって、この李紈は若くして伴侶を失っても、相変わらず贅沢な生活が送れ、枯れた樹木や火災の後の冷えた灰のように、心は沈み込んでいても、一切問わず聞かず、ただ親族に仕え子を養い、時間があれば小姑らのお伴をし、裁縫をしたり詩を詠んだりするだけであった。今黛玉はこのお屋敷に移り住み、既にこれら何人かの女性たちと一緒にいるので、故郷の父親のことを除いては、何も心配することはなかった。

 さて、賈雨村は応天府に官職を得て、赴任するや、すぐに人命に関わる訴訟案件が、詳細に彼の職務机の上に報告が上げられたのだが、ふたつの家の間で召使の女の購入をめぐって争いになり、双方が譲らず、遂には殴り合いで人命を損ねたのであった。この時雨村は原告を拘束して取り調べると、その原告が言うには、「殺されたのは手前どもの主人です。その日、召使の女を買ったのですが、まさか誘拐犯が誘拐してきて売ったとは思いませんでした。この誘拐犯は先に当家の銀子を受け取っており、当家の主人が元々三日目が吉日であるので、その日に受け取って家に入れるつもりでした。この誘拐犯はまたこっそりと薛家に売っていたのを、わたしどもに知られることになり、売主を捜して、女中を奪い取ったのです。いかんせん薛家は金陵のボスで、権勢を笠にして、屈強な手下が手前どもの主人を殴り殺したのです。殺した下手人とその手下は既に皆逃亡し、跡形もなく、ただ何人かの部外者がいるだけでした。わたしはずっと委細を申し上げておりますが、どなたも率先して取り扱ってくれません。どうか旦那様、殺人犯を捕まえ、善良な者を助けてくだされば、生きている者も死んだ者も皆あなた様の大恩にどんなに感謝しても尽きることがございません。」


 雨村はそれを聞くと大いに怒って言った。「それはなんとしたことだ。人を殴り殺したのに虚しく逃がして捕まえられないとは。」それで命令書を出して役人を差し向け、直ちに殺人犯の家族を連行して拷問しようとした。ふと見ると、机の傍にひとりの門番が立ち、雨村に命令書を出さぬよう、目くばせした。雨村は心の中で疑念が湧き、手を止めるしかなかった。広間を退き密室に行き、お供の者を退かせ、ただこの門番ひとりを留めて控えさせた。門番は急いで前に進み出て挨拶をし、笑って尋ねた。「旦那様はずっと官位が上がり俸禄を増やしてこられて八九年になられますが、わたしをお忘れですか。」雨村は言った。「見たところ、おまえにたいへん見覚えがあるのだが、すぐには思い出せぬのだ。」門番は笑って言った。「旦那様はどうして出身地のことまでお忘れなのですか。旦那様はあの時の葫蘆廟での出来事を憶えておられませんのですか。」

 雨村は大いに驚き、ようやく当時の事を思い出した。実はこの門番は葫蘆廟の沙弥(出家したばかりの少年僧)で、火災の後、身を寄せるところが無く、この仕事はあまり重要ではないし、寺の中の寂しさも我慢できなかったので、遂に若さに乗じ、髪の毛を伸ばし、門番になったのであった。雨村がどうしてこの男のことを憶えていようか。それで急いで手を携え笑って言った。「実はわたしも昔馴染みなのです。」それで門番に座って話をするのを許した。この門番は座ろうとしないので、雨村は笑って言った。「おまえとも、貧しかった時の知己であろう。ここはわたし個人の部屋だから、座っても誰も咎めぬよ。」門番はそれでようやく身体を横に向けて座った。

 雨村は言った。「先ほどはどうして命令書を出すのを止めたのだ。」門番は言った。「旦那様は栄進してここに来られたのに、まさか本省の「お守り札」を発行なさらないでいるなんて、だめではないですか。」雨村は急いで尋ねた。「何が「お守り札」なのかね。」門番は言った。「今はおよそ地方官をなさっておられる方は皆個人名簿をお持ちで、それに載っているのは本省で最も権勢がある極めて富貴な大郷紳のお名前で、各省皆そうなんです。もしそれをご存じなく、一度でもこうしたお家に触れるようなことをなすったら、官位だけでなく、お命だって保証の限りではありません。だから「お守り札」なんです。先ほど言われた薛家ですが、旦那様はどうしてあのお家に逆らおうとなさるんです。今回の訴訟は別段判断の難しいところは無く、以前のお役人様は、皆義理人情と体面を汚すことのないよう、こうしてきたんです。」そう言いながら、腰に付けた袋の中から一枚の「お守り札」を取り出し、雨村に手渡した。それを見ると、書かれているのは皆当地の名家や役人の家のことわざや言い伝えで、こう書かれていた。

 賈jiǎ家は假jiǎならず、白玉を堂と為し金もて馬を作る。(賈家)
 阿房宮は(宮殿の規模が)三百里もあれど、金陵城の史家(の一族の人々)を収めきれず。
(史家)
 東海には白玉の床(ベッド)が欠け、(そこに住む)龍王は金陵の王家に(借用を)請うた。
(王家)
 豊作の年の好(よ)く大なる「雪」xuě(薛xuē家)、珍珠とて糞土の如し、金とて鉄の如し。
(薛家)


 雨村がなお見終わらないうちに、ふと伝達所からの報告が聞こえた。「王旦那様がご来訪です。」雨村は急ぎ衣冠を身に着けお迎えした。食事を接待して帰られてから、先ほどの門番に尋ねると、門番は言った。「四つのお家は皆親しく連絡をとられていて、一家が損なわれれば皆損なわれ、一家が栄えれば皆栄えられるのです。今、人を殺して訴えられた薛家というのは、「豊年大雪」の「薛」家のことです。この三家だけでなく、この方のお付き合いされているお友達は、都にも外地にも元々たくさんいらっしゃいます。旦那様は今どなたを捕まえようとなさるおつもりですか。」雨村はそう聞くと、笑って門番に尋ねた。「そう言うからには、この案件にどう結末をつければいいんだ。おまえ、おそらくこの殺人犯が逃げ隠れた情況もよく知っているんだろう。」

 門番は笑って言った。「嘘偽り無く言いますと、この殺人犯が逃げ隠れた情況だけでなく、この金をだました男のことも知っていれば、亡くなった買主のこともよく知っています。詳しく申し上げますから、旦那様お聞きください。この殴り殺されたのは、小さな村の役人の子で、名を馮淵と言い、父母は共に亡くなり、兄弟も無く、わずかな家産を守って暮らしてきました。年齢は十八九、男色をたいへん好み、女色を好みませんでした。これも前世での因業(いんごう)のせいでしょうか。ちょうどうまくこの娘に出会い、この男は一目見て見染め、すぐにこの娘を買って妾にしようと思い、今後は男色を近づけず、また二号も作らないと誓い、それでこのことを厳粛に取り決め、必ず三日後に家に入れると決めたのです。それがまさかこのペテン師がまたこの娘をこっそり薛家に売るとは。こいつは両家の金を巻き上げて逃げようと思ったのに、思いがけず逃げきれず、両家がこいつを捕まえ、半殺しにしました。どちらの家も金を取り返そうとはせず、各々女を受け取ろうとしました。かの薛の若様は召使に命じて手を出し、馮の息子をめちゃくちゃに殴って、帰って来て三日目に亡くなりました。この薛の若様は元々日を選んで上京するするつもりだったのですが、人を殴って、女を奪っておいて、この男は何事もなかったかのように、ただ家族を連れて我が道を行くばかりで、このために逃げるようなことはしませんでした。この失われた人命も大したことではなく、召使たちが勝手にしでかしたことだと。このことはこれで置くとして、旦那様、この売られた女は誰だと思います。」雨村は言った。「わたしがどうして分かると言うんだ。」門番は冷たく笑って言った。「この人は旦那様の大恩人でしょう。この女は葫蘆廟の隣に住んでいた甄様の娘で、幼名を英蓮と言われた方です。」雨村はびっくりして言った。「誰かと思ったらあの娘か。あの娘が五歳の時に人さらいに遭ったと聞いたが、どうして今になって売られたんだ。」

 門番は言った。「こうした誘拐犯は幼い女の子を誘拐して、十二三歳まで養うと、よその土地まで連れて行って売るんです。当時、この英蓮は、わたしたちが毎日あの娘の機嫌を取って遊んでやっていて、とてもよく知っていたので、七八年経って、顔かたちは幼さが抜けてきれいになっていましたが、大きくは変わっていないので、それと分かったのです。それに眉の中心に元々米粒大のちょっとした赤い痣があって、これは母親の胎内からの、生まれつきのものなのです。わざとこの誘拐犯はうちの部屋を借りて住んでいました。その日誘拐犯は家にいなかったので、わたしもあの娘に聞いたことがあるのですが、殴られるのが怖くて、何も言えないと言っていました。ただ誘拐犯のことを自分の実の父親で、金が無くて借金が返せず、売られるんだと言っていました。何度も何度も自分を騙すので、この娘はまた泣いて、ただ「わたしは小さい時のことは憶えていない」と言うばかりで、確かにそうだろうと思いました。その日、馮の息子と顔を合わせ、銀子と交換しました。誘拐犯は酔っぱらっていたので、英蓮は自ら嘆いて言いました。「わたし、今日で罪業も終わりになるわ。」その後、三日後にお屋敷に連れて行かれると聞いたので、あの娘はまた心配になった様子でした。わたしはまた我慢できず、誘拐犯が出かけたのを待って、家内に言ってあの娘を慰めさせました。「この馮の若様は必ず良い日を選んであなたを迎えに来ます。あなたをきっと女中扱いなさらないと思いますよ。ましてあの方はたいへん風流なお人柄で、お家も裕福で、生まれつき女性を嫌われていたのですが、今は破格の価格であなたを買われたのですから、後のことは言わなくても分かろうというもの。あとは二三日我慢するだけのことで、何を思い悩む必要があるでしょう。」あの娘はそう聞くと、ようやく気持ちを和らげ、これでようやく安心して暮らせるわと言いました。ところが、まさかこの世の中に思い通りにならぬことがあろうとは。翌日、あの娘はあいにくまた薛家に売られることとなったのです。もし別の家に売られただけならまだ良いのですが、この薛の若旦那のあだ名は、「呆霸王」(ばか大王)と呼ばれ、天下第一の勝手気ままで遊び好きで、金使いが荒く、馮の息子をこてんぱんに打ちのめし、無理やり引っ張って行きました。英蓮を連れ去り、今は生きているのやら死んでしまったか。この馮の息子は空喜びも束の間、一念を遂げられず、却って金を使い、命を落とし、全く気の毒なこととなりました。」


 雨村はいきさつを聞くと、ため息をつき言った。「これも彼らの罪業の結果で、決して偶然ではないのだろう。そうでなければ、この馮淵がどうして偏(ひとえ)にただこの英蓮だけを見染めることがあっただろうか。この英蓮は誘拐犯にこの何年も苦しめられ、ようやく進路を得て、且つまた多情であるので、それらが寄り集まっただけなら良いが、逆にまたこのような事態を生み出してしまった。この薛家はたとえ馮家より富貴だとしても、その人となりは、自ずと妾を多く抱え、放縦なこと際限なく、馮淵がひとりに愛情をかけていたのに及ばない。これは正に夢幻や情の縁が、ちょうどひとりの薄命の娘に出逢ったためだ。それにしても他人のことは議論する必要もないが、ただ目を今この訴訟に置けば、どのように判断したらいいだろうか。」門番は笑って言った。「旦那様はあの時あんなにはっきり決断されたのに、今はどうしてこんなにしっかりしたお考えのない方になられたのですか。手前が伺ったところでは、旦那様が今のお役目に昇格なさったのは、賈府や王府のお力だとか。この薛蟠は賈府のご親戚です。旦那様はどうして水の流れに沿って舟を進めようとされないのです。義理人情に則(のっと)り、この事件を終わらせれば、今後賈や王の二公ともお会いになりやすいでしょう。」雨村は言った。「おまえの言うことは間違っていない。けれども人命に関わることは、皇帝陛下の大恩に報いて採決せねばならず、正に力を尽くし回答を考えねばならぬ時に、どうして私事で法を曲げることなどできよう。実に忍び難い行いではないか。」門番はそれを聞くと冷笑して言った。「旦那様が言われることは、自ずから正しい理屈ではありますが、今の世ではそうはなりません。どうして古人が言う「大丈夫は時を見て動く」、また「吉に依り凶を避くるが君子」ということわざを聞かれたことがないのですか。旦那様のおっしゃるようなやり方では、朝廷の恩に報いることができないばかりか、ご自身の地位を保つこともできません。やはりよく考えて決められるのが良いと思います。」

 雨村は下を向いて思案していたが、しばらくして言った。「おまえはどうすればよいと思う。」門番は言った。「わたしはもうここに良い考えを思いつきました。旦那様は明日法廷に座られたら、虚勢を張り上げ、檄文を出し、逮捕状を出して捕まえに行かせればよいのです。殺人犯はもちろん捕まえられないし、原告はもとより頼りになりません。ただ薛家の一族の人間と召使らを何人か捕まえて来て拷問し、小者とは影でこっそり仲裁し、彼らに「病を発して亡くなった」と報告させ、一族の者や地方に一枚の上申書を手渡し、旦那様はただ、自分はこっくりさんが上手で、神様を呼び出すことができると言い、法廷に乩壇 jī tán(こっくりさんをする神壇)を設け、軍人や民間人らに見に来させたら、旦那様はこう言うのです。「神様が判断を下した。死者の馮淵と薛蟠は元々前世からの因業があり、今たまたま出逢ったのであり、元の因業が完結した。今、薛蟠は既に名も分からぬ病にかかり、馮淵の魂に迫られ亡くなった。その禍(わざわい)は誘拐犯により引き起こされ、誘拐犯を法により処罰する他は、巻き添えになった者はいなかった。」などと。わたしはこっそり誘拐犯に言いつけ、事実を白状させます。人々はこっくりさんの神託と誘拐犯の自白が符合しているのを見れば、当然疑わないでしょう。薛家には金がありますから、旦那様は一千でも五百でもいいから決めて、馮家に与えて葬儀の費用にさせてください。あの馮家は大して重要な人もいないのですが、訴えたのは金のためですから、金があれば、何の問題もありません。旦那様、よく考えてください。この計略は如何ですか。」雨村は笑って言った。「よくない、よくない。わたしがもう一度斟酌して、双方を服従させてこそ良いのだ。」ふたりの計略は既に定まった。

 翌日になり法廷に座ると、事件に関係する犯人の関係者を召喚し、雨村が詳しく尋問すると、果たして馮家は人口も少ないのだが、この事件によって葬儀の費用を得たいと思っていた。薛家は権勢を頼みに強気に出て、あくまで妥協しないので、ずっと解決できないでいた。雨村は私情をからませ法をねじ曲げ、この事件を勝手に判断し、馮家はたっぷりと葬儀の金を得て、もうそれ以上何も言わなかった。雨村はそれで急いで書信を二通したため、賈政と京営節度使の王子騰に出したが、その内容は、「甥子さんの事件は既に解決したので、心配される必要はない」というものだった。この事件は葫蘆廟内の沙弥であった新しい門番のところから出たもので、雨村はまた門番が他人に自分の当時の貧しかった頃のことを言いやしないか心配で、このため心中あまり愉快ではなかった。後に結局門番のある罪状を捜し出し、遠くへ労役の処罰で追放してしまった。

 目下話題は雨村とは関係がない。さてかの英蓮を買い、馮淵を殴り殺したかの薛の若様は、また金陵の人氏で、元々、代々読書人の家柄で、ただ今この薛の若様は幼い時に父を亡くし、未亡人となった母親がまた、この子が一人っ子であったので可愛がり、溺愛して好き勝手をさせてしまい、遂に成人しても何も成就すなかった。ただ家に百万の富があるので、今は朝廷から銭か食糧を受け取り、細々としたものを購入していた。この薛の若様は学名を薛蟠、字(あざな)を文起といい、性格は奢侈を好み、言葉は傲慢であった。家塾にも通ったが、いくつか文字を憶えただけで、一日中闘鶏をしたり馬を走らせ、野山に遊んで景色を楽しむばかりであった。実家は皇室御用達の商人であったが、一切の商売や世事については全く知らなかった。ただ祖父の昔の人間関係に頼り、戸部に虚名を掲げ、銭や食糧の支給を受け、それ以外のことについては、家の番頭や古くからの召使が処理してくれた。未亡人の王氏は現在京営節度使に任じられている王子騰の妹であり、栄国府の賈政の夫人の王氏は同じ母親の生んだ女兄弟で、今年ようやく五十前後、薛蟠が一粒種であった。もうひとり娘がいたが、歳は薛蟠より二歳下で、幼名を宝釵といい、生まれつき皮膚がふっくらすべすべし、振舞いが上品でおおらかで、父親がまだ生きている時は、この娘を大層可愛がり、娘に本を読ませ字を憶えさせたので、学問は兄に比べ、十倍もよくできた。父親が亡くなってからは、兄が母を安心させられないのを見て、彼女は読書や字の勉強を止め、専ら針仕事や暮らし向きのことを心にとめ、母親の悩みを分担し、代わりに働こうとした。最近は今上陛下が詩礼を重んじ、才能ある人材を採用し、珍しい大きな恩典を下され、宮中の女官を選抜する以外に、代々官職に就いている名望家の子女は、皆その名前を礼部に登録し、以て選抜に備え、公主や郡主にお仕えし、才人や賛善の職位に就かせることになった。薛蟠の父親が亡くなってから、各省の中の全ての売買は局、総管、伙計といった人を経て担当され、薛蟠がまだ年若く世事に通じていないと見ると、この機に乗じ仕事を横取りし、都の数か所での商売は、次第に減っていった。薛蟠は日頃都の中は最も繁華な場所であると聞いていたので、ちょうど遊びに来たいと考えていたところで、この機会に、一に妹を送って選抜に備えさせ、二に親戚を訪問し、三に自ら役所に乗り込み、古い帳簿を精算し、その上で新たな支出計画を作る。その実、ただ都見物をしたいと思っただけであった。このため、とっくに軽くて持ち運びに便利な貴重品、親戚や友人に贈る様々な土産や贈り物を見繕い、日を選んで出発しようとしていたところ、思いがけずあの誘拐犯に出逢い、英蓮を買ったのだった。薛蟠は英蓮が生まれつき上品であるので、すぐに買って妾にしようと思ったが、馮家の者が奪いに来たのに遭遇したので、権勢を頼りに、獰猛で悪賢い家僕に命令し、馮淵を殴り殺し、家中の事務は、一々一族の人間と何人かの古くからの召使に依頼し、自分は母親や妹と一緒に、長旅に出てしまった。人命を奪った訴訟については、彼は児戯に等しいと見做し、少しばかり金を使って、後は必然に起こったこととして処理させたのであった。

 旅に出たが、それがいつの日であるか定かでない。その日、既に都に入り、また母親の兄弟の王子騰が九省統制に昇進し、帝の命を受け都を出て辺境の警備に向かったと聞き、薛蟠は心の中で密かに喜んで言った。「都に入ると、叔父さんの管理化に入ってしまうので、勝手に金を使えないと心配していたが、今は叔父さんは昇進して都を出てくれたとは、全く天は人の願いを聞いてくれるものだ。」それで母親と相談して言った。「わたしたち、都に何ヶ所か家を持っていますが、ここ十数年誰も住んでいなかったので、留守番の人間が、こっそり他人に貸して住ませていたかもしれず、先に誰か掃除と片付けに行かせる必要がありますね。」母親が言った。「どうしてそんなに大騒ぎをする必要があるものか。わたしたちは今回都に入ったら、元々先ず親しい友達か、おまえの叔父さん、或いはおまえの義父さんの家を訪ねることになっていただろう。あの両家だったらお屋敷がたいへん広いから、わたしたちもとりあえず暮らし始めてから、ゆっくり人をやって片付けさせれば、大騒ぎしないで済むではないか。」薛蟠は言った。「今叔父さんはちょうど昇進して地方に行かれたので、家の中はおそらくばたばたされているでしょう。わたしたちが今回どたばた飛び込んで行ったら、ご迷惑になるでしょう。」母親は言った。「叔父さんが昇進して行かれても、おまえの義父さんの家があるだろう。ましてここ数年、おまえの叔父さんと義父さんの奥さんのところの両方から、何度もお手紙でわたしたちに出てくるよう言われていたの。今、出て来た以上、あなたの叔父さんは出発の準備に忙しくても、賈家の奥様はなんとかしてわたしたちを留めようとされるに違いないわ。わたしたちが慌てて部屋を片付けなどしたら、却って変に思われるじゃない。あなたの考えはわたしはとっくに分かっていたわ。叔父さんやその奥さんと一緒に暮らしたら、堅苦しさが免れないから、それぞれ別に暮らした方が、好き勝手にやれると思ったんだろう。おまえがそう思うなら、おまえは自分で家を見繕って住めばいい。わたしはあんたの義父さんの奥様ご兄弟たちとここ何年も離れ離れだったから、わたし、あなたの妹を連れてあなたの義父さんの奥様の家に行って過ごすわ。どう、それでいいわね。」薛蟠は母親がそう言うのを見て、気持ちが変わらないと知ったので、人夫に言いつけ、真っ直ぐ栄国府に向け車を走らせるしかなかった。

 この時、王夫人は既に薛蟠の訴訟沙汰は幸い賈雨村が仲介してくれたと知り、ようやく安心した。また兄が昇進して辺境守備の欠員に任官され、ちょうど実家の親戚の往来が少なくなると愁い、幾分寂しく思っていたところ、数日して、突然召使がこう報告した。「ご側室がお兄様お姉さまとご一緒に都に来られ、門の外で車を降りられました。」喜んだ王夫人は、人を連れて広間に出迎えに出て、薛の叔母様たちを出迎え、女兄弟たちがその日の朝顔を合わせ、悲喜こもごもであったことは、言うまでもない。一通り久闊(きゅうかつ)を述べ、また連れられて賈のお婆様にお目にかかり、ご挨拶をしたりお土産をお渡ししたりし、家中の者と顔を合わせ、宴席を設けて遠来の客をもてなした。

 薛蟠は賈政、賈璉にお目にかかり、また連れられて賈郝、賈珍などにお目にかかった。賈政は人を遣って来させ、王夫人に言った。「ご側室はもうお歳だし、甥御さんはまだ年若く、細々した事務をご存じなく、お家の外で住むと、揉め事もあるかもしれない。うちの東南の角の梨香院には、部屋が十間くらいあって、誰も使っていないから、言いつけて、ご側室とご兄弟に住んでもらうのが良いと思う。」王夫人は元々引き留めたいと思っていて、賈のお婆様も人を遣ってこう言わせた。「ご側室がここで暮らせば、皆もっと親しくなれるでしょう。」薛の叔母様は一緒に住みたいが、それではやや堅苦しいかもしれないと思い、別に外に家を捜すとなると、また気ままに振る舞って厄介なことを引き起こすのを恐れ、慌てて承知した。また密かに王夫人にこう説明した。「一切の日常の費用のご提供は、全てお止めください。そうしてはじめて正常な暮らしができます。」王夫人は薛家がそうしても金銭面で問題ないと知っていたので、言われるようにした。これより、薛家の親子は梨香院で暮らすようになった。


 元々梨香院は曾て栄公が晩年静養していたところで、小さいが精巧に作られ、約十間余りの部屋があり、前の広間、後ろの客間が全て揃い、それとは別に街路に通じる門があった。薛蟠の家族はこの門から出入りした。西南には角門があり、狭い通路に通じていて、通路を出ると、王夫人の母屋の東の中庭だった。毎日或いは食後、或いは夜、薛のご側室がやって来て、或いは賈のお婆様とよもやま話をし、或いは王夫人と雑談をした。宝釵は毎日黛玉や迎春の姉妹たちと一緒に過ごし、或いは本を読んだり将棋を指したり、或いは裁縫をしたりし、互いにとても平安無事であった。ただ薛蟠は当初元々賈府の中で暮らしたくなく、叔父さんに束縛されて、勝手気ままに暮らせないと恐れたのだった。いかんせん、母親があくまでここで暮らすと言い張り、また賈のお屋敷の中はたいへん親切で、辛抱強く引き留めてくれたので、しばらくの間は暮らさざるを得なかったが、一方では人を遣って自分の家の部屋を掃除させてから、引っ越そうと考えていた。あろうことか梨香院に住んでひと月も経たぬうち、賈の一族の若い者たちのうち、既に半分が顔見知りになり、皆金持ちのドラ息子の気があり、薛蟠と付き合うのを好まぬ者は無く、今日は酒、明日は花見、引いては博打を打ち女を買い、何でもやらないことはなく、薛蟠は誘惑されて以前より十倍も悪くなった。賈政は子弟を訓練するに有効な方法を採り、家を治めるに一定の方法を採ったとはいうものの、ひとつには一族の人数が多過ぎ、管理がしきれず、ふたつに現在の家長が賈珍で、寧府の一番上の孫で、また今は職位を継いだので、およそ一族の中のことは皆賈珍が管轄することになっていた。三つ目に公務と私事が煩雑で、また生まれつき立ち居振る舞いが鷹揚で、世俗の事を要とせず、祭日の日も、本を読み将棋を指すだけだった。まして梨香院は二重の家屋に隔てられ、また街路への門が別になっていて、自由に出入りできたので、これらの子弟たちは、勝手気ままに愉しむことができた。このため薛蟠は遂に引っ越ししようという思いが、次第に消えていった。その後どうなったか、次回説き明かしましょう。

 以上で第四回は終わりです。第五回ではどのような話が展開するのか。次回乞うご期待です。
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