中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の文法上の間違い・パターン分類(2)

2010年04月26日 | 中国語
  文法上の間違いのパターンについて、前回の続きを見ていく。今回は、ことばの組合せの誤用のパターンである。
 内容は、中華書局《現代漢語》蘭賓漢、那向東主編2006年から取り、理解しやすいよう、言葉を追加した。

(二)ことばの組合せの不適当
1、主語と述語の組合せの不適当

① 在這場火災中,她的面容被焼焦了,鼻子、耳朶被焼没了。 
 “面容”は容貌、顔つきの意味で、物理的な「顔」ではない。ここでは、述語“焼焦”で、火事で顔そのものが焼けてしまったことを言っているので、“面容”でなく、“面部”や“臉部”に置き換えるべきである。
② 参加長跑的運動員在公路上馳騁
 “馳騁”chi2cheng3 は“騎馬”、「馬に乗って駆け回る」という意味であり、この文の主語の“運動員”と結びつかない。ここでは、“飛奔”や“奔跑”に置き換えるべきである。
③ 強烈的民族自尊心和几天来一直圧在胸中的怒火一下爆発出来。 
 この文の主語は、“自尊心”と“怒火”二つの語句から成るが、述語“爆発”と“怒火”は結びつくが、“自尊心”は結びつかない。したがって、主語の前半の部分は、新たに述語を加え、“強烈的民族自尊心不能受到傷害,几天来一直圧在胸中的怒火一下爆発出来。”とふたつの主述句で構成される文に変えなければならない。

2、述語と賓詞の組合せの不適当

① 他的自己的行動塑造了巨大的人格力量,引導和感動着周囲的人們。
 動詞“塑造”の対象は具体的な形象でなければならず、“人格力量”を賓語に取ることはできない。ここでは、“塑造了”を“形成了”に改めるべきである。
② 我会十分情願地捍衛我的国家,捍衛我生活地地方。 
 “捍衛”han4wei4と“防衛”は意味の良く似たことばであるが、“捍衛”の対象は一般に抽象的な事物であり、例えば“捍衛国家主権”という言い方をするのに対し、“防衛”の対象はより具体的な人や事物で、“防衛祖国”という言い方をする。この例では、賓語“我的国家”、“我生活地地方”は具体的な場所であるので、“防衛”に改めるべきである。
③ 文静秀气的文竹,宜配紅色的宜興盆,另加一个雪白的水盤,就顕得協調和漂亮,更好地起到装点家居的効果。 
 “起到”と“効果”は結びつかない。“起到”を活かすのであれば、後ろの賓語は“作用”であり、逆に“効果”を活かすのであれば、前の動詞は“獲得”、“達到”である。“宜配”の“宜”には、確かに「適している」「ふさわしい」という意味があるが、“相宜”、“適宜”といった語句の結びつきをし、“宜配”という語句はあまり使われないのではないかと思う。“配”を「ふさわしい」、「つりあう」という意味に使うなら、“配上”が適当である。また、“家居”という言い方もあまりしないと思う。居間のことをいうなら、“居室”である。
④ 今年8月3日,她獲得赴美簽証,終于可以去探親在那里留学的丈夫。 
 “探親”は自動詞で、賓語を伴うことができない。ここは賓語“丈夫”を受けないといけないので、他動詞“探望”に改めるべきである。

3、修飾語と中心語の組合せの不適当

① 假冒偽劣的問題不僅是一個経済現象,而且与社会各項領域有着千頭万緒的聯系,因而需要社会来共同治理。 
 成語“千頭万緒”は考えや物事が雑然とし、入り乱れている様で、“聯系”とは結びつかない。ここは様々な点で結びついている、ということを言いたいので、その場合の成語は“千絲万縷”qian1si1wan3lv3 がふさわしい。
② 休閑要有清静的心情,在寧静中品味自然之美。 
 “清静”は、あたりが静かである、閑静である、という意味である。この句の主語は“休閑”であるので、“心情”とは結びつかない。ここは、“心情”を“環境”に変えるべきであう。
③ 我到書店転了半天,最后買回一本古漢語書籍。 
 “書籍”は集合名詞で、具体的な数量を表す数量詞をつけることができない。ここは、“書籍”を“書”に改めるべきである。
④ 只要稍微深思熟慮一下,就不会做出這様錯誤的决定。 
 “稍微”数量が少なかったり程度が軽いことをいい、一方、“深思熟慮”は深く十分に考えをめぐらすことで、相矛盾している。ここは、“深思熟慮”を“思考”に変えればよい。
⑤ 対爸爸説着説着,女儿又把眼睛転移到媽媽身上。 
 “眼睛”は眼そのもののことなので、それが“転移到媽媽身上”などということはあり得ない。ここは、「視線」の意味であるから、“眼睛”を“目光”に変えなければならない。
⑥ 老師笑得那麼慈様,笑得那麼耐心。 
 “笑”には、「愉快である、うれしい」という意味合いがあり、一方、“耐心”には「耐える、辛抱する」という意味合いで、“笑得耐心”という状況はあり得ない。ここは、“耐心”を“開心”に改めるべきである。
⑦ 他們在這一帯逗留了400多年。 
 “逗留”は「短期間滞在する」意味であり、“400多年”という時間と相容れない。したがって、“逗留”を“居住”に改め、長年そこに住んでいる、という意味にしなければならない。

4、主語と賓語の組合せの不適当

① 我国盲人数量是世界上最多的国家。
 主語“数量”と賓語“国家”は結びつかない。“是”の位置を変え、“我国是盲人数量世界上最多的国家”としてしまえば、主語が“我国”なので、賓語“国家”と結びつく。或いは、既に“我国”と言っているのだから、“国家”を削除し、“我国盲人数量是世界上最多的”としてもよい。
② 五月的沈陽,是繁花似錦、気候宜人的季節。 
 主語“沈陽”と賓語“季節”は結びつかない。“沈陽的五月”と主語を“五月”にしてしまえば、賓語“季節”と結びつけられる。
・繁花似錦 fan2hua1si4jin3 咲き乱れる花が錦のように美しい
・気候宜人 qi4hou4yi2ren2 気候が穏やかで心地よい

5、関連することばの組合せが不適当

① 無論你走到哪里,哪里会有好心人帮助你。 
 接続詞“無論”は“都”と呼応して条件関係を表すので、後段の“就”を“都”に変えなければならない。
② 即使我們取得了很大的成績,但是也不応該驕傲自満。 
 “即使”は譲歩関係を示し、“但是”は転換関係を表すので、この二つをいっしょに使うことはできない。“即使”を削除して、転換関係を表すようにするか、或いは“但是”を削除して、譲歩関係を表すようにすればよい。
・驕傲自満 jao1ao4zi4man3 おごり高ぶって、いい気になる
③ 為了搶救国家財産和人民的生命,哪怕刀山火海,我們要上。
 接続詞“哪怕”は“也”と呼応して譲歩関係を表すので、後段の“就”を“也”に変えなければならない。
・刀山火海 dao1shan1huo3hai3 剣の山、火の海。非常に危険で容易に通れないところ。

(三)ことばの成分の欠如と余分
1、主語の欠如と余分

① 在第二次洪峰的衝撃下,造成了長江堤岸多処決口的険情。 
 この文章は、主語が欠落している。修正方法はふたつある。ひとつは、前段の“在第二次洪峰的衝撃下”から“在”、“下”を削除し、“第二次洪峰的衝撃”を主語とする文章にする。もうひとつの方法は、“長江堤岸”を主語とするため、“造成了”を削除し、“長江堤岸”の後ろに“出現了”を加える。
・洪峰 hong2feng1 河川の増水期の最高水位。最高水位に達した洪水
② 自従徳国人発明汽車以后,很快贏得了人們的喜愛。 
 “贏得了人們的喜愛”の主語は“汽車”であるが、“汽車”は介詞句“自従~以后”の中に置かれているので、主語となることはできず、結果として、この文章には主語が存在しない。正しく“汽車”を主語とするため、語順を入れ替え、“汽車由徳国人発明以后,很快贏得了人們的喜愛。“とすればよい。
③ 看到老師們忘我工作的情景,使我深受感動。 
 “看到”、“使”と前段、後段とも使役構文にしたことにより、主語が欠落してしまっている。これも修正方法はふたつあり、ひとつは、“使”を削除し、“我”を主語とする。もうひとつは、“看到”を削除し、“情景”を主語とする。
④ 這里的変化太快了,只半年時間,又一片高楼大厦的建筑拔地而起。 
 “一片高楼大厦”と“建筑”は同じことを言っている。ここは、“的建筑”を削除し、“一片高楼大厦”を主語とする文章に改めるべきである。
・拔地而起 ba2di4er2qi3 切り立つようにそびえ立つ

2、述語の欠如と余分

① 她整天在家做飯、挑水、掃地等瑣砕的家務活,一天忙到晩。 
 この文は述語となる動詞が欠落している。“做飯”の前に、“幹”を加えなければならない。
② 我為大学生們安于学習而安慰。 
 “安慰”は「慰め」という名詞で使うか、動詞として用いる場合は他動詞で、必ず後ろに賓語を伴う。ここでは、“而”の後ろに“安慰”が単独で置かれて、舌足らずの感じになっている。“安慰”を名詞と考え、その前に述語となる動詞を入れるのが自然である。“安慰”の前に“感到”を加えるべきである。
③ 越来越多的人覚得看病難,這一現象令人値得深思。 
 後段で、“令人”と“値得”はよく似た意味で、どちらか一方だけで意味が通じるし、その方がすっきりする。ここは、“令人”或いは“値得”のいずれかを削除すべきである。

3、賓語の欠如と余分
① 在西部大開発的浪潮中,廠長提出了“我們該怎麼辧”,譲大家討論。 
 “提出了”の後ろには、通常、名詞、或いは名詞句を伴い、動詞、動詞句を伴うことはない。“我們該怎麼辧”の後ろに“的問題”を加え、名詞句にしなければならない。
② 高分子材料用在医学上,大致可分為机体外使用与机体内使用。 
 “可分為”の後ろの賓語はふたつあり、動詞“分為”と呼応させるため、句の終わりに“両種”を加えた方がよい。
③ 看到数千兵馬俑組成的龐大軍陣的場面,我們完全被它的恢宏气勢驚呆了。 
 前段で、“軍陣”と“場面”は同じことを言っている。わざわざ“場面”を加える意味はなく、“的場面”を削除すべきである。

4、修飾成分の欠如と余分

① 改革開放対中国的経済発展起着何等的作用啊! 
 “何等的作用”だけでは、“作用”の内容がわからない。ここは、“的作用”の前に修飾語として、形容詞“重要”を挿入すれば、感嘆符で強調しようとしている内容が明確になる。
② 首都将建一座10万吨的啤酒廠,以満足居民啤酒消費量日益増長的需要。
 “10万吨的啤酒廠”では、何が“10万吨”なのかわからない。“年産10万吨啤酒的啤酒廠”或いは“年10万吨産量的啤酒廠”というように、修飾成分を補充し、意味を明確にしなければならない。
③ 作為妻子,当丈夫為了某種正常的事業而処于忘我的境地時,“理解”就顕得至関重要。 
 中国語には、褒義詞(ほめる意味に使うことば)、貶義詞(けなす意味に使うことば)があるが、“事業”は通常、褒義詞(ほめる意味に使うことば)として用いられる。したがって、“事業”は集団行動でも個人行動でも必ず人の役に立つ意義あることであり、この例で名詞“事業”の前に置かれた定語“某種”“正常的”は余計なことばで、削除すべきである。

④ 在本届演講比賽中,華東師範大学代表隊和南大学代表隊獲得冠軍和亜軍
 この文章は、“華東師範大学代表隊”と“曁南大学代表隊”がそれぞれ“冠軍”、“亜軍”になった、ということを言いたいはずだが、このままでは2つの大学のチームが1位、2位の何れをも獲得した、という意味になってしまう。状況語“分別”を挿入し、“分別獲得”としなければならない。
⑤ 両架直升飛机里穿迷彩服的隊員,紛紛相互朝対方伸出表示勝利的両指。 
 “相互”、“朝対方”は同じ意味のことばを重複して使用しており、何れか一方を削除すべきである。
⑥ 管理給企業帯来的変化,突出地表現在全廠上下厳把質量関、争創名牌産品。 
 この例では、動詞“表現”の後の介詞“在”ではじまる句の末尾に動作の方向を表す方向補語が欠けているため、文章が不完全なような印象を受ける。句末に“上”を加えるべきである。
⑦ 多方組織資源,確保古城市民“双節”能新鮮蔬菜。  
 この例では、動詞“吃”のうしろに方向補語“上”を加えることで、到達目標を明確にすることができる。
⑧ 進入12月中旬,数十種高档、中高档掛歴几天之内全部銷售得脱銷了。 
 この例では、動詞“銷售”と補語“脱銷”の語義が重複してしまっている。“全部銷售”と“脱銷”は全く同じことを言っているから、“全部銷售得脱銷了”を“脱銷了”に変えるべきである。

【原文】中華書局《現代漢語》蘭賓漢、那向東主編2006年
 但し、日本語への翻訳と、内容の加筆、修正を加えてある。  

 中国語の文法上の間違いについては、この他、語順の間違いがある。これについては、次回、見ていきたい。


中国の著名人はなぜ日本人女性を妻にしたがるのか

2010年04月22日 | 中国生活
 今回は、多少やわらかいお話である。中国の著名人は過去も現在も、日本女性を伴侶としたがるが、それはなぜか。同じ日本人として、日本女性の美徳が称えられるのはうれしいが、多少美化され過ぎているような気がしないでもない。

            中国名人為什麼願意迎娶日本女人?
            2010年04月01日  来源:新華網
       中国の著名人はなぜ日本の女性を妻にしたがるのか

■ 許多中国名人都娶了日本愛人,老一輩不説,如当過体育部長的乒乓(ping1pang1)球世界冠軍庄則棟、著名小提琴家盛中国等,這是為什麼呢?中国名人為何娶日本愛人?我看還是源于那句話:世界上啥(she2)最好?哪里是天堂?“天堂就是-美国的薪,中国的菜,英国的房,日本的妻。”

 多くの中国の著名人が日本人妻をめとっている。昔の人はさておき、例えば体育部長を務めた卓球の世界チャンピオン、庄則棟、有名なバイオリニスト、盛中国等、これはどうしてだろうか。中国の著名人はどうして日本人妻をめとるのか。私はやはりあの一言に遡ると思う。「世界で何が最も良いか。どこが天国か。“天国とは、アメリカの給料、中国料理、イギリスの家、日本人の妻である。”」

■ 確実,日本女子的魅力,挙世聞名。她們櫻花般的艶麗、温順、嫵媚、典雅,蝴蝶夫人式的情意纏綿、生死相従,已経有許多藝術作品描絵過。20世紀以来,中国的許多文化名人,不僅曾在文字上表達対于日本女子的観感,而且在実際生活里,擁有日本愛人。
・挙世聞名 ju3shi4wen2ming2 世の中で誰でも知っている。[類似語]聞名于世 遐迩聞名[反義語]默默无聞
・嫵媚 wu3mei4 (女性、花などが)なまめかしい。あでやかである。
・情意纏綿 qing2yi4chan2mian2 情がこまやかである
・観感 guan1gan3 観察した後の印象と感想

 確かに、日本女性の魅力は、たいへんよく知られている。彼女たちは、桜の花のように鮮やかで、従順で、あでやかで、マダム・バタフライのように情がこまやかで、生死を共にしてくれ、多くの芸術作品の中に描かれている。20世紀以来、中国の多くの文化人は、文字の上で日本女性の印象を表現しただけでなく、実際の生活でも、日本人妻を持った。

■ 徐志摩以《沙揚娜拉》一詩,将日本女子歌成極品:最是那一低頭的温柔,像一朶水蓮花不勝涼風的嬌羞,道一声珍重,道一声珍重,那一声珍重里有蜜甜的憂愁-沙揚娜拉!

 徐志摩は《さよなら》の詩の中で、日本女性を最高のものとして歌いあげている。「あの低く頭を下げたしとやかさといったら、スイレンの花が涼風に持ちこたえられないようにはにかんでいる。一声、「お大事に」と言う。一声、「お大事に」と言う。あの「お大事に」ということばの中に甘い憂いがある。-さよなら!」

■ 另一位風流人物郁達夫的見識就豊富多了,他在《雪夜》里写道:“日本的女子,一例地是柔和可愛的;她們歴代所受的,自開国到如今,都是順従男子的教育。并且因為向来人口不繁,衣飾起居簡陋的結果,一般女子対于守身的観念,也没有像我們中国那麼固執。又加以纏足深居等習慣毫無,操労工作,出入巷里,行動和男子無差;所以身体大抵総長得肥碩完美,決没有臨風柳弱,瘦似黄花等的病貌。更兼島上火山礦泉独多,水分富含異質,因而関東西靠山一帯的女人,皮色滑膩通明,細白得像磁体,至如東北内地雪国里的嬌娘,就是日本也有雪美人的名称,她們的肥白柔美,更可以不必説了。所以諳熟了日本的言語風習,謀得了自己独立的経済来源,揖別了血族相連的親戚弟兄,独自一人在東京定住以后,于旅舍寒灯的底下,或街頭漫歩的時候,悩乱我的心霊的,是男女両性間的種種牽引,以及国際地位落后的悲哀。”
・肥碩 fei2shuo4 (果実が)よく実って大きい。(体が)大きく太っている
・滑膩 hua2ni4 すべすべしてきめの細かい
・諳熟 an1shu2 熟練する。熟知する
・揖別 yi1bie2 拱手(きょうしゅ。両手を胸の前で組み合わせておじぎをする、中国式の挨拶)して別れる

もう一人の風流人、郁達夫の見識はもっと豊富で、彼は《雪夜》の中でこう書いている。「日本の女性は、例えばやさしくかわいらしい。彼女たちが歴代受けてきたのは、開国以来今日まで、男性に従順であれ、という教育である。またこれまでずっと人口が多くなく、衣服や日常生活が粗末であった結果、一般の女性の身を守る観念が、我々中国のように執拗ではない。それに加え、纏足(てんそく)して家の奥深くで暮らすという習慣が皆無で、あくせく働き、町を出歩き、行動は男性と変わらない。したがって、体はたいていよく太って美しく、決して風にそよぐ柳のように弱々しかったり、菊の花のようにやせ細ったりということはない。また島国で火山や鉱泉が多く、水分にミネラルを豊富に含むことから、箱根の東西の山地の付近一帯の女性は、皮膚がきめ細かくつややかで、陶磁器のように白く、東北の内地の雪国の若い女性は、日本でも雪国美人の名称があり、彼女たちのふっくらと白く美しいことは、言うまでもない。したがって日本の言語習慣に習熟し、自ら独立する経済的な糧を求めて、親戚兄弟に拱手(きょうしゅ)して別れ、一人東京に住まいを定めて以後、旅の空でも、街をそぞろ歩いても、私の心をかき乱すのは、男女間の様々なかけ引きや、国際的な地位が低いことの悲哀である。」

■ 郁達夫的処女作也是成名作《沈淪》的主題,則是他対于日本女子的愛憎交織的複雑情緒。在他的小説里,日本女子若非“可望不可及”的良家尤物,就是玩弄中国学子感情的蕩婦。而日本男人几乎都是中国学子的情敵,奪他所愛,給他傷害。主人公対他們充満敵意,同時又陷入自卑感。郁達夫除了曾在日本嫖歌舞伎以外,従未享受過異国愛人的艶福。
・沈淪 chen2lun2 落ちぶれる。零落する
・可望不可及 ke3wang4bu4ke3ji2 遠くから眺めるだけで近づけない。望んでも到達できない。“可望不可即”、“可望不可親”ともいう。
・尤物 you2wu4 優れた人や物。美人

 郁達夫の処女作で、有名な《沈淪》のテーマも、彼の日本女性に対する愛憎の交錯する複雑な感情である。彼の小説の中で、日本女性は「遠くから眺めるだけで近づけない」箱入り娘であり、中国人の学生を弄ぶ、尻軽女である。そして日本人の男性はほとんどが中国人の学生の恋敵であり、彼の愛したものを奪い、彼を傷つける。主人公は彼らに敵意を充満させ、同時に劣等感に陥る。郁達夫は日本で芸者を買ったことがある他は、異国の愛人の艶福を享受したことがなかった。

■ 中国名人娶日本妻子的例子很多,挙不勝挙。
・挙不勝挙 ju3bu4sheng4ju3 枚挙にいとまがない。=不勝枚挙

 中国の著名人で日本人の妻子をめとる例はたいへん多く、枚挙にいとまがない。

■“名将之花”蒋百里迎娶日本妻子。軍事学家、前陸軍大学代理校長蒋方震(百里)的愛妻左梅(佐藤氏),原是日本駐華公使館的看護長,也是日本女子。在奉派看護蒋百里時,両人相互由敬慕生愛而結合。他們的女儿、鋼琴家蒋英留学徳国,后来成了銭学森的妻子。所以人們開玩笑説:銭学森是半個日本女婿呢。

 「名将の花」蒋百里は日本人の妻子をめとった。軍事学者で、前陸軍大学代理校長、蒋方震(百里)の愛妻、左梅(佐藤氏)は、元日本駐華公使館の看護長で、日本人女性であった。蒋百里の看護に派遣され、二人はお互いに敬慕し合い、愛が生まれ、結ばれた。彼らの娘は、ピアニストの蒋英で、ドイツに留学し、後に銭学森の妻になった。したがって人々は冗談でこう言う。銭学森は半分は日本人の娘婿であると。

■ 蒋百里被誉為中国最有才的軍事学家,抗戦期間因労累過度在睡夢中猝死。当時,馮玉祥在香港報上発表文章,一口咬定,説蒋是被妻子打毒針致死的。女儿蒋華知道后,立即打電報堅決否認。左梅追随丈夫終生,跟従他抗日,早就断絶了与日本娘家親人的一切来往,也不教孩子們説日本話。蒋百里死后,她一直留在中国為蒋家守寡,1978年在京去世。
・猝死 cu4si3 突然死する
・一口咬定 yi1kou3yao3ding4 一言で断言する
・守寡 shou3gua3 後家を通す

 蒋百里は中国で最も才能のある軍事学者であると称えられ、抗日戦争期に過労のため、睡眠中に突然死した。当時、馮玉祥は香港の新聞紙上に文章を発表し、蒋は妻子に毒薬を注射されて死んだと断言した。娘の蒋華はそれを知ると、直ちに電報を打ち、それを断固否定した。左梅は終生夫に付き従い、彼と抗日に従事し、とっくに日本の実家の親族とは一切の連絡を絶ち、子供たちにも日本語を話させなかった。蒋百里の死後、彼女はずっと中国に留まり蒋家の為に後家を通し、1978年に北京で亡くなった。

■日本郡主嫁給前清皇弟溥傑。嫁給前清皇弟溥傑的日本郡主嵯峨浩,是才貌双全的貴族。在溥傑出獄后仍回到婆家団聚,最后死在中国。她回娘家在日本的時期,堅決要求大女儿嫁一個中国丈夫:“你父親是中国人!你是中国人的女儿!応該按照中国人的礼節,遵父命嫁給中国人!”結果竟造成大女儿和日本男友双双殉情。周恩来得知后,還曾過問此事。
・郡主 jun4zhu3 王族の娘
・才貌双全 cai2mao4shuang1quan2 才色兼備
・団聚 tuan2ju4 別れ別れの肉親や親友が集まる。団欒する
・双双 shuang1shuang1 ふたりそろって
・殉情 xun4qing2 愛情のために命を絶つ

 日本の王族の娘が清朝の皇帝の弟、溥傑に嫁いだ。清朝の皇帝の弟、溥傑に嫁いだ日本の王族の娘、嵯峨浩は、才色兼備の貴族であった。溥傑の出獄後も、実家に帰り肉親と再会したが、最後は中国で亡くなった。彼女が実家の日本に戻っていた時期、長女にある中国の男性に嫁ぐよう強く言いつけた。「あなたの父親は中国人です。あなたは中国人の娘です。中国人の礼節を守り、父親の命を守り中国人に嫁ぎなさい。」その結果、遂には長女は日本人の恋人と心中してしまった。周恩来はこのことを知り、

■郭沫若与陶晶孫的連襟情誼。1892年,郭沫若出生在四川楽山。1914年7月考取官費留学日本,進入東京第一高等学校預科。預科畢業后転入岡山第六高等学校攻読医学。安娜原名佐藤富子,1895年出生在日本仙台,父親佐藤右衛門是基督教牧師。安娜21歳那年,母親佐藤初没跟女儿商量便給她訂了親,安娜離家出走,来到了位于京橋区的東京聖路加病院,做了一名護士。在這所教会医院里相識,浪漫才子郭沫若与佐藤富子相愛同居。這段姻縁,中日両国人民耳熟能詳。
・連襟情誼 lian2jin1qing2yi4 姉妹の婿同士のよしみ
・攻読 gong1du2 専攻する
・耳熟能詳 er3shu2neng2xiang2 聞き慣れているので詳しく説明することができる

 郭沫若と陶晶孫は姉妹の婿同士のよしみである。1892年、郭沫若は四川省楽山に生まれた。1914年7月、日本への官費留学の試験に合格し、東京第一高等学校の予科に入学した。予科卒業後、岡山第六高等学校に転入し、医学を専攻した。安娜の元の名は佐藤富子で、1895年仙台に生まれ、父、佐藤右衛門はキリスト教の牧師であった。安娜が21歳の年、母親の佐藤初が娘に相談なく彼女の縁談を決めたので、安娜は家を出、京橋区にある東京聖路加病院で看護士になった。このミッション系の病院で知合い、ロマンチストの才子、郭沫若と佐藤富子は愛し合い、同居した。この二人の縁(えにし)は、中日両国の人々はよく聞いて知っている。

■ 而陶晶孫作為郭沫若的連襟兄弟,他的異国情縁,則鮮為人知。陶晶孫在日本帝国大学跟郭沫若一起学医,娶了佐藤富子的妹妹佐藤操。陶晶孫是無錫北塘人,生于1897年,不到10歳就随父親去了日本。28歳畢業后担任帝国大学医学部教授助理,后来回国做了上海東南医学院教授。1930年父親要他回郷開設医院,謹遵父命,陶晶孫創立“厚生医院”。

 陶晶孫は郭沫若の義理の兄弟になったのであるが、彼の異国での情誼の縁は、知る人が少ない。陶晶孫は日本帝国大学で郭沫若と共に医学を学び、佐藤富子の妹の佐藤操を娶った。陶晶孫は無錫北塘の人であり、1897年に生まれ、10歳にならぬうちに父親に従い日本にいった。28歳で卒業後、帝国大学医学部の教授助理となり、後に帰国し上海東南医学院の教授となった。1930年父親が彼に郷里に戻り開業するよう要求すると、父の命を守り、陶晶孫は“厚生医院”を創設した。

■ 陶晶孫多才多藝。他是中国現代預防医学与寄生虫研究的先駆;他在小説、音楽、美術等方面都有一定造詣,1927年出版小説集《音楽会小曲》;他精通日文和徳文,翻訳過一些文学作品。佐藤操受過良好的教育,喜愛文藝,她与陶晶孫相識的時候,在仙台一所女子学校当英語教師,他們的浪漫交遊由鋼琴開始。

 陶晶孫は多才多芸であった。彼は中国現代予防医学と寄生虫研究の先駆者であった。彼は小説、音楽、美術等の面で造詣があり、1927年に小説集《音楽会小曲》を出版した。彼は日本語とドイツ語に精通し、いくつかの文学作品を翻訳した。佐藤操は十分な教育を受け、文芸を好み、彼女は陶晶孫と知合った時、仙台のある女学校の英語教師をしていたが、彼らのロマンスはピアノから始まった。

■ 郭沫若娶的姐姐佐藤富子,改称中国姓名為郭安娜;陶晶孫的妹妹佐藤操,改称中国姓名為陶弥麗。無論命運如何坎坷多難,她們一直成為家庭的支柱,忠于中国丈夫,并把中日聯姻的結晶-混血儿子女全都撫養成人,受畢高等教育。佐藤姐妹倆都是典型的日本式賢妻良母,可敬可佩。
・坎坷 kan3ke3 (道の)でこぼこ。不遇である。

 郭沫若が娶った姉の佐藤富子は、改名して中国名、郭安娜となった。陶晶孫が娶った妹の佐藤操は、改名して中国名、陶弥麗となった。運命が如何に不遇であっても、彼女たちはずっと家庭の支柱となり、中国人の夫に忠実であり、また中日の国際結婚の結晶である混血の子女を成人に育て上げ、高等教育を受けさせた。佐藤姉妹二人は典型的な日本式の良妻賢母で、敬服すべきである。

■ 辜鴻銘与康有為的日本情縁。辜鴻銘認為:日本女子,即使是貧苦的下層女子身上,也有某種名貴的気質,她們柔弱、温順、純潔、敏感、真誠、高雅、甜蜜、勇敢、女人味十足;這種気質,本為古代(特別是漢唐)中国女子所有;可惜宋代以后,由于理学変得越来越庸俗,越来越小気,逐漸閹殺了這種可貴的気質。因此,若想找回能够体現中華文明的理想女子,只有到日本去尋求了。辜鴻銘対日本女子的賛揚并非紙上談兵,而有実践体験:他娶日本女子吉田貞為小妾,甚至到了没有她調理就不能入睡的程度。
・十足 shi2zu2 満ち満ちている
・理学 li3xue2 理学。性理学。宋、明代の唯心論哲学思想。朱熹などを代表とする客観的観念論と、王陽明を代表とする主観的観念論を含む。
・庸俗 yong1su2 俗っぽい。卑俗である。
・紙上談兵 zhi3shang4tan2bing1 机上の空論

 辜鴻銘と康有為の日本での情誼の縁。辜鴻銘はこう考えていた。日本の女性は、たとえ貧しい下層階級の女性の身にも、ある種気高い気質があり、彼女たちは柔らかで弱弱しく、従順で、純潔で、敏感で、誠実で、高雅で、甘く、勇敢で、女性としての味わいが満ち満ちている。こういった気質は、元々古代(特に漢、唐)中国の女性も備えていたが、残念なことに宋代以降、理学が益々卑俗になり、益々ケチくさくなり、次第にこうした尊い気質を消し去ってしまった。したがって、中華文明を体現できる理想の女性を捜そうと思うと、日本に行って捜すしかない。辜鴻銘の日本女性に対する賛辞は机上の空論ではなく、実践体験がある。彼は日本女性、吉田貞を妾とし、彼女が世話をしてくれないと寝ることもできない程であった。

■ 康有為晩年娶了日本少女市岡鶴子為小妾。1911年6月7日,康有為応梁啓超之邀,従新加坡移居日本,次年春,搬至須磨“奮豫園”,適妻子何旃理懐孕,儿女又年幼,便雇了16歳的神戸少女市岡鶴子作女傭。1913年康有為回国不久,市岡鶴子也来到了上海。在辛家花園的遊存廬,鶴子正式成了康有為的第四妾。1925初,28歳的鶴子懐了身孕,這年康有為68歳。秋,鶴子回日本生下一女,取名凌子。有人伝言康凌子并非康有為的骨肉。鶴子甚至但求一死以表清白。堅貞壮烈不下于蝴蝶夫人。
・堅貞 jian1zhen1 節操を固く守ること

 康有為は晩年、日本人の少女、市岡鶴子を妾にした。1911年6月7日、康有為は梁啓超の招きに応じ、シンガポールから日本に居を移し、翌年春、須磨“奮豫園”に引越し、ちょうど妻の何旃理が妊娠し、子供たちも幼かったので、16歳の神戸の少女、市岡鶴子を女中として雇った。1913年に康有為が帰国して間もなく、市岡鶴子も上海に来た。辛家花園の遊存廬で、鶴子は正式に康有為の四番目の妾になった。1925年初め、28歳の鶴子は懐妊したが、この年、康有為は68歳であった。秋、鶴子は日本に戻り一女を生み、凌子と名付けた。康凌子は康有為の実の子ではないとうわさする者がいた。鶴子は遂には一死を以って身の潔白を証明しようとした。貞節壮烈なこと、蝶々夫人にも劣らない。

■ 回顧歴史,孫中山、梁啓超、蒋介石、周恩来、汪精衛等留学日本的革命家都找過日本愛人,且許多人与日本女人結過婚,所以,“中日応子子孫孫友好下去”,此話意味深長呀。

 歴史を振り返ると、孫中山、梁啓超、蒋介石、周恩来、汪精衛等の日本に留学した革命家は皆日本人の愛人をみつけ、その多くは日本女性と結婚したことがある。したがって、「中日両国は子々孫々仲良くしなければならない」という話は意味深長である。

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 読んでみると、興味本位の内容ではなく、中国近代の革命家たちと日本女性のかかわり、その気質を称えたお話であり、非常に読後感が爽やかである。また、女性の描写表現も参考になると思う。

胡錦涛国家主席の核セキュリティー・サミットでのスピーチ

2010年04月16日 | 中国ニュース
 今週行われた核セキュリティー・サミットで、中国の存在、というのが大きくクローズアップされた。今回、胡錦涛国家主席が出席したが、サミットでどのような発言をしたのか。その内容を見てみたい。

 ところで、今回の胡錦涛主席の訪問は、ワシントンでの核セキュリティー・サミットだけでなく、更に、ブラジルでのBRICs四ヶ国首脳会談、ブラジル・ベネズエラ・チリのラテンアメリカ三ヶ国への訪問、と続いている。

 ここで、中国語の表現でおもしろいのは、“BRICs四ヶ国”の言い方である。

■ 応美国総統奥巴馬、巴西総統盧拉、委内瑞拉総統査韋斯、智利総統皮涅拉邀請,国家主席胡錦涛12日乗専机離開北京,出席在華盛頓挙行的核安全峰会和在巴西利亜挙行的“金磚四国”領導人第二次正式会晤,并対巴西、委内瑞拉進行国事訪問,対智利進行工作訪問。

・金磚四国 BRICs四ヶ国のこと。ブラジル(Brazil)ロシア(Russia)インド(India)中国(China)の四ヶ国の英語の頭文字をつなげて“BRICs”と呼ばれるが、その発音が英語の“Bricks”、レンガ、中国語で“磚塊”zhuan1kuai4に似ていることから、BRICs四ヶ国を“金磚四国”と呼ぶ。
日本語に訳すと、「金のレンガ」となり、金鉱、新たな富や成長の源泉のような期待に胸膨らむ意味合いが込められている。

・会晤 hui4wu4 首脳が会見する、会談する。或いは、名詞として首脳の会見、会談。文書用語であり、口語では用いない。
・国事訪問 公式訪問。国家の元首が他国の元首の招待を受け、公式に訪問すること。招待をする側の接待は、外交儀礼に基づき手配される。一般に、赤絨毯の使用、儀仗隊閲兵、礼砲21発、等が実施される。これに対し、“工作訪問”はこのような煩雑な儀式がないが、訪問内容そのものは、あまり大きな違いはない。最近は国家指導者が重大問題の協議で会談する際は、“工作訪問”の形態が採られる。
 今回のラテンアメリカ三ヶ国訪問では、ブラジルとベネズエラが“国事訪問”、チリは“工作訪問”と位置付けが異なる。

 アメリカのオバマ大統領、ブラジルのルーラ大統領、ベネズエラのチャベス大統領、チリのビニェラ大統領の招請に応じ、胡錦涛国家主席は12日、専用機で北京を発ち、ワシントンで開催される核セキュリティー・サミットとブラジリアで開催される“BRICs四ヶ国”第二回首脳会談に出席し、ブラジル、ベネズエラへ公式訪問を行い、チリへ非公式訪問を行う。

 出発に先立ち、4月8日に中国外交部が報道機関に対し、今回の首席訪問のブリーフィングを行った。この“ブリーフィング”の言い方もおもしろい。
■ 外交部挙行吹風会介紹有関情况
・吹風会 ブリーフィング。首脳会談のあと、当局者から報道関係者に対してなされる簡単な内容説明。“吹風”は口語で、わざと人にほのめかす、それとなく漏らす、という意味があり、そこから派生したことば。(例:他向別人吹風要辞去総経理的職務/彼は社長をやめたいと人にほのめかしている)
 外交部はブリーフィングを開催し、関連情報を紹介した。

 さて、本題の、核セキュリティー・サミットでの胡錦涛主席のスピーチである。

            胡錦涛在核安全峰会上的講和(全文)
             2010年04月14日 来源:新華社

           携手応対核安全挑戦 共同促進和平与発展
              -在核安全峰会上的講和
              (2010年4月13日,華盛頓)
              中華人民共和国主席 胡錦涛

   協力して核セキュリティーに挑戦し、共同で平和と発展を促進しよう
         -核セキュリティー・サミットでのスピーチ
            (2010年4月13日、ワシントン)

■ 尊敬的奥巴馬総統,
各位同事:
核安全問題事関核能和経済可持続発展,事関社会穏定和公衆安全,事関国際和平与安寧。

 尊敬するオバマ大統領、
ご出席の皆さん、
核安全問題は原子力エネルギーと経済の持続可能な発展に関わることであり、社会の安定と公衆の安全に関わることであり、国際平和と安寧に関わることである。

■ 核能開発利用是20世紀人類最偉大的科技成就之一,促進了人類社会進歩,給広大民衆帯来了福祉。歩入21世紀,為応対気候変化、保障能源安全,核能需求大幅増長,核工業発展勢頭強勁,核能与各国経済社会発展的関係更為緊密。
・福祉 fu2zhi3 幸福

 原子力エネルギーの開発利用は20世紀人類の最も偉大な科学技術の成果のひとつであり、人類社会の進歩を促進し、幅広い民衆に幸福をもたらした。21世紀に入り、気候変動、エネルギー安全への保障に対応する為、原子力エネルギー需要は大幅に増大し、原子力産業の発展の情勢は力強く、原子力エネルギーと各国の経済社会発展との関係は益々緊密になってきている。

■ 同時,国際安全形勢複雑多変,核安全問題日益引起国際社会関注,主要是非伝統安全問題凸顕、核恐怖主義潜在威脅不容忽視、核材料流失和非法販運風険上升。妥善応対核安全挑戦,保障核能持続健康発展,維護国際安全穏定,成為各国共同面臨的重要課題。

 同時に、国際的な安全情勢は複雑で様々に変化し、核安全の問題は日増しに国際社会の関心を集め、主にこれまでになかった安全問題が顕在化し、核テロの潜在的脅威が無視できなくなり、核物質の流失や違法な販売、輸送のリスクが高まっている。核セキュリティーの挑戦に適切に対応し、原子力エネルギーの健全な発展の持続を保障し、国際的な安全安定を維持することが、各国が共同で直面する重要な課題になっている。

■ 加強核安全符合各国共同利益,需要我們携手努力。借此机会,我願提出5点主張。

 核安全強化は各国の共同の利益に符号し、私たちの協力、努力が必要である。この機会をお借りし、私は五点の主張を申し上げたい。

■ 第一,切実履行核安全的国家承諾和責任。各国応該更加重視核安全問題,履行相関国際義務,加強国内相関立法和監督管理机制,采取有効措施保護本国核材料和核設施安全,培育核安全文化,強化出口管制,提高核安全能力。

 第一、核セキュリティーの国家承諾と責任を的確に履行しよう。各国は核の安全問題をもっと重視し、関連する国際義務を履行し、国内の関連する立法と監督管理メカニズムを強化し、本国の核物質と核施設の安全を保護する有効な措置を採り、核セキュリティーの文化を育成し、輸出規制を強化し、核セキュリティーの能力を高めなければならない。

■ 第二,切実鞏固現有核安全国際法框架。我們応該推動《核材料実物保護公約》修訂案尽早生効,促進《制止核恐怖主義行為国際公約》的普遍性。応該全面履行聯合国安理会有関決議,有効打撃核材料非法販運,防範非国家行為者獲取核材料。

 第二に、現行の核セキュリティー国際法の枠組みを的確に強化しよう。私たちは《核物質防護条約》改訂案のできるだけ早期の発効を推進し、《核テロ防止条約》の普遍性を促進しなければならない。国連安保理の関連決議を全面的に履行し、核物質材料の不法な販売、輸送に有効な打撃を与え、非国家行為者が核物質を入手することを防止しなければならない。

■ 第三,切実加強核安全国際合作。各国応該充分利用現有多辺和双辺合作机制和渠道,分享核安全経験,加強信息交流和執法合作。応該支持国際原子能机構在核安全領域発揮主導作用,充分利用机構平台,支持各国核安全努力。各国還可以探討合作開発有助于降低安全風険的核技術。

 第三に、核セキュリティーの国際協力を的確に強化しよう。各国は現有の多国間や二国間の協力メカニズムとルートを充分に利用し、核セキュリティーの経験を分かち合い、情報交流と法律執行の協力を強化しなければならない。国際原子力機構が核セキュリティーの領域で指導力を発揮することを支持し、充分に機構のプラットフォームを利用し、各国の核セキュリティーへの努力を支持しなければならない。各国はまたセキュリティー・リスクの低減に役立つ核技術の協力開発を討議することができる。

■ 第四,切実幇助発展中国家提高核安全能力。国際原子能机構和発達国家応該尊重発展中国家意願,根据其実際需要和現有条件,在経済、技術、人力資源等方面加大援助力度,促進実現普遍核安全。

 第四に、発展途上国が核セキュリティー能力を向上させるよう的確に支援しよう。国際原子力機構と先進国は発展途上国の要望を尊重し、実際の重要と現有条件に基づき、経済、技術、人材等の面で支援を強化し、普遍的な核セキュリティーの実現を促進しなければならない。

■ 第五,切実処理好核安全与和平利用核能的関係。核安全措施応該有利于為各国和平利用核能営造有利環境,促進該領域国際合作。

 第五に、核セキュリティーと原子力の平和利用の関係を的確に処理しよう。核セキュリティー措置は各国の原子力の平和利用に有利な環境を打ち立て、当該領域の国際協力を促進する上で有益でなければならない。

■ 各位同事!
中国本着負責任的態度,高度重視核安全,堅決反対核拡散和核恐怖主義,為此作出了一系列積極努力。

 ご出席の皆さん、
 中国は責任ある態度により、核セキュリティーを高度に重視し、核拡散と核テロに断固反対し、このため一連の積極的な努力を行う。

■ -全面加強核安全能力。中国已建立較為完善的核安全法規和監管体系,采取有効措施確保核材料和核設施安全,注重在核工業界培育核安全文化,実施厳格的出口管制,依法防範核材料非法販運,保持着良好核安全紀録。
・防範 fang2fan4 防備する。防止する

 核セキュリティー能力を全面的に強化する。中国は既に比較的整った核セキュリティーの法律と管理監督体系を設立し、有効な措置を採り核物質と核施設の安全を確保し、原子力産業界に核セキュリティーの文化を育むことを重視し、厳格な輸出管理を実施し、法律に基づき核物質の違法な販売、輸送を防止し、良好な核セキュリティーの記録を維持している。

■ -厳格履行核安全国際義務。中国支持并厳格履行現有核安全国際公約及聯合国安理会相関決議。2008年,中国批准了《核材料実物保護公約》修訂案。中国已啓動《制止核恐怖主義行為国際公約》国内批約程序,将積極推動這一進程。

 核セキュリティーの国際義務を厳格に履行する。中国は現有の核セキュリティー国際条約と国連安全保障理事会の関連決議を支持、厳格に履行する。2008年、中国は《核物質保護条約》の改訂案を批准した。中国は《核テロ行為防止国際条約》の国内批准プロセスをスタートさせ、このプロセスを積極的に推進していく。

■ -重視并積極参与国際核安全合作。中国積極支持国際原子能机構核安全工作,是“打撃核恐怖主義全球倡議”的創始伙伴国,同許多国家保持双辺交流。2008年北京奥运会期間,中国同国際原子能机構及有関国家在核安全領域開展了良好合作。上海世博会即将挙行,中国将継続就此同有関方面開展合作。中方願同各国分享做好重大活動核安全工作的経験。

 国際核セキュリティー協力を重視し、積極的に参加する。中国は国際原子力機構の安全事業を積極的に支持し、「核テロ打倒グローバル提案」の創始パートナー国として、多くの国と二国間の交流を維持する。2008年の北京オリンピックの期間中、中国は国際原子力機構及び関連する国家と、核セキュリティーの領域で良好な協力を展開した。上海万博が間もなく挙行されるが、中国は引き続きこの面で関連方面と協力を展開する。中国側は核セキュリティー事業の経験を各国と分かち合い、重大な活動をやり遂げたいと願っている。

■ -積極向発展中国家提供核安全援助。近年来,中国通過技術演示和人員培訓等方式,向本地区国家提供了力所能及的幇助。中国正積極考慮同有関国家合作,在華建立核安全示範中心,在地区核安全合作方面進一歩発揮作用。
・力所能及 li4suo3neng2ji2 (自分の)能力に相応する

 積極的に発展途上国に核セキュリティーの援助を提供する。近年、中国は技術実演や人員のトレーニング等の方式で、当地区の国家に分相応の支援を提供した。中国は関連する国と協力し、中国に核セキュリティーのモデルセンターを建設し、地区の核セキュリティー協力の面でより一層影響を発揮したいと積極的に考えている。

■ 各位同事!
実現核能完全和平利用是全人類的共同願望。中国一貫主張全面禁止和徹底銷毀核武器,堅定奉行自衛防御的核戦略,始終恪守在任何時候和任何情况下不首先使用核武器的政策,明確承諾無条件不対無核武器国家和無核武器区使用或威脅使用核武器。中国堅決反対核武器拡散,積極支持加強国際核安全努力,堅定支持各国平等享有和平利用核能権利。
・銷毀 xiao1hui3 廃棄する
・恪守 ke4shou3 謹んで守る

 ご出席の皆さん、
原子力エネルギーの完全な平和利用は全人類の共同の願いである。中国は核兵器の全面禁止と徹底廃棄を一貫して主張し、自衛防御の核戦略を断固として実行し、如何なる時も如何なる状況でも核兵器を先に使わないという政策を終始謹んで守り、無条件で核を持たない国、核を持たない地区には核兵器を使用も威嚇使用もしないことを明確に承諾してきた。中国は核兵器の拡散に断固反対し、国際的な核セキュリティーを強化する努力を積極的に支持し、各国が平等に原子力エネルギーの平和利用を分かち合う権利を断固支持する。

■ 核能是清潔的,也必須是安全的。我相信,只要我們進一歩凝聚共識,本着互利共贏的精神,普遍参与,密切合作,就一定能够有効応対核安全挑戦,全面促進可持続発展,為世界持久和平、共同繁栄作出貢献。
謝謝各位。

 原子力エネルギーは清潔で、また安全なものでなければならない。私たちが共に知識を結集させ、WIN-WINの精神に基づき、普遍的に参与し、緊密に協力しさえすれば、必ずや核セキュリティーの挑戦に有効に対応でき、持続可能な発展を全面的に促進し、世界の恒久平和と共同繁栄に貢献できると信じている。

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 以上で目につくのは、全ての国は原子力の平和利用の恩恵を享受する権利がある、という主張で、アメリカを牽制する意向が働いていることが読み取れた。“当地区の国家に分相応の支援を提供した”という発言があったが、この“当地区の国家”とはどこを指すのかが気になるところである。

紅楼夢 第五回(その2)

2010年04月12日 | 紅楼夢
 寧国邸での梅の花見にやってきた宝玉、疲れたので、賈蓉の妻の秦氏の部屋に行き、休ませてもらうことになった。宝玉が秦氏の寝室で昼寝をすると、夢の中に美しい仙女が出てきた。さて、今回はその続きです。

                    (その二)

■ 宝玉見是一個仙姑,喜的忙来作揖問道:“神仙姐姐不知従那里来,如今要往那里去?也不知這是何処,望乞携帯携帯.”那仙姑笑道.“吾居離恨天之上,灌愁海之中,乃放春山遣香洞太虚幻境警幻仙姑是也.司人間之風情月債,掌塵世之女怨男痴.因近来風流冤孽,纏綿于此処,是以前来訪察机会,布散相思.今忽与尓相逢,亦非偶然.此離吾境不遠.別無他物,僅有自采仙茗一盞,親醸美酒一瓮,素練舞歌姫数人,新填《紅楼夢》仙曲十二支,試随吾一遊否?”宝玉聴説,便忘了秦氏在何処.竟随了仙姑,至一所在,有石牌横建.上書“太虚幻境”四個大字,両辺一副対聯,乃是:
假作真時真亦假,
無為有処有還無.

・作揖 zuo4yi1 =拱手 拱手する。両手を組み合わせて高く挙げ、上半身を少し曲げる
・冤孽 yuan1nie4 前世の因業
・纏綿 chan2mian2 まとわりつく。つきまとう

 宝玉は仙女を見ると、うれしくなって、急いで拱手して問うた。「仙女のお姉さん、どこから来られました?これからどちらに行かれるのですか?また、ここはどこなのでしょう。どうか連れて行ってください。」その仙女は笑って言った。「私は離恨天の上、灌愁海の中におります。すなわち放春山の遣香洞、太虚幻境の警幻仙女とは私のこと。人間世界の色恋の貸し借り、浮世の男女の恋や恨みを司っています。近頃、風流の罪つくりどもが、この地にまとわりついて離れませんゆえ、以前からやって来て、相思の情をちらしてやる機会をうかがっておりました。今、あなたにお会いしたのも、まんざら偶然とは言えません。ここは我が里からも遠くありません。別段何もございませんが、自ら採った茶を一杯、自ら醸した酒を一甕差し上げたいと思います。平素より踊りの鍛錬をしている歌姫が数人おり、新たに《紅楼夢》という曲を十二曲作りましたので、試みに私について遊びに来られませんか。」宝玉はそれを聞くと、秦氏がどこにいるかも忘れ、仙女について行き、とある場所にやって来た。そこは横に石の牌楼が建っており、上に“太虚幻境”の四文字が大書され、両側に対聯が掲げられ、そこには次のように書かれていた。
 仮の真なる時は真もまた仮
 無の有なる所は有もまた無

■ 転過牌坊,便是一座宮門,上面横書四個大字,道是:“孽海情天”.
又有一副対聯,大書云:
厚地高天,堪嘆古今情不尽.
痴男怨女,可憐風月債難償.

 牌楼をくぐり抜けると、宮門があり、その上には四文字が大書され、“孽海情天”とあった。その両側にも対聯が掲げられ、次のように大書されていた。
 厚地高天、歎ずるに堪えたり古今の情は尽きず、
 痴男怨女、憐れむべし風月の債は償い難し。

■ 宝玉看了,心下自思道:“原来如此.但不知何為‘古今之情’.何為‘風月之債’?従今倒要領略領略.”宝玉只顧如此一想,不料早把些邪魔招入膏肓了.当下随了仙姑進入二層門内,至両辺配殿,皆有扁額対聯,一時看不尽許多,惟見有几処写的是:“痴情司”,“結怨司”,“朝啼司”,“夜怨司”,“春感司”,“秋悲司”.看了,因向仙姑道:“敢煩仙姑引我到那各司中遊玩遊玩,不知可使得?”仙姑道:“此各司中皆貯的是普天之下所有的女子過去未来的簿册,尓凡眼塵躯,未便先知的.”宝玉聴了,那里肯依,復央之再四.仙姑無奈,説:“也罷,就在此司内略随喜随喜罷了.”

・領略 ling3lve4 はじめて知る。味わう
・膏肓 gao1huang1 膏肓(こうこう)。事態がもはや救いようのない状態にあること。
 [参考]中国医学では、“膏”は胸の下部、“肓”は胸と腹の間にある薄い膜をいい、“膏”と “肓”は病気の最も治療しにくいところとされた。
・使得 shi3de2 構わない

宝玉はそれを見ると、心の中で思った。「なるほど、そういうことだったのか。しかし、“古今の情”とは何だろう。“風月の債”とは何だろう。これからそれをちょっと味わってみたいものだ。」宝玉はそんなことばかり考え、知らず知らず早くも邪(よこしま)な気持ちを膏肓に招じ入れてしまった。仙女について二層の門の内側に入ると、両側に配殿かあり、それぞれに扁額と対聯があり、一時にはあまり多くは見尽くせない。ただ、何ヵ所かに“痴情司”、“結怨司”、“朝啼司”、“夜怨司”、“春感司”、“秋悲司”などと書いてあるのが見えるだけだった。そこで仙女に言った。「できれば私にあそこをひとつひとつ見せていただきたいのですが、構わないでしょうか。」仙女は「これらの司にしまってあるのは普天の下のあらゆる女子の過去と未来の帳簿で、あなたのような凡人の目、普通の体の人には先に知らせることはできません」と答えた。宝玉はそう聞くと、どうして納得できよう、再三再四お願いしたので、仙女もどうしようもなく、言った。「わかりました。この司をちょっとだけ拝ませてあげましょう。」

■ 宝玉喜不自勝,抬頭看這司的扁上,乃是“薄命司”三字,両辺対聯写的是:
春恨秋悲皆自惹,
花容月貌為誰妍.

 宝玉は喜ぶまいことか、頭を上げるとこの司の扁額を見た。そこには“薄命司”の三文字が書かれ、両側の対聯にはこう書かれていた。
 春恨秋悲は皆自ら惹き起す、
 花容月貌は誰が為に妍(あでや)かなる。

■ 宝玉看了,便知感嘆.進入門来,只見有十数個大厨,皆用封条封着.看那封条上,皆是各省的地名.宝玉一心只揀自己的家郷封条看,遂無心看別省的了.只見那辺厨上封条上大書七字云:“金陵十二釵正册”.宝玉問道:“何為‘金陵十二釵正册’?”警幻道:“即貴省中十二冠首女子之册,故為‘正册’.”宝玉道:“常聴人説,金陵極大,怎麼只十二個女子? 如今単我家里,上上下下,就有几百女孩子呢.”警幻冷笑道:“貴省女子固多,不過択其緊要者録之.下辺二厨則又次之.余者庸常之輩,則無册可録矣.”

 宝玉はそれを見ると、なるほどと感嘆した。門を入ると、十数個の大きな戸棚があり、皆、封じ紙で封印がしてあった。その封じ紙を見ると、皆各省の地名が書かれていた。宝玉はひたすら自分のふるさとの封じ紙を探して見て、他省のものは見ようとしない。すると向こうの戸棚の封じ紙に大きく七文字、“金陵十二釵正册”と書いてあるのを見つけた。宝玉は問うた。「どうして“金陵十二釵正册”なのですか。」警幻は「すなわち、あなたの省のもっとも優れた十二人の女子の帳簿だから、“正册”というのです。」と答えた。宝玉は言った。「よく人々が言っていますが、金陵はとても大きいのに、どうしてたった十二人の女子なのですか。私の家だけでも、上から下まで、数百人の女の子がいます。」警幻は冷やかに笑って言った。「あなたの省の女子は固より多いが、その中の重要な者だけ選んで記録しています。下のふたつの棚がこれに次ぐものです。それ以外の平凡な輩は、帳簿に記録されていません。」

■ 宝玉聴説,再看下首二厨上,果然写着“金陵十二釵副册“,又一个写着“金陵十二釵又副册”.宝玉便伸手先将“又副册”厨開了,拿出一本册来,掲開一看,只見這首頁上画着一幅画,又物,也無山水,不過是水墨染的満紙烏雲濁霧而已.后有几行字跡,写的是: 
霽月難逢,彩雲易散.心比天高,身為下賤.
風流霊巧,招人怨.寿夭多因毀謗生,多情公子空牽念.

・霽月 ji4yue4 晴れ上がった空の月。

 宝玉はそう聞くと、下の二つ目の棚を見ると、果たして“金陵十二釵副册“と書いてあり、またもう一つには“金陵十二釵又副册”と書いてあった。宝玉は手を伸ばすと、“又副册”の棚を開き、帳簿を一冊取り出すと、開いて見てみたが、最初のページに一幅の絵が描いてあるのが見えただけであった。それは人物でもなく、山水でもなく、ただ紙一面を水墨でぼかした黒い雲と霧であるに過ぎなかった。後ろに数行の字があり、こう書かれていた。
霽月には逢い難く、彩雲は散り易し。心は天より高けれど、身は下賤なり。
風流霊巧は、人の怨みを招く。夭寿は多く誹謗により生じ、多情の公子は空しく念(おもい)を牽くのみ。

※晴霽のことを詠んだもの。多情の公子とは、当然、宝玉のことである。

■ 宝玉看了,又見后面画着一簇鮮花,一床破席,也有几句言詞,写道是:
枉自温柔和順,空云似桂如蘭,
堪優伶有福,誰知公子無縁.

 宝玉が見てみると、また後ろの頁に一群の美しい花と、一枚の破れた蓆が描かれており、またいくつかの詞書きが添えられていた。書かれていたのは、
温柔和順というも枉(むな)しく、桂に似、蘭の如しと云うも空しい。
羨むに堪えたり、優伶に福有るを。誰か知らん、公子に縁無きを。

※襲人のことを詠んだもの。破れた蓆の“席”と“襲”を音が同じ、つまり諧音である。
「公子に縁無き」とあり、襲人は宝玉と結ばれることはなかった。

■ 宝玉看了不解.遂擲下這個,又去開了副册厨門, 拿起一本册来,掲開看時,只見画着一株桂花,下面有一池沼,其中水涸泥干,蓮枯藕敗,后面書云:
根并荷花一茎香,平生遭際実堪傷.
自従両地生孤木,致使香魂返故郷.

・遭際 zao1ji4 境遇。めぐりあわせ

 宝玉は見ても意味がわからず、これを捨て置き、また副册の棚の戸を開き、帳簿を一冊取り出し、頁を開いて見ると、一株の木犀の花が描かれているだけで、下には沼があるが、その水は涸れ泥は干上がり、蓮は葉も根も枯れ果てている。後ろに書があり、こう書かれている。
根は荷花と並び一茎香ばし、平生の遭際、実に傷(かな)しむに堪えたり。
両地に孤木が生じてより、香魂をして故郷に返らしむを致す。

※桂花とは夏金桂、蓮は英蓮、後の香菱のことである。
詩は、香菱のことを詠んだもの。香菱は、甄士隠の娘として生まれたが、人さらいにさらわれ、のち薛潘の妾となったが、本妻の夏金桂にいびり殺される。「両地に孤木が生ず」とは、土ふたつに木ひとつなので、“桂”の字のことで、夏金桂を指す。

■ 宝玉看了仍不解.便又擲了,再去取“正册”看, 只見頭一頁上便画着両株枯木,木上懸着一囲玉帯,又有一堆雪,雪下一股金簪.也有四句言詞,道是:
可嘆停机,堪憐咏絮才.
玉帯林中挂,金簪雪里埋.

宝玉は見ても依然何の事か分からず、また捨て置き、今度は“正册”を取り出して見てみると、最初のページに二株の枯れ木が描かれ、木の上には一本の玉のベルトが懸かり、また雪が積もり、雪の中に一本の金の簪が落ちている。これにも四句の詞書きが添えられていて、それには、
嘆くべし機(はた)を停むるの徳、憐れむに堪えたり絮(わたばな)を咏じるの才。
玉帯は林中に掛かり、金簪は雪里に埋もる。

※「林中lin2zhong1の玉帯yu4dai4」とは林黛玉lin2dai4yu4のこと。「雪xue3の中の金簪」とは、薛xue1宝釵のこと(“簪”zan1も“釵”chai1もかんざしの意味)。
*可嘆停机
 “停机”は《後漢書・列女伝・楽羊子妻》に出てくる話で、楽羊子が遠方に学問を修めに行くが、家が恋しくなり、一年だけで家に戻ったところ、彼の妻はちょうど機で布を織っており、楽羊子が家に戻った訳を知ると、はさみを持って機で織っていた反物を切り裂き、それにより学業の中断は将来の大業成就を放棄することだと諭し、楽羊子に学問を継続し、功名を上げるまで、中途で放棄することのないよう諌めた。
*堪怜咏絮才。
 “咏絮才”は《世説新語》に出てくる話で、晋の王凝之の妻、謝道蘊の詩才にまつわるエピソード。ある冬の大雪の日、謝道蘊の叔父の謝安が雪を吟じる詩を作っていて、“白雪紛紛何所擬?”(雪がはらはらと降る様を何に譬えようか?)と言ったところ、兄の謝朗は“撒塩空中差可擬。”(塩を空中に撒く様に多少似ている)と答えたところ、すぐさま謝道蘊は、“未若柳絮因風起。”(それは柳絮(りゅうじょ)が風により起こる、と言うのに及ばない)と言い、謝安はそれをきいて大いに感嘆したという。

■ 宝玉看了仍不解.待要問時,情知他必不肯泄漏,待要丢下,又不舍.遂又往后看時,只見画着一張弓,弓上挂着香櫞.也有一首歌詞云:
二十年来辨是非,榴花開処照宮闈.
三春争及初春景,虎兔相逢大夢帰.

・香櫞 xiang1yuan2 仏手柑。シトロン
・宮闈 gong1wei2 直訳すると「宮中の脇門」だが、“宮闈”で「宮廷」の意味。
 宝玉はそれを見ても依然何のことか分からず、聞いてみようかと思ったが、警幻が事情を漏らすはずがないことは明らかで、捨て去ろうかとも思ったが、捨てるのも惜しい。そこでまた続けて後ろを見てみると、一張りの弓が描かれ、弓には香櫞が掛かっていた。これにも詞書きが一首添えられ、
二十年来是非を弁じ、榴花(ざくろ)開く処、宮闈を照らす。
三春、いかで及ばん初春の景に、虎兎相逢うて大夢に帰せん。

※ここは、元春のことを言っている。弓に香櫞が掛かった絵というのは、“弓”は“宮”と音が同じ(gong1)なので、宮中のことであり、“櫞”と“元”も音が同じ(yuan2)なので、元春が宮中に入り、妃となることを言っている。
“二十年来辨是非”は、元春が二十歳で宮中に入った時は、もう人情世事に通じていたことを指す。榴花(ざくろ)は火のように赤いので“照”の字を用い、元春が鳳藻宮に入れられ、賢妃に封じられたことを言う。《北史》に北斉の安王高延宗が帝を称し,趙郡李祖収の娘を妃とした。後に皇帝が李氏の家で宴席を設けた時、妃の母親の宋氏が一対の石榴を贈った。石榴は種が多いので、子孫が繁栄するという意味でお祝いしたのである。
“三春”は春の三か月のことだが、迎春、探春、惜春の三人を指している。“初春”は元春を指す。“争及”とは、“怎及”のことで、「どうして及ぼうか」。元春の三人の姉妹は何れも彼女の栄華には及ばない、の意。
“虎兔”の句は元春の死期を言っている。つまり、寅卯の日に元春が亡くなることを暗示している。“大夢帰”とは、死ぬことを指す。またこの部分を“虎兕相逢大夢帰”と書く本もあり、この場合は、兕se4 雌の犀の意味で、猛獣どうしが相争うことから、元春の死後、ふたつの政治勢力が争うことを暗示しているという説もある。

 今回はここまでにします。
 ここは、詩の中で使われていることばの影の意味をひとつひとつ紐解いていかないと、本当の意味が理解できません。ということで、読むのに時間がかかってしまいますが、ご容赦を。また次回にお目にかかりましょう。

中国語の文法上の間違い・パターン分類(1)

2010年04月11日 | 中国語
 文章の文法的間違いの識別、修正の訓練を行うことは、正しい文法を身につける有効な方法である。また、ことばの分析能力と応用力を向上させることができる。
 文法上の間違いには、いくつかのパターンがあり、それらを把握する必要がある。ここでは、間違いのパターンを項目ごとにみていきたい。
 尚、内容は、中華書局《現代漢語》蘭賓漢、那向東主編2006年から取り、理解しやすいよう、言葉を追加した。

(一)“詞”の誤用
 詞は、独立して運用でき、意味を有する最小の言語単位である。実詞と虚詞に分かれる。
1、実詞の誤用 
 実詞:(⇔虚詞)単独で文の主要成分になることができる、比較的具体的な概念を表す語で、名詞、動詞、形容詞、数詞、量詞、代詞がこれに当たる。  

 (1)名詞の誤用  
 ① 在所有制問題上仍然存在着的种种疑惑,束縛着人們的思想,障碍着改革的深入進行。
 例①の“障碍”は名詞であり、賓語を伴うことができない。ここでは誤って動詞として使っている。“阻碍”に改めなければならない。 
 ② 希望你在事業上有所造詣
 例②の“有所××”の書式に入るのは動詞である。ところが、文中で名詞“造詣”zao4yi4を誤って動詞として使っている。“発展、進歩”などに改めるべきである。 
 ③ 在這場足球比賽中,我隊很優勢,最后軽易地戦勝了対方。
 例③の“優勢”は名詞であり、程度を表す副詞の“很”の修飾を受けることはできない。名詞を形容詞として誤用している訳である。ここでは、“優勢”の前に“有”を加えるべきである。  

 (2)動詞の誤用
  ① 暁声経常給他的弟弟妹妹們、表哥表弟們寄生活補貼,這種出手都不是小数字。
 動詞“出手”を“這種”の修飾を受ける名詞として使っているが、この文での意味は“拿出来”、「金を出す」という意味で、この場合は名詞として使うことができず、したがって“這種”の修飾が受けられない。そこで、“出手”の後ろに“的”をつけ、名詞句とすればよい。また、この文で、“数字”は数や数量のことであるが、意味はお金の金額なので、“数目”に変えるべきである。
 ② 他編造了種種捏造,妄図破壊我們之間的友誼,但他永遠是徒労的。
 動詞“捏造”を“編造”の賓語、また“種種”の修飾を受ける名詞として使っている。“捏造”は一般に名詞として使うことができず(辞書には名詞としての用例も出ているが、名詞句的な限られた場合のみ)、ここでは適当でない。“謡言”、“謊言”などに置き換えなければならない。
 ③ 連続几年糧食收成較好,農副産品的供応也十分保証
 動詞“保証”を程度副詞“十分”を受ける形容詞として使っているが、“保証”を形容詞として使うことはできず、よって“十分”を修飾することはできない。“充足”(十分である。ふんだんにある)に置き換えるべきである。
 ④ 他説話写文章総是重重複複的,没個痛快勁儿。 
 動詞“重複”を畳語法の形容詞として使っているが、“重複”を形容詞として使うことはできない。“羅唆”(ことばがくだくだしい。くどい)を畳語にして、“羅羅唆唆”とするべきである。  

 (3)形容詞の誤用
 ① 時至今日,我們是不是真的越来越聡明?我們不断寛闊眼界,却不断狭小心胸。
 “寛闊”、“狭小”は何れも形容詞で、賓語を伴うことはできない。また、程度副詞“不断”の修飾を受けることができない。そこで語順を入れ替え、“眼界”、“心胸”を主語とする主述句とし、“我們的眼界越来越開闊,但我們的心胸却越来越狭小”とすればよい。
 ② 但是,遺憾得很,我們至今還極其罕見這様的著作問世。
 “罕見”は形容詞で、賓語を伴うことができない。そこで、“著作”を主語とする主述句に改め、“這様的著作還極其罕見”とすればよい。
 ③ 他們最終把意見一致了。
 “一致”は形容詞であるが、述語の中心は他動詞(“及物動詞”)でなければならず、“一致”ではなく動詞“統一”を用いるか、“他們最終達成了一致的意見”に全体を改めるべきである。  

 (4)数量詞の誤用
 ① 従前去城坐汽車車需要6個鐘頭,修了高速公路以后,只要3個鐘頭就到了,時間縮短了1倍。 
 時間の減少は分数で表示され、倍数では表示されない。短縮された時間の3個鐘頭は、もともとの6個鐘頭と比べ、元の半分であるので、“1倍”は“一半”か“二分之一”に改めなければならない。
 ② 他原来毎月只開200多塊銭,現在1個月能掙400多塊銭,收入翻了両番
 200から400への変化は“多了1倍”、或いは“是原来的両倍”と言うことができる。“翻了両番”は200から400、更に400から800になることを指す。もし“番”を用いて表現するなら、“翻了一番”と言うことができる。
 ③ 王廠長的模範作用激発了広大工人的労働熱情,産量一下子提高到百分之二十
 “提高到百分之二十”は正味の増加数量を指し、底数を含まない。したがって“提高到”は“提高了”、或いは“提高”に改めなければならない。
 ④ 我們県向銀行貸款,建起了一座蓄水15万多立方米的水庫。
 “近”、“多”をいっしょに使うことは論理的におかしい。ダムの貯水量により、そのどちらか一方を選択しなければならない。
 ⑤ 他倆個人是一対合作的好伙伴! 
 “倆”は“両個”の意味である。したがって、“個人”を削除するか、或いは“倆”を“両”に変えなければならない。
 ⑥ 他那汗漬的労働布単帽和半新的家做黄布褂子都早已湿透了。 
 量詞“身”は通常、一揃いの衣服を数えるのに用いる。ここで量詞を受ける対象の名詞は“単帽”と“褂子”だが、その両方を“身”で受けることはできない。“身”のところは、“単帽”を受ける量詞として、“身”の代わりに、帽子を数える量詞、“頂”を置く。“褂子”については、量詞“件”を用い、また“単帽”の量詞“頂”が指示代詞“那”を伴っているので、同様に“和”のうしろに、“那件”を置くことで、全体のバランスをとるべきである。  

 (5)副詞の誤用
 ① 他犯這麼厳重的錯誤絶不是偶尓的。
 “偶尓”は副詞であるが、ここは“是~的”構文で、名詞“錯誤”を受ける形容詞を持ってこなければならない。したがって、“偶尓”を形容詞“偶然”に変えなければならない。
 ② 他大哥還不是跟他一様,怕老婆。
  “更”は程度副詞で、程度が一層はなはだしいことだが、前の句で“還不是跟他一様”と言っているので、彼とは異なるはずなのに、“更”というのは論理的におかしい。したがって、“更”を削除しなければならない。
 ③ 没有人会否認,這些成績的取得是大家努力的結果。
 “没有”、“否認”で二重否定を構成し、“大家承認”の意味になっているにもかかわらず、後段でまた“不”で否定するというケースは通常は無いと思われる。普通に考えると、ここでは“不”を削除すべきだと思う。  

 (6)代詞の誤用
 ① 張廠長和劉経理正在研究廠里的新産品問題,告訴説:“資金問題一解决,馬上可以投産了。”  
 この文章では、誰が誰に対し言っているのか分からない。一般に会社内の話題は役職の名詞で人名を代用することができるので、ここでは何れか一方を、“廠長”、“経理”の役職名に改めるべきである。
 ② 従延安路到勝利橋只有六七里,勝利橋到紅旗渠只有七八里,這段距離并不遠。 
 この例では、“延安路到勝利橋”、“勝利橋到紅旗渠”のふたつの区間の距離を話題にしており、“這段”がその何れを指すのか分からない。例えば“前段”、“后段”のように、区間を明確にする語を加えなければならない。
 ③ 三王子忙解釈説,那只白兔是射中的,身上帯着的箭。 
 “説”のうしろの句は“三王子”の説明している内容の間接引用句であり、したがって“他”は“三王子”のことだが、そのうしろの“我”も格を同じにし、“他”に変更しなければならない。
 ④ 我的弟弟来信説:“在工廠里很好,工人師傅很関心。”  
 引用句の中のふたつの“他”は何れも手紙を書いている本人のことであるので、ふたつとも“我”に変えなければならない。或いは、間接引用句に変更し、引用句“”を削除し、コロン‘:’をコンマ‘,’に変更すればよい。
 ⑤ 在首都机場,他告訴我們,很小的時候,他就酷愛滑冰,后来進了哈尓濱市少年隊,這里有他的啓蒙老師。 
 話の場所は“首都机場”であり、彼は遠く“哈尓濱市”の少年隊に入ったのだから、“這里”はおかしく、“那里”に変えなければならない。
 ⑥ 劉主任已経住了両個月医院,不知他現在病情什麼様了?  
 この文で聞いているのは、病気の状況がどうか?ということであるが、疑問代詞“什麼”は状況ではなく、具体的事物を尋ねるのに用いる。よってここでは状況を尋ねる疑問代詞“怎麼様”を使わねばならない。

 2、虚詞の誤用 
 虚詞とは機能語で、文法上の働きをするだけで、単独では文成分にならない語。副詞、介詞、接続詞、助詞、感嘆詞、擬声詞がこれに当たる。  

 (1)介詞の誤用
 ① 我們做任何事情,都要対于人民負責。
 “対于”は対象となる事物を表し、一般に介詞句を構成し、主に主語の後に置かれたり、主題として文頭に出したりする。ところが、この例では動詞“負責”の対象物を表す。したがって“対”、或いは“向”に改めなければならない。
 ② 関于改善学生的生活,我們学校採取了一些措施。 
 “関于”関係のある事物を表す時に用いる。しかしこの例では、「~の面では」という意味であるので、“在~方面”を用い、“在改善学生的生活方面”としなければならない。
 ③ 在不影響収入,尽可能減少風険過大的投資項目。 
 “在~下”の間には連体詞を入れなければならず、動詞句を入れることはできない。ここは、“在不影響収入的情況下”と改めなければならない。
 ④ 為我国花様滑冰事業早日上世界水平作貢献。 
 “把”の後の名詞句は後ろの動詞の動作の対象である。しかし、この例は「~を~させる」という使役の意味合いであるので、“把”を“使”に改め、兼語式の文章としなければならない。  

 (2)連詞の誤用
 ① 姐姐在超市買了牙膏、香、紙杯、衣架和一大框日用品。 
 連詞“和”が連接する成分は、包含したり包含されたりすることはできない。この“和”は“等”に改めなければならない。
 ② 最近,160多名在職人員通過自修取得了博士碩士学位。 
 “博士”と“碩士”の学位は同時に取得することはできないので、ここは“和”ではなく“或”を用いなければならない。
 ③ 明天的演習要看天気変化来決定上午下午挙行。 
 例③、④に関し、選択の意味を表す“或”、“或者”と、“還是”の区分について、“無論”、“不管”等の後ろに来る場合は、何れも使うことができる。しかしそれ以外の場合、“或”、“或者”は選択関係を表す陳述の中で用いられ、疑問句の中で用いることはできず、その場合は“還是”を用いなければならない。 例③では、動詞“決定”の後ろの賓語の部分は疑問の意味を持つので、“或”は“還是”に改めなければならない。
 ④ 李冰打算報考文科或者理科? 
 これは疑問を表す文章であるので、“或者”を“還是”に改めなければならない。  

 (3)助詞の誤用
 ① 我認為一語人生活太順利了倒是一種不幸。 
 “生活”、“太順利”の間に動詞・補語の関係があり、構造助詞は“的”ではなく、“得”に改めなければならない。
 ② 同学們打算仔細欣賞田先生的書法作品。 
 形容詞+“的”で後ろの名詞の修飾語を構成する。ところが、例では“的”の後ろが動詞である。この場合は、“的”を“地”に改めることで、後ろの動詞“欣賞”の修飾語を作ることができる。但し、発音は何れも“de”で同じである。
 ③ 吃是草,擠出来的是奶。 
 吃+“的”で前の句の主語を構成する。後ろの句も同様に、動詞+“的”で主語を構成している。よって、ここは“得”を“的”に改めなければならない。ちなみに、“得”は後ろに形容詞や動詞を伴い、結果や程度を表す補語を導く働きがある。
 ④ 対広告法的実施,一些媒体採取不以為然的態度。 
 “採取”は継続しない行為を表すが、継続する行為を表す“着”を付けるのは論理的に矛盾する。したがって“着”は削除しなければならない。
 ⑤ 連用的詞語在内上不能重復,否則,将会犯画蛇添足的毛病。 
 “了”は実現した行為を表すが、“将会”は結果の予測を表すので、互いに矛盾してしまう。この例では、その前に“否則”と仮定を表しているので、“了”を削除しなければならない。

 【原文】中華書局《現代漢語》蘭賓漢、那向東主編2006年但し、日本語への翻訳と、内容の加筆、修正を加えてある。  

 今回はこれまでとします。次回は、ことばの組合せの誤用のパターンについて、見ていきたいと思います。