今回は京都東山の高台寺です。豊臣秀吉の死後、夫人の北政所ねねが秀吉の菩提を弔うため、秀吉の眠る東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の麓に開いたお寺です。
高台寺の拝観受付所を通って、その先から円山公園の方を見下ろすと、奇妙な建物が見えてきます。
これは大雲寺祇園閣、1928年に当時の大倉財閥の大倉喜八郎が祇園祭の山鉾をモデルに作ったもので、鉄筋コンクリートの建物です。設計は西本願寺伝道院を作った伊東忠太。
さて、高台寺での見ものは庭園です。小堀遠州作庭。方丈正面の枯山水、方丈から開山堂を望む、池を中心とした緑豊かな庭園の二つがあります。
先ずは正面、勅使門を背に、白川砂を敷き詰めた枯山水。真っ白な白川砂で盛り砂が二つ作られています。一つは丸、一つは四角。臨済宗のお寺ですから、これも禅の公案でしょうか。
こちらの庭は、偃月池、臥竜池を中心に、樹木と芝の中に石が効果的に配され、心が洗われるよう。行った日はちょうど朝から雨が降っていましたので、一層緑が鮮やかでした。
開山堂。建仁寺から迎えた三江紹益を祀っていますが、このお堂の見ものは内部の天井の彩飾。秀吉使用の船の天井、北政所の御所車の材が使われているそうで、当時の色使いの絵がそのまま残っています。
開山堂正面の左右の窓は火頭窓。中国宋から禅宗と共に日本に入ってきたものです。
もうひとつ、高台寺の見ものは趣向を凝らした茶室の数々。
傘亭。屋根は宝形作り、天井が無く、屋根裏を放射状に竹の垂木を組み合わせてあり、傘の骨に見立ててあります。
時雨亭。珍しい二階建ての茶室で、階下が待合、階上が茶席だそう。ねねの時代は、樹木もまだ生い茂っておらず、人家も少なかったので、遥か淀川から大阪方面も見渡せ、ねねはこの階上から大坂夏の陣で燃え落ちる大坂城を見て一人涙したとか。
この傘亭と時雨亭は、秀吉の居城であった伏見城から移されたものです。
遺芳庵。豪商、灰屋紹益と、その妻になった六条三筋町遊廓の吉野太夫の好みの茶室で、吉野窓と呼ばれる丸窓が印象的です。