中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

高台寺に行ってきました

2015年07月20日 | 旅行ガイド

 今回は京都東山の高台寺です。豊臣秀吉の死後、夫人の北政所ねねが秀吉の菩提を弔うため、秀吉の眠る東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の麓に開いたお寺です。
 高台寺の拝観受付所を通って、その先から円山公園の方を見下ろすと、奇妙な建物が見えてきます。

 これは大雲寺祇園閣、1928年に当時の大倉財閥の大倉喜八郎が祇園祭の山鉾をモデルに作ったもので、鉄筋コンクリートの建物です。設計は西本願寺伝道院を作った伊東忠太。
 さて、高台寺での見ものは庭園です。小堀遠州作庭。方丈正面の枯山水、方丈から開山堂を望む、池を中心とした緑豊かな庭園の二つがあります。


 先ずは正面、勅使門を背に、白川砂を敷き詰めた枯山水。真っ白な白川砂で盛り砂が二つ作られています。一つは丸、一つは四角。臨済宗のお寺ですから、これも禅の公案でしょうか。

 こちらの庭は、偃月池、臥竜池を中心に、樹木と芝の中に石が効果的に配され、心が洗われるよう。行った日はちょうど朝から雨が降っていましたので、一層緑が鮮やかでした。

 開山堂。建仁寺から迎えた三江紹益を祀っていますが、このお堂の見ものは内部の天井の彩飾。秀吉使用の船の天井、北政所の御所車の材が使われているそうで、当時の色使いの絵がそのまま残っています。
 開山堂正面の左右の窓は火頭窓。中国宋から禅宗と共に日本に入ってきたものです。
 もうひとつ、高台寺の見ものは趣向を凝らした茶室の数々。

 傘亭。屋根は宝形作り、天井が無く、屋根裏を放射状に竹の垂木を組み合わせてあり、傘の骨に見立ててあります。

 時雨亭。珍しい二階建ての茶室で、階下が待合、階上が茶席だそう。ねねの時代は、樹木もまだ生い茂っておらず、人家も少なかったので、遥か淀川から大阪方面も見渡せ、ねねはこの階上から大坂夏の陣で燃え落ちる大坂城を見て一人涙したとか。
 この傘亭と時雨亭は、秀吉の居城であった伏見城から移されたものです。

 遺芳庵。豪商、灰屋紹益と、その妻になった六条三筋町遊廓の吉野太夫の好みの茶室で、吉野窓と呼ばれる丸窓が印象的です。

奈良白毫寺を訪ねて

2015年07月12日 | 旅行ガイド

 奈良公園の東側、北から若草山、そして春日大社の鎮座する御蓋山(三笠山)の南に、高円山(たかまとやま)という山があります。標高400メートルの穏やかな山です。この高円山の西麓にあるのが白毫寺です。
 春日大社本殿から南へ、通称ささやきの小道と呼ばれる森の中の道を抜けると、光明皇后ゆかりの新薬師寺。ここから南東へ1キロほど歩きます。人家の並ぶ坂道を登りきったところに石段が見えてきます。

 石段の両側は萩が生い茂っています。9月の花の季節には、さぞ見事だろうと思われます。そして、石段を登りきったところが白毫寺境内。

 白毫寺本殿。真言律宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。建物は江戸時代に再建されたもの。白毫寺は715年、志貴皇子の死を悼み、父の天智天皇の勅願で、元の志貴皇子の山荘を寺にしたと言われています。


 桔梗の花咲く中庭を抜けて、宝物殿に入ります。見所は、正面の須弥壇中央の平安末期~鎌倉期、定朝様式の阿弥陀如来、その右に、伝文殊菩薩、左に地蔵菩薩。何れも木像ですが、穏やかな表情に気品が感じられます。一方、左手の台には閻魔像、こちらはたいへん表情豊か。右手の台上には、鎌倉時代に白毫寺を中興した、西大寺の叡尊の老年の像が安置されています。

 白毫寺境内から、奈良盆地を見下ろします。遠くの山並みは左手が葛城山、中央が二上山、右手は信貴山から生駒山。ここは奈良盆地の東の端を縫って走る山辺の道の北端に当たります。
 近鉄奈良駅から、春日大社、新薬師寺と通って白毫寺まで。約5キロのコースです。
 次回は是非秋の萩の花が見頃の時期に来たいものです。万葉集、笠金村の詩、
 高円の野辺の秋萩いたづらに
 咲きか散るらむ見る人なしに
朝早く、人気の無い時間に訪れれば、この詩の雰囲気に浸れるのではないかと思います。

秋篠寺に行ってきました

2015年07月05日 | 旅行ガイド

 近鉄京都線の平城駅から西へ、奈良競輪場の先に、樹木の生い茂った所があります。秋篠寺です。
 奈良時代の終わり頃の創建ですが、平安末期の兵火で講堂以外焼失してしまい、焼け残った講堂を鎌倉時代に修理したのが現在の本堂、写真の建物で、国宝に指定されています。屋根の曲線の美しい建物です。
 幅17.45メートル、奥行き12.12メートルの建物の中に、本尊の薬師三尊を中心とした仏像が並ぶなか、須弥壇の向かって左端におられるのが有名な伎芸天で、頭部は奈良時代のオリジナルですが、胴は鎌倉時代に作成されたもの、しかしそれを感じさせないほどバランスよく仕上がっています。


 この写真は本堂の入口手前の境内の様子ですが、地面一面を苔が覆って、幻想的です。このあたりは、元の金堂の跡地で、明治の廃仏毀釈の後、復興することなく、文字通り苔むしたままとなっています。


 秋篠寺南門です。元はこの門の手前に南大門があったようですが、今はこのような小さな門の中にひっそりとたたずんでいます。