近鉄天理駅から東へ2キロ余り、天理教本部の前を通り抜けた先、山の麓の森の中に石上神宮(いそのかみじんぐう)はあります。
大陸から移住してきた渡来人の一つ、物部(もののべ)氏の氏神であり、古代の武器である刀剣の神様です。もっとも、物部氏は、物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされて後は、朝政の中枢を担うことはありまでんでしたが。
神社の拝殿は、現存する最古のもので、国宝に指定されています。時代的には、鎌倉時代初期のものだそうです。
また、現在は拝殿の後ろに本殿がありますが、元来は本殿がなく、神の宿る場所として、禁足地となっていました。明治の発掘調査で、ここから太刀が出土しています。
回廊は、朱に緑色が目に鮮やか。楼門は、元々鐘楼として、鐘が吊るされていたそうです。
境内では、30羽ほどの鶏が放し飼いにされています。神様のお使いとして、大切にされています。
神社の境内入口の木製の大鳥居の周囲はうっそうとした樹木で覆われていて、境内を別世界にしています。
楼門の向かいの一段高いところに、摂社の出雲健雄神社(いずもたけおじんじゃ)があります。草薙の剣の荒御霊、つまり刀の霊魂を祭っています。その向かいに、出雲健雄神社の拝殿があります。
割拝殿という形式で、中央の通路を挟み左右に拝殿があります。ちょうど京都鞍馬の火祭りで有名な由岐神社の拝殿が同じ形式です。
実はこの拝殿は、元来は、石上神宮から山辺の道に沿って1キロ余り南へ行ったところに、明治初頭の廃仏毀釈で廃寺になるまで存在した、内山永久寺の鎮守社の住吉神社の拝殿であったそうです。今は無き内山永久寺の遺構として貴重で、且つ建築様式も珍しく、国宝に指定されています。
この後、内山永久寺跡まで行ってみましたが、あたりは柿畑が広がり、寺院があった面影は残っていませんでした。
石上神宮から山辺の道を南に行くと、まもなく蓮池が見えてきます。ちょうど白い蓮の花が見頃を迎えていました。