もう春節を迎えますので、いささか時期を逸してしまいましたが、農暦の12月8日を“臘八”と言い、この日に特別に作られる粥のことを“臘八粥”と言います。旧暦の年末年始の重要行事である“臘八”を取り上げたいと思います。12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日であり、またそのきっかけが、村娘スジャータが捧げたミルク粥で、それによりお釈迦様が気力を回復し、悟りを得ることができたわけですが、中国の風習も仏教起源です。
■ 飲饌的事,各種食品,不只是要味道好,色彩好,而且還要情調好。没有好的情調,再好的酒、菜,吃起来也乏味。所以説,在“色、香、味、形、器”之外,還応該加一個“情”字,就是要有情趣、有情調,説得再広汎一些吧,就是要有生活的趣味,不管是広筵盛饌、珍惜雑陳也好;或是豆腐青菜、村酒濁醪也好,只要尽歓、尽興,情趣盎然,便津津有味,是一種生活的享受。反之,再好的盛饌佳肴,也是食而不吃其味了。
・情調 qing2diao4 ムード。情緒。気分
・乏味 fa2wei4 味気ない
・筵 yan2 宴席。酒席(“筵”の本来の意味は竹のむしろ。昔はむしろに座ったことから座席を“筵”と言ったが、今はもっぱら酒席の意味で用いられる)
・盛饌 sheng4zhuan4 盛大なもてなし。(“饌”zhuan4はごちそうの意味)
・濁醪 zhuo2lao2 にごり酒
・盎然 ang4ran2 満ちあふれるさま
・雑陳 za2chen2 取り混ぜて並べる
・津津有味 jin1jin1you3wei4 たいへんうまそうである。興味津津。
飲食について言えば、各種の食品は、味がよく、見た目がきれいでなければならないだけでなく、ムードが良くなければならない。良いムードがなければ、良い酒、料理も、食べても味気が無い。だから、「色、香、味、形、器」の他、もう一文字、“情”を加えなければならない。つまり情趣がなければならず、ムードがなければならない。もう少し範囲を広げて言えば、生活の興趣があれば、大宴会のもてなし料理や、珍しいものを取り混ぜて並べたものでも良いし、豆腐と青菜の炒め物や、地酒やどぶろくでも良い。歓待を尽くし、興趣を尽くし、情趣が満ちあふれてさえいれば、たいへん旨そうで、これは生活の中の楽しみである。そうでなければ、どんなに素晴らしいごちそうでも、食べてもその本来の味を味わうことはできない。
■ 労働人民,一年辛苦,歳尾年頭,是最有空閑,講究一点吃喝的時候,這期間,毎一様東西,都充満了生活的情趣,也反映了我国悠久的歴史文化的燦爛光輝。
・燦爛 can4lan4 光輝く
労働人民は、一年間懸命に働き、年末と年初は、最も閑で、食べ物と飲み物に工夫を凝らす時期で、この期間は、全てのものが、生活の情趣に満ちあふれていて、我が国の悠久の歴史文化のきらびやかな輝きを反映している。
■ 就拿“臘八粥”来説吧,読過《紅楼夢》的人,馬上会想起《情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香》的故事。宝玉編造瞎話,説什麼“林子洞”中“耗子精”要熬ao2臘八粥等等,什麼“惟有山下廟里果米最多”,“米豆成倉,果品却只有五様:一是紅棗,二是栗子,三是落花生,四是菱角,五是香芋。”説的極為風趣,這雖説是曹雪芹的生花筆墨,但生活的根据却是真実而又古老的。注意這几点:一是“廟里”,就是説和尚廟里更重視熬ao2臘八粥;二是“米豆”,就是説臘八粥,既要有米,又要有豆;三是“果品却只有五様”,就是説臘八粥,果品不只用五様,還要多。“却只有”,説其少,不足也。
・情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香 :
情は切々として良宵、花は語を解し、
意は綿々として静日、玉は香を生ず。
《紅楼夢》第19回より。
・熬 ao2 (穀類を水に入れて)長時間煮る。/通常は、“熬ao2粥”で、「かゆを作る」の意味に使う。
・果品 guo3pin3 果物とドライフルーツの総称
・生花筆墨 sheng1hua1bi3mo4 =生花之筆墨[成語]すぐれた文章を書く才能。([語源]李白が少年の時、筆の穂から花が咲きだした夢をみて、それから文才が急に上がったという伝説から)
“臘八粥”について言えば、《紅楼夢》を読んだことのある人なら、すぐに《情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香》の物語を思いつくだろう。宝玉はでたらめな話を作り出し、“林子洞”というところの「ねずみの精」が臘八粥を作らないといけなくなり、「山の麓のお寺に米や果実がたくさんあります」だとか、「米や豆は倉になるほどたくさんあるが、果実は五種類しかありません。一つ目は乾しなつめ、二つ目は栗、三つ目はピーナツ、四つ目は菱の実、五つ目は里芋です」と、言い方にたいへんユーモアがあり、これは曹雪芹の文才の為せる技ではあるが、生活に根ざしていることは事実であり、しかも古いものである。いくつかの点に注意しなければならない。一つ目は「寺の中に」で、つまりお寺で臘八粥を作ることが重要な行事となっていた。二つ目は「米と豆」で、つまり臘八粥には米も豆も入れたのである。三つ目は「果実は五種類しかありません」で、つまり臘八粥には果実は五種類だけではなく、もっと多くのものが要るのである。“却只有”とはその少なさを言っており、足りないのである。
■ 臘八粥是很古老的一種節令食品,在宋人筆記《夢粱録》《武林旧事》中均有記載。最早是来源于佛教伝統的。《永楽大典》中摘抄元人《析津志》云:
是月八日,禅家謂之臘八日,煮紅糟粥以供佛飯僧,都中官員士庶,作朱砂粥,伝聞禁中亦如故事。
・節令 jie2ling4 節季。季節。
・摘抄 zhai1chao1 (本から)写し取る。抜粋する
・飯僧 fan4seng1 僧侶に食べ物を布施する
臘八粥はたいへん古い季節の食品である。宋の人が筆記した《夢粱録》《武林旧事》には何れもその記載がある。最も古いものは仏教の伝統を起源としている。《永楽大典》の中に元代の人の書いた《析津志》の次の文が抜粋されている:
今月の八日は、禅宗で言う臘八日(12月8日)であり、赤いごった煮の粥を煮て仏様にお供えし僧侶に布施する。都中の役人や士族、一般庶民までが辰砂色の粥を作る。伝え聞くところでは禁中にも同様のしきたりがあるそうだ。
■ 這説明元代就以臘月初八為臘八,在這一天煮臘八粥供佛飯僧了。但是宋代吃臘八粥的日期与后来則稍有不同。《日下旧聞》引元人孫国敕《燕都遊覧志》云:
十二月八日,賜百官粥,以米果雑成之。品多者為勝,此蓋循宋時故事。然宋時臘八,乃十月八日。
・蓋 gai4 [書面語]おおかた、思うに。(前文を受けて)それは~だからである
・故事 gu4shi4 古いしきたり、習慣。(「お話」の場合は“故事 gu4shi”と後ろが軽声で発音する)
このことは元代には12月8日を“臘八”と言い、この日に臘八粥を煮て仏様にお供えし僧侶に布施していたことを説明している。しかし宋代に臘八粥を食べた日は、その後の時代と多少異なる。《日下旧聞》は元の孫国敕《燕都遊覧志》を引用し、こう言っている:
十二月八日は、百官が粥を賜り、それには米や果実が入っていた。中に入っているものの品種が多い方が良いとされ、これはおそらく宋の時のしきたりを起源としているのだろう。然るに宋の時の臘八は十月八日であった。
■ 這是宋時臘八与后来的臘八在日期上小有差異。至于説到熬ao2粥的材料,“果品只有五様”,蓋言其少。那麼多少才“不少”,才比較符合標準呢?世俗習慣,喜歓湊数,“八”才够gou4上標準数,臘八麼,没有“八様”,哪能够gou4得上臘八的標準呢?如果十二様,那就更好,可以上譜了。劉若愚《酌中志》云:
初八日吃臘八粥,先期数日,将紅棗槌破,泡湯,至初八早,加粳米,白米,核桃仁,菱米,煮粥,供佛聖前,戸牖you3園樹井灶之上,各分部之。挙家皆吃,或亦互相饋送,夸精美也。
・湊数 cou4shu4 数を揃える、合わせる
・譜 pu3 系譜、類別、系統に従って、表または箇条書きで編纂された本。[例]年譜、家譜、食譜など
・粳米 jing1mi3 うるち米(モチ米のような粘り気を持たない普通の米)
・牖 you3 [書面語]窓
・饋 kui4 物を贈る
これは宋の臘八とその後の臘八が時期の上で多少差があるということである。粥を作る時の材料に至っては、「果実は五種類だけ」というのは、蓋しその少なさを言っている。それならいくつなら「少なくなく」、基準に合うのだろうか。世俗習慣では、数を合わせることが喜ばれるので、“八”になってようやく基準の数に達する。臘八なのに、「八種類」無くて、どうして臘八の基準に達することができるだろうか。もし十二種類あればもっと良く、本に載せることもできる。劉若愚は《酌中志》でこう言っている:
八日に臘八粥を食べるには、事前に日数を数えておき、干したなつめを槌で叩いてつぶし、熱湯をかけ、八日の朝、うるち米、白米、くるみの実、菱の実を加えて、粥を煮、仏様の前にお供えし、門や窓、庭木、井戸、かまどの上にも、分けてお供えする。家中で食べ、或いは互いに贈り合い、その出来栄えを褒めるのである。
■ 這是明代吃臘八粥的情况。在清人著作中,関于臘八粥的記載就更多了。富察敦崇氏《燕京歳時記》云:
臘八粥者,用黄米、白米、江米(即粳米)、小米、菱角米、栗子、紅江豆、去皮棗泥等,合水煮熟。外用染紅桃仁、杏仁、瓜子、花生、榛穰、松子,及白糖、紅糖、瑣瑣葡萄,以作点染。切不可用蓮子、扁豆、薏米、桂元,用則傷味。毎至臘七日,則剥果滌器,経夜経営,至天明時,則粥熟矣。除祀先、供佛外,分饋親友,不得過午。
・黄米 huang2mi3 きび
・榛穰 zhen1rang2 ハシバミの実。ヘーゼルナッツのようなもの
・瑣 suo3 些細な
・点染 dian3ran3 絵に点景を添えたり彩ったりする。飾りつける
・薏米 yi4mi3 ハト麦の実
・桂元 gui4yuan2 龍眼の実。
これは明代の臘八粥を食べる情景である。清の著作の中では、臘八粥に関する記載がもっと多くなる。富察敦崇氏《燕京歳時記》ではこう言っている:
臘八粥は、きび、白米、江米(うるち米)、粟、菱の実、栗、小豆、皮を取ったなつめの果肉などを用い、水にいれてよく煮る。外側は赤く染めた桃仁(桃のさね)、杏仁(あんずのさね)、かぼちゃの種、ピーナツ、ハシバミの実、松の実、及び白砂糖、黒砂糖、少しの乾し葡萄で飾りつけをする。ハスの実、インゲン、ハト麦、龍眼を入れてはならない。入れると風味を損なう。毎年12月7日には、果実の皮を剥き食器を洗い、夜通し準備をし、夜が明けると粥は煮えている。祖先を祀り、仏様にお供えをする他、親戚や友人に贈り、お昼を過ぎてしまってはならない。
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今回はこれまでとします。続きは次回をお楽しみに。
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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“烤kao3白薯”というのは北京の言い方ですが、皆の大好きな焼き芋。特に北京の焼き芋は、身が濃い黄色をしており、味が濃厚です。昔(20年くらい前)は、大きいのが一つ8毛くらいでしたが、今はいくらくらいするのでしょう?
■ 白薯,是最普通的東西,上海人叫山芋,浙江人叫番薯,山西人叫紅薯,潮州人叫番茨,有的地方還叫紅苕、地瓜,名字雖然多種多様,而東西却是一種。我懐念北京的白薯,尤其是北京的烤kao3白薯。
さつまいも(“白薯”)はごく普通のもので、上海人は“山芋”と呼び、浙江人は“番薯”と呼び、山西人は“紅薯”と呼び、潮州人は“番茨”と呼ぶ。ある地方ではまた“紅苕”、“地瓜”と呼び、名前は多種多様であるが、ものは一つである。私は北京のさつまいもを懐かしく思う。とりわけ北京の焼き芋である。
■ “烤kao3白薯,真熱乎!”
“栗子味儿的烤kao3白薯――”
這熟稔的市声,縦使遠隔北京千里,也会時時在我耳辺回響。
・熟稔 shu2ren4 非常によく知っている
「焼き芋、熱々だよ!」
「栗の味の焼き芋――」
こうしたよく耳にしたもの売りの声は、北京から千里の彼方に居ても、時々私の耳元で響き渡る。
■ 那時売烤kao3白薯的人真多,街頭巷尾几乎到処可見。一只破缸,或一只破汽油筒,都可用来泥出一個烤白薯的炉子。火不要太旺,但時間要長,用的煤核儿不能太多。在炉膛的腰部,是一圈鉄絲網,生白薯分両層放在這圈網上烘烤kao3。炉面蓋一塊大鉄板,可以随開随合。一把長火鉗,打開炉蓋斜伸進去可以夾住烤kao3着的白薯,随時翻弄。夾出来用手掐一掐,如果軟了,便是烤kao3透了,就拍拍灰擺在炉盤上出售,不然便再放回去継続烘烤kao3。我常常想起那些整斉地堆放在炉盤辺上的白薯,像山郷人家用卵石堆的坎坷的短墻一様,那毎一小塊“卵石”,剥去它那灰黄的外衣,里面却充満了熱,充満了甜香,給人以甜蜜的温飽,正像烘烤kao3它的那位漢子一様的朴実 …… 单只這一点還不値得人回味嗎?
・街頭巷尾 jie1tou2xiang4wei3 [成語]街のあちこち。大通りや横丁。
・泥 ni4 (土や漆喰で壁などを)塗る
・火鉗 huo3qian2 =火剪 火挟み。火箸。
・翻弄 fan1nong4 ひっくり返す
・掐 qia1 (指先で)摘む。つねる
・透 tou4 十分である(動詞の補語として、動作が十分徹底していることを表す)
・卵石 luan3shi2 玉石
・坎坷 kan3ke3 (道などが)でこぼこである
当時は焼き芋を売る人が本当に多く、街のあちこちで見ることができた。壊れた甕が一つ、或いは壊れたドラム缶が一つあれば、それを使って粘土を塗って焼き芋の竈(かまど)にすることができた。火力はあまり強くてはだめだが、焼く時間は長くなければならず、使う石炭の量はあまり多くてはいけない。竈の胴の腰のあたりは金網になっていて、生の芋は二層に分けてこの網の上で炙り焼きにする。竈の面は大きな鉄板で蓋をされていて、自由に開け閉めすることができる。長い火箸を、竈の蓋を開けて斜めに差し入れ、焼いている芋を挟んで、自由にひっくり返すことができる。挟んで取り出したのを指でつまんでみて柔らかければ、もう十分焼けているので、灰を落とすと竈の上の盆に並べて売る。そうでなければまた竈の中に戻して続けて焼く。私はこれを見るといつも思うのだが、きれいに竈の上の盆に並べられた芋は、山里の人が玉石を積んで作ったでこぼこの垣根のようで、その小さな「玉石」ひとつひとつが、外側の黄色っぽい灰色の上着をはぎ取ると、中は熱々で、甘く芳しく、食べる人に甘い満足感を与え、これを焼いた男のように飾り気がない……たった一個の焼き芋がこんなにも味わい深いのだ。
■ 北京的白薯烤kao3透了,剥去皮呈現出的肉是深黄的,作南瓜色,又甜又香,又糯又膩,入口即化,比起上海一帯的那種栗子山芋,是絶然不同的。幽燕苦寒,冬天早晨冷起来十分凛冽。記得上小学時,半路上花五大枚(五個当二十銅板)買一個烤kao3白薯,熱乎乎地捧着当手炉,一直到了教室以后,才慢慢地吃,又取暖,又果腹,其妙無窮,実是貧苦孩子的恩物啊!
・幽燕 幽(幽州)、燕(燕国)とも、北京付近の古名。
・凛冽 lin3lie4 身を切られるように寒い
・半路 ban4lu4 途中・銅板 tong2ban3 銅貨
・果腹 guo3fu4 満腹する
北京のさつまいもが焼けたら、皮を剥いて現れる果肉は濃い黄色で、かぼちゃのような色をしている。甘く芳しく、もちもちしてねばねばし、口に入れるとすぐ溶けてしまう。上海一帯のいわゆる“栗子山芋”と比べると、はっきり別のものである。北京一帯は寒さが厳しく、冬の早朝の寒さは身を切られるようである。今でも憶えているが、小学校時代、通学の途中で大枚5枚(銅銭20個に相当)を払って焼き芋を一個買い、熱々を両手で捧げ持って手あぶりの代わりにし、まっすぐ教室まで持って行ってから、ゆっくりと食べた。暖を取れた上に、満腹になり、その効果はすばらしく、実に貧しい子供への神様の贈り物であった。
■ 《燕京歳時記》云:
白菽(即薯)貧富皆嗜,不假扶持,用火煨熟,自然甘美,較之山薬、芋頭尤足済世,可方為朴実有用之材。
《燕京歳時記》に言う:
白菽(すなわち、さつまいも)は富賤にかかわらず皆が好み、何の助けも借りずに、弱火でじっくり加熱すれば、自然に甘くなり、山芋や里芋に比べ、更に世の中を救うものであり、質素で有用な食材である。
■ 《燕京歳時記》是名書,富察敦崇写的是好文章,一経品題,白薯亦身価十倍了。
・品題 pin3ti2 人物や作品の品定めをする
《燕京歳時記》は名著で、富察敦崇が書いたのは良い文章で、一度高い評価を得るや、さつまいももその値段が十倍になった。
■ 烤kao3白薯之外,還有煮白薯,売者推一個独輪車,上有一個小炉子,架一口“四応”鍋,煮一鍋像蘿蔔般粗的紅皮麦茬的小白薯,買時小販信手従中撈一塊出来,在板上切切砕,放在一個粗碗中,再従鍋中盛一小勺粘乎乎的甜汁澆在上面,価銭比烤kao3的便宜,吃起来比烤的還好吃。
・麦茬 mai4cha2 麦の刈り株のことだが、ここでは麦の裏作にさつまいもを植えること。
焼き芋の他、煮芋もあり、売り子は一輪車を押してくる。その上には小さなコンロがあり、「万能」鍋が取り付けてあり、大根のように太い赤い皮の、麦の裏作で植えたさつまいもを煮る。買う時には、売り子は手当たり次第に中からひと固まりをすくい上げ、まな板の上で細かく切ると、粗末なお碗に入れ、鍋から小さじに一杯、ねっとりした甘い汁をすくって上からふりかける。値段は焼き芋より安く、食べてみると焼き芋より美味しい。
■ 近人沈太《春明采風志》記云:
白薯与山薬同類,山東人呼為紅山薬,都人冬令,多担鍋売此者,至鍋底帯汁者味佳。近又烤熟売者亦佳。
近世の人、沈太の《春明采風志》の記述に言う:
さつまいもと山芋は同類であり、山東人は“紅山薬”と呼ぶ。都では冬の間、鍋を担いでこれ売る者が多く、鍋に汁を入れて売っている方が味が良い。最近は焼き芋のよく焼けたのを売る者もあり、これも美味しい。
■ 据沈太記載,似乎早年間只有売煮白薯的,烤kao3白薯還是后来興起的,因手辺無文献,未及詳考。北京最講究吃麦茬白薯,就是夏天割完麦子,在麦子地里種的白薯,這様的白薯長的不大,但甜、香、膩三者俱備,有特殊風味。至于為什麼会如此,那是農藝学家研究的問題,我就無従回答了。
・無従 wu2cong2 ~する方法がない。~しようがない
沈太の記述によれば、当初は煮芋だけが売られていて、焼き芋は後に始められたようだが、手元に文献が無いので、細かい考察はできない。北京で最もよく言われる麦の裏作のさつまいもというのは、夏に麦を刈り取った後、麦畑に植えたさつまいものことで、こうしたさつまいもは、あまり大きくならないが、甘さ、香り、ねっとり感の三つを備え、特別な風味がある。どうしてそうなるかは、農業技術の学者の研究の問題なので、私は答えようがない。
■ 値得欣喜的是,近年京滬両地,又有売烤kao3白薯的了。而煮白薯鍋底帯汁者却仍没有売的,対此只能不断地思念着了。
喜ばしいことに、近年は北京と上海の両方で、また焼き芋売りが現れた。しかし煮芋の鍋に汁を入れたものはまだ売られていない。これは引き続き懐かしく思い続けるしかない。
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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■ 在文学修養中,語言学習是很重要的。没有運用語言的本事,即無従表達思想、感情;即使敷演成篇,也不会有多少説服力。
・無従 wu2cong2 ~する方法がない。~しようがない
文学の修養の中で、ことばの学習はたいへん重要である。ことばの本質を活かせず、思想、感情を表現できなければ、たとえそれを展開して文章にしても、なんら説得力がない。
■ 語言的学習是従事写作的基本功夫。
ことばの学習は創作に従事する者の基本的な技量である。
■ 学習語言須連人帯話一斉来、連東西帯話一斉来。這怎麼講呢?這是説,孤立地去記下来一些名詞与話語,語言便是死的,没有多大用処。鸚鵡学舌就是那様,只会死記,不会霊活運用。孤立地記住些什麼“這不結啦”、“説干脆的”、“包了圓儿”……并不就能生動地描絵出一個北京来。
・鸚鵡学舌 ying1wu3xue2she2 [成語]オウムの口まね。人が言ったことの受け売りをする譬えとして用いられる。貶義語として用いられる。
・結 jie2 終わる。しめくくる/這不結啦:これでいいじゃないか。
・包圓儿 bao1yuan2r [口語](責任をもって)全部引き受ける
ことばを学習するには人と共に話もいっしょに持ってこなければならず、物と共に話もいっしょに持ってこなければならない。これはどういうことか。これはつまり、いくつかの名詞や会話をひたすら憶えても、そんなことばは死に体で、たいして役に立たない。オウムが人の言葉の真似をするのがそういうことで、ただ憶えただけでは、自由に活用することができない。「これでいいじゃないか」、「はっきり言いなさい」、「全部引き受けた」……といったことばをひたすら憶えたところで、北京の様子を生き生きと描くことなどできない。
■ 我們記住語言,還須注意它的思想感情,注意説話人的性格、階級、文化程度,和説話時的神情与音調等等。這就是説,必須注意一個人為什麼説那句話,和他怎麼説那句話的。通過一些話,我們可以看出他的生活与性格来。這就叫連人帯話一斉来。這様,我們在写作時,才会由人物的生活与性格出発,什麼人説什麼話,張三与李四的話是不大一様的。即使他倆説同一件事,用同様字句,也各有各的説法。
・張三李四 不特定の一般の人を指す。
私たちはことばを憶える時、その思想や感情にも注意し、話をする人の性格、身分、教養、話をする時の気持ち、音の調子などに注意しなければならない。これはつまり、ある人がどうしてそういう話をするのか、そのことをどのように話すのかに注意しなければならないということである。話を通じて、私たちはその人の生活や性格を理解することができる。このことがつまり人と共に話もいっしょに持ってくるということである。こうすれば、私たちは文章を書く時、人物の生活と性格から出発することができ、人それぞれ話の内容が異なり、八つぁんと熊さんの話は同じではないのである。たとえ彼ら二人とも同じ事を同じ字句を使って話しても、それぞれの言い方は異なるのである。
■ 語言是与人物的生活、性格等等分不開的。光記住一些話,而不注意説話的人,便摸不到根儿。我們必須摸到那个根儿 ―― 為什麼這個人説這様的話,那個人説那様的話,這個人這麼説,那個人那麼説,必須随時留心,仔細観察,并加以揣摩。先由話知人,而后才能用話表現人,使語言性格化。
・揣摩 chuai3mo2 (意味を)かみしめる。推察する
ことばは人物の生活、性格などと切り離すことはできない。ある話をひたすら憶えるだけで、話をした人に注意を払わなければ、根本を理解することができない。私たちは根本を理解しなければならない――どうしてこの人はこのような話をしたのか、あの人はそんなことを言ったのか。この人がこう言った、あの人がああ言ったら、その都度注意して、仔細に観察し、その意味を推察しなければならない。先ず話から人を知り、そうして後はじめて話で人を表現でき、ことばを性格化することができる。
■ 不僅対人物如此,就是対不会説話的草木泉石等等,我們也要抓住它們的特点特質,精辟地描写出来。它們不会説話,我們用自己的語言替它們説話。杜甫写過這麼一句:“塞水不成河”。這確是塞外的水,不是江南的水。塞外荒沙野水,往往流不成河。這是経過詩人仔細観察,提出特点,成為詩句的。
・精辟 jing1pi4 (見識や理論が)鋭い。深い
人物に対してそのようにするだけでなく、話をすることのできない草木や泉の水や石ころなどに対しても、私たちはそれらの特徴や特質を把握して、的確に描写してやらなければならない。それらは話をすることができないので、私たちが自分のことばでそれらに代わって話をしてやる。杜甫は次のような句を書いたことがある。「塞水は河と成らず」。これは確かに塞外の地の水の流れであり、江南の水ではない。塞外の砂漠や荒野の水は、しばしば流れても川にはならない。これは詩人が細かく観察を行い、特徴を見つけ出し、詩の文句にしたのである。
■ 塞水没有自己的語言。“塞水不成河”這几個字是詩人自己的語言。這几個字都很普通。不過,経過詩人這麼一運用,便成為一景,非常鮮明。可見只要仔細観察,抓到不説話的東西的特点特質,就可以替它們説話。没有見過塞水的,写不出這句詩来。我們対一草一木,一泉一石,都須下功夫観察。找到了它們的特点特質,我們就可以用普通的話写出詩来。光記住一些柳暗花明、桃江柳緑等汎汎的話,是没有多大用処的。汎汎的詞藻総是人云亦云,見不出創造本領来。用我們自己的話道出東西的特質,便出語驚人,富有詩意。這就是連東西帯話一斉来的意思。
・汎汎 fan4fan4 うわべだけの
・詞藻 ci2zao3 ことばのあや、修飾。
・人云亦云 ren2yun2yi4yun2 [成語]他人の言ったことを受け売りにする。定見のないことの譬え
・本領 ben3ling3 腕前。才能。能力。技量。
塞水は自分のことばを持たない。「塞水は河と成らず」といういくつかの文字は、詩人自身のことばである。このいくつかの文字はごくありふれたものである。しかし、詩人がこのように使うことによって、一つの風景となり、たいへん鮮明である。ここから分かるのは、細かく観察し、話のできない物の特徴・特質を把握しさえすれば、それらに代わって話をすることができるのである。塞水を見たことがなければ、この詩は描けない。私たちは一草一木、一泉一石に対しても、時間をかけて観察しなければならない。それらの特徴・特質を探し出せれば、私たちは普通のことばを使って詩に書き出すことができる。“柳暗花明”だとか“桃江柳緑”だとかいったうわべだけのことばを憶えても、たいした役には立たない。うわべだけのことばの飾り付けは他人の受け売りに過ぎず、創造の技能を見出すことができない。自分自身のことばで物の特質を述べてこそ、読む人を驚かせ、詩の味わいを豊かにすることができる。これが物と共に話もいっしょに持ってくるという意味である。
■ 杜甫還有這麼一句:“月是故郷明”。[①] 這并不是月的特質。月不会特意照顧詩人的故郷,分外明亮一些。這是詩人見景生情,因懐念故郷,而把這個特点加給了月亮。我們并不因此而反対這句詩。不,我們反倒覚得它頗有些感染力。這是另一種連人帯話一斉来。“塞水不成河”是客観的観察,“月是故郷明”是主観的情感。詩人不直接説出思郷之苦,而説故郷的月色更明,更親切,更可愛。我們若不去揣摩詩人的感情,而専看字面儿,這句詩便有些不通了。
・見景生情 jian4jing3sheng1qing2 目にふれた情景に心を動かされる
杜甫はまた次のような一句を詠んだ。「月はこれ故郷に明るからん」。[①] これは決して月の特質ではない。月は特別に詩人の故郷に配慮して、殊更に明るくすることなどあり得ない。これは詩人が目に触れた情景に心を動かされ、故郷を懐かしく思ったことから、この気持ちを月に込めたのである。私たちは決してこのことでこの詩に反対はしない。いや、私たちは却ってそれが頗る影響力を持つように思う。これはもうひとつの人と共に話を持ってくることである。「塞水は河と成らず」は客観的な観察であり、「月はこれ故郷に明るからん」は主観的な情感である。詩人は直接は故郷を恋しく思う苦しみを言わず、故郷の月がより明るく、心がこもっていて、かわいいと言う。私たちは詩人の感情をかみしめることなく、ただ字面だけ見ていては、この詩は意味が通じない。
■ 是的,我們学習語言,不要忘了観察人,観察事物。有時候,見景生情,還可以把自己的感情加到東西上去。我們了解了人,才能了解他的話,従而学会以性格化的話去表現人。我們了解了事物,找出特点与本質,便可以一針見血地状物絵景,生動精到。人与話,須一斉学習,一斉創造。
・一針見血 yi1zhen1jian4xie3 [成語]短いことばで急所をずばりと言い当てる
・精到 jing1dao4 綿密である。周到である
そうだ、私たちはことばを学習する時、人を観察し、事物を観察することを忘れてはならない。時には、目にした情景に心を動かされ、自分の感情を物の上に込めることもできる。私たちは人を理解して、はじめてその人の話を理解することができ、そこから性格化した話でもって人を表現することができるようになる。私たちは事物を理解し、特徴と特質を見つけることで、短い言葉でずばりと急所を突くように物や情景を描くことができ、それは生き生きとして緻密である。人と話は、いっしょに学ばなければならず、いっしょに創造しなければならない。
注①: 杜甫《月夜憶舎弟》の一句。この詩の全文は以下:
戍鼓断人行, 戍鼓、人行断え、
秋辺一雁声。 秋辺、一雁の声。
露従今夜白, 露は今夜より白く、
月是故郷明。 月はこれ故郷に明るからん。
有弟皆分散, 弟有れども皆分散し、
無家問死生。 家の死生を問うべき無し。
寄書長不達, 書を寄せども長く達せず、
况乃未休兵。 況や乃ち兵を休めざるをや。
・戍 shu4 守る。守備する。ここは辺境の守備隊の砦。
辺境の守備隊の砦から太鼓の音が聞こえ、道を行く人の姿も途絶えた。
秋空に、一羽の雁の鳴き声が響く。
今夜から白露の季節、
月は私の故郷をも明るく照らしていることだろう。
弟達は皆ばらばらに暮らしており、
その安否を問う術も無い。
手紙を書いても、もう長い間届いていない。
ましてや今は戦争が続いているのだから。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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中国では、立春の日に生の大根を食べる習慣があります。それを“咬春”、春を咬む、と言います。寒く厳しい冬が終わり、新春の恵みを舌で味わう、“咬春”とはたいへん洒落た表現だと思います。
■ 在北京寒冷的冬夜里,在深深的胡同中,遠遠地飄過来“蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換 ―― ”的市声,清脆而悠揚地劃破夜空,伝人一所所的四合院中,直到炉辺,打断好友的夜談,打断学子的夜読,也驚醒旅人的沉思…… 買個蘿蔔去,摸黒出去,開開小院門,喊住売蘿蔔的。那穿着布棉襖、戴着氈帽的朴実的漢子,把肩上的背箱卸下,把手提的小煤油灯放在背箱的板上,掀起箱蓋下的棉簾子,拿出一个緑皮的蘿蔔,左手托着,右手拿起一把小刀,用拇指貼牢,嗖sou1嗖sou1嗖sou1几下子,便把蘿蔔皮切成一个蓮花瓣形。然后再把中間的蘿蔔心垂直,横竪切上几刀,這様中間蘿蔔心変成碧緑、透明的立柱,連皮在一起,就像一朶神話中的玻璃翠玉的花朶子。拿回来,坐在炉子辺,対着紅紅的炉火,一面剥着蘿蔔,放在嘴中慢慢咀嚼,一面閑談。那蘿蔔又涼、又脆、又甜、又微微帯点辣味那滋味不是我的禿筆所能形容的。
・飄 piao1 ただよう。(においや音が)伝わってくる
・市声 shi4sheng1 もの売りの声
・氈帽 zhan1mao4 フェルトの帽子
・嗖 sou1 [擬声語]素早く通り過ぎる時に生じる音。
・横竪 heng2shu4 楯横に入り混じる
・碧緑 bi4lv4 碧玉
・立柱 li4zhu4 円柱
・禿筆 tu1bi3 ちびた筆。悪筆、悪文のたとえ。[例]這種情景,我的禿筆実在難以描写(このような情景は、私のまずい筆ではとても書き表せない)
北京の寒い冬の夜、奥深い胡同の中で、遠くから「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ――」というもの売りの声が聞こえてくる。澄んだ抑揚のある声が夜空をつんざき、四合院の中を一ヶ所一ヶ所伝わって行き、ストーブのあたりに伝わり、親友との語らいを遮り、学生の勉強を遮り、旅人を物思いから我に返らせる……。大根を買って来ようと、手探りで家の門を開け、大根売りを呼びとめる。綿入れの上着を着て、フェルト帽子を被った質素ななりの男は、肩に担いだ背箱を下ろし、手に提げた石油ランプを背箱の上に置き、箱の蓋の下の綿の覆いをめくり上げ、緑の皮の大根を一本取り出す。左の手のひらの上にそれを載せ、右手で小刀を持ち、親指でしっかり支え、シュッ、シュッ、シュッ、と何回か手を動かすと、大根の皮は蓮の花びらの形に切り取られる。その後、真中あたりで中心に垂直に、縦横に何回か刀を入れると、大根の中心部は碧玉のようになり、透明な円柱は、皮と共に、神話の中のガラスや翡翠でできた花のようになる。持って帰り、ストーブの傍で、赤々としたストーブの炎に対坐し、大根の皮を剥き、口の中に入れてゆっくりと咬みながら、おしゃべりをする。この大根は冷たく、サクサクと歯ざわりが良く、甘く、またちょっと辛味があり、その滋味は私のまずい筆では形容できるものではない。
■ 《光緒順天府志》記云:
水蘿蔔,圓大如葖tu1,皮肉皆緑,近尾則白。亦有皮紅心白,或皮紫者,只可生食。極甘脆,土人呼為“水蘿蔔”,今京師以西直門外海淀出者優美。
・葖 tu1 “蓇葖”gu1tu1(袋果、つぼみ)という語に用いる
清の《光緒順天府志》の記載に言う:
“水蘿蔔”は丸く蕾のようで、皮と果肉は何れも緑で、尖端近くが白い。また皮が赤く中が白いものや、皮が紫色のものがあり、生食に適する。極めて甘く歯ざわりが良く、土地の者は“水蘿蔔”と呼び、現在は北京の西直門外の、海淀(北京市内の西北部。北京大学や清華大学があるあたり)で産するものが優良である。
■ 吃這種蘿蔔,不但滋味好,情調好,不能提精神、解気悶。因為北京冬季天寒,家家戸戸関門取暖。房中只有三様東西:火炕、煤球炉子、火盆。房中門窓,糊得很厳密。住在里面固然温暖,但却十分干燥,煤気味很重,人并不舒服,這時若吃個又涼、又脆、又爽口的蘿蔔,精神便可為之一振。因之,蘿蔔便成為北京冬日囲炉夜話的清供了。
・情調 qing2diao4 気分
・清供 qing1gong4 “供”は供え物の意味から転じ、愛玩品の意味で用いられる。“清供”は昔の文人の間で、書斎での生活に彩りを与える調度品や文房四宝のことを言った。
こうした大根を食べると、美味しいだけでなく、気持ちもよくなり、気が高ぶらず、イライラを解消することができる。北京の冬は寒く、どの家も閉め切って暖を取る。家の中には三つのものがあるだけである:オンドル、豆炭ストーブ、そして火鉢である。家の入口も窓もぴったり閉め切られている。中に居ると温かいが、たいへん乾燥し、石炭の臭いも甚だしいので、快適ではない。こんな時、冷たく、サクサクとした、さわやかな大根を食べれば、気分がすっきりする。だから、大根は北京の冬にストーブを囲んで夜の語らいをする時の友となった。
■ 康熙時高士奇《城北集灯市竹枝詞》云:
百物争鮮上市夸,灯筵已放牡丹花,咬春蘿蔔同梨脆,処処辛盤食韭芽。
・灯市 deng1shi4 農暦の正月十五日の元宵節に、夜、飾り提灯を飾る習慣があり、その際、謎々や詩を書いた紙がつり下げられた。
・竹枝詞 zhu2zhi1ci2 七言絶句に似た漢詩の形体で、土地の風俗、人情が詠まれた。
・咬春 yao3chun1 立春の日に大根を食べる習慣をいう。
・辛盤 xin1pan2 昔、農暦の正月一日に、ネギ、ニラなどの五種類の辛味のある野菜を皿に並べて皆で食べ、新しい年の到来を祝ったもの。
清・康煕帝の時、高士奇は《城北集灯市竹枝詞》でこう言っている:
様々なものが新鮮さを競い、市場で売り出されている。提灯で明るく照らされた宴席にはもう牡丹の花が置かれ、出された大根は梨のように歯ざわりが良い。各テーブルに置かれた皿からは韮や葱が食べられている。
■ 詩后注云:“立春后竟食生蘿蔔,名曰‘咬春’,半夜中,街市猶有売者,高呼曰:‘賽過脆梨。’”
詩の後の注に言う:「立春の後、生の大根を食べることを、“咬春”という。夜ふけになっても、街にはなお物売りがいて、大きな声で「梨より歯ざわりが良く美味しいよ」と呼ばわっている。」
■ “蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換!”
這種市声従清初就有,可見這已是二三百年的古老市声了。不過高士奇着重説的是立春,立春俗名打春,或在正月,或在腊月,按節気推算,在旧暦上日期并不固定,而売蘿蔔則一交厳冬就有,足足可売一冬天。旧時北京冬夜中,有四種市声均可入詩,作為歌風的好題材,一是売硬面餑餑bo1bo的,二是売蘿蔔的,三是売“半空儿”的,四是売煤油的。
・硬面餑餑 ying4mian4bo1bo “硬面”は固くこねた小麦粉。“餑餑”は小麦粉を使った焼き菓子、クッキー。
・半空儿 ban4kong1r “半空”とは半分が空のこと。“半空儿”とは、殻より身がずっと小さいピーナッツのことで、その方が香ばしく美味しいと好まれた。
「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ!」
こういうもの売りの声は清の初めからあったので、既に二三百年経った古いものであることが分かる。しかし高士奇が殊更に言ったのは“立春”である。立春は俗に“打春”と呼ばれ、或いは正月、或いは12月で、節季から計算され、旧暦では日にちは変化する。また、大根は冬の寒さが厳しくなると現れ、冬中出回る。昔の北京の冬の夜は、四つのもの売りの声が詩に取り上げられ、歌の雰囲気を作る良い題材であった。その一つは“硬面餑餑bo1bo”(クッキー)売り。二つ目は大根売り。三つ目はピーナツ売り。四つ目は灯油売りであった。
■ “半空儿 多給!”
其声穿破夜空,飄揚在長長的胡同中,也是囲炉時最愛聴到的市声。“走,買半空儿去!”“半空”者,份量軽而干癟bie3的炒落花生也,吃起来,比顆粒飽満的要香得多呢!
・干癟 gan1bie3 干からびる。
「半空儿(ピーナツ)、おまけしとくよ!」
その声は夜空をつんざき、長い長い胡同を伝わり、ストーブを囲んでいる時も最も好きなもの売りの声であった。「さあ、半空儿(ピーナツ)を買いに行こう!」 “半空”というのは、分量が少なく、干からびたピーナツを炒ったものである。食べてみると、粒が大きく殻にいっぱい詰まっているものよりずっと香ばしい!
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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今回は、北京独特の冬の食べ物として、“凍柿子”、凍り柿を取り上げたいと思います。柿にこういう食べ方があったことを、今回この文を読んで初めて知りました。けれども、今は、まさかこの話のように窓の外に柿を出しておいて凍らすようなことは、北京の街の中では見られないでしょう。
■ 在北方籍的詞曲作家中,顧季(名随)先生很著名的,如果健在,已近百歳,可惜早已去世了。他曾経是我的老師,我聴過他両三門課。顧先生講話極為風趣,嫻于辞令,他愛聴戯,也愛談戯,講課時常愛用戯来打比喩,常説:“我就愛聴余叔岩的戯,又沙唖,又流利,聴了真痛快,像六月里吃氷鎮沙瓤ran2大西瓜,又像数九天吃冰凍柿子一様,真痛快呀 ―― 啊!”説完了最后還作個表情,“啊”一声,引得同学們哈哈大笑。想起来,這已経是四十多年前的事了。顧季夫子作古也多年了,但這旧事却還歴歴如昨。沙瓤ran2大西瓜南北各地都有,并不算稀奇,而這三九天的凍柿子,却実在令人懐想。
・詞曲 ci2qu3 詞と曲の総称。戯曲。
・風趣 feng1qu4 ユーモア。諧謔味。
・嫻 xian2 熟練している。巧みである。/嫻于辞令:応対が上手である
・沙唖 sha1ya3 声がかれる。しわがれる
・沙瓤 sha1ran2 (西瓜などの)さくさくとして歯切れのよい果肉
・作古 zuo4gu3 亡くなる。逝去する
・歴歴如昨 li4li4ru2zuo2 まだ昨日のことのようにありありと眼に浮かぶ
・三九天 真冬の最も寒い時。/冬至から数えて最初の9日間を“一九”、次の9日間を“二九”、その次の9日間を“三九”といい、この27日間をまとめて“三九”と言うこともある。
中国北方出身の戯曲作家の中で、顧季(名随)先生はたいへん有名で、もし健在であれば、既に百歳近くになるが、残念なことにとっくに亡くなられた。先生は嘗て私の師であったことがあり、私は先生の授業を二、三科目聞いたことがある。顧先生の話はたいへんユーモアがあり、話が巧みであった。芝居が好きで、芝居のことを話すのが好きで、講義の時はいつも芝居のことを譬えにするのが好きで、いつもこう言っていた。「私は余叔岩の芝居が好きで、寂びがあるし、流れが良く、聞いていて気持ちが良く、ちょうど六月に冷たく冷やしたサクサクとした西瓜を食べるようだ。また九日数えて凍らした柿を食べるように、本当に気持が良い ―― ああ!」こう言うと、最後にまたうっとりしてみせたので、「ああ!」と一声あげると、クラスの皆は大声をたてて笑った。思い返してみると、これはもう四十年余り前のことだ。顧季夫人が亡くなってからも何年も経つが、まだ昨日のことのようにありありと眼に浮かぶ。サクサクとした西瓜は全国どこにでもあり、珍しくないが、この真冬の凍らせた柿は、本当に懐かしく思い出される。
■ 北京是一个出産柿子的地方,西北山一帯,漫山遍野到処都是柿子樹。
北京は柿の産地の一つで、西北の山地一帯は、そこら中が柿の木だらけである。
■ 《光緒順天府志》記云:柿子赤果実,大者霜后熟,形圓微扁,中有拗,形如蓋,可去皮晒干為餅。出精液,白如霜,名柿霜,味甘,食之能消痰。
・拗 ao4 なめらかでない。くびれる
・柿霜 干し柿の表面に吹く白い粉。漢方薬として、喉の痛みや咳に用いる。
《光緒順天府志》の記載に言う:柿は赤い色の果実で、大きなものは霜が降りてから熟れ、形は丸く多少扁平で、真ん中がくびれていて、形は蓋のようで、皮を剥いて乾せば干し柿になる。精を出せば、霜の如く白くなる。名を柿霜といい、味甘く、これを食べれば痰を消すことができる。
■ 柿子的種類很多,如硬柿、蓋柿、火柿、青柿、方柿等等,全国各地都有出産,其中北京出産的最多的是蓋柿,就是所説的中有拗,形如蓋的,其次出産一些小火柿,俗名牛眼睛柿。北京西山一帯出産柿子的山村,也晒柿餅,但数量不多,因離城近,大都運到城里来売了。柿餅是河南、陝西一帯的特産,柿霜糖是柿子的精華,晒柿餅時的重要副産品,性極涼,是治小孩口瘡、咽喉炎等症的特効薬。吃也很好吃,又甜又涼,入口即化,也是河南的名産。而這種最普通的東西,現在不知怎麼也少見了。
・柿餅 干し柿
・口瘡 kou3chuang1 口内炎
・柿霜糖 “柿霜”と同じ意。上記説明参照
柿は種類がたいへん多く、硬柿、蓋柿、火柿、青柿、方柿などがあり、全国各地で取れるが、そのうち北京で生産の最も多いのが“蓋柿”で、字の如く真ん中がくびれて、形が蓋のようである。その次に生産が多いのが小ぶりな火柿で、俗名を“牛眼睛柿”(牛の眼の形の柿)という。北京の西山一帯で柿を生産する山村では、干し柿も作るが、数量は多くない。なぜなら都市に近いので、大部分は町に持って行って売ってしまうからである。干し柿は河南、陝西一帯の特産で、“柿霜糖”は柿の精華で、干し柿を晒す時の重要な副産物である。その性質は極めて“涼”(漢方で言う“熱”の反対)であり、子供の口内炎、喉の炎症などの特効薬である。食べてもたいへん美味しく、甘くかつ冷たく、口に入れると融け、河南の名産である。このような極めて普通のものが、今はどうした訳かあまり見かけなくなってしまった。
■ 在北京吃柿子,最好是冬季数九天吃凍柿子。北京冬天室中生火炉,天气越冷,炉子弄得越旺,也越干燥,人們反而想吃一点水分多的,涼陰陰的東西。人們把買来的柿子,放在室外窓台上凍,等到凍得像个氷坨子的時候,就可吃了。飯后大家囲炉聊天時,把這凍柿子拿来,洗干浄,放在一盆冷水中消一消,等到全部変軟便可吃了。這時柿子的内部組織,経過一凍一融,已経全部変成流体,用嘴向柿子皮上軽軽一吸,便可把氷涼的柿子乳汁吸到口中,那真是又涼又甜,遠勝過吃雪糕,難怪北京売柿子的都呟喝: “喝了蜜的,大柿子!” 喝了蜜 ―― 該是多麼甜呢?
・坨子 tuo2zi 塊になったもの
・呟喝 yao1he 大声で叫ぶ。物売りが呼び売りする時に用いる。
北京で柿を食べるなら、一番良いのは冬に九日待って凍らせた柿を食べるべきである。北京では冬、部屋の中でストーブを焚く。天気が寒くなるにつれ、ストーブの火は益々盛んに燃やされ、中は益々乾燥するので、人々は却って水分の多い、ひんやりしたものが食べたくなる。人々は買ってきた柿を、室外の窓の台の上に置いて凍らせ、それが凍って氷の塊のようになったら、食べごろである。食後、皆がストーブを囲んでおしゃべりをしている時、この凍らせた柿を持ってきて、きれいに洗い、冷たい水を入れた鉢の中に入れて融かしてやる。完全に柔らかくなったら食べごろである。この時、柿の内部組織は、一度凍らせてから融かされたので、もう全体が流体に変わってしまい、口で柿の皮の上から軽く吸えば、冷たい柿の汁を口に吸い込むことができる。それは本当に冷たくて甘くて、アイスクリームよりずっと美味しい。道理で北京の柿売りは、こう呼びよせるはずだ。「飲んだら甘い、大きな柿だよ!」飲んだら甘い ―― どれだけ甘くないといけないのだろう?
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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