中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

第三回(その2)

2025年01月14日 | 紅楼夢
 栄国府にやって来て、賈のお婆様、賈家の三姉妹、王熙鳳に出迎えられた林黛玉。後半では、ふたりの叔父、賈郝と賈政にご挨拶にうかがい、その後、賈宝玉に出会うことになります。第三回後半の始まりです。

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 お茶請けが片付けられると、賈のお婆様はふたりの乳母に命じて、黛玉を連れてふたりの叔父に会いに行かせた。この時、賈郝の妻の邢氏が急いで立ち上がると、笑みを浮かべ答えて言った。「わたしが甥(おい)の娘を連れて行った方が、おそらく都合がよいと思いますが。」賈のお婆様は微笑んで言った。「そうだね。おまえも行っておくれ。もう戻って来なくていいから。」邢夫人ははい、と答え、黛玉を連れて王夫人にお別れを告げると、皆は表に通り抜ける部屋まで見送った。垂花門の前には既に何人かの小僧たちが一輌の緑色のとばりを掛けた、木に透明のラッカーを塗った車を引いて来ており、邢夫人は黛玉の手を取り座席に座り、乳母たちが車のとばりを降ろし、それから小僧たちに担ぎ上げるよう命じた。広くなったところまで引いてくると、車に飼い馴らしたラバをつけ、西角の門を出て東に進み、栄府の正門を過ぎると、黒いペンキを塗った大門の中に入り、儀門の前に着くと、ようやく下車した。邢夫人は黛玉の手を引いて敷地の中に入った。黛玉は今いる場所は、きっと栄府の中の花園が仕切られた場所に違いないと推察した。三層の儀門を入ると、果たして母屋、厢房(母屋の前の両側の棟)、回廊が皆精巧に作られていて趣があり、こちらのお屋敷が広大で壮麗なのとは様子が違った。しかも屋敷の中の随所に木々や築山、石が配置され、とても景色が良かった。母屋に入ると、既に多くのなまめかしい化粧、美しい服装の奥方や側室、召使の女たちがおられ、黛玉たちを出迎えた。


 邢夫人は黛玉を座らせ、一方頼んで外の書斎に行って賈郝を呼んで来てもらった。しばらくして戻って来て言うには、「旦那様はこうおっしゃいました。「ここ数日身体の具合が良くなく、妹の娘さんの顔を見ると、お互い悲しくなるので、しばらくはお会いするに忍びない。どうかお嬢さんには家を恋しがって悲しまないようにしてほしい。おばあさんやおばさんと一緒に、自分の家にいるのと同様に過ごしてほしい。女兄弟たちはつたない点もあるかもしれないが、皆が一緒に暮らせば、悩みや辛さも無くなると思う。問題ない。遠慮しないでいいから。」」

 黛玉は急いで立ち上がって一々はい、はい、と頷いた。もう一度しばらく座ると、暇乞いをしたので、邢夫人は黛玉を引き留め、食事をして帰るように言ったが、黛玉は微笑んでこう回答した。「おばさまがせっかくお食事を勧めてくださるのを、本来はご辞退すべきではないのですが、まだ二番目のおじさまのところへご挨拶に行かないといけなくて、行くのが遅れると失礼になりますので、また日を改めていただきに参ります。どうかおばさま、お許しください。」邢夫人は言った。「仕方ないわね。分かりました。」それでふたりの乳母に命じて先ほど乗って来た車で送らせた。黛玉は暇乞いし、邢夫人は儀門の前まで送り、またお付きの者たちに二言三言言いつけ、車が行ってしまうのを見送ると、家に戻った。

 しばらくして黛玉は栄府に入ると、車を降りた。目の前には一本の石畳の通路が見え、直接入口の大門につながっていた。乳母たちは黛玉を連れ、東に曲がると、東西方向の通り抜けのできる建屋と南向きの広間を通ると、儀門内の区画で、上手には正面五間の母屋があり、その手前両側は 厢房(母屋の前の両側の建屋)と鹿頂( 厢房の北側、母屋の東西の間の空間に建つ小さな部屋)で、妻入りの出入口が設けられ、四方八方に往き来でき、広大、壮麗で、他所とは異なっていて、黛玉はこここそが主要な部屋だと思った。中央の部屋に入り、頭を上げると、正面に先ず銅の九龍で縁どられた青地の大きな扁額が見え、扁額には大きく「栄禧堂」の三文字が書かれ、その後ろに一行、小さな字で「某年月日書を栄国公賈源に賜う」と書かれていた。また「万几宸翰」の帝の印章が置かれていた。紫檀に螭(角の無い龍)を彫った机の上には、三尺余りの高さの青緑色の古い銅の鼎が置かれ、役人が朝廷に出るのを待つ部屋に掛ける墨絵の龍の絵が掛けられ、一方には金銀で象嵌された青銅器が置かれ、一方にはガラスの鉢が置かれ、床にはクスノキの円形のひじ掛け椅子が二列に十六脚並べられ、また黒檀で作った掛札の上に金の文字を刻んだ一組の対聯が掲げられ、それにはこう書かれていた。

 座上の珠玑(しゅき。大小さまざまの美玉)は日月を昭(あき)らかにする、堂前の黼黻(ほふつ。役人の礼服の刺繍模様)は煙霞に焕(かがや)く。

その下に一行、小さな字でこう書かれた。「代々付き合いある両家の子弟、東安郡王を継した穆蒔が拱手し書(しる)す」


元々、王夫人がいつも起居し休息するのもこの正室ではなく、東側の三間の耳房(母屋の両端に建てられたやや背の低い部屋)であった。そして乳母たちは黛玉を引率して東の部屋の入口を入った。窓に面したオンドルの上には緋色の毛布が敷かれ、正面には赤地に金の糸で蟒蛇(うわばみ)が刺繍された丸いクッションと淡い黄緑色の金の糸で蟒蛇が刺繍された細長い敷布団 が置かれ、両側には五枚の花びらの梅の花の形のペンキを塗った茶卓が一対置かれ、左側の茶卓の上には文王鼎、鼎の傍らには匙と箸、香入れの容器が並べられ、右側の茶卓の上には汝窯の美人觚(細長く優美な曲線の酒器)が置かれ、その中に生け花が挿されていた。床には西向きに四脚の椅子が一列に並べられ、それらには明るい朱色に花模様を散らしたカバーが掛けられ、足元には四組の足置きが置かれていた。両側には背の高いテーブルが一対置かれ、テーブルの上には茶具や花瓶が具わっていた。その他の調度品は、細かく言うまでもないだろう。

 年配の乳母は黛玉をオンドルに上げて座らせた。オンドルの縁に沿って、錦の敷物が二枚、対に置かれ、黛玉は席順を考え、オンドルの上には上がらず、東側の椅子に座った。この部屋の係の召使が茶を捧げ持って来たので、黛玉は茶を飲みながら、これら召使の身ごしらえや衣服、挙止やふるまいを観察すると、果たして他所とは異なっていた。

 茶をまだ飲み終わらぬうちに、赤い綾(あや)絹の上着に青い薄絹でフリルを付けたチョッキを着た召使がひとりやって来て微笑んで言った。「奥様から、林お嬢ちゃんにあちらに座っていただきなさいとのことです。」年配の乳母はそう聞くと、また黛玉の手を引き出て来ると、東の廊下の三間の母屋の中に入った。正面のオンドルにはテーブルが横向きに置かれ、その上には書籍と茶具が積み重ねられており、東の壁に寄りかかり西向きにお古の黒い緞子の背もたれのクッションが置かれていた。王夫人はしかし西側の下座に、またお古の青い緞子の背もたれと座布団に座っていた。黛玉が入って来たのを見ると、東に移り、席を譲った。黛玉は心の中で、ここは賈政旦那様の席に違いないと思い、それでオンドルの傍の、一列に並んだ三脚の椅子の上にもお古の弾き模様の椅子カバーが付いていたので、黛玉は椅子に座ろうとした。王夫人は再三黛玉をオンドルの上に座らそうとし、黛玉はそれでようやく王夫人の傍に座った。王夫人はそれで言った。「あなたのおじさんは今日は斎戒に行っているので、また今度ご挨拶しましょう。ただひとつ、あなたに言付けがあって、あなたがた三人の女兄弟は皆とてもいい子だから、これから一ヶ所で勉強して字を憶え、裁縫を憶えて、また時には冗談を言い合うこともあるかもしれないが、とにかく自由にやりなさい。ただひとつ心配なことがあって、うちにはひとりいざこざを引き起こし、家人を心配させる子供がいて、我が家の中での「世界をかき乱す暴君」で、今日は祖廟にお礼参りに行って、まだ帰ってきていませんが、今晩会えば分かりますよ。あなたは今後ずっとあの子のことを気にとめる必要はありませんよ。あなたがた姉妹はあの子と関わり合いになってはだめよ。」

 黛玉は元々母親から、甥っ子に玉を銜(くわ)えて生まれた者がいて、愚劣なこと尋常でなく、勉強が嫌いで、女の居室であれこれ人に付き纏うのが大好きだと言うのを聞いたことがあった。母方の祖母がその子を甘やかすものだから、誰も敢えて手出ししようとしなかった。今王夫人が言うのを聞いて、この姓の異なる年上のいとこのことと知ったので、また作り笑いをして言った。「叔母様が言われた方は、でも玉を銜えてお生まれになったのでは。家にいた時、母がいつも言っていたのですよ、このお兄様はわたしよりひとつ年上で、幼名を宝玉と言われ、性格は勝手気ままだけれど、妹たちへの面倒見はとても良いと。ましてわたしにとって、いつも女兄弟と一緒にいて、男兄弟は別の建物におられるのだから、どうして付き纏うことができるでしょう。」王夫人は笑って言った。「あなたはその原因をご存じないからですね。あの子は他人とは違い、幼い時からお婆様が溺愛され、元々女兄弟たちと同じところで甘やかされて育ったのです。もし女兄弟たちが相手にしなければ、あの子はまだ少しは静かにしています。でも姉妹たちがあれこれ話しかけようものなら、あの子は大喜びで、あれこれしでかすんです。だからあなたにあの子を相手にしてはだめよと言いつけたんです。あの子の口からは、甘いことばが飛び出すこともあれば、荒唐無稽なことを言ったりし、気がふれたようになるのです。あの子の言うことを信じてはだめですよ。」

 黛玉は一々頷いた。ふとひとりの女中がやって来て言った。「お婆様のところで晩御飯の支度ができたそうです。」王夫人は急いで黛玉を連れて裏の建屋の門を出、裏の廊下から西に行き、角門を出ると南北方向の石畳の小径で、南側が母屋に向かい合った三間の小さな抱厦庁で、北側には白いペンキを塗った大きな影壁(目隠しの壁)が立っていて、その後ろには半分開いた門があり、小さな建物があった。王夫人は微笑みながら黛玉に向け指さして言った。「ここが鳳お姉さまのお部屋です。帰ってきて、何かあればここであの子を捜すといいわ。何か足りないものがあったら、あの子に言えばなんとかなるから。」この屋敷の門にも何人かのようやく髷(まげ)が結えるようになった若い召使が、両手を下で組んで恭しく待機していた。

 王夫人は黛玉を連れて東西方向の建物を通り抜けると、賈のお婆様の家の裏庭であった。家の裏の入口から入ると、既に多くの人々が待機していて、王夫人が入って来るのを見ると、そこでテーブルと椅子を準備した。賈珠の奥さんの李氏は杯を捧げ持ち、熙鳳は箸を置き、王夫人は羹を注いだ。賈のお婆様は正面にひとり座り、両側には四脚の空の椅子が置かれていた。熙鳳は急いで黛玉を連れ、左側から一つ目の椅子に座らせようとすると、黛玉はしきりに遠慮した。賈のお婆様は微笑んで言った。「おばさんや義姉さんたちはここでは食べないのよ。あなたはお客様なのだから、ここに座らないとだめなの。」黛玉はそれでようやく、お礼を言って座った。賈のお婆様は王夫人も座らせた。迎春の姉妹三人は座るよう言われてからこちらに来て、迎春は右側の一番目に座り、探春は左側の二番目、惜春は右側の二番目に座った。横から召使の女が塵払い、口漱ぎの壺、ナプキンを手に持ち、李紈鳳(李珠の妻)はテーブルの傍らに立ち給仕をした。直接外に通じる部屋で待機する嫁や召使は多くいたが、咳払いひとつ聞こえなかった。食事が終わり、各人の召使がお盆を捧げ持って茶を運んだ。当時、林家では娘に贅沢を慎み養生せよ、食後は必ずしばらく時間を置いてから茶を飲めば、脾臓や胃を害することがないと教えていた。今、黛玉はここでは多くのきまりがあることを知り、家とは異なっていたが、それに合わせざるを得ず、お茶をもらった。また召使が口漱ぎの壺を持って来たので、黛玉も口を漱ぎ、また手を洗い終えた。その後また茶を捧げ持って来た。今度がようやく飲むためのお茶であった。

 賈のお婆様は言った。「おまえたち、もう行っていいよ。わたしたちが自由に話をするから。」王夫人はそれで立ち上がり、一言二言世間話をしてから、李紈鳳を連れて行ってしまった。賈のお婆様はそれで黛玉にどんな本を勉強しているか聞いた。黛玉は「『四書』を読んだばかりです。」と答えた。黛玉はまた女兄弟たちにどんな本を勉強しているのか尋ねたところ、賈のお婆様は、「何を勉強しているにしても、字をいくつか憶えただけですよ。」と答えた。

 その言葉も終わらぬうちに、外で誰かが歩いて来る音が聞こえ、召使が入って来て報告した。「宝玉様がお越しになりました。」黛玉は心の中で思った。「この宝玉様がひょっとして、その手に負えないという方なのかしら。」そうして部屋に入って来たのを一目見ると、年若い若君であった。頭には髪の毛を束ねて宝石を象嵌した赤銅の冠を被り、額の眉を揃えた位置には二匹の龍が珠を弄ぶ図案の鉢巻がきつく縛られ、金糸で百匹の蝶が花の周りを舞う様を刺繍した真っ赤な裾詰めの袖、五色の糸で花模様に作った組みひもに、長い穂の飾りを垂らしたベルトを締め、上着の上には藍色の八つの模様を刺繍した日本式の緞子の下端の縁に房状の飾りの付いたひとえの服を羽織り、黒い緞子に白い靴底のブーツを履いていた。顔の形は中秋の月のように際立って美しく、顔色は春の早朝の花のようにみずみずしく、鬢は刀で切られたように鋭く整えられ、眉は墨で描かれたかのよう、鼻は豚の肝が掛けられたかのよう。眼は相手に秋波を送り、怒っている時も笑うかのようで、睨みつけても好感が持たれた。首には金の螭(角の無い龍)の瓔珞を掛け、また五色の糸の打ち紐で、美玉を一個吊り下げていた。


 黛玉は一目見るなり、大いに驚き、心の中で思った。「とても奇妙なことだけれども、どこかでお目にかかったかのようで、見覚えがあるわ。」ふと、宝玉が賈のお婆様にご挨拶しているのが目に入り、賈のお婆様が「あなたのお母さんにご挨拶しておいで」とお命じになり、そのまま向こうを向いて行ってしまった。再び戻って来た時には、既に帽子やベルトを着替えていた。頭の上には一周短い髪の毛をぐるっとお下げに編み、赤いリボンを結び、それらを頭のてっぺんで集めて、一本の太い辮髪が編まれ、髪の毛はペンキのように黒光りし、てっぺんから端まで、四個の大きな玉が連なり、金に八宝を象嵌した飾りが吊り下げてあった。ピンク色の生地に花柄の着古した上着を身に着け、相変わらずネックレス、宝玉、寄名鎖(子供の長命を祈るお守りで、錠前の形をしている)、お守りなどを付けていた。下はやや黄緑色がかった花柄の綸子のズボン、フリルの付いた柄物の靴下、厚底の真っ赤な靴を履いていた。より一層、顔は白粉を塗ったよう、唇には紅を挿したようで、益々あでやかで多情な様子で、言葉は快活であった。自然に現れる風采は、眉毛の先端から末尾の間に示され、これまでの人生の様々な感情は、尽く目じりに積み上げられていた。その外観を見ると、それは際立って優れていたが、その心の奥底はよく分からず、後代の人が『西江月』の二首の詞で正確に批評した。詞に言う。

 故無く愁いを尋ね恨みを覓(もと)め、時に傻かさは狂う如くに似たり。よしんば好き皮囊(革袋)を生ずるを得るも、腹内は原来(元来)草莽(そうぼう)たり。潦倒(ろうとう。落ちぶれる)するも庶務(世務)に通ぜず、愚頑にして文章を読むを怕(おそ)れる。行為は偏僻(へんぺき。偏(かたよ)る)にして性は乖張(かいちょう。ひねくれる)、誰か世人の誹謗を管(つかさど)る。

また言う。

 富貴なれが業(正業)を楽しむを知らず、貧窮すれば凄凉を耐え難し。憐れむ可きは好き時光に辜負(こふ。そむく)し、国にも家にも望み無し。天下に無能なること第一、古今に不肖なること無双。言を寄す(忠告する)紈褲(贅沢な着物)(を身に着け)と膏粱(贅沢な食べ物)(を食べている金持ちの子弟)よ、此の児の形状に倣う莫れ。

 さて、賈のお婆様は 宝玉が入って来たのを見ると、微笑んで言った。「お客に会っていないのに着替えてしまったのかい。まだあなたの妹に会っていないのに。」宝玉はとっくにたおやかな娘がいるのを目にし、この子は林の叔母様の娘に違いないと見当をつけ、急いで挨拶に来たのだった。戻って来て席について子細に見ると、確かに他の娘たちとは異なっていた。ふと以下のような有様が目に入った。

 両湾(両側に湾曲)の蹙(しか)めるに似、蹙めるに非ざる罥烟(一筋の煙のような形の眉) 、一双の喜ぶに似、喜ぶに非ざる情を含んだ目。生まれつき両頬のえくぼに愁いを含み、弱々しさは身の病から出る。目じりにはに少し涙が光り、愛らしい喘ぎが微かにする。淑やかさは愛らしい花が水に照るに似、その動作は華奢な柳が風を受ける如し。心は(商の紂王の忠臣)比干より(心臓の)孔がひとつ多く、病は(古代の美女)西施より三分勝る。

 宝玉は黛玉の様子を見て、微笑んで言った。「僕、このお嬢ちゃんに前に会ったことがある。」賈のお婆様は笑って言った。「またでたらめを言って。どうして前に会ったことなどあるものかね。」宝玉は笑って言った。「会ったことがなくても、顔つきの優しさを見ていると、心の中で遠く離れていて再会したかのように思えるんだ。」賈のお婆様は笑って言った。「すばらしいわ。それならもっとお互い仲良くなるわね。」

 宝玉は黛玉の近くまで歩いて来て座ると、また子細に観察すると、尋ねた。「お嬢ちゃん、お勉強をしたことはあるの。」黛玉は言った。「勉強したことはありますわ。一年だけですが、学校に行って、覚える必要のある漢字をいくつか勉強しました。」宝玉はまた尋ねた。「お名前はなんと言うの。」黛玉は名前を言ったが、宝玉はまた言った。「字(あざな)は何と言うの。」黛玉は言った。「字(あざな)はありません。」宝玉は笑って言った。「僕があなたに字(あざな)をつけてあげるよ。「顰顰」(ひんひん)の二字にするのがいいよ。」探春が言った。「何から採ったの。」宝玉は言った。「『古今人物通考』でこう言っているんだ。「西方に石あり名を黛、眉を画く墨に代える可し。」まして、この娘の眉の尖がりは(眉を)蹙(ひそ)めているようだから、この字を取れば、きれいなんじゃないかな。」探春が笑って言った。「また適当に作り話をするんだから。」宝玉は笑って言った。「『四書』を除けば、でっちあげられたものはとっても多いんだよ。」それでまた黛玉に尋ねた。「玉は持っているの。」周りの人々は何のことか分からなかったが、黛玉はこう推察(忖度cǔn duó)した。「あの人は玉を持っているから、わたしも持っているか聞いたのね。」それでこう答えた。「わたしは玉を持っていません。あなたの玉は珍しいもので、誰もが持っているものではないんですよ。」

 宝玉はそう聞くと、たちまち発作が起こって、その玉を掴むと、むきになって投げ捨て、怒鳴った。「何が珍品だ。人の才能も知らずに、それで霊験があるなんて判るもんか。僕もこんなもの要るもんか。」びっくりして周りの人々が取り囲むと、急いで玉を拾い上げ、賈のお婆様は急いで宝玉を抱きしめると言った。「この罰当たり。あなたが怒って人を罵るのは簡単だけど、どうしてこの命のもとを放り投げるの。」宝玉は顔中泣きの涙で濡らしながら言った。「我が家のお姉さまも妹も皆持っていないのに、僕だけ持っているなんて、面白くないよ。今日来たこの女神のようなお嬢ちゃんも持っていないなんて。きっとこれはろくなものじゃないよ。」賈のお婆様は急いで宝玉をあやして言った。「このお嬢ちゃんは元々玉を持っていたんだけど、おばさまが亡くなる時に、この娘を残していけず、どうしようもなかったので、最後はこの娘の玉を持って逝かれたの。ひとつにはすべて埋葬の礼として、この娘が孝心を尽くされた。ふたつにはおばさまの霊魂もこの娘にお伴してもらえることになった。だからこの娘は持っていないと言ったの。自分から大げさに言うのもきまりが悪いからね。あなたはやっぱり玉を持っていないといけないわ。子細はこの婆が知っているわ。」そう言うと、召使から玉を受け取ると、お婆様自ら宝玉に身に着けさせた。宝玉はお婆様が言われるのを聞いて、しばらく考えていたが、もうそれ以上何も言わなかった。

 それからすぐに乳母が来て黛玉の部屋のことを尋ねたので、賈のお婆様は言った。「宝玉を移して、わたしの居間の隣のオンドルの部屋に住ませるわ。林のお嬢ちゃんはしばらく蚊帳のところに落ち着いてもらって、冬が過ぎたら、春にまた部屋を片付けて、別のところに落ち着いてもらいましょう。」宝玉は言った。「お婆様、僕は蚊帳の外のベッドでも大丈夫。移る必要無いよ。騒いだら、お婆様お休みになれないでしょう。」賈のお婆様は少し考えたが、「それもいいかね。」と言った。子供たちはひとりひとり、ひとりの乳母とひとりの召使が世話をし、それ以外は外側の部屋で当直をし、用事を仰せつかった。一方ではとっくに熙鳳が人に命じて薄紫色の模様の入った帳(とばり)と錦の掛け布団、緞子の敷布団の類を届けて来ていた。

 黛玉はふたり連れて来ていただけだった。ひとりは乳母の王ばあや、ひとりは十歳の召使で、名を雪雁と言った。賈のお婆様は雪雁が幼なくて、こどもっぽ過ぎるし、王嬷嬷も歳をとり過ぎていて、黛玉の世話をさせるのに不十分だったので、自分の身辺の世話をしている召使の鸚哥と言うのを黛玉に与えた。これで迎春ら他の兄弟と同等になった。ひとりひとり幼い時からの乳母の他、四人の躾け担当のばあやがいた。お傍でアクセサリーを管理し日常の洗面や沐浴のお世話をするふたりの召使の他、別に四五人の部屋を掃除したり、通いで家事をする召使がいた。すぐさま王ばあやと鸚哥が黛玉の傍に付き添って蚊帳の中に入り、宝玉の乳母の李ばあやと女中の襲人というのが付き添って外の部屋の大きなベッドのところにいた。

 元々この襲人も賈のお婆様の下女であった。本名を蕊ruǐ珠といい、賈のお婆様が宝玉を溺愛していたので、宝玉の下女が役に立たないのを恐れ、ふだん蕊珠は心根が純粋で善良であったので、遂に宝玉に与えた。宝玉は彼女の元の姓が花で、また昔の詩に「花気襲人」(宋の陸游の詩で、「花気襲人知驟暖」。気候が暖かくなり、一層花の香りが人の鼻をくすぐる)の句があるのを見たことがあったので、遂に賈のお婆様に申し上げ、蕊珠を襲人に改名させたのだった。

 さて、襲人にはひとつのことに夢中になるところがあり、賈のお婆様にお仕えしている時は、心の中に賈のお婆様のことしかなく、今は宝玉と一緒なので、心の中には宝玉のことしかなかった。ただ宝玉は気性が偏屈なので、いつも諫めても、宝玉は聞いてくれないようで、心の中は実に憂鬱であった。この日の晩、宝玉は李ばあやが既に眠り、中では黛玉、鸚哥がまだ休んでおらず、彼女は化粧を落とすと、そっと入って来て、微笑んで尋ねた。「お嬢さん、まだお休みにならないのですか。」黛玉は急いで微笑んで席を勧めた。「お姉さん、お座りください。」襲人がベッドに沿って座ると、鸚哥が笑って言った。「林お嬢様はここで悲しまれ、涙で目をこすり、こう言われました。「今日ようやくここに来たばかりなのに、お兄様の病気を引き起こしてしまった。もしあの玉が壊れていたら、それはわたしのせいだわ。」そう言って悲しまれるものですから、わたし、おなだめするのが大変でしたわ。」襲人が言った。「お嬢さん、こんなことじゃだめですよ。これから、もっと奇妙な出来事だって起こります。あの方がこんな行状だからといって、あなたがその度に傷ついていたら、もうこれ以上悲しめなくなりますよ。もうこれ以上気を回さないで。」黛玉は言った。「お姉さま方が言われること、わたししっかり覚えておきますわ。」そう話して、それでようやく気が静まり、眠ることができた。

 翌朝起きると、賈のお婆様におはようのご挨拶にうかがい、王夫人のところへ来ると、ちょうど王夫人と熙鳳が一緒に金陵から来た手紙を開いて読んでいるところで、また王夫人の兄嫁のところから差し向けられたふたりの女房が来て話をしていた。黛玉は事の次第を知らなかったが、探春らは知っていて、金陵の城中に住んでいる薛家のおば(王夫人の妹の薛王氏。薛姨媽)の子供で、いとこの薛蟠が、自分の権勢を頼みとして、殺人事件を起こし、現在は応天府で取り調べ中で、今日おじの王子騰が知らせを聞いて、人を遣ってこちらに連絡してきて、都に来て引き取ってほしいと頼んできた。いったいどういうことなのか、次回に説き明かします。

 さて、王夫人の妹の嫁ぎ先の薛家で、妹の子供の薛蟠が殺人事件を起こし、風雲急を告げます。この事件はどのような展開を見せるか、第四回をお楽しみに。

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『紅楼夢』第三回(その1)

2025年01月10日 | 紅楼夢
 さて、第二回の最後で、賈雨村に声をかけて来たのは誰でしょうか。そして賈雨村にこのあとどのような運命が待っているのか。また母を失った林如海の娘、黛玉はこの後どうなるのでしょうか。第三回の始まりです。

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内兄(妻の兄)に託し、如海は(雨村を)西賓(幕僚)へ薦め
外孫(林黛玉)を迎える賈母(史太君)は孤女を惜しむ

 さて、雨村が急いで振り返って見ると、他でもなく、曾ての同僚で、一緒に弾劾を受けて罷免された張如圭であった。彼はこの土地の人で、免職後は家にいて、今都で罷免された官吏の復職の批准がされたとの知らせを聞き、あちこち情報を尋ね、つてを求めていて、ふと雨村を見かけたので、急いでお祝いを言ったのである。ふたりは挨拶を交わし、張如圭はこの知らせを雨村に告げ、せかせかと二言三言話をすると、それぞれ別れて帰って行った。冷子興は張如圭の言うのを聞いて、急いで雨村に、林如海にお願いし、都の賈政に力になってくれと頼んでもらうよう献策した。

 雨村はその考えを受け入れ、冷子興と別れた。お屋敷に戻ると、急いで邸報(宮廷の公報)を調べて確かめ、翌日如海に会って相談をした。如海は言った。「これは全く天のめぐり合わせです。妻が死に、都の妻の母が、孫娘がよるべにする者がいないことを心配し、以前船を差し向け迎えに来たのですが、わたしの娘がまだ健康を回復していなかったので、行かなかったのですが、今回は娘を都にやろうと思います。娘を教えさとしていただいた恩にまだ報いておりませんでしたので、この機会に、是非なんとかその気持ちを果たしたく思い、わたしは既に予め考えを巡らし、あなたの推薦状を書きました。内兄(妻の兄の賈郝、賈政)に頼んであなた様をちゃんとお助けすることができれば、それでようやくわたしの誠意をいささかでも尽くすことができるというもの。たとえ何がしか費用が必要でも、わたしが妻の家への手紙の中に書いておきましたので、あなた様が心配なさる必要はございません。」雨村は一方では頭を下げ、絶えず感謝の意を表しながら、一方でまた尋ねた。「お兄様は現在どんな役職に就いておられるのでしょうか。わたしは礼儀作法がいいかげんなもので、お目にかかる勇気がないのです。」如海は笑って言った。「親戚ということで言えば、貴兄も同じ一族なのですから、栄公の子孫であるわけです。上の兄は現在一等将軍の職を継ぎ、名を郝、字は恩侯です。下の兄は、名を政、字は存周、現在は工部員外郎に任じられています。その人と為りは謙虚で丁寧、善良で寛容です。大いに祖父の遺風を残し、特権を笠に利益をほしいままにするのでは断じて無く、それゆえわたしも手紙を書いてお力添えを託そうと思っているのです。そうでなければ、あなた様の高尚な節操を汚してしまうことになり、わたしも軽蔑されてしまいます。」雨村はそう聞いて、心の中でようやく昨日の子興のことばを信じ、そして林如海に感謝した。如海はまた言った。「来月の二日を選んで、娘を都に入れますので、あなた様も同行して行っていただくのは、双方ご都合よろしいでしょうか。」雨村はただただ命令に従ったが、心中はすこぶる満足であった。如海はそれで贈り物を用意し、また送別の宴を開き、雨村は一々それらを受け入れた。


 かの女学生は元々母親から離れて行くに忍びなかったが、いかんせん母方の祖母が必ずあちらに行くように言われるし、しかも如海がこう言った。「汝の父は齢五十、もう後添いを娶るつもりはなく、しかも汝は病気がちで、年もたいへん小さく、上に母親の躾け無く、下に姉妹の扶助も無い。今妻方の祖母やめい姉妹を頼ってあちらに行ってくれれば、ちょうどうまくわたしの家庭内の心配事を減じてくれるのに、どうして行かないのか。」黛玉はそう聞くと、ようやく涙をこぼしていとまごいをし、乳母と栄府から来た何人かの老女に付いて、船に乗り出発した。雨村は別の船に、ふたりの子供の召使を連れ、黛玉に付き従い出発した。


他日、都に到着すると、雨村は先ず衣冠を整え、子供の召使を連れ、「宗侄」(同族の甥)の名刺を持って、栄府の屋敷に身を投じた。この時、賈政は既に妹のご主人からの手紙を読んでいたので、急いで招じ入れてお互いに顔を合わせたところ、雨村は見るからに偉丈夫で、ことばも俗っぽくなく、しかもこの賈政が最も好きなのは読書人で、彼は賢者を尊敬し、自ら謙(へりくだ)って才能のある人と交わり、水に落ちた者を救い、危機に瀕した人を扶助し、大いに祖先の遺風を具えていた。ましてや妹の亭主が手紙を寄こしてきたので、このため雨村を優待すること、猶更いつもと異なり特別であった。そこで極力手助けし、朝廷に奏上する時に、復職実現を謀ると、二か月も経たないうちに、金陵応天府に採用されたので、雨村は賈政の前を辞し、日を選んで赴任して行ったが、そのことはここでは言うまでもない。

 さて、黛玉はその日より下船し岸に上がると、栄府が駕籠を寄こし、併せて荷物を運ぶ車輛がかしずいていた。この黛玉は曾て母親から、彼女の母方の実家の祖母は他の家の人々とは異なると聞かされていたが、彼女が最近出会った何人かの年配の女性の召使は、普段の生活での衣食の費用や生活手段が、既に普通の家とは異なっていた。ましてや今はその家に行くのだから、一歩一歩気をつけ、常に注意し、余計なことは言わず、余計なところへ行かないようにし、人に嘲笑されぬようにしていた。駕籠に乗ってから、城内に入り、紗を貼った窓からちょっと覗き見ると、その市街の繁華なこと、人家の非常に多いことといったら、別の場所とは比べようも無かった。また半日進むと、突然街の北側に二匹の大きな石の獅子が蹲(うずくま)り、三列の扉の上に獣の頭の形の門環(ドアノッカー)の付いた大門が見え、門前には十人ばかりの華麗な冠や衣服を身に着けた人々が順に座っていた。正門は開かず、東西両側の角門からのみ人の出入りができた。正門の上には扁額が一枚架かり、扁額の上には「勅造寧国府」の五つの大きな文字が書かれていた。


栄国府正門。林黛玉一行は西角門から中に入る

 黛玉は思った。「ここがお母さまの実家のお屋敷なんだ。」また西へしばらく行くと、先ほどとそっくりの三枚の扉の大門で、ここが「栄国府」であった。しかし正門を入らず、西の角門からのみ入ることができた。駕籠を担いでほんの少し進んで、曲がろうとする時、駕籠は進むのを止め、後方の女の召使たちも皆駕籠を降りた。ここで別途四人の眉目秀麗な17、8才の若い男の召使がやって来て駕籠を担ぎ、女の召使たちは歩いて付き従い、垂花門(正門を入った後の二の門)の前まで行って駕籠を下した。若い男の召使たちは揃ってうやうやしく退出し、女の召使たちが前に進み出て駕籠のすだれを持ち上げ、黛玉を助けて駕籠から降ろした。

 黛玉は女の召使の手で支えられ 垂花門を入った。両側は両手を広げたような回廊が廻り、真ん中は通り抜けができるようになっている部屋で、ここには紫檀の台に大理石の屏風が置かれた。屏風を回ると、小さな三間の広間で、広間の後ろが母屋の広い中庭であった。正面は五間の母屋で、棟木や梁木には皆彫刻と彩色を施し、両側の山型の壁の下は門とつながった廊下で各々両側の棟と連なり、廊下には色とりどりのオウムや画眉鳥などの小鳥の鳥籠が吊るしてあった。階(きざはし)の上には赤や緑の衣服を纏った女中たちが座っていた。彼らが来るのを一目見ると、笑顔で出迎え、言った。「先ほどご隠居様がまた気にかけておられました。ちょうど良いところにお着きで。」そして三四人が先を争いすだれを上げると、一方でこう言うのが聞こえた。「林お嬢様がお着きになりました。」


 黛玉が部屋に入るや、ふたりの女が鬢の毛が銀のようになった老女を支えて出迎えに来た。黛玉はこの方が母方の祖母だと分かり、ちょうど跪いて拝礼しようとしていると、それより早く祖母に抱かれ、彼女の胸の中に抱きしめられた。「かわいい子。」そう叫ぶと、大声で泣き出した。すぐさまお傍に立っていた人で、涙を流さぬ者はいなかった。黛玉も泣き続けた。人々はゆっくり慰め、かの黛玉はようやく祖母にご挨拶をした。賈のお婆様はひとりひとり指さして黛玉に言った。「これはあなたのお母さまのお兄様の奥様。これは二番目のお兄様の奥様。これはあなたの先だって亡くなった珠お兄様のお嫁さんの珠お姉さま。」黛玉は一々ご挨拶した。賈のお婆様がまた言った。「どうか皆さん。今日は遠方よりお客様が来られたので、勉強に行かなくてもよいですよ。」一同の女性たちは「はい」と答え、ふたりが出て行った。


 しばらくして、ふと三人の乳母と五六人の女中が三人の娘を連れて入って来るのが見えた。ひとり目は肌がふっくらとし、中肉中背で、頬は新鮮なライチのよう。鼻はつやつやしてきめ細かく、ガチョウの脂が固まったよう。温和でおとなしく、人に親しみを感じさせる。ふたり目はなで肩で腰がほっそりし、やせて背が高く、アヒルの卵のような形の顔で、きれいな眼に細長い眉、眼は鋭く輝き、色やつやが人を照らし、見ていると世俗を忘れさせる。三人目はまだ身体も小さく、幼な過ぎた。簪(かんざし)と耳飾り、スカートと裏地の付いた上着は、三人とも同じ服装をしていた。黛玉は急いで出迎えてお辞儀をし、互いに挨拶した。席に戻ると、女中が茶を持って来た。しかし黛玉の母親の話になると、どのように病気になり、どのように医者にかかり薬を服用したか、どのように葬儀を行ったかという話になり、賈のお婆様がまた感傷的になるのを免れなかった。そのためこう言った。「我が家の娘たちが悼んでいるのはひとりあなたのお母さまだけで、わたしたちを残して先に亡くなり、もうお会いすることもできず、どうして悲しくないはずがありません。」そう言うと、黛玉の手を取りまた泣き出した。周りの人々は急いで互いに慰め、そこでようやく、いくらか悲しみも収まった。

 周りの人々は黛玉の年齢は小さいが、その動作ふるまいや話すことばが俗っぽくなく、身体や容貌が痩せて弱々しく、服の重みにも耐えられないかのようであるが、立ち振る舞いがおおような態度で、彼女は気や血が虚弱な症状があると知ったので、それで尋ねた。「いつもどんな薬を飲んでいるの。どうして病気がよくならないの。」黛玉は言った。「わたしは元々このようでしたから、ご飯が食べれるようになってから、今までずっと薬を飲んでいます。何人もの名医に診てもらいましたが、結局効果がありませんでした。あの年はわたしがやっと三歳になった時で、確か、ひとりの白癬(しらくも)頭の坊さんがやって来て、治そうと思ったらわたしを出家させろと言いましたが、父母はもちろんそれに従いませんでした。坊さんはまたこう言いました。「この子を棄てられないなら、おそらくこの子の病気は一生良くならないだろう。もし良くしようと思うなら、今後決して泣き声を聞かさないだけでなく、両親以外、およそ親戚でも、一切会わないようにすれば、それでようやく一生平穏無事に暮らせるだろう。」この坊さんは狂気じみた様子でこうした荒唐無稽の話をしましたが、誰も取り合いませんでした。今はまだ人参養栄丸を飲んでいます。」賈のお婆様は言った。「これはちょうどよい。うちでもちょうど丸薬を調合しているから、彼らに少し多く原料を配合するようにさせましょう。」

 ことばがまだ終わらぬうち、ふと後院から笑い声が聞こえ、こう言った。「遅くなってしまいました。遠方からのお客様をお出迎えできなくて。」黛玉は少し考えて言った。「ここにいる人たちはひとりひとり皆声をひそめて話されるのに、今度来られたのは誰だろうか。このように不遠慮に振る舞うなんて。」心の中でそう思っていると、一群の女中や小間使いがひとりの麗人を連れて後ろの部屋から入って来た。この人の装いは少女たちと異なり、彩りがまばゆく、華麗で美しく、まるで天上の神妃仙女のようで、頭上には金糸で真珠を繋ぎ八宝(瑪瑙や碧玉など)を象嵌した飾りの髷(まげ)を、太陽に向かう五羽の鳳が真珠を銜えた簪で留め、銅でできたとぐろを巻いた螭(みずち。角の無い龍)の瓔珞(ようらく)を首に掛け、身体には細い金糸で縫った百羽の蝶が花に舞う赤い錦の身体にぴったりのあわせの服を身に着け、その上から五色の色糸で図案を縫った扁青(へんじょう)色のひとえの上着で裏地にシロリスの毛皮を貼ったものを羽織り、下は翡翠色で花びらが散る図案の洋式の薄絹でやや皺を帯びたスカートを履いていた。切れ長で目じりのつり上がった眼をし、眉毛は柳の葉のようにしなやかで細長く、眉尻は斜めに切れ上がり、背丈はすらりと美しく、体つきはあでやかでなまめかしかった。容貌はなまめかしく人を惹きつけ、真っ赤な唇は鮮やかで、まだ口を開かぬうちに笑い声が先に聞こえてきた。

 黛玉はあわてて身体を起こして挨拶をしようとすると、賈のお婆様は笑って言った。「あなたはまだこの子のことを知らなかったね。この子は我が家では有名なあばずれで、南京のいわゆる「辣子」、あなたはこの子を「鳳辣子」と呼べばいいのよ。」黛玉はちょうど彼女のことをどう呼べばいいか分からなかったので、姉妹たちが急いで黛玉に教えて言った。「この方は璉お兄さまの奥様ですよ。」黛玉はこれまで面識は無かったが、彼女の母親がこう言うのを聞いたことがあった。一番上の叔父、賈郝の子の賈璉が娶ったのは、叔母の王氏の兄弟の娘で、幼い時から男の子と偽って教育を受けさせ、学名(子供が学校に入学する時につけた正式の名前)を王熙鳳というと。黛玉はあわてて作り笑いを浮かべて挨拶し、「お姉さま」と呼んだ。

 この熙鳳は黛玉の手を取って、上から下まで細かく一度観察すると、黛玉をまた賈のお婆様の傍に座らせ、笑みを浮かべて言った。「世の中には本当にこんなきれいな子がいるのね。わたし、今日はじめてそれが分かってよ。ましてやこの全身から醸しだされる気風は、賈のお婆様の娘の生んだ娘とは違って、まさしく実の孫のように思えるので、道理でご隠居様が日々口の中でも心の中でもご心配されるはずだわ。ただお可哀そうなのは、このお嬢ちゃんがこんなに辛い運命を負わされていることで、どうして叔母様は意地悪く先立たれてしまわれたんだろう。」そう言いながらハンカチで涙を拭いていると、賈のお婆様が笑みを浮かべて言った。「わたしはもう大丈夫よ。あんたはまたわたしを泣かせるつもりなの。あんたの妹がはるばる遠くから来て、身体も丈夫じゃ無いんだから、もうこのことは言いっこなしよ。」熙鳳はそれを聞いて、急いで悲し気な様子から嬉しそうな雰囲気に変えて言った。「本当にね。わたしはこの子を一目見るや、一途にこの子の身の上が思われて、嬉しいやら悲しいやらで、ご隠居様のことを忘れてましたわ。全部わたしが悪いわ、ごめんなさい。」それからまた急いで黛玉の手を引き、尋ねた。「お嬢ちゃん、おいくつ。お勉強はなすったことがおあり。今どんなお薬をお飲みなの。ここではお家のことは考えないで。何か食べたいもの、遊びたいことがあったら、わたしに言いさえすればいいのよ。召使や乳母たちに問題があったら、わたしに言えばいいからね。」黛玉は一々はい、はいと頷いた。一方で熙鳳は使用人たちに尋ねた。「林のお嬢ちゃんの荷物は運び入れたのかい。召使は何人お連れになってるの。おまえたち、急いで二部屋掃除して、皆さん方に休んでもらいなさい。」

 話をしていると、もうお茶とお茶請けが並べられたので、熙鳳は自ら取り分けて勧めた。また弟のお母さまが彼女に尋ねた。「毎月のお手当は渡し終わったかい。」熙鳳は答えた。「渡し終わりました。先ほど人を連れて奥へ行って緞子を捜してきました。あちこち捜したんですが、昨日奥様が言われたものは見つかりませんでした。おそらく奥様の記憶違いだと思うのですが。」王夫人は言った。「あっても無くても、どちらでもいいわ。」それでまた言った。「適当な布を二反取って来てこのお嬢ちゃんに服をこさえてあげないといけないわ。今晩また考えて誰か取りにいかせて。」熙鳳は言った。「それだったら、わたしもう先に手配しています。お嬢ちゃんが昨日今日着かれると聞いていたので、もう準備しておきました。奥様がお部屋に戻られたら、見てみてください。それで良ければお渡しするので。」王夫人は微笑み、頷くともう何も言わなかった。

 今回はここまでとします。この後、林黛玉はふたりの叔父、つまり賈郝と賈政にご挨拶にうかがい、更に賈宝玉に出会いますが、それについては次回をお楽しみに。


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『紅楼夢』第二回

2025年01月08日 | 紅楼夢
 第一回で、甄士隠は気の毒にも最愛の娘が行方知れずになり、また家財も火災で全て失い、絶望の果てに失踪してしまいました。そんな中、妻の姑の封粛が新任の知県(知事)に呼び出しを受けるのですが、果たしてその用件とは?また士隠の金銭的支援で、科挙の試験の受験のため都に上った賈雨村のその後はどうなったのでしょうか。紅楼夢第二回の始まりです。

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賈夫人は揚州城にて逝去し、冷子興は栄国府を物語る

 さて、封粛は知県様からの使者の呼び出しを聞き、急いで出て行って作り笑いを浮かべて尋ねると、これらの人はただ大声でこう言った。「早く甄様を出て来させよ。」封粛は慌てて笑みを浮かべて言った。「わたくしの姓は封といい、甄ではありません。ただ以前、娘婿に甄という者がおりましたが、もう出奔して一二年になります。してあやつに何をお尋ねで。」役人たちは言った。「我らも「真」()や「假」()や何のことか分からぬ。あんたの娘婿なら、おまえを連れて知県様の前で申し上げればそれでいい。」役人たちは封粛を引っ張って行ってしまい、封家の人々は驚き慌て、何事が起こったか分からなかった。

 二更の時分(夜の9時から11時の間)になって、封粛はようやく戻って来たので、人々は急いで事のあらましを聞いた。「実は新任の知県様は姓を賈、名を化といい、元は湖州の人で、曾て娘婿と旧交があり、我が家の門口で小間使いの嬌杏が糸を買っているのが見えたので、娘婿がここに移り住んでいると思ったので、お呼びに来られたのだ。わたしはいきさつをはっきりお答えすると、知県様は悲しんでため息をつかれた。また娘の生んだ女の子のことを聞かれたので、ランタンを見に行った時にいなくなったとお答えした。知県様は「わたしが人を出して、必ず捜し出そう」とおっしゃり、別れる時に、わたしに二両の銀子をくださったんだ。」甄家の嫁はそう聞くと、思わず悲しみが湧いた。その晩はそれ以外話はなかった。

 翌朝、雨村は人を遣って二包みの銀、四匹の錦を届け、甄家の嫁にお礼をした。また一通の密書を封粛に送り、彼に託し、甄家の嫁にあの嬌杏を側室に欲しいと頼んだ。封粛は嬉しくて相好を崩し、知県様に追従したくてたまらず、娘の前で精一杯たきつけて、その夜のうちに駕籠に嬌杏を乗せて役所へ送り届けた。雨村は喜んで、言うまでもないが、また百金を包んで封粛に贈り、甄家の嫁にも多くの贈り物を送り、彼女が自活できるようにしてやり、それで娘を捜して帰って来るのを待つようにさせた。

 さて、小間使いの嬌杏は、曾て雨村を振り返って見たことがあり、今回偶然に彼を見かけたことから、今回の奇縁をもたらし、これも予期せぬことであった。誰知ろう、彼女の運命は(天命と運命)双方がとても良く、思いがけず雨村のお傍に来ることができ、わずか一年で一子をもうけることができた。また半年して、雨村の正妻が突然伝染病にかかって世を去り、雨村は彼女を支えて正室の夫人にした。正に:
 たまたま一回顧みたことにより、人の上の人と為り。

 もともと、雨村はあの時士隠が銀を贈って後、彼は16日に出発して都に赴き、大比(会試)の年に当り、試験はたいへんよく出来て、進士に合格し、外地への任官者に選ばれ、今はこの県の知県(知事)に昇ったのであった。才能はたいへん優れていたが、いささか貪欲で残酷のきらいがあった。しかも自分の才を頼んで上司を侮ったので、同僚たちは皆横目で見(恥ずかしくて正視できない)、一年もしないうちに、上司に罪を告発され、それには彼はうわべは才あるように見えて、性格は実は狡猾であると言い、また一二の民を害する賦役、郷紳(官を辞し故郷に帰った有力者、勢力のある地主)との結託などが報告された。帝は大いに怒られ、直ちに罷免を命じられた。中央が公布した公文書が到着するや、この府の役人で喜ばぬ者はいなかった。かの雨村はたいへん羞じて悔やんだが、顔には恨みの色は全く出さず、普段通りにこやかに、公務の引継ぎをし、数年来蓄えた財産と家族などは、原籍に送って適切に処理したが、自分自身は何の負担も心配もなく、天下の名所旧跡を遊覧して回った。その日、たまたま維揚という地方に至り、今年の塩政に任じられたのが林如海だと聞いた。

 この林如海は、姓は林、名は海、字は如海で、前回の科挙の試験で探花(3位合格)になり、今は蘭台寺大夫に昇格した。本籍は姑蘇の人で、今は帝から巡塩御史に任命され、着任して間がなかった。もともとこの林如海の祖は、曾て列侯を襲名し、今日如海に到り、既に五世であった。当初は襲名は三世までとされたが、今は深い恩恵と盛んな徳行により、それを越えて恩恵が与えられ、如海の父親に至り、また一代襲名が許された。如海に到り、科挙の合格者が出た。代々朝廷から俸禄をいただき爵位を持つ家であったが、読書人の一族であった。ただ残念なことに、この林家は本家も分家も子や孫の数が少なく、成年男子の人数が限られていて、幾つかの系統があり、如海には非嫡系の一族はいるが、正統な嫡男がいなかった。今如海はもう五十歳になり、三歳の子がひとりいたが、昨年亡くなってしまった。妾が何人かいるが、いかんせんこれらに子供が無く、また如何ともしようがなかった。ただ正妻の賈氏が女の子を生み、幼名を黛玉といい、年はやっと五歳で、夫妻は掌の上の珠のようにこの子を愛した。この子は生まれつき聡明で容姿に優れていたので、いくつか文字も教えてやろうと思った。仮に嫡子を養う気持ちになって、後継ぎの子供のいないさびしさを紛らしているに過ぎない。

 さて、賈雨村は旅館でたまたま風邪をひき、それが治った後も旅費が続かず、ちょうど一ヶ所で定住して、生活の拠点となる場所が欲しいと思っていた。たまたまふたりの旧友に出逢い、新任の塩政の役人を知り、この方がちょうど娘さんを教育する家庭教師を捜しておられると知ったので、遂に雨村を推薦して役所に行った。この女学生はまだ幼く、身体も丈夫でなく、授業の多寡は不問であり、他にはふたりの一緒に授業を受ける女中しかいなかったので、雨村は十分手を抜くことができ、ちょうど病を養うのに都合が良かった。

 見る間に一年余りが経過した。思いがけず、女学生の母親の賈氏夫人が病を得て亡くなった。女学生は煎じ薬を奉じてお世話した。服喪の期間を守り礼を尽くしたが、悲しみがひどく、元々身体も弱かったので、このため古い病が再発し、多少身体の具合が良くなっても、机に向かうことが無かった。雨村は暇を持て余し、天気の良い日は、食後外出して散歩をした。この日はたまたま郊外に行き、そこの田舎の風景を鑑賞したいと思い、気の向くままに山を廻り水辺を歩いたが、こんもり茂った竹林の中に、ひっそり廟宇が鎮座していた。門前の小路は寂れ、土壁の表面は剥げ落ちていた。扁額には「智通寺」と書かれ、門の傍らには古いぼろぼろの対聯が書かれていた。

 身後に余り有れば手を縮むるを忘れ、眼前に路(みち)無ければ頭(こうべ)を回(かえ)すを想う。

雨村はこれを見て、こう思った。「この二句の文は書かれていることは甚だ単純だが、その真意は深遠だ。これまでいくつも名山や名刹を遊覧したが、未だ曾てこんな内容のものは見たことがない。その中で、必ず世事の激動をつぶさに経験して、悟りを得たいと思っているが、未だ知ることができない。」境内に入って中を見ると、年老いてよぼよぼの老僧がそこで粥を煮ていたが、雨村がそれを見ても、意に介さぬ様子で、声をかけてみても、その老僧は耳が聞こえず眼も見えず、歯が抜け落ち舌が回らず、聞きもしないことを答えた。

 雨村は我慢できなくなり、外に出て、その村にある店で酒を買い、一杯ひっかければ野趣を増すだろうと、歩いて行った。店の入口を入るや、座って酒を飲んでいた客のひとりが立ち上がって大笑いし、出迎えに来ると、「奇遇、奇遇」と言った。雨村が慌てて見ると、この人は都で骨董の取引きをしている、姓は冷、号を子興という男で、古くからの知り合いであった。雨村はこの冷子興がたいへんやり手だと尊敬しており、この子興はまた雨村の学問の名声を利用しており、それでふたりはたいへん気が合った。雨村は慌てて笑みを浮かべて尋ねた。「兄さんはいつここに来られたんですか。わたしは存じ上げませんでした。今日たまたまお目にかかり、本当に奇遇ですね。」子興は言った。「去年の年末に家に帰り、今はまた都に行くため、これより道に沿って友達を尋ねて話などしながら向かっており、友情を受け、何日か逗留させてもらっています。わたしも何も急ぎの事があるでもなし、しばらく逗留し、月半ばになったら、出発します。今日は友人が用事があり、わたしは閑なのでここへ来ておりましたが、思いがけずこのような巧い偶然に逢うとは。」そう言いながら、雨村を同じテーブルに座らせ、別に酒と肴を誂え、ふたりは無駄話をしながらゆっくり酒を飲み、前回別れてからの事を話した。


 雨村はそれで尋ねた。「最近都で何か新しいできごとはありませんか。」子興は言った。「特に何も新しい事はありませんが、先生のご親戚筋でちょっとした出来事がございました。」雨村は笑って言った。「手前の一族は都におりませんが、どこからそのような話が出たのですか。」子興は笑って言った。「あなたと同じ姓で……、ご一族ではないので。」雨村が誰の家か尋ねると、子興は笑って言った。「栄国の賈様のお屋敷は、ひょっとしてあなた様の家の名声を辱めているのでは。」雨村は言った。「なんだ、あの家のことですか。考えてみれば、手前の一族はかなりの人数で、東漢の賈復以来、分家がいくつもできて、各省に皆あり、逐一考察することもできません。栄国の血筋だけ見ても、元はと言えば同じ一族ですが、あちらはご栄達され、わたしどもはご挨拶にうかがうのも憚られ、益々疎遠になってしまいました。」子興はため息をついて言った。「あなた様、そんなふうに言うものではありませんぞ。今はこの栄、寧のふたつのお屋敷も寂れて、以前の光景とは比べようもありません。」雨村は言った。「以前は寧、栄のふたつのお屋敷は、人口も極めて多かったのですが、どうしてそんなに寂れてしまったのでしょう。」子興は言った。「本当に、言うと長い話になるのですが。」雨村は言った。「去年わたしが金陵に行きました時、六朝の遺跡を遊覧したいと思ったので、その日は石頭城に行くのに、あのお屋敷の前を通ったのですが、街の東に寧国府、街の西に栄国府があって、ふたつの屋敷は連なっていて、ほとんど街の大半を占めています。大門の外はさびれて人の往来も稀ですが、外塀を隔てて一望すると、中のホールや御殿、楼閣は相変わらず大きく聳え立っていました。後方一帯の花園では、木々は青々と茂り、築山の石はしっとり潤いがあり、これのどこが衰え寂れた家と言えましょう。」子興は笑って言った。「それでもあなたは進士のご出身か。なんだ、ご理解いただけないとは。昔の人も「百足の虫は、死しても倒れず」と言っていますが、今は曾てのように盛況ではないと言っても、平素役人をしている家などと比べると、そもそも次元が異なります。今は家族の人数が日増しに増え、事務が日増しに盛んになり、主人も召使も、上の者も下の者も、裕福に慣れ、栄耀栄華を極め、新たに策略を立てようという者などひとりもいません。曾ては見栄を張って、倹約しようなど思いもしませんでした。今は外側の骨組みはまだ倒れていませんが、懐具合はすっからかんです。しかしこれなど小さなこと。もっと大事なことは、あろうことか、このような鐘を鳴らし鼎を並べて食事をするような家柄なのに、今おられるご子息の如きは、一代また一代と以前に及ばなくなってきているのです。」雨村は聞いていたが、また言った。「このような代々礼儀道徳を重んじてきた家が、どうして教育を疎かにするような道理があるでしょうか。他の一族ならいざ知らず、この寧、栄の両お屋敷に限って言えば、最も子弟の教育方針を極められておられるべきものが、どうしてこんな情況に至ったのでしょうか。」

 子興は嘆いて言った。「正に言っているのはこのふたつの一族のことなんです。まあわたしの言うのをお聞きください。元々寧国公は、同じ母親の腹からお生まれになった弟と兄のおふたりでした。寧公が家長をされ、ふたりの男子をもうけられました。寧公の死後、長子の賈代化様が官位を継がれ、ふたりの男子をもうけられました。長男の名を賈敷と言われましたが、八九歳の時に亡くなられ、次男の賈敬様だけが残り、官位を継がれました。今は引退して、ひたすら自分の好きなことをされ、朱沙や水銀を焼いて仙薬を作るのに熱中され、それ以外は全く関わられません。幸い若い時に息子をひとり残され、名は賈珍と言われ、お父様は一心に仙人になろうとされ、官位は息子に継がせられました。彼の父親はまた家に住むのも良しとせず、ただ都の中や城外で道士たちとバカ騒ぎをされていました。この賈珍様も男の子をひとりもうけられ、今年ようやく16歳、名を賈蓉と言われます。今敬旦那様は何事にも関与されませんが、この珍旦那様はどこでまともなお勤めをされているのでしょうか。ただひたすら遊びほうけられるばかり。かの寧国府を傾けてしまわれ、敢えてそれを諫めに来られる方もいらっしゃらない始末です。次に栄府について申し上げますのでお聞きください。実は先ほど申し上げた異事とはこちらで起こったこと。栄公の死後、長子の賈代善様が官位を継がれ、娶られたのが金陵世家史侯のお嬢様を妻とし、ふたりのお子をもうけられました。長男が賈赦、次男が賈政と言われます。今代善様は既に逝去されましたが、ご母堂様はご健在です。長子の賈赦様が官位を継がれましたが、人と為りも普通で、また家事には口出しなさりません。ただ次男の賈政様は、幼い時から勉強がとてもお好きで、人と為りが品行方正で正直で、お爺様が特に可愛がられ、元々この方を科挙出身にさせたいと思われていたのですが、思いがけず代善様が臨終に帝に遺表を上奏されたのを、皇上が先臣をあわれんで、長子に官位を継承させました。また他に何人か子があるか尋ねられ、直ちに引見され、またこの政旦那様に定員外で主事の肩書を賜り、この方に官庁に入って見習いをさせられましたが、今は員外郎に昇格されています。この政旦那様の夫人の王氏が、最初に生んだ男子の名を賈珠といい、十四歳で試験に合格されて生員になられ、後に妻を娶られ、子をもうけられ、二十歳になる前に病気で亡くなられました。二人目に女の子が生まれましたが、それが不思議なことに、一月一日に生まれました。思いがけずそれから十数年して、また男の子が生まれたのですが、もっと不思議なことに、母胎から生まれ落ちるや、口の中に一個の五色に輝く玉をくわえていて、その玉には多くの文字が書かれていたのですが、これがあなたのおっしゃる変わったできごとに当りますでしょうか。」



 雨村は笑って言った。「確かに不思議なできごとですね。おそらくこの方はたいへんないわれをお持ちでしょう。」子興は冷ややかに笑って言った。「万人がそうおっしゃるので、お婆様は珍しい玉のように愛されました。満一歳になられた時、政旦那様はこの子の将来の志向を試そうと、世の中のあらゆるものを、無数に並べてこの子に掴ませようとされたのですが、この子はそれらを一切手に取らず、手を伸ばしてただおしろいや簪の類を掴んでいじくりました。かの政旦那様はお気を悪くされ、将来はただの酒色の徒になるだろうとおっしゃり、それであまり大切にされませんでした。ひとり、かの太君が命の綱のように思っておられました。言うも奇妙なことですが、今は十歳余りに成長し、やんちゃがひどかったのですが、賢く機敏で、百人寄ってもこの子ひとりに適いません。この子の言うことも変わっていて、「女は骨や肉が水でできている。男は泥でできている。ぼくは女を見ると晴れ晴れし、男を見ると汚らしくて臭くてたまらない」と言うのです。可笑しいじゃないですか。将来色気違いになるのは間違いないですね。」雨村は滅多にないほど怖い顔をして言った。「そんなことはない。残念ながらあなたがたはこの子のいわれをご存じない。おそらく政大先輩も間違って淫らな色気違いだと思っておられる。これは書物をたくさん読んで知識を得、それに物事の原理法則をつきとめた功を加え、道を悟り玄妙な力を得た者でないと、理解できないのです。」

 子興は雨村がこんなに重大なことを言うのを見て、急いでその所以を尋ねた。雨村は言った。「天地に人が生まれてより、大仁大悪を除き、それ以外の者はあまり違いがありません。大仁の者は時運に応じて生まれ、大悪の者は邪気に応じて生まれます。世が盛んになると天下は治まり、末世に入ると、天下は乱れます。堯、舜、禹、湯、文、武、周、召、孔、孟、董、韓、周、程、朱、張は皆時運に応じて生まれました。蚩尤、共工、桀、紂、始皇、王莽、曹操、桓温、安禄山、秦檜らは、皆邪気に応じて生まれました。大仁の者は天下を治め、大悪の者は天下を乱します。清明霊秀は天地の正気で、仁者の掌握するところです。残忍、偏屈は天地の邪気、悪者の掌握するところです。今国運が隆盛の時期に当り、平和で何もする必要のない世の中は、清明霊秀の気が掌握し、上は朝廷から、下は在野に至るまで、どこでも同じです。余った秀気は、これといって帰するところが無く、遂に甘露となり、和風となり、普遍的に四方八方を潤します。かの残忍、偏屈の気は、陽の当たる空の下では溢れ出ることができず、遂に深い溝や大きな谷の中に固まり詰め込まれ、たまたま風や雲に揺り動かされ、ほんの少し、間違って外に漏れ出たものが、霊秀の気と調和し、正は邪を容れず、邪はまた正を嫉み、両者は相容れないので、風水雷電のように、地中で出逢うと、消すことができず、譲ることもできず、必ず衝突するに至る。既に漏れ出た以上、その邪気はまた必ず人に授けられ、仮に男でも女でも、たまたまこの気を持って生まれた者は、上は仁者、君子になることができず、下は大凶大悪になることもできません。これを千万人の中に置くと、その聡明、霊秀の気は、千万人の上に上に在ります。そのひねくれて人情に合わない姿は、千万人の下に在ります。もし侯爵や富貴の家に生まれていれば、痴情に迷った色気違いになり、清貧な読書階級の家に生まれれば、人品高潔な人になります。たとえ貧しい身分の低い家に生まれても、奇才や名優、名娼になり、断じて単なる走り使いや召使で終わり、甘んじて平凡な人と見做されることはありませんでした。例えば以前の許由、宋徽宗、劉庭芝、温飛卿、米南宮、石曼卿、柳耆卿、秦少遊、最近では倪雲林、唐伯虎、祝枝山、さらに李亀年、黄旛綽、敬新磨、卓文君、紅拂、薛涛、崔鶯、朝雲の類であり、これらは皆環境は違えど同じ種類の人でした。」

 子興は言った。「あなたの言い方なら、「成功すれば侯爵、負ければ賊」ですね。」雨村は言った。「正にそういう意味です。あなたはまだご存じないが、わたしは罷免されて以来、この二年各省を遍歴し、ふたりの変わった子供に出逢ったのです。だから先ほどあなたがその宝玉さんのことを言われたので、わたしは十中八九、この一派の人物だと推察しました。遠くのことを言うまでもなく、この金陵城内だけでも、欽差金陵省の体仁院総裁甄家と言えば、あなたもご存じでしょう。」子興は言った。「知らぬ者などいるものですか。この甄府は賈府のご親戚で、両家の間の往来は極めて親密です。わたしもこのお屋敷には毎日のように寄せていただいています。」

 雨村は笑って言った。「去年わたしは金陵で、甄府の家庭教師に推薦してくださる人があり、わたしはお屋敷の中に入って拝見したのですが、この家は栄耀栄華を誇っておられますが、「富んで礼を好む」家で、こんな家はたいへん珍しい。けれどもこのお子さんを教えるのは、科挙の受験生を教えるよりまだ骨が折れました。言うも可笑しなことですが、この方が言うには、「必ず女の子をふたり、一緒に勉強させてくれなくっちゃ。そうすれば、僕は字が憶えられるし、よく理解できるんだ。そうでないと、僕はばかになっちゃう。」またいつもこの子にお付きの召使たちにこう言いました。「この「女子」の二文字はとても貴くて清浄なもので、瑞獣珍禽、奇花異草よりもっと珍しく貴いものなんだ。おまえたちの汚い口や臭い舌で、決していきなりこの二文字を言うんじゃないぞ。絶対だぞ。もし言わないといけない時は、必ずきれいな水や清々しい香りのお茶で口を漱いでからにするんだぞ。もしそうしなかったら、歯を引っこ抜き目玉を刳り貫くぞ。」その狂暴で愚劣なことと言ったら、どれもこれも異常です。でも勉強を終えて出て来て、女の子たちを見かけると、その温厚で穏やか、聡明で上品な様子は、先ほどとは別人のようです。このためお父君も何度も木の杖でひっぱたいて折檻されましたが、改まらず、毎回叩かれて痛くてたまらない時は、「お姉さま」「妹よ」とやたらと叫ばれるんです。後で中で聞いた女の子たちが、彼をからかって「どうしてひどく叩かれてひたすら姉、妹と叫ぶの。姉妹たちと叫んで、情に訴え許しを請おうって言うんじゃないの。こんなことして恥ずかしくないの。」と言ったんですが、この子の答えが最も奮っていて、「ひどく痛い時は、「お姉さま」「妹」という文句を叫びさえすれば、或いは痛みが無くなるかもしれない、まあやってみないと分からないのだけれど、それで一声叫んでみると、果たして痛みが少し和らいだので、遂に秘法を会得したと、毎回痛みがひどくなる度、姉妹と叫ぶようになったんだ。」どうです、可笑しいでしょう。この子のお婆さまが分けも分からず溺愛され、毎回お孫さんのことで、先生が子を責めると侮辱されるので、わたしは辞職してお屋敷を出て来ました。こんな子弟では、きっとお爺様の祖業を守ることはできないでしょう。師友からの忠告です。ただ残念なのは、この家の何人かの姉妹たちはなかなかのものだったことです。」

 子興は言った。「それにしても、賈府の今の三人の方もたいしたものです。政旦那様の長女は名を元春といい、善良でやさしく才徳を兼ね備えられていることから、選ばれ宮中に入られ、女史をされています。二番目のお嬢様は郝旦那様の妾腹の娘さんで、名を迎春といいます。三番目のお嬢様は政旦那様の妾腹の子で、名を探春といいます。四番目のお嬢様は寧府の珍旦那様の実の妹で、名を惜春といいます。史老夫人はお孫さん達をたいへん愛されているので、皆さんをお婆様のもとに引き取られ、一緒に勉強をさせておられ、おひとりおひとりすばらしいと聞いております。」雨村は言った。「更にすばらしいのは甄家の風習で、女の子の名前は、皆男の名前に従い、他所の家と違い、別にこうした「春」「紅」「香」「玉」などあだっぽい字を用いることはありませんでした。どうして賈府がまたこうした俗っぽい名付けをされたのでしょうか。」子興は言った。「そうではないのです。ただ今は一番上の女の子が正月元旦に生まれたので、「元春」と名付けました。それ以外の女の子も「春」の字を付けることになったのです。それより上の世代の娘には、男の兄弟の名付け方に従いました。今照らし合わせてみると、今あなたの雇い主の林公の夫人は、栄府の郝、政二公の同腹の妹君で、まだ家におられた時は名を賈敏と言われました。うそだとお思いなら、帰られて詳しく聞かれたら分かります。」雨村は手をたたき、笑って言った。「たいへんすばらしい。わたしの女生徒は名を黛玉と言いますが、彼女は本を読んで毎回「敏」mǐnの字があると皆「密」mìの字に読み、字を書く時も「敏」の字があると一、二画はぶくので、わたしは心の中で毎回怪訝に思っていたのですが、今あなたの説明を聞いて、合点が行きました。道理で彼女はことばや振舞いは他の女の子と同じですが、普通の女の子と違うのは、母親が平平凡と違う暮らしをされ、この子が生まれたせいですね。今栄府の外孫を、珍しいとするに当らないことが分かりました。でも残念なことに、先月その母君が亡くなられたのです。」子興はため息をつき言った。「姉妹三人の中で、この方は一番下だったのに、亡くなってしまわれた。前の世代の女兄弟はひとりも残っていません。いったいこのもうひとつ下の世代の将来の娘婿はどうなるのでしょう。」

 雨村は言った。「本当にそうです。先ほど、政公が玉を銜えた子をもうけたと言いましたが、その長子の残したお孫さんがおられるし、まさか郝様にひとりもお子がいらっしゃらないことはありますまい。」子興は言った。「政公は玉のお子をお産みの後、そのお妾がまたひとりお産みになられましたが、おいくつになられたかは存じません。ただ目下二子一孫ですが、将来どうなるかは分かりません。郝旦那様についても、ひとりお子がおられ、名を賈璉といい、今はもう二十歳を越えておられます。親戚同士で婚姻され、もう四五年になります。この璉様ご自身は現在は同知の株を買われましたが、この方も仕事はお好きではありません。社交が得意で臨機応変に対応され、口八丁手八丁、それで今は叔父の政旦那様の家住で、家事を取り仕切っておられます。思いもかけなかったのですが、この若奥様を娶られて後は、地位が逆転し、誰ひとり、この奥様をほめそやさぬ者はおらず、璉様は一歩後ろに退かれました。奥様のご器量はとてもお綺麗で、言葉もてきぱきしておられ、心配りも細やかで、本当に男でも全く歯が立ちません。」

 雨村はそう聞いて笑って言った。「わたしが言ったことが満更間違いでないことがお分かりになったでしょう。わたしたちが先ほど話したこれらの人々は、おそらく正邪の両賦を併せ持った、同種の人で、まだどちらとも決められないのです。」子興は言った。「「正」でも「邪」でも良いじゃないですか。どのみち他人の家のことを心配しているだけじゃないですか。あなたは一杯やってればいいんですよ。」雨村は言った。「ちょっと話に集中し過ぎましたな。どんどん飲みましょう。」子興は笑って言った。「他人の家の陰口というやつは、ちょうど良い酒の肴になりますな。ちょっと飲み過ごしたって大丈夫ですよ。」雨村は窓の外を見て言った。「もう夕方で、城門が閉められるのに気を付けないと。ぼちぼち城内に戻って、話の続きをするのも、だめではないでしょう。」それでふたりは立ち上がり、酒代の精算をした。出て行こうとすると、ふと後ろから人の呼び声が聞こえた。「雨村兄貴、おめでとうございます。特に喜びの知らせを持って上がりました。」雨村は急いで振り返ると、さて誰が声をかけたのでしょう。まずは次回の講釈をお聞きください。

 金陵の名家、賈一族の家族関係は複雑ですが、家族関係図を貼り付けておりますので、ご参照ください。さて、この後の賈雨村の運命はどうなるのか。また彼が教えていた林薫玉は、母を失ってどうなるのでしょうか。お話しの続きは第三回をお楽しみに。
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『紅楼夢』第一回・その(2)

2025年01月06日 | 紅楼夢
 前回で甄士隠の幼い娘の英蓮への不吉な予言がこのあと的中するのか気になるところですが、隣の葫芦廟に住む、貧しい書生の賈雨村がこのあと登場します。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・

 士隠が考え込んでいると、ふと隣の葫芦廟に身を寄せているひとりの貧しい儒者の姿が見えた。姓は賈、名は化、字は時飛、号を雨村という者である。この賈雨村は元々湖州の人で、学問で身を立て、役人を出す一族であったが、彼は一族が衰えた末世に生まれ、父母の代には先祖からの蓄えもあらかた使い尽くし、人口は衰え、ただ彼ひとりが残り、故郷にも家産無く、このため都に上って功名を得、再び一族発展の基礎を整えようと考えていた。前の年にここに来たのだが、生活に困り、しばらく廟の中に身を寄せ、毎日手紙の代書や文書を書いて生計を立てていたので、士隠はいつも彼とやりとりがあった。

 雨村は士隠を見るとすぐさま、急いで手を組んで礼をすると、おべっか笑いを浮かべて言った。「老先生、門のところにたたずんで外を眺めておられたが、街で何か変わったことでもあるんですか。」士隠は笑って言った。「そうではなくて、ちょうど娘が泣くものだから、外に連れ出してあやしているんですよ。本当に退屈で仕方ありません。賈さん、ちょうど良いところに来られた。書斎にお入りください。お互い一緒にこの長い昼をやり過ごしましょう。」そう言うと、家の者に娘を連れて入らせ、自分は雨村を連れて書斎に入り、子供の召使に茶を持って来させた。三々五々話をしたと思ったら、ふと家人が急ぎの知らせをもたらした。「厳の旦那様がお越しになりました。」士隠は慌てて立ち上がり、謝って言った。「せっかくお越しいただいたのに、お相手出来なくなりました。しばらく座っていてください。わたしはすぐ戻って来てお相手させていただきますので。」雨村は身を起こし、譲って言った。「老先生、お気遣いなく。わたしはいつも来ている者ですから、しばらくお待ちするなど何でもないですよ。」そう言っているうち、士隠はもうそこを出て入口の間に行った。

 書斎で雨村はしばらく詩籍をパラパラめくって気を紛らしていたが、ふと窓の外から女性が咳をする音が聞こえたので、雨村は立ち上がって外を見ると、ひとりの小間使いの女がそこで花を摘んでいた。彼女の容貌は俗ならず、目鼻立ちが清々しく、たいへんな美人という訳ではないが、人の心を動かすところがあり、雨村は思わず見惚れてしまった。その甄家の小間使いは花を摘んでいて、ちょうど行こうと思っていた時に、さっと頭を上げると、窓の中に人がいるのが見えた。ぼろぼろの布の旧い服を着、貧しい身なりではあるが、身体は腰回りがふっくらして背中が分厚く、顔が広く口の形が整っていて、眉はりりしく目はきらきらとし、鼻筋が通り頬骨が張っていた。この小間使いの女は、身体の向きを変えて視線を避けたが、心の中ではこう思った。「この方は体つきがこんなに雄々しいのに、こんな貧しい身なりをされている。このお宅にはこのような貧しいお友達はいらっしゃらないから、この方はきっとご主人様がいつもおっしゃっている賈雨村とかいう方に違いない。道理でこの方はいつまでも困窮されている人ではないとおっしゃった通りだ。いつもこの方のご援助をしたいとお思いだが、ただ良い機会が無いとか。」そう考えると、また一度ならず振り向いて覗かざるを得なかった。雨村は彼女が振り向くのを見て、この女は心の中では彼に気があると思い、遂に狂喜するを禁じ得ず、この女は人を見る眼がある、この厳しい世の中で知己(ちき)を得たと思った。

 しばらくして子供の召使が入って来たので、雨村が聞いてみると、あちらでは食事を出されると聞いたので、これ以上お邪魔してはと思い、遂に裏の通路を通って、勝手口から出て行った。士隠は、客の接待が終わり、雨村が既に帰ったと知ったが、再び呼びにやるようなことはしなかった。

 中秋の佳節に入ったある日、士隠の家では宴も終わったので、書斎にもう一席設け、彼は自ら満月の下を歩き、廟の中まで行って雨村を招待した。

 実は、雨村はあの日、甄家の小間使いの女が二度振り向いて自分を見たので、自ら知己を得たと思い、いつも心に気にかけていたが、今また正に中秋に当り、月に思いのたけを願うのを免れず、それで五言の律詩を口ずさんだ。

  未だ三生の願いを卜せず、頻(しき)りに一段の愁いを添える。悶(もだ)え来たりし時は額を
  斂(しか)め、行き去りて幾度頭(こうべ)を回(めぐ)らす。自ら風前の影を顧み、誰か月下
  の儔(とも)に堪えん。蟾(せん)光は意有るが如し、先に玉人楼に上(のぼ)る。


雨村は吟じ終えると、また思い返せば、平素からの抱負は、未だ良いチャンスにめぐり合えないのを苦しみ、それでまた頭をかいて天に向け長嘆し、高らかに一聯を吟じた。

  玉は匵(はこ)の中に在って善価を求め、釵(かんざし)は奩(こばこ)の内に于いて
  飛ぶ時を待つ。

ちょうど士隠が歩いて来てこれを聞き、笑って言った。「雨村兄の抱負は実に非凡なものですな。」雨村はそう聞いて追従笑いをして言った。「とんでもない、たまたま昔の人の句を吟じたまでで、何ぞこのような栄誉を期待しているものですか。」それで尋ねた。「老先生は何の興趣でこちらに来られたのですか。」士隠は笑って言った。「今夜は中秋、俗に「団圓の節句」と言いますから、貴兄が僧房に旅寓されていて、寂寥の感をお持ちと思いますので、特にちょっとした酒席をご用意し、貴兄を我が書斎にお招きして一献差し上げたく思いますが、わたしのご招待をお受けいただけますでしょうか。」雨村はそれを聞いて、別段断ることもなく、笑って言った。「もう誤った情愛をお受けしている以上、どうして敢えてその厚意に逆らうことがありましょう。」そう言うと、士隠とまたこちらの書院の中にやって来た。

 しばらく茶を飲んでいる間に、早くも酒杯の盆が設けられ、その美酒や佳き肴のことは、一々言う必要も無いだろう。ふたりは再び対座し、先ずはゆっくりと酒を注ぎ、自由に飲んでいたが、次第にお互い意気投合し、思わず知らず頻繁に杯を挙げ乾杯した。この時街では家々で管弦が奏でられ、歌声が聞こえ、頭上には一輪の明月がまばゆく輝き、ふたりは益々興が乗り、酒が注がれるや杯を干した。雨村はこの時もう七八分方出来上がっていて、突然強烈な興趣がわくのを禁じ得ず、すなわち月に対し思いを含ませ、口をついて絶句を一首吟じた。

  時に三五(十五夜)に逢い便(すなわ)ち団欒す、満把の清光は玉欄を護る。天上の一輪
  ようやく捧げて出づる、人間万姓頭(こうべ)を仰ぎ看る。

 士隠はそれを聞くと大声で叫んだ。「この上なくすばらしい。愚弟はいつも貴兄が久しく人下に居る人ではないと言っていましたが、今吟じられた句には、飛謄される兆しが見えています。近いうち、履物をお召しになり、天上高く上られましょう。まことにおめでとうございます。」それで自ら酒一斗を斟(く)み祝った。雨村はそれを飲み干し、ふと嘆いて言った。「わたしの酒後の狂言ではなく、もし時流に合った学問を論じるなら、わたしも或いは合格名簿に名前が載るかもしれませんが、ただ現在は都までの荷物や旅費が、全く工面の目途が立っていません。都までは遥か遠く、字や文章を書く仕事に頼るだけではどうしようもありません。」士隠は雨村が言い終わる前に、こう言った。「どうしてもっと早く言ってくれなかったのですか。わたしはとっくに援助してさしあげようと思っていたのに、いつもあなたとお会いしても、そうおっしゃってくれないから、わたしも唐突に申し上げる勇気がなかったのです。今そうと分かったからには、わたしは不才ではありますが、義理の二文字は承知しております。しかも喜ばしいことに、来年はちょうど大比(会試)に当っておりますから、貴兄は宜しく速やかに都に入り、春の試験にひとたび受かれば、貴兄が学んだことも無駄になりません。旅費やその他は、わたくしが代わりに処置しますから、あなた様が余計な心配をする必要は無いのです。」すぐに子供の召使に命じて五十両の銀を包んで来させ、また言った。「19日は黄道吉日に当っていますから、貴兄はすぐに船を仕立てて西に上れば、前途の飛躍を待つばかり。来年の冬にまたお目にかかる時は、どうして痛快ならざることがありましょうや。」雨村は銀の包みを受け取ったが、簡単に一言謝意を言っただけで、別に意に介さず、依然酒を飲み談笑をした。その日は太鼓三つ(真夜中)まで酒を飲み、ふたりはようやく分かれた。

 士隠は雨村を送ってから、部屋に戻って休み、そのまま太陽が空高く昇ってからようやく目覚めた。昨夜のことを思い出し、推薦書を二件書いて雨村に持たせて都に行かせ、雨村が仕官する家に渡して、そこに身を寄せられるようにしてやろうと思った。それで使いの者を行かせて請わせたが、その者が帰って来て言うには、「和尚様は、「賈さんは今日太鼓五つ(明け方)にはもう都へ発たれました。伝言を和尚から旦那様に伝えるよう言付かりました。「読書人は「黄道」でも「黒道」でもどうでもよく、必ず事が道理に合うことが肝要で、お目にかかってご挨拶するに及ばぬ。」と。」士隠はそう聞くと、またそうしておく他無かった。

 真に閑な時は時間の経つのが早いもので、たちまちまた元宵の佳節がやって来た。士隠は召使の霍啓に英蓮を抱かせて民間芸能の出し物や飾り提灯を見に行ったのだが、夜半に霍啓が小便をするため、英蓮をある家の敷居の上に座らせ、小便を済ませてまた抱こうとすると、英蓮の姿はどこにも無かった。慌てた霍啓はそのまま夜中までずっと捜したが、夜明けになっても見つからず、かの霍啓も家に戻って主人に会う勇気がなく、自分の故郷へ逃げてしまった。

 かの士隠夫婦は娘が一晩中帰って来ないので、何か良くないことがあったと知り、もう一度何人かに捜しに行かせたが、帰って来た者皆、何の手がかりも無いと言った。夫妻には半生この娘しか生まれておらず、ひとたび失うと、なんという悩み苦しみだろう。このため昼も夜も泣きぬれ、ほとんど命も顧みなかった。こうしてひと月すると、士隠が先に病を得、夫人の封氏も娘のことを思って病気になり、日々医者に来てもらい、八卦見に見てもらった。

 思いがけずこの日、3月15日、葫芦廟の中でお供えの揚げ菓子を作っていて、かの和尚が不注意で天ぷら鍋に引火し、窓に貼った紙が燃え出した。この地方の人家は皆竹の垣根に木の壁で、また劫の数もこのようであったに違いない、そして隣近所へ次々と燃え広がり、街全体が「火焔山」のように火の海となった。この時は軍隊も駆けつけて救助に当ったが、火は既に勢いがついてしまい、どうして救助などできようか。そのまま一晩燃えてようやく収まったが、どれだけの人家が焼けたか知れなかった。ただ気の毒なのは甄家が隣であったことで、とっくに瓦礫の山となってしまった。ただ彼ら夫婦と何軒かの家の人命は傷つくことがなかったが、焦った士隠は地団太を踏み、長嘆するばかりであった。妻子と話し合って田舎の農村に行って暮らすことにしたが、あいにく近年は旱魃で不作に見舞われ、盗賊が蜂起し、官兵が討伐していて、農村も安住し難く、田畑を売り払い、妻子とふたりの小間使いを携え、妻の姑(しゅうと)の家に身を寄せた。

 妻の姑の名は封粛と言い、原籍は大如州の人で、農業を生業(なりわい)としていたが、家の中はまあまあ豊かであった。今、娘婿らが落ちぶれてやって来たのを見て、心中は幾分不愉快であったが、幸いに士隠がまだ田産を売った銀子を手元に持っていて、それを取り出し、彼に頼んで適当に家や土地を買ってもらい、それでこれからの生活をやり繰りするつもりだった。かの封粛はそれで金を半ば使い、半ばは自分の儲けにして、あらまし士隠に痩せた田畑とあばら家を押し付けた。士隠はすなわち読書人であり、農事のあれこれには不慣れで、なんとか一二年は持ちこたえたが、益々困窮してしまった。封粛は面と向かっては、適当なことを言ってお茶を濁すが、表面(おもてづら)と裏の本音があり、また士隠に生活力が無く、もっぱら美食ばかりして何もできないのを怨んでいた。士隠はこうしたことが分かり、心の中では未だ後悔の気持ちを免れなかったが、年をとって怯えがひどくなり、行き詰って憤懣やるせなかった。既に人生の終盤にさしかかり、貧しさと病に同時に襲われたのにはなんとか持ちこたえたが、遂にあの世の光景も次第に見えるようになってきた。折も折、この日は杖をついて身体を支え、街に出て気晴らしをしていると、ふとあちらからびっこの道士がやって来るのが見えた。気違いじみているが、細かいことには拘らぬ様子で、麻縄で編んだ靴、ぼろぼろの服を着て、口の中でぶつぶつ詞句を念じた。

  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ功名を忘れられず。古今将相(将軍や宰相)
  何方(いずく)にか在る、(彼らの)荒塚は一堆の草に没す(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ金銀を忘れられず。終朝(終生)ただ恨む
 (金銀を)聚めるも多く無く、(金銀が)多き時に到るに(寿命が尽き)眼を閉ず(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ姣妻(美しい妻)を忘れられず。君生きれば日日恩情を
  説き、君死すれば又人に随いて去る(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ児孫(子や孫)を忘れられず。痴心(親ばか)の父母は
  古来多けれど、孝順(孝行)なる子孫を誰か見る(了)。

士隠はそれを聞き、道士を出迎えて言った。「あなたはずっと何を言っておられたのですか。「好了」、「好了」しか聞き取れませんでした。」その道士は笑って言った。「「好了」の二字を聞き取れたのなら、あなたは分かっておられる。世上の全ては、好ければ終わり(了)、終われば好しだ。終われなければ好くなく、好かれと思えば、終わらねばならない。私のこの歌は『好了歌』と言う。」士隠は生まれつき賢い人なので、こう言われるのを聞くと、心の中ではとっくに悟り、それで笑って言った。「お待ちください。わたしがあなたの『好了歌』に注釈を付けてみますが、如何ですか。」道士は笑って言った。「やってみなさい。」士隠はすなわち説いて言った。

  陋室(あばらや)や空堂(あきや)も、当年(当時)は(高官が朝廷に上る時手に持つ)
  笏(しゃく)が床(寝台)に積まれていた。荒廃した空き地は、曾ては歌舞場であった。
  蜘蛛の巣が彫刻を施した梁一面を覆い、高価な緑の紗も今はあばら家の窓に貼られている。
  口紅が濃いとか白粉(おしろい)が香るとか言って、今や(年老いて)両鬢が真っ白になって
  いる。昨日は隴山の墓地に死者の骨を埋めたと思ったら、今宵は婚礼で赤い沙の帳(とばり)の
  鴛鴦床で寝ている。金が箱に満ち、銀が箱に満つと思えば、目を転じれば乞食となり人に
  そしられる。人の命の長からざるを嘆いていても、まさか自分が死んで葬られようとは。
  家で厳しく躾けても、将来強盗盗賊にならない保証は無い。娘を富貴な家に嫁入りさせても、
  誰が最後には落ちぶれて女郎に身をやつすなど想像できようか。役人の官服の帽子が小さいと
  嫌がっていると、手枷足枷を付けられ刑場に送られる。昨日破れた上着の寒さを悲しんでいると、
  今日は紫の蟒蛇(うわばみ)の刺繍の官服が長いと嫌がる。ワイワイガヤガヤ、そちらが歌い
  終わればこちらの出番。他郷と思っていた所が実は我が故郷。実にでたらめ。結局、他人の
  ために花嫁衣裳を作ってやっているようなもの。

かの気違いでびっこの道士はそれを聞いて、手を叩き大笑いして言った。「正にその通り、その通り。」士隠は一声「行きましょう」と言い、道士が肩に担いでいた袋を奪って背負うと、遂に家に帰らず、気違いの道士と一緒に飄々と行ってしまった。

 すぐさま街は大騒ぎになり、人々はこの事件をあちこちに伝えた。封氏はこの知らせを聞くと、嘆き悲しんだが、父親と相談し、人を遣って方々を尋ね歩かすしかなかった。どこに消息があるだろうか。仕方なく、父母に頼って暮らすしかなかった。幸い身辺にはまだふたりの昔からの小間使いが仕えてくれていたので、主人と召使三人で、日がな針仕事をし、父親の出費を助けた。かの封粛は毎日不平をこぼしていたが、どうしようもなかった。

 この日、かの甄家の小間使いの女が門前で糸を買っていると、ふと街にお役人の先払いの声が聞こえた。人々は言った。「新しい知県様が赴任された。」小間使いが門の内に隠れて見ると、先見の小役人が一組一組通り過ぎ、俄かに大駕籠に担がれ、黒い官帽、赤い官服を着た役人がやって来た。この小間使いはぼおっとし、ひとり思った。「このお役人はやさしそうな顔つきをされている。はて、どこかでお目にかかったような。」そして部屋に入ると、もうそのことは忘れてしまい、気にかけなかった。夜になってちょうど寝ようとしていると、ふと声がして門が叩かれ、多くの人が口々に叫んで言った。「当県の知県様からのお使いがお尋ねである。」封粛はそれを聞いて、びっくりして呆気に取られた。どんな禍(わざわい)が起こったか分からない。まずは次回の講釈をお聞きください。

 これで第一回は終了。第二回は、甄士隠が失踪した後、残された彼の妻の姑の封粛が、新しく赴任した知県の呼び出しを受け、役所に出頭するところから始まります。乞うご期待。



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『紅楼夢』第一回・その(1)

2025年01月04日 | 紅楼夢
 皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 さて、2025年の第1回の投稿ですが、久々に『紅楼夢』を読んでいこうと思います。数年前に一度やりましたが、今回は改めて、細かい用語の解釈ではなく、物語全体の流れを見ながら読んでいきたいと思います。それでは、よろしくお願いします。

第一回

甄士隠は夢幻に通霊を識(し)り、
賈雨村は風塵(浮世)に閨秀(名家の娘)を懐(おも)う

 これはこの物語の第一回である。作者自ら云うに、曾て一度夢幻を見てから後、それゆえ真実を隠し、「通霊」(霊魂と対話、交流する能力)に借りてこの『石頭記』という書を書いた。それゆえ「甄士隠」zhēn shì yǐn(「真事隠」と発音が同じ。真実を隠す)と言うのである。けれど書に書かれたのはどんな人物のどんな事なのだろう。自らまたこのように言う。今の世の中で多忙に過ごすも、一事も成し遂げず、ふと当時見識った女性のことに思いがおよび、いちいち細かく比べるに、その行状見識が脳裏に浮かんだ。わたしは堂々とした男子であるが、誠にかの女性たちに及ばない。わたしは実に恥じ入るばかりであるが、悔いても益なく、如何ともし難いことである。今日ここに至り、曾て天の恩、祖先の徳に依り、きらびやかな衣装に身をつつみ、美食に飽きる日々を送るも、父兄の教育の恩、師友の訓戒の徳に背き、今日の一技も成せず、未熟で落ちぶれるという罪を負ったからには、一書を編纂し、以て天下に告げんと欲するのである。わたしの負った罪はもとより多いが、閨房の中にはひとりひとりりっぱな人物がおり、万に一つ、わたしが不肖で、自ら己の短所を弁護するあまり、一緒にそれらを忘れ去らしむことは許されないのである。それゆえたとえ茅葺のあばら家に住み、粗末な竈(かまど)や器を使っていても、決してわたしの気概を妨げるに足るものではない。ましてやかの朝(あした)の風や夕べの月、階(きざはし)の柳や庭の花々は、なおさら筆遣いを豊かにしてくれる。わたしは学問も無いが、それでも何ら村人の言葉を借りて、いいかげんなことを書くのを妨げるものではないし、また閨房での出来事を伝えることで、一時の憂さを晴らし、同人たちの目を惹くのも、また宜いのではないか。それゆえ「賈雨村」jiǎ yǔ cūn(「賈雨」は「假語」(うそ)と発音が同じ。假語存cúnうそを残す)と言うのである。さらに文章中に「夢」「幻」などの文字を使うことで、この書物の本来の趣旨を示し、且つ読者に気づかせる意味を含ませているのである。

 読者の皆さん、この物語はどこから説き起こすのでしょうか。話は荒唐無稽に近いが、細かく見てみると頗る味わいがある。さて、女媧氏は石を煉って天を繕った時、大荒山無稽崖に高さ12丈、四方が24丈の大きさの頑石3万6千5百と1個を錬成したのだが、かの媧皇(女媧)は3万6千5百個だけを用い、ただ1個が使われることなく、青埂峰の下に棄てられた。誰知ろう、この石は自ら鍛錬の後、霊性が既に通じ、自ら行き来ができ、大きくも小さくもなることができた。他の石たちが天を繕うことができたのを見て、ただ自分ひとりだけが才無く、選ばれることができなかった。遂に自ら羞じ恨み、日夜悲哀に暮れた。

 ある日、ちょうど悲しみに暮れていると、にわかにひとりの僧侶、ひとりの道士が、遠くからやって来るのが見えた。ふたりの身なりは普通でなく、態度や風格が特別であったが、青埂峰の麓まで来ると、地面に座っておしゃべりを始めた。この明るく輝くきれいな石を見ていると、扇墜(扇の柄にぶら下げる飾り)の大きさに縮まり、たいへん可愛らしかった。その僧侶は手のひらに載せ、笑って言った。「形から見ると、まあ不思議なものだ。ただ実際に良いところが分からないので、いくつか文字を刻んでやって、見る人々におまえが珍奇なものだと分かるようにせんとな。それからおまえを携え、かの栄え発展した国や、高位高官の一族、繁華な街並み、温かく仲睦まじく、豊かな村々を廻るとしよう。」石は話を聞くと大いに喜び、そこで尋ねた。「どんな文字を刻むんですか。どこへ連れて行ってくれるんですか。どうか教えてください。」その僧侶は笑って言った。「君、しばらくは聞かないで。そのうち自然と分かるから。」言い終わると、石を袖の中にしまい、その道士と共に、飄然と行ってしまい、遂に何処へ向かったか知れなかった。


それからまた何世何劫が過ぎたか分からないが、空空道人という人が道術や不老不死の法を求め、大荒山無稽崖青埂峰の下を通ると、ふと大きな石が見え、その上に文字がはっきりと書かれ、かくかくしかじかと述べられていた。空空道人はそこで最初から読むと、実は才無く天を繕うことができず、形を変え現世に入り、かの茫々大士、渺渺真人に携えられ紅塵に入り、彼岸(仏教の悟りの境地)に連れて行かれた頑石であった。その文には堕落の郷、生を受けるところ、家庭内の細々とした事柄、閨房でのやりとり、詩やなぞなぞなど、何でも揃っていた。ただいつの王朝のどの年代の話であるのかが、分からなかった。後ろにはまた偈頌(げじゅ)があり、こう記されていた。

  無才蒼天を補う可からず、紅塵に枉(まぎ)れ入る若許(いくばく)年。此は身前身后の事、
  誰か倩(やと)い記して奇伝を作らん。

 空空道人は一度読んで、この石の来歴が分かると、遂に石に向かって言った。
「石さん、あなたのお話は、ご自身が言われるところによれば、幾分おもしろみがあり、それゆえここに刻み、世に問いたい伝奇であるとのことですが、わたしが読んだところ、一つ目にどの王朝のどの年のできごとか分からず、二つ目に、別段賢者や忠義者により、朝廷を管理し、風俗を治め善政を行う話では無く、ただその中で何人か変わった女性が、痴情を交わしたり、ちょっとした才気を発揮するだけです。わたしがたとえこれを書き写しても、奇書とは見做せないでしょう。」石は果たしてこう答えた。「我が師がどうして大馬鹿者と申せましょう。わたしが思うに、歴代の野史の王朝の年代は、仮に「漢」や「唐」の名称を借用しないものはありません。我がこの石が記するように、こういうやり方を採らず、自らの実情ややり方に基づくのが、却ってこの上なく新鮮と言えるのです。ましてやそうした野史の中には、君主や大臣をあざけったり、皇后や妃を貶めたり、姦淫、凶悪など、枚挙にいとまがありません。また専ら男女の色ごとを書いて、そのみだらで汚いものは、最も子弟に悪影響を与えます。才子佳人などの書に至っては、口を開けば「文君」、一篇全部が「子建」で、全く画一的で、遂には淫乱に関わらざるを得なくなる。作者が自ら二首の情愛を詠った詩や賦を書き、男女ふたりの名前をひねり出し、また必ず傍らにはひとりの小者がその間をそそのかし、まるで芝居の道化のよう。もっと煩わしいのは、「之乎者也」(なり・けり・べけんや)と、非合理に文人を気取り、人の情理に合わず、自己矛盾を引き起こしてしまうことです。結局わたしがこの半生、自ら見聞きした何人かの女性は、昔の書物の中の人物に勝るとは敢えて申せませんが、その事跡や事の顛末を見れば、愁いを消し憂さを晴らすことができます。何首かのよこしまな詩にしても、噴飯ものでも酒の肴にはなります。その間の離合集散の喜びや悲しみ、盛衰のめぐり合いは、共に一定の手がかりや痕跡に基づき真相を尋ねることができ、敢えて多少のこじつけを加え、その真実を失うに至ることがないのです。ただ世の人が酒に酔って眠りから醒める時や、事を避け愁いを消す時に、これを弄べば、旧きを洗い流して気持ちが新たになるだけでなく、寿命や体力を温存でき、これ以上不合理なものを追求する必要がなくなります。我が師のご意見は如何でしょうか。」

 空空道人はこのように言われたので、しばらく思い量り、この『石頭記』をもう一度読み返してみたところ、上記の大意は情実を述べたに過ぎず、またただ実際に起こったことを記録しただけで、決して時世を嘆き、他人に淫らな気持ちを起こさせる弊害は無いことが判ったので、そこでようやく頭から終わりまで書き写し、世にこの奇妙な物語を問うたのである。これより空空道人は、空により色を見、色から情を生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟り、遂に情僧と改名し、『石頭記』を『情僧録』に改めたのである。東魯の孔梅渓が題して『風月宝鑑』と言った。後に曹雪芹は悼紅軒にてこれを十回読み、五回添削し、目録を編纂し、章や回に分け、またその題を『金陵十二釵』と名付け、且つ一絶を題した。すなわちこれが『石頭記』の縁起である。詩に言う。

  満紙荒唐の言、一把(つかみ)の辛酸の涙。みな言う作者は痴なりと、誰かその中味を解すか。

 『石頭記』の縁起が明らかになった上は、正にその石の上に何人何事を記しているか知らず、読者の皆さん、お聞きください。

 その石の上の書によれば、当時地が東南に陥没したが、その東南に姑蘇城有り、城内に閶門があり、最も紅塵(俗世)の中でも一二等の富貴、風流の地である。この閶門外に十里街があり、街の中に仁清巷があり、巷内に古廟があった。その土地が狭隘で、人々はこれを「葫芦廟」と呼んだ。廟の傍らに、ある郷宦(官を辞し故郷に帰った元役人)の一家が住んでおり、姓を甄、名を士隠と言った。正妻を封氏と言い、賢く貞淑で、礼儀を深く理解していた。家はあまり豊かではなかったが、当地でも彼を名望家として尊敬していた。この甄士隠は生まれつき無欲で、功名を求めず、毎日花を眺め竹を植え、酒を酌み詩を吟じるのを楽しみとし、つまり仙人のような人物であったが、ひとつ足らないものがあり、齢五十を越えるも、後継ぎの息子がおらず、ただひとりの娘は、幼名を英蓮と言い、年はようやく三歳になったところであった。

 ある日夏の暑い日の昼下がり、士隠は書斎でぼんやり座っていたが、倦み疲れ書を放り投げ、机に伏してしばらくの間眠ってしまったのだが、思わず朦朧とした中、あるところまで歩いて来たのだが、そこがどこかは分からなかった。ふとそこの母屋に僧侶と道士がやって来て、歩きながら話をしていたが、道士がこう尋ねるのが聞こえた。「あんたはこんなものを持って、どこに行こうとされているんじゃ。」僧侶は笑って言った。「安心しろ。今ちょうどある色恋沙汰の事件を、正に解決せにゃならんのだが、この色恋の敵役はまだ生を受け社会に出ていないので、この機会に、こいつをこっそり持ち込み、経験をさせてやろうと思うんだが。」道士が言った。「なるほど間もなくこの色恋の敵役がまた世に出て劫を積むのですな。して何処に始まり、どちらに行かれるのか。」僧侶の言うには、「このことは言うも可笑しなことだが、当時この石は、媧皇(女媧)が使ってくれなかったので、自分でも勝手気ままに振舞い、あちこち遊びまわり、ある日警幻仙人のところに来たのだが、その仙人は石の来歴を知っており、石が赤霞宮の中に置かれていたことにより、赤霞宮神瑛侍者と名付けた。石はいつも西方の霊河の岸を歩いていたが、その霊河の岸の三生石畔に「絳珠仙草」が植わっていて、たいへん姿が美しく可愛らしかったので、毎日甘露をかけてやったので、この「絳珠草」は長寿を得ることとなった。後に天地の精華を受けただけでなく、甘露の滋養も得て、遂には草木の身体から脱け、人の形に変化し、ただ女体になるのを覚え、一日中「離恨天」で遊んだ他、腹がすくと「秘情果」を食べ、喉がかわくと「灌愁水」を飲んでいた。ただまだ灌漑の徳に報いていなかったので、五臓内の鬱気が身に纏わりついて尽きなくなり、いつも「自分は雨露の恵みを受けたが、まだこの水のお返しをしていない。石がもし下界に降りて人間になられるのなら、わたしも一緒に行って一回りし、わたしの一生のすべての涙でお返しすれば、十分なお返しと言えるだろう。」このことがあって、多くの色恋の仇たちが皆下界に降りて、幻の世界を形作った。かの「絳珠仙草」もその中に含まれた。今、この石は正に下界に降りるところだったので、わたしが特にこの石を警幻仙子の机の前に連れて来てやって、登録をし、これらの色気狂いたちと一緒に下界にやれば、一件落着だ。」その道士は言った。「なるほど、可笑しなことだな。これまで「涙を返す」なんて言い方は聞いたことがない。この機に我々も下界に降りて何人か解脱させてやるのも、功徳というものではないか。」その僧侶は言った。「正に拙僧もそう考えておった。あんたはしかもわたしと警幻仙子宮の中に来たんだから、この「やくざ者」をきっちり受け渡しし、この色恋のよこしま者が下界に送られるのを待って、われわれも出立いたそう。今は半分は下界に行ったが、まだ全部は揃っていないからな。」道士は言った。「こうなったら、あんたに付いて行こうかの。」

 さて、甄士隠はすべて聞いてよく理解し、遂に前に進み出て一礼し、笑って「ご両人、ごきげんよう」と挨拶するのを禁じ得なかった。その僧侶も急いで答礼し、互いに挨拶した。士隠はそれでこう言った。「ちょうど貴僧らが言われる因果を伺いましたが、実に人間世界ではあまり聞かないことです。わたしは愚鈍で、おっしゃったことがよく分かりません。もし愚鈍、無知を大いに啓蒙いただき、詳しくお聞かせいただければ、わたくし耳を洗って聞かせていただきます。多少なり悟ることができ、深い苦しみにはまりこむのを免れることができます。」ふたりの仙人は笑って言った。「これは玄妙な道理であり、予め漏らすことはできない。その時になって、我々ふたりを忘れていなければ、生き地獄から脱することができよう。」士隠はそう聞くと、再び尋ねることができず、それで笑って言った。「玄妙な道理はもとより漏らすべきものではないですが、ちょうど「やくざ者」と言われたのは、どんなものでしょうか。或いは見てみることはできるでしょうか。」僧侶は言った。「こいつのことを尋ねられるなら、ある面、ご縁もあることじゃて。」そう言いながら、取り出して士隠に手渡した。

 士隠は受け取って見てみると、それは鮮やかな美玉であり、その上には文字がくっきりと見え、「通霊宝玉」の四文字が刻まれていた。裏側には何行か小さな文字が書かれ、それを子細に見ようとすると、僧侶が「もう幻境に着いた」と言い、無理やり手の中からそれを奪い去り、道士と遂に大きな石の牌楼を過ぎた。その牌楼は、上に大きく「太虚幻境」の四文字が書かれ、その両側には対聯があり、こう書かれていた。

  假が真になる時、真も亦假。無が有に為る処、有は無に還る。

 士隠はついて行こうと、ちょうど足を挙げると、突然雷鳴が聞こえ、山が崩れ地面に穴が開くかのようで、士隠は大きく叫び声を上げ……目を開けてあたりを見ると、厳しい日差しが照りつけ、芭蕉の葉が垂れ、夢の中のことは、大半を忘れてしまった。すると乳母が英蓮を抱いて入って来た。士隠が娘を見ると、皮膚は益々おしろいを塗ったように真っ白で、聞き分けがいいのが喜ばしく、手を伸ばして引き寄せ、胸の中で抱きかかえると、ひとしきりあやした後、娘を連れて街に行き、縁日の賑わいを見に行った。ちょうど廟に入ろうとしていると、あちらから僧侶と道士の二人連れがやって来るのに出会った。僧侶はしらくも頭に裸足、道士はびっこでぼさぼさ頭、見た目は気違いのようであったが、自由気ままに談笑しながらやって来た。彼らの前まで来て、士隠が英蓮を抱いているのを見ると、その僧侶は大きな声を上げて泣き出し、士隠に言った。「施主様、おまえ様はこの不運な運命で、類が父母に及ぶものを胸に抱かれて如何なされるのか。」士隠は聞いていたが、気違いの言うこととて、相手にしなかった。僧侶はまた言った。「わたしにくだされ。わたしにくだされ。」士隠は我慢できず、娘を抱いて向こうを向き入って行こうとすると、その僧侶は彼を指さしながら大声で笑い、口の中で次の四句の言葉を念じた。

  甘やかして育てるおまえの痴を笑う、菱の花は虚しくしとしと降る雪に遇う。
  くれぐれも注意あれ元宵の佳節の後、つまり煙が消え火が滅する時。


 士隠はこう聞き取れたので、彼らにどういうことか聞こうと思ったが、ためらっていると、道士がこう言うのが聞こえた。「我らは一緒に行く必要がないから、ここで分かれるとしよう。各々やるべきことをやったら、三劫の後、わたしは北邙山であんたを待っているから、また出会ったら、太虚幻境へ行って方(かた)をつけよう。」僧侶は言った。「それは妙案じゃ。」言い終わると、ふたりは行ってしまい、もう再びその姿を見ることは無かった。士隠は心の中で思った。このふたりはきっといわくがあるに違いない。一言聞いておくべきだったが、今となっては後悔してももう遅い。

 本日はこれまで。『紅楼夢』第一回の続きは、次回に投稿します。
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