最近のTV、新聞のニュースで使われた、成語をいくつかご紹介したいと思います。
■ 避重就軽
アップルは肝心な問題を避けその場逃れ、社会は事態の成り行きに注目
(中央TVネット、3月27日)
CCTVネットニュース:当TV局が3.15ナイト・ショーでアップル製品のアフタサービスが中国と海外で異なる基準を採用していることをスクープして後、アップルは相次いで次の二つの声明を発表した。「中国の消費者はアップルの最高レベルのサービスを享受している。」「アップルが中国で提供している保証修理のポリシーはアメリカ及び世界各地と概ね同一である。」幅広い消費者と法律関係者はこのことを決して認可していない。
◆3.15 国際消費者権益日
3月15日は世界消費者権利デー。 これにちなみ、中央電視台は毎年この日に“3.15晩会”を開催、放送。
消費者の権利を損なう問題事例、企業を取上げ、取材、討論などを行っている。
こうした大事なこと、どうでもよいことの対比、「軽重」という言葉では、「鼎の軽重を問う」という言葉を連想しますが、中国語でよく使う成語では、次のような言葉があります。
■ 牽一髪而動全身
李克強は国務院常務会議を主宰、召集した
(中央TVネット、3月27日)
中央経済活動会議の精神と、政府活動報告、国務院第一次全体会議の要求に基づき、会議は今年の政府の6分野、及び関連する計48項目の重点事業を確定し、任務を項目ごとに分解して国務院の各部門、各単位に引き渡す。会議は、今年の各項目の事業を全面的に推進し、人々が関心があり、社会が関心があり、少しのことでも社会全体に影響が及ぶことを着実にしっかり行うよう要求した。
1本の髪の毛は取りに足らないものですが、体の一部であるので、それ1本を引張ろうとすると、結局からだ全体を引っ張らざるを得ない、つまり全体に影響が及ぶということです。 一方、逆にこの髪の毛1本の差のお陰で、危機を脱することもあるわけで、次のような言葉があります。
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*志合者不以山海為遠:
志を同じくする者はたとえ山海を隔てていてもそれを遠いと思わない
全人代を終え、国家主席及び中央軍事委主席に選出された習近平が最初の外遊に選んだのは、ロシア、アフリカでした。3月27日、南アフリカ・ダーバンでのBRICKS諸国第5回首脳会談で、“携手合作、共同発展”と題して行った基調演説からの言葉を取上げたいと思います。
先ず、「志合者不以山海為遠」より:
中国の古い言葉に、「志を同じくする者は、たとえ山海を隔てていてもそれを遠いと思わない」という。我々世界の四大陸から来た五つの国家は、パートナー関係を築き、共に発展するという壮大な目標を実現するため、共に歩み、国際関係の民主化を推進し、人類の平和と発展という崇高な事業を推進するため、共に歩んでいく。平和を求め、発展を謀り、協力を促進し、共に勝利することは、我々の共同の願望であり、責任である。
この言葉を見て、ニュアンスは違いますが、次の言葉を思い出しました。
次に、「独木不成林」。
我々はグローバルでの発展パートナー関係の構築を大いに推進し、各国の共同の繁栄を促進しなければならない。1本の木では林にならない。経済のグローバル化の深化・発展という時代の条件下、BRICKS諸国の発展は自国の利益だけを求めることはできず、自国の発展を追い求めると同時に各国の共同の発展を促進しなければならない。
木や林を使った成語や慣用句には、次のようなものがあります。
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いよいよ全人代が始まりました。昨年11月の十八大で習近平を中心とする新体制が発足してから慣らし運転をしてきましたが、17日までに、新しい国家主席、国務院総理、主要官僚が選出され、名実ともに新体制が動き出します。
新たに登用される人もあれば、去ってゆく人々もいます。このブログでその発言を何回も取り上げた、温家首相も去ってゆく一人です。最後の大舞台、全人代での見せ場は政府政治活動報告だったのですが、発言の「言葉」に注目すると、今日取り上げる、四川代表団の審議に参加時の発言で紹介したい言葉がありましたので、これを取り上げたいと思います。
さて、共産党中央政治局の主要メンバーは、全人代の各地域代表の審議分科会に交代で参加し、また意見を述べたりしています。3月6日に温家宝は、四川省の代表団のグループ分科会に参加しました。その中での温家宝の発言が、以下のものです。
“温家宝在四川代表団聴取代表審議”(《人民日報》3月7日)
温家宝は語った。私が国務院総理を担当し10年になり、任期を終えようとしている。今年は私の最後の政府活動報告となる。今日皆さんの意見をお聞きするのが、皆さんとのお別れともなる。この10年は、我が国の発展の歴史上、平凡ならざる10年であった。私は人民が私に国家に尽くす機会を与えてくれ、私を信頼し、勇気と力を与えてくれたことに大変感謝するとともに、そのことを大切にしたいと思う。私は総理に着任した当初、自分に一つの目標を定めた。それは弛まぬ努力を通じ、改革開放を推進し、経済をより一層発展させ、人民の生活をより一層向上させ、社会をより一層進歩させることである。人民の期待は私たちの努力する方向であり、人民の願望は私たちの奮闘の目標である。人民が満足しているか、人民が喜んでいるか、人民が賛成しているかが、私たちの全ての業務が正しいかどうか検査する基準である。ここ数年、もし多少なりとも人民に有益なことを行ったと言うなら、それは人民の信任、理解、支持の結果であり、全てその功績は人民に帰すべきものであり、人民こそが歴史の創造者である。もしいくつかまだ不十分な仕事があるなら、それは私個人の能力の不足によるものであり、人民のご理解をいただきたい。「鳳の雛の鳴き声は、親鳥の鳴き声よりも清らかである」という。私は次の世代の人は私よりもっとうまくやってくれると信じている。私が間もなく退職する際には、私は人民に対し心からの敬意と感激の情を胸に持ちたいと思う。私は、我が国の未来が益々すばらしく、人民の生活が益々幸福になるよう希望する。
さて、ここで使っている、次の言葉です。
雛鳳清于老鳳声
chu2feng4 qing1yu2 lao3feng4sheng1
【出処】 唐・李商穏《韓冬郎既席為詩相送因成二絶》
桐花万里丹山路,雛鳳清于老鳳声
遥か遠くの、鳳が住むという丹山への道では、美しい桐の花が野を覆い咲き乱れている。花の茂みの中では、時折鳳の雛の清く澄んだ鳴き声が聞こえ、それに親鳥の呼び声が応え、耳に快い。
冬郎は、晩唐の詩人、韓偓han2wo4の幼名。父親の韓瞻は李商穏とは以前から交流があり、互いの奥さんが姉妹という間柄であった。851年(大中5年)晩秋、李商穏は都の長安を離れ、梓州(現在の四川省北部の三台県)に赴き、東川節度使の柳仲郢の帷幕に入ることとなった。その時、韓偓はまだ10歳であったが、送別の宴会で即席の詩を作り、一座の者を驚かせた。856年(大中10年)、李商穏は長安に戻り、韓偓に贈ると題する詩で、往時を回顧し、二首の七言絶句を作った。うち一首の最後の二句がこれである。韓瞻、韓偓親子を鳳に喩えている。
この詩は、上記のように、李商穏の詩の一節ですが、意味するところは、私はこれで引退して消えていくが、後は私より優秀な人がりっぱに引き継いでくれる、という意味で使っているのです。
ところで、この「後の世代は自分たちより優れている」という意味での慣用句には、次のような言葉もあります。
[類似する慣用句]
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