(写真は、鰣魚(ジギョ))
今回のテーマは魚の刺(とげ)です。“刺”(刺す)というと、「刺客」が連想されます。司馬遷の史記の《刺客列伝》で、燕の領土の地図の巻物の中に匕首を潜ませ、秦の始皇帝の暗殺を謀ったのは、荊軻ですが、“刺”にはむしろ、魚の腹の中に匕首を潜ませ、みごと呉王・僚を殺した専諸の方が合っているような気がします。
さて、刺についていうと、中国人は刺が多く、食べにくい魚を好みます。特に、江南で取れる鰣魚(ジギョ)や刀魚(エツ)がそうです。そして、こうした魚の味わいに、刺が大きく影響しているようなのです。それゆえ、我們愛這条“刺”。
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( ↓ クリックしてください。中国語原文が表示されます)
・援引 yuan2yin3 引用する
・蜂准 feng1zhun3 鼻が高い。“蜂”は“隆”、“准”は“鼻”のこと。
・摯鳥鷹 zhi4niao3ying1 鳩胸。胸郭が彎曲して、前へ張り出していること。
・豺声 chai2sheng1 ヤマイヌのように恐ろしい声。
・聞風喪胆 wen2feng1 sang4dan3 [成語]うわさを聞いただけで、肝をつぶす。
・心惊肉跳 xin1jing1 rou4tiao4 [成語]大きな災難が降りかかりはせぬかと、戦々恐々、びくびくすること。
・下意識 xia4yi4shi2 無意識に
・魚茸 yu2rong2 魚から皮や骨を取り去り、魚肉を叩いてつぶしたもの。これを丸めて、魚のすり身団子を作る。
・剔除 ti1chu2 悪いものを、取り除く。
・豹胎 bao4tai1 ヒョウ、或いは山猫の子。“龍肝豹胎”という成語があり、これは「得難いたいへん貴重な食品」の喩えだが、始皇帝の時代、本当にヒョウを食べたのだろうか?
・擠 ji3 絞り出す。押し出す。
・如假包換 ru2jia3 bao1huan4 「もし偽物だったら、交換します」という商人たちの客を呼び込む時の決まり文句。
・老粗 lao3cu1 無学で無骨な人間。礼儀作法をわきまえていない人間。
・雅人 ya3ren2 風流を旨とする文人。
・鯁 geng3 魚の骨が喉に刺さること。
・火冒三丈 huo3mao4 san1zhang4 烈火の如く怒るさま。
ここに、「秦の始皇帝暗殺」の別バージョンがある:
秦の始皇帝は魚を食べるのが好きだったが、またしばしば魚の刺(とげ)に悩まされていた。凡そ魚を食べて「刺」に当たると、必ずその魚を調理した人は殺された。(司馬遷は尉繚がこう言ったのを引用している:「秦王は人となり、鼻が高く、眼は切れ長で、鳩胸で、ヤマイヌのような恐ろしい声で、思いやりが少なく、残忍であった。」ここで言う「豺声」というのは、現代医学の推測によれば、おそらく気管支炎の一種の呼吸系統の疾患を患ったことによるもので、ひょっとすると、魚の刺が刺さったことによるのかもしれない。)だから、宮中のコックはこれにより皆、うわさを聞いただけで肝をつぶした。ある日、任という名のコックが魚の調理の当番になり、戦々恐々として、無意識の内に包丁の背でまな板の上の魚を叩いていた。食事の開始を告げる声の中、知らず知らずのうちに、魚の筒切りは叩いてすり身になっていて、魚の刺は奇跡的に取り除かれていた。任師傅はそこで、魚のすり身を一つ一つ丸め、ヒョウの子のスープに落とし入れ、スープが煮立つと、魚の団子は出来上がった。始皇帝は食べてたいへん喜び、その場で「皇室風天の果て鳳の珠の浮いたスープ」と命名した。
嬴政(始皇帝の本名)は「暴君」であっただけでなく、また「偽物だったら交換する」と言うような礼儀を知らぬ男で、もちろん魚の刺の奥深くて微妙なところは分かりようがなかった。実際のところ、私は、彼は更に魚の刺を彼の政治的な反対勢力の一つと見做していた可能性があると推察している。それでは、知識分子は魚の刺をどのように扱っていたのだろうか。
知識分子、つまり雅人(みやびびと)だが、雅人も人間である。喉に一度魚の刺が刺さると、雅人の苦しみもしばしば一般の粗野な人間以上であった。違いはその表現方法だけである。粗野な人に刺が刺さると、必ず烈火の如く怒り、怒りが収まらない。粗野で且つ権力のある者は、嬴政のように最も暴力的なやり方で、怒りをコックにぶつけるだろう。雅人に刺が刺さると、怒ることは怒るが、この怒りは穏やかな怒りで、しかもはっきり燃え上がりはしない。このような火は、金聖嘆の言葉で言うと、「恨」と呼ばれる。金聖嘆がまとめた「人生三恨」は、「一に鰣魚に刺が多いのを恨み、二に海棠に香りが無いのを恨み、三に紅楼夢が完結しないのを恨む」である。
■[2]
・縝密 zhen3mi4 周密である。考えが細かい。
・多慮 duo1lv3 よけいな心配をする。
・匪夷所思 fei3yi2 suo3si1 [成語]言行が常軌を逸していて、一般の人には思いもよらない。
・労什子 lao2shi2zi くだらないもの。いやなもの。
「恨」というのは一種複雑な感情で、少なくとも「怒」よりはずっと複雑である。そして、少し女性的な色彩がある。もし「怒」の反対が「喜」であるなら、「恨」に対するのは「愛」である。「喜」と「愛」の違いは、少なくとも「魚の刺」と「フカヒレ」の違い以下ではない。こう言うと、魚の刺への「恨」は完全に魚肉への愛に基づいていて、愛は深く、恨みは痛切である。事実、世の中の凡そ美味しいものは――正確に言うと、凡そ中国人が美味しいと思っている魚は、ほとんど皆、刺が多い。道理はたいへん簡単で、刺の多い魚は、肉質が必ず特別にきめ細かく柔らかで、ちょうど心配性の人の考えることが、しばしば常軌を逸して異常に細かいのと同じである。
「魚の刺」の問題について、外国人の考え方はちょうど正反対で、彼らは始皇帝よりもっと魚の刺を嫌う(「嫌う」というより、「怖がる」と言った方がよい)。彼らは皆、こう信じている:刺の少ない、或いは刺の無い魚こそが、本当に美味しく、下品な趣味を離れ、人民に有益な魚である、と。
こうした観念は、万事に実際の効果を重んじるアメリカ人あたりには、とことんまで発揚されている。「魚に刺はあるかい?」十歳以下のアメリカ人の子供に聞いてみるとよい。返って来る回答は必ず「No」である。なぜかというと、マクドナルドで食べられるフィッシュ・バーガーは100%刺無しであるだけでなく、魚の刺というくだらないものは、とっくに、マクドナルドに材料を卸す上流産業、すなわちスーパーマーケットの冷凍庫の前で、きれいさっぱり処理されているのである。
イギリス国内の全てのFish and Chipsの店では、魚の刺が一本でも見つかったら、軽くて料金は全額無料、悪くすると、店主は裁判所に訴えられる。
■[3]
・面拖 mian4tuo1 小麦粉をまぶしつけて、フライの下地にすること。“面拖黄魚”で黄魚のフライのこと。
・鰣魚 shi2yu2 ジギョ。ヒラコノシロ。太平洋に分布し、毎年、端午節の前後に、長江、珠江、銭塘江で産卵する。背部は青黒く、腹部は白い。成魚の体長は50センチ。うろこが大きく、脂肪に富む。古来より珍重され、河豚、鰣魚、刀魚を“長江三鮮”と呼ぶ。
・刀魚 dao1yu2 エツ(斉魚)。カタクチイワシ科の海産の硬骨魚。主に長江下流の鎮江、靖江、江陰、張家港で多く水揚げされる。春先の脂が載ったものが好まれ、清明節を過ぎると、味が落ちると言われる。日本でも、有明海やその周辺の河川に生息。
・生相 sheng1xiang4 “長相”zhang3xiang4のこと。容貌、器量のこと。
・粗 cu1guang3 粗野である。
・箬鰨魚 ruo4ta33yu2 “舌鰨魚”のことで、舌平目。
・靠攏 kao4long3 近寄る。
・幽恬 you1tian2“幽”奥深く上品。“恬”安らか。
ドイツ西部の小都市、ランゲンフェルドで魚を食べた体験は、上海の美食家、洪丕謨先生に深い印象を残した。
私たちは明るいガラスのショーケースの氷の器の中に、多くの種類の異なる魚が並べられているのを見た。おそらく名前も知らないが、多少はっきりしているのは、ドイツ人が食べる魚は刺のあるものがたいへん少ないということだ。刺が多いと、彼らはうんざりするか、根本的に食べない。刺が喉に引っかかるのを恐れて……考え方が、中国の一般大衆と正反対である。中国人の物の見方では、美味しい魚はほとんど大多数が骨が多く、刺が多いものである。例えば、鰣魚(ジギョ)、刀魚(エツ)、また例えば、スズキ、フナがそうである。たとえ黄魚に小麦粉を付けてフライにしても、基本的には骨ははずさず、食べる時に自分で吐き出してもらう。
「もし刀魚(エツ)やフナをテーブルに並べ、外国人に食べてもらおうとしたら、彼らにはどうしようもない(食べられない)。中国と西洋の飲食文化の違いは、人の器量や性格にも影響し、すなわち、西洋人は粗野で、東洋人はきめが細かい。西洋人は率直で、東洋人は回りくどい。」
私は外国人の魚類の加工工場ではどのように魚の刺を取り除くのか見たことがないが、話を元に戻すと、アメリカ人や欧州人が通常食べる魚は、それ自身に刺が無い――もちろん「魚の骨」はある。あるだけでなく、たいへん大げさにされている。このような刺の少ない、或いは刺の無い魚には、主にタラ、マグロ、カジキ、舌平目、サケなどが含まれ、体の内部構造は実は哺乳動物に近く、それらが「切り身」にされて後、その形も食感も全面的にビーフステーキやポークチョップに似通ってくる。「ひと口噛めば、肉厚の身は白きこと雪の如し、たちまち口中に清々しい香りが広がり、きめ細かく滑らかで、気持が安らぎ、美味しく気持ちがよい。」
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・従容 cong2rong2 ゆっくりと。落ち着いて。
・炉火純青 lu2huo3 chun2qing1 [成語]学問や技術が最高の域に達する喩え。事をさばくのに、非常に熟練していること。(道教の僧が、仙薬を練る時、炉の中の火が純青色を呈すと、成功と見做したことから)
・没有金剛鑚,不攬磁器活 mei2you3 jin1gang1zuan4 bu4lan3 ci2qi4huo2 俗語。“金剛鑚”と呼ばれる小さな鑚を持っていなければ、割れた陶磁器をかすがいで継ぐ(鋸碗的ju1wan3de)仕事はできないことから、ちゃんとした技能がないと、仕事ができないこと。
・源遠流長 yuan2yuan3 liu2chang2 [成語]源が遠ければ、流れも長くなる。歴史や伝統が長い喩え。
・深得吾心 shen1de2 wu2xin1 ある意見に大賛成すること。
・惆悵 chou2chang4 がっかりして、ふさぎこむさま。
・相提并論 xiang1ti2 bing4lun4 [成語]同列に論じる。同一視する。
喉に一旦刺が刺さると、その後の結果は大小様々だが、大多数の中国人は魚の刺を落ち着いて口の中に入れることができ、且つ未だ嘗て目の中には入れたことがない。
一方では、これは固より私たちの刺の多い魚への偏愛より出たものであり、もう一方では、先祖代々何千何百年に亘って蓄積されてきた刺を捜す技が、既に「遺伝子化」されて私たちの先天的な技能となっているのだろう。一人一人が長年休まず訓練をしてきた結果、思いがけず最高の腕前となったのだろう。たいへんなことだ。ちゃんとした技能がないと、仕事ができない。正に、「技能が高いと、大胆になる」である。
中国人の魚を食べてきた歴史はたいへん古く、後漢時代に誕生した《説文解字》の中で取り上げられている魚は、既に70種類に及ぶ。中国人がなぜナイフ、フォークでなく、箸を使って食事をしたかについては、歴史学者は各種各様の推測をしている。その中で、私が大いに支持しているのは、「魚を食べるのに、刺を捜すため」説で、すなわち箸の出現は魚を食べることと大いに関係があり、なぜなら箸はナイフ、フォークと比べてきめ細かな魚肉を食べるのが容易で、同時にきめ細かな魚肉の中からもっと細かな魚の刺を選び出すのに都合が良いからである。
私たち中国人、とりわけ南方の中国人から見ると、外国人が好むタラ、マグロ、カジキ、及び舌平目、或いはサケの類は皆「粗野な魚」に属する。刺が無い、或いは刺が少ないことが、「粗野」の大きな原因である。ちょうど、私たちがよく言う「粗野な人(武骨者)」というのは、頭の中にしばしば他の人より筋が一本少ないのと同じである。魚に刺が無い、けれども口に入れた時のあの期待外れの気持ち、泣きたいような気持ちは、考えてみると、年中香りが漂う海棠、及び《紅楼夢》の(80回本の続編である)後40回本だけが同列に論じることができるものである。
もちろん、アメリカ人の、魚の刺の問題での「恨みが起こりっこない」やり方は、実は自ずと様々な明らかなメリットが存在する。他のことは言わぬが、魚の刺の上での不幸な事件、及び納税者がこのために支払う医療費は、大幅に減少する。けれども、これはまたちょうどアメリカに行って、チャイナタウンで飯を食おうと計画している中国人が注意しないといけない重要事項の一つである:彼の国の咽喉科の医師は通常、「魚の刺の傷」を処理する基本能力を備えていない、ということを。
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・榜首 bang3shou3 掲示板に公示された、リストの最上位のこと。
・吮 shun3 吸う。吸い取る。
・蘊藉 yun4jie4 言葉や文字、表情に、含みがある。含蓄がある。
・歴歴 li4li4 ありありと。一つ一つはっきりと。
・青衫 qing1shan1 書生
・貽 yi2 物を贈る。
・無福消受 wu2fu2 xiao1shou4 享受するだけの冥加もない。もったいない。
・招惹 zhao1re 相手にする。関わり合う。
・自縛之繭 zi4fu4 zhi1 jian3 =作繭自縛:カイコがまゆを作って、自分をその中に閉じ込める。自縄自縛。
刺が多くて美味しい魚、例えば江南の鰣魚、エツ、フナ、また例えば珠江デルタのヒラウオなどがそうである。けれども、その中で刺が最も多くて、最も味が良いのは、鰣魚とエツを並んで第一とする。
鰣魚の美味しさは鱗にあるだけでなく、ずっと骨の中に到るまで美味しい。つまり、鰣魚の刺一本一本に到るまで、注意して吸い取る値打ちがある。この意味の上で、鰣魚ファン達の心理は、その刺が多いのを恨むというより、むしろ、その刺が少ないことを恨む、とした方がよい。金聖嘆が「鰣魚に刺が多い」ことを「人生の三つの恨み」の第一に挙げたことは、この「恨」の一文字の下に含まれる情感がどれほど錯綜して複雑かということである。
野史の記載によれば、民国初期の北京・前門の八大胡同の名妓、謝蝶仙は、《茶花女遺事》によって、久しくそれを著した林紓(林琴南)を慕っていたが、彼とのつてが無いのに苦しみ、「食べ物」を贈るという簡便な方法を採ることにした。先ず、人に託して4つの特大の干し柿を贈り、干し柿一個一個を「自ら」ひと口ずつ齧り、いわゆる「噛み後がはっきりと残り、猶口紅の香りを帯びる」ようにした。ところが思いがけず、彼の林先生は気持ちを理解してくれず、「芸者はもとより色恋事が多いだろうが、私は如何せん書生の分際で、はかない運命だ。折角の美人からの贈り物ではあるが、それを受けるだけの収入も無い」との返事、4つの干し柿も、そのまま送り返された。八大胡同の側でも、それだけではへこたれず、紅葉が赤く色づき、菊の黄色い花の咲く時分、恋い焦がれた蝶仙は再び、特に人に託して林紓に鰣魚を贈った。今度は、林先生も真面目に対応せざるを得なかった。彼は家中の酒を並べて飲みながら丸々一晩、あれこれ思い悩み、明け方の鶏が時を告げ時分に、遂に結論を出した:「鰣魚は刺が多く、関わり合い難い。一筋の男女の情の糸も自縄自縛になるかもしれない。花柳界の中ではきっぷの良い女も多いのだろうが、良婦になるのは容易いことではない。」そして詩を一首書いて、謝蝶仙に贈った:「平素の罪悪を子孫に留めないため、あなたとの情愛の根を育もうとは思わない。甘言は早々に除くのが名士の習いである。寧ろ美人の恩に背こうと思う。」
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・酒醸 jiu3niang2 甘酒。粥に麹を加えて発酵させたもので、江南地方で調味料に用いる。
・清醤 qing1jiang4 醤油。たまりでなく、上澄みの部分。
・快刀 kuai4dao1 鋭利でよく切れる包丁
・駝背 tuo2bei4 せむし。猫背。
・鈣 gai4 カルシウム
鰣魚に比べると、刀魚(エツ)の身の上の刺は、細かく密集している。これらの刺がどこから来るのかは、本当に理解できない。もし諸葛孔明が(赤壁の戦いで)曹操から借りたのが弓矢ではなく魚の刺であったら、エツはすなわち草船である。だから袁枚も《随園食単》の中で、仕方なく、特別に「エツの刺除く方法」を説明している。エツは蜂蜜、甘酒、醤油を加えて鉢の中に入れ、鰣魚と同じやり方で蒸すのが最も良い。水を加える必要はない。刺が多いのが厭なら、よく切れる包丁で身をこそげ取り、鉗子で刺を引き抜く。中華ハムのスープ、チキンスープ、竹の子のスープでこれをとろ火で煮込むと、その旨さは類を見ない。金陵(南京)の人は、その刺の多いのを恐れて、これを油でからからになるまで揚げ、それから少量の油で炒める。ことわざに、「猫背の人の背中を無理にはさみつけて伸ばすと、その人は死んでしまう」と言うが、正にこのことである。或いは、よく切れる包丁で魚の背を斜めに切り、骨を砕き、それから鍋に入れてキツネ色になるまで炒め、調味料を加える。食べる時には骨があると気が付かない。「蕪湖の陶大人の家のやり方である。」実は、エツの刺は、清明節前にはまだ硬くなく、或いは骨が脆い(カルシウム不足のせいかどうか知らないが)ので、蒸した後、「熱くなった刺」は綿のように柔らかくなり、遂には魚肉と一体になり、噛み砕いても気にならない。
(刀魚 エツ)
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・令人発指 ling4ren2 fa4zhi3 激怒させる。
・取締 qudi4 命令で禁止する。
・宗 zong1 [量詞]ひとまとまりの事物を数える。
・案情 an4qing2 事件のいきさつ。
・声嘶 sheng1si1 声のかすれ。
・霧化吸入 wu4hua4 xi1ru4 高速の酸素気流を利用し、薬液を煙霧化し、呼吸器官から吸入する治療法。
・搶救 qiang1jiu4 応急手当をする。
・九牛二虎之力 jiu3niu2 er4hu3 zhi1 li4 [成語]たいへんな努力の喩え。力の限りを尽くす。
・蠢 chun2 うごめく。・僥倖 jiao3xing4 思いがけず、幸いに。
・混淆 hun4xiao2 混同する。
広東語と上海語の発音で、「魚刺」(yu2ci4 魚の刺)と「魚翅」(yu2chi4 フカヒレ)は大変よく似ている。おそらくこの二つのものの間の違いが、実に人を激怒させるほど大きいので、きっぱりと「魚刺」という言葉を使うのを禁じ、広東語では「魚骨」でこれに代え、上海人はただ「魚骨頭」という習慣的な言い方があるだけだ。
「魚刺」と「魚骨」は、何れも魚の体にできるものであるが、「魚刺」と「魚骨頭」では、少なくとも生物学と飲食の上で、若干違いがある。「魚刺」、魚の刺は特に魚肉の中の繊維、そして鋭利な短い刺を指し、またその色が半透明、或いは煮えた魚肉の色に似ており、しばしば魚を食べる者が気付かないので、一旦「刺に遭遇すると」、後の結果は大きな問題になる場合も、そうでない場合もある。
2001年、南京市秦淮区の裁判所で「魚の刺賠償事件」の審理が行われた。事件のいきさつは、こういうものだ:南京の某新聞の張という名の記者が、魚の刺が喉に引っかかり、南京市第一医院で診療を受け、二日後に同じ病院でもう一度診療が行われた。けれども、その後、張の病状は良くならないばかりか、却って益々重くなった。原告が再度同じ病院で診療を受けた際、医師の診断は、「食道損傷、食道炎。食道の内視鏡手術後、胸骨部の痛み10日、喉の痛み、声のかすれ2日。」というものだった。翌日、張は当該病院に入院、治療した。二日後、張が煙霧吸入治療を受けていると、突然鮮血を吐いて倒れ、応急手当をするも効果無く、2000年11月26日に死亡した。張の家族は先ず医療事故鑑定委員会に事故鑑定の申請をし、次いで第一医院を法廷に告訴し、病院に54万元余りの損害賠償を求めた。
広東語と上海語のいわゆる「魚骨」は、実は魚の全身を貫く背骨のことを指す。大げさに言うと、《老人と海》で老漁師、サンチャゴが力の限りを尽くして、メキシコ湾流から岸辺に引き上げた、あの長さ18インチに達する魚の骨は、広東人に「魚の骨の形のアンテナ」と呼ばれているものの原型である。もし、このようなとてつもなく大きい「刺客」によって喉を刺された人がいて、もしたいへん好運にも生きて助け出されたとしても、彼はおそらく、この凶悪で危険な世界で、かりそめに生きていく、どんな体面も持たないだろう。
つまり、「魚刺」と「魚翅」と同様、「魚骨」と「魚刺」の間の違いも、混同することは許されない。魚が人間と同じように刺を生やすことができるかどうかは、別の問題である。
【出典】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月
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(写真は、燕窩氷糖粥)
今回は、粥と飯の話です。冒頭、毛沢東の言う、農村での粥と飯の区分は、ある意味合理的で、生活の智慧と言えるでしょう。けれども、沈宏非の話はそこから飛躍し、粥は貧しさの象徴か?いや、金持ちが健康のために食う贅沢粥もあるぞ、というような話になっていきます。それにしても、粥と飯と言いながら、その実、粥に対する思い入れが強いことが分かります。そして、最後は残った飯を利用した湯漬け、あるいは茶漬け。いささか冗長な感がありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
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( ↓ クリックしていただくと、中国語原文が表示されます)
・干飯 gan1fan4 粥に対する言葉で、ご飯。
・実成 shi2cheng2 熟成する。完全な程度に達する。練れている。
・出入 chu1ru4 不一致。食い違い。
・煩囂 fan2xiao1 騒がしい。うるさい。
・偏偏 pian1pian1 折悪しく
トップ指示―― 偉大な指導者、毛主席は私たちを教え導き、こう言われた:「閑な時は粥を食え、忙しい時は飯を食え。閑か忙しいかで、粥か飯か決めなさい。」
毛主席のこの話は、古い中国の民間の智慧である。“吃稀”とは、お粥を食べることを指し、“吃干”とは、炊いたご飯を食べることである。「閑な時」、「忙しい時」については、ちょっと説明が必要だ。「閑な時は粥を食い、忙しい時は飯を食う」というのは、もともと中国の農村で出た言葉(農家にはまた、もうひとつ似た言い方があり、「忙しい時は飯を食い、閑な時は粥を食い、畑に行く時は飯を食い、家に居る時は粥を食う」と言う)で、伝統的な農業生産で言うと、「閑な時」とは農閑期で、「忙しい時」とは農繁期である。農繁期には、よく「熟成した」飯で、消耗した体力を補ってやらねばならず、農閑期には、粥を食べる機会を増やして、食糧を節約するのである。
毛主席の言う「忙、閑」は、経済が困難であった時期の、農村の食生活への指導であり、総じて言うと、都会の人の「朝9時から夕5時まで」式の「忙と閑」との間には、大きな違いがある。
都会の「忙と閑」は、時には農村と逆のことがある。例えば、天高く馬肥える秋、あなたの夏の販売ノルマがちょうど達成でき、また社長もちょうど不在で、奥さんと都会の喧騒から離れようと、秋の旅行に行くことにし、家の留守番は、家政婦にさせようと思った。ところが、思いがけず、あなたの家の家政婦も折悪しくこの時に休暇を願い出た――あなたも家政婦も目的地は農村で、田畑で熟れている麦の穂が共同の目標である。違いは:あなたは休養のためで、家政婦は(実家の)農業の収穫のためである。
■[2]
・流質 liu2zhi4 流動食。流動性の(食べ物)
・越俎代庖 yue4zu3 dai4pao2 [成語]料理人を差し置いて、他の人が料理を作る。出しゃばること。越権行為の喩え。
・工整 gong1zheng3 きちんと整っている。
・舂 chun1 石臼などで、つく。つき砕く。
・揄 yu2 引っ張る。引き上げる。
・簸 bo3 箕で穀物をふるう。ふるってごみなどを取り除く。
・釈 shi4 水に漬けること。
・叟叟 sou1sou1 米など、穀物を水で研ぐ音。
・浮浮 fu2fu2 ぐつぐつと煮える音。
実は、都会の人はよく「忙しい時は粥を食う」と言う。朝早く、遅れないよう出勤する人にとって、半ば流動食のようになっている中国式のお粥や洋式のコーンフレークは、作る手間が省けるだけでなく、吸収の良さが優れている。
本当に李漁が言っているように、「飯と粥の二物は、日常生活に必要なもので、その外観は知らぬ者はいないのに、どうして料理人でもない者がでしゃばって勝手なことを言うのか。」けれども、一旦、私たちが閑か忙しいかで飯にするか粥にするか決めたら、生活と米の飯の二つの異なる状態の中に、一つの新たなモデルを構築するので、それによってこのモデルの中で、米の飯に対し、別の種類の体験をもたらすかもしれない。例えば、「閑か忙しいかで、粥か飯か決める」というのは、ロジックや文の構造としてはきちんと整っているが、都会の人には理解しづらい。言い換えると、何に対し「粥か飯か」どちらを食べるか判断するには、ある程度、何時から何時までであれば、その日が「閑か、忙しいか」と見做すことができるかを決めてやる必要がある。
“稀”であれ、“干”であれ、粥も飯も穀物の二種の異なる調理方式である。
公輸般(魯般)が石臼を発明する以前、中国人は完全に粒食の民族であった。たとえ麦でも、それを煮炊きして、麦飯や麦粥にして食べざるを得なかった。その様子は、ちょうど《詩経・生民》で言っているように、「これを臼で撞いて引き上げ、これを箕でふるって手で揉み、これを水に漬けて研ぎ、これをぐつぐつと蒸す」という風であった。
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・糾葛 jiu1ge2 もつれ。ごたごた。いざこざ。
・口腹之欲 kou3fu4 zhi1 yu4 飲み食いに対する欲。
・分而治之 fen1 er2 zhi4zhi1 分割して支配する。分割統治する。
・灌水文章 guan4shui3 wen2zhang1 読む値打ちの無い文章。
・泡澡 pao4zao4 風呂に入る。
粉食は大いに中国の主食の形態、料理と口当たりを豊かにしただけでなく、ある程度、南方人と北方人の違いの一つの判断基準になったようである。林語堂先生はこう言ったことがある:「ご覧なさい、歴代、都を建てた帝王は皆長江以北出身で、南方出身は一人もいない。だから、中国にはこういう言葉がある:小麦を食べる者は皇帝になることができ、米を食べる者は皇帝になれないと。曾国藩は不幸にも長江以南に生まれ、また湖南は米を産する地域で、米を食べ過ぎた。そうでなければ、彼はとっくに皇帝になっていただろう。」
帝政が廃されて以来、南人と北人の粒食と粉食の上の違いは次第に縮小し、不明確になってきた。けれども、粒食陣営の内部では、このような差異は引き続いて存在している。ただ、皇帝になれるかどうかが、貧乏人と金持ちの間のいざこざに変わっただけである。
炊いた飯、或いは調理した飯は、その始まりから富貴の象徴であった。“周八珍”の序列の一位と二位が、それぞれ“珍淳熬”、“珍淳毋”。すなわち米の飯と黍飯であった。それと同時に、粥が貧乏人の主食と見做された、道理は明らかに次のことにある:一斤(500グラム)の米を炊くと、二、三人の腹を満足させ、体力を回復することができる。もし同じ分量の米で粥を作ると、しばしば四五人を満足させることができるか、たとえ気持ちの上では不満が残っても、なんとか空腹感は満たすことができる。
もちろん、貧しい人も炊いた飯を食べる時がある。もし、「閑」が貧乏人の絶対的に貧しい状態とするなら、「忙」は貧乏人が絶対的に貧しい情況の下の、相対的に豊かな時期である。
貧しい人について言えば、粥の役割は、飲み食いに対する欲求を分割統治することにあり、電子掲示板の中の読むに値しない文章に相当する。完全に湯や水の干渉を排除し、ドライ・スチームの形で出現した飯とは異なる。だから私は、人民は決してサウナが必要ないのではなく、ただバスタブの中にしばし屈んでいるに過ぎないと信じている。
■[4]
・成敗 cheng2bai4 成功と失敗。
・淋漓尽致 lin2li2 jin4zhi4 [成語]文章や話が、詳しく徹底しているさま。余すところがない。
一人の広州人として、ある種の現実主義的な姿勢を示さないといけない。或いはこう言うかもしれない:「粥があれば粥を食うし、飯があれば飯を食う。」しかし、この人物が断固とした行動に出る前に、或いは、こう言って自分を励ますだろう:「粥を食べるか、飯を食べるか、事の成敗はこの一挙にあり」と。
明らかに、粥は貧しい人の主食であるだけでなく、失敗の象徴である。もっと言うなら、長い間粥を食べ続けるのは、国家の弱体化と民族の不幸の原因の一つになるかもしれない。この意味では、王蒙が小説《硬い粥》の中で登場する家族の子供の口を借りて、余すところなく、そのことを語っている。
■[5]
・戕 qiang1 傷つける。損なう。
・式微 shi4wei1 国家や名門の家柄が衰えること。
・兆征 zhao4zheng1 兆し。兆候。
・休克 xiu1ke4 ショックを起こす。
・白脱 bai2tuo1 バター
・団 tuan2 連隊
・師 shi1 師団
・及早 ji2zao3 早めに。
「朝、マントウと粥と漬けものを食う……ああ神よ!これがどうして1980年代の中華の大都市の「中の上」の収入を得ている現代人の楽しみであろうか。ああ恐ろしい!なんて愚かなんだ!お粥と漬けもの自体、アジアの病人の象徴じゃあないか!慢性的なサディストじゃあないか!無知!炎帝、黄帝の子孫の恥さらし!中華文明の没落の根源!黄河文明の衰退の兆候!もし私たちがこれまでお粥や漬けものを食べるのでなく、バターとパンを食べていたら、1840年のアヘン戦争で、イギリスは勝利できただろうか。1900年の八カ国連合軍で、西太后は承徳にまで逃げていただろうか。1931年に日本の関東軍は918事変(柳条湖事変)を発動する勇気があっただろうか。1937年に日本軍どもは芦溝橋事変を発動する勇気があっただろうか。日本軍が攻めて来ても、ひと目、中国人が皆バターを食べているのを見たら、やつらは、連隊全部でなくても、師団単位でショックを受けたのではないか。もし1949年以降、私たちの指導者は早めにお粥と漬けものを消滅させることを決意し、全国が皆、バターとパンを食べる他に、ハム、ソーセージ、卵、ヨーグルト、チーズを加え、ジャム、蜂蜜、チョコレートを加えていたら、我が国の国力、科学技術、芸術、体育、住宅、教育、自家用車の平均保有台数は、とっくに世界のトップクラスに到達していたのではないか。つまるところ、粥と漬けものは私たち民族の不幸の根源であり、私たちの社会が安定性を欠く発展をし、進歩がない根源ではないか。徹底的に粥と漬けものを消滅させろ!粥と漬けものが消滅しないと、中国には希望がない!」
■[6]
・多此一挙 duo1ci3 yi1ju3 [成語]余計な世話をする。いらぬことをする。
・与否 yu3fou3 ……かどうか。
・吊詭 diao4gui3 パラドックス。矛盾。
・渾身 hun2shen1 全身。体中。
・充沛 chong1pei4 満ち溢れている。みなぎっている。
初めて《硬い粥》を読んだのは、十年前のことである。ここで、私はこれにどうでもよい脚注を一つ加えたいと思う:粥は古くは糜と称し、たいへん薄いものだけが粥と呼ばれた。だから“稀粥”(つまり薄いお粥)の二文字は純粋に(一文字が)余計だが、硬いかどうかは、別に議論すべきである。
貧しい人が粥を食べるのは、生きるためであり、金持ちが粥を食べるのは、健康のためである。このことは正に粥のパラドックスである。
漢方医は、こう信じている:粥を食べることは養生になる。したがって、四季折々の気候の変化に合わせて作った「富貴粥」の数々は、専ら養生の用途に供せられる。寒い冬の朝にサツマイモ粥、ナツメ粥、犬肉粥、鶏肉粥を食べると、食べた後、体中が暖かくなり、精力が満ち溢れる。盛夏の夕方、緑豆粥、蓮の身粥、山楂子粥、レンコン粥を食べると、さわやかで気持ちが良く、養分を補充する功能がある。この他、年老いて体が弱った者が食べるものとして、蜂蜜粥、百合粥、枸杞粥、などがある。
■[7]
・腴 yu2 太っている。肥えている。
・困居 kun4ju1 制約などがあり、仕方なくその場に留まる。
・撰写 zhuan4xie3 文章を書く。著作する。
・挙家 ju3jia1 一家を挙げて。家全体で。
・賖 she1 掛けで売り買いをする。
粥は清の宮廷の料理のメニューにも現れ、それはトウモロコシ粥と氷砂糖粥に分類され、前者は乾隆帝が胃の具合を整えるのに使った「雑穀」であり、後者は西太后が美容に使ったものである。
「富貴粥」の中の最高のものは、間違いなく、ツバメの巣粥に他ならない。《養生随筆》にこう書かれている:「上品の燕窩粥は、粥を煮るに淡く食せ、肺を養い、痰をとかし、咳を止め、滋養を補い、体に滞らず。」《紅楼夢》を開くと、そのホルモン作用の他、空気中にもツバメの巣粥の味わいがあるかのようである。宝釵、宝玉、黛玉、そして秦可卿など、皆ツバメの巣粥の達人である。第45回に、宝玉と黛玉の間でのツバメの巣粥についての対話があり、それを聞いてみると、ちょうど今日の男女のカップルが化粧品の効果について話し合っているかのようである。「穀物を食べると長生きできる。あなたが普段食べているものは、精神や気や血を補い養うことができないから、良くない……。昨日、私はあなたの持っている薬の処方を見ましたが、人参や肉桂が多過ぎるように思います。気を益し精神を補うと言っても、あまり激しすぎるものはよくありません。私に言わしてもらえば、先ず肝臓を平らげ、胃を健やかにするのが肝要で、(陰陽五行でいう)肝の火が平らげられると、土に克つことができないので、胃の気から病がなくなり、飲食をちゃんとすれば、体を養生することができる。毎日、朝起きたら上等のツバメの巣が一両と氷砂糖を五銭取って、銀の薬缶でじっくり煮出して粥を作りなさい。食べ慣れると、薬よりも効き目があり、最も陰を増し、気を補います。」
若い人たちに比べると、賈のご隠居様はより粥がお好きだったようだが、決してあのばあさんの「少しばかりお粥があるだけよ」という言葉に騙されてはいけない。次のことを知っておかないといけない:賈のご隠居が第62回の中で、「茶碗に半分食べただけ」というお粥は、実は手を抜いたものではなく、その粥は、「御田の胭脂米」を煮て作ったもので、清代の劉廷璣の《石頭記》によれば、胭脂米とは、康煕帝が豊澤園の宮廷の御田に播いた稲の中の優良品種で、内膳、すなわち皇族方の食事に用いられたものである。米の色はかすかに赤みがかり、粒は長く、良い香りがし、味は豊かであった。曹家が当時金持ちであったとしても、曹雪芹がやむを得ず黄叶村で暮らし、《石頭記》を著作している時には、生活は「一家を挙げてお粥を食い、酒はいつも付け買い」という清貧の毎日であった。
■[8]
・泡飯 pao4fan4 ご飯に湯や汁をかけたもの。茶漬け。
・屋檐 wu1yan2 家の軒。
・話柄 hua4bing3 話の種。語り草。
・擺弄 bai3nengbai3nong4 もてあそぶ。翻弄(ほんろう)する。
・情調 qing2diao4 ムード
・別致bie2zhi4 奇抜な。ユニークな。
・顕擺 xian3bai みせびらかす。ひけらかす。
・反差 fan3cha1 コントラスト。
・通連 tong1lian2 続いている。
・捎帯 shao1dai4 ついでに。
・平心而論 ping2xin1 er2lun4 [成語]公平に言うならば。
・寒酸 han2suan1 貧乏くさい。
・黏糊 nian2hu ねばねばする。
・纏綿 chan2mian2 まとわりつく
・堪称 kan1cheng1 ……ということができる。
・大夢初醒 da4meng4 chu1xing3 深い眠りから目覚めたように。間違ったことに長い間ごまかされていたのが、間違いに気付き始めることの喩え。
・柴魚粉 chai2yu2fen3 干した小魚などを粉にした、ふりかけ。
・煦 xu4 暖かい。
・縹緲 piao1miao3 かすかで、はっきりしない様。
・隠約 yin3yue1 かすかなさま。はっきりしないさま。
随園先生はこう書いている:「水が見えて米が見えぬのは、粥に非ず。米が見えて水が見えぬのも粥に非ず。必ず水と米が融合し、柔らかさと粘りが一体になり、然る後に粥と謂う。」この基準に従うと、水と米が各々我が道を行く茶漬け(湯漬け)は、粥と米飯の間に介在する第三勢力であるかのようである。
湯漬けは嘗ては上海の軒下での標準的な朝食であった。同時に、上海人のことを外地で人々が話す時の語り草の一つであった。私は嘗て、新聞で女流作家、蒋麗萍の、上海女を嘲笑する文章を読んだことがある:「上海女について言えば、必ず「ムード」に翻弄される。(注:以下のキーワードには、こんな言葉が含まれる:バー、コーヒー、灯(ともしび)の揺らめく酒のグラス、アンティーク家具、パーティー)。けれども、私が見るところ……たとえあなたが奇抜な衣装を選んだところで、それはあなたが今日食べた湯漬けと胡瓜の漬物と同様、ありふれたものだ……さもなければ、いささか流行遅れのもの?何か自慢できるところがあるの?」
言っているのは、けれども、上海人は朝湯漬けを食べるということで、衡山路のバーとは確かに相当大きなギャップがある。いわゆる上海の湯漬けというのは、朝起きたら、昨晩の食べ残し(或いはわざと余らせた)の米飯をお湯で洗い、飯であって飯のようでなく、粥であって粥でないようなものにしたものだ。時間が無い時は、通常、加熱の手間を省き、お湯の温度を利用し、漬物と油条を付けて、ズルズルとかき込むのである。
公平に言うと、「昨晩の飯」及び「お湯を注ぐ」ことでもたらされる貧乏くさい感覚が免れ難いことの他は、湯漬けは実は別に不味いものではなく、一晩経った冷飯を一たび、朝一番の薬缶で沸かした湯を掛けて目覚めさせると、お粥のようにねばねばまとわりつくようなことは全くないだけでなく、却って条理がはっきりしていて、深い眠りから目覚めたような感じがする。この他、湯漬けは環境に優しいとも言える。もちろん、このような愉快な体験をしようと思ったら、心の中で飯のことを考えてはだめで、また粥のことを思ってもだめだ、これは粥でなければ、飯でもない。これは湯漬けだ、湯をかけた飯である。
台湾人も湯漬けを食べるが、彼らが食べるのは、ほとんどが日本式の茶漬けである。基本的な作り方は:白米の飯を一碗、各人が好みで小魚のふりかけ、白ゴマ、海苔の細切り、塩、抹茶、ゴマ、刺身、菊の花などをふりかけたり、梅干しを一粒載せ、卵の黄身、最後に適量の煎茶をかける……この味わい、暖かさ、暖かい中に少しかすかな甘みがあり、またかすかな苦み渋みがあり、できたものは、小津安二郎の映画である。
(小津安二郎 《お茶漬けの味》)
【出典】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月
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写真は、“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)
みなさん、あけましておめでとうございます。
2012年の第1回は、沈宏非のエッセイから、“吃豆腐”(豆腐を食べる)をお届けします。
「豆腐を食べる」という表題にもかかわらず、いきなり瞿秋白が出てきて意表を突かれまずが、革命家の瞿秋白や孫文と豆腐の関係、というのも、非常に興味深いものです。それでは、読んでいきましょう。
■[1]
( ↓ クリックいただくと、中国語原文が表示されます)
・結尾 jie2wei3 終わり。最後の段階。
・従容就義 cong2rong2 jiu4yi4 従容として(落ち着き払い)、正義の為に死ぬ(敵に殺される)。
・糾葛 jiu1ge2 もつれ。もめごと。いざこざ。
・捉摸 zhuo1mo2 推し量る
・禅机 chan2ji1 禅僧が説法する時、暗示や比喩で教義を伝える秘訣。
1935年5月23日、瞿秋白は彼の臨終の絶筆である《多余的話》(余計な話)で、このように最後の結びとして言っている。
「さらば、この世の全てよ!最後に……ロシアのゴーリキーの《四十年》、《クリム・サムギンの生活》、ツルゲーネフの《ルーヂン》、トルストイの《アンナ・カレーニナ》、中国の魯迅の《阿Q正伝》、茅盾の《動揺》、曹雪芹の《紅楼夢》、皆もう一度読んでみる価値がある。中国の豆腐もたいへん美味しいものだ。世界で第一。さらば!」
4週間後、瞿秋白は福建の長汀の中山公園、涼亭の前で、高らかに《インターナショナル》を歌い、落ち着き払い、自らの命を絶った。
《紅楼夢》以外は、ゴーリキーも、ツルゲーネフも、トルストイ、そして魯迅、茅盾も、当時は皆非常に革命の象徴であった。けれども、豆腐って、最後はどうして豆腐なんだ?
「不幸にして歴史のいざこざに巻き込まれた」職業革命家、瞿秋白の当時の本当の心境は、我々の世代には推し量ることが難しいが、半新半旧の中国式の文人として、60年余り後の世で、私がここに更なる「余計な」話をしても許してもらえそうだ。そしてそれは豆腐に限ってのことだが。
瞿秋白の故郷、常州が“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)を出して有名である他は、私はこれまで、豆腐と瞿秋白個人、及び1931年から1935年までの中国革命の情勢についての何らかの特別な意義を考証することができなかった。けれども、私はずっとこう思っている:中国の全ての日常食品の中で、ただ豆腐だけが一種の存在主義的な性格を持っている。中国式の食事であれ、中国式の言語環境であれ、豆腐はいずれでも一種の日常的で、清貧で、ありきたりの出自の象徴で、またそれが仏門で使われることから、日常の他に幾分、禅宗の奥義の色彩が含まれる。
《菜根譚》にはこう書かれている:有尽の身躯を看破すれば、万境の塵縁自ずからやむ。 悟りて無壊の境界に入れば、一輪の心月、独り明らかなり。麦飯、豆羹の淡き滋味、箸を放つところ、歯頬にはなお香し。「鳥に心を驚かせ」「花にも涙を濺ぐ」。此に熱き肝腸を懐い、如何に領取するを得ん、冷風の月。
■[2]
・弦外之音 xian2wai4 zhi1 yin1 [成語]言外の意味。
・門客 men2ke4 昔、権勢ある家の食客。居候。取り巻き。
・方士 fang1shi4 方士。神仙の術を行う道士。
・塩鹵 yan2lu3 にがり
・煉丹 lian4dan1 道士が辰砂などを練って、不老長寿の丹薬を作ること。
・字号 zi4hao4 店名。屋号。
・演変 yan3bian4 比較的長い間に、進展変化する。
・妖里妖気 yao1liyao1qi4 あだっぽくて、淫らなさま。妖艶なさま。
やはり豆腐である。もっと想像できないのは、金聖嘆が打ち首にされる前に、「フカヒレとアワビを同時に食べると、おおよそ燕の巣の味のようになる」というようなことが言えたのだろうか。
(瞿秋白の死後)60年余りが経ち、《紅楼夢》がおそらくまだ読まれている他は、残っているのは豆腐である。誰も「中国の豆腐は、世界で第一」という言葉の言外の意味を理解することはできないだろう。正に、《多余的話》の「序に代えて」で嘆いている通りである。「我を知る者は、我が心が憂うと謂い、我を知らざる者は、我が何を求めんかと謂う。」やはりひとまず、豆腐を食おう。
一般に信じられているのは、豆腐の製法は、最も早くは、戦国時代に既に現れた(清代・汪汲の《事物原会》を参照)と言われるが、検証してみるべき記録として、漢の文帝の時代(紀元前160年頃)、淮南王・劉安(劉邦の孫)とその食客達が編纂した《淮南子》がある。《本草綱目》にまた言う:「豆腐の製法は、淮南王・劉安が始めたものである。」伝えられるところでは、豆腐はすなわち、劉安と方士達が今の安徽省寿県の八公山で大豆、にがりなどを練って丹薬を作っている時、予想外に得られた副産物であった。だから、豆腐は実は「農業副産品」や「副食」に分類すべきではなく、「薬副産品」と称されるのが正しい。
豆腐が劉安の後、間もなく「薬」の屋号から「健」の屋号の付く平民の食品に変化していったが、仔細に考えてみると、多くの中国の日常の食品の中で、豆腐は実はあまり「中国」的なものではなく、たいへん「化学」的な妖艶な物質である。劉安とその「製薬集団」は皆、儒家として死んだので、ここからは豆腐の本性の中にある種の強烈な反儒教の衝動があると断言することはできないが、古今の祭祀、儀式の中には厳格な決まりがある:すなわち、決して豆腐を用いてはならないと。
■[3]
・匪夷所思 fei3yi2 suo3 si1 [成語]一般の人の思いもよらない。常軌を逸していて、一般の人には想像もできない。
・瞠目結舌 cheng1mu4 jie2she2 [成語]目を見張り、口がきけない。呆気にとられて、ものが言えない。
・搶険 qiang3xian3 応急修理する。
・面目全非 mian4mu4 quan2fei1 [成語]様子がすっかり変わってしまう。見る影もなく変わり果てる。
・比附 bi3fu4 比べものにならないものを、強いて比べる
・顫巍巍 chan4wei1wei1 年寄りが、よろよろ歩くさま。
・不一而足 bu4yi1 er2zu2 [成語]一つだけではない。一度だけではない。
豆腐自身の誕生の過程での濃厚な化学的な雰囲気を除き、その72種類の、普通の人には思いもよらない変身の方法は、もっと人を呆気にとらせる。豆腐の製作過程は、一つ一つが驚きの連続で、先ず、石膏と豆乳が最初の親密な接触をし、本当の豆腐がまだ形成されない初期の段階で、「豆腐脳」という美味が、応急修理的に出現し、白いどろりとした液体を煮詰めていくと、表面に形成される薄い膜は、完全に姿を変えて湯葉となり、豆腐を四角に切って竹かごに並べ、一晩凍らせた後、陽の光で乾燥させれば、これは凍み豆腐(高野豆腐)になる。この他、水豆腐、干豆腐、油豆腐、黴豆腐、豆乳、豆干、臭豆腐(腐乳)……。凡そこれらから、食べ物、飲み物とは全く関係のない言葉を連想させられざるを得ない:それは「妖術」である。
豆腐が美味しいのは、それが固より清潔で、やわらかく、爽快で、滑らかであることの他、とりわけ、その本は形が無いものが様々な形になり、本は味の無いものが様々な味を吸収することができるという、この巧妙な絶技にある。
例えば、清貧な豆腐は、いつもそれを用いて、油っぽくて美味しいが、どうしようもなく俗っぽい肉と比べられ、或いは、いつもある種の曖昧な肉感を付与される。実は、四角い豆腐の外形とそのふわふわよろよろした姿を想像してみさえすれば、その淫らな意味合いは避けて通れないことが信じられるだろう。いわゆる「白きこと、玉の如し。なめらかなこと、凝脂の如し」、いわゆる「滋味は鶏豚に似たるも、鶏豚には此の美無し」と、一つだけではないのだ。
■[4]
・畢生 bi4sheng1 一生。終生。
菜食をしている者にとっては、豆腐とその様々な加工品は、肉類の最高の代用品である。精進料理の素火腿(ハム)、素鮑魚(アワビ)、素鶏、素鴨の類は、何れも豆腐で作られている。それゆえ、豆腐を食べ飽きた菜食主義者をちゃんと世話するのは、相当に難しい。道理で、香港の「功徳林」のコック長・潘義康が嘗て感慨深げにこう言ったものだ:「精進料理を作るのに、最も難しいのは、見かけが肉類と似た材料を捜すことだ」と。真に経験から出た話である。
孫中山(孫文)先生は革命家で、医師でもあったが、終生菜食を提唱した。「孫文学説」には、度々菜食の利点が述べられている。「それ、菜食は延年益寿の妙法であり、既に今日の科学家、衛生家、生理学家、医学家の共に認めるところである。中国の菜食者は、必ず豆腐を食すべし。豆腐は、実に植物中の肉料なり。この物は肉料の功あり、しかも肉料の毒無し。」
孫中山の革命思想、医学知識、及びその菜食主義の主張は、おそらく日本から来たものであろう。仏教が盛んに行われて後、歴代の天皇は皆、肉食の禁止の法令を発した。以来、明治5年になって、天皇が徳川家の手から引き継いだ、1200年の長きに亘り続いた「肉食禁止令」を解除したのは、「洋務」、つまり西洋の力を借りた近代化を行うためであった。私が推察するところ、日本の豆腐も異常に発達しているだけでなく、今日また中国という豆腐の故郷の市場を争いに来ることができるのは、おそらく歴史上の長期の肉食禁止と無関係ではあるまい。
肉感的な「豆腐脳」の他、広西・梧州には、おからで作った有名な軽食、“黴豆腐”、またの名を“広西猪肝”(豚のレバー)がある。私はこの“猪肝”を食べたことはないが、実際のところ、ある種の同性愛的な、或いは両刀使い的な匂いがする。
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
( ↑ 徳林の“素食”(精進料理))
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