■旧暦2月の行事
旧暦2月を古くは「仲春」と言い、この時の北京は春暖かで花開く季節の盛りに入っています。太陽真君が日々空高く上り、大地をくまなく照らし、万物を養育する恩沢を祈願し、旧暦2月1日に、北京人は太陽神を祭る行事を行いました。
この日の朝、天気はまだ寒くとも、四合院の中庭に祭壇を設け、上には太陽星君の神馬をお供えし、その前には三つの碗に太陽糕(もち米に砂糖を加えて蒸し、上に赤色の鶏星君法像を押印したもの)をお供えしました。
祭祀の儀式が始まると、家族の男性全員は男の主(あるじ)の号令の下、遥か東方をゆっくりと上ってくる太陽に向かい、香を焚きひざまずいてぬかずきます。儀式は単純ですが、見た感じ、たいへん厳かです。供物台の上のものは午後太陽が沈むと撤去し、年越しの時に門枠に貼った五色のお札といっしょに燃やしてしまいます。金持ちの家では更に頼んで一日『太陽経』を唱えに来てもらい、同時に斎戒(精進)します。
2月1日の太陽神を祭る儀式が終わると、続いて翌2月2日は民俗の節句、「春龍節」で、これは「龍抬頭節」とも呼ばれます。この日の主な行事は、「燻虫」、「引龍回」、「照房梁」、龍須麺や龍鱗(春餅)を食べる、などがあります。中国では昔、龍は聖なる動物で、害虫を駆除する力を持っていると信じられていました。そしてこの日、祭祀の時に用いた糕餅を油で焼いたり揚げたりし、その油の煙でベッドやオンドル、部屋の隅などの床を燻し、これを「燻虫」と言いました。これが終わると、四合院の内外で草や木の灰を撒き、これを「引龍回」と呼びました。最後に家の梁、壁などにろうそくの油を付け(「照房梁」)、サソリやムカデなどの害虫を駆除しました。要するに、これらすべては春分の日の害虫退治と家を清潔にするためのものでした。また、この日は人も、頭を剃る、或いは散髪して、頭をすっきりさせる日でした。この日に頭をきれいに剃ると、その年一年、頭の回転が良くなるとされました。
二月二剃龍頭,一年都有精神頭
引龍回
また2月2日には北京の人々にはもう一つ習慣があり、嫁に行った娘が里帰りするのを出迎える日で、俗に「接姑奶奶」(嫁いだ娘を迎える)と言い、気取って言う時は「帰寧」と言いました。しかし、結果としては「帰寧」、つまり実家に帰ってのんびりすることはできませんでした。嫁に行った娘がやっとのことで実家に帰っても、楽をすることはできず、あれこれ用事を言いつかることも少なくありませんでした。それに加え、兄嫁との間も気を使わないといけません。兄嫁は舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)との間であれこれ問題を抱えており、こうした「他人の家」に帰ってきても「安寧」を得ることはできなかったのです。
■旧暦3月、清明節(太陽暦では4月5日)
この月の主な行事は「清明節」。その前、1-2日は寒食節で、風習によれば火を使わず食事をします。古人は、春の青龍は東方に居り、火が盛んなのを恐れると考え、火を使ってはならないとしました。火を使わないもう一つの理由は、功成り身を退き、高官になろうとせず、最後は晋の文公に焼かれて死んだ介子推を哀悼するためです。飯を炊かずに、主に油で揚げた麻花(かりんとう)や馓子sǎnzi(小麦粉をこねて細く伸ばし、何本かより合わせて油で揚げたもの)を食べます。
馓子
先に揚げてあるので、十日や半月は保存できたのです。この時の四合院は、かまどから飯を炊く煙が上がらず、人の声さえあまり聞こえませんでした。というのも、皆外出してお墓参りに行くからです。金持ちの家の中には墓が郊外の風光明媚な地にあり、それに加え、この機会に「踏青」と言って、若草を踏んでハイキングをしました。
また、春の新鮮な野菜を包んで食べる、春餅も、この時期の楽しみです。
春餅
■5月5日、端午節
端午節はまた女児節でもあり、嫁に行った娘がこの日に実家に帰って、1日休息しました。この時の四合院の中は、「姑奶奶」の里帰り前からにぎやかでした。この日の行事は、多くが夏の気候と関係していて、四合院の門と母屋の門の枠にヨモギと菖蒲を吊るし、女の子はお札を身に着けたり、髪にザクロの花を挿したりしました。男の子の鼻や耳の孔には強い黄酒を塗って、春の虫の侵入を防ぎました。というのも、この季節は蚊が繁殖する時期で、家人の健康のため、こうした方法で魔除けと伝染病駆逐をした訳です。
端午節、門に菖蒲、ヨモギを挿し、邪鬼を払う
この日、機嫌が良いのは女の子や男の子だけでなく、お屋敷の水汲み、糞尿の汲み取り、ごみ捨てを含めた召使たちもご機嫌でした。というのも、屋敷の主人からいくらか節句のボーナスが出たからです。
この日、四合院の中では、祭祀行事も行われました。ただし、それが行われる場所は必ず四合院内の仏堂や祠堂といった場所でした。祭祀の対象は仏神だけでなく、祖先も含まれました。お供えの机の上に並べられたものも、季節のもので、粽、五毒餅(マイカイの花の餡入りのパイ生地の菓子で、サソリ、カエル、クモ、ムカデ、蛇の五種類の害虫の焼き印を押したもの)、クルミ、黒と白のクワの実などが並べられました。これらのお供えは、5月6日の朝まで並べておいてから撤去されました。
五毒餅
■旧暦6月の行事
旧暦6月の三伏(署伏)の頃は、二十四節気の大暑の頃(太陽暦の7月23日頃)に当たり、「貼伏膘」(三伏の日にしっかり食べて太る)と言って、美味しいものをしっかり食べ、体力をつけました。一つには、酷暑の季節で、汗をかきやすくなり、体力の消耗が大きいこと。二つには、この時期はちょうど季節の新鮮な料理の材料が多くあり、飲食内容を改善するのに適していたからです。
三伏の日は蒸し暑いので、部屋の中で食事をするよりも、テーブルと椅子を四合院の中庭の日陰に並べました。金持ちの家なら、中庭に日除けを架け、日中でも涼しく食事ができるようにしました。
「貼伏膘」の食事は、普段よりやや贅沢なものでした。例えば、烙餅巻鶏蛋(卵焼きを烙餅で巻いたもの)、打鹵麺(餡掛け麺)、炸醤麺、羊肉麺などを食べました。
烙餅巻鶏蛋