中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

沈宏非の食べ物エッセイ(3) ソーセージを賭ける

2010年05月30日 | 中国グルメ(美食)
                       賭香腸
                    ソーセージを賭ける

 杭州のキンモクセイの香り、広州の牛肉のホルモンの煮物(“牛雑”)、北京の風砂のように、ソーセージ(“香腸”)は台北の街角で最も普通に見かける軽食(“小吃”)である。一本のほど良く焼かれた丸々としたソーセージは、外側はパリッとして中は柔らかく、咬むと肉汁が溢れ、味は鮮烈で濃厚である。上等のローストしたソーセージは、金門島の高粱酒を注いで作られ、酒で心は憂い、再び炭火の上に置かれ、何度も寝返りを打って(“輾転反側”zhan3zhuan3fan3ce4)焼かれ、熱々のピリッとした酒の香りがしばらく寒風、冷雨の中に漂う。

  ソーセージのローストは通常、夜市や街角の横丁の隅で屋台の形で営業しているので、いつでも即座に食べられる(中国語で“立等可取”)食べ物と思われるが、ローストするには多少時間が必要である。よく見かける情景は、よだれを垂らしたお客が寒風の中にたたずみ、店主と店員(通常は家族でやっている)が煙にいぶされ火に焦げる(“煙燻火燎”)中、忙しく動き回り(“忙得不可開交”)、ソーセージだけが炭火の上に横たわり、やがてチッチッと熱い油を吹き出す。このような一種劇的な張力の三角関係の中で、ソーセージの美味がこのために増すことがなかったら、不思議である。

  ソーセージの屋台は元手が小さく利幅が大きいので、競争は熾烈である。業者は新しいソーセージの開発に苦心惨憺(中国語で“挖空心思”wa1kong1xin1si1)し、知恵を振り絞るが、最後は頑なに長年変わらぬやり方(“古道”)で一本一本、流行のソーセージをローストしていくのである。(“古道熱腸”という成語があり、「律儀で人情に厚い」という意味だが、それと掛け合わせている)アメリカ式のホットドッグが一本のソーセージを二枚のパンの間に挟む(*訳者注:ハンバーガーと勘違いしている?)としたら、台湾式のソーセージのローストは、それ自身が充填されてできたソーセージの一切合切を、更においしいもので満たしたり、おいしさを埋め込んだものである。有名なソーセージの屋台の商品は、二十種類余りに達する。レモン、香茶、炭焼き、麻辣、おろしニンニク、九層塔(九重の塔?)、黒コショウ、蜂蜜、チーズ、わさび、更にはチョコレート味のものまである。ここでは、ソーセージは、その他の内容を盛り込み伝播する一種の媒体、ひとつのプラットフォームになっている。或いは、もっと正確な言い方をするなら、一本の肉でできた「パイプ」(“管道”)である。こうした益々拡大する流量を処理するため、ソーセージ自身がキャリヤー(“載体”)となり、より幅広で太くなる傾向にある。これと比べると、広東式の腸詰(“広式臘腸”)はかわいいものである(“柔腸”「やさしい心」の意味)。私は遅かれ早かれ、台北人はホットドッグを作る時に、台湾式ソーセージをパンに挟むようになると思っている。

  ソーセージのローストは食べるだけでなく、遊ぶこともでき、ソーセージの屋台はいつでもおいしさ溢れるゲームの場に変化する。あの移動式のソーセージ屋台では、店の主人と「ソーセージを賭けて」のゲーム、俗称“西巴拉”をすることができる。双方は順番にお椀の中にサイコロを投げいれ、勝ち負けは皆ソーセージである。一般に、このような小さな賭場では親(“庄家”)が有利だが、ソーセージの美味はしばしば、腹ぺこ(“飢腸轆轆”ji1chang2lu4lu4)の、或いはほろ酔い(“酒酣耳熱”jiu3han1er3re4)の客に、何でも怖いもの無し(“百無禁忌”bai3wu2jin4ji4)の、そして勇往邁進(“一往無前”yi1wang3wu2qian2)の気持ちでサイコロを投げさせる。こういう状況では、おごらされるのはいつもソーセージの屋台の主人である。とことん(“欲罷不能”)勝った時には、食べきれない程のソーセージは、屋台の席に座っている、眼に付いた客たちに手伝ってもらって食べ尽くすのである。ついている時は、車一杯のソーセージ分勝って、その場で大宴会、宴席の主は愉快に友好的な雰囲気の中で何度も杯を挙げる。ふと振り返ってみると、たった今まで何度も「数字戦略のゲーム」をした敗者が空っぽの車を押して、ひとり灯火の消えかけた夜の闇の中に消えていく。もちろん、車を押して帰れるのはまだ幸せで、向こう見ずな相手に出会うと、車ごと負けて取られるに至る。このような悲惨な時にも、彼はひとり家に帰る、自分の足で歩いて。

 夜市にはこういったゲームがたいへん多い。万華の、和食屋台“寿司王”の主人は、一方の手で寿司を握りながら、もう一方の手で私たちの後ろの“気槍射香煙”(空気銃でタバコを撃つ)の屋台を指さした。「こんなに近い距離で、こんなに大きな的なのに――信じられないだろうけど、当たらないんだ。商売を始めてから今日まで、私は一発も撃ったことはないけど、毎晩ここに立っていると、たくさんの常識派の人がポケットの中の最後の一円まで負けている。彼らは本当はどれだけ寿司を食べられただろう。」彼の感慨深げな話を聞いて、厦門の肉粽店の主人のことを思い出した。テーブルが二つ三つしかない店を経営しているのだが、なんとマカオで一千万以上負けてしまった。イギリスの小説家Alain de Bottonは《水の如き年月の追憶》の中の最も長い文章は、標準字体で印刷すると4メートルに達し、ワインのボトルの底を十七周できると算出したが、私も計算してみようと思うのは、一千万人民元を全部肉粽に換算し、その米粒を一粒一粒並べたら、厦門から一路マカオまで、芳しい香りを漂わせて敷き詰めることはできないだろうか。

【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社2000年9月より翻訳

沈宏非の食べ物エッセイ(2)ちまき(粽子)と怨念

2010年05月29日 | 中国グルメ(美食)
  6月16日は農暦の5月5日、端午節である。沈宏非の食べ物エッセイの第2回として、端午節にちなんだ食べ物、ちまき(中国語で“粽子”zong4zi)を取り上げる。

                    比粽子還寃
                 
ちまきよりもっと恨めしい

 ちまきは月餅と同様、漢民族の季節(“節令”)の食品の代表である。これらは、2種類の異なる食物だが、一年のなかで2つの異なる節季に属し、また漢語文化のなかで二つの異なる隠喩である。ひとつははるか天空を指し、もうひとつは逆に水の底に隠れる。

  笹の葉を剥き、月餅を切って割れば、それに続くのは中国家庭共通の一家団欒の暖かいひとときである。しかしながら、ちまきと月餅の由来は決してそんなに暖かいものではなく、却って深い憎しみ、不安、不当な扱いや暴力で満ち溢れている。“月餅”ということばは、最も早くは《夢粱録》に出てくるが、しかし南宋に到るまで中秋節の食品は季節の瓜や果物が中心で、月餅はあまり普及しておらず、少なくとも、まだ風俗習慣を形成していなかった。月餅業界で信じるに足る歴史となっているのは、むしろ《野客叢談》に記載されている民間のひとつの歴史説話である。「元の至正26年夏……中秋節に至っての佳話。劉伯温は月餅の内に“八月十五殺韃子”(8月15日に韃靼人を殺せ)の書付を隠し、互いに連携して蜂起し、各地の胡人は是の日の夕刻皆殺傷された。中秋の夜、民間では夜飲せざるは無く、酒興に乗じて之を為し、勢い破竹の如きのみ!胡人は漢字を識(し)らず、因りて覆亡せらる。」

 端午節の由来については、端午節は、最も古い言い方では、その起源は上古三代の“蘭浴”に由来する。《大載礼記・夏小正》の解釈によれば、“五月五日蓄蘭為沐浴”(5月5日に蘭の花を集めて沐浴する)。目的は“此日蓄採衆薬,以触除毒気”(この日集めた薬で擦って毒気を除く)為であった。古人は、5月5日は陽気が極限に達し、万物が繁茂し、正に“毒気”が最も盛んとなる日であると信じていた。しかし、素朴な“天人感応”(神様が感応する)は、その後中国人の風俗の複雑な“人人感応”(人々が感応する)に取って代わられた。伍子胥を記念する、というのは各種の伝説のなかのひとつである。伍子胥は呉王闔閭を補佐し覇業を完成させた功臣だが、闔閭の死後、伍子胥は次第に寵を失い、新呉王の夫差は太宰伯嚭の讒言を信じ、剣を賜い彼を自尽させ、彼の死体を5月5日に銭塘江に沈めた。これより江蘇、浙江一帯の人々は毎年5月5日にこれを祭った。

 伝聞のその二は、蔡邕の《琴操》に見られる。「介子綏は其の腓股を割きて以って重耳に嚼(か)ましむ。重耳が国に復(かえ)り、子綏独り得る所無し。綏甚だ怨恨し、乃ち龍蛇之歌を作り以って之に感じ、遂に遁げて山に入る。文公驚き悟り之を迎えんとするも、終に出ずるを肯んぜず。文公は燔山に令して之を求めしむるも、子綏は遂に木を抱きて焼死す。文公は民に令して五月五日は火を発するを得ずと。」

 伝聞の三は、《会稽典録》に見られる。「女子曹娥は、会稽上虞に上る。父は弦歌を能くし、巫(祈祷師)となる。漢の安帝の二年五月五日于県江沂にて、涛(大波)が波神を迎え溺死し、屍骸を得ず。娥は年十四、乃ち江の縁にて号泣し、昼夜声を絶えざること七日、遂に江に投げて死す。」

 記念されている者が男であれ女であれ、民であれ官であれ、これらの人が皆、共同の死因を持っていることを見つけるのは、難しいことではない。それはひとつの文字、“冤”(恨み)である!もちろん、端午の民俗で最もpopularで、最も教育的意義があり、最もちまきの発生と直接関係するのは、“屈原記念”説である。
 伍子胥、介子綏、曹娥の3人の男女の“冤友”(恨み友達)と比べ、屈原が実は最も激しい恨み辛みで死んだとはいえない。たとえ伍子胥、介子綏、屈原の3人が皆“投入与回報”(投入とそれへの報い)の高度の不対称により死んだにしても、“投入”ということについて言えば、屈原が楚国にした貢献は、伍子胥の呉、介子綏の周に遠く及ばない。しかし私から見て、最も恨んで死んだのは、上記の3人の男でもなければ、少女の曹娥でもなく、曹娥の父親である。ひとりの漢代の“神職者”として、曹娥の父は“涛迎波神溺死”、大波にのまれて溺死したことにより、恨みはこの伝説の中の“波神”を恨むのだが、それは他でもなく、正に“四大端午冤魂”のひとつの伍子胥である。“波神”という栄光の称号は、江蘇、浙江の民衆が伍子胥の死体が銭塘江の中に沈められた後、彼に贈ったものだ。

  何れにせよ、この四人は皆5月5日(曹娥の父が溺死したのはこの日で、曹娥本人は七日後に江に身を投げた)に死んだのだが、しかしただ屈原ひとりの死が直接、或いは間接に私たちがちまきを食べるという風俗習慣を創造し維持することとなった。端午にちまきを食べることの“屈原記念”説は、梁呉均の《続斉諧記》にはじめて見られる。「屈原は五月五日汨羅水に投ず、楚人之を哀しむ。此の日に至り、竹筒に米を貯えしを水に投じ以って之を祭る。漢の建武に中り、長沙の区回は忽ち一士人の自らを三閭大夫と云うを見る。回に謂いて曰く、君祭を見るに当たり、甚だ良しと聞く。常年跤龍(みずち)に窃まれし所、今若し恵み有れば、楝(おうち、栴檀(センダン))葉を以て其の上を塞ぎ、緑糸を以て之を纏え。此の二物は跤龍の憚(はばか)る所と。回、其の言に依る。今五月五日粽を作り楝葉、五花絲を帯びるは、遺風也。」
 屈原は紀元前278年の農暦五月初五に死んだ。この点についての異論はあまり無い。しかし、「跤龍の憚る所」という言い方については、ある人は懐疑的な態度をとっている。例えば、聞一多教授は生前ずっと、ちまきや龍船(ペーロン)を含む種々の端午の儀礼は、実際は「龍をトーテム(中国語で“図騰”)として崇拝する民族が先祖を祭る日」と関係があると考えていた。つまり、江の中に沈めるちまきはただ単に跤龍を祭る為で、水の底で爆雷としてあの屈原に不利な跤龍を「威嚇」したり彼らの注意力を移すものではない。

  端午にちまきを食べることの“屈原記念”説は全部が全部信じられないが、“屈原記念”説自身についても、歳月を経て民間の語り伝えのなかで免れがたい変異が生じた。最も顕著な変異は、“跤龍”が魚やエビに変わり、「跤龍に憚る」は「魚やエビに食べさせる」に改められた。小さい時に大人が言うのを聞くと、ちまきを水の中に投げ入れるのは、屈原の死体が“魚”に食べられないようにする為だと言われた。湖南省の旅行宣伝資料には、次のように説明されている。「言い伝えによると、この地の人は(屈原が江に身を投げ国に殉じた)しらせを聞いてたいへん悲しみ、次々船を出して救助に行った。人々は屈原が魚に食べてしまわれるに忍びず、米を笹で包み江中に投げ入れ、魚のえさとした。」或いは曰く、「人は江の中の魚やエビが屈原を食いちぎるのを恐れ、船を漕いで屈原を救助に行くと同時に、自分の船のちまきを江に投げ入れ、魚に食べさせた。これより中華民族が端午に龍舟を漕ぎ、ちまきを食べる風俗習慣が形作られた。しかし一代の愛国詩人は生きて帰ることができず、屈原が江に身を投げてから数日が経ってから、漁民に引き上げられたが、頭部は既に魚に一部分が食いちぎられ、そのむすめの娘婿が彼の為に金でできた頭 半分を添えて埋葬した。娘婿は墓を暴き金の頭を盗む者がいるのではないかと疑い、遂に薄絹のスカートに土を入れ、疑塚(偽の墓)を築いたところ、神助に逢い一夜にして十二の疑塚が築き上げられた。」
 この十二の疑塚(二十の小山型の土の山であり、また二十個の巨大なちまきにも似ている)は汨羅市の西北4キロの汨羅江北岸の玉笥山東5キロのところの汨羅山上にちらばっており、土の山の前には「故楚三閭大夫の墓」の石碑が立っている。

 「龍に憚ろ」うと「魚にえさを与え」ようと、目的は皆祭祀の為で、死者の魂を呼び戻す為である。実際、屈原の時代の楚文化の伝統により、屈原本人は死に臨んで既に自分の為に2篇の招魂の文字材料を準備していた。即ち《楚辞》のなかの《招魂》と《大招》である。これらの文字の中で私たちが発見できるのは、死者の魂を呼び戻す作業に用いる必要のある素材はたいへん煩雑で、ぜいたくだと言うことができる。食べるという項目だけでも、“五穀雑糧、豚犬亀鶏、飛禽走獣、美酒佳醸”を含んでいる。これと同時に、魂が帰ってくるのを待つのに更に16人の「赤い唇白い歯、豊満だが骨は華奢。腰が細く首がほっそりし、行いが見目麗しく、体が美しく、目が美しくはにかみやであり、客あしらいの上手な」美女の捧げものが含まれ、この尊敬すべき遊魂に「勝手気まま」にしてもらう。真剣に《楚辞》を研究をし出してから、毎回ちまきを食べる度に、皿の中のあの小さな固まりが貧乏臭い葉っぱ包みの米に見えて、たいへん申し訳なく思う。しかし私は、それでも水の中にちまきを投げ込むという方法で溺死者の霊魂を呼び戻すのは、まだ良い味わいを失っていないと思う。少なくとも、私たちが今日忙しく水中から「ブラックボックス」(中国語で“黒匣子”)を引き上げるのに比べると、ずっと優雅である。

 もちろん、端午とちまき同様、《楚辞》のこの2篇の招魂に関する文章が果たして屈原の“原作”かどうか、文学者、歴史学者の間でずっと大きな論争となってきた。

                      天下無双

 屈原が身を投げたのは汨羅江(江西修水県に源を発し、西へ流れ湖南平江県、汨羅市を経て、汨水と羅水が湘陰県で合流した後、湘江に入る)であり、楚の都の郢は湖北江陵県であるが、今日の市場で最も流行しているちまきの発祥の地は、湖南でも湖北でもなく、浙江の湖州である。

  種類のうえでは、ちまきはおおよそ“京、浙、川、閩、粤”(北京、浙江、四川、福建、広東)の五大流派に分けられる。浙江の“湖州粽子”はちまきの王と公認されている。嘉興“五芳斎”の製品は湖州と嘉興のちまきを主に作られている。ここ数日、広州の各大型スーパーをぶらついてみれば、ほとんど全てのちまきを売るカウンターには、“五芳斎”の製品であふれていた(中国語で“満坑満谷”)。この“過江龍”(川を渡ってきた龍)の暴威の下、広東原産の“裹蒸粽”(guo3zheng1zong4 包んで蒸したちまき)は首をすくめてしまった(中国語で“縮頭縮脳”)かのように見える。この“地頭蛇”(その土地の顔役、ボス)もかつては大いに勢いがあったにもかかわらず。“南史大官進裹蒸,今之角黍也”(南史の大官が進貢した裹蒸は、今日の角黍である)《表異録》。ひとりの浙江人として、金庸は彼の小説の中で、これまで“湖州粽子”をほめたり広めたりする機会を作ったことがない。「韋小宝はひとしきり肉の香りと砂糖の香りを嗅いだ。双儿は両手で木の盆を捧げ持って、腕で帳を跳ね上げた。韋小宝は皿に4個の葉を剥いたちまきが置かれているのを見て、内心大いに喜んだ。箸を取って口に食べると、口に入れた時の甘さといったら、他に比べようもない。彼は二口で半分を食べてしまい、言った。「双儿、これはどうも湖州のちまきの様だ。味が本当に良い。」浙江湖州産のちまきは米が柔らかく餡がおいしく、天下に並ぶものが無い(“天下無双”)。揚州、湖州のちまき店、麗春院は、妓楼に上がる客があると、いつも韋小宝に使い走りをさせて届けさせた。ちまきは丸々一個、熊笹の葉で包まれ、韋小宝が盗み食いをしようにも元々非常に困難なのだが、彼はいつもちまきの角から飯粒を絞り出し、味見をした。自分が北方に行った後は、この湖州のちまきは食べられなくなった。」

 金庸が言いたかったのは、実は、湖州のちまきは、天下に並ぶものが無く、妓楼の遊び客が好んだだけでなく、侠客も好んだということだ。《神雕侠侶》では、「甘いのはラードと小豆餡、塩辛いのはハムと新鮮な豚肉で、本当に美味しいことといったら他と比べようが無く、楊過は食べながら拍手喝采した。」黄薬師の閉門させられた弟子の程英が自ら作った“天下馳名”、江南粽子を食べてからは、楊過はちまきを使って彼女といちゃつこうとし、食べ残したちまきをひもでくくって投げつけ、彼女が“既見君子,云胡不喜”(君子に出会ったからには、うそを言うのは好まない)とかなんとか書いた紙切れを貼り付け、ちまきを家に届けようとした。

 湖州粽は、実際は、見た目は良いが美味しくなく、直す薬の無い程の肉食主義者として、閩南(福建省南部)の肉粽が私は一番好きである。なぜかというと、それは大きくて、十分に“焼”(煮たり炊いたりして熱を加えること)されていて、心から堪能できるからである。実際、閩南の肉粽の他は、北京風と浙江系のちまきはちょっと甘すぎる。もちろん、ちまきはその始まりから味は甘すぎるのであり、《資治通鑑》の宋紀十二によれば、「癸酉、帝自ら羽林の兵を帥いて義恭を討ち、之を殺し、並びに其の四子を殺す。義恭の肢体を断ち、腸胃を分かち、眼を抜き取り、以って之を蜜漬けにし、之を“鬼眼粽”と謂う」と。閩南では蜜漬けが盛んに作られているが、未だかつて蜜漬粽というものは無い。肉粽は最上のもち米を選んでさっと炒め、豚肉は脂が三層になった塊を選んで醤油で煮込み、更に酒、醤油、ごま油で香ばしく炒めたしいたけ、蓮の実、塩卵の黄身、エビ、菜脯(漬物)、鹵肉汁(肉を煮込んだ煮汁)と少量の白砂糖を加える。豪華版は、更に干し貝柱、干しハマグリを加え、最後に笹の葉でくるんで蒸し、蒜泥(おろしニンニク)、芥辣(からし)、紅辣醤(唐辛子味噌)、蘿卜酸(ダイコンの漬物)等の調味料に浸して食べると、肉の香りと米の香りが溶け合って一体となり、豊満甘美、大変すがすがしい。

 肉粽は閩南語では“焼肉粽”と言うが、実際はここで言う“焼”の字は料理の仕方ではなく、かならず熱々を食べないといけないということを強調している。外省人がいきなりそれを聞くと、閩南語の“肉粽”二字の発音は、普通語の“螞蚱”ma4zha(いなご)に多少似ており、実際、その大きさのことを言うと、“焼肉粽”を太った雌鶏とすると、湖州や嘉興のちまきは本当に“螞蚱”(いなご)に成り下がってしまう。後者の小ぶりな姿かたちは、魯迅の言い方に倣えば、中国の昔の婦人の“小粽子式脚儿”((纏足をした)ミニちまきのような足先)のようだ。

  【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年

中国語の修辞:色彩の配合(2)ことばの語体的色彩の配合

2010年05月28日 | 中国語
  人々はことばを運用する時、いつも一定のコミュニケーションの内容、目的、場面に基づき、一定の表現形式を選定する。選定されたある種の表現形式は、コミュニケーションの対象に適応しているだけでなく、特定の言語環境の制約も受けている。ことばの種々の表現形式の運用は、次第に安定し、異なった語体類型を形成する。全体的に言うと、語体は一般に口語体と書面語体の二つに分かれる。口語体には談話語体と演説語体が含まれ、書面語体には事務語体、科技語体、政治語体、文藝語体が含まれる。

 異なった語体はことばの配合の面でそれぞれ異なった特徴を有する。あることばは通常ある種の語体で使用され、その他の語体では使用されず、これらのことばもある種の語体の特殊な色彩を帯びている。例えば、“快活”、“哆嗦”(duo1suo ぶるぶる震える)、“生気”は口語体の色彩を帯びている。一方、意味のよく似た“愉快”、“顫慄”(zhan4li4、“戦慄”とも書く)、“憤懣”は書面語体の色彩を帯びている。また同様に“書信”の意味では、“函”は事務語体の色彩を帯び、“書簡”は文藝語体の色彩を帯びている。

  ことばの語体的色彩と感情的色彩はしばしば関連している。ある種の語体的色彩を帯びたことばは、しばしば一定の感情的色彩を帯びている。例えば書面語体的色彩を含んだことばで、“瞻仰”(zhan1yang3 仰ぎ見る)“視察”“莅臨”は褒義(ほめる意)を帯び、“囂張”(xiao1zhang1 悪い勢力や悪人がはびこる)“伎倆”(ji4liang3 やりくち)“卑劣”は貶義(けなす意)を帯びる。口語体的色彩を含んだことばでは、“勤快”“厚道”(hou4dao 温厚である)“本事”は褒義を帯び、“鬼混”“胡扯”(hu2che3 でたらめを言う)“無頼”は貶義を帯びる。私たちがあることばにある種の感情的色彩や語体的色彩を込めてものを言う時は、これはある角度から言っているのであって、このことばはひとつの色彩しか含んでいないと言っているのではない。

  ことばの語体的色彩と、ことばの成分と出所は一定の関連がある。一般的に言って、方言は口語体的色彩を帯びるが、これは方言が人々の日常のことばの中で使われているからである。外来語や古語は書面語体的色彩を帯びている。これは古語や外来語は書面語の力を借りて流入し使われているからである。書面語体の中で、文藝語体は一定の方言を使用している。事務語体にはしばしば古語が出現する。外来語は科技語体や政治語体の中でよく出てくる。

 正確に語体的色彩を帯びたことばを使用するのはたいへん重要である。なぜなら、それによって思想感情を適切に表現できるだけでなく、内容の表現に適応したことばの雰囲気を形作り、ことばの影響力を増すことができるからである。
 例えば、葉聖陶は《相濡以沫》の中で言う:
(16)各界的人不経邀約,不凭通知,各自跑来瞻仰魯迅先生的遺容,表示欽敬和志願追随的心情。
 この文で、葉聖陶は“邀約”“瞻仰”“遺容”“欽敬”“追随”等の書面語を用いて、魯迅が逝去した厳粛で重々しい雰囲気を表現し、各界人士の魯迅に対する敬慕、敬愛の感情を表現している。

 上の例では、書面語体の色彩を帯びたことばを使うことは、適当である。しかし、もし農民や労働者に宣伝するのであれば、農民や労働者がよく知ったことばを選ばなければならない。つまり、大量の口語体的色彩を帯びたことばを運用してこそ、道理をわかりやすく、生き生きと話すことができ、内容は奥深いが表現はわかりやすく(中国語で“深入浅出”)してこそ、あるべき宣伝効果を上げることができる。
 毛沢東は《湖南農民運動考察報告》の中で次のように農民に迷信を打破するよう宣伝している:
(17)信八字走好運,信風水望墳山貫気。今年几个月光景,土豪劣紳貪官汚吏一斉倒台了。難道這几个月以前土豪劣紳貪官汚吏還大家走好運,大家墳山貫気,這几个月忽然大家走壊運,墳山也一斉不貫気了嗎?土豪劣紳形容你們農会的話是:巧得很羅,如今是委員世界呀,你看,啊尿都碰了委員。的確不錯,城里、郷里、工会、農会、国民党、共産党無一不有執行委員,確実是委員世界。但這也是八字墳山出的嗎?巧得很!郷下窮光蛋八字忽然都好了!墳山也忽然都貫気了!神明嗎?那是很可敬的。但是不要農民会,只要関聖帝君、観音大師,能够達倒土豪劣紳嗎?那些帝君、大士們也可怜,敬了几百年,一個土豪劣紳不曾替你們打倒!現在你們想減租,我請回你們有什麼法子,信神呀,還是信農民会?

 ここで農民のよく知っていることば、例えば“八字”、“走運”、“風水”、“貫気”、“光景”、“倒台”、“啊尿”等々で革命の道理を宣伝している。これらのことばは口語的色彩を帯びており、農民と腹を割って話し(中国語で“談心”という)といるかのようで、農民にはたいへん親しみ深く感じられ、したがってこの話は、“説得農民都笑起来”(話すと農民は皆笑い出し)、たいへん良い修辞効果を上げることができたのである。

 文藝作品の中で、口語を使うことが多いのは、小説、話劇、民間文学である。一方、書面語が比較的多いのは、散文、雑文、詩歌である。文藝作品で使用される書面語には特徴があり、文藝語体の色彩が濃厚で、科技、事務、政治等の語体の中に現れることは稀である。例えば:
(18)我家的新嫂子,
   有点嘴皮碎,
   碰到三嬸二大娘,
   澇澇叨叨不住嘴,
   “俺家那口子,
   好像不知累,
   白天去忙隊里活,
   夜間又尽開啥会。
   要他辧点家里事儿,
   不知要等到哪一輩子!
   哪天跟他坐下来,
   定要評個是和非!”

(19)也許
     你們心上的世界
     如藍天那様
            明而単純
     就連夢
     都像百花盛開的曠野
                  那般清新……
    然而迎接你們的
     都不尽是
           小鳥的
               悦耳的歌声
     在前進的道路上
     還常有
         凄的風雨
                和雷的轟鳴……

 前者の詩は農民の口ぶりで書かれており、口語を用い、読んでみると親しみやすく、感動させる。後者の詩は広く青年向けに書かれ、書面語が多く使われている。これら書面語は文藝語体で常用され、例えば、“心上的世界”、“明而単純”、“百花盛開的曠野”、“那般清新”、“ 悦耳的歌声”、“凄的風雨”等、イメージが生き生きとして、叙情的な香りが濃厚である。以上から、異なった語体的色彩のことばの運用により、生み出される雰囲気や格調が異なることがわかる。

 語体により、その語体の色彩を帯びたことばを使用する、そうでないと、使っていることばが語体と調和せず、どっちつかず(中国語で“不倫不類”bu4lun2bu4lei)になってしまう。もし上の例の詩句を公告や中間報告といった事務語体の文章に使ったり、口語のことばを科技語体や政治語体の文章に使うと、読んでみた時に思想内容と表現形式が調和しない。

 ある種の語体的色彩のことばは一般に相応の語体にのみ適用するが、語体的色彩を帯びたことばの中には、時には一定の融通性を持ったものがある。ある種の語体の中に、故意に少量の別の語体的色彩のことばを使うことで、たいへんよい表現効果を得ることができる。趙樹理は少量の政治用語を自分の小説の中で用い、それによりユーモラスでふざけた感じや、辛辣で味わいがある感じにするのが巧みであった。例えば:
(20)他們談到以后該怎麼様辧,燕燕仍然幇着艾艾和小晩想辧法,他們両個也願意幇着燕燕,叫她重跟小進好起来。用外交上的字眼説,也可以叫做“定下了互助条約”。

(21)霊芝和有翼開玩笑説:“你爹的外号不簡単,有形成階段,還有鞏固和発展階段。”

(22)她既然只把張信当成她過度時期的丈夫,自然就不能完全按“自己人”来対待他,因此她安排了一套対待張信的政策

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年より翻訳

第二回中米戦略と経済対話開幕式での胡錦涛主席スピーチ(全文)

2010年05月26日 | 中国ニュース
          努力推動建設21世紀積極合作全面的中美関係
   
(21世紀の積極的、協力的、全面的中米関係の建設推進に努力しよう)
  在第二輪中美戦略与経済対話開幕式上的致辞(2010年5月24日 北京)
              中華人民共和国主席 胡錦涛

■ 克林頓国務卿,
  蓋特納財長,
  各位来賓,女士們,先生們,朋友們:
 第二輪中美戦略与経済対話今天在北京開幕。首先,我謹対遠道而来的美国朋友,表示熱烈的歓迎!本輪対話是在国際政治経済形勢出現新変化、中美関係発展面臨新机遇的重要時刻挙行的。推動本輪対話取得積極成果,対我們両国都具有重要意義。希望双方囲繞共同関心的全局性、戦略性、長期性問題坦誠交流、深入溝通、増信釈疑,推進合作。
・坦誠 tan3cheng2 率直で誠意がある
・増信釈疑 zeng1xin4shi4yi2 信頼を強め、疑いを取り除く

  クリントン国務長官、ガートナー財務長官、来賓の皆さん、紳士淑女の皆さん、友人の皆さん、
 第二回中米戦略と経済対話が今日北京で開幕した。最初に、私は謹んで、はるばる遠方より来られたアメリカの友人に、熱烈な歓迎の意を表する。 今回の対話は、国際政治形勢に新たな変化が出現し、中米関係の発展が新たなチャンスに遭遇した重要なタイミングで開催される。今回の対話を推進し積極的な成果を得ることは、私たち両国にとって重要な意味を持つ。双方が共に関心を持つ全体的、戦略的、長期的問題をめぐって、率直で誠意ある交流を行い、意志疎通を深め、信頼を強め、疑いを取り除き、協力を推進することを希望する。

■ 女士們、先生們!一年多以前,我同奥巴馬総統在倫敦首次会晤,我們一致同意,共同努力建設21世紀積極合作全面的中美関係,為新時期中美関係的発展確立了目標。這以后,我同奥巴馬総統多次会晤,特別是去年11月,奥巴馬総統成功訪華,双方発表《中美聯合声明》,為中美関係発展提供了政策框架。中美本着同舟共済精神,合作応対歴史罕見的国際金融危机,進行相関宏観経済政策協調,推動二十国集団領導人金融峰会取得積極成果,為推動世界経済復蘇作出重要貢献。中美推動双辺経貿関係向前発展,加強新能源、清潔能源、節能減排、提高能効等領域互利合作,夯実交流合作基礎。中美就重大国際和地区問題保持溝通和協調,同各方一道推動妥善解決地区熱点問題。中美同各方一道応対日益増多的全球性問題,為国際社会応対気候変化、大規模殺傷性武器拡散、重大自然災害等挑戦発揮了積極作用。
・会晤 hui4wu4 (首脳が)会見する。会談する
・同舟共済 tong2zhou1gong4ji4 同じ船に乗っている人々は互いに助け合う。同じ事に当たっている人々が互いに力を合わせて難関を切り抜ける譬え。
・夯実 hang1shi2 突き固める
・同各方一道 tong2ge4fang1yi1dao4 相手方といっしょに

 一年余り前、私はオバマ大統領とロンドンで初めて会談し、共同で21世紀の積極的協力的全面的中米関係の建設に努力し、新時代の中米会計の発展に目標を確立することに一致同意した。これ以降、私はオバマ大統領と何度も会談し、特に昨年11月、オバマ大統領の訪中が実現し、双方は《中米共同声明》を発表し、中米関係発展に政策の枠組みを提供した。中国とアメリカは助け合いの精神に基づき、歴史上稀に見る国際金融危機に協力して対応し、マクロ経済に関わる政策協調を行い、G20金融サミットが積極的成果を上げるよう推進し、世界経済復興に重要な貢献を推し進めた。中国とアメリカは二国間の経済貿易関係を前向きに発展させ、新エネルギー、クリーンエネルギー、省エネ排出削減、エネルギー効率向上等の領域で相互協力を推し進め、交流協力の基礎を固めた。中国とアメリカは重大な国際的及び地域性の問題について意志疎通と協調を維持し、相手方といっしょに地域の問題の適切な解決を推進した。中国とアメリカは相手方といっしょに日増しに増加するグローバルな問題に対応し、国際社会のために気候変動、大規模殺傷兵器の拡散、重大な自然災害等の挑戦への対応で積極的な役割を果たした。

■ 毋庸置疑,中美国情不同,双方難免存在一些矛盾和分歧,関鍵是要尊重和照顧対方的核心利益和重大関切,妥善処理相互之間存在的一些敏感問題,不断増強互信基礎。
・毋庸置疑 wu2yong1zhi4yi2 疑うべくもない。“毋庸”は書面語で“~する必要がない”の意味。“置疑”は“疑いをさしはさむ”意味で、否定文に用いる。

 疑うべくもないが、中国とアメリカは国情が異なり、双方に矛盾や意見の不一致が存在するのは免れ得ない。大切なのは相手方の中心となる利益と重大な関心を尊重し配慮し、相互に存在する敏感な問題を適切に処理し、絶えず相互信頼の基礎を増強することである。

■ 女士們、先生們!当今世界正処在大発展大変革大調整時期。世界多極化和経済全球化深入発展,国際金融危机影響継続顕現,全球性問題突出,国際和地区熱点問題此起彼伏。継続推進人類和平与発展的崇高事業,需要世界各国人民加強合作。中美作為聯合国安理会常任理事国,分別作為世界上最大的発展中国家和最大的発達国家,無論是在推動世界経済全面復蘇和可持続増長方面,還是在処理地区熱点、応対全球性挑戦、維護世界和平与安全方面,都面臨着共同課題、肩負着重要責任。中国高度重視発展対美関係,発展長期健康穏定的中美関係,符合両国人民共同意願、順応時代発展潮流,也有利于亜太地区乃至世界和平、穏定、繁栄。
・此起彼伏 ci3qi3bi3fu2 一方が下火になれば他方が盛り上がる。ひっきりなしに起こる

 皆さん、現在、世界はまさに大発展、大変革、大調整の時期にある。世界の多極化と経済のグローバル化が更に進み、国際金融危機の影響が継続して現れ、グローバルの問題が突出し、国際的に地域的にホットな問題はひっきりなしに起こっている。人類の平和と発展の崇高な事業を引き続き推進するには、世界各国人民が協力を強化することが必要である。中国とアメリカは国連安保理の常任理事国であり、各々世界最大の発展途上国と最大の先進国であり、世界経済の全面復興と持続可能な成長の推進の面であれ、地域問題の処理、グローバルな挑戦への対応、世界平和と安全の維持の面であれ、共同の課題に直面し、重要な責任を担っている。中国は対米関係の発展を高度に重視し、長期に健全な安定した中米関係を発展させることは、両国人民の共同の願いに符合し、時代の発展の潮流に順応し、アジア太平洋地域、乃至は世界の平和、安定、繁栄に有利である。

■ 我們要堅持中美関係的正確方向。無論国際風雲如何変幻,無論遇到什麼困難、遇到什麼干擾,我們都要従戦略高度和長遠角度出発,牢牢把握和精心維護共同努力建設21世紀積極合作全面的中美関係這一目標,培育戦略互信,加強戦略合作,妥善処理分歧,促進両国在双辺、地区、全球層面的溝通、協調、合作。

 私たちは中米関係の正しい方向を堅持しなければならない。国際的な風向きがどのように変わろうと、如何なる困難に遭遇しようと、如何なる干渉に遭遇しようと、私たちは戦略的な高度で長期的な角度から出発し、共同で21世紀の積極的、協力的、全面的中米関係を建設するという目標をしっかり把握し、心から維持し、戦略的相互信頼を培い、戦略的な協力を強化し、意見の不一致を適切に処理し、両国の二国間、地域、グローバルの各レベルでの意志疎通、協調、協力を促進しなければならない。

■ 我們要尊重彼此核心利益和重大関切。主権独立和領土完整是国際関係基本准則賦与一国的最基本権利。対中国人民而言,没有什麼比維護国家主権和領土完整更為重要。相信経歴過南北戦争的美国人民,不難理解統一対一個国家多麼重要和珍貴。

 私たちは互いの最も重要な利益と重大な関心事を尊重しなければならない。主権独立と領土保全は国際関係の基本原則が賦与する一刻の最も基本的な権利である。中国人民について言えば、国家主権と領土保全より重要なものは無い。南北戦争を経験したアメリカ人民にとって、統一国家が如何に重要で貴重なものかを理解することは難しくないと信じる。

■ 我們要尊重各国自主選択発展道路的権利。応該承認各国文化伝統、社会制度、価値観念、発展理念等方面的差異,努力推動不同文明和発展模式取長補短、相互促進、共同発展,不応該以一種模式来衡量豊富多彩的世界。
・取長補短 qu3chang2bu3duan3 長所を取り入れ短所を補う
・豊富多彩 feng1fu4duo1cai3 多種多様である

 私たちは各国が自ら発展の路線を選択する権利を尊重しなければならない。各国の文化の伝統、社会制度、価値観念、発展理念等の面の差異を認め、異なった文明と発展モデルの長所を取り入れ短所を補い、相互に促し、共に発展することを促すよう努力し、ひとつのモデルで多種多様な世界を測ってはならない。

■ 我們要保持両国高層及各級別密切往来。充分溝通是促進合作的重要基礎。再先進的通信技術也取代不了面対面交流。今年4月12日我同奥巴馬総統在華盛頓会晤時,我們一致同意通過会晤、通話、通信等方式保持密切聯系。我們也応該加強戦略性対話和磋商,以加深了解、拡大共識、促進合作。

 私たちは両国の首脳及び各階層別の密接な往来を維持しなければならない。充分な意志疎通は協力促進の重要な基礎である。より先進の通信技術も、面対面の交流に取って代わることはできない。今年4月12日に私がオバマ大統領とワシントンで会談した時、私たちは会談、電話、通信等の方法で密接な連絡を維持することに一致同意した。私たちは戦略的な対話と協議を強化し、もっと深く理解し、共同認識を拡大し、協力を促進しなければならない。

■ 我們要発展互利双贏的合作格局。中美応該加強宏観経済政策協調,推動世界経済持続復蘇。中美応該加強経貿、能源、環境、反恐、防拡散、執法、科技、教育、農業、衛生、質検等方面交流合作,積極拓展民用航空、高速鉄路、基礎設施建設、空間探索等新的合作領域,不断為中美関係発展注入新動力,譲両国人民切身体会到中美合作成果。

 私たちは相互利益、WIN-WINの協力構造を発展させなければならない。中国とアメリカはマクロ経済協力を強化し、世界経済の持続的復興を推進しなければならない。中国とアメリカは経済貿易、エネルギー、環境、反テロリズム、核拡散防止、法律執行、科学技術、教育、農業、衛生、品質検査等の面の交流、協力を強化し、積極的に民用航空、高速鉄道、インフラ建設、宇宙空間探索等の新たな協力領域を積極的に開拓し、絶えず中米関係の発展に新たな動力を注入し、両国人民に身を以て中米協力の成果を体得させるようにしなければならない。

■ 我們要加強地区熱点和全球性問題上的協調。中美応該通過双辺渠道和各種多辺机制加強在地区熱点問題上的溝通和協調,推進在気候変化、核安全、能源安全、糧食安全、滅災防災、打撃跨国犯罪、防治重大伝染病等全球性問題上的磋商和合作。中美応該同国際社会一道,推動国際体系朝着更加公正合理的方向発展。

 私たちは地域の問題とグローバルの問題での協調を強化しなければならない。中国とアメリカは二国間のルートと各種の多国間のメカニズムを通じ、地域の問題について意志疎通と協調を強化し、気候変動、核セキュリティー、エネルギー安全、食糧安全、災害の撲滅と防止、国際間の犯罪撲滅、重大な伝染病の防止等のグローバルな問題についての協議、協力を促進しなければならない。中国とアメリカは国際社会で共に、国際体系をより公正で合理的な方向に発展させるよう促さなければならない。

■ 我們要深化両国人民相互了解和友誼。人民的相互了解和友誼是国与国関係発展的永恒動力和広汎基礎。中美将建立人文交流机制,相信這一机制将為促進両国文化、科技、教育等領域交流合作発揮積極作用。双方応該支持両国青年交往,為中美関係発展培養后備力量。双方応該加強両国工商、学術、媒体等各界以及地方交流合作,在両国人民之間架起寛広的友誼橋梁。

 私たちは両国人民の相互理解と友好を深めなければならない。人民の相互理解と友好は国と国の関係の発展の永久不変の動力であり、幅広い基礎である。中国とアメリカが人文交流のメカニズムを打ち立てれば、このメカニズムが両国の文化、科学技術、教育等の領域の交流、協力に積極的な役割を発揮するものと確信する。双方は両国の青年の交流を支持し、中米関係の発展のための将来の力を育成しなければならない。双方は両国の工業商業、学術、マスメディア等の各界、及び地方の交流を強化し、両国人民の間に幅広い友好の橋を架けなければならない。

■ 女士們、先生們!
 中華人民共和国成立60多年来特別是改革開放以来,中国的面貌発生了挙世瞩目的変化。同時,我們也清醒地認識到,中国仍然是世界上最大的発展中国家,要全面建成惠及十几億人口的更高水平的小康社会,進而基本実現現代化、実現全体人民共同富裕,還有很長的路要走。中国将継続堅持改革開放,努力使経済更加発展、民主更加健全、科教更加進歩、文化更加繁栄、社会更加和諧、人民生活更加殷実。中国将継続奉行互利共贏的開放戦略,按照通行的国際経貿規則拡大市場准入,支持完善国際貿易和金融体制、推進貿易和投資自由化便利化。中国将加快経済発展方式転変,着力拡大国内需求、増加居民消費,積極推動対外貿易健康平衡発展,反対各種形式的保護主義。中国将継続按照主動性、可控性、漸進性原則,穏歩推進人民幣滙率形成机制改革。中国将継続走和平発展道路,在和平共処五項原則的基礎上同所有国家発展友好合作,不干渉別国内部事務,不把自己的意志強加于人,同世界各国一道努力,推動建設持久和平,共同繁栄的和諧世界。
・挙世瞩目 ju3shi4zhu3mu4 世間全体が注目する
・惠及 hui4ji2 恩恵を受
進而 jin4er2 [接続詞](もとの基礎を踏まえて更に一歩進むことを表す)さらに。そのうえ
・殷実 yin1shi2 豊かである
・和平共処 he2ping2gong4chu3 平和共存

 紳士淑女の皆さん、中華人民共和国成立60年余り、とりわけ改革開放以来、中国の姿は世間全体が注目するほどの変化が発生した。同時に、私たちは、中国は依然世界最大の発展途上国であり、十数億の人口により高いレベルの「小康社会」の恩恵を受けられるようにし、さらに基本的に現代化を実現し、人民全体の豊かさを実現するには、尚長い道のりを歩かなければならないと、冷静に認識している。中国は引き続き改革開放を堅持し、経済をより一層発展させ、民主をより一層健全化し、科学教育をより一層進歩させ、文化をより一層発展させ、社会をより一層調和させ、人民生活をより一層豊かにするよう努力する。中国は引き続き相互利益、WIN-WINの開放戦略を実行し、広く行われている国際経済貿易規則に基づき、市場参入を拡大し、国際貿易と金融体制の改善、貿易と投資の自由化、便利化の推進を支持する。中国は経済発展方式の転換を加速し、着実に国内需要を拡大し、住民の消費を増加させ、対外貿易の健全でバランスのとれた発展を積極的に推進し、各種形式の保護主義に反対する。中国は引き続き自発的で、バランスがとれ、漸進的であるという原則に基づき、着実に人民元の為替レート形成メカニズムの改革を推進していく。中国は引き続き平和発展の路線を歩み、平和共存の五項目の原則の下、全ての国と友好合作を強化し、別の国の内部事情には干渉せず、自分の意思を他人に強要せず、世界各国とともに努力し、永続平和、共同繁栄の調和のとれた世界の建設を推進する。

■ 女士們、先生們!
 建設21世紀積極合作全面的中美関係,是中美両国和両国人民根本利益所在,也是促進世界和平与発展的現実需要。譲我們共同努力,不断開辟中美関係更為広闊的前景!

 紳士淑女の皆さん、 21世紀の積極的、協力的、全面的中米関係を建設することは、中米両国と両国人民の根本的利益の拠り所であり、世界平和と発展を促進するという現実の重要でもある。私たちは共に努力し、たゆまず中米関係のより広大な未来を切り開いていきましょう。

沈宏非の食べ物エッセイ

2010年05月23日 | 中国グルメ(美食)
  沈宏非は1962年上海生まれ、広州、北京、香港等でマスコミ関係の仕事に従事し、現在は広州で執筆活動を行われているそうである。食べ物に関するエッセイを書かせると、味のある文章を書かれる。注目してよい作家ではないかと思う。今回は、沈宏非の《写食主義》2000年9月 四川文藝出版社から、一文を紹介したいと思う。

                    赴美味的約会
                 美味とのデートに急いで赴く

 暮春の午後、風穏やかで陽は麗しく(中国語で“風和日麗”feng1he2ri4li4。成語の“風和日暖”(風穏やかで日うらら)をもじったもの)、私は上海・滙海路の蘇州式湯麺を専門に供する“滄浪亭”の二階で、“刀魚汁麺”(太刀魚の出汁のタンメン)の味に心酔していた。この麺は、澄んだスープで汁は少なめ、上には何も具が乗っていないが、味は豊かでおいしく、この味は一生忘れることができない。私はもちろん一生も待つことはできず、翌日もまたやって来た。空気の中に魚の香はまだ残っていたが、メニューには麺はあれど魚はあらず、シーズンが終わったので、今日からは売らないそうだ。私はここでようやく了解した。春は終わった、春は終わった、たった一晩の違いで、太刀魚の季節は春とともに去って行った。

  “謂君口腹終于極,春光過眼応同惜。門外江船行且帰,君不見,昨夜南風吹紫雪” (君はもう腹一杯だと言うが、春の日は瞬く間に過ぎて行き、惜しむ間もない。家の外は川船が行き来しているが、君は見なかったか。昨晩、南風が吹き、残雪を吹き飛ばしてしまった)
 “滄浪亭”の従業員は、もちろん曹寅の詩で私が魚の旬を過ごし、がっかりしているのを慰めてはくれない。滙海中路の“滄浪亭”と、蘇州城南三元坊のあの滄浪亭(蘇州の現存最古と言われる庭園)は、何れも国営である。したがって、太刀魚が春とともに去った知らせを、一人の従業員(国営であるので、“服務員”である)は“不売了”(売らないよ)と訳して冷たく私に投げかけた。しかし、この冷たい一言が、頭ごなしの一喝(中国語で“当頭棒喝”dang1tou2bang4he4)となり、私に季節の大切さを思い起こさせ、深く感動させた。

  私たちは毎日、全世界“四季青超時空食品企業”醸造の孟婆湯を飲み、“不時不食”(季節に合わないものは食べない)等の古訓はきれいさっぱり忘れている。
・孟婆湯:全ての煩悩、全ての愛憎を忘れることのできる飲み物で、人が死んであの世に行く時、“孟婆”がこれをささげ持ち、“奈何橋”の前で待っていると言われる。人は前世でどんなに苦労や悩みがあっても、これを一椀飲むと、全てを忘れ、前世と決別することができる。

 古人は飲食の季節性を最も尊び、《呂氏春秋》には、毎月何は食べられるが何は食べられないか、何を食べるべきで何を食べてはいけないか、何ができて何ができないか、はっきりと規定し、国を治める道で、実は食べ物のメニューを書くことができるのである。

 日本人は季節の移り変わりにより敏感である。
松尾芭蕉の俳句を詠むと:“木のもとに汁も鱠(なます)も桜かな”というのがある。
更に、石川啄木の和歌に:
    しんとして幅広き街の
    秋の夜の
    玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほいよ。
というのがある。
 グローバル化の蹄鉄の下、日本は依然頑強にこの伝統を維持している。日本料理の殿堂の作、“懐石料理”は最も季節に合った材料を食べ物の主題にし、食器も季節により移り変わる。春は黄緑色を配し、夏は水色に透明な材質を使い、秋は楓や稲穂の黄色、赤、黒、金は冬季の温かい色調である。煮物に冬季のメニューが多く見られる由縁は、その原因は鍋で暖を取るということではなく、暖炉の火や鍋の沸騰する音で、冬の静寂を浮き立たせるためである。

 万物の成長は、各自の時節に従い、各々天命に安んじる。季節の飲食を尊重するのは、もちろん季節のためにするのではなく、主にはおいしさのためである。市場がスーパーマーケットに引っ越すにつれ、温室技術、鮮度保持技術、養殖技術、遺伝子技術の普及につれ、食品を売る人も買う人も知らず知らずに季節を忘れた。“反季節”は自然の規律に違反するだけでなく、季節に付帯する飲食の美学をも傷つけた。私たちは厳冬の十二月にも西瓜を食べることができ、炎天の夏にエアコンを利かせて“四季火鍋”を大いに食べることができる。《紅楼夢》の中では蟹、菊、梅、鹿が一時に集まるのは笑い話だが、スーパーマーケットの“四季大閘蟹”(“大閘蟹”は上海蟹のこと)では、張岱の言うところの「稲と高粱がどちらも熟す」という秋の実りの味わいを、私たちはもう二度と味わうことができない。

 “滄浪亭”と言えば、陳従周教授が以前蘇州の某園林を批評し、管理部門が勝手に后門を入口に変えたため、元々の歩くと景色が変わり、次第に佳境に入るという巧妙な構造が、このためにねじ曲げられ、でたらめになってしまったと言った。
 季節の飲食を乱すことは、このような園林と同じである。しかし、私たちは園林の入口を変え、あの川の流れの様子を変えてしまったが、同時にこの川の流れのいくつかの魚類とは、このために会いに行く時間が変わることはなかった。例えば、太刀魚、鰣魚とは、毎年相変わらず“爛煮春風三月初”(春風爛煮する三月初め)の日に美味とのデートを果たすのである。デートの良いところは、会うことができるだけでなく、会いに行く前後の喜びである。片方はここから遠く“万水千山”(wan4shui3qian1shan1 道が遠く険しいこと)のかなたにおり、元々あなたと秋の日の某日、手をつないで北京の香山で紅葉を見た友達と、夏の盛りのある昼下がり、思いがけずあまり適当でない場面(例えば空港のトイレ)で偶然出会う。興のさめることここに極まる、いきなり頭をぶつけて死んだ方がましである。

 何れもそれを食べたことにより罪をつくってしまったのである。人類の食色は、何れも貪欲を以て本性とし、多少は良いデートもあるが、このように台無しになってしまうと、銭鐘書先生が《囲城》の中で言ったように、男女の出会いは病みつきになり、「最初のうちは、デートで会うと、会った前後の数日はそのおかげで、楽しい日々になる。しかし次第に毎日会えないことが恨めしくなる。またその後は、四六時中会えないのが恨めしくなる。」