中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第十回

2025年03月03日 | 紅楼夢
 金栄が秦鐘をいじめたことに端を発した賈家の家塾での乱闘騒ぎで、金栄は皆の前で謝らされ、面目を失したのですが、自分ひとりが責任を取らされたことを不満に思い、金栄は帰宅後、母親に不満をぶつけます。金栄の叔母の賈璜の妻が寧国府の賈珍の妻の 尤氏に不満を訴えようとするが……。第十回の始まりです。

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金寡婦は利を貪り権を利し辱めを受く
張太医は病を論じ細かく源を窮(きわめ)る

 さて金栄は、多数の人々からの勢いに押され、また賈瑞により非を償うよう命じられ、秦鐘に「磕頭」kē tóu(額を地面につけて相手にぬかずく)して謝り、宝玉はそれでようやく騒ぎ立てることをしなくなった。学校が引けて、金栄は自分の家に帰ったが、考えれば考えるほど腹が立ち、言った。「秦鐘は賈蓉の義弟に過ぎず、また賈家の子弟ではないのに、他家の家塾に入って勉強するのは、おれと同じ立場に過ぎないのに、あいつは宝玉に頼り宝玉と仲が良く、おれのことなど眼中にない。それなら、肝心なことに注力すべきで、些細なことに関わっちゃだめだ。秦鐘はふだん宝玉と陰でこそこそやっていて、他人はめくらで見えていないと思っている。今日あいつはまた誰かさんと密かに通じているところを、折悪しくおれの眼に飛び込んできたから、騒ぎを起こしたので、おれがまた何を恐れないといけないんだ。」

 金栄の母親の胡氏は、息子がぶつぶつ独り言を言うのを聞いて、言った。「おまえはまたどんなろくでもないことに首を突っ込んだの。わたしがあんたの叔母さんにいろいろお願いして、あんたの叔母さんも百方手を尽くして西府(栄国府)へ行って賈璉様の若奥様(王熙鳳)の前でお願いし、それでようやくおまえは家塾に入れていただくことができたんだ。人様に頼らなければ、我が家に先生に来ていただく力があるかい。まして人様の家塾の中では、食事も準備いただける。おまえがこの二年あちらで勉強させてもらったおかげで、うちも随分生活費が節約できたんだ。節約した金で、おまえはまた恥ずかしくない衣裳を身に着けているんだ。それに、おまえがあそこで勉強していなかったら、薛旦那と知り合えたかい。あの薛旦那は一年にわたしたちに七八十両の銀子をご支援くださっているのよ。おまえが今この学校を飛び出したら、またこのような場所を捜そうと思っても、言っとくけど、天に登るよりまだ難しいのよ。おまえ、頼むからおとなしく分を守って、よくお休み。もう面倒を起こすんじゃないよ。」そして金栄は怒りをこらえてじっと我慢し、しばらくして、部屋に戻って休んだ。翌日、いつも通り学校へ行ったが、そのことは言うまでもない。

 さて金栄の叔母は元々賈家で名前に「玉」の字を付けた世代(宝玉と同世代)の嫡流で、名を賈璜という者に嫁いだのだが、彼ら家族の者の誰が、寧、栄両府の人々の権勢に及ぶことができただろうか。このことは細かく言うまでもない。この賈璜夫婦は、ごく小さな家産を守り、またいつも、寧、栄両府に来てはご機嫌を伺い、また鳳姐や尤氏におべっかを使っていたので、鳳姐、尤氏もいつも賈璜に経済的な援助をし、それでようやくこのように日々生活を送ることができていた。この日はちょうど天気のよい日に当たり、また家でも特に用事がなかったので、遂に年配の召使を連れて車に乗り、家に嫁や甥の顔を見にやって来た。

 さて、金栄の母親は昨日賈家の学堂で起こった事件をことさらに持ち出し、最初から終わりまで、細大漏らさず、小姑(こじゅうと)に話した。この璜の奥様は聞かなければそれで済んだものを、話を聞いて、カンカンに怒り、言った。「この秦鐘という小童(こわっぱ)が賈一族の親戚なら、どうして栄ちゃんが賈一族の親戚じゃあないの。そんな差別をしちゃだめだわ。ましてやどちらもやらかしたことは何ら面目が立たないことでしょ。たとえ宝玉様でも、こんなに秦鐘に肩入れしちゃだめだわ。わたしが東府(寧国府)へ行って、うちの珍の大奥様(尤氏)にお目にかかって、それから秦鐘のお姉さま(秦可卿)ともお話しして、どちらが正しいか決めてもらうから、待っててちょうだい。」金栄の母親はそう聞いて、慌ててこれはえらいことになったと思い、急いで言った。「これは皆わたしの口が軽いからで、叔母様に申し上げますが、どうか叔母様、決して他言はしないでください。あの子たちの誰が正しくて誰が間違っていても、もしまた騒ぎになったら、どうしてあそこで勉強が続けられるでしょう。もしあそこにおれなかったら、我が家では先生をお呼びすることができないだけでなく、あの子のために多くの出費をしなければならなくなります。」璜の奥様は言った。「どちらでどういう者たちを管理するというの。わたしが言えばどうなるか、見ていてちょうだい。」そして兄嫁の忠告も聞かず、一方で年老いた召使に言って車を手配させ、それに乗って寧国府へ向かった。

 寧国府に着くと、東角門を入り、そこで車を降り、屋敷に入って 尤氏にお目にかかったが、どうしてまだかんかんに怒ったそぶりなどしようか。慇懃に時候のご挨拶をし、いくつか無駄話をしていたが、それからようやく尋ねて言った。「今日はどうして蓉様の若奥様(秦可卿)がいらっしゃらないのですか。」尤氏は言った。「あの娘はここのところどうしたことか、月経が二ヶ月余り無いのです。先生をお呼びして診てもらいましたが、妊娠でもないと言われました。ここ二日は、午後になると身体がだるくて動けなくなるのです。話をしても注意力が散漫で、ぼんやりしています。わたしはあの娘に、こう言っているの。「礼儀にこだわらなくていい、朝夕いつも通り出て来なくていいから、養生なさい。親戚が尋ねて来ても、わたしもいますよ。目上の方がいぶかったら、わたしがあなたに代わって説明しておきます。」とね。蓉兄さんにも言い聞かせて、わたし、こう言ったの。「あの娘を煩わせたり疲れさせてはだめよ。あの娘を怒らせてはだめよ。数日の間、静かに養生させれば、良くなるわ。あの娘が何か食べたいと言ったら、構わないからうちに取りに来なさい。あの娘にもしものことがあったら、あなたが再びこんなお嫁さんをもらおうと思っても、こんな器量で、こんな性格の人なんて、おそらく「灯りで照らしてもどこにも見つからない」だわ。あの娘の人柄や行いを見て、親戚や目上の方々の中で、あの娘が嫌いだという方がいらっしゃるかしら。だからわたし、この二日というもの気持ちがとてもいらついているの。――あいにく朝起きるとあの娘の弟があの娘に会いに来たんだけど、あろうことかそのチビさんはものの分別がまだ分かってなくて、お姉さんの身体の具合が良くないのが分かりながら、ああした事は姉さんに話すべきじゃないのに、たとえどんなに不満があってもお姉さんに言うべきじゃなかったのに。――あろうことか昨日学校で喧嘩があって、どちらのお家から入った学生にか知らないけれど、いじめられて、その中には多少汚らしい話もあったのだけれど、みんなお姉さんに話してしまったの。あんた、あんたは分かるよね。あの嫁は人に会う時は朗らかに話をしているけど、実は注意深くて、どんな話だって、聞いたら何日か繰り返し考えて、それから結論を出すのさ。この病気はつまり、「心を使い過ぎて」患ったものだわ。今日は弟が人にいじめられたと聞いて、悩んだし、腹が立ったのさ。悩みは、そのまじめに勉強しない友達が、いらぬ議論をふっかけ、双方をけしかけて仲違いをさせたことで、腹が立つのは、弟が不真面目で、身を入れて勉強しないものだから、その結果、学校で騒ぎを引き起こしたことなの。あの娘はこの事件のせいで、朝飯も喉を通らなかった。わたしはそれであの娘のところへ行ってしばらくなだめて、またあの娘の弟にも二言三言言い聞かせてから、弟にはあちらのお屋敷に行って、宝玉を訪ねておいでと言った。わたしはまたあの娘を見舞って、お碗に半分ツバメの巣のスープを飲ませて来たところだよ。あんたどうだい、わたしいらいらしているように見えるかい。ましてや今は良い医者がいなくて、あの娘の病状を思うと、心が針で刺されたように痛むんだ。あんたがた、どこか良いお医者さんを知らないかい。」


 金氏(賈璜の嫁)はこの話を聞くと、さきほどまで彼女の兄嫁の家での秦氏( 秦可卿 )に向けての攻撃の理論の勢いも、早くも驚きのあまり、遠くジャワ国に置いてきてしまった(「丢在爪哇国去了」。きれいさっぱり忘れてしまった)。――尤氏が良い医者を捜していると聞いたので、急いで答えた。「わたしたちもどこかに良い医者がおられるか聞いたことがないです。今大奥様からこの病のことを伺いましたが、ひょっとすると、やはりおめでたかもしれません。若奥様には他の者が勝手に治療されませんように。もし処置を間違えると、取返しがつきませんから。」尤氏は言った。「ほんにそうじゃな。」

 話をしていると、賈珍が外から入って来た。金氏を見て、尤氏に尋ねて言った。「この方は賈璜の奥さんかい。」金氏は前に進み出て賈珍に挨拶をし、賈珍は尤氏に言った。「おまえ、奥さんに食事をして行ってもらいなさい。」賈珍はそう言うと、あちらの部屋に行ってしまった。金氏はこうして、元々秦氏に、秦鐘が自分の甥にいじめられたことを話そうと思っていたのだが、秦氏が病気だと聞き、その話を持ち出すことさえようしなかった。しかも賈珍や尤氏のもてなしがたいへん良かったので、怒りが喜びに変わり、その後またしばらくよもやま話をして、それからようやく家に帰った。

 金氏が帰ってから、賈珍がちょうどやって来て座ると、尤氏に尋ねて言った。「今日はあの人、何の話で来たの。」尤氏は答えて言った。「別に何も言われなかったわ。部屋に入られた時には、顔に少しお悩みの色が出ていたけど、しばらく話してから、嫁の病気のことを言ったら、あの人もだんだん顔色が穏やかになられたわ。あなたがまたあの人に食事をしていくよう言われて、あの人が嫁のこんな病気を聞いたものだから、ただ座っているだけでは申し訳ないと思ったのか、いくつかよもやま話をして帰られたけど、別に何も要求はされなかったわ。――それにしても、嫁のこの病気は、あなたの方で良い医者を捜して、早く診てもらわないといけないわ。手遅れにならないうちに。今うちの家にはたくさんのお医者様たちが通って来られるけど、どちらのお医者様が良いのかしら。お医者様ひとりひとりの評判を聞いて、人がどう言っているか、医者自身がそれについてどう言っているかも聞いて、とても周到にお医者様を選んでいるのよ。三四人の医者が、毎日次々やって来られ、各々四五回も脈を診られるの。それらのお医者様が一緒になって治療のやり方を考えていただいているのだけれど、そうして処方されたお薬を飲んでも効果が無いの。なんと一日に何度も衣裳を着替えて、それから座って先生に診てもらっているんだけれど、実際、これでは病人にとっても良くないわ。」

 賈珍は言った。「しかしこの娘もばかだな。どうしてそう度々着替えるんだ。もしそれで風邪をひいてしまい、またひとつ病気を重ねることになったら、一体どうするんだ。たとえどんなに良い衣裳でも、何の値打ちがあるものか。この娘の身体こそ一番大切だ。たとえ毎日新しい衣裳を一式身につけても、何の値打ちも無い。わたしはちょうどおまえに言っとくことがある。さっき馮紫英がわたしに会いに来たのだが、彼はわたしが心に少しいらだちがあるのを見て、どうしたのか尋ねたので、わたしは彼に、嫁の身体があまりよくない。良い医者が見つからず、おめでたか病気かはっきり分からないし、この情況がこの娘の身体によくない影響があるかどうかも分からないので、気持ちがとても焦っているんだと言った。馮紫英はすると、彼には幼い時から学問に師事している先生がいて、姓を張、名を友士といい、学問はとても博識があり、更に医学の理論にもたいへん精通し、且つ人の生死を判断することができる。今年は上京されて、彼の息子に官位を買ってやるため、現在は彼の家に泊まられているそうなんだ。こうして見ると、或いは嫁の病気はこの先生の手でひょっとすると取り除けるかもしれない。わたしはもう人にわたしの名刺(名帖)を持って行かせ、診察に来ていただくようお願いした。今日はもう遅いから、たぶん来られないが、明日はきっと来られると思う。――しかも馮紫英からも、帰宅したら自らわたしに代わって先生にお願いしてくれるから、必ず先生が来て診てくださるさ。張先生が来られて診ていただいてから、どうするか考えよう。」

 尤氏はそう聞いて、たいへん喜び、それで言った。「あさってはお爺様のお誕生日ですが、いったいどうすれば良いですか。」賈珍は言った。「わたしの方からお爺様の方にご挨拶にうかがい、併せてお爺様に一軒一軒の家からお祝いを受けていただくようお願いしたばかりなんだ。お爺様はそれでこうおっしゃった。「わたしは清浄な生活に慣れていて、おまえたちの日々是非を争うような所に行きたくないんじゃ。おまえたちが是非ともわたしの誕生日のお祝いで、皆の「叩頭」kòu tóuの礼(額を地面につけてぬかずく礼。「磕頭」と同じ)を受けろと言うなら、わたしが以前注釈を加えた『陰騭文(いんしつぶん。正式には『文昌帝君陰騭文』といい、道教の典籍。因果応報を主題とする)を、ちゃんと人に頼んで揮毫し、石に刻んでもらう方が、わたしが故なく皆の叩頭の礼を受けるより、百倍も意義がある。もし明日あさっての二日に一家の者が来られるなら、おまえが家でちゃんと皆を丁重にもてなせばよい。別にわたしに何か物を贈る必要はない。おまえもあさっては来なくてよい。おまえがもしそれでは不安に思うなら、今日わたしに「磕頭」して行けばいい。もしあさっておまえがまた多くのの人を連れて来て騒ぎ立てたら、わたしはおまえをただでは済まさないぞ。」このように言われてしまったので、あさってわたしはもうあちらによう行かんのだ。それから頼昇を呼んで、やつに二日の宴席の準備をしておくよう言いつけた。」

 尤氏はそれで賈蓉を呼んで来させた。「頼昇に言いつけ、例年通り二日の宴席の準備は、盛大なものにさせました。あなたもご自分で西府(栄国府)に行って、お婆様、大奥様(邢夫人)、若奥様(王夫人)と璉様のところの叔母様(王熙鳳)をお招きして、遊びにいらしていただいて。あなたのお父様が今日、またおひとり良いお医者様のことを聞いてくださり、もう人を遣ってお願いしたので、明日はきっとお越しになると思うわ。あなたはあの娘のここ何日かの病状を詳しく先生に申し上げてちょうだいね。」

 賈蓉は一々頷いて出て行った。ちょうど先ほど馮紫英の家に行って、かの先生のお願いに行った小者が帰って来たのだが、その回答に曰く、「それがし、先ほど馮旦那様のお宅にうかがい、旦那様の名刺を持ってかの先生にお越しいただくようお願いにあがったのですが、かの先生がおっしゃるには、「先ほどこちらの旦那様もわたしに言われたのですが、ただ本日は一日お客様を訪問し、たった今帰宅したばかりで、現在は気持ちを保つことができず、お屋敷にうかがっても脈を診ることができず、一晩休息をとる必要があります。明日は必ずお屋敷に参りましょう。」とのことでした。先生はまたおっしゃいました。「わたしは医学の知識が浅はかで、本来はこのような重要なご推薦をお受けする勇気はないのですが、馮旦那様がお屋敷で既にこのようにお話しされたとのことですから、また行かない訳にはいきますまい。あなたは先にわたしに代わって旦那様にそのようにご回答ください。旦那様のお名刺をいただくのは本当に畏れ多いことです。」そう言って、それがしに名刺を持って帰らせたのです。若様、それがしの代わりに一声お声がけください。」賈蓉がまたこちらを向いて入って来て、賈珍と尤氏の要求に回答し、先ほど出かけて来て頼昇を呼び、二日の宴席の準備のことを言いつけた。頼昇は「はい」と答え、自分でいつも通り手配することになったが、このことは特に言うまでもない。

 さて翌日のお昼ごろ、門番の者が取り次ぎ、「ご要請されたあの張先生が来られました。」と言ってきた。賈珍はそれで広間に入ってもらい座っていただいたが、お茶が終わると、ようやく口を開いて言った。「昨日は馮旦那様のご教示を受け、老先生の人品や学識を知り、また併せて医学に深く通じておられるとのこと、小生どんなに敬服してもし切れるものではございません。」張先生が言われた。「わたくしなど粗野な下級の人間に過ぎず、知識も浅はかなものです。昨日は馮旦那様のご紹介いただき、旦那様のお屋敷では下級の者でも謙虚に敬われるとか、またお呼びを受けましたので、ご用命に背くわけには参りませんでした。けれどもわたくしは実際の学問や技能が少しも無く、たいへん恥ずかしく、困惑しております。」賈珍は言った。「先生、あまりご謙遜なさらないでください。先生が来ていただき、息子の嫁を診ていただけば、先生のご高明(見識や技能が卓越している)のおかげを以て、わたくしどもの心の中の困惑を消し去ることができましょう。」

 そして賈蓉が一緒に中に入り、寝室に着くと、秦氏にお目にかかり、賈蓉に尋ねて言った。「この方が奥様でいらっしゃいますか。」賈蓉は言った。「はい、その通りです。先生、お掛けください。わたしが家内の病状をご説明しますので、それから脈を診ていただいてはどうでしょうか。」かの先生は言った。「小生の考えでは、やはり先に脈を診て、それから病気の原因が何かをご教示いただけますでしょうか。わたしは初めて奥様を診察いたしますので、元々何が起こったのか存じ上げませんが、馮旦那様から必ず小生が来て診察するようおっしゃられましたので、小生はそれゆえ来ざるを得なかったのです。今日は脈拍を拝見し、小生の考えが正しいかどうか見ていただき、それからここ数日の病状をご説明いただき、皆で薬の処方を検討いたします。それが使えるかどうかは、その時点で旦那様がご決裁いただけばよろしいです。」賈蓉は言った。「先生は実に高明(見識や技能が卓越している)であらせられます。ただ残念なのは、お目にかかるのが遅かったことです。どうか先生、脈拍を診ていただき、治るか治せぬか見ていただければ、我が家の父母も安心するでしょう。」そして家中の召使たちが、大きな迎枕(手元に置くクッション)を捧げ持って来て、一方では秦氏にもたれ掛けさせ、一方では袖口を引っ張り、腕を露出させた。この先生はようやく手を伸ばして右手で脈の上を押さえ、自分の呼吸を安定させてから病人の脈拍を測り、神経を集中させて七八分の時間細かく診ていた。次に手を左手に替え、また同様に脈を診た。診終わると、「わたしたち、外で座りましょうか。」と言った。

 賈蓉はそれで先生と一緒に外側の部屋のオンドルの上に座った。ひとりの年老いた召使が茶を持って来たので、賈蓉は言った。「先生、お茶をお飲みください。」お茶が終わると、尋ねて言った。「先生、今日脈を診ていただいて、治る見込みはあるでしょうか。」先生は言った。「奥様の脈を拝見しますと、「左寸沈数、左関沈伏。右寸細而無力、右関虚弱而無神」という状態です。 「左寸沈数」は、すなわち「心気虚而生火」、心臓の気が弱り、火気(のぼせや炎症)が旺盛になっています。「左関沈伏」は、すなわち「肝家気滞血虧」、肝臓の機能が失調し、血が不足し気が滞っています。 「右寸細而無力」は、すなわち「肺経気分太虚」、肺の機能が虚弱で、気や血のめぐりが悪くなっています。「右関虚弱而無神」は、すなわち「脾土被肝木克制」、肝臓の機能が盛んで、脾臓の働きを抑圧し、身体の正常な働きに影響しています。「心気虚而生火」であるので、月経が不調で夜眠れないのです。「肝家気滞血虧」であるので、脇の下が腫れて痛みがあり、月経が遅れ、心臓が発熱するのです。「肺経気分太虚」であるので、頭はしばしば眩暈(めまい)に襲われ、深夜、寅の刻(深夜3時から5時)と卯の刻(5時から7時)の間に必ず冷や汗をかき、まるで舟の中にいるように感じます。「脾土被肝木克制」であるので、食欲が無く、倦怠感があり、手足がだるくて力が入りません。わたしが診た脈の通り、こうした症状があるなら、見立てが正しいことになります。もしこのご病気はおめでたによるものとお考えでしたら、小生は敢えて診察のご用命をお受けするものではございません。」


 傍らでひとりの身辺に付き添いお世話している年寄りの召使が言った。「どうしてこのようでないことなどございましょう。まことにこの先生が言われるのは神様のようであること、わたしたちが言うまでもございません。今わたくしどものお屋敷では既に何人ものお医者様が診察にみえておりますが、どの方もこのようにはっきりと見立てることができませんでした。ある方はおめでたと言い、ある方は病気だとおっしゃいました。この方はたいした病気ではないと言われたと思えば、この方はひょっとすると冬至前後に病状が悪化するかもしれないと言われました。総じておひとりとして真に明確な見立てをされた方はおられませんでした。どうか旦那様、明らかにご指示くださいませ。」

 かの先生は言った。「奥様のこの症状は、しかし皆さまの対応が遅れたからです。もし最初の生理の時に薬で治療を始めていれば、おそらく今頃は完治していたでしょう。今は病気の対応がここまで遅れたため、このような病状になってしまったのです。わたしが見たところ、病気はなお三分の治癒の可能性があります。わたしの薬を飲んで様子を見て、もし夜間よく眠れるようなら、その時はまた二分の見込みが追加されましょう。わたしが脈拍を診たところでは、奥様は性格が頑強で、とても聡明な方です。けれども聡明過ぎると、思い通りにならぬことが常々起こるでしょう。思い通りにならぬことがいつも起こるのなら、思慮が甚だしくなります。この病気は憂慮が脾臓を傷つけ、肝臓機能が失調し、月経の出血が時間通り来なくなったのです。奥様に以前、月経の日を尋ねたら、決して短くはならず、いつも遅れていた。そうでしょう。」かの年老いた召使が言った。「その通りです。短くなったことはなく、或いは二三日延び、十日というのもありましたが、何れも遅れていました。」

 先生はそれを聞いて言った。「そうでしょう、これが病気の原因です。これまでもし気持ちを調節し情緒を和らげる薬を飲んでいれば、今このようになることはなかったでしょう。今は明らかに「水虧火旺」(腎臓の水が不足し、肝気が強すぎる)の症状が出ているのです。――わたしが処方する薬を飲んで様子を見てください。」そして薬の処方を書き、賈蓉に手渡したが、それには次のように書かれていた。

益気養栄補脾和肝湯
(気を補い血を養い脾臓を補い肝を和らげるスープ)

   人参 二銭、白術 二銭・土炒、熟地 四銭、帰身 二銭、
   白芍 二銭、川芎 一銭五分、黄芪 三銭、香附米 二銭、醋柴胡 八分
   懐山薬 二銭・炒、真阿膠 二銭・蛤粉炒、延胡索 銭半・酒炒、炙甘草 八分
   引用建蓮子七粒去心、大棗二枚
   (補助薬として、蓮の実7粒の芯を抜いたもの、棗(なつめ)2個)

 賈蓉はそれを見て言った。「実に高明(見識や技能が卓越している)だ。もうひとつ、先生お教えください。この病気は最終的に命にかかわることはないのですか。」先生は笑って言った。「旦那様は最も高明な方ですから、人の病気がここまで進んでしまったからには、一朝一夕で治る症状でないことはお分かりでしょう。この薬を飲み、効果があるかどうか見てください。小生の見立てでは、今年の冬はまだ大丈夫です。ともかく春分を越すことができれば、全快の望みもあるでしょう。」賈蓉も聡明な人なので、それ以上細かいことは聞かなかった。

 そして賈蓉は先生を送って行き、それからこの薬の処方と診察結果を賈珍に見せ、張先生の話も賈珍と尤氏に伝えた。尤氏は賈珍に言った。「これまで診ていただいた先生は、張先生のようにはっきり物をおっしゃらなかったわ。そうしてみると、きっとお薬は悪くないんじゃないかしら。」賈珍は笑って言った。「あの方は元々、ああしたなんとかその日暮らしをするのに慣れた開業医ではないんだ。馮紫英とわたしたちは良い関係だから、彼はなんとかして張先生に来ていただいたんだ。この方がおられるからには、嫁の病気はひょっとすると良くなるかもしれない。先生のあの処方の中に人参があったが、おとつい買ったあの一斤の人参を使えばいいだろう。」賈蓉はこの話を聞き終わると、出て来て人を呼んで薬を調合させ、煎じて秦氏に飲ませた。さて秦氏がこの薬を服用してから、病気の症状はどうなったでありましょうか。次回にて解説いたします。


  秦可卿の病気が今後どうなるのか、またお爺様の賈敬の誕生日がどのように盛大に行われるのか、次回第十一回をお楽しみに。
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