久々に、中国グルメについて、雲郷の《雲郷話食》の中から一篇、取り上げ、読んでみたいと思います。
炸醤麺(ジャージャー麺)というと、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズのエッセイで、盛岡のジャジャ麺の話が出てきますが、本家ではどうやって作っていたか、見てみましょう。
■[1]
( ↓ クリックしてください。中国語原文が見られます)
・轡頭 pei4tou2 くつわ。くつわと手綱。
・出一口気 chu1 yi1kou3qi4 憂さ晴らしをする。“一口気”は怒りの意味。
・烈性 lie4xing4 気性が激しい。
・打賭 da3 du3 賭けをする。
□ 《三国志演義》の中で劉備が呉でこう言った:「北人は馬に乗り、南人は船に乗る。」孫権がそれを聞いて納得がいかず、直ちに馬に飛び乗ると、鞭を一撃し、手綱を放った。あたかも南人が憂さを晴らしたようで、これもちょっとした南北の争いと言えるものであった。このことから、私はまた別のことを思いついた。つまり、「南人は米を食べ、北人は小麦の麺を食べる」ということである。もちろん、このことも絶対化はできない。そうでないと、気性の激しい人は賭けを始めかねず、それもよろしくない。北京人は麺を常食しているので、私はここに《燕山麺賦》を書くこととしたのである。晋の人、束皙の著作に《餅賦》がある。実は、《餅賦》も《麺賦》である。《餅賦》に、次のような句がある。
真冬は寒さが厳しく、夜明けに会うと、鼻水が凍りつき、霜は口の外にへばりつく。飢えを満たし、寒さによる震えを解くには、熱いかけそばが最もよろしい。
“湯餅”と言っているのは、熱いタンメンのことである。言っていることの意味は、冬の早朝、寒くて鼻水が出て、吐く息が冷たい。こういう時には、一杯の熱々の汁麺を食べれば、最も飢えを凌ぎ寒さを消し去ることができる、ということである。昔の人の発想はたいへん実質的で、またたいへん庶民的である。決して朝っぱらから羊の肉のしゃぶしゃぶや、オックステール・スープを食べようとはしない。実質から出発しているから、書かれたものも良い文章となっている。いわゆる“湯餅”とは、今で言うソバである。古人の“餅”は、広く麺食のことを言う。今日でも、子供が誕生日に麺を食べることを、雅な言い方で“湯餅会”と言い、“湯麺会”とは言わないのも、同じ道理である。
■[2]
・申 shen1 上海の別称
・饞 chan2 口がいやしい。食いしん坊である。
□ 北京で生まれ育ち、長く上海に住んでいると、友人たちとよもやま話をしていると、よく昔の北京のことを聞かれ、自然と北京の食べ物の話になる。ある年、新聞に日本の小川大使が炸醤麺(ジャージャー麺)が好きだという記事が載ってから、何人かの親しい人が、「炸醤麺はどのようにして食べたらよいか」とか「炸醤麺はどのようにして作るのか」という類の質問をするようになった。そして私もしばしば炸醤麺のことを思い出すようになると、食べたくてたまらなくなる。これも「故郷の味が恋しい」と呼べるかもしれない。
■[3]
・菜碼 cai4ma3 麺類に添えたり混ぜたりする具のこと。
・麸子 fu1zi ふすま。小麦を粉にする時に出る皮のくず。
・三伏 san1fu2 夏の酷暑の期間で、初伏(夏至の後の第3の庚(かのえ)の日)、中伏(同、第4の庚の日)、末伏(立秋後の第1の庚の日)を総称して三伏と言う。或いは、三伏中の末伏の日を言う。
・醤園 jiang4yuan2 味噌や醤油の醸造元、或いは販売店。
・炒勺 chao3shao2 杓子状のフライがえし。
・咝咝 si1si1 “咝”というのは擬声語で、風を切るひゅうひゅうという音、空気が細いところを通るすうすうという音を表す。ここでは、油が煮えたぎるじゅうじゅうという音。
□ 炸醤麺は北京の人の普段の食事で、その内容は、炸醤、麺、具の三つに分けられる。炸醤は簡単に言うと肉味噌で、さいの目に切った豚肉入り、挽き肉を使ったもの、“木犀”(かき卵のこと)入りに分けられる。味噌は大豆から作った“黄醤”か、小麦のふすまから作った甜麺醤で、三伏の日に陽に晒した良い豆板醤(トウバンジャン)を使わなければならない。味噌は田舎では自分の家で作るが、北京では店から買う。例えば、名店の天源、六必居など大きな店のものなら尚更良い。味噌を炒める時は植物性の油を用い、一番良いのは胡麻油で、その次が落花生油である。鍋を火にかけ、火は強火でなければならず、黒い煙が噴き出したら、ネギ、生姜の刻んだもの、豚肉のさいの目切りか挽き肉を入れ、予め水で濃さを調整した味噌を同時に鍋に入れ、フライがえしで攪拌しながらしばらく炒めたら、鍋から出してどんぶりの中に盛る。食卓に出せば、どんぶりの中で、真ん中が味噌で、周囲は澄んだ油が覆っている。江南の“響油鱔shan4絲”(タウナギの細切りの油漬け)と同様、食卓に出した時、じゅうじゅうという音がするのが良い。油の煮えたぎる音とともに、しばし鼻を突く香りが押し寄せ、自然と皆さんの食欲を掻き立てる。
■[4]
・抻面 chen1mian4 練った小麦粉の塊りを両手で引き伸ばしながら何回も折り畳んで作った手打ちうどんのこと。“抻”とは引き伸ばすこと。“切面”(練った小麦粉を平たく延ばして切り揃えたうどん)と区別して言う。“拉面”とも言う。
・和 huo2 こねる。
・悠 you1 空中で揺り動かす。
・擰 ning2 両手で物体の両端を握って、相反する方向へひねる。ねじる。
・韌 ren4 強くてしなやかである。粘り強い。腰のある。
・掐 qia1 摘み取る。
・撈 lao1 水中からすくい上げる。
・二葷舗 er4hun1pu4 豚肉やその内臓の料理だけを商う屋台。
□ 味噌の次は麺を説明しよう。炸醤麺には“拉麺”を使わないといけない。またの名を“抻麺”と言い、俗に“大把条”と言う。捏ねた軟らかさ硬さの適当な小麦粉を使いる。まな板の上で捏ね、捏ねて一定の硬さになったら、その両端を持って、空中で引っ張りながら、上下に揺り動かし、引っ張って伸ばしたら、再び両端を併せて、揺すぶり、ねじり合わせる。このような動作を何回か繰り返し、再び併せて引っ張ると、1本が2本になり、2本が4本になる……、そして数え切れない本数になったら、腰のある、細い麺になっている。麺を湯を沸かした鍋の前に持って行き、両端を切り落とすと、麺を鍋の中に入れる。鍋の湯が湧きたったら、冷水を加える。そして再び沸騰したら、麺は湯だっている。熱い麺をすくい上げ、冷水の中で水通しし、それからどんぶりに盛る。これを麺批と呼ぶ。このような手打ち麺は、自ずと小さな飯屋や屋台で商うもので、これより大きなちゃんとしたレストランでは、炸醤麺は売らない。小さな飯屋の見習いの小僧は先ず麺を打つのを覚えた。当時は拉麺のできる人はたいへん多く、別に絶技でも何でもなかった。一般の家では、拉麺のできる人はあまりおらず、1本1本引き伸ばしたので、“小刀麺”と呼ばれた。明代の劉若愚の《酌中誌》に言う:「月初めの5日の日のお昼……過水麺(水通しした麺)にニンニクを付けて食べた。ザクロの花やヨモギの葉を眺めた。」蓋し、“過水麺”とは唐の人が言う“冷淘”であろう。もし熱い麺が好きなら、いわゆる「かま揚げ」で、直接鍋からすくい上げればよい。
■[5]
・焯 chao1 野菜をさっと茹でる。
□ 麺の他、具が必要である。つまり、何の調味料も加えず、ただ生の野菜を切っただけのきゅうりの細切り、だいこんの細切り、水で茹でたモヤシなどである。食べる時に、麺の上に肉味噌、味噌を炒めた時の油、具をかけて混ぜ合わせる。食べると麺は腰があって滑らかで、味噌は良い香りがし、具は新鮮で、美味しく、本当にその味わいは無限である。《京兆地理誌》に言う:
炸醤麺は、都・北京周辺の多くの家で食べられた。田舎に旅行で行くと、簡単な食事の中でも最も安いものであった。
最も普通の日常の食事であるので、尚更なつかしく思い出されるのだろう。飯屋の中でも、炸醤麺で有名なのは、阜成門外の通りの北側の虾米居であった。この店はうさぎの肉の干し肉でも有名だった。小さな飯屋で、屋台のような店に過ぎない。
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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(25型青蔵高原型客車)
【6】 25K型客車
25K型客車は中国国鉄が第一次の大掛かりな速度向上をした時に運行を開始した特急列車用の車輛である。25K型客車は、1996年に各車輛メーカーが鉄道部の要求に基づき設計製造した快速客車であった。それというのも、当時存在した25B型客車と25G型客車は既に1997年の第一次の速度向上の要求に対応できなかったからである。25K型客車は、25Z型準高速客車の基礎の上に発展しできたものである。構造速度は140Km/h、空気ばねの吊り下げ技術とディスクブレーキによる制動の技術の応用が押し広められた。1997年に生産を開始し、生産メーカーは長春軌道客車、唐山軌道客車、四方機車車輛廠、南京浦鎮車輛廠である。25K型客車は206KP/CW-2B/CW-1B型台車を使用し、試験走行では確実に160Km/hの基準を達成できたが、この数種類の台車の設計に欠陥があり、そのため後に問題が頻発し、後に鉄道部は全ての206KPをSW-160に交換するよう要求した。25K型客車は実際の運用では依然最高速度は140Km/hである。25K型は長年に亘る生産の中で台車と車体に何度も改良が加えられ、例えば、後期には引き続き密閉式プラグイン・ドア、内開き式窓、密封式風防窓等が改良、使用された。後期のものはCW-200型、SW-220K型台車が取りつけられた。25K型客車は当初1997年に京滬線(北京~上海)の直通特急に運用された。2003年に新型の25T型客車の製造が始まると、25K型は同年年末に製造を停止した。25K型客車の塗装は、大多数が青色と白色に赤いラインが一本入っている。
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25K型客車
25K空調発電車
【7】 25T型客車
25T型客車は、中国国鉄が第5次の大幅な速度向上の運行を開始するための特急列車用の客車である。“T”とは中国語の“提速”ti2su4の発音表記の頭文字で、中国国鉄の第5次の大規模な速度向上計画のために設計された。25K型客車の後継機種で、長年の25型客車の設計、製造過程の技術と実際の運用での経験が吸収され、同時に新技術が採用された。1999年に青島四方-ボンバルディア・パワー鉄路運輸設備有限公司(BSP)が鉄道部の速度向上型鉄道客車の注文を獲得し、開発を行った。2002年に開発が完成し、量産に入ったが、2004年になってようやく25T型の型番が決まった。それ以前は、引き続き25K型を称していた。AM96型、CW‐200K型、或いはSW-220K型台車を採用し、構造速度は時速160キロ、最高運行速度は160Km/hである。車輛は、BSP、長春軌道客車、唐山軌道客車、南京浦鎮車輛廠等のメーカーが製造した。2002年末に第1次量産車が上海鉄路局に配属された。25T型客車は後に機関車から客車に給電するよう改められ、空調発電車は廃止され、密閉式プラグイン・ドア、蛇腹式の連結幌、真空集便器が改良、使用された。25T型客車は、一般型と青蔵高原型に分かれる。青蔵高原型25T型客車は主に青蔵高原での運行のために設計され、航空機の気密技術と酸素供給装置などが採用されている。一般型25T型客車の青と白の車体塗装は従来と異なっており、青蔵高原型25T型客車は深緑色の車体に二本の黄色のラインが引かれている。
25T型客車
25T青蔵高原型客車
【8】 25DT型客車
25DT型客車は、“動車組”、つまり新幹線用の高速電車列車用のトレーラーとして作られ、“DT”の意味は、“動車組拖車”dong4che1zu3 tuo1che1のことである。25DT型客車は、中国国鉄が1990年末から2000年初頭にかけて製造した試験的な高速列車用の客車の型式である。25DT型客車は中国国鉄の各種の試験的な電車列車のトレーラーとして用いられたので、25DT型には標準的な車型は無い。そのうち一部は、国産第一世代の時速200Km/hクラスの高速鉄道用客車である。長春客車廠、唐山機車車輛廠、南京浦鎮車輛廠、青島四方機車車輛廠はそれぞれ各種の様式の25DT型車を製造し、外観はそれぞれ異なり、技術指標もそれぞれ異なっていた。25DT型車は高速客車の空気動力学の要求を満足させるため、車体の高さは一般の25Tよりも低かった。車体の下部にはカバーがあり、ボディーマウントの設計がなされた。25DT型車は基本車型の他、二階建て客車の設計、製造も行われた。中国国鉄が運行する一連の試験的な高速電車列車には、25DT型の電動車、トレーラーが採用された。“中華之星”、“長白山”の25DT型車は最新式で、外観はICE1/2のトレーラーに似ている。“藍箭”(Blue Arrow)、“中原之星”の25DT型車の外観は比較的統一されている。“先鋒”の25DT型車は伝統的な25型の外観に似ている。その他、国産の高速電車列車、“北亜”、“曙光”、“金輪”などの列車のトレーラーの車体には25DT型と表記されている。
25DT型客車
尚、25DT型は、一部欧州からの技術導入もした、各車両メーカーが意欲的に開発した高速対応客車であったが、その後、新幹線型の和諧号タイプが大量に製造、配備され、25DTは廃止はされていないものの、営業運転にはついていないようです。
今後、在来線の特急、急行の体質改善には、25T型の標準タイプが増備されていくものと思います。
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温州での新幹線列車の追突事故の後、あまり良いニュースの無かった中国の鉄道ですが、久々に在来線の特急、急行のサービス改善計画を伝えるニュースがありました。
10月18日付の《新京報》によると:
「中国鉄道部は、在来線の旅客需要に対応する為、年内に客車500輛を新造、11,924輛のAC380V電源のエアコン付客車、及び2,230輛の地域管理局間を直通する列車に使用する緑色の客車の更新修理を行い、まだ修理が予定されていない553輛についても、鉄道部より検査・修繕費用を捻出し、来年1月の春節の多客期までに修理を完了させる。
来年上半期には、旅客流動量調査の結果を基に、隣接する幹線の条件、車輛の引き渡し時期により、ハルピン~大連、北京~石家庄~武漢の列車ダイヤの見直しを行う。二年以内に管理局間を直通する急行、及び一つの管理局内で運行される急行列車の全てをエアコン付き車輛に置き換えることを目指す。特急、急行の何れにも使用されている列車は徐々に25T型に置き換える。条件の合う区間では夕方に出発し朝到着する特急列車を増発、輸送能力に余裕があり、旅客流動の大きい区間で列車の増発を行う。」
ここで、特急、急行用車輛の“25T型車底”への置き換え、と書かれています。“車底”というのは、俗に、鉄道車輛の車体のことを言います。また、“緑皮車”と言っていますが、これも中国語独特の表現で、在来線一般車の緑色に黄色のラインの客車のことです。ちなみに、急行用のオレンジ色と白に塗り分けられた客車は“紅皮車”と言います。
“25T”というのは、25T型客車のことで、在来線の特急などに使用されている客車ですが、この元となった25型車輛の開発は、高鉄時代に入る前の、中国国鉄のスピードアップ取組みの歴史であり、なかなか興味深いものがあります。今回は、25型客車の歩みについて、ご紹介したいと思います。
25型客車は非常にバリエーションがあり、2回に分けて紹介します。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
25型客車は、中国国鉄の第三代の主力客車である。25型は中国国鉄用の車長25.5mの客車である。25型は多くのシリーズに分かれる。1990年代から次第に22型に代わり、幹線の長距離列車と各大都市間の特急列車に用いられ、中国鉄道の客車の主力となった。
【概況】
25型客車は当初、1964~1966年に車長25.5mの新型客車として開発された、「25.5m軽量高速列車用車輛」で、1966~1969年に製造され、車体材質は軽量合金、KZ2型台車、ディスクブレーキ、中空車軸、空気ばね等の技術が採用され、構造速度は160Km/hであった。列車にはエアコン、集中給電が採用された。この車輛は広深鉄路(広州~深セン)等で使用されたが、当時は台車の技術が未成熟で、使用中、多くのトラブルが発生した。
1978~1985年に制定された鉄道科学技術計画の中で、車長25.5mの客車を開発することになり、中梁無し、平面側壁構造、材質は耐腐蝕鋼板、209型台車を採用し、構造速度160Km/h、発電車による集中給電で、1980年に運用投入された。1986年、鉄道部は25.5mの新型のエアコン付客車の開発要求を下達し、ユニット空調式の集中給電空調客車を採用した。206型台車を使用し、構造速度140Km/h、京広線(北京~広州)列車に使用されたが、この時の車輛は要求に合わず、成功しなかった。その後、1987年より海外からの借款と海外の技術を利用し、集中給電空調客車の製造が開始された。1990年代より、鉄道客車の更新、性能向上の要求に基づき、一連の車長25.5mの25型客車が相次いで開発、製造され、営業運転に投入された。
25型客車は、車体長25.5m、幅3.105m、車高4.433m、最小通過曲線半径145mである。25型客車の構造上の特徴は:車体は全溶接構造、シャーシ、側壁、妻板、屋根で構成される。車体は高強度、耐腐蝕の軽量合金鋼で作られている。車体の構造は、中梁(シャーシの真ん中を貫通する梁)無し、圧筋(側壁の強度を強める補強材)無しの、薄板による筒型全体で荷重を受ける構造で、そのうち、シャーシ、側壁と屋根は密閉筒型構造を形成し、荷重負荷の特徴は、車体全体で荷重を受ける構造であることで、シャーシは中梁無しの構造を採用した。各系列の車輛(25B型を除く)は屋根にユニット式のエアコンを設置し、集中給電である。ユニット式のアルミサッシ窓が取り付けられ、低摩耗、低騒音の風除け、ゴム製の連結幌、密閉式の風防ガラスが採用された。構造速度が高く、快適性、安全性に優れている。定員は21型、22型客車より増加し、定員乗車時の車輛自重は低減した。
25型客車は初期の試作車の他、主要な型式には25A型、25B型、25C型、25DT型(国産第一世代の200Km/h高速客車を含む)、25G型、25Z型、25K型、25T型がある。25型客車には硬座車(普通車。中国語発音の“ying4zuo4”から“YZ”で表記。以下の表記方法も同様)、軟座車(グリーン車。RZ(ruan3zuo4))、硬臥車(普通寝台。YW(ying4qo4))、軟臥車(1等寝台。RW(ruan3wo4))、食堂車(CA(can1che1))、空調用発電車(KD(kong1tiao2 gong1dian4))、荷物車(XL(xing2li3))などの種類がある。
25型客車には、基本車型以外に二階建て客車が作られ、車体長は25.5mで変わらず、幅3.105m、車高4.75mで、車体底面から軌道面までの高さが0.25mである。空気ばね台車、ディスクブレーキが採用された。二階建て客車の客室は上層、下層に分かれ、両端は単層で、乗務員室、トイレ、補助室は単層の車端部に設けられている。上下層と両端部の間には階段が設置されている。硬座車の場合、定員は186席で、25型硬座車より58席多く、軟座車の場合は110席、25型軟座車より30席多い。この他、中長距離用二階建て寝台車も開発された。二階建て25型空調客車は1989年から、上海~南京間で営業運転に投入された。
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【1】 25A型客車
25A型客車は、国際入札で一時的に生産した、集中給電空調客車である。鉄道部は、衡広鉄路(湖南省衡陽~広州。京広鉄路の南側)複線化建設の円借款の残金を利用し、国際入札で168輛の25.5m長の集中給電空調客車を購入することとした。その後、長春客車廠(現長春軌道客車股份有限公司)、唐山機車車輛廠、南京浦鎮車輛廠が連合で応札し、受注した。3社は国際入札契約の技術条件の規定に基づき、イギリスと協力し試作を行い、1989~1990年の間に168輛の客車を製造したので、これらは「168客車」とも呼ばれている。25A型客車の車体は耐腐蝕鋼板を採用し、中梁が無く、圧筋による補強の無い、薄板の筒型荷重受け構造であった。車体にはユニット式空調が取りつけられ、車輛編成は発電車による集中給電であった。206型/209型(改良型)台車が採用された。構造速度は毎時140キロ、最大許容速度は120Km/hであった。これは平らな直線で800mで緊急制動ができることという要求を満足させるためであった。これらの客車は試験的な性格を持ち、輸入の高級材料と設備が用いられ、製造コストが高かった。車輛技術は1980年代の国際レベルに達していた。1990年から25A型客車は北京鉄路局、鄭州鉄路局に配置され、営業運転された。25A型客車の塗装は、オレンジ色に白色で、後の25G型客車に似ている。
【2】 25B型客車
25B型客車は一般のアップグレード、旧型の置き換え用車輛である。1991年、168輛の25A型の試作と運用が成功して後、鉄道部は再び、「アップグレード、旧型の置き換え用の25.5mの空調付き、及び空調無しの客車」生産の要求を提出した。長春客車工廠は25A型客車の基礎の上に、エアコン無しの25B型客車とエアコン付きの25G型客車の開発を同時に行った。25B型客車の設計の技術要件は25A/G型と全く同じであるが、25B型の硬座車、硬臥車、軟座車はエアコン無しとし、軟臥車、食堂車にのみエアコンを取り付け、その電力源は車体の下にディーゼル発電機を取り付け、25A/G型のような発電車からの集中給電方式は採らなかった。25B型は車体全体に耐腐蝕鋼板を用い、中梁無し、圧筋無しの筒型全体荷重受け構造で、アルミサッシの上半分が開く窓、折戸が採用された。209T/206G型台車が採用され、構造速度は毎時140キロ、最大許容速度は120Km/hで、これは平らな直線で800mで緊急制動ができることという要求を満足させるためである。製造メーカーは、長春軌道客車、唐山軌道客車、青島四方機車車輛廠、南京浦鎮車輛廠である。1993年に最初の25B型客車が投入され、運用を開始した。25B型客車の塗装は通常は緑色の車体に黄色の帯である。
【3】 25C型客車
25C型客車は、鉄道部が1990年代半ばに韓国の協力で設計された、広深鉄路(広州~深セン)用の高速客車で、同時にステンレス車体の製造技術を導入した。1994年に契約が結ばれ、客車は長春軌道客車と韓進重工業の協力で生産され、1994年から1995年までに30輛製造され、韓進重工業はステンレス車体の設計を担当し、長春軌道客車は200Km/h級のCW-2A型とCW-1A型高速台車の提供を担当、設計最高運行速度は時速200キロ、中国で初めて鉄道車輛にドラム型の車体構造を使用し、当時中国唯一の200Km/h級の高速客車車体であった。自動センサー制御ドア、気密式風防窓を採用、発電車には全車故障自動検出監視システムを備えていた。しかし、実際の運行の中で、台車の運行追随性とフレームの強度不足が発見され、運行時の最大運行速度は160Km/hに制限され、後に更に25C型の車体の速度表記は140Km/hとされた。25C型客車は1998年に広州鉄路集団に配属され、広深鉄路線で営業運転に入った。25C型は製造コストが高すぎる為、それ以降は製造されていない。
【4】 25G型客車
25G型客車は1991年に168輛の25A型新型空調客車の試作と運用に成功後、鉄道部が再び生産要求を出し、長春客車廠が25A型の基礎の上に開発した。25G型客車の設計技術条件は25A型と同一で、同様に屋根上に集中式ユニット・クーラーを設置し、空調発電車から集中的に給電する。25G型は、品質と性能が保証されるとい前提の下、25A型客車の部品を国産化し、製造コストを引き下げた。209T/206G/206P型台車を採用した。構造速度は毎時140キロ、最大許容速度は120Km/hで、これは平らな直線で800mで緊急制動ができることという要求を満足させるためである。25G型客車は1992年から生産が始まり、製造メーカーは、長春軌道客車、唐山軌道客車、青島四方機車車輛廠、南京浦鎮車輛廠である。25G型客車は、最初、1992年に京滬線(北京~上海)の直通特急列車として運用が開始された。1994年から、25G型客車が大規模生産が開始され、次々と元のエアコン無しの車輛と置き換えられていった。長年生産される中で、台車と車体は何度も改良が加えられ、例えば、ディスクブレーキと電子式の滑り止め装置の付いた209P型台車、機関車からの給電システムに変更、密閉式プラグイン・ドア、内側を開け閉めできる窓、密封式の風防窓などが採用されてきた。25Gの塗装はオレンジ色と白を主体とし、このため「赤い客車」と呼ばれている。
【5】25Z型客車 25Z型客車は、当初広深鉄路のため開発された客車で、主に中短距離の都市近郊特急列車に用いられる。25Z型準高速客車の“Z”は準高速を表す(中国語で“zhun3 gao1su4”)。206KP/206WP/CW-2/209HS型の台車を採用している。構造速度は160Km/hで、最高試験速度は183Km/hに達した。青島四方機車車輛廠、長春客車廠、南京浦鎮車輛廠で開発、製造され、1993年から1996年まで、2回製造された。25Z型客車は型式の統一がなされなかったので、前後2度と各鉄路局向けの25Z型客車とで、それぞれ異なる。25Z型客車は、1回目は1993~1994年に製造され、広深準高速鉄路線で使用された。2回目は1996年に製造され、北京鉄路局、上海鉄路局、広深鉄路股份有限公司に配属された。25Z型客車の各車種には、ユニット式空調装置、自動電気湯沸かし器、琺瑯製の洗面台、電子情報表示装置、有線及び無線電話システム等が完備していた。25Z型客車は設計上の欠陥があり、高速運行時の安定性と台車の抗蛇行能力に問題があったので、後に25Z型の車体の表記速度は140Km/hに改められた。25Z準高速客車は中国鉄道の初代の高速客車であった。広く使われることはなかったが、この開発は、後に大量に作られた25K型客車のために経験を蓄積することとなった。
(次回に続きます)
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【5】平仄の現代漢語での活用
以上述べたように、平仄で縛られるのは古代の律詩であるが、元々、平仄は中国語の音韻の特性に基づき、読みやすく、聴いて耳に快い感覚から生まれたものであるので、現代文にもこの平仄の技法は活かされている。
例えば、多くの四字格の成語では:
① 前功尽棄/餐風飲露/単槍匹馬/来龍去脈/銅墻鉄壁/偸工減料
② 視死如帰/異想天開/画餅充飢/問道于盲/断簡残編/痛改前非
例①の成語は平平仄仄、例②は仄仄平平である。どちらも、平仄が相対していて、読んでみると調子が良く、聴くと耳に心地よい。
現代の韻文は一般に句中の音節の平仄は問わないが、句末の音節の平仄には気をつける。これには二つの型がある:一つは“上仄下平”で、これは戯曲の歌の歌詞の基本的な型である。もう一つは“同調相押”、または“一条龍”と呼ばれ、韻脚(句末の韻)に同じ声調の同じ韻の文字だけを用いるもので、快板書、歌謡などがこの方式を常用している。
老舎はこう言った:「中国語の中で、文字は平仄に分かれる。平仄を変えることは、私たちの詩の様式の発展の上で大きな役割を果たした。私たちは今日既に散文を書いたり芝居を書く時に、この点を無視しがちで、話を書くことばかり考え、声調の美しさに注意するのを忘れている。しかし実は、たとえ散文を書く場合でも、平仄の排列にも気をつけるべきである。」(《戯話浅論》)
例えば:
③ 一張白紙,没有負担。
④ 好写最新最美的文字,好画最新最美的画図。
例③の上の句、“白紙”は平仄、下の句“負担”は仄平。例④の上の句“文字”は平仄、下の句の“画図”は仄平。平仄の調和をとるため、個別の語句の語順を変え、“画図”と言って、図画とは言わない。文章全体に抑揚や強弱がつき、調和がとれて、読みやすい。
以上をまとめると、現代の散文の平仄の調和は主に二つの面で表現される:一つは語句の末尾は平仄が呼応しているかどうか注意する。一般には前が仄声、後ろが平声である;もう一つは、平仄の重複、変化に注意する。一般には二文字ごとに変化させる。
(本稿 了)
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【3】近代の中国語音韻の変化
中古の音韻が近代の北方語系に発展する中で、g、d、pの入声は失われた。大部分の北方区域では、入声は既に消失した。韻尾のmはnの中に包含された。声母では、濁音声母は清音に含められ、また声母の舌前化、主韻母の母音の混同化の傾向がある。このように語音系統に大量の同音文字が増加している。例えば、七、戚、妻、欺は中古代の音韻では区別されていたが、入声の消失に、声母の舌前化、母音の混同化の結果、現代漢語では何れもqiと読まれるようになった。また例えば、“男”と“難”、“甘”と“干”は現在は皆nan、ganと読むが、これは韻尾の-mが-nに編入された結果である。“到”と“盗”、“半”と“伴”は現在は皆dao、banと読むが、これは濁音が清音に編入された結果である。
読音系統と音節の単純化の結果、元々声母と韻母、或いは声調の上で区別されていた文字が、現代漢語では区別が無くなってしまった。現代漢語は同音の増加によって引き起こされる語義の混同の問題をどのように解決しているのか。それは、語彙の双音節化である。例えば、勢→勢力、逝→消逝、嗜→嗜好、柿→柿子、事→事情などがそうである。
【4】律詩での平仄の運用
中国の詩歌は斉梁の時代に到り、意識的に平仄と音律の追求が求められ始めた。唐代に到り、平仄、対句形式の格律詩が正式に形成された。それ以前の平仄、対句、脚韻などの要求が厳格でない、或いは要求されない詩を“古体詩”と呼び、簡単に“古詩”、或いは“古風”と言った。これに相対する格律詩を、“近体詩”と呼んだ。
平仄は律詩の重要な組成部分である。平仄を強調するのは、詩句に抑揚と強弱を持たせ、音律と脚韻の美を持たせるためである。律詩は一般に8句で構成され、2句ごとが一聯である。8句中、第1、2句が“首聯”、第3、4句が“頷聯”、第5、6句が“頸聯”。第7、8句が“尾聯”である。首聯、頸聯はまた上聯とも言う。頷聯、尾聯はまた下聯とも言う。各聯の上の句が“出句”、下の句が“対句”である。李商穏の《錦瑟》を例にすると:
出句 対句
錦瑟無端五十弦, 一弦一柱思華年。 (首聯)
庄生暁夢迷蝴蝶, 蜀帝春心托杜鵑。 (頷聯)
滄海月明珠有涙, 藍田日暖玉生煙。 (頸聯)
此情可待成追憶, 只是当時已惘然。 (尾聯)
律詩は“黏”、“対”を重んじる。もし詩中の平仄の形式が“黏”、“対”の規律に合っていないと、それを“失黏”、“失対”と称し、何れも律詩の忌み嫌うところである。
いわゆる“黏”とは、上聯の対句の二番目の文字の平仄と下聯の出句の二番目の文字の平仄が同じことを指す。上で挙げた李商穏の《錦瑟》を例にすると、首聯の対句の二番目の文字は“弦”で平声で、頷聯の出句の二番目の文字が“生”で、これも平声である。頷聯の対句の二番目の文字は“帝”で、仄声で、頸聯の出句の二番目の文字は“海”で、これも仄声である。頸聯の対句の二番目の文字は“田”で平声であり、尾聯の出句の二番目の文字は“情”で、これも平声である。これらのことがいわゆる“黏”である。
いわゆる“対”とは、一つの聯の中の出句と対句の二番目の文字の平仄が相反することを指す。上の律詩を例にすると:首聯の出句の二番目の文字は“瑟”で、仄声である。対句の二番目の文字は“弦”で、平声である。頷聯で出句の二番目の文字は“生”で、平声である。対句の二番目の文字は“帝”で、仄声である。頸聯の出句の二番目の文字は“海”で、仄声である。対句の二番目の文字は“田”で平声である。尾聯の出句の二番目の文字は“情”で、平声である。出句の二番目の文字は“是”で、仄声である。
律詩の全ての句では、平仄の句式は何れも固定されている。
そのうち、五言律詩には2分類・計4種がある。
仄声で始まるもの:甲1 仄仄仄平平 甲2 仄仄平平仄
平声で始まるもの:乙 1 平平仄仄平 乙2 平平平仄仄
七言律詩も、二分類・計4種がある。
平声で始まるもの:甲1 平平仄仄仄平平 甲2平平仄仄平平仄
仄声で始まるもの:乙1 仄仄平平仄仄平 乙2仄仄平平平仄仄
律詩が韻字を用いる時の平仄にも規定があり、一般に平声に韻字を用いる(極めて少数だが、仄声に韻字を用いることもある)。古体詩では、平声で韻字を用いることができ、仄声にも韻字を用いることができる。
律詩の“黏”、“対”の規則と入韻の原則(平声の韻字は入韻し、仄声の韻字は一般に入韻しない)の規定に基づき、上記の4種の句型の適切な配列が、律詩の平仄の格律である。
1.最初の首の句が入韻する
五言。 七言
平平仄仄平,仄仄仄平平。 平平仄仄仄平平,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
2.平声から始まる最初の句が入韻しない
五言。 七言
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
3.仄声から始まる最初の句が入韻する
五言 七言
仄仄仄平平,平平仄仄平。 仄仄平平仄仄平,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
4.仄声から始まる最初の句が入韻しない
五言 七言
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
仄仄平平仄,平平仄仄平。 仄仄平平平仄仄,平平仄仄仄平平。
平平平仄仄,仄仄仄平平。 平平仄仄平平仄,仄仄平平仄仄平。
以上は格律詩の平仄の句の様式が定まった後の4分類8種の組合せの情況である。ただ、一句一句の平仄の決まりを必死で覚える必要はなく、規則に従っていけば、自然と推察することができる。
律詩の平仄に対する要求はたいへん厳格であるが、一部が完全には上記の格律に合っていなくても許される場合がある。これを“変格”という。しかし変格にもルールがあって、詩句の1、3、5番目の字(五言詩は5番目の字は含まない)でのみ現れる。
(次回に続く)
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