今回は飲茶の点心から、蝦餃(ハーカオ。エビ餃子)と鳳爪(ニワトリの足先の煮物)です。日本でも、飲茶が随分ポピュラーになってきましたので、蝦餃は目にする機会も増えたと思いますが、鳳爪については好き嫌いが分かれることと思います。しかし沈宏非に言わせると、それは中国内でも同様で、地方による食習慣の違いであるようです。
鳳爪你個蝦餃
中国では、茶楼に上がって茶を飲む風習は別に広東独自のものではないが、広東式茶楼でのいわゆる“点心”と、“点心”の本来の意味との間には大きな隔たりがある。
《辞海》の解釈によれば、“点心”とは「腹が減った時に軽く口に入れる物や、ケーキやクッキーの類のスナック」である。南宋の人、庄季裕《鶏肋編》巻下に言う:年長の人がいささか空腹を覚えたのを、若い者がそれを見て、懐の中の蒸した餅(ビン。小麦粉をこねて蒸したり焼いたりしたもの)を出して言った。「これで空腹を凌げば、気持ちを引き立たせることができましょう」(“可以点心”)。周密《癸辛雑識前集・健啖》:卿は健啖であると聞くが、朕は小さな点心でお相手したいと思うが、如何か?
総じて言えば、“点心”は本来は一種の食べて楽しむもので、茶食について言えば、北京、南京、杭州、及び成都等の土地の茶楼では、通常はピーナツ、瓜子(クアズ)、干した果物の類しか見ないが、ただ広東の茶楼では、この閑食が「厳格な意味での」食物に発展し、“点心”、つまり空腹を凌いで気持ちを引き立たせるだけでなく、満腹になることもできる。アメリカ英語で“点心”をdimsunと音訳するのは、元は広州語の発音である。
昔の広州の茶楼では、点心は二三十種類であったが、外地の人にとっては、充分に多種多様で壮観であった。現在では、点心の品種は千種類以上に増え、フカヒレ(魚翅餃:フカヒレ入り餃子)やツバメの巣(燕窩蛋達:ツバメの巣入り卵タルト)までもがメニューの中に見られるようになった。飲茶は食事になるだけでなく、茶楼に酒を並べてもあまり失礼にならないようになった。ある意味では、「お茶受け」(茶点)の観念に拘りさえしなければ、このような様々な精進、生臭入り混じっての“点心”を出すことは技術的には別に困難ではない。難しいのは、これらの物が生臭であれ、また甘いものであれ塩辛いものであれ、お茶で人々の腹の中に流し込まれることである。
それはともかく、今日客達が茶楼で食べる点心は、おおよそ二十種類を超えないだろう。それは例えば蝦餃、鳳爪、煎(蒸)蘿卜糕、馬蹄糕、粉果、叉焼包、蓮蓉包、糯米鶏、芋角、咸水角、叉焼酥、腸粉、米粉、河粉、粥、麺などである。そしてこれら「基本の点心」の中では、蝦餃(エビ餃子)、鳳爪(鶏の足先の部分)をどこに出しても恥ずかしくない「主力選手」としている。この二つの点心は、出場率が最も高いだけでなく、同時に客達がその茶楼の料理のレベルを推し量る代表的な点心である。私の推測では、広州人が嘗てよく言った、いわゆる“一盅両件”(“盅”は取っ手の無い湯呑み茶碗のこと。“一盅両件”とは、一杯のお茶と点心二皿の意味)の中の“両件”が指すもので最も可能性が高いのは蝦餃と鳳爪である。これ以外に、この二つの言葉は広東の通俗文化の中で、あまねく用いられる符丁になっている。1980年代中ごろに王晶が制作した香港映画の中で、男性主人公は乱暴な言葉を使う癖を直す為、次のようなやりとりがある。“我叉焼包你個糯米鶏!”“我鳳爪你個蝦餃!”このように罵り合い、何度かやりとりするうち、おかしくてたまらない(“楽不可支”)観客達が空腹を覚えたかどうかはわからない。
佼佼者 (最も優れたもの)
ニラと豚肉を餡にした水餃子が北方人の日常の飲食の“掌門人”(武術などの流派の主催者)とすれば、新鮮な蝦を餡にした蝦餃(ハーカオ)は、広東式点心の“大侠”(親分)で、最も優れたものである。
広州の文化史の資料からわかることは、蝦餃は広東式の点心の中で唯一、来歴が有り“出処”のはっきりしたもので、決して「訳無く」出てきたものではない。1920年代、広州市郊外、河南漱珠崗付近の五風郷一帯は、街は活気があり、水産物が豊富で、川の上ではいつも漁船が魚やエビを売っていた。そして、村の一軒の茶店の主人が地元の物を材料に、新鮮のエビの剝身を餡にし、上等のもち米の粉で皮を作り、遂に他に比べようも無く美味しい蝦餃を作り出したところ、毎日供給が追い付かなかった。絶えず改良を行い、遂に農村から都市に行きわたり、広州の茶楼の代表的な点心の一つになった。
新鮮なエビの剝身を餡にしていることが、間違いなく蝦餃の第一の売り物である。種々様々の「皮に包まれた」食品について言えば、餡の材料の主導的地位は言うまでもなく(“不言而喩”)、北方の餃子であれアメリカのハンバーガーであれ、その味と販売価格の相違は、皆「外因が内因を通じて作用した」ものである。いわゆる「中身が王様」である。好みの「包まれていない」食物を、通常は細かく刻んで餡にし、それを包みこむに、果てしなく細かくしたいという衝動に駆られるが、餡にするに十分なだけ細かくなってさえいればよいのである。ただ、内陸地区に住むコックでは、どう考えても、新鮮なエビの剝身で餡を作るというインスピレーションは永遠に湧いてこないだろう。更に、餡にするエビの剝身は元のエビのような口当たりで弾力性を保たなければならず、肉や野菜のように粉々にしてしまってはならないとは尚更想像すらできないだろう。(昔の蝦餃の餡もエビ肉を切り刻んでいたが、エビの剝身をそのまま使うのは後の改良である。)
蝦餃の美しさは内なるエビの身の完全性だけでなく、外側の白地の皮(“坯皮”)にもある。小麦粉を皮にした北方の餃子と違い、蝦餃の白地の皮は澄(広東語音では“”)粉を調製して作る。いわゆる“澄粉”(また“澄面”とも言う)は、小麦粉のグルテン(糊状の物質)を洗い流した後の産物で、色は白くきめが細かく滑らかで、蒸し上げると、よりきらきらと透明になる。蝦餃の白地の皮が十分薄ければ、内部のあのピンク色や赤色のエビの剝身は白地に赤く透けて見え、隠れる如く現れる如く、見る者に涎を垂らしそうにさせる。
くし状に形作られた蝦餃は外観上の造型もたいへんかわいらしい。嘗て泮渓酒家の名料理人が考案して、各種の「白兔の形の蝦餃」を作り、ハムの粒をウサギの眼にし、宴席に出す時には更に香菜と錦糸卵で周囲を「レース」模様で飾った。《ニューヨークタイムズ》の記者をして神業と驚嘆させ、これは「食品であるだけでなく、芸術作品である」と言わしめた。しかし、形は形、芸術は芸術、工夫を凝らした形もここに至っては天然の本来の意を失っている。ある美食家が言うように、「白兔の餃子は半円のくしの形の蝦餃の本尊とは、中の餡や造形に大きな違いがあったとしても、同じ遺伝子が変異した分身に過ぎない。」
出汁 (汁が十分)
蝦餃はどの広東式茶楼にでも必ずある基本の点心であるが、これを美味しく作るのは、十分研究を要する学問である。
いわゆる“学問”とは、先ず使っている材料に最上のものを確保する、すなわち主な材料のエビの剝身が新鮮で、それに配する材料がそれに合うものであるということである。正統なエビの剝身の餡の材料は、主に生の成熟したエビの身、豚の脂身、及び筍の細切り等を含み、白地の皮を作るのに使う澄面にはラード、塩、水を加えて作り、必ず十分に薄く、透明でなければならない。このようにして蒸した蝦餃は、食べるとほどよい量の甘い汁が出て、澄粉の柔らかさ、滑らかさとエビの身の歯への弾力が、珠が連なったように一つになり(“珠聯璧合”)、初めて最も充分な効果が得られるのである。木を見て森を見ず(“只見樹木不見森林”)の食客の機嫌を取るため、昨今の蝦餃の制作者は、しばしばエビの身の大きさやその完全さばかり強調し、それ以外の材料のバランスや品質のことを疎かにしている。最も憂鬱になるのは、健康志向の潮流の圧迫の下、皮や餡の中に必要不可欠なラードの成分が大いに減少、ひどいものは完全に無くなっていて、そのため、蝦餃の食感が味気ないものになってしまい、エビの身の弾力だけが残っていることである。
実際は、筍やエビが入っているのは別に難しいことでなく、中に一匹丸々のエビの剝身の隠れている蝦餃は、広州の多くの茶楼で売っている。あけすけに言えば、筍、エビときらきらした透明できれいにひだを刻まれた薄皮は、最後には“汁”が浸み出してこそ蝦餃が持っていなければならない美味が発せられるのであり、それには豚の脂身やラードが鍵を握っている。実際、広東式の点心は脂っこいものが多いが、「脂っこくしたくて脂っこい」のではなく、茶を飲むことによって「油を洗い流す」という意味がある。このことは、突拍子もなく可笑しいと喝破されるかもしれないが、なに、人生みんなこんなものである。
この他、外形の美観を保つため、皮を指先でひねって形作りをするのも蝦餃の制作過程で気の抜けない工程である。一粒ずつ注意深く形を整えられたエビは、ひだや紋がくっきりとしてすらっと長く、このようであって初めて見た感じが「すらっと弧を描く」美しさを持つことができるのである。
香港の美食家、唯霊先生はこう指摘した。「その店の点心のレベルがどうかは、ベテランは三種類の点心を見れば、あらましを知ることができる。それは一に蝦餃、二に叉焼包、三に蓮蓉酥である。蝦餃はきらきらした透明できれいにひだが刻まれ、白い中に赤が透けて見え、皮は薄く粘り強くしなやかで、三日月の形をし、ひだは最低十個付いていなければならない。餡は筍とエビが入っていて、汁が有り、エビは弾力があって本来の味がなければならない。」
大部分の茶楼が直接食品加工工場から食品を仕入れるようになった今日では、このような蝦餃を味わうのは、実にぜいたくなことである。念入りに作られた蝦餃を、広州市内で食べられるのも“花城海鮮酒家”だけである。“花城蝦餃皇”(6個30元。蒸籠1個18元/3個入り)は、広州の物価から言うと、高いことは高いが、その品質は上々である。もちろん、ツバメの巣やフカヒレが“花城”のメインであり、点心は副業に過ぎないが、彼らはきっとツバメの巣やアワビを料理するのと同じ態度で蝦餃を作っているのであろうと想像できる。
濃妝艶抹 (厚化粧)
鳳爪はニワトリの足先(爪子)に対する、「スズメ転じて鳳凰になる」式の美化された修辞である。(もちろん、あなたがスポーツ愛好家なら、大げさにこれを「美女の足」と呼ぶこともできる。)しかし、“鳳”という伝説上の神聖で高貴な飛禽も、実際は雉に過ぎないと言われている。
しかし、どんなに高貴な名前であろうと、鳳爪は相変わらず卑賤なものに過ぎない。たとえ広東式の点心の中でも、味の上で蝦餃といっしょに論議することはできない。しかしながら、点心の中に鳳爪を欠かすことができない由縁は、先ずその唯一無二の食感による。骨を除くと、皮の中のゼラチン質だけで、鳳爪は食べるべき肉が付いておらず、別にとりたてて美味しいものではない。だから、点心師(点心制作担当の料理人)は鳳爪の調理では手間と材料を惜しまない。茶楼での鳳爪は通常先ず油で揚げ、それから醤油、牡蠣油、柱侯醤(醤油にニンニクや砂糖を加えた調味料)、唐辛子、八角、ネギ、ニンニク、生姜などの調味料に漬け、最後に蒸す。したがって、茶楼で食卓に出される鳳爪は、見たところ全身厚い化粧を施され、もはやその生前の姿を想像することはできない。
実際は、鳳爪は味付けが容易なので、味付けの上では必ずしも一定の決まりは無い。十分柔らかく蒸されており(広東語で“淋”と言う)、口に入れた時十分芳しければ、完成である。
こうして見ると、これに付けられた美名の他は、鳳爪は別に美味しいものではない。しかし、茶楼の客達が好むのはこの一口である。この点心は京劇の中の茶番劇(“挿科打諢”)のような役割で、鳳爪は食べるべき肉も無く、また取り立てて美味しくもないが、噛み応えは十分ある。口の中で、この爪はひらひら舞い、むしゃむしゃ咀嚼する間に、細い骨が一本一本音も無く吐き出される。唇と歯の間のおもしろい動きである。おもしろいと言えば、古龍の《絶代双驕》の中で鶏爪鎌という名の武器が出てくる。これは憐星宮主と鶏冠人の武闘の場面で登場する。「鶏冠人の目の中には凶悪な光が現れ、突然手まねをすると、三双の鶏爪鎌が現れ、直ちに風を突いて憐星宮主に向け投げつけた……憐星宮主は長い袖で振り払うと、五本の柄の鶏爪鎌は「ガラッ」と地面に落ちた。彼女は手で柄を一本つかんでそれをしげしげと見ると、笑って言った。「何かと思えば鶏爪鎌、さて味はどうだろう?」とおちょぼ口をかすかに開いて、鶏爪鎌を口に入れた。「カシャッ」と音がして、この鋼で鋳られた、世の中で皆が恐れをなす武器が、むざむざと彼女に食べられてしまった。憐星宮主は首を振って言った。「まあ、この鶏の足はなんて不味いの!」「ペッ」と口の中に半分残った鉄爪を吐き出してしまった。すると銀色の光がきらめき、風の音がかすかに響き、残された花衣の人は突然うめき声を上げ、両手で顔を覆い、地面をのたうち回った。鮮血が絶えず指の間から流れ出し、何度ものたうち回ると、もう動けなくなった。」
鳳爪は、実際は動詞であり、修辞学の意味のうえでは、“蝦餃你個鳳爪”というのは、“鳳爪你個蝦餃”と改めた方が良さそうだ。
鳳爪は広東式の茶楼での欠くことのできない伝統的な点心であるだけでなく、日常の広東料理の中でもよく使われている。例えば、広東人はスープを煮込む時に適量の鳳爪を入れるのを好む。そうするとそのゼラチン質でスープのコクが増すからである。しかし、私がずっと分からないのは、どうして同じものが茶楼では“鳳爪”と呼ばれ、スープに入れられると一律にまた元通り“鶏脚”になるのかである。(例えばよく見る“花生眉豆煲鶏脚”は未だかつて“花生眉豆煲鳳爪”と言われたことはない。)“鶏脚”は点心の時だけ“鳳爪”と呼ばれるというのだろうか?
外省人は鶏を食べる時、鶏の内から外まで余す所はほとんど無いが、広州人の“鳳爪”を好むことについてはいささか見方があるようである。先ず、この物は肉が付いていないだけでなく、食べるのが面倒で、「けちけちしない」ことを尊ぶ北方の人は尚更に蔑む。この他、文化上のタブーもある。私は小さい時大人が、鶏の足先を食べると字がきれいに書けなくなると言うのを聞いたことがある。後に私は呉倩蓮が対談で、彼女は幼い時から鶏の足先を怖くて食べれなかった、というのは母親が鶏の脚は書物を破いてしまうし、「書物から学んだものをすぐに忘れてしまう」と言っていたから、と言っているのを読んだ。後に香港に住んでから、茶楼に行く度、美味しそうな豉汁鳳爪や白雲鳳爪を見ては涎が止まらなかったが、ずっと鳳爪の美味を試すことがなかった。
外国人の友邦の驚きに至っては、ことさら言うまでもない。香港のTV局、明珠台が以前英国人制作のバラエティー番組Don’t do this at home(中国語訳《敢玩倶楽部》)を放送したが、内容は苦心惨憺して思い付いた、スリルのある冒険ゲームで、例えば蜘蛛が嫌いな人が密閉された狭い空間でたくさんの蜘蛛といっしょに過ごしたり、高所恐怖症の人が空中から飛び降りる、といった内容である。その中に一つレギュラー・コーナーがあり、スタジオの観衆が舞台に上がり「びっくりするような」食品を食べてみるというもので、これらの食品の中に鳳爪と蚕の蛹が出てきた。私の記憶では、鳳爪が出てきた回は、皿を覆っていた蓋がはずされても、舞台の上の六名のイギリス人の男女は最初は皿の中がどんな物か見ても分からず、司会者が促すと、皆怖くて血の気が引き、中にはがまんできず吐きそうになったり、一人の女性は悲鳴を上げた。しばらくして、一人の勇敢な中年男性が遂に勇気を出して、つまみあげて口に入れ一噛みした。続いてもう一噛み……言うまでもなく、たいへん勇敢な人だ。もう一人、口に入れた女性は、司会者に促され、一噛みしたが、こっそり吐き出していた。
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
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鳳爪你個蝦餃
中国では、茶楼に上がって茶を飲む風習は別に広東独自のものではないが、広東式茶楼でのいわゆる“点心”と、“点心”の本来の意味との間には大きな隔たりがある。
《辞海》の解釈によれば、“点心”とは「腹が減った時に軽く口に入れる物や、ケーキやクッキーの類のスナック」である。南宋の人、庄季裕《鶏肋編》巻下に言う:年長の人がいささか空腹を覚えたのを、若い者がそれを見て、懐の中の蒸した餅(ビン。小麦粉をこねて蒸したり焼いたりしたもの)を出して言った。「これで空腹を凌げば、気持ちを引き立たせることができましょう」(“可以点心”)。周密《癸辛雑識前集・健啖》:卿は健啖であると聞くが、朕は小さな点心でお相手したいと思うが、如何か?
総じて言えば、“点心”は本来は一種の食べて楽しむもので、茶食について言えば、北京、南京、杭州、及び成都等の土地の茶楼では、通常はピーナツ、瓜子(クアズ)、干した果物の類しか見ないが、ただ広東の茶楼では、この閑食が「厳格な意味での」食物に発展し、“点心”、つまり空腹を凌いで気持ちを引き立たせるだけでなく、満腹になることもできる。アメリカ英語で“点心”をdimsunと音訳するのは、元は広州語の発音である。
昔の広州の茶楼では、点心は二三十種類であったが、外地の人にとっては、充分に多種多様で壮観であった。現在では、点心の品種は千種類以上に増え、フカヒレ(魚翅餃:フカヒレ入り餃子)やツバメの巣(燕窩蛋達:ツバメの巣入り卵タルト)までもがメニューの中に見られるようになった。飲茶は食事になるだけでなく、茶楼に酒を並べてもあまり失礼にならないようになった。ある意味では、「お茶受け」(茶点)の観念に拘りさえしなければ、このような様々な精進、生臭入り混じっての“点心”を出すことは技術的には別に困難ではない。難しいのは、これらの物が生臭であれ、また甘いものであれ塩辛いものであれ、お茶で人々の腹の中に流し込まれることである。
それはともかく、今日客達が茶楼で食べる点心は、おおよそ二十種類を超えないだろう。それは例えば蝦餃、鳳爪、煎(蒸)蘿卜糕、馬蹄糕、粉果、叉焼包、蓮蓉包、糯米鶏、芋角、咸水角、叉焼酥、腸粉、米粉、河粉、粥、麺などである。そしてこれら「基本の点心」の中では、蝦餃(エビ餃子)、鳳爪(鶏の足先の部分)をどこに出しても恥ずかしくない「主力選手」としている。この二つの点心は、出場率が最も高いだけでなく、同時に客達がその茶楼の料理のレベルを推し量る代表的な点心である。私の推測では、広州人が嘗てよく言った、いわゆる“一盅両件”(“盅”は取っ手の無い湯呑み茶碗のこと。“一盅両件”とは、一杯のお茶と点心二皿の意味)の中の“両件”が指すもので最も可能性が高いのは蝦餃と鳳爪である。これ以外に、この二つの言葉は広東の通俗文化の中で、あまねく用いられる符丁になっている。1980年代中ごろに王晶が制作した香港映画の中で、男性主人公は乱暴な言葉を使う癖を直す為、次のようなやりとりがある。“我叉焼包你個糯米鶏!”“我鳳爪你個蝦餃!”このように罵り合い、何度かやりとりするうち、おかしくてたまらない(“楽不可支”)観客達が空腹を覚えたかどうかはわからない。
佼佼者 (最も優れたもの)
ニラと豚肉を餡にした水餃子が北方人の日常の飲食の“掌門人”(武術などの流派の主催者)とすれば、新鮮な蝦を餡にした蝦餃(ハーカオ)は、広東式点心の“大侠”(親分)で、最も優れたものである。
広州の文化史の資料からわかることは、蝦餃は広東式の点心の中で唯一、来歴が有り“出処”のはっきりしたもので、決して「訳無く」出てきたものではない。1920年代、広州市郊外、河南漱珠崗付近の五風郷一帯は、街は活気があり、水産物が豊富で、川の上ではいつも漁船が魚やエビを売っていた。そして、村の一軒の茶店の主人が地元の物を材料に、新鮮のエビの剝身を餡にし、上等のもち米の粉で皮を作り、遂に他に比べようも無く美味しい蝦餃を作り出したところ、毎日供給が追い付かなかった。絶えず改良を行い、遂に農村から都市に行きわたり、広州の茶楼の代表的な点心の一つになった。
新鮮なエビの剝身を餡にしていることが、間違いなく蝦餃の第一の売り物である。種々様々の「皮に包まれた」食品について言えば、餡の材料の主導的地位は言うまでもなく(“不言而喩”)、北方の餃子であれアメリカのハンバーガーであれ、その味と販売価格の相違は、皆「外因が内因を通じて作用した」ものである。いわゆる「中身が王様」である。好みの「包まれていない」食物を、通常は細かく刻んで餡にし、それを包みこむに、果てしなく細かくしたいという衝動に駆られるが、餡にするに十分なだけ細かくなってさえいればよいのである。ただ、内陸地区に住むコックでは、どう考えても、新鮮なエビの剝身で餡を作るというインスピレーションは永遠に湧いてこないだろう。更に、餡にするエビの剝身は元のエビのような口当たりで弾力性を保たなければならず、肉や野菜のように粉々にしてしまってはならないとは尚更想像すらできないだろう。(昔の蝦餃の餡もエビ肉を切り刻んでいたが、エビの剝身をそのまま使うのは後の改良である。)
蝦餃の美しさは内なるエビの身の完全性だけでなく、外側の白地の皮(“坯皮”)にもある。小麦粉を皮にした北方の餃子と違い、蝦餃の白地の皮は澄(広東語音では“”)粉を調製して作る。いわゆる“澄粉”(また“澄面”とも言う)は、小麦粉のグルテン(糊状の物質)を洗い流した後の産物で、色は白くきめが細かく滑らかで、蒸し上げると、よりきらきらと透明になる。蝦餃の白地の皮が十分薄ければ、内部のあのピンク色や赤色のエビの剝身は白地に赤く透けて見え、隠れる如く現れる如く、見る者に涎を垂らしそうにさせる。
くし状に形作られた蝦餃は外観上の造型もたいへんかわいらしい。嘗て泮渓酒家の名料理人が考案して、各種の「白兔の形の蝦餃」を作り、ハムの粒をウサギの眼にし、宴席に出す時には更に香菜と錦糸卵で周囲を「レース」模様で飾った。《ニューヨークタイムズ》の記者をして神業と驚嘆させ、これは「食品であるだけでなく、芸術作品である」と言わしめた。しかし、形は形、芸術は芸術、工夫を凝らした形もここに至っては天然の本来の意を失っている。ある美食家が言うように、「白兔の餃子は半円のくしの形の蝦餃の本尊とは、中の餡や造形に大きな違いがあったとしても、同じ遺伝子が変異した分身に過ぎない。」
出汁 (汁が十分)
蝦餃はどの広東式茶楼にでも必ずある基本の点心であるが、これを美味しく作るのは、十分研究を要する学問である。
いわゆる“学問”とは、先ず使っている材料に最上のものを確保する、すなわち主な材料のエビの剝身が新鮮で、それに配する材料がそれに合うものであるということである。正統なエビの剝身の餡の材料は、主に生の成熟したエビの身、豚の脂身、及び筍の細切り等を含み、白地の皮を作るのに使う澄面にはラード、塩、水を加えて作り、必ず十分に薄く、透明でなければならない。このようにして蒸した蝦餃は、食べるとほどよい量の甘い汁が出て、澄粉の柔らかさ、滑らかさとエビの身の歯への弾力が、珠が連なったように一つになり(“珠聯璧合”)、初めて最も充分な効果が得られるのである。木を見て森を見ず(“只見樹木不見森林”)の食客の機嫌を取るため、昨今の蝦餃の制作者は、しばしばエビの身の大きさやその完全さばかり強調し、それ以外の材料のバランスや品質のことを疎かにしている。最も憂鬱になるのは、健康志向の潮流の圧迫の下、皮や餡の中に必要不可欠なラードの成分が大いに減少、ひどいものは完全に無くなっていて、そのため、蝦餃の食感が味気ないものになってしまい、エビの身の弾力だけが残っていることである。
実際は、筍やエビが入っているのは別に難しいことでなく、中に一匹丸々のエビの剝身の隠れている蝦餃は、広州の多くの茶楼で売っている。あけすけに言えば、筍、エビときらきらした透明できれいにひだを刻まれた薄皮は、最後には“汁”が浸み出してこそ蝦餃が持っていなければならない美味が発せられるのであり、それには豚の脂身やラードが鍵を握っている。実際、広東式の点心は脂っこいものが多いが、「脂っこくしたくて脂っこい」のではなく、茶を飲むことによって「油を洗い流す」という意味がある。このことは、突拍子もなく可笑しいと喝破されるかもしれないが、なに、人生みんなこんなものである。
この他、外形の美観を保つため、皮を指先でひねって形作りをするのも蝦餃の制作過程で気の抜けない工程である。一粒ずつ注意深く形を整えられたエビは、ひだや紋がくっきりとしてすらっと長く、このようであって初めて見た感じが「すらっと弧を描く」美しさを持つことができるのである。
香港の美食家、唯霊先生はこう指摘した。「その店の点心のレベルがどうかは、ベテランは三種類の点心を見れば、あらましを知ることができる。それは一に蝦餃、二に叉焼包、三に蓮蓉酥である。蝦餃はきらきらした透明できれいにひだが刻まれ、白い中に赤が透けて見え、皮は薄く粘り強くしなやかで、三日月の形をし、ひだは最低十個付いていなければならない。餡は筍とエビが入っていて、汁が有り、エビは弾力があって本来の味がなければならない。」
大部分の茶楼が直接食品加工工場から食品を仕入れるようになった今日では、このような蝦餃を味わうのは、実にぜいたくなことである。念入りに作られた蝦餃を、広州市内で食べられるのも“花城海鮮酒家”だけである。“花城蝦餃皇”(6個30元。蒸籠1個18元/3個入り)は、広州の物価から言うと、高いことは高いが、その品質は上々である。もちろん、ツバメの巣やフカヒレが“花城”のメインであり、点心は副業に過ぎないが、彼らはきっとツバメの巣やアワビを料理するのと同じ態度で蝦餃を作っているのであろうと想像できる。
濃妝艶抹 (厚化粧)
鳳爪はニワトリの足先(爪子)に対する、「スズメ転じて鳳凰になる」式の美化された修辞である。(もちろん、あなたがスポーツ愛好家なら、大げさにこれを「美女の足」と呼ぶこともできる。)しかし、“鳳”という伝説上の神聖で高貴な飛禽も、実際は雉に過ぎないと言われている。
しかし、どんなに高貴な名前であろうと、鳳爪は相変わらず卑賤なものに過ぎない。たとえ広東式の点心の中でも、味の上で蝦餃といっしょに論議することはできない。しかしながら、点心の中に鳳爪を欠かすことができない由縁は、先ずその唯一無二の食感による。骨を除くと、皮の中のゼラチン質だけで、鳳爪は食べるべき肉が付いておらず、別にとりたてて美味しいものではない。だから、点心師(点心制作担当の料理人)は鳳爪の調理では手間と材料を惜しまない。茶楼での鳳爪は通常先ず油で揚げ、それから醤油、牡蠣油、柱侯醤(醤油にニンニクや砂糖を加えた調味料)、唐辛子、八角、ネギ、ニンニク、生姜などの調味料に漬け、最後に蒸す。したがって、茶楼で食卓に出される鳳爪は、見たところ全身厚い化粧を施され、もはやその生前の姿を想像することはできない。
実際は、鳳爪は味付けが容易なので、味付けの上では必ずしも一定の決まりは無い。十分柔らかく蒸されており(広東語で“淋”と言う)、口に入れた時十分芳しければ、完成である。
こうして見ると、これに付けられた美名の他は、鳳爪は別に美味しいものではない。しかし、茶楼の客達が好むのはこの一口である。この点心は京劇の中の茶番劇(“挿科打諢”)のような役割で、鳳爪は食べるべき肉も無く、また取り立てて美味しくもないが、噛み応えは十分ある。口の中で、この爪はひらひら舞い、むしゃむしゃ咀嚼する間に、細い骨が一本一本音も無く吐き出される。唇と歯の間のおもしろい動きである。おもしろいと言えば、古龍の《絶代双驕》の中で鶏爪鎌という名の武器が出てくる。これは憐星宮主と鶏冠人の武闘の場面で登場する。「鶏冠人の目の中には凶悪な光が現れ、突然手まねをすると、三双の鶏爪鎌が現れ、直ちに風を突いて憐星宮主に向け投げつけた……憐星宮主は長い袖で振り払うと、五本の柄の鶏爪鎌は「ガラッ」と地面に落ちた。彼女は手で柄を一本つかんでそれをしげしげと見ると、笑って言った。「何かと思えば鶏爪鎌、さて味はどうだろう?」とおちょぼ口をかすかに開いて、鶏爪鎌を口に入れた。「カシャッ」と音がして、この鋼で鋳られた、世の中で皆が恐れをなす武器が、むざむざと彼女に食べられてしまった。憐星宮主は首を振って言った。「まあ、この鶏の足はなんて不味いの!」「ペッ」と口の中に半分残った鉄爪を吐き出してしまった。すると銀色の光がきらめき、風の音がかすかに響き、残された花衣の人は突然うめき声を上げ、両手で顔を覆い、地面をのたうち回った。鮮血が絶えず指の間から流れ出し、何度ものたうち回ると、もう動けなくなった。」
鳳爪は、実際は動詞であり、修辞学の意味のうえでは、“蝦餃你個鳳爪”というのは、“鳳爪你個蝦餃”と改めた方が良さそうだ。
鳳爪は広東式の茶楼での欠くことのできない伝統的な点心であるだけでなく、日常の広東料理の中でもよく使われている。例えば、広東人はスープを煮込む時に適量の鳳爪を入れるのを好む。そうするとそのゼラチン質でスープのコクが増すからである。しかし、私がずっと分からないのは、どうして同じものが茶楼では“鳳爪”と呼ばれ、スープに入れられると一律にまた元通り“鶏脚”になるのかである。(例えばよく見る“花生眉豆煲鶏脚”は未だかつて“花生眉豆煲鳳爪”と言われたことはない。)“鶏脚”は点心の時だけ“鳳爪”と呼ばれるというのだろうか?
外省人は鶏を食べる時、鶏の内から外まで余す所はほとんど無いが、広州人の“鳳爪”を好むことについてはいささか見方があるようである。先ず、この物は肉が付いていないだけでなく、食べるのが面倒で、「けちけちしない」ことを尊ぶ北方の人は尚更に蔑む。この他、文化上のタブーもある。私は小さい時大人が、鶏の足先を食べると字がきれいに書けなくなると言うのを聞いたことがある。後に私は呉倩蓮が対談で、彼女は幼い時から鶏の足先を怖くて食べれなかった、というのは母親が鶏の脚は書物を破いてしまうし、「書物から学んだものをすぐに忘れてしまう」と言っていたから、と言っているのを読んだ。後に香港に住んでから、茶楼に行く度、美味しそうな豉汁鳳爪や白雲鳳爪を見ては涎が止まらなかったが、ずっと鳳爪の美味を試すことがなかった。
外国人の友邦の驚きに至っては、ことさら言うまでもない。香港のTV局、明珠台が以前英国人制作のバラエティー番組Don’t do this at home(中国語訳《敢玩倶楽部》)を放送したが、内容は苦心惨憺して思い付いた、スリルのある冒険ゲームで、例えば蜘蛛が嫌いな人が密閉された狭い空間でたくさんの蜘蛛といっしょに過ごしたり、高所恐怖症の人が空中から飛び降りる、といった内容である。その中に一つレギュラー・コーナーがあり、スタジオの観衆が舞台に上がり「びっくりするような」食品を食べてみるというもので、これらの食品の中に鳳爪と蚕の蛹が出てきた。私の記憶では、鳳爪が出てきた回は、皿を覆っていた蓋がはずされても、舞台の上の六名のイギリス人の男女は最初は皿の中がどんな物か見ても分からず、司会者が促すと、皆怖くて血の気が引き、中にはがまんできず吐きそうになったり、一人の女性は悲鳴を上げた。しばらくして、一人の勇敢な中年男性が遂に勇気を出して、つまみあげて口に入れ一噛みした。続いてもう一噛み……言うまでもなく、たいへん勇敢な人だ。もう一人、口に入れた女性は、司会者に促され、一噛みしたが、こっそり吐き出していた。
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
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